日本橋を出て神田、秋葉原、
お茶の水を抜けて本郷を通
り東大前(旧加賀前田殿の
屋敷跡)横を通過して、白山、
巣鴨を経て板橋に至る。
それが江戸期の中山道だ。
江戸を立ったらまず板橋宿で
初日一泊した。
現在は国道17号線が中山道だ。
中山道は川渡りの難所の多い
東海道よりも江戸から京都に
行く場合には多用された。
江戸から上方方面へは山越えの
内陸ルートで京を目指す。
幕末の幕府浪士隊も中山道を
京に向かった。
その幕府浪士隊の一部がのち
の京都守護職会津中将様御預
かりの京の治安警察の新選組
になった。外国人や日本の要人
襲撃や殺害をくり返し、破壊
活動も続ける過激派浪士を取り
締まり、天皇を警護するのが
京都守護職の目的だった。新
選組はその会津松平家の配下
として大義には天皇を護り、
京都の市民を守る為に活動した。
中山道は一旦江戸から北上して
から現在の国道17号線と分岐し
て18号に左折して浅間山の裾野
の山間部に入って行く。
現在の国道17号線では、東京都
のエンド部分最北端は板橋区の
浮間舟戸という荒川ぞいだが、
ここらあたりは元々は現在で
いうところの埼玉県戸田だった。
なので、東京都板橋区であるの
に戸田という旧地名も斎場も残
っている。
江戸期などは戸田も板橋もいず
れもド田舎の郡部だ。武蔵国
何々郡の片田舎。
荒川のルートが大工事で引き直
されて荒川放水路が今の荒川と
なってから、境界紛争があった
が、今の板橋区最北端は埼玉で
はなく東京に編入された。
といっても戸田も板橋も江戸の
ご府内などは遥か南の彼方だ。
そして、国道17号を本郷東大方面
から北に行くと、東京都の高台の
丘の端の部分からドカンという
ような長い直線の坂がある。都営
三田線の志村坂上の駅のあたり。
その坂の上からは目の前に遠く
東京都の端っことその向こうに
埼玉県の風景が広がる。
志村坂を二輪などで下るのは、
とても気持ちがよい。それまで
のビル街の中を走る景色が一転
して眼下に風景が広がるからだ。
ただ走っているだけで志村坂上
は心地よい。
そして、長年解けない謎がある。
1970年代後半、この志村坂上の
付近を通るとパンケーキを焼く
香りがした。
それはどこかの店舗からの匂い
というようなものではなく、まる
で1970年代のサーキットのパドッ
クに充満している植物性のカスト
ロールレーシングオイルが焼け
たような匂いが街中全体に充満
していたのだ。
それは、パンケーキ=ホットケー
キを焼く甘い匂いと全く同じだ。
これはもう何年もずっとそう。
あれは一体何だったのだろう。
ネットでリサーチしても、全く
その事は出てこない。
だが、1970年代後半に志村坂上
を通った事がある人は、例え車
だろうとバイクだろうと地下鉄
下りて徒歩だろうと気づいた筈
だ。とても良い香りのパンケーキ
を焼いたような匂いに街が包まれ
ていた事に。
どなたか、あの香りの理由を
ご存じの方、教えてください。