渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

地方ナンバー

2021年04月28日 | open




「備北(特に庄原と合併したところ)は広島
になりよった」

この狭量(笑
「なりよった」というのは全国区的に説明
すると、東京言葉で言うならば「なりや
がった」という意味の恨みを込めた方言
だ。
地方の意識性をよく正直に表現している。
自分のとこ(福山管轄)からのナンバーを外
れた事、あるいは自分ら(広島ナンバー)に
よそもん地区人が入って来た事を毛嫌い
する意識の表現だ。

これが地方を代表する一般人民の意識性
である。
首都圏人にはよく分からない。

私個人は、所有者と使用者の本拠地の居住
地ナンバーでいいと思っているから、東京
から転居の際には新たな車両は居住地ナン
バーにした。
正直なところ、関東でも特異なハマナン
以外はどこのでもどうでもいいや、てのが
ある。はっきし言って。
ハマ育ちにはハマナンだけが特別の感覚
があるからだ。あとは例え品川だろうが
ドングリ並びだと思っているとこがある。
これ、なかなか全国的には理解されない。

横浜の地元ではナンバーというのとは別
に、あの特殊な感覚は、子ども時分にハマ
に育った人間にしかハマ愛意識は分かる
い。
勿論、上記の地方の田舎の排外意識とは
てんでまるで異なる。
もっとハマの空気はごくナチュラルだ。
受容れるのだ。
少なくとも、ハマの人間はそれを持って
いる。それがハマの地元の矜持だ。
文明開花の最先端の意識が今でもある。
あとからハマ人ぶっても、根が違うので
馬脚はそのうち現れる。妙な取って付け
のハマ自慢をするからすぐバレる。
根が違う、という事が。

嘘は嘘だ。
嘘つきに限って、自分を美化し続けてる。
賢者は、かような者との接触に於いて、
センサーが働く。
それは愚なる者が奇しくも自分でその事
を撒き散らすからだ。
ハマ暮らしが人生で最も長い永ちゃんが
偉いのは、てめえの事をハマ人ぶらない
とこだ。
それが実はハマ風味なのだ。
矢沢永吉さんはよく分かってる。

ナンバー。
私はどこのナンバーでもよい。
ただ、ハマナンだけは別物だ。
この感覚は、地方のご当地ナンバーとは
まるで異なる。
これ、神奈川県の横浜に育っていないと
なかなか理解はできないだろう。この
特殊な感覚は。
ハマで育ったハマっ子だけがその真意を
知る。

私はハマナンは今は居住地が違うので付け
ない。
でも、それでいい。
ハマナンはハマっ子の物だからだ。
これは感性として。
感性としてのそのアイデンティティと法的
な規則は乖離している。ハマナンを今の
居住地で付ける方法は合法的にいくらで
もある。だが、それはしない。
ハマナンはハマ人の物だからだ。

そして、大切な事は、意識の上でも法的
決め事の上でもそれを同一化させてはなら
ない、という事だ。
そんな事をすると、明治5年から昭和23年
までの旧戸籍の族称欄記載のような制度と
して意味の無い事と同じになるからだ。

ただ、にわかハマ人ぶって、地方の純な
人たちを属性や帰属で嘘並べで騙す嘘つき
野郎は、そのうちかつて国を捨てたように
人を裏切るし、騙しをしょうこりもなく
繰り返す。
哀れに過ぎる。
偽ハマ人、偽東京人ぶっての虚飾の自己
自慢はあまりにもダサすぎる。最低。
それが二輪転がしならなおさらだ。
おめえ、なに調子こいてんの?と。
国を捨てた人間が何をやってるのか、と。
カッコ悪い。
まあ、全部が嘘まみれなんだろうなあ。
自分の過去に矜持無き生き方をしてきた。
みじめだ。

いくら、ぶっても駄目すね、それは。
論外。

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