渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

業界用語

2024年08月09日 | open



オートバイの世界では、レー
でも公道でも、調子よく乗
りこ
なしている状態の時、そ
の乗り
手を指して「乗れてい
る」と
表現する。二輪業界用
語だ。

一方、ビリヤードのポケット
種目でも同様の言い回しがあ
る。

それは、快調にスパンスパン
的玉を入れて手玉を狙い通
りの場所に出し、かつ
難球も
なんなくこなしてプレー
して
いる撞き手を指して「よく

えている」と言う。

「よく撞けてる」とは言わな
い。

「よく撞けて」は、それはち
びり突っつきではなく
適切な
フォロースルーのショッ
トを
している時に「よく撞けて

る」とか「しっかり撞けて

る」と表現する。

快調でそつなく正確なプレー
している時には「よく見え
てい
る」と周囲は表現する。
また、プレーヤーも「玉がよ
見えた」と言う。
これは玉筋、ライン=的玉と
玉の軌道、的玉と手玉の重
なり
具合のヒット位置がよく
見えて
いる=正確に感知把握
ができている、という事を意
味する。

なお、不思議に思うだろうが
上級者は手玉の撞点を合わせ
の時には見ても、撞く瞬間に
は手玉の撞点は見ていない。
手玉から的玉のライン全体を
見ている。
手玉の撞点だけ見つめたまま
ショットを繰り出すのは素人
だ。あるいは上級者のマッセ
の時のみ。

それは、横一直線並びの玉を
撞く時に手前の手玉の一点だ
けを見つめて撞いたら、ほん
の僅かの狂いで
狙点そのもの、
ヒットポイントそのものが大
きくズレるからだ。

そして、上級者は合わせの予
備ストロークの時に手玉の撞
点を把握したら、その後は目
をつぶって
いてもその撞点を
貫き通せる。これほんと。

それができないのは本物の素
人。
合わせの予備ストロークは
撞点の確認、ストローク動作
に不具合はないかの確認をし
ているのである。

80年代の前世紀末期から今世
紀初頭に
かけて世界一の実力
者である
フィリピン人のエフ
レン・レ
イエスは撞く瞬間に
手玉など
見ていない。全体を
見る。

また、世界選手権で15度も世
界チャン
ピオンとなった不世
出の選手
であるウィリー・モ
スコー二
も、撞く瞬間は手玉
ではなく全
体を見ている。
キャプテンことマイク・シー
ゲルもそうだ。
彼らの例を出すまでもなく、
トップランカーや無数にいる
上級者たちは撞く瞬間には
手玉などは見ない。
これはバイクの高速度走行で
コーナーのどこか一点を見つ
めないハイスピードライディ
ングの目線の使い方と非常に
似てい
る。
また、刀術においても、一点
を凝視して刀を振ることは無
い。全体を眺めて空間把握す
るのである。
剣術には「見の眼」と「観の
眼」の重要な教えがあり、そ
れを適宜使い分けて目付けを
実行するが、撞球や二輪走行
でも剣術と同じ身体用法を用
いる。
それにより質が高く密度の濃
い正確無比
な玉撞きや二輪走
りをするのである。


そして、上級者は誰にでも特
に難しい課題が待っている。
超絶技法さえもありきたりの
ようにこなすのが
上級者だ。
ピアノの上級演奏者のように。
そこでは、「ミスをしない」

という事がプレーの成功に繋
がる。完成度の高さとはまた
別な次元の課題として。

あたかもオリンピックの器械
体操の本番のように。
この例えは、二輪乗りの人た
ちは分かりやすいだろう。
ミスをしたら運転免許さえ取
得で
きない。

 
 





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