渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

アイサイト

2023年01月30日 | open
 
 
昨日、タップ交換をする時、50代
の友人が「え?!見えるの?」
言った。
タップ側面を桂剥きする時に、目
視で正確にサイドの面を切り出し
ていたからだ。ジッと見て集中し
て手元が狂わないようにして。 

(ビリヤード現場で即交換)

見えるのだ。細部まで克明に。
上掲のライターのシールの文字
は1ミリに満たないが、これも
はっきりと見える。
目が見える事で助かる事があ
る。
それは、ビリヤードキューのタッ
プ交換の時に細部が裸眼で確認
できる事だ。
それにより、技法が適切に駆使
できる。
同時にそれは、刃物の研ぎの時
刃部の詳細状態が的確に
その
まま見えるので確認で
きる。
だから、任意の研ぎが技法と
て物理的に可能となる。
刃先や筋が肉眼で即見える
からだ。
見える事は確認ができる事
であり、その後の仕事が即
応できるという事だ。
なのでコンマミリ単位の研
ぎによる刃付けができる。
 
そして、一番の利点は、日本刀
が見える、という事だ。
日本刀の肌はまるで細かい木目
のようなものなのだが、それが
具に正確に捉えられる。
また、その鍛え肌と共に鋼の熱
変態現象の表出も細かく見える。
これは非常に助かる。日本刀
「見える」とは、日本刀の作
の如何が判別できて鑑定ができ
るという事=目利きができる事
を指すが、まずそれには鋼の変
態状態が如何なる様かが肉眼で
完全に識別できないとならない。
物理的な現出状態が刀身に出て
いるので、それをまず全て肉眼
で掌握するのだ。
これができないと、日本刀は目
利きの意味でも、物理的に現認
できる意味でも「見えて」来な
い。日本刀は目で見る事により
視ると観ると診るが可能となる。
この「刀が目視で確認できる」
というのは、日本刀鑑賞と鑑定
おいて非常に役に立つので、
とても助かっている。
10代の頃に見えるものと何ら
変わらないからだ。
100mを14歳の時と同じ速度で
走れと言われたらそれは肉体的
に無理だが、目は今のところ加
齢に関係なく見える。
変な眼だが、天の差配に感謝し
ている。

この記事についてブログを書く
« ハウスキュー(店舗備え付けキ... | トップ | ヴィンテージキュー »