荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

消費の巻。

2013年08月04日 | 日毎ニュースに正義の理想を
アベノミクスが功を奏しているのか、百貨店の売上げが伸びているとか。

実態経済が伴っているのか、それとも『なんだか景気が良いみたいだわ。皆さんに遅れない様に私も百貨店で消費をしなくちゃ』というヒトが多いのかは分かりません。

確かに銀座の百貨店をブラブラしておりますと、平日なのに結構な人出が見受けられます。

だいぶ昔、ある百貨店のヒトから聞いた事があります。

「百貨店というのは景気が悪くなるといちばん先にダメージを受け、景気が良くなってもいちばん最後迄ダメージが回復しない」

ということばです。

だとしますと、現在売上げが伸びているという事は、景気ダメージの回復を終えているという事なんですかねぇ。

本格的に断捨離を始めて2年ちょっと経ちますが、モノを持たない・買わないという考え方を徹底化しますと、世の中のほとんどがモノを買わせる為の謀略である事が分かって来ます。

もちろん、そんな事は当り前っちゃあ当り前なんですけど。

ネットもテレビもラジオも新聞も雑誌も、みーんなモノを買わせる為に存在するものなのですね。

そんな当り前の事を、国民全員が完全に理解出来てしまうと、おそらくニッポンという国は破綻してしまうんではないだろうか、とも思います。

僕みたいな人間がマイノリティであれば問題はありませんが、バブル崩壊から20年以上、モノを所有する価値観というのも激変しています。

バブル崩壊時にはふつーのヒトは持っていなかったPCや携帯電話が、いまや断捨離をしているヒトにとっても、なくてはならないモノになりました。

一方、クルマやゴルフセットやスノボは不要である、という若者が増えているのも、激変をあらわしていると思います。

日本国内の個人消費のみで消費減退を憂うのもアレなんですが、消費がなくなっていろんな産業が潰れて、ニッポンの国力が落ちたからといっても僕なんかは『だから?』って思います。

そんな産業は所詮、飽和産業であり淘汰産業であったに過ぎないんじゃないか、って。

『時は人間が消費しうるもっとも価値のあるものなり』テオプラストス(古代ギリシアの哲学者・BC371~BC287)



本日の処分品。


三角スケール、通称【サンスケ】。二本持っていましたし、家じゃあ使いません。仕事しないから。