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研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

日本の「平和主義」とその起源

2015年10月05日 | 研究活動
最新の外交雑誌『フォーリンア・フェアーズ』に、「それでも日本の平和主義は続く―市民の平和主義へのこだわり」という論考が掲載れました。著者は、「東西研究所」フランツ=ステファン・ガディ氏です。

ガディ氏の主張は明快です。すなわち、「安倍首相の意図はなんであれ、日本の軍国主義は太平洋戦争の敗戦とともに葬りさられた…多くの人は、自衛隊の主要任務は災害復旧であり、日本の安全保障に貢献しているのは、自衛隊よりも、日米同盟だと考えている」(同論文、26-30ページ〔引用は日本語版『フォーリン・アフェアーズ・リポート』第10号、2015年より〕)。

この主張には、多くの人が頷くことでしょう(もちろん、「納得できない」方もおられるでしょう)。

ただし、突き詰めて考えるとは、果たして、何が日本の「平和主義」を生み出しているのでしょうか。これについては、リアリストとコンストラクティヴィストの間で、論争が続いています。誤解を恐れず単純化していえば、「日米同盟による安全保障の提供があるからこそ、日本は『平和主義』を保てる」というのが、リアリストの説明です。他方、「平和主義(反軍国主義)のアイデンティティこそが、日本の安全保障政策を形成している」というのが、コンストラクティヴィストの主張です(この論争について、詳しくは川崎剛「『現実主義対構成主義』論争の概略」『社会科学としての日本外交研究』ミネルヴァ書房、2015年所収ををお読みください)。

私は、「日本の平和主義」といった特殊な要因から日本の政策を説明することに、やや違和感を覚えます。なぜなら、この要因(変数)と結果が疑似相関していると思えるからです。実は、ガディ氏も、その可能性を示唆しています。「日本の軍事化が一気に進むとすれば、駐留米軍の撤退や北朝鮮による核攻撃など、東アジアの安全保障環境が大きく変化した場合だけ」(30ページ)という彼の分析は、まさしくリアリズムの説明だからです。

そうだとすれば、日本の安全保障政策は、「日本特殊論」や(かつての)「日本異質論」に頼ることなく、より一般的な国際関係の分析枠組みで説明できることになります。皆さんは、どう考えますか。
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