カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インドへの旅(その13)クシナーガル

2013-03-22 | インド(仏跡)(その2)
深夜、2階の我々の部屋の外で大声で騒ぐ声が聞こえてきた。うるさいので耳栓をして寝ようとするが、今度は部屋のドアをドンドンとたたく音がする。他の部屋のドアの開閉音が何度も聞こえ、男性の大きな声が聞こえる。しばらくすると女性や子供の声も聞こえてきた。数十人規模ではないだろうか。となりのベッドでは、ドライバーのヴィージェイが毛布をかぶって寝ているが、動かない。これだけの音にも関わらず寝ているのか。大した男だと思った。

そのうち、静かになったが、しばらくすると部屋の小さな電球の光が突然消え、窓の外に見えていた唯一の光も消え、辺り一面暗闇に包まれた。今度は停電か。。そのうちホテルの外から数人の声が聞こえ、グオーングオーンと何やら発電機らしき機械を回転させる音が聞こえてきた。しかし、そのうち寝入ってしまう。

時計を見ると7時になっていた。部屋のドアを開けると辺り一面に洗濯物が干してある。ヴィージェイがホテルのスタッフに事情を確認したところ、昨夜、スリランカからの巡礼者たちが、宿泊する場所がなく、このホテルに押し寄せたのだと言う。もし部屋の鍵を開けていたら、なだれ込まれていたのだろうか。。危ないところであった。

昨夜は辺り一面暗闇に包まれて外観がよく見えなかったが、新しいホテルであることがわかった。外に出て、駐車場からホテルを眺めてみる。
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リンゴやバナナなどの果物を食べチェックアウトして車で大涅槃寺に向かった。ホテル前から細い道を少し走ると正面に広い通りになりすぐ大涅槃寺が見えた。ホテルはメイン道路から西側に入った所だったのである。入口で車を降り1人で大涅槃寺に向かう。
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ここクシーナガルは、古代インド十六大国の一つ、マッラ国(末羅国)の西の中心地であった。40年以上に渡って説法の旅を続けてきた仏陀は、この地で入滅された。仏教四大聖地の一つである。既に8時にもかかわらず、辺りは朝もやでかすんでその奥にストゥーパが見える。
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しばらく歩道に沿って歩くが、前方で左右に分かれている。左側に進み北方面から回り込む。すると、ストゥーパの前にもう1つ建物があるのが見えた。「涅槃堂」である。現在の涅槃堂は、1876年に再建され、1956年にインド政府により改修されたものである。
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周りには、祠堂や僧院の遺跡が広がっている。5世紀から12世紀までのものである。歩道は、さらに左右に分かれている。右に向かい、涅槃堂の入口に向かう。しばらく歩くと、涅槃堂の正面に着いた。
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クシーナガルに着いた仏陀は、アーナンダに向かって「この一対のサーラ樹の間に、頭が北になるようにして床を用意してくれ。私は疲れたので、横になって休みたい。」と言われた。

アーナンダは、言われたとおり床を用意すると、仏陀は、右脇を下にして足を重ね、獅子が横臥するような姿勢で横になられた。その時、沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き満開となり、それらの花は、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ散り注いだ。天の楽器は、修行完成者を供養するために、虚空に奏でられた。
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涅槃堂に向かって進み、靴を脱いで堂内に入る。
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堂内には、6メートルはあるであろう巨大な涅槃像が祀られている。涅槃像が作られた時期は、はっきりしないが、5世紀のグプタ朝時代のものと推定されている。周りには、僧侶や各国からの巡礼者で一杯である。この日は韓国からの巡礼者のグループが涅槃像を取り囲んでいた。
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涅槃像の台座には涅槃を悲しむ信者の姿が彫られている。アーナンダは、扉のかんぬきにとりすがり、声をしのんで泣き崩れたと言われている。
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仏陀は、「アーナンダよ。汝は私の入滅を嘆いたり悲しんだりしてはならない。どれほど愛しい、心に適った者にも、やがては異なった状態、別離の状態が訪れるのである。それを逃れることがどうしてできようか。アーナンダよ。生まれ、生じ、作られた壊れゆくもの、その壊れゆくものに対して、「壊れることなかれ」とおしとどめようとしても、それは所詮道理に合わないことである。」と言われた。
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仏陀は周りの比丘たちに「苦しみと、その原因と、原因をなくすことと、そのための修行という四つの真理について疑問があったら、今すぐ質問しなさい。疑問を残して答えを出さないのはいけない。尊師を目の当たりにしてお尋ねすることができなかったと後悔することがないようにせよ。」と、三度問いかけを繰り返えされたが、誰一人質問をしなかった。
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そして最後に仏陀は「さあ修行僧たちよ。お前たちに告げよう。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。」と言われた。
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足元には、お花やお賽銭が供えられていた。
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人をかき分け、堂内から退出すると、入口には、次の信者たちが順番を待っている。
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涅槃堂の周りにも、僧侶や信者たちが、取り囲んで経を唱えている。
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反対側にも、多くの信者がいた。
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涅槃堂の南側から下を覗き込むと、一面に遺跡が広がっている。
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涅槃堂から、堂内に向かう通路を眺めると、信者たちの列が伸びている。
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公園内を散策してみる。東側からストゥーパを眺める。ここにもストゥーパの基壇らしき遺構がある。
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北東方面から、ストゥーパと涅槃堂を眺める。あちこちに遺構がある。涅槃堂の人の多さに比べてこのあたりは人がいない。静寂に満ちている。時計を見ると8時50分であった。
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次にラマバール・ストゥーパに向かう。大涅槃寺を出て、南に向かうとすぐ左に道が伸びている。道なりに東方向へ1キロメートルほど進む。
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左手に入口が見えてきた。
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ラマバール・ストゥーパである。この地で仏陀は荼毘に付されたのである。
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ストゥーパの周りには、僧侶と信者が座っていた。
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信者たちは、僧侶を先頭に右繞を始めた。
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クシナーガルに住んでいたマッラ族は、従僕たちに「クシナーガルのうちにある香と花輪と楽器をすべて集めよ。」と命じた。彼らは6日間にわたり仏陀の遺体を敬い、重んじ供養した。そして7日目に、都市の南において、「われわれは、尊師の遺体を火葬に付そう。」と言い、マッラ族の4人の首長は、薪に火を付けようとしたが、何故か火を付けることができなかった。
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そのころ、弟子のマハー・カーシャパ(大迦葉)は、500人の修行僧とともにパーヴァー村からクシナーガルに向かって進んでいた。クシナーガルに到着したマハー・カーシャパは、仏陀の火葬の前の薪のところに赴き、仏陀の足に頭を付けて礼拝した。500人の修行僧も同様に礼拝が終わると、薪はおのずから燃え上がったという。
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瞑想している若い僧侶が見える。
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ストゥーパの敷地内から外に出て北方面に足を延ばすと、ヒンドゥーの祠や、
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こちらには、地元のヒンドゥー教のお墓がある。
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その向こうには仏陀が最後に沐浴をされた「ヒラニヤヴァティー川」が流れている。
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大涅槃寺方面に戻る。前方で道が右方向に向かっている。このまま道なりに進めば、200メートルほどで右手に大涅槃寺が現れる。カーブの手前左手に何やら遺構らしきものが見える。マタ・クアール寺院である。仏陀最後の説法地跡とされる。
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入口を進むと左手が遺構である。
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右手の祠に人が集まっている。順番をまって格子戸から覗くと、中には10~11世紀頃に地元の領主が寄進した黄金仏が見える。すばらしい像である。
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祠の両側面にも小さな格子戸が見える。左側の格子戸から覗いてみるとここからも黄金仏がはっきりと見える。この位置から見た像もすばらしい。
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しばらく眺めて満足した、車に乗り込み北方面に進む。巨大なゲートが見える。クシナーガラのゲートである。通り越すと左右に28号線が通っている。28号線側に車を停めてクシナーガル方面を眺める。
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ゲートの上部に仏陀の像が見える。
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左に目を移すと、黄金の仏陀坐像があった。さて、そろそろ出発である。滞在時間が短かったわりに充実感が広がっていた。次は、仏陀の生まれ故郷ルンビニーに向かう。ルンビニーはネパールに位置するため国境越えになる。
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(2012.11.24)
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インドへの旅(その12)ケッサリア

2013-03-22 | インド(仏跡)(その2)
12時半、ヴァイシャーリーを出発しガンダク川に沿って北上する。ガンダク川は、ヒマラヤ山脈に源を発し、ネパール中部からインドのビハール州北西部を流れパトナー対岸でガンジス川に合流する支流の一つである。

これから、ヴァイシャーリーから約50キロメートル北に位置するケッサリアに向かう。この地は、かつて仏陀との別れを悲しんだヴァイシャーリーのリッチャヴィ族が、最後に仏陀を見送った場所と言われ、また、シッダールタ(仏陀)が故郷のカピラヴァストゥから出家した際、最初に剃髪した場所とも言われている。なお、ケッサリアとは、仏陀が経を説いた相手(商人ケッサリ)の名前にちなんでいる。


田舎道を1時間ほど北上すると、小さな町(シャヘブガンジー)が現れ交通量が多くなった。
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左折し北西方面に向かう。
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10分程走ると、また田舎道になる。
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前方の交差点を右折すると、すぐ右手に巨大なストゥーパが見えた。どうやら到着のようだ。
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周りに駐車場らしき所は見当たらない。車を入口近くの道路沿いに停めて歩く。入場料は無料である。
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ケッサリアのストゥーパは、2001年に発掘され現在も発掘と調査が続けられている。高さが45メートル(現在は33メートル)直径120メートル、6層からなっている。インドネシアにある世界遺産ボロブドゥール遺跡は、高さが42メートル(現在は破損して33.5メートル)なので、その巨大さがわかる。入口を過ぎると、ケッサリア・ストゥーパへのあぜ道が伸びている。辺りは見渡す限り畑が広がっており長閑な風景である。
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発掘作業は、北側から始められたが、南半分はまだ手付かずで発掘されておらず土のままで木や草が茂って小山に見える。
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北側に回ってみると、足元に発掘されたレンガが積まれている。レンガは意外な程小さく薄いのが分かる。
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ストゥーパは巨大だ。全体を見ようと少し離れるが、この時間は逆光になり見づらいのが残念である。
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再びストゥーパのそばに戻ると、手前にも遺構らしきレンガが積み重なっている。僧院の跡なのだろうか。ストゥーパを見上げると上段に龕(がん)が並んでいるのが分かる。
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龕には、壊れた仏陀像が並んでいるが、これはイスラムなどによって破壊されたためである。
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ストゥーパに沿って西に向け歩いてみる。基壇部分の下部のレンガは白く塗られた跡がある。
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左に見えるオレンジ色の塔はヒンドゥー教寺院である。
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ストゥーパと寺院との間には、巨大な菩提樹が聳えている。
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菩提樹の横には、レンガがなだらかに階段上に積まれておりストゥーパに上がることができる。
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こちらの龕の中の仏陀像は左半身が残っている。近づいてみると、ほぼ等身大サイズのようだ。右手が大地に触れ悪魔を降伏、退散させた降魔印を結んでいる。
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こちらは大きく破壊されており足だけが残っている。こちらも残された右手の位置から同じ印相のようだ。
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こちらには、像はない。。
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30分ほど見学し、次の地クシナーガルに向かう。北東方面に車を進めると右手道路沿いに菩提樹があり、黄金の仏陀像が祀られていた。
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すぐに左折し、今度は北西方面に進む。しばらくすると南西方面に伸びるハイウェイらしき道路が見えてきた。この道路はゴバルガンジ、カシアー(クシナーガル)、ゴーラクプル、ファイザーバードを通ってウッタルプラデーシュ州都のラクナウまで伸びる大動脈の28号線である。すぐに、橋が見えてきた。
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ガンダク川を渡った。時刻は現在15時、順調に走行している。クシナーガルまでは100キロメートルなので、この調子で行けばすぐ到着するはずだ。。
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前のトラックは大きく荷物が傾いたまま走行しているが危なくないのだろうか。
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やはり、二車線道路はいつまでも続かず、あちらこちらで工事が発生してすぐに対面道路になる。インドの田舎の道路は、周りの砂上と変わらない高さのアスファルト舗装をしているため、路肩にタイヤがはみ出すとすぐに砂埃が舞う。だから、特に田舎の道路沿いにある屋台の料理に抵抗を感じているのである。
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16時半を過ぎた。日が陰ってきた。
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道路そばにバザールが集まっていたので、車を停めて少し休憩する。いろんな種類の豆らしきものが売っており、その中で殻つきのヒヨコ豆を買う。実はこれがビールのつまみに最高なのである。
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17時を過ぎ日が暮れた。道路沿いに大きなゲートが見えて奥に明かりが見える。ここはファジルナガル村と言い、仏陀の時代、パーヴァー村と呼ばれていた。クシナーガルまではあと17キロメートルである。
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パーヴァー村は、病み上がりの身体をおしてヴァイシャーリーを出発した仏陀が次にたどり着いた村である。仏陀は、この地で鍛冶工の子純陀(チュンダ)から食事の接待を受け重い病気に襲われた。チュンダは、スーカラ・マッダヴァという料理を差し出したと言われているが、現在ではどんな料理かよくわからない。スーカラとは「野豚」、マッダヴァとは「柔らかい」と訳されるが、病気の仏陀に対して肉料理を差し出すことは疑問であることから、豚が好む種のキノコを使った料理というのが有力と言われている。

20分ほどで、クシナーガルに着いたが、もちろん既に辺りは真っ暗である。まずはワインショップに向かい、そこでストロングビールとハーフサイズのウイスキーを一本づつ買う。しめて210ルピーであった。ちなみに、インドでは酒屋をワインショップというが、ワインを置いているお店はほとんどない。
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その後、今夜のホテルを探すが、最初に向かったホテルは満室だった。このため次のホテルに向かう。どうやらこのホテルには空きがありチェックインをする。部屋は殺風景だが、綺麗に清掃されていた。
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早々に部屋で祝杯をあげる。
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だらだら飲んでいると、20時近くになったので食事に向かうことにする。どうも毎晩同じ行動パターンになりつつある。辺は街灯が少ないため、真っ暗だが、前方に屋台が並んでいるのが見えた。
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周りにレストランはなさそうなので、結局、また道路沿いにある屋台である。。あまりいろいろ考えないことにし、適当にお店を選んで入り注文する。チキンカレー、ボイルエッグ、チャパティ、ライスを食べホテルに戻った。
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(2012.11.23)
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