カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

スリランカ(その6)

2013-03-08 | スリランカ
パーム ガーデン ビレッジ ホテル(Palm Garden Village Hotel)での朝。コテージを出て、敷地内を歩く。そばには、プールもあり、辺りには木々が広がっている。


レストランで朝食を食べ、アヌラーダプラに出発する。今日も天気はよさそうである。


アヌラーダプラの地に初めて都市を建設したのは、紀元前543年にインドのベンガル西部からスリランカに来たシンハラ人の祖先ウィジャヤ王(紀元前543~紀元前505)される。王は、スリランカ全土を支配下に収めると、アヌラーダプラを含め各地に入植地を建設した。そして紀元前380年、ウパティッサ ヌワラ王国のパンドゥカーバヤ王によりアヌラーダプラは首都となった。

最初にアヌラーダプラ博物館に向かった。右側には、直径3キロメートル近くある巨大なティッサ ウェワ湖(Thissa Wewa)が続いている。シンハラ朝のデーワーナンピヤ ティッサ王(紀元前247~207)により紀元前3世紀に整備された人工貯水池である。ホテルから博物館までは車で10分ほどの距離だった。博物館は、ティッサ ウェワ湖のすぐ北側にあるバサワックラマ湖(Basawakkulama Wewa)の東南側にある。

古びたオープンスペースの建物に多くの仏像や碑文などが展示されている。風雨にさらされる廊下や、屋根のない庭に置かれており、貴重な文化財の保管にはやや相応しくない印象だった。


こちらの廊下には、8世紀の僧院の階段側面(ウィングストーン)が展示されている。側面には、柱の頂板の上にマカラが足を乗せ、口から花綱を吐いて渦巻き状に着地している。その間に、振り向きながら大きく口を開ける獅子が刻まれている。中でも、花綱や獅子の毛など繊細な浮彫が施されており素晴らしい作品である。


仏陀立像である。右手は失われているが、左手、肘を曲げて、胸元の僧衣を軽く掴んだ姿である。お馴染みのスリランカ仏のポーズである。


なんとも優しい表情であり、見ていて癒される。


こちらの仏陀立像は凛々しい姿をしている。6世紀頃の作品である。


半跏趺坐に禅定印のサマーディ仏。5世紀頃、スリランカ北部バブニヤ近郊のプヴァラサンクラマ出土作品である。


南インドのアマラーヴァティー美術の流れをくむ仏頭。傷みが激しいが美しい仏頭である。


アバヤギリ ヴィハーラで発掘された彫像の破片も展示されている。


こちらの庭にも多くの遺物が展示されている。


水洗トイレだろうか。水道管らしき突起がある。


この展示エリアには碑文が多く展示されている。


ガードストーン(守護神像)と、トルソー(胴体だけの彫像)が置かれている。


このガードストーンは、守護神像ではなく壺がデザインされている。守護神像は、寺院内への邪気を食い止めるための守衛の役割であるが、壺(花を生けた壺なども)は、冨や繁栄の象徴を意味するらしい。


博物館では30分ほど見学した後、車でバサワックラマ湖の東側から1キロメートル北上した「トゥーパーラーマ ダーガバ」に向かう。

紀元前247年、シンハラ朝のデーワーナンピヤ ティッサ王(在位:紀元前247~207)に仏教を伝えたマヒンダ長老が、王に仏陀の舎利の請来を勧めたことに始まる。そして王は、マヒンダ長老の妹サンガミッターの娘、沙弥スナマをインドのアショーカ王に遣わし、仏陀の右鎖骨の提供を受け、奉納場所として「トゥーパーラーマ ダーガバ」を建設する。スリランカで建設された最も初期の仏塔で、高さ19メートルの釣鐘型をしている。仏塔は、何度か破壊され、廃墟となったが、1842年に再建されている。


北側の駐車場から、歩いて東側の仏塔への入口となる階段に向かう。踊り場のある広い階段の左右には、計4体のガードストーンが設置されている。特に階下の2体は、大人の身長ほどの大きなサイズで高浮彫となっている。


ウィングストーン後方のマカラ彫刻は重厚であり、踊場のガードストーンと連携している。


靴を脱いで階段を上がり基壇上に入る。太陽の光が白い塔に当たり眩しく見える。あちらこちらに石柱がそびえ立っている。傾いている石柱も多い。


石柱が失われている場所にも柱の基礎が残っている。当時、塔の周りには二列の石柱が周囲を取り囲み、屋根があった。足元は花崗岩で舗装されている。塔の前には礼拝堂がある。


礼拝堂は正面をガラスケースに覆われており、仏陀坐像が祀られている。


塔の周りを右繞すると、所々に倒れた石柱が積み重ねられている。


退出して外からトゥーパーラーマ ダーガバを眺める。欄楯が設けられた白い基壇は高さが3.45メートルで、基壇の直径は50メートルある。


すぐ南西隣に小さなお堂の跡があり、基壇の上には、多くの石柱が立ち並んでいる。立派なガードストーンが置かれている。


隅々まで細かい装飾がみられる美しい彫刻だが、無造作に置かれている。。


あちらこちらに、柱や梁と思われる部材が散乱している。


次に「ルワンウェリ サーヤ大塔」に向かう。トゥーパーラーマ ダーガバからは、東側への参道を50メートルほど歩き右折して、南に延びる歩行者専用道路を500メートルほど歩くと、ルワンウェリ サーヤ大塔の北面に到着する。もともと、この仏塔の周囲は、スリランカに仏教をもたらした長老マヒンダが、この林園を大変気に入ったことから、デーワーナンピヤ ティッサ王が命じ、上座部仏教「マハー ヴィハーラ(大寺派)」のための寺院や坊舎、沐浴池、休憩堂などが建てられたスリランカ仏教の最初の精舎である。


そして、紀元前2世紀、デーワーナンピヤ ティッサ王の血筋を受け継ぐドゥッタガーマニー王(在位:紀元前161~紀元前137)が、スリランカのアショーカ王になることを目指して、仏教拡大に心血を注ぎ、総仕上げとして建造したのがルワンウェリ サーヤ大塔である。内部には、インドから運ばれてきた仏陀の舎利が、大塔の舎利室に奉安されていると伝えられている。

建立当時は110メートルの高さがあったが、現在は55メートルである。塔自体は煉瓦を積み上げたものに白く塗られている。基壇となる土台は、沈下を防ぐために、地中深くにある岩盤に砕いた石灰岩、粘土、樹脂等を5メートル以上積み重ねて象に踏み固めさせる、当時最先端の土木技術で作られている。入口は東側になるため、回り込んで入場する。


仏舎利塔は19世紀の時点で損傷が酷く樹木に覆われていたが、信者たちによる募金活動の結果、20世紀初頭に改装されている。塔の外壁には、聖地を守るかのように周囲を囲む象のオブジェがある。


覆鉢型の白い塔は、煉瓦と石による3段の基壇の上に立っている。突出部であるワーハルカダの前には、礼拝堂があり、多くの参拝舎が列を作っている。


塔上部の四角い平頭の先の傘蓋には水晶が置かれている。


基壇上には、白壁に赤屋根の平屋型の仏堂があり、内部には、大理石で作られた2メートルほどの仏陀立像が数体祀られている。


仏陀の後背の壁には、内側から、青、黄、赤、白、橙の光背が円状に描かれている。仏旗をイメージしているのだろう。周りにも多くの壁画がある。


ドゥッタガーマニー王は塔の完成を待たずに亡くなるが、死期が近いことを知った息子(弟との説もある)で王子のサッダーティッサ王(在位:紀元前137~紀元前119)は白布や絵を使って一夜にして塔を完成させたように見せて、死の間際の父王に見せたという。王は完成を待たずに病に倒れた。基壇上にケースに入れられたドゥッタガーマニー王といわれる合掌した5世紀頃の石像がある。今日は扉が閉まっている。


もう一体合掌した石像がある。こちらは扉が開いている。熱心な仏教徒で、多大な貢献をなしたバーティヤ1世王(紀元38~66)と考えられている。


巡礼者が、合掌しながら、塔の周りを右繞している。


ルワンウェリ サーヤ大塔の見学が終わり、東側の参道の先から、次に、500メートルほど南に歩いて「スリー マハー菩提樹」に向かう。スリー マハー菩提樹からルワンウェリ サーヤ大塔にかけての一体は広大で緑に溢れているが、当時、この辺りが、多くのマハー ヴィハーラ(大寺派)の僧院が立つ精舎だった。


参道途中には大きな菩提樹がある。


スリー マハー菩提樹の手前左側(東)には、多くの石柱が建つ遺構がある。こちらは、紀元前2世紀ドゥッタガーマニー王により建てられた僧院で、創建当時は黄金色に輝く「ローハ プラサーダ(Lohaprasadaya)」(黄銅殿)とか、屋根が青銅だったことから「ローヴァ マハパーヤ(Lovamahapaya)」とか呼ばれている。当時は9階建ての高層で、各階に100ほどの部屋があり、珊瑚や銀などの宝石で飾られた荘厳な建造物だった。


ちなみに、スリランカでは、講義や説教を行う講堂をプラサーダ(ウポサッガラ)と呼び、1階が集会堂で、2階以上が僧の居住空間で、高層も作られた。そして、周囲にパリヴェーナと呼ばれる小規模な僧坊も多く作られた。マハー ヴィハーラには300以上の僧坊があったと言われている。

ローハ プラサーダに残される1600本の石柱(40列×40本)は、12世紀に再建された遺構で、現在は柵に覆われており、敷地内に入ることはできない。


正面の白い門が「スリー マハー菩提樹」のある聖地の入口である。入口の手前左右に小屋があり、そこで履物を預けて、身体検査を受ける。


敷地内に入ると、野生動物から護る為に煉瓦を積み重ねた石台で囲いが造られており、階段が造られている。その階段を上った先に更に、黄金の柵に囲まれた菩提樹がある。ブッダ ガヤーで悟りを開いた仏陀が瞑想していた金剛座の背後に繁る菩提樹から、アショーカ王の娘サンガミッターが小枝を瓶に入れてもたらし、デーワーナンピヤ ティッサ王が植樹した菩提樹と伝わっている。


本家のブッダ ガヤーの菩提樹は何度も枯れて、現在は4代目になるが、この菩提樹は、当時の小枝から成長した菩提樹と言われている。良く見ると、細い枝は、つっかえ棒でささえられている。スリー マハー菩提樹はアヌラーダプラで最も古い仏教史跡で、聖地であることから、常に多くの巡礼者が訪れている。


再びルワンウェリ サーヤ大塔方向(北側)に向けて参道を歩く。大塔に近づくと右手に遺跡が広がっている。マハ ヴィハーラ アームズ(カトゥサーラ、catussala)という。


巨大な石堰が残っている。僧が毎日食事の配給を受けた食堂(施しもの分配所)の跡であろう。


これは仏足石であろう。この前で礼拝したのだろうか。


次に、車に乗り、最北端の「アバヤギリ ヴィハーラ遺跡地区」に向かった。(以下:アヌラーダプラ アバヤギリ地区図参照)。最初にアバヤギリ大塔の西にある「クイーンズ パビリオン」(ムーンストーン サイト)(地図②)から見学する。このあたりは、3世紀ごろに大乗仏教を受け入れた「アバヤギリ ヴィハーラ」(無畏山寺派)の寺院や僧院があった場所である。200ヘクタールの規模を誇り、多くの遺跡が残っている


クイーンズ パビリオンの入口にあるムーンストーン(サンダカダパハナ)は、スリランカでもっとも素晴らしいムーンストーンと言われている。さすがに保護のためか柵で覆われている。


輪の文様は、外側から欲望を表す炎で、次に象、馬、ライオン、牡牛の4頭が列をなす浮彫がある。これは、人生の4つの段階(誕生、老年、病気、死)を象徴する行進で、繰り返すことで輪廻を意味している。


次に、愛する心を表す花の輪、そして純潔を表す花を咥えた白鳥の行列、最後に蓮の花(天国)を表しており、死後ここにたどり着く。。後期のポロンナルワ時代のデザインでは、象、ライオン、馬の行列は別々の輪に配置され、牡牛は削除されている。牡牛はシヴァ神の乗り物で、ヒンドゥ教で崇拝される動物が理由とのこと。先に見学したポロンナルワのクワドラングル遺跡のワタダーゲでは、牡牛に加えライオンも表現されていなかった。


階段を支える小人(ドワーフ)もかなり細かく彫り込められている。


道路を挟んで反対側に「ラトゥナ プラサーダ」(地図④)がある。カニッタ ティッサ王(在位:紀元165~193)によって、当時のアバヤギリ僧のために建てられた寺院で、超高層ビルだったとされ、現在では、太い石柱がのみが残る寂れた光景となっている。


ラトゥナ プラサーダ入口にあるこのガードストーン(守護神像)は、アヌダーラプラ期における最も美しく完璧な守護神像とされている。


8世紀~9世紀頃のもので、ナーガ(蛇王)のレリーフ。立体感のある彫像である。やはり柵で囲われている。


階段側面(ウイング ストーン)のマカラも素晴らしい。


次に道路を越えて遺跡地区を南に進む。すると立派な天蓋のある建物「バロウズ パビリオン(Burrows Pavilion)」(地図⑥)がある。天蓋が残っている遺構は珍しい。


こちらには簡易な屋根で覆われた、巨大な石版がある。マヒンダ4世(在位:紀元956~972)の碑文がある。碑文には、マヒンダ4世王への賛辞から始まり、アバヤギリ ヴィハーラについて記述されている。


煉瓦が積み上げられている。礼拝台のようである。左手の煉瓦の上には、仏足石がある。カッサパ5世(在位:紀元914年~923年)~マヒンダ4世の時代の遺構である。


奥には、簡素な屋根に覆われた仏陀坐像がポツンと置かれている。


当時のこのあたりのイメージ図である。中心に菩提樹が生い茂り、左手には、礼拝台と小仏塔が、奥には碑文であろうか、石版が立っている。右には、やはり、小仏塔が並び、奥に仏陀坐像が見える。周りには仏足石の浮彫が置かれていた。


デーワーナンピヤ ティッサ王はインドから受領した菩提樹の小枝を分枝して国中に植えたため、スリランカの寺院には今も菩提樹が多い。この辺りも「菩提樹堂(ボディーガラ)」(地図⑤)があった言われている。しかし、通りからやや離れ、ガイドブックにも載っていないことから、観光客や巡礼者もなかなか訪れなく、整備も行き届いていない。寂れた風景だが、このあたりもアバヤギリ ヴィハーラ(無畏山寺派)の寺院や僧院が多くあった場所なのだろう。瞑想する僧侶や礼拝する僧侶の姿が見えてくるようである。

林の中に忽然と巨大な沐浴所が現れた。「エレファント ポンド」(地図⑨)と名付けられている。


エレファント ポンドの東側も木々に覆われている。この辺りにも遺跡が広がっている。


こちらは、古代のトイレで、金隠しの石版部分に仏塔とマカラがデザインされている。豪華なトイレである。


僧院がある。石柱には装飾された柱頭が残っている。

(2012.9.17)
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