宿泊先のユース・ホステル前の11thストリートNWを南に500メートルほど進むと、交差点の向かい側に「オールド ポスト オフィス」(中央郵便局)(1899年築、1914年まで使用)が建っている。リチャードソン・ロマネスク様式(19世紀アメリカの建築家の名前に因んでいる)で建てられたもので、現在はホテルになっている。中央に聳える高さ96メートルの時計塔は、D.C.のランドマークとなっている。
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その前庭には、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)の彫像が飾られている。フランクリンは避雷針の実験で知られた科学者だが、実業家としても活躍し、アメリカ独立宣言の起草を行うなど、アメリカ合衆国建国の父とも呼ばれている。こちらの像はフランクリンが初代郵便局長(1775~1776)に就任していたことから、1980年に建てられたもの。他にも、見どころとして、外観からは確認できないが、建物中央から後方にかけて広がる長方形のアトリウム(高さは60メートル)などがある。
一昨日より、アメリカ合衆国東部の連邦直轄地コロンビア特別区(通称ワシントンD.C.)に滞在している。メリーランド州とヴァージニア州に挟まれたポトマック川の北岸に位置しており、言わずと知れたアメリカ合衆国の首都である。これからアメリカ合衆国議会議事堂の見学を予定している。
オールド ポスト オフィス前の交差点を左折すると、ホワイトハウスと議会議事堂とを結ぶペンシルベニア大通りとなり、遠くに目的の議会議事堂の姿を正面に捉えることが出来る。そして、次の交差点の左先には、FBIポリスのロゴ入りワゴン車両が駐車していた。こちらの建物(ジョン・エドガー・フーヴァービルディング)が、海外ドラマに出てくるアメリカの特殊機関「連邦捜査局」(Federal Bureau of Investigation、FBI)である。ちなみに、昨日は乗用車タイプが駐車していた。
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連邦捜査局(FBI)から議事堂までは1キロメートルほどの距離(3thストリートSW沿いから望む議事堂の様子)だが、西正面口は大統領就任式に使用されており、見学等訪問者のための入口は東正面口になるため、反対側に回り込むことになる。
そして、こちらが「アメリカ合衆国議会議事堂」(United States Capitol)の東正面口になる。現在の議会議事堂は最初に中央部分が1800年に完成し、1850年代に両翼が拡張された。巨大なドーム(高さ88メートル、直径29メートル)は、南北戦争直後の1866年に建設され、1904年には東正面棟が改築されて、現在の姿となっている。ちなみに西正面口と見分ける一つが中央ペディメントの有無になる。
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リンカーン記念堂から議会議事堂までは「ナショナル・モール(National Mall)」と呼ばれるオープンな国立公園で、こちら東隣の議会議事堂を囲む一帯に広がる住宅街や地域名を「キャピトル・ヒル(Capitol Hill)」と呼んでいる。地理的にはワシントンD.C.のやや東部に位置しているが、住所表示は、議事堂を基準に(NE 北東、NW 北西、SE 南東、SW 南西)と定められている。
セキュリティチェックを受けて入場すると、最初に議事堂の歴史についての映画を鑑賞する。その後10数人のグループに分かれて見学を行う。国会議事堂のドームの下には、直径29メートル、壁の上部まで高さ15メートル、天蓋まで55メートルの「ロタンダ」(1824年築)がある。ロタンダは、南側の下院に、北側の上院へと回廊で結ばれている。
ロタンダ南入口の隣には、フランスの新古典主義の彫刻家ジャン・アントワーヌ・ウードンが制作したジョージ・ワシントンの銅像が飾られている。向かい側にはトーマス・ジェファーソンの銅像があり、他にも、トルーマン、アイゼンハワー、フォード、レーガン、キング胸像などの像が飾られている。
そして、ロタンダの周囲には、アメリカの発展に関する8枚の大きな絵画が掲げられている。入口を境に右側(西面)には、1819年から1824年に製作されたジョン・トランブル作の「独立宣言」と「バーゴイン将軍の降伏」があり、更に「コーンウォリス卿の降伏」、「ジョージ・ワシントン将軍の任務辞任」とアメリカ創設を描いた作品が続いている。
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そして、左側(東面)には、ジョン・ギャズビー・チャップマン作の「ポカホンタスの洗礼」、ロバート・ウォルター・ウィアー作の「巡礼者の乗船」、ウィリアム・ヘンリー・パウエル作の「ミシシッピ川の発見」、ジョン・ヴァンダーリン作の「コロンバスの着陸」と、アメリカ大陸発見に関する出来事が描かれた作品が1840年から1855年に追加された。
ドームのオクルスの周囲に施された浅浮き彫りの群像フリーズは、だまし絵で、アメリカの歴史が19のシーンが描かれている。そして天井頂部には「ワシントンの神格化」が描かれている。共に、ギリシャ・イタリア系アメリカ人の歴史画家コンスタンティーノ・ブルミディ(1805~1880)がフレスコ画で制作したもので、南北戦争の終わりの1865年に11か月かけて描かれた。
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こちらは、国立彫像ホールコレクション(National Statuary Hall Collection)で、もともとあった下院が別に移ったことにより、1864年に現在のホールとなっている。最初の像は1870年に設置されたが、現在では、各州の歴史に登場する著名人が、米国各社から寄贈されたブロンズ60像と大理石39像(ロタンダの像を含む)として所蔵されている。こちらは、ハワイ州のカメハメハ1世の像で、1969年に設置されたもの。
ロタンダの真下となる地下室には、40本の新古典主義のドーリア式柱で支えられた円形のクリプトがある。もともと、ジョージ・ワシントンの埋葬予定地だったが、本人の意思でマウントバーノンに葬られたため、現在は、国立彫像ホールコレクションの彫像の展示室及び保管庫として機能している。ロタンダの見所の一つに、ガットソン・ボーグラム作の「エイブラハム・リンカーンの胸像」(1908年)がある。こちらは、6トンの大理石から切り出され制作されたが、左耳がなく未完成のままとなっている。
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次に、議会議事堂の東正面口前の南北に延びる通り(First St SE)を挟んだ向かい側にある「米国議会図書館」(1800年設立)(Library of Congress)にやってきた。世界最大の研究図書館の一つで、事実上のアメリカ国立図書館として機能している。
こちらの建物は、1897年に建築家ポール・J・ペルツ(1841~1918)により建てられた。クラシックなファサードと精巧に装飾されたインテリアが特徴のボザール様式が採用されている。1980年からは、第3代米国大統領に敬意を表し「トーマス・ジェファーソン・ビルディング」と呼ばれている。正面左右階段を上った柱廊玄関の2階には、9つの著名な偉人の胸像(ワシントン・アーヴィング、ベンジャミン・フランクリンなど)が飾られている。
コレクションには約1億7,300万点のアイテムが含まれ、3,000人以上の従業員がいる。また、内容も普遍的で、主題、形式、または国境に制限されない、世界すべての地域からの470以上の言語の研究資料が含まれている。最初に到着するのが、2階吹き抜けの長方形の大広間である。天井には、明り取りの幾何学文様の6枚の天窓が設置されている。
2階には、大広間を見下ろすことができる回廊がある。回廊は双頭柱が支えるアーチ天井が続き、新古典主義、ルネッサンス、バロックなどの様々な要素を取り入れた装飾が施されている。人物画には印象派、ラファエル前派、アール・ヌーヴォーなど様々な様式からの影響を受けている。インテリアの完成と建物の装飾プログラムは、建設監督官のバーナード・グリーンと、デザイナー兼建築家エドワード・ピアース・ケーシーが担当した。2人は芸術監督として、50人以上のアメリカの画家や彫刻家に作品制作を依頼している。
前面(東側)回廊の中央には、上り階段があり、突き当りの踊り場には、ニューヨーク出身の象徴主義派の画家エリュー・ヴェッダー(Elihu Vedder、1836~1923)によるモザイク画「平和のミネルヴァ」(1896年)が掲げられている。こちらの踊り場からは、向かい側の西側回廊と1階大広間の入口方向が同時に見渡せる。
建物の中央にあるのが、メインの読書室で、8本の巨大な大理石の柱が立ち並ぶ、巨大な円形ドームの真下にある。閲覧席が円状にホール内に配置され、書架は、周囲の大理石の柱間にあるアーチの奥に続いている。アーチの階上にも図書室や閲覧室などがあり、その上には、宗教、商業、歴史、芸術、哲学、詩、法律、科学などを象徴する彫像や肖像画が飾られている。見学には、ガイド付きグループツアー(2時間)があるが、あまり時間がなかったことから、さらっと見学して終えた。
次に、議会議事堂の西口側にやってきた。こちらのテラスからは、アメリカ大統領であり南北戦争時の名高い将軍ユリシーズ S グラントの騎馬像(Ulysses S. Grant Memorial)の後ろ姿と、ワシントン記念塔(Washington Monument)が望める。これからユリシーズ S グラント騎馬像前のプール先の右方向にある「ナショナル ギャラリー オブ アート」(National Gallery of Art、略NGA)に向かう。
議会議事堂からは1キロメートルほどで、目的地の「ナショナル ギャラリー オブ アート」に到着した。このナショナルギャラリーは、銀行家アンドリュー・メロンが、ロンドンのナショナルギャラリーに憧れ、母国アメリカにも同様の国立美術館を造りたいと願い、基金及び自身のコレクションを連邦政府に寄付し、1941年に新古典主義様式の外観を持つ美術館(西館)として完成した。1978年には幾何学的な外観の新館(東館)が建設されている。入館料は、スミソニアン協会が運営する19の博物館の一つであるため無料である。
西館には、中世から19世紀後半までのヨーロッパの巨匠による絵画や彫刻、およびアメリカの芸術家による20世紀以前の作品の展示があり、東館には、近現代美術に焦点が当てられた展示となっている。また西館の西隣には、彫刻庭園がある。今日は西館の展示のみを見学することとし、ポルチコのあるエントランスから入場する。セキュリティチェックを済まし入口を入ると大きな円形ホール(ロタンダ)で、中央に彫刻家ジャンボローニャ(1529~1608)のマーキュリー像が飾られた噴水がある。その噴水に向かって左側(西側)にある展示室に向かう。
こちらは、ゴシック期のイタリア画家ドゥッチョの「預言者イザヤとエゼキエルのキリスト降誕」(1308~1311)で、シエナ大聖堂のための祭壇画のプレデッラとして制作された。左右の預言者は、キリスト誕生を予言すると書かれた巻物を掲げている。中央の小屋には、マリアと誕生したばかりの幼子がおり、手前には2人の助産婦が幼子を産湯につけている。羊飼いの1人は、ドゥッチョ自身と言われている。
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そして、こちらは、シエナ生まれのシモーネ・マルティーニ(1284頃~1344)による「受胎告知の天使」(1330年頃)(West Building, Main Floor — Gallery 3)で、2連祭壇画の左側にあったもの。右側はマリアを描いたパネルだったが、現在、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館の収蔵となっている。
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パネルは赤い粘土の層で覆った後、天使の手と顔を除いて全体に金メッキを施している。天使のローブは繊細なピンクで描き、折り目は暗い色調で影を落としている。陰影線を出すために表面を削り取るズグラッフィート技法が用いられている。シモーネ・マルティーニは、ドゥッチョの弟子とされ、ジョルジョ・ヴァザーリによると、ジョットの弟子であったとされる。
ルネサンスのフィレンツェ派を代表するフィリッポ・リッピ(1406~1469)による「東方三博士の礼拝」(1440~1460年頃)(Gallery 4)で、もともと、フラ・アンジェリコが制作を始めたが、作品の大部分は、リッピが完成させた。1492年に発表されたロレンツォ・デ・メディチの邸宅の目録には、この絵がフィレンツェの有力な家族のコレクションの中で最も価値があると特定されている。
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ひざまずく3人の東方三博士が聖家族に贈り物を捧げており、その行列は丘を曲がりくねり、古代のアーチの後方から続いている。そのアーチの右側には、裸の少年たちが、壊れた塀の上で様々なポーズをとっているが、これは異教世界の終わりを示唆しているとされる。
他にも、フラ・アンジェリコの作品としては、「聖コスマスと聖ダミアヌスによるパラディアの癒し」(1438/1440年頃)(フィレンツェのサンマルコ教会の祭壇画)、フィリッポ・リッピの作品としては「聖母子」(1440年頃)(Gallery 4)などが展示されている。
イタリアのルネサンス期の画家アンドレア・デル・カスターニョによる「ダヴィデとゴリアテの首」(1450~1455年)(Gallery 4)で、儀式用の盾に貼られた皮に描かれている。盾を持つための5本のボルトが打ち込まれており、表面に突起が確認できる。紋章などを描いた装飾的な盾は現存しているが、著名な画家が物語として描いたものは大変珍しく貴重である。
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足を踏ん張り、手を掲げるダヴィデに対して、ゴリアテの首はダヴィデの足元に転がっていることから、戦いの結果を描いた様に思えるが、よく見るとダヴィデは投石器で石を投げようとしており、ゴリアテの額にはその石が埋め込まれ血を流していることから、異時同図法とみなすことができる。
こちらは、サンドロ・ボッティチェリの「東方三博士の礼拝」(1478/1482年頃)(111センチ×134センチ)(Gallery 7)である。マリアの膝に座る幼児キリストを訪れる3人の博士は、敬意を表して贈り物を贈っている。マリアのいる場所は、質素な厩舎ではなく、牧歌的な風景に面した半廃墟の古典的な寺院の廃墟にあり、周囲には多くの人物が描かれている。
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前景では、数人の人物が跪いて崇拝しており、ボッティチェリの特徴でもある、透明感のある鮮やかで繊細な衣服が豊かな折り目でカスケードしている。右側には、東方の博士の側近の行列が背景に広がり、画面に深みと物語性を際立たせている。
他にも、ボッティチェリの作品としては、ジュリアーノ・デ・メディチ(1478/1480年頃)や、青年の肖像(1482/1485年頃)(Gallery 6)などが展示されている。
こちらは、最大の見どころの一つ、ルネサンス期の芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチによる「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像」(1474~1478年頃)で、レオナルドの絵画としてはアメリカ大陸で一般公開される唯一の作品である。ジネーヴラの表情には微笑みはなく、表情は厳しく、視線は鑑賞者に向けられることなく超然としている。また、遠景はトスカーナの田園風景で、その先に教会の2本の尖塔が描かれている。
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モデルのジネーヴラはフィレンツェ貴族アメリゴ・デ・ベンチの娘で、当時16歳だったが、年齢の離れた政務官ルイージ・ニッコリーニとの結婚が約束されており、結婚記念として描かれたとされる。作品は下部分が切断されており、もともとは両腕部分も描かれていたと言われているが、オリジナルの姿は分かっていない。
裏面には「Virtvtem Forma Decorat」(美は徳を飾る)との碑文が描かれている。月桂樹と椰子はヴェネツィアの駐フィレンツェ大使ピエトロ ベンボのエンブレムで、ベンボとジネーヴラは交友がありプラトニックな恋人であったともされている。
イタリアの盛期ルネサンスの画家ラファエロによる「ニコリーニ カウパーの聖母子」(1508年)(大きなカウパーの聖母子)(80.7センチ×57.5センチ)(Gallery 20)である。背景は青い空のみで、聖母子でキャンバスを埋め尽くしている。故郷ウルビーノからローマに向けて出発する前に描かれたとされ、作品名はイギリスのカウパー伯爵のコレクションの一つに因んでいる。
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ナショナル ギャラリーには、もう一点、ラファエロの「カウパーの小聖母」(1505年)(59.5センチ× 44センチ)があるが、この日は展示されていなかった。カウパーの小聖母に描かれたキリストは、凛々しさが感じられる顔立ちだが、こちらのキリストは魅力的で遊び心のある子どもの表情をしている。
こちらは、盛期ルネサンスのヴェネツィアで活動したイタリア人画家ジョルジョーネ(Giorgione)による「羊飼いの礼拝」(1505年頃)(The adoration of the shepherds)(アレンデールのキリスト降誕)(Gallery 10)になる。ジョルジョーネは、詩的な作風の画家として知られ、現存する作品が数点しかないが、こちらの作品は、彼の初期絵画を収集していたアレンデール・グループ(アレンデール子爵チャールズ・バーモントが所有)のジョルジョーネ作品の一つで、グループの絵画はセットとして扱われており、全てジョルジョーネの真作とみなされることが多いが、逆に全てジョルジョーネの作品ではないとされることもある。
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画面の中央には、キリストの神性を認識し、跪いて礼拝する羊飼いを配置している。羊飼いは、素朴でありながら威厳を感じる佇まいである。右側の暗い洞窟と対象的に、マリアとヨセフも礼拝し、明るく親密な雰囲気を作り出している。左側には、消点となるヴェネツィアの風景が明るく描かれている。
こちらの「聖家族」(The Holy Family)(1500年)は、同じく、アレンデール・グループのジョルジョーネ作品とされる一つで、この日は、ナショナル ギャラリーで所蔵する2点が共に展示されていた。
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フランスのロココ期の画家ジャン・オノレ・フラゴナールの「読書する娘」(1769年頃)で、フラゴナールが友人や常連客をモデルに描いた14点の肖像画連作「ファンタジー・ポートレート・シリーズ」のうちの一つである。こちらは1時間ほどで描いた作品で、絵具が勢いよく塗られ、生き生きとした筆遣いを随所に見ることができる。この絵の少女はもともと鑑賞者を向いていたが、後に読書に夢中になる姿に描き直しているとされている。
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フィンセント・ファン・ゴッホによる「ラ・ムスメ」(娘、La Mousmé)(1888年)は、弟テオと同居していたパリから南仏のアルルに移った年の7月末に描いたとされる。ピエール・ロティのお菊さんを読んで知った日本語から名付けられた。モデルは、アルルに住む12歳の女の子で、赤い上着に紫のストライプ、青に大きなオレンジの水玉のスカートで、小さな手にキョウチクトウの花を持っている。
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ゴッホの先品では、他にサンレミの精神病院から解放される直前に描かれた2枚のバラの絵のうちの1枚「バラ」(1890年)(Gallery 83)、36の自画像のうち、最後の自画像の一つとされる「自画像」(1889年)、ゴッホの義理の妹ボンガー夫人を描いた「白い服の少女」(1890年)などが展示されている。
ポール・ゴーギャンの「ファタタ・テ・ミティ(海辺で)」(Fatata te Miti、1892年)で、ゴーギャンが、初めてタヒチ島に滞在した際の作品である。アトリエはタヒチ島の首都パペーテからおよそ45キロメートル郊外にあるパペアリに、自ら竹の小屋を建てている。作品は、漁師が槍で釣りをしている海に、2人のタヒチ女性がパレオを脱いで飛び込む様子が描かれており、官能的な喜びを伝える様に、強烈なトロピカルカラーで彩られている。
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クロード・モネの「散歩、日傘をさす女性」(1875年)で、モネの最初の妻カミーユが長男ジャンとともに草原を散歩する様子が、下から仰ぎ見る構図で描き出されている。
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同じく、クロード・モネの「ヴェトゥイユの画家の庭」(1881年)。モネは、1878年蒐集家エルネスト・オシュデ家族と共に、パリの喧騒を離れ、光の探求のためヴェトゥイユに移住し、描いた作品である。高い地平線と青空へ真っ直ぐに延びる小路の構図により、ヒマワリが咲き乱れる庭の存在が効果的に描かれている。階段の上段にはオシュデ家の娘と息子、そしてワゴンの側にいるのは、モネの息子ミシェルである。モネは、ヴェトゥイユの庭を題材に4作品を描いているが、こちらが最も完成度が高いとされる。
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他にも、モネの作品は、いくつか展示されている。こちらは「ルーアン大聖堂、西ファサード、陽光」(1894年)で、モネがルーアン大聖堂の西側正面の建物内にイーゼル(画架)を置き、ルーアン大聖堂の連作30点を制作した一つである。
「日本の橋と睡蓮の池」(1899年)は、モネが、1890年にジヴェルニーの土地を購入し、花の庭を造った後、隣の敷地を購入し、リュ川の水を引いて日本風の太鼓橋を架け「水の庭」とした。1895年から睡蓮の池の作品に取り組み、1898年以降は大量に描かれるようになる。1900年の「モネ近作展」第1睡蓮の13連作の内の一つである。
「国会議事堂、夕日」(1903年)は、1899年から1901年にかけて数回にわたり訪問し取り組んだ連作の一つで、ロンドンのテムズ川の霧の効果をサヴォイ・ホテルから国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)を捉えて描いている。
ピエール オーギュスト・ルノワール(1841~1919)による「じょうろを持つ少女」(1876年)で、アルジャントゥイユにアトリエを構えたクロード・モネ宅で描いたもの。ルノワールは、1873年から2年間、度々モネ宅を訪問し一緒に風景画を制作しており、こちらはその中の一つで、近所の少女の一人を描いたもの。ちなみにルノワールは、戸外制作をするモネの姿も描いている。
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ルノワール作品は他にも多く展示されており、こちらは評価も定まった晩年頃の「髪をアレンジする水浴者」(1893年)で、温かい色調の女性裸体画を数多く制作した作品の内の一つである。
こちらは、フランスの写実主義の画家ギュスターヴ・クールベ(1819~1877)による「トゥルーヴィルのブラックロックス」(1865/1866)である。ごつごつとした切り割く様な岩と、地平線のターコイズブルーの帯、様々なブラシとクールベ最大の特徴であるパレットナイフを使用した夕焼けの空は、写しとったかのような臨場感あふれる表現がなされている。
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クールベは、スイスアルプスに隣接するフランス東部のドゥーブの内陸地域で生まれ、劇的な地形の岩だらけの露頭、急な峡谷、流れる川の絵画表現などで知られている。こちらの作品のトゥルーヴィルとは、ノルマンディーのビーチで、天候と光の気まぐれな沿岸に魅了され描いたマリンシリーズの一つである。
2時間ほどの鑑賞を終え、次にナショナル ギャラリー オブ アートの彫刻庭園の西隣にある「国立自然史博物館」(National Museum of Natural History)にやってきた。こちらも、スミソニアン協会が運営する博物館で入館料は無料である。ナショナル・モール側の入口(南入口)を入ると、大きなドーム真下の円形ホール(ロタンダ)で、中央に大きなアフリカゾウのはく製が飾られている。
最初に円形ホールから右側にある恐竜館に向かった。さすがに、一番人気の博物館と言われるだけのことはあり、かなり混雑していた。展示室には、いたるところに、化石化した骨格が再現展示されている。展示室を入った正面には、恐竜の代名詞とも言われる「ティラノザウルス」(Tyrannosaurus rex)の骨格が展示されている。ティラノザウルスの迫力ある姿は、恐竜の中で最も知名度も高く、長い間、恐竜人気を支え続けてきた最強の肉食恐竜である。
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ちなみに、アメリカ自然史博物館は、アメリカ映画「ナイト ミュージアム」(2006年)の舞台になっている。映画では、夜になると展示物が動き出す不思議な博物館において夜間警備員として働くことになった主人公の活躍をコメディタッチで描いている。
こちらの展示室で最もスペースをとって展示されているのは「ディプロドクス」(Diplodocus)の骨格である。ジュラ紀後期の大型竜脚類で細身で尻尾が非常に長く、全長30メートルほどの巨体を有している。主に、北アメリカ大陸に生息していた大型草食性恐竜の一種である。
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こちらは「トリケラトプス」(Triceratops)で、中生代後期白亜紀の現在の北米大陸に生息した植物食恐竜の一属である。口先は鳥のくちばしの様に尖り、頭骨には大きな骨質のフリルと3本の角があり、体格は、大きな4本足の体はサイに似た形状で、人気恐竜の一つである。展示室には、他にも、ステゴザウルス、アロサウルス、ケラトサウルスなどの骨格が展示されていた。
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2階には「鉱物・宝石コレクション」の展示室がある。国立自然史博物館では、約350,000点の鉱物標本と10,000点の宝石を所蔵しており、実際の展示も、様々な鉱物や宝石が所狭しと展示されている。こちらの中央のトルコ石風の鉱物はバリサイト(バリッシャー石、Variscite)と言い、アルミニウムの豊富な岩石と反応したリンを含む水が、直接堆積して形成されるもの。右隣の甘栗が集まった様な鉱物は、硫黄(いおう、Sulfur)で、殺虫剤、医薬品、農薬、黒色火薬の原料など幅広く用いられている。
こちらは、博物館の最大の見どころの一つ、巨大な青いダイヤ「ホープ・ダイヤモンド」で、持ち主を次々と破滅させながら、人手を転々としていく『呪いの宝石』」として有名である。周りには16個、鎖に45個のダイヤをはめ込んだ白金製のペンダントの中央を飾っており、価格は2億ドル以上と言われている。
続いて、西隣の「国立アメリカ歴史博物館」(The National Museum of American History)に向かった。1階から3階までの3つの展示室と地階に小売店及びダイニングがあるが、1階のエントランスホールを進んだ先の「アメリカ開拓史と交通の展示コーナー」を見学する。入館料は無料。
こちらはサンタクルーズ鉄道の「蒸気機関車ジュピター」(1876年)である。サンタクルーズは、モントレー湾の北端にあるカリフォルニア州サンタクルーズ郡最大の都市で、サンフランシスコから南に115キロメートルに位置している。当時カリフォルニア最大の鉄道会社は、この小さな海岸沿いの町への必要な支線を建設しなかったが、鉄道の開通こそが、町の経済発展に繋がると夢見た住民たちの努力により、独自に建設したもの。
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1876 年に営業を開始し、その機関車「ネプチューン」と「ジュピター」は、サンタクルーズとワトソンビル間の13マイルを旅客と貨物の列車で牽引した。ワトソンビルにはサザン パシフィック鉄道との分岐があり、全国鉄道網の残りのすべてに接続していた。
1913年型フォード・モデルTツーリングカーハンドクランクの代わりに電動スターター、アセチレンガスヘッドライトの代わりに電動ヘッドライトを装備したモデル。
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こちらは「コロンビア電気自動車」(1904年)で、コロンビア女性病院の院長ジョン・オスカー・スキナー博士が1906年から1932年まで運転していたもの。当時は、清潔で静か、快適で、操作が簡単であることから、多くの都市の医師や裕福な女性が購入している。
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都市や大きな町には、車のバッテリーを充電するための電力を供給する電力網があったことから都市部では好まれたが、自動車自体高価で、走行距離は短かく、電気料金は高かった上、バッテリーのメンテナンスや充電は複雑で危険な作業だったことからニーズは限られた。
こちらは、イギリスのロバート・スティーブンソン社によって製造された蒸気機関車「ジョン ブル」(1831年)(John Bull)のレプリカで、1939年にペンシルベニア鉄道のアルトゥーナ工場で製造されたが、スミソニアンの理事会が1981年の150周年に火を入れたことにより、世界最古の運転可能な機関車となった。
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国立アメリカ歴史博物館を出て、ナショナル・モールを西に進むと、ワシントン記念塔が迫って来る。1776年の独立戦争で、ジョージ・ワシントンの名誉ある功績を称えて建造された記念碑で、大理石、花崗岩、砂岩など国産の石材を約3万6千個から造られている。
第二次世界大戦記念碑を過ぎ、リフレクティング・プール沿いを進むと「リンカーン記念堂」(Lincoln Memorial)に到着する。ナショナル・モール西端に位置し、アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンを記念して建立された。ドーリス様式のギリシャ神殿の形をしており、およそ10メートルの高さの柱が36本、建物全体を囲むよう配置されている。一本の柱の円周は、大人5人が手を伸ばして抱えても届かないくらいの大きさがある。
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記念堂の中心に飾られるのは、彫刻家ダニエル・チェスター・フレンチの手によって作り上げられたリンカーンの坐像である。彫像の縦と横の幅はどちらもおよそ5.8メートルある。左手は握られ、右手は開いているが、作者のフレンチの娘が耳に障害を抱えていたため、アメリカ手話での左右の手を表したとも言われている。椅子両端には、ローマ執政官の権威の象徴である束桿がレリーフとして彫られている。
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リンカーン記念堂前の階段から振り返ると、リフレクティング・プールとワシントン記念塔が一望できる。
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リンカーン記念堂やリフレクティング・プールは、猿の惑星(1968年)のリ・イマジネーション作品、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(2001年)(ティム・バートン監督)で、インパクトの強いラストシーンとして登場している。
時刻は、午後3時50分になった。ベトナム戦争で戦った3人の彫刻を過ぎ、ベトナム戦争戦没者慰霊碑のある黒い花崗岩で作られた壁が続くメモリアル・ウォールを通ってナショナル・モールを後にした。
一旦、ホテルに戻り、次に2.6キロメートル北にある「フィリップス・コレクション」(The Phillips Collection)に向かった。到着は午後6時半だった。1921年にアメリカ初の近代美術館として開館したもので、ルノワールの「舟遊びの昼食」、ゴッホの「アルルの公園の入口」などヨーロッパ絵画の他20世紀アメリカ絵画のコレクションでも知られている。午後7時半ごろまで鑑賞し、ホテルに戻った。
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翌朝は朝7時発のメガバス(Megabus)に乗り、アメリカ・ワシントンD.C.を後にした。この後、北東およそ200キロメートル先のフィラデルフィアを観光し、午後9時発の夜行バスに乗り、更に北東におよそ500キロメートル先のボストンに向かう予定にしている。
(2013.4.25~26)
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その前庭には、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)の彫像が飾られている。フランクリンは避雷針の実験で知られた科学者だが、実業家としても活躍し、アメリカ独立宣言の起草を行うなど、アメリカ合衆国建国の父とも呼ばれている。こちらの像はフランクリンが初代郵便局長(1775~1776)に就任していたことから、1980年に建てられたもの。他にも、見どころとして、外観からは確認できないが、建物中央から後方にかけて広がる長方形のアトリウム(高さは60メートル)などがある。
一昨日より、アメリカ合衆国東部の連邦直轄地コロンビア特別区(通称ワシントンD.C.)に滞在している。メリーランド州とヴァージニア州に挟まれたポトマック川の北岸に位置しており、言わずと知れたアメリカ合衆国の首都である。これからアメリカ合衆国議会議事堂の見学を予定している。
オールド ポスト オフィス前の交差点を左折すると、ホワイトハウスと議会議事堂とを結ぶペンシルベニア大通りとなり、遠くに目的の議会議事堂の姿を正面に捉えることが出来る。そして、次の交差点の左先には、FBIポリスのロゴ入りワゴン車両が駐車していた。こちらの建物(ジョン・エドガー・フーヴァービルディング)が、海外ドラマに出てくるアメリカの特殊機関「連邦捜査局」(Federal Bureau of Investigation、FBI)である。ちなみに、昨日は乗用車タイプが駐車していた。
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連邦捜査局(FBI)から議事堂までは1キロメートルほどの距離(3thストリートSW沿いから望む議事堂の様子)だが、西正面口は大統領就任式に使用されており、見学等訪問者のための入口は東正面口になるため、反対側に回り込むことになる。
そして、こちらが「アメリカ合衆国議会議事堂」(United States Capitol)の東正面口になる。現在の議会議事堂は最初に中央部分が1800年に完成し、1850年代に両翼が拡張された。巨大なドーム(高さ88メートル、直径29メートル)は、南北戦争直後の1866年に建設され、1904年には東正面棟が改築されて、現在の姿となっている。ちなみに西正面口と見分ける一つが中央ペディメントの有無になる。
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リンカーン記念堂から議会議事堂までは「ナショナル・モール(National Mall)」と呼ばれるオープンな国立公園で、こちら東隣の議会議事堂を囲む一帯に広がる住宅街や地域名を「キャピトル・ヒル(Capitol Hill)」と呼んでいる。地理的にはワシントンD.C.のやや東部に位置しているが、住所表示は、議事堂を基準に(NE 北東、NW 北西、SE 南東、SW 南西)と定められている。
セキュリティチェックを受けて入場すると、最初に議事堂の歴史についての映画を鑑賞する。その後10数人のグループに分かれて見学を行う。国会議事堂のドームの下には、直径29メートル、壁の上部まで高さ15メートル、天蓋まで55メートルの「ロタンダ」(1824年築)がある。ロタンダは、南側の下院に、北側の上院へと回廊で結ばれている。
ロタンダ南入口の隣には、フランスの新古典主義の彫刻家ジャン・アントワーヌ・ウードンが制作したジョージ・ワシントンの銅像が飾られている。向かい側にはトーマス・ジェファーソンの銅像があり、他にも、トルーマン、アイゼンハワー、フォード、レーガン、キング胸像などの像が飾られている。
そして、ロタンダの周囲には、アメリカの発展に関する8枚の大きな絵画が掲げられている。入口を境に右側(西面)には、1819年から1824年に製作されたジョン・トランブル作の「独立宣言」と「バーゴイン将軍の降伏」があり、更に「コーンウォリス卿の降伏」、「ジョージ・ワシントン将軍の任務辞任」とアメリカ創設を描いた作品が続いている。
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そして、左側(東面)には、ジョン・ギャズビー・チャップマン作の「ポカホンタスの洗礼」、ロバート・ウォルター・ウィアー作の「巡礼者の乗船」、ウィリアム・ヘンリー・パウエル作の「ミシシッピ川の発見」、ジョン・ヴァンダーリン作の「コロンバスの着陸」と、アメリカ大陸発見に関する出来事が描かれた作品が1840年から1855年に追加された。
ドームのオクルスの周囲に施された浅浮き彫りの群像フリーズは、だまし絵で、アメリカの歴史が19のシーンが描かれている。そして天井頂部には「ワシントンの神格化」が描かれている。共に、ギリシャ・イタリア系アメリカ人の歴史画家コンスタンティーノ・ブルミディ(1805~1880)がフレスコ画で制作したもので、南北戦争の終わりの1865年に11か月かけて描かれた。
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こちらは、国立彫像ホールコレクション(National Statuary Hall Collection)で、もともとあった下院が別に移ったことにより、1864年に現在のホールとなっている。最初の像は1870年に設置されたが、現在では、各州の歴史に登場する著名人が、米国各社から寄贈されたブロンズ60像と大理石39像(ロタンダの像を含む)として所蔵されている。こちらは、ハワイ州のカメハメハ1世の像で、1969年に設置されたもの。
ロタンダの真下となる地下室には、40本の新古典主義のドーリア式柱で支えられた円形のクリプトがある。もともと、ジョージ・ワシントンの埋葬予定地だったが、本人の意思でマウントバーノンに葬られたため、現在は、国立彫像ホールコレクションの彫像の展示室及び保管庫として機能している。ロタンダの見所の一つに、ガットソン・ボーグラム作の「エイブラハム・リンカーンの胸像」(1908年)がある。こちらは、6トンの大理石から切り出され制作されたが、左耳がなく未完成のままとなっている。
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次に、議会議事堂の東正面口前の南北に延びる通り(First St SE)を挟んだ向かい側にある「米国議会図書館」(1800年設立)(Library of Congress)にやってきた。世界最大の研究図書館の一つで、事実上のアメリカ国立図書館として機能している。
こちらの建物は、1897年に建築家ポール・J・ペルツ(1841~1918)により建てられた。クラシックなファサードと精巧に装飾されたインテリアが特徴のボザール様式が採用されている。1980年からは、第3代米国大統領に敬意を表し「トーマス・ジェファーソン・ビルディング」と呼ばれている。正面左右階段を上った柱廊玄関の2階には、9つの著名な偉人の胸像(ワシントン・アーヴィング、ベンジャミン・フランクリンなど)が飾られている。
コレクションには約1億7,300万点のアイテムが含まれ、3,000人以上の従業員がいる。また、内容も普遍的で、主題、形式、または国境に制限されない、世界すべての地域からの470以上の言語の研究資料が含まれている。最初に到着するのが、2階吹き抜けの長方形の大広間である。天井には、明り取りの幾何学文様の6枚の天窓が設置されている。
2階には、大広間を見下ろすことができる回廊がある。回廊は双頭柱が支えるアーチ天井が続き、新古典主義、ルネッサンス、バロックなどの様々な要素を取り入れた装飾が施されている。人物画には印象派、ラファエル前派、アール・ヌーヴォーなど様々な様式からの影響を受けている。インテリアの完成と建物の装飾プログラムは、建設監督官のバーナード・グリーンと、デザイナー兼建築家エドワード・ピアース・ケーシーが担当した。2人は芸術監督として、50人以上のアメリカの画家や彫刻家に作品制作を依頼している。
前面(東側)回廊の中央には、上り階段があり、突き当りの踊り場には、ニューヨーク出身の象徴主義派の画家エリュー・ヴェッダー(Elihu Vedder、1836~1923)によるモザイク画「平和のミネルヴァ」(1896年)が掲げられている。こちらの踊り場からは、向かい側の西側回廊と1階大広間の入口方向が同時に見渡せる。
建物の中央にあるのが、メインの読書室で、8本の巨大な大理石の柱が立ち並ぶ、巨大な円形ドームの真下にある。閲覧席が円状にホール内に配置され、書架は、周囲の大理石の柱間にあるアーチの奥に続いている。アーチの階上にも図書室や閲覧室などがあり、その上には、宗教、商業、歴史、芸術、哲学、詩、法律、科学などを象徴する彫像や肖像画が飾られている。見学には、ガイド付きグループツアー(2時間)があるが、あまり時間がなかったことから、さらっと見学して終えた。
次に、議会議事堂の西口側にやってきた。こちらのテラスからは、アメリカ大統領であり南北戦争時の名高い将軍ユリシーズ S グラントの騎馬像(Ulysses S. Grant Memorial)の後ろ姿と、ワシントン記念塔(Washington Monument)が望める。これからユリシーズ S グラント騎馬像前のプール先の右方向にある「ナショナル ギャラリー オブ アート」(National Gallery of Art、略NGA)に向かう。
議会議事堂からは1キロメートルほどで、目的地の「ナショナル ギャラリー オブ アート」に到着した。このナショナルギャラリーは、銀行家アンドリュー・メロンが、ロンドンのナショナルギャラリーに憧れ、母国アメリカにも同様の国立美術館を造りたいと願い、基金及び自身のコレクションを連邦政府に寄付し、1941年に新古典主義様式の外観を持つ美術館(西館)として完成した。1978年には幾何学的な外観の新館(東館)が建設されている。入館料は、スミソニアン協会が運営する19の博物館の一つであるため無料である。
西館には、中世から19世紀後半までのヨーロッパの巨匠による絵画や彫刻、およびアメリカの芸術家による20世紀以前の作品の展示があり、東館には、近現代美術に焦点が当てられた展示となっている。また西館の西隣には、彫刻庭園がある。今日は西館の展示のみを見学することとし、ポルチコのあるエントランスから入場する。セキュリティチェックを済まし入口を入ると大きな円形ホール(ロタンダ)で、中央に彫刻家ジャンボローニャ(1529~1608)のマーキュリー像が飾られた噴水がある。その噴水に向かって左側(西側)にある展示室に向かう。
こちらは、ゴシック期のイタリア画家ドゥッチョの「預言者イザヤとエゼキエルのキリスト降誕」(1308~1311)で、シエナ大聖堂のための祭壇画のプレデッラとして制作された。左右の預言者は、キリスト誕生を予言すると書かれた巻物を掲げている。中央の小屋には、マリアと誕生したばかりの幼子がおり、手前には2人の助産婦が幼子を産湯につけている。羊飼いの1人は、ドゥッチョ自身と言われている。
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そして、こちらは、シエナ生まれのシモーネ・マルティーニ(1284頃~1344)による「受胎告知の天使」(1330年頃)(West Building, Main Floor — Gallery 3)で、2連祭壇画の左側にあったもの。右側はマリアを描いたパネルだったが、現在、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館の収蔵となっている。
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パネルは赤い粘土の層で覆った後、天使の手と顔を除いて全体に金メッキを施している。天使のローブは繊細なピンクで描き、折り目は暗い色調で影を落としている。陰影線を出すために表面を削り取るズグラッフィート技法が用いられている。シモーネ・マルティーニは、ドゥッチョの弟子とされ、ジョルジョ・ヴァザーリによると、ジョットの弟子であったとされる。
ルネサンスのフィレンツェ派を代表するフィリッポ・リッピ(1406~1469)による「東方三博士の礼拝」(1440~1460年頃)(Gallery 4)で、もともと、フラ・アンジェリコが制作を始めたが、作品の大部分は、リッピが完成させた。1492年に発表されたロレンツォ・デ・メディチの邸宅の目録には、この絵がフィレンツェの有力な家族のコレクションの中で最も価値があると特定されている。
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ひざまずく3人の東方三博士が聖家族に贈り物を捧げており、その行列は丘を曲がりくねり、古代のアーチの後方から続いている。そのアーチの右側には、裸の少年たちが、壊れた塀の上で様々なポーズをとっているが、これは異教世界の終わりを示唆しているとされる。
他にも、フラ・アンジェリコの作品としては、「聖コスマスと聖ダミアヌスによるパラディアの癒し」(1438/1440年頃)(フィレンツェのサンマルコ教会の祭壇画)、フィリッポ・リッピの作品としては「聖母子」(1440年頃)(Gallery 4)などが展示されている。
イタリアのルネサンス期の画家アンドレア・デル・カスターニョによる「ダヴィデとゴリアテの首」(1450~1455年)(Gallery 4)で、儀式用の盾に貼られた皮に描かれている。盾を持つための5本のボルトが打ち込まれており、表面に突起が確認できる。紋章などを描いた装飾的な盾は現存しているが、著名な画家が物語として描いたものは大変珍しく貴重である。
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足を踏ん張り、手を掲げるダヴィデに対して、ゴリアテの首はダヴィデの足元に転がっていることから、戦いの結果を描いた様に思えるが、よく見るとダヴィデは投石器で石を投げようとしており、ゴリアテの額にはその石が埋め込まれ血を流していることから、異時同図法とみなすことができる。
こちらは、サンドロ・ボッティチェリの「東方三博士の礼拝」(1478/1482年頃)(111センチ×134センチ)(Gallery 7)である。マリアの膝に座る幼児キリストを訪れる3人の博士は、敬意を表して贈り物を贈っている。マリアのいる場所は、質素な厩舎ではなく、牧歌的な風景に面した半廃墟の古典的な寺院の廃墟にあり、周囲には多くの人物が描かれている。
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前景では、数人の人物が跪いて崇拝しており、ボッティチェリの特徴でもある、透明感のある鮮やかで繊細な衣服が豊かな折り目でカスケードしている。右側には、東方の博士の側近の行列が背景に広がり、画面に深みと物語性を際立たせている。
他にも、ボッティチェリの作品としては、ジュリアーノ・デ・メディチ(1478/1480年頃)や、青年の肖像(1482/1485年頃)(Gallery 6)などが展示されている。
こちらは、最大の見どころの一つ、ルネサンス期の芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチによる「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像」(1474~1478年頃)で、レオナルドの絵画としてはアメリカ大陸で一般公開される唯一の作品である。ジネーヴラの表情には微笑みはなく、表情は厳しく、視線は鑑賞者に向けられることなく超然としている。また、遠景はトスカーナの田園風景で、その先に教会の2本の尖塔が描かれている。
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モデルのジネーヴラはフィレンツェ貴族アメリゴ・デ・ベンチの娘で、当時16歳だったが、年齢の離れた政務官ルイージ・ニッコリーニとの結婚が約束されており、結婚記念として描かれたとされる。作品は下部分が切断されており、もともとは両腕部分も描かれていたと言われているが、オリジナルの姿は分かっていない。
裏面には「Virtvtem Forma Decorat」(美は徳を飾る)との碑文が描かれている。月桂樹と椰子はヴェネツィアの駐フィレンツェ大使ピエトロ ベンボのエンブレムで、ベンボとジネーヴラは交友がありプラトニックな恋人であったともされている。
イタリアの盛期ルネサンスの画家ラファエロによる「ニコリーニ カウパーの聖母子」(1508年)(大きなカウパーの聖母子)(80.7センチ×57.5センチ)(Gallery 20)である。背景は青い空のみで、聖母子でキャンバスを埋め尽くしている。故郷ウルビーノからローマに向けて出発する前に描かれたとされ、作品名はイギリスのカウパー伯爵のコレクションの一つに因んでいる。
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ナショナル ギャラリーには、もう一点、ラファエロの「カウパーの小聖母」(1505年)(59.5センチ× 44センチ)があるが、この日は展示されていなかった。カウパーの小聖母に描かれたキリストは、凛々しさが感じられる顔立ちだが、こちらのキリストは魅力的で遊び心のある子どもの表情をしている。
こちらは、盛期ルネサンスのヴェネツィアで活動したイタリア人画家ジョルジョーネ(Giorgione)による「羊飼いの礼拝」(1505年頃)(The adoration of the shepherds)(アレンデールのキリスト降誕)(Gallery 10)になる。ジョルジョーネは、詩的な作風の画家として知られ、現存する作品が数点しかないが、こちらの作品は、彼の初期絵画を収集していたアレンデール・グループ(アレンデール子爵チャールズ・バーモントが所有)のジョルジョーネ作品の一つで、グループの絵画はセットとして扱われており、全てジョルジョーネの真作とみなされることが多いが、逆に全てジョルジョーネの作品ではないとされることもある。
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画面の中央には、キリストの神性を認識し、跪いて礼拝する羊飼いを配置している。羊飼いは、素朴でありながら威厳を感じる佇まいである。右側の暗い洞窟と対象的に、マリアとヨセフも礼拝し、明るく親密な雰囲気を作り出している。左側には、消点となるヴェネツィアの風景が明るく描かれている。
こちらの「聖家族」(The Holy Family)(1500年)は、同じく、アレンデール・グループのジョルジョーネ作品とされる一つで、この日は、ナショナル ギャラリーで所蔵する2点が共に展示されていた。
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フランスのロココ期の画家ジャン・オノレ・フラゴナールの「読書する娘」(1769年頃)で、フラゴナールが友人や常連客をモデルに描いた14点の肖像画連作「ファンタジー・ポートレート・シリーズ」のうちの一つである。こちらは1時間ほどで描いた作品で、絵具が勢いよく塗られ、生き生きとした筆遣いを随所に見ることができる。この絵の少女はもともと鑑賞者を向いていたが、後に読書に夢中になる姿に描き直しているとされている。
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フィンセント・ファン・ゴッホによる「ラ・ムスメ」(娘、La Mousmé)(1888年)は、弟テオと同居していたパリから南仏のアルルに移った年の7月末に描いたとされる。ピエール・ロティのお菊さんを読んで知った日本語から名付けられた。モデルは、アルルに住む12歳の女の子で、赤い上着に紫のストライプ、青に大きなオレンジの水玉のスカートで、小さな手にキョウチクトウの花を持っている。
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ゴッホの先品では、他にサンレミの精神病院から解放される直前に描かれた2枚のバラの絵のうちの1枚「バラ」(1890年)(Gallery 83)、36の自画像のうち、最後の自画像の一つとされる「自画像」(1889年)、ゴッホの義理の妹ボンガー夫人を描いた「白い服の少女」(1890年)などが展示されている。
ポール・ゴーギャンの「ファタタ・テ・ミティ(海辺で)」(Fatata te Miti、1892年)で、ゴーギャンが、初めてタヒチ島に滞在した際の作品である。アトリエはタヒチ島の首都パペーテからおよそ45キロメートル郊外にあるパペアリに、自ら竹の小屋を建てている。作品は、漁師が槍で釣りをしている海に、2人のタヒチ女性がパレオを脱いで飛び込む様子が描かれており、官能的な喜びを伝える様に、強烈なトロピカルカラーで彩られている。
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クロード・モネの「散歩、日傘をさす女性」(1875年)で、モネの最初の妻カミーユが長男ジャンとともに草原を散歩する様子が、下から仰ぎ見る構図で描き出されている。
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同じく、クロード・モネの「ヴェトゥイユの画家の庭」(1881年)。モネは、1878年蒐集家エルネスト・オシュデ家族と共に、パリの喧騒を離れ、光の探求のためヴェトゥイユに移住し、描いた作品である。高い地平線と青空へ真っ直ぐに延びる小路の構図により、ヒマワリが咲き乱れる庭の存在が効果的に描かれている。階段の上段にはオシュデ家の娘と息子、そしてワゴンの側にいるのは、モネの息子ミシェルである。モネは、ヴェトゥイユの庭を題材に4作品を描いているが、こちらが最も完成度が高いとされる。
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他にも、モネの作品は、いくつか展示されている。こちらは「ルーアン大聖堂、西ファサード、陽光」(1894年)で、モネがルーアン大聖堂の西側正面の建物内にイーゼル(画架)を置き、ルーアン大聖堂の連作30点を制作した一つである。
「日本の橋と睡蓮の池」(1899年)は、モネが、1890年にジヴェルニーの土地を購入し、花の庭を造った後、隣の敷地を購入し、リュ川の水を引いて日本風の太鼓橋を架け「水の庭」とした。1895年から睡蓮の池の作品に取り組み、1898年以降は大量に描かれるようになる。1900年の「モネ近作展」第1睡蓮の13連作の内の一つである。
「国会議事堂、夕日」(1903年)は、1899年から1901年にかけて数回にわたり訪問し取り組んだ連作の一つで、ロンドンのテムズ川の霧の効果をサヴォイ・ホテルから国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)を捉えて描いている。
ピエール オーギュスト・ルノワール(1841~1919)による「じょうろを持つ少女」(1876年)で、アルジャントゥイユにアトリエを構えたクロード・モネ宅で描いたもの。ルノワールは、1873年から2年間、度々モネ宅を訪問し一緒に風景画を制作しており、こちらはその中の一つで、近所の少女の一人を描いたもの。ちなみにルノワールは、戸外制作をするモネの姿も描いている。
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ルノワール作品は他にも多く展示されており、こちらは評価も定まった晩年頃の「髪をアレンジする水浴者」(1893年)で、温かい色調の女性裸体画を数多く制作した作品の内の一つである。
こちらは、フランスの写実主義の画家ギュスターヴ・クールベ(1819~1877)による「トゥルーヴィルのブラックロックス」(1865/1866)である。ごつごつとした切り割く様な岩と、地平線のターコイズブルーの帯、様々なブラシとクールベ最大の特徴であるパレットナイフを使用した夕焼けの空は、写しとったかのような臨場感あふれる表現がなされている。
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クールベは、スイスアルプスに隣接するフランス東部のドゥーブの内陸地域で生まれ、劇的な地形の岩だらけの露頭、急な峡谷、流れる川の絵画表現などで知られている。こちらの作品のトゥルーヴィルとは、ノルマンディーのビーチで、天候と光の気まぐれな沿岸に魅了され描いたマリンシリーズの一つである。
2時間ほどの鑑賞を終え、次にナショナル ギャラリー オブ アートの彫刻庭園の西隣にある「国立自然史博物館」(National Museum of Natural History)にやってきた。こちらも、スミソニアン協会が運営する博物館で入館料は無料である。ナショナル・モール側の入口(南入口)を入ると、大きなドーム真下の円形ホール(ロタンダ)で、中央に大きなアフリカゾウのはく製が飾られている。
最初に円形ホールから右側にある恐竜館に向かった。さすがに、一番人気の博物館と言われるだけのことはあり、かなり混雑していた。展示室には、いたるところに、化石化した骨格が再現展示されている。展示室を入った正面には、恐竜の代名詞とも言われる「ティラノザウルス」(Tyrannosaurus rex)の骨格が展示されている。ティラノザウルスの迫力ある姿は、恐竜の中で最も知名度も高く、長い間、恐竜人気を支え続けてきた最強の肉食恐竜である。
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ちなみに、アメリカ自然史博物館は、アメリカ映画「ナイト ミュージアム」(2006年)の舞台になっている。映画では、夜になると展示物が動き出す不思議な博物館において夜間警備員として働くことになった主人公の活躍をコメディタッチで描いている。
こちらの展示室で最もスペースをとって展示されているのは「ディプロドクス」(Diplodocus)の骨格である。ジュラ紀後期の大型竜脚類で細身で尻尾が非常に長く、全長30メートルほどの巨体を有している。主に、北アメリカ大陸に生息していた大型草食性恐竜の一種である。
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こちらは「トリケラトプス」(Triceratops)で、中生代後期白亜紀の現在の北米大陸に生息した植物食恐竜の一属である。口先は鳥のくちばしの様に尖り、頭骨には大きな骨質のフリルと3本の角があり、体格は、大きな4本足の体はサイに似た形状で、人気恐竜の一つである。展示室には、他にも、ステゴザウルス、アロサウルス、ケラトサウルスなどの骨格が展示されていた。
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2階には「鉱物・宝石コレクション」の展示室がある。国立自然史博物館では、約350,000点の鉱物標本と10,000点の宝石を所蔵しており、実際の展示も、様々な鉱物や宝石が所狭しと展示されている。こちらの中央のトルコ石風の鉱物はバリサイト(バリッシャー石、Variscite)と言い、アルミニウムの豊富な岩石と反応したリンを含む水が、直接堆積して形成されるもの。右隣の甘栗が集まった様な鉱物は、硫黄(いおう、Sulfur)で、殺虫剤、医薬品、農薬、黒色火薬の原料など幅広く用いられている。
こちらは、博物館の最大の見どころの一つ、巨大な青いダイヤ「ホープ・ダイヤモンド」で、持ち主を次々と破滅させながら、人手を転々としていく『呪いの宝石』」として有名である。周りには16個、鎖に45個のダイヤをはめ込んだ白金製のペンダントの中央を飾っており、価格は2億ドル以上と言われている。
続いて、西隣の「国立アメリカ歴史博物館」(The National Museum of American History)に向かった。1階から3階までの3つの展示室と地階に小売店及びダイニングがあるが、1階のエントランスホールを進んだ先の「アメリカ開拓史と交通の展示コーナー」を見学する。入館料は無料。
こちらはサンタクルーズ鉄道の「蒸気機関車ジュピター」(1876年)である。サンタクルーズは、モントレー湾の北端にあるカリフォルニア州サンタクルーズ郡最大の都市で、サンフランシスコから南に115キロメートルに位置している。当時カリフォルニア最大の鉄道会社は、この小さな海岸沿いの町への必要な支線を建設しなかったが、鉄道の開通こそが、町の経済発展に繋がると夢見た住民たちの努力により、独自に建設したもの。
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1876 年に営業を開始し、その機関車「ネプチューン」と「ジュピター」は、サンタクルーズとワトソンビル間の13マイルを旅客と貨物の列車で牽引した。ワトソンビルにはサザン パシフィック鉄道との分岐があり、全国鉄道網の残りのすべてに接続していた。
1913年型フォード・モデルTツーリングカーハンドクランクの代わりに電動スターター、アセチレンガスヘッドライトの代わりに電動ヘッドライトを装備したモデル。
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こちらは「コロンビア電気自動車」(1904年)で、コロンビア女性病院の院長ジョン・オスカー・スキナー博士が1906年から1932年まで運転していたもの。当時は、清潔で静か、快適で、操作が簡単であることから、多くの都市の医師や裕福な女性が購入している。
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都市や大きな町には、車のバッテリーを充電するための電力を供給する電力網があったことから都市部では好まれたが、自動車自体高価で、走行距離は短かく、電気料金は高かった上、バッテリーのメンテナンスや充電は複雑で危険な作業だったことからニーズは限られた。
こちらは、イギリスのロバート・スティーブンソン社によって製造された蒸気機関車「ジョン ブル」(1831年)(John Bull)のレプリカで、1939年にペンシルベニア鉄道のアルトゥーナ工場で製造されたが、スミソニアンの理事会が1981年の150周年に火を入れたことにより、世界最古の運転可能な機関車となった。
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国立アメリカ歴史博物館を出て、ナショナル・モールを西に進むと、ワシントン記念塔が迫って来る。1776年の独立戦争で、ジョージ・ワシントンの名誉ある功績を称えて建造された記念碑で、大理石、花崗岩、砂岩など国産の石材を約3万6千個から造られている。
第二次世界大戦記念碑を過ぎ、リフレクティング・プール沿いを進むと「リンカーン記念堂」(Lincoln Memorial)に到着する。ナショナル・モール西端に位置し、アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンを記念して建立された。ドーリス様式のギリシャ神殿の形をしており、およそ10メートルの高さの柱が36本、建物全体を囲むよう配置されている。一本の柱の円周は、大人5人が手を伸ばして抱えても届かないくらいの大きさがある。
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記念堂の中心に飾られるのは、彫刻家ダニエル・チェスター・フレンチの手によって作り上げられたリンカーンの坐像である。彫像の縦と横の幅はどちらもおよそ5.8メートルある。左手は握られ、右手は開いているが、作者のフレンチの娘が耳に障害を抱えていたため、アメリカ手話での左右の手を表したとも言われている。椅子両端には、ローマ執政官の権威の象徴である束桿がレリーフとして彫られている。
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リンカーン記念堂前の階段から振り返ると、リフレクティング・プールとワシントン記念塔が一望できる。
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リンカーン記念堂やリフレクティング・プールは、猿の惑星(1968年)のリ・イマジネーション作品、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(2001年)(ティム・バートン監督)で、インパクトの強いラストシーンとして登場している。
時刻は、午後3時50分になった。ベトナム戦争で戦った3人の彫刻を過ぎ、ベトナム戦争戦没者慰霊碑のある黒い花崗岩で作られた壁が続くメモリアル・ウォールを通ってナショナル・モールを後にした。
一旦、ホテルに戻り、次に2.6キロメートル北にある「フィリップス・コレクション」(The Phillips Collection)に向かった。到着は午後6時半だった。1921年にアメリカ初の近代美術館として開館したもので、ルノワールの「舟遊びの昼食」、ゴッホの「アルルの公園の入口」などヨーロッパ絵画の他20世紀アメリカ絵画のコレクションでも知られている。午後7時半ごろまで鑑賞し、ホテルに戻った。
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翌朝は朝7時発のメガバス(Megabus)に乗り、アメリカ・ワシントンD.C.を後にした。この後、北東およそ200キロメートル先のフィラデルフィアを観光し、午後9時発の夜行バスに乗り、更に北東におよそ500キロメートル先のボストンに向かう予定にしている。
(2013.4.25~26)