カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

ロシア・サンクトペテルブルク(その3)

2017-07-14 | ロシア
次に小エルミタージュの見学に向かう。冬宮殿からは「ヨルダン階段」を上りきった踊り場から東側の連結橋を渡った隣の建物になる。最初に現れる豪華なホールが「パビリオンの間」である。このホールは、マリインスキー宮殿の設計者で知られるロシアの建築家アンドレイ・シュタケンシュナイダー(1802~1865)により1858年に造られた。
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ロシア・クラシック様式の二層からなる連続アーチに、様々な様式を織り交ぜた折衷的なアプローチが生かされた豪華な作りとなっている。北側のネヴァ川を望むアーチ前には、見所の一つ、英国の宝石商で金細工師のジェイムズ・コックス(1723~1800)による黄金の孔雀時計(孔雀・雄鶏・ふくろうの3体)が展示されている。この孔雀時計は仕掛け時計で1時間ごとに時を知らせてくれる(現在はビデオ映像でのみ羽を広げる孔雀の仕掛けを披露している)。第8代ロシア皇帝エカテリーナ2世(大帝)の愛人だったロシア帝国の軍人、政治家グリゴリー・ポチョムキン公爵からの贈り物とされる。

黄金の孔雀時計の前面(南側)床には、19世紀に造られた古代ローマ時代をイメージしたモザイクが広がっており、更にその先の南側の窓からは空中庭園を望むことが出来る。
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小エルミタージュの「パビリオンの間」から更に東側の連結橋を通ると、そのまま旧エルミタージュ(東隣の建物)の展示室に出ることが出来る。これから、ルネサンス・イタリア絵画の展示室を見ていこう。


最初に、イタリア初期ルネサンスのシエナ派とフィレンツェ派の源流とも言えるトスカーナ派の一人、ウゴリーノ・ディ・テディチェ(1277頃没)のキリストの磔刑からスタートする。次に、シエナ派を代表する画家シモーネ・マルティーニ(1284~1344)の受胎告知のマリアが、そしてフィレンツェ派を代表するフラ・アンジェリコ(1390~1455)の聖母子と天使たち、同じくフィレンツェ派を代表するフィリッポ・リッピ(1406~1469)の聖アウグスティヌスの幻視など重要な作品が展示されている。

そして、フィリッポ・リッピの元で学び、メディチ家の保護を受け宗教画、神話画などの傑作を多く残したサンドロ・ボッティチェッリ(1445~1510)のヒエロニムスと、聖ドミンゴや、そのボッティチェリに師事し、フィレンツェの黄金期を築いたフィリッポ・リッピの息子フィリッピーノ・リッピ(1457~1504)の幼児キリストへの礼拝など傑作が揃っている。

次が、エルミタージュ最大の見所の一つ「ダ・ヴィンチの間」である。部屋はロシア・クラシック様式にバロック様式の天井などが取り入れられており、第11代ロシア皇帝ニコライ1世の書斎としても使用された。


ダ・ヴィンチは、誰もが知るイタリア・ルネサンス期を代表する巨人で、多方面に亘り顕著な業績と手稿を残した。しかし、手がけた絵画作品は、意外なほどに少なく、真作やほぼ真作など諸説あるが、十数枚と言われている。この部屋にはその内の2点が展示されているため、常に混雑が激しい場所だが、この時間(午後8時前)だと、じっくり鑑賞できるのが有難い。

最初に、ブノアの聖母(1478)を見る。ダ・ヴィンチが、ヴェロッキオの工房から独立し、独自で絵画制作を始めたころの最初の作品とされる。スフマート技法(もやのかかったように表す描法)による陰影表現は、聖母の慈愛と幼子の気高さをリアルに表現しているだけでなく、その場の空気感も伝わってくる。なお、ブノアとは、エルミタージュ美術館に売却した建築家レオン・ブノアに因んでいる。
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次に、リッタの聖母(1491頃)である。こちらは、本人作と弟子作(ジョヴァンニ・アントーニオ・ボルトラッフィオ或いはマルコ・ドッジョーノ)との説に意見が分かれた作品。なお、リッタとは19世紀に所有していたミラノ貴族のリッタ家から名付けられた。


展示室には、他にダ・ヴィンチにゆかりのある作品として、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」制作に、助手として関わっていたジョヴァンニ・ピエトロ・リッツォーリのマグダラのマリアや、ダ・ヴィンチ工房による裸婦像。ダ・ヴィンチからスフマート技法の影響を受けた画家として、リドルフォ・ギルランダイオ(1483~1561)や、アンドレア・デル・サルト(1486~1531)、コレッジョ(1489頃~1534)の作品がある。こちらは、そのコレッジョの貴婦人の肖像である。

次にやはり見所の一つ「ラファエロの間」である。ラファエロは、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれている。ラファエロは、大規模な工房を経営しており多くの作品を残しているが、37歳の若さで亡くなっている。ヴァチカン宮殿「ラファエロの間」の「アテナイの学堂」のフレスコ画が最も知られている。


手前の豪華な展示ケースに入れられた小さな円形の作品が、コネスタビレの聖母(1504)で、その奥の展示ケースに見えるのが、聖家族(1506)である。コネスタビレの聖母は、直径20センチほどの円形板に描かれたもので幼子を見つめる慈悲に満ちた優しい聖母の表情が印象的な作品。第12代ロシア皇帝アレクサンドル2世がコネスタビレ家から購入した。

「ラファエロの間」には、多くのマジョリカ(マヨリカ)焼が展示されていることから「マジョリカの間」とも呼ばれている。マジョリカは、ルネサンス期から作られた白地に鮮やかな彩色を施した陶器で、特にフィレンツェ周辺が産地となった。ムーア人の陶工が地中海のマヨルカ島を経由してシチリア島に伝え、その後イタリア本土に伝わったとされる。

こちらの展示室の中央には、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)の「うずくまる少年」が展示されている。エルミタージュ美術館では唯一のミケランジェロ作品である。


旧エルミタージュの東角から南に向けて、美しく装飾された「ラファエロの回廊」が続いている。イタリア人建築家ジャコモ・クワレンギ(1744~1817)が設計し、クリストファー・ウンターバーガー(1732~1798)の工房で制作された。ラファエロのバチカン宮殿「ラファエロの間」を飾るフレスコ画の複製が取り入れられていることから名付けられた。


南東付近にあるのが「天窓の間」で「大イタリア絵画の間」とも呼ばれている。中央にはジュゼッペ・マズオーリ(1644~1725)のアドーニスの死(1709)や、1721年創業で貴石と半貴石などを用い贅沢品を制作していたペテルコフ工場(現在は時計メーカー)が1850頃に作った孔雀石の花瓶などが並んでいる。


旧エルミタージュの中程には、東西に続く「古代絵画史ギャラリー」がある。こちらは、バイエルン王ルートヴィヒ1世の宮廷建築家でドイツの新古典主義の建築家で画家でもあったレオ・フォン・クレンツェ(1784~1864)により設計された。


ギャラリーには、新古典主義の彫刻巨匠アントニオ・カノーヴァ(1757~1822)の美しい彫像が並んでいる。とりわけ美しい3人の女神が寄り添うのは、彼の代表作の一つ「三美神(1812~1816)」である。他にも、キューピッドのキスで目覚めるプシュケ(1794~1797)や、ゼウスとヘーラーの娘で青春の女神とされるヘーベー像(1800~1805)(※全身像はこちら)など多くの傑作が飾られている。
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このギャラリーの中央には、セルドボリ花崗岩の円柱20本で囲まれた旧エルミタージュのメイン階段が1階に向けて続いている

最後に、盛期ルネサンスのヴェネツィアで活躍したジョルジョーネ(1477~1510年)の代表作品「ユディト(1504頃」(※こちらは全身像)と、聖母子(1504頃)とを見てエルミタージュ美術館の初日を終了する。
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ジョルジョーネの絵画は人物の心理表現や、情緒的な風景描写に優れている。若くして夭折したことや彼に影響を受けた画家も多いことから、真作が確実視される絵画は、極めて少なく「ユディト」も19世紀末までラファエロの作品とされてきた。聖母子像は、真作か現在も意見が分かれている。
なお、ユディトとは、降伏したアッシリア国の司令官ホロフェルネス宛に派遣されたユダヤの女性で、その司令官の首を切り落としたことで知られている。作品のユディト足元の首は、ジョルジョーネの自画像とも言われている。

午後10時、路線バスに乗り要塞西側の公園の一角にあるレストラン・コーリュシカ(Корюшка)に戻ってきた。
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ところで、コーリュシカとは、日本で言うところのキュウリウオでこの辺りの名物と言う。飲み物は、クローネンブルグ500ml(480ルーブル)、ハウスワイン(190ルーブル)、サン・ペドロ ガトー・ネグロ(330ルーブル)、ジュリオ・ブーション カベルネ(300ルーブル)などを注文する。
注文した料理は、コーリュシカ(610ルーブル)と、昨夜美味しかったニシンの酢漬けと茹でポテト(450ルーブル)、モスクワで食べて美味しかったグルジアの小龍包やハチャプリ(550ルーブル)なども頼んだ。コーリュシカは、やや肉厚のシシャモといった感じで苦味もなく美味だった。他の料理やワインもリーズナブルだし美味しかった。ロシアらしくショーがあり、お姉さんの歌声が披露されていたが、皆食事に集中してほとんど聞いていなかった。最前列にいる一人飯のお兄さんまで食事に集中していた。ちなみに午後11時にも関わらず店内は賑わっている(10時前は満席で予約不可だった)。窓からはネヴァ川対岸のエルミタージュ美術館が見える

食事後の午後11時40分のペトロパヴロフスキー大聖堂と、ネヴァ川の対岸に見えるエルミタージュ美術館(冬宮殿)一帯はライトアップされ美しい。
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既にバスで往復していたので、慣れたものと要塞の桟橋から400メートルほど西にいったバスターミナルから路線バスに乗るが、間違って逆方向に乗車してしまった。慌てていると、地元の皆さんが親切に乗り換え場所に便利な降車駅を教えてくれ、無事、ネフスキー大通りに戻り、アパートメントに戻ることができた。

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翌朝、昨日に続き、エルミタージュ美術館の見学を予定しているが、天気も良いので少し市内を散策してから向かう事にする、最初に、ペトロパヴロフスク要塞に向かう際に乗ったトラム(サドヴァヤ通り沿い)を逆の方角に乗り、目的地のセンナヤ広場に到着した。これから、ドストエフスキーの小説「罪と罰」の舞台を散策する。


「罪と罰(1866)」は、ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキー(1821~1881)の長編小説にして代表作品。ストーリーは、頭脳明晰だが貧しい元大学生のラスコーリニコフが「一つの罪悪は百の善行によって償われる」という思想信念に基づき、金貸しの老婆アリョーナを殺害し、財産を孤児院に寄付しようと実行する。しかし、偶然居合わせた老婆の妹まで殺害してしまったことから、罪の意識に苦悩する。その後知り合った貧しい娼婦ソーニャの家族のためにつくす生き方に心をうたれて自首をする。といったもの。

小説でのセンナヤ広場(乾し草の意)は、酒場を始め飲食店が立ち並び多くの職人や浮浪者が集まっていたとされるが、現在では近代的な建物になり当時の面影は感じられない。そのセンナヤ広場の裏手に進むと、エカテリーナ運河があり、コクーシキン橋が架かっている。この橋が小説ではK橋として登場する。例えば「7月のはじめ、めっぽう暑いさかりのある日暮れどき、ひとりの青年がためらいがちにK橋のほうへ歩き出した。」といった感じ。なお、向かって右側がセンナヤ広場方面で、橋から左側(北方面)へとストリャールヌイ通りが続く。


センナヤ広場から、コクーシキン橋を渡った所で左折して運河沿いに150メートルほど進んだ右側に建つ建物がソーニャの家とされている。

再び、コクーシキン橋まで戻り、ストリャールヌイ通りを北に進み、最初に交差する通りを渡った右角にある建物がドストエフスキーが住んでいたアパートである。そして、1階扉口に向かって左右に続く右側2番目の窓には、証明するプレートが飾られている。


そのまま、ストリャールヌイ通りを歩いて次に交差するグラジダンスカヤ通りを渡った左角にあるのが、主人公ラスコーリニコフが住んでいたアパートの場所になる。角にはドストエフスキー像の記念碑が飾られている。


「罪と罰」の舞台はこれくらいにして、次の観光名所を目指して散策を続ける。

ストリャールヌイ通りをそのまま進むと三叉路の突き当たりになり、右折してすぐに左折して北に進むと、イサク広場が現れ、正面遠景にロシア正教会の大聖堂(聖イサアク大聖堂)が望める。そしてイサク広場の左右にはモイカ川が流れており、架かる「青の橋」から振り返った所に建つ建物はマリインスキー宮殿である。1839年から1844年にかけてアンドレイ・シュタケンシュナイダーにより新古典主義様式で建てられた。


イサク広場の北側に建つ「聖イサアク大聖堂」は、ピョートル大帝時代に初めて建てられたが、現在の建物はアレクサンドル1世の時代にフランス人宮廷建築家オーギュスト・ド・モンフェラン(1786~1858)の設計によるもので、40年もの期間をかけて1858年に完成した。ドームの高さは101.5メートルある。なお、時間の関係から聖堂内には入らない。


聖イサアク大聖堂に沿って反対側に回り込んだ所にあるアレクサンドロフスキー公園に入り北側に進むと、元老院広場があり、中心にサンクトペテルブルクを創建したピョートル大帝の騎馬像「青銅の騎士」が飾られている。


大帝の偉業を称えたロシア近代文学の嚆矢アレクサンドル・プーシキン(1799~1837)作の叙事詩「青銅の騎士」が有名になったため、この名で呼ばれるようになった。騎馬像の建設は第8代ロシア皇帝エカテリーナ2世(大帝)の命により1770年に開始され、おもにフランス彫刻家のエティエンヌ・モーリス・ファルコネ(1716~1791)によって作られ、1782年に完成した。


それでは、エルミタージュ美術館(2日目)に向かう。午前11時と混雑している時間帯だが、Webチケット持参のため、入場での待ち時間はない。最初に、旧エルミタージュの2階西側のレンブラントの作品から見学する。レンブラント・ファン・レイン(1606~1669)は、オランダ黄金時代17世紀を代表する巨匠で、光と影の明暗を明確にする技法を得意とした。

この展示室は、エルミタージュの最大の見所の一つとして、観光ツアーには必ずと言って良いほど含まれている。お昼どきでもあるため、途切れることなくツアー客が来場して溢れんばかりである。


この大混雑の先に展示されている作品が「ダナエ(1636)」である。ダナエとは、ギリシア神話の英雄ペルセウスの母であり、オリンポスの主神ゼウスが見初め、黄金の雨に身を変えて訪れ彼女と交わったとされる。


ダナエは、1985年に、後に精神疾患の診断されたリトアニア人青年から硫酸を浴びせかけられ刃物で切りつけられ損傷した。結果、画面中央の顔料が溶け落ち、水滴状になって垂れ下がるという大きな損傷を負ってしまう。特に、顔、髪、右腕、両脚の損傷がひどく、十年以上の歳月をかけて修復されたが、現在も痕が残り完全には修復されることはできなかった。ガラスケース入りの絵画は光に反射して見づらいのだが、こういった事件があると、それも仕方がないのかもと思ってしまう。。

そして、こちらは、レンブラントの晩年の作品で「放蕩息子の帰還(1666~1668頃)」。父から財産を与えられた息子は、家を出て財産を全て浪費して豚の餌で餓えを凌ぎ、実家に戻るが、父は暖かく息子の帰還を喜ぶといった内容。

レンブラントの作品は多い。他にも、春の女神フローラに扮したサスキア(1634)十字架降下(1634)イサクの犠牲(1635)など20作品以上が展示されていた。イサクの犠牲では、アブラハムが、横たわる息子イサクの顔を抑え、喉元へ小刀を当てようとするが、現れた天使に制止され、短刀を落としてしまう。緊張の瞬間を捉えている。

こちらは、レンブラント同時期に活躍した、オランダ絵画の黄金時代を代表する画家フランス・ハルス(1585頃~1666)の男の肖像。ハルスの初期の明るく笑みを浮かべた肖像画と異なり、モノトーン調の画風であることから、後年の作品と思われる。

次にイタリア・盛期ルネサンス作品を見ていく。こちらの展示室には、ヴェネツィア派ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488~1576)の聖母子とマグダラのマリアと、ダナエ(1553~1554)が展示されている。ティツィアーノは、生涯でダナエを5点(4点が確認)描いたとされるが、その内の一つ。他にも、聖セバスティアヌスなど、6点ほどの作品が展示されていた。


同じくヴェネツィアで活動したパオロ・ヴェロネーゼ(1528~1588)の聖カタリナの神秘の結婚(1548頃)と、ピエタ

バロック初期のルドヴィコ・カラッチ(1555~1619)の画架の自画像。そして、バロック期に活動したボローニャ派に属する画家でラファエロの再来と言われたグイド・レーニ(1575~1642)の聖ヨセフと幼子。ルドヴィコ・カラッチに師事した。

次に、スペイン絵画を見ていく。最初にバロック期のディエゴ・ベラスケス(1599~1660)の農家の昼食(1617)と、オリバーレス伯公爵の肖像(1638頃)。オリバーレス伯公爵は、スペイン王国フェリペ4世(1605~1665)の首席大臣として三十年戦争への対応、八十年戦争への対応、財政再建など難題に取り組んだ。


スペイン生まれで主にナポリで活躍し代表作「えび足の少年」で知られるホセ・デ・リベーラ(1591~1652)の聖セバスティアヌスと聖イレーネ(1628)。セバスティアヌスは、柱に縛られ、矢を射られた姿で描かれることが多いが、17世紀以降は、半裸の若者像を単身で飾ることを忌避した教会の意向で、介抱するイレーネが看護師の守護聖人として登場したともされる。

こちらはバロック期の画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617~1682)の代表作の一つ無原罪の御宿り(1680)と、犬を連れた少年(1655~1660)である。そして、ムリーリョと同時期に活躍しスペインのカラヴァッジョとも言われたフランシスコ・デ・スルバラン(1598~1664)の聖ラウレンチオ(サン・ロレンツォ)

宮廷画家でスペイン最大の画家フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の女優アントニア・サラテの肖像(1810~1811)と、同じく同時期の巨匠のディエゴ・ベラスケス(1599~1660)の使徒ペトロとパウロ(1587~1590)など貴重な作品が展示されている。

バロック期のフランドルの画家ペンアンソニー・ヴァン・ダイク(1599~1641)は、1632年にはイングランドに渡り、国王チャールズ1世の主席宮廷画家として大きな成功を収めたが、その時代の一点ヘンリー・ダンヴァース初代ダンビー伯爵、そして、代表作の一つで自身の若き頃を描いた自画像(1622頃)

旧エルミタージュ南側(ミルリオンナヤ通り側)の展示室には、バロック期のフランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)が一面に展示されている。こちらは醜い姿をした酒神バッカス、海神ネプチューンと大地母神キュベレーが語り合う様子を描いた大地と水の結合十字架降架。ルーベンスはアントワープ大聖堂の祭壇画を始め十字架降架をテーマにいくつもの作品を制作しているが、この作品では、イエスの身体を受け止めようするマグダラのマリアに力強い姿が感じられる。ギリシア神話を題材にしたペルセウスとアンドロメダ、そして、牢に入れられ餓死寸前の父シモンを見舞った娘ペロが、自分の母乳を与えて救おうとするシモンとペロ(ローマの慈善)など30作品ほどが展示されていた。

ヴァン・ダイクとルーベンスと同じくバロック期のフランドルの画家ヤーコブ・ヨルダーンス(1593~1678)のイエス降誕祭で酒を飲む王様

時刻も午後3時になり、急ぎ、一階の展示室でカメオプトレマイオス2世と妻アルシノエ2世のゴンザーガ・カメオ(紀元前3世紀、アレクサンドリア)と、ギリシア・ローマ彫刻の展示室を見学する。1世紀後半にローマで作られたローマ神話の主神ユーピテル(ジュピター)や、愛と美と性を司るギリシア神話の女神「アプロディーテー」など多くの彫像が展示されている。


ほとんどが、紀元後のローマの作品で、ピョートル1世が1718年にローマ教皇クレメンス11世から譲られた「アプロディーテー」像も紀元2世紀にローマで作られたギリシアのコピーと考えられていたが、紀元前2世紀頃のオリジナルと確認された(鼻は修復されている)。彫像は、風呂から立ち上がろうとしている姿を捉えているとされるがどうなのだろう。。
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次に、宮殿広場の向かい側にあるエルミタージュ美術館(新館)に向かう。新館へは先日途中までの見学だったため2度目の訪問になる。現在午後3時半を過ぎた所で2時間ほど見学が可能だ。


宮殿広場側から入場してチケット(300ルーブル)を購入しクロークで荷物を預けたら、吹き抜け空間にある階段を上りつめ、扉内側のエレベータに乗り4階フロアから順に2階フロアまで見学していくことにする。


最初にフランスの画家ナビ派(ポスト印象派とモダンアートの中間)の作品から見ていく。ナビ派は、ポスト印象派ポール・ゴーギャン(1848~1903)の教え(自然の光を画面上にとらえようとした印象派に対し、画面それ自体の秩序を追求するもの)から始まった前衛的なグループ集団で、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドニ、ポール・ランソンから始まった。こちらの巨大な作品は、そのピエール・ボナール(1867~1947)の三連の地中海の風景(1911)で、パリの夕べ(1911)など多くの作品が展示されている。


次にエドゥアール・ヴュイヤール(1868~1940)の部屋にて(1899)と、モーリス・ドニ(1870~1943)の精神の物語と題した巨大な作品や、バッカスとアリアドネー(1907)エリザベト訪問(1894)など神話や宗教を題材とした作品も展示されている。


そして後年、ナビ派に賛同してメンバーに加わった一人で、グラフィックや現代木版画などで知られるスイス出身のフェリックス・ヴァロットン(1865~1925)のアルク・ラ・バタイユの風景(1903)と、ジョージ・ハッセンの肖像(1913)である。ヴァロットンの作品では他にも肖像画が何点か展示されている。

こちらは、アルコール依存症の治療のために描き始めた絵画が評価されたフランスのモーリス・ユトリロ(1883~1955)のモンマルトルのキュスティーヌ通り(1909~1910)

本館と比べ、新館は空いているが、流石にパブロ・ピカソ(1881~1973)の展示室は混雑している。この展示室で一際大きな展示ケース内にあるのが、ピカソ青の時代の傑作二姉妹(1902)である。

ピカソの作品は、扇を持つ女(1907~1908)農家の女(1908)三人の女(1908)楽器(1912)テノーラ(スペインで使われている楽器)とヴァイオリン(1913)など、30点以上もの作品があり驚かされた。

色彩の魔術師と謳われる20世紀を代表するフランスの芸術家アンリ・マティス(1869~1954)の作品も大量(40点ほど)に展示されている。向かって左端から、マティスの最高傑作とも評される赤い部屋(1908)、青いテーブルクロスの静物(1909)、スペイン風の静物(1910)、セビリアの静物(1910)、赤いタンスの上にあるピンクの像と水差し(1910)と展示されている。
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こちらの展示室には、向かって左の音楽(1910)と右側のダンス(1910)。他にも、裸婦(1908)会話(1909~1912)アラブカフェ(1913)家族の肖像(1911)などなど、何とも贅沢な空間である。


初日に初めて新館に訪問した際も感じたが、展示作品のほとんどが、帝政時代のコレクターで富豪のセルゲイ・シチューキン(1854~1936)と、イワン・モロゾフ(1871~1921)のコレクションである。いかに、いち早くフランスの近代美術の価値を見抜き収集していたかが分かる。特にピカソやマティスの作品の多さには驚かされた。

こちらには、ドイツのロマン主義絵画を代表するカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774~1840)の展示室がある。帆船にて夕焼け(兄弟)葦の白鳥など静寂で抒情的な作品が多く展示されている。


フランツ・マルクらの青騎士活動グループに協力したドイツの画家で叙情性豊かな表現主義を特徴とするハインリヒ・カンペンドンク(1889~1957)の自然の中の人と動物はインパクトある色使いが凄い。

2014年、エルミタージュ美術館創設250年記念としてプーチン大統領より贈られた1902年ロスチャイルドのエッグ(ファベルジェ工房作)。正時に卵の頂点が開き雄鶏が現われる仕掛けとなっている。
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他にも、金、銀、プラチナ、ダイヤ、尖晶石、真珠、サファイア、ベルベット、珪岩などの希少鉱石から造られた皇帝の象徴である王冠のミニチュアや、銀、エメラルド、真珠などで装飾されたモノマフ(キエフ大公ウラジーミル2世、1053~1125)の帽子の形をしたソルトケースなど手の込んだ工芸品が展示されていた。

午後6時まで見学して、旧参謀本部ビルのアーチ門をくぐり、ネフスキー大通りのバス停に向かう。


ネフスキー大通りから22番バスに乗りマリインスキー劇場(第2新劇場)に到着した。旧劇場の運河を挟んで建てられている。今夜はこちらでバレエ「ル・パルク」を鑑賞する。


2013年5月に新たに竣工した真新しい劇場で、劇場ホワイエ部分は吹き抜けで開放的な印象。ホール側の壁は琥珀色で高級感が漂い外観は総ガラス張りで明るい。一角には、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882~1971)のゆかりの品が展示されていた。彼は、指揮者、ピアニストとしても活動したロシアの作曲家で、特に、バレエ音楽(火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典)で世界的に知られている。こちらにはダンサーが実際に着用したバレエの衣装などが展示されていた。最上階には展望室があるが有料であった。


劇場内の席は大きめでゆったりと座れる。サイド席は劇場を取り巻き、4階まで続いている。覗き込むと少し怖い。。


「ル・パルク」は、アンジェラン・プレルジョカージュ振付のコンテンポラリー・ダンスである。1994年にパリ・オペラ座で初演された。
とあるフランス庭園の中で男女それぞれ10名ほどの貴族が繰り広げる恋愛模様がダンスで表現されている。主演はアンドレイ・エルマコフとエカテリーナ・コンダウーロワ。


午後9時半、今夜は「レストラン・ゴーゴリ」で本格的なロシア料理を頂くことにする。昨夜エルミタージュ美術館を出てから予約をしておいた。案内されたテーブルは、店内に入って左奥にあり6組ほどが座れるこじんまりとしたスペースだが、冬のロシアをイメージしてしまう落ち着いた色合いの内装でまとめられている

なお、ゴーゴリとは文豪ニコライ・ゴーゴリに因んでいる。

部屋にスタッフは常駐せず、その都度呼び鈴で行う。メニューは英語メニューがあり問題はなかった。ウオッカなども試してみたかったが、飲みなれていないので、ビールとワインを注文した。注文した料理は、まず前菜として、キノコのサワークリームサラダ(460ルーブル)マンゴーと小エビのサラダ(490ルーブル)ペリメニ(460ルーブル)、ピロシキ(70ルーブル)
メインは、クレビャーカ(魚、キノコ、ホウレン草の入ったパイ包み)(770ルーブル)と、こちらのビーフストロガノフ(890ルーブル)を頼んだ。
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日本人に馴染みのビーフストロガノフとは全く異なるため驚いた。もともと16世紀初頭にウラル地方の貴族ストロガノフ家の一品であったとされ、当時は、このように肉をワインを加えた湯で蒸し、マッシュルームとケッパーを加えたものだったともされる。最後にデザートとしてラベンダー風味のクレーム・ブリュレ(360ルーブル)を頂いた。全体的に味付けは濃いくもなく、分量も日本人でちょうど良い量といった感じ。値段もリーズナブルで驚いた。なお、後ろのテーブルでは、男性二人がウオッカ・ボトルをおかわりして飲んでいた。。

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翌朝、午前7時発のサプサン号に乗るべく、4泊したアパートメントを早朝にチェックアウトし、ネフスキー大通りからバスに乗り、モスコーフスキー駅に到着した。

なお、滞在中の朝食は、アパートメントのあるルビンシュテイン通りとネフスキー大通りとの交差点にあるマクドナルドを馴染みにしていた。

モスクワ(レニングラーツキー駅)には、定刻通り午前10時58分に到着した。今日は、午後5時15分発のJL422で帰国するため、モスクワでは、アンドレイ・ルブリョフ記念イコン美術館のあるスパソ・アンドロニコフ修道院を見学した後、モスクワ・ドモジェドボ空港に向かった。
(2017.7.14~16)

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