カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インド・カジュラーホー

2013-03-29 | インド(アーグラ、ニューデリー)
これから、アーグラ・カント駅を午後11時20分発の列車(12448 UP Smprk Krnti Exp)に乗りカジュラーホー(Khajuraho)に向かうことにしている。カジュラーホーはマディヤ・プラデーシュ州の小都市で、アーグラから南東に400キロメートルの位置にある人口約5000人弱の小さな村である。早めの午後9時過ぎに駅に到着して電光掲示板を確認したところ、予定どおり運行表示されていたので、安心してホーム待合室で本を読みながら待つことにした


列車は、定刻どおり1番ホームに到着した。予約席は、進行方向に向かって左側の2段ベッドの下になる。荷物を枕にして、すぐに寝る体制を整えたが、窓の隙間から冷風が入ってきており寒くてたまらない。重ね着した上に、持参していたレジャーシートを体に巻きつけて耐え忍んだ。


結局、ほとんど寝られないまま、午前7時半に目的地のカジュラーホー駅に到着した。午前6時35分が定刻だったので、遅れたうちにはいらないだろう。カジュラーホー駅は1889年からの古い歴史があるが、現在の真新しい駅舎は2008年に完成したもので、併せて駅前も綺麗に整備されている。その駅前左側には駐車場があるが、オートリキシャだけが整然と並び、数人の運転手から猛烈に勧誘される。数人と交渉した結果、ニット帽を被った男に8キロメートル先の村の中心まで100ルピーで行ってもらうことになった。


ニット帽の男は「これからどういう予定なのか。自分が案内する。ホテルは決まっているのか。」などと矢継ぎ早に質問してきたが、はっきり決まっていなかったこともあり、適当に答えているうちに左側に沐浴池が見え始め、村の中心に到着した。


カジュラーホーには1泊を予定しているが、ホテルは決まっていない。沐浴池の東側にある「レイク・サイド・ホテル」には、日本語が話せるスタッフもいるとのことで、日本人旅行者に人気があるらしい。ホテルのスタッフとの交渉の結果、2階の沐浴地が見渡せる眺めの良い部屋(バスタブ付)に決め、今夜のナイトショー及び「東群の寺院」と「南群の寺院」へのオートリキシャの送迎を付けて合計1,750ルピーで合意した。


しかし、先ほどから妙に体がだるいことから、列車内の寒さで風邪を引いたかもしれない。しかし、翌朝8時過ぎのアーグラ行きの列車のチケットを既に購入していることから、寝ていては何をしにここまで来たかわからないため、荷物を部屋に置いて、頑張って見学に向かうことにした。

カジュラーホーは、9世紀初頭から14世紀初頭にかけインド中部に存在したチャンデーラ朝(ヒンドゥー王朝)の古都で85ヶ所に及ぶ寺院が建設されたとされる。現在は、西群、東群、南群の3箇所に、20あまりの寺院が残されており、1986年には「カジュラーホーの建造物群」として世界遺産に登録されている。最初に、徒歩で行ける「西群の寺院」から見学することにした。ホテル前の道路を北に向かって歩くとすぐ左手に入口がある。入場料は250ルピーである。


入場料を払い入口から入ると、周囲には美しく手入れされた庭園が広がっている。案内表示に従いプロムナードを進んでいく。


プロムナードを北方面に向け歩いた突き当たりには高い基壇があり、その上の左側に巨大な「ヴィシュワナータ寺院」が聳えている。チャンデーラ朝ダンガ王(在位:950頃~1008頃)によりシヴァ神にささげる宮殿として1002年に建てられたカジュラーホーを代表する寺院の一つである。


その、ヴィシュワナータ寺院と向かい合うように、右側には、ナンディー堂が配置されている。基壇に上って先にお堂に入ってみる。


小ぶりなお堂だが、側面下部には細かい浮彫が施されている。


堂内にはヒンドゥー教のシヴァ神の乗り物とされる牡牛ナンディー像が祀られているが、多くの人に触れられているらしく黒光りしている。


では、ヴィシュワナータ寺院を見学する。正面からだと塔全体が見えないため、南側から寺院を眺めてみる。参拝者は、東側の階段を上り、バルコニーのある個所を、西に向け、玄関ポーチ、小広間、大広間と進み、前室から聖域を拝観することになる。それら部屋の上部には、瓦を高く積み上げたシカラと呼ばれる砲弾状の塔を階段状に配置し、聖域の西側を最も高くなるように設計している。
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最初に、基壇を時計回りに周回(右繞)して寺院外観の彫刻群を見学する。エントランス玄関塔の南側廊の基部には祠があり右指を立てた「踊るガネーシャ像」が飾られている。他にも基部には祠があり、サプタマトリカ(7人の神の母)や、シヴァ神の配偶者パールヴァティーなどが飾られている。


大広間と聖域のバルコニーとの間となる前室の外壁面には、3層に分けられ、それぞれ専用台座の上で様々なポーズを取る神々像が、隙間なく刻まれている。腰をひねる立ち姿の像のうち、放漫な胸を持つのは、アプサラスやスラスンダリーである。アプサラスは、インド神話における水(海)の精で、神々の接待役として踊りを見せる天女である。スラスンダリーもインド神話における天女だが、挑発的なポーズをとったり、日常における様々な艶めかしい動作が強調して表現される。


カジュラーホーの建造物群は、ヒンドゥ教とジャイナ教の2つの宗教的見解を受け入れた古代インド美術の優れた建築形態、複雑なディテール、象徴性、表現力を備えた多数の彫刻の装飾が特徴だが、何と言っても最大の見所は、性的またはエロティックな彫刻である。前室の外壁面となる3層目の中央に刻まれているのが「性交するミトゥナ(男女一対の神像)」で、中央に抱き合う男女がおり、左右の女性は手で顔を覆っている。


2層目の中央にも、抱き合う男女の性愛像が刻まれている。


右側に建つ建造物は、ヴィシュワナータ寺院の基壇の西南角に建つ小祠堂になる。ヒンドゥ教の代表的な建築の特徴の一つに、長方形の敷地を持つ高い基壇の上に、中央に本堂のある寺院を建て、その基壇の四方には小祠堂を建てる「五堂形式」(パンチャーヤタナ)がある。こちらの小祠堂はその五堂形式を表わすもので、北東角にも同様の小祠堂があるが、南東角と北西角については失われている。


また、後部に見える建造物は、同じ小祠堂に見えるが、こちらは、パールヴァティー寺院で、別の小さな独立した基壇の中央に位置する寺院本堂にあたる。

寺院後方から北側に回り込み、南側と対になる大広間と聖域のバルコニーとの間となる前室の外壁面を見上げると、南側同様に多くの神々像が刻まれ、やはり中央に2段に亘りアクロバティックな体位で性交するミトゥナ像が刻まれている。


左右のバルコニーは、大きく外側に張り出しており、周囲には幾何学的な浮彫文様が施されている。バルコニー内の天井の組石には、屋根を支える人物の彫刻も見える。


こちらは、北東側から見上げた様子で、シカラが高くなるにつれて、バルコニーも左右に張り出していく構造となっている。2番目と3番目のバルコニーとの間には2本の柱が延び上部のシカラを支えている。


2本の柱には、前室の外壁面と同じく、3層にわたり男女神像が並んでいる。腰をひねりながら踊っているのは、天女のアプサラスやスラスンダリーになる。
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次に、階段を上り寺院(本堂)内に入ってみる。天井の襞の様に重なり合う彫刻は凄い。


堂内にも天女スラスンダリーやヤリなど多くの彫刻が施されている。ヤリとは、ヒンドゥ教の神話上の生き物で、ライオンの頭と体、象の鼻と牙、時には馬の特徴を持つ姿で表現される。堂内の彫像は、バルコニーからの自然光を受け、より美しく見える。


堂内の奥には、数多くの男女神像の浮彫が施された厨子があり、内側には、シヴァ神(リンガ)が祀られている。


プロムナードは西に続いている。しばらく歩くと、「チトラグプタ寺院」に到着した。1020年から1025年に建設された寺院で、スーリヤ(太陽神)を祀っている。東側から、玄関ポーチ、大広間、前室、周歩廊のある聖域と続いている。大広間は、八角形の天井を持つホールで、左右にバルコニー付の翼廊がある。後部はシカラのみとなるため、やや小太りな佇まいである。


後部シカラの左右(南北)壁面の中央には、祠が2層にわたり配置され見事な彫刻が施されている。こちらは北側璧面で、上が「カイラース山に座るシヴァ神と妻パールヴァティー」で、下が「ヴィシュヌ神の猪神(ヴァラーハ)への化現」である。
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「ヴィシュヌ神の猪神への化現」に向かってすぐ右側面には、美しいミトゥナ神像とアプサラス(右)が彫られている。


他の寺院もそうだったが、寺院の下部(視線の高さ)には、戦いの様子や人間の営み等が愛嬌の感じられる丸みを帯びた姿で表現されている。こちらは、象による運搬の様子や音楽を奏でる人々の姿が表されている。

次に、チトラグプタ寺院の南側にある「デヴィ・ジャグダンベ寺院」に向かう。デヴィ・ジャグダンベ寺院は、南側に巨大シカラが聳える「カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院」と同じ基壇の上に築かれている。そして2つの寺院の中央には小ぶりな」「マハーデーヴァ寺院」が建っている。3寺院毎に専用の階段があるが、左右の寺院は、その大きさを誇示するかのように、エントランス前が広い踊場となっており、階段は前方に大きく張り出し参道を形成している。


中央のマハーデーヴァ寺院は、シヴァ神を祀るお堂で、前方に獅子に傅く娘の像がある。


右側に建つ「デヴィ・ジャグダンベ寺院」は1000年から1025年頃に建設されている。もともとはヴィシュヌ神が祀られていたが、その後シヴァ神の妻パールヴァティーとなった。こちらは、後部シカラの南壁面の彫像群で3層にわたり施されており、西群の寺院の中では、最も細かく装飾された寺院の一つと言われている。聖域には女神(パールヴァティー)の巨大な像がある。


右側上部には、寄り添うシヴァ神とパールヴァティー女神像が見える。


次に、マハーデーヴァ寺院の左側に建つ「カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院」に向かう。チャンデーラ朝最盛期の王ヴィディヤーダラ(在位:1004~1029)治世の建立でありシヴァ神を祀っている。東側のエントランスから徐々に山の尾根の様にシカラが連なっている。構造は、ヴィシュワナータ寺院に類似している。聖域後部のシカラは高さ30.5メートルあり、カジュラーホーでは、最も規模の大きい寺院である。


では、まずは、右繞しながら彫刻群を見学してみる。


こちらは、大広間と聖域のバルコニーとの間となる前室の外壁面で、最も彫刻が多い箇所になる。ヴィシュワナータ寺院と同様に、神像群は3層で分けられ専用の台座の上で、様々なポーズを取っている。
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中央部には、3層にわたり性交するミトゥナ像が刻まれている。これまでと同様に、カップルの両側には乙女が配されている。3層目は立ち姿で、2層目は抱き合う男女となっている。


こちらは、1層目は、アクロバティックな体位で性交するミトゥナ像となっている。逆さまの男性はヨガのポーズの一つとされる。さすがに、カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院は、チャンデーラ朝最盛期に造られた寺院だけあり、彫像がより精緻に表現されている。


南側と対になる北側の大広間と聖域のバルコニーとの間となる前室の外壁面を見上げると、南側同様に多くの神々像が刻まれ、やはり中央に3層にわたり性交するミトゥナ像が刻まれている。3層目と2層目は、座る男性に跨る女性で、1層目は立ち姿となっている。上部のシカラには、幾何学文様の細かい浮彫が施され、先端部は遥か先に見える。
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こちらは、その3層と2層のミトゥナ像の様子になる。


最後に、堂内を見学する。正面入口も隅々まで細かい装飾がされている。門の上部には、インド神話に登場する怪魚マカラが両柱に配されており、上部をひも状の装飾で繋がれている。
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ひも状の装飾の間には人物らしき像が二体ずつぶら下がっている。
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お堂内は、左右上部のバルコニーから自然光が入り明るいため、装飾もよくみえる。正面の本尊にはリンガが祀られている。リンガの手前の柱にも細かい装飾や彫像で溢れている


南側から寺院を眺める。山脈を連想させるデザインである。聖域の上にあるメインタワーのシカラは、小さなサイズの尖塔が全部で84を数え、繰り返し寄り集まって上部に伸びている。林立するシカラは、シヴァ神が住むとされるカイラス山もしくはヒマラヤ山脈を象徴していると考えられている。


最後の寺院は入口の近くにある。途中近道をして、寺院の後方から北側の基壇に沿って歩く。こちらの基壇には、他にはなかった浮彫(戦争や狩り、象などの行列の様子)が施されている。また水捌け用のガーゴイルも一定間隔に配置されている。そして前方の北東角にある小祠堂を回り込むと東側にある正面階段に到着する。


こちらは「ラクシュマナ寺院」で、チャンデーラ朝ヤショーヴァルマン王(在位:925~950)により10世紀前半に建設された。中央の本堂のある寺院の対角上に小祠堂が残る五堂形式であり、当時の寺院建築の全体像を完全に伝えている。ヒマラヤの峰々に匹敵する壮麗なヴィシュヌ神の宮殿と言われている。


ラクシュマナ寺院は、他の寺院と比べバルコニー部分の張り出し部が大きく強調されているのが特徴の一つである。
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バルコニー部分に囲まれた側面(こちらは北面)には、やはり、ミトゥナ像を中心に神々の像で埋め尽くされている。


入口の両柱を繋ぐマカラの浮彫や襞付き天井の精緻な浮彫には驚かされる。


堂内にも女神像を始め神々の彫像があり、光が差し込み良く見える。


堂の奥には、本尊としてヴィシュヌ神が祀られている。


プロムナードを歩き、入口近くまで戻って来た。振り返ると美しいラクシュマナ寺院の姿が一望できる。澄み渡る青空と広々とした芝生と花が咲く庭園に気分も晴れやかになった。


さて、時刻は午前11時を過ぎたところ。昼には早いが朝食をたべていないので、レストラン(ブルー・スカイ)に行ってみる。


2階のテラス席に座ると、道路向こうに最初に見学したナンディー堂と、その後ろにヴィシュワナータ寺院が見える。日本語メニューがあったので、注文に困ることはなかった。身体に優しそうなチキンスープwithヌードル&ベジ(100ルピー)を頼んだが、非常に量が少ない。。追加注文するか悩んだが、再訪すれば良いのでやめた。


レストランを出た後、すぐ左手(東側)にある考古学博物館(西群の寺院チケットと共通)を見学して、ホテルに戻って少し寝た。


さて「東群の寺院」と「南群の寺院」との見学のためオートリキシャに乗り向かった。10分程で「東群の寺院(ジャイナ寺院群)」に到着した。


最初に、シャーンティナータ寺院を見学する。寺院は、中庭を持つ回廊寺院で、


1028年に造られた本尊の16番目の祖師シャーンティナータ像。15フィート(4.57メートル)の大きさを誇っている。ジャイナ教では、祖師マハーヴィーラに先だって23人の祖師(ティールタンカラ)が世に出たとされる。


こちらの祠には、第1番目の祖師リシャバの父母で、北部の都市アヨーディヤーのナビ王とマルデヴィ妃が祀られている。
ジャイナ教の本尊ティールタンカラは、無所有の教義のため裸形で表される。隣に現代のジャイナ教僧侶の写真が飾られているが若干引く。。。


シャーンティナータ寺院の北東側にはパールシュヴァナータ寺院が建ち、奥にはアーディナータ寺院が建っている。
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彫刻群は神々像の乗る台座の細かい浮彫など、ヒンドゥー寺院以上に精緻に表現されている印象である。エントランス壁面には、裸像のティールタンカラ像が表現されている。


エントランスを入った天井の襞状の彫刻の細かさや、梁などにも多くの浮彫で溢れている。本堂内部には、23番目の祖師パールシュバナータ像が祀られている。


パールシュヴァナータ寺院の基壇から振り返るとシャーンティナータ寺院の塔が望める。


次は1キロメートルほど南に位置する「南群の寺院」のドゥラーデーオ寺院に到着した。清掃が行き届いた広い庭園内に寺院が建っている。お堂に入るとドームのある広い空間になっている


チャンデーラ朝後期の1000年から1150年に建造された。


彫刻群は比較的柔らかく表現されている。特にアプサラスの像が美しい。
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「南群の寺院」は同一エリアにないため、オートリキシャで移動する。次に、すぐ南のカンダール川を渡って、


1.7キロメートルほど南にあるチャトゥルプジャ寺院を見学する。1100年に建造されヴィシュヌ神を祀っている。この寺院は、唯一ミトゥナ像がない寺院である。


堂内に入ると、美しいヴィシュヌ神の像(高さ2.7メートル)が祀られている。周りには人工物も少なく、基壇からは山々も望め気持ち良い


次に「東群の寺院」エリアのヒンドゥ寺院を見学する。ジャイナ寺院群の近くまで戻り、更に北に1.5キロメートル離れたヴァーマナ寺院に到着した。1050~75年頃に建てられたヴァーマナ寺院で、ヴィシュヌ神の第5の化身ヴァーマナを祀っている。本堂内に入ろうとしたが、エントランスに若者がたむろしていたので、入るのをやめ、シカラの周りの彫像のみを見学して次に向かった。


次に、500メートルほど南にあるジャヴァーリ寺院を見学した。こちらは975年から1100年にかけて建造されヴィシュヌ神を祀っている。


ジャヴァーリ寺院の基壇からは、見晴らしが良く放牧の様子などが眺望できる。次のブラフマー寺院は、300メートルほど西に位置しており、近いため歩いてみる。


通りの左側に井戸があったので近づいてみると地元の人が洗濯をしているようだ。長閑な田舎風景だが、周りはゴミだらけなのは困ったものだ。


前方に寺院が見えてきた。どうやらあの寺院で最後になるようだ。ブラフマー寺院は925年と遺跡群の中では初期の建造らしく簡素な造りだ。見学後、再びオートリキシャに乗り、午後2時半にホテルに戻った。


駆け足ではあったが、予定していた遺跡の大半は見学できた。後半は、同じような建造物や彫刻群が続いたので、集中力が疎かになったことは否めない。やはり、あと一日、滞在日を増やして、自転車などレンタルしてのんびり見学するのもよかったかもしれない。ホテルではそんなことを考え、沐浴地を眺めながらビールを飲んだ。その後、眠っていたらしく、気が付いたら周りは暗くなり、夕日を見ることができなかった。。


午後6時過ぎにナイトショーに出かけ、1時間ほどのショーを鑑賞した。思った以上に観客が多かったが、ほとんど地元の人の印象。外国人はほとんど見受けられなかった。


ショーの芸はしょぼいが、一生懸命演じている姿が微笑ましく概ね満足できた。


その後、再び、レストラン(ブルー・スカイ)のテラス席で食事した。しかし午後8時前にも関わらず、他にお客はいなかった。通りの街灯も少なく薄暗いことから寂しい印象だった。

ホテルに帰って湯船に浸かろうと、お湯を入れるものの水しか出ない。スタッフに苦情を言いに行ったが誰もいない。結局、水シャワーを浴びて午後9時過ぎに寝た。翌朝、ニット帽のオートリキシャが迎えに来て、予定通り午前8時55分発(12965Udaipur Khajuraho Exp)の列車に乗ってカジュラーホーを後にした。アーグラ・カント駅には午後6時に到着した。
(2012.12.1~3)
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