ドイツ西南部の森林地帯に端を発するドナウ川は、オーストリアで、リンツ、メルク、ウィーンを経由し、その後、東欧各国を通って黒海に注ぐ全長2,850キロメートルの大河である。
中でも「メルク」から続く約30キロメートル下流までの地域は「ヴァッハウ渓谷」と呼ばれ、ブドウ畑が広がる中に古城や修道院などが点在する景勝地として、ユネスコの世界遺産(ヴァッハウ渓谷の文化的景観)に登録されている。
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※対岸のロッサッツバッハから眺めたデュルンシュタインの様子
では、最初に、そのヴァッハウ渓谷の下流に位置し、最もロマンティックな町と言われる「デュルンシュタイン」に行ってみる。デュルンシュタインは、南西方向から流れてきたドナウ川が大きく右から左へと蛇行する間の左岸にある。なお、ウィーン国際空港からは車で約1時間(100キロメートル)の距離になる。
そのデュルンシュタインの観光は、町の中心部からやや東側(下流側)にある鉄道駅の南側(駐車場も近隣にある)に伸びる大通りからスタートする。途中、自動車道の下をくぐりそのまま進むと、周りをブドウ畑に囲まれた細い上り坂になり、前方に町並みが現れる。
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ブドウ畑の先の丁字路を右折して進むと前方山頂に見えるケーンリンガー城跡に行くことができる。城跡へは急な階段の上りだが30分ほどで到着する。
ケーンリンガー城は、12世紀中頃ケーンリング(Kuenring)家により築かれた城で、第3回十字軍遠征の帰路、イギリス王「リチャード獅子心王」(1157~1199)が、オーストリア公レオポルト5世(?~1194)により幽閉(1192~1193年)されていた城として知られている。
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正面に見える城門をくぐった先がデュルンシュタインの中心部になる。城門は修復されたらしく新しいが、左側には古びた城壁が続いている。城壁は、そのまま、ドナウ川沿いまで100メートルほど繋がっており、その終点は防塁になっている。城門手前に建つ建物はワインショップで、入口には、大きなワイン樽やビンが並んでいる。
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さて、城門を入ると、左右を建物に囲まれた石畳のメインストリート(ハウプト通り)が続き、土産屋などのショップが現れる。
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丁字路角のホイリゲ(ワイン酒場レストラン)アルテス・プレスハウスのテラスは、昼時でもあり込み合っていたが、通りを散策する人はまばらだ。天候の影響もあるのだろう。
そして、そのホイリゲの後方に見える水色の尖塔は、デュルンシュタインのランドマーク「修道院教会」である。
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ホイリゲのハウプト通り向かい側にあるショップでは、デュルンシュタイン名物のアプリコット(ドイツ語でマリレン)のジャムやネクターなどが並べられている。
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ハウプト通りをしばらく歩くと左側の建物が途切れ、草木が覆い茂った崖が続く景色に変わった。右側には建物が続いているが、どうやら町の中心はここまでのようだ。
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建物が途切れた所は駐車場になっており、町側を振り返ると高級感のある門が佇んでいる、ここは1630年にバロック様式で造られたお城をホテルに改修した「ホテル・シュロス」で、夏期にのみの営業(10月下旬から3月下旬は休み)する5つ星のホテルである。
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駐車場横にある「見晴らし台」からはドナウ川を一望できるが、雨の影響からか水が濁っている。前方に見える船は、クレムス発の上りの観光クルーズで、途中、このデュルンシュタインと次のシュピッツを経由して終着点メルクまで約3時間の行程(下りは1時間45分)で航行している。
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対岸には、ロッサッツ(Rossatz)の街並みが見えるが、天気の影響もあり眺めは今一つだ。。
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再びハウプト通りを戻り右側の路地を入ると「修道院教会」の中庭がある。教会は元アウグスチヌス派参事会修道院として1410年に創立、1733年に、J.ムンゲンアストとM.シュタインルにより現在のバロック様式に改築された。繊細な彫刻が施された美しい門は見所の一つである。
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「修道院教会」の周りの細い路地を通って、坂を下って行くと、ドナウ川沿いの通りに出て、少し歩くと城壁の防塁が現れたので、左折して坂を上ると、ハウプト通り入口の城門に戻った。今回は、立ち寄るだけになってしまったが、また機会があれば、ゆっくり滞在してみたい。
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デュルンシュタインから、5キロメートル下流に架かるマウテルナー橋を渡り、回り込むようにしてドナウ川の対岸を上流に向けて進む。このルート近くにある山頂からの眺めが素晴らしい「アックシュタイン城」に寄る予定だったが、雨が降りだしたので諦めて、目的地のメルクまで直接向かうことにした。山の頂に僅かに城壁が見える。
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約1時間ほどで「メルク修道院」の東側に隣接する専用駐車場に到着した。メルク修道院は、ドナウ川(メルク川の合流箇所でもある)沿い南側にある切り立った丘の上に建っている。階段を降りて進んだ、前方の木の向こうに見えるドームを持つ建物がそうである。そして、左下に見える町並みはメルクの中心地で、鉄道駅は300メートルほど南にある。
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丘の上に建つメルク修道院は、最初にオーストリア辺境伯(在位:976~994)となったバーベンベルク家のレオポルト1世がこの地に居城を築いたのが始まりである。その後、1089年に、バーベンベルク家第5代レオポルト2世により、ランバッハ修道院出身のベネディクト会修道士に城の1つが寄進される。そして12世紀にはメルク修道士校が設立され、1702年から1736年にかけて、ヤコブ・プランタウアーにより建てられた、オーストリア・バロックの代表的建築である。
階段を下りた先から修道院入口までは300メートル近く離れている。途中庭園の中程にあるレストランの入口を右側に見ながら進み、最初の鉄扉ゲートを抜けると前方に多くの観光客が集まる広場に至る。次に、左右の稜堡のような建造物に挟まれた門を入ると、左側に建つ建物の1階にチケット・ショップに到着する。
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入場チケットに載っている修道院の地図を見ると、右端の駐車場からレストランのある建物の前を通り、中程のインフォメーション(チケット)まで来たことが分かる。修道院は、東西320メートルもの巨大な建物が65メートルの尖塔をもつ教会堂を取り囲んで建っており、東側には、修道院と同程度の敷地面積を持つ庭園が広がっている。
右側の稜堡のような建造物は展望台で、その展望台から修道院の方角を眺めると、重厚感のある建物が目の前に広がっている。地図(地図の②からの様子)を見ると、修道院の大きな中庭を形成する一番東側の棟であることが分かる。
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視線を右側(北側)に移すと、庭園が広がっており、ガーデン・パビリオンが一番奥に建っている。修道士や客人のための会合や祭事などに使われているそうだ。そのパビリオンの向こうからはドナウ川対岸のエンマースドルフ・アン・デア・ドナウの街並みが望める。
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さて、チケットを購入(11ユーロ)して、正面の建物を抜け中庭に入って見る。周りの建物の側面は、白とクリーム色とのストライプで統一されており、建物の奥に、教会堂のドームが見えている。
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長く伸びる回廊を抜けると一番西側は半円状のバルコニーになっている。
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そのバルコニーからは、メルクの町が一望できる。中程に尖塔のある「教区教会」が建ち、その右側の東西に伸びる通りが町の中心地「ハウプト広場」である。そして広場の右端の建物を挟んで通りは左右に伸びて、
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それぞれの通りはメルク川沿いの大通り(1号線)と交差している。メルク川はドナウ川の支流で、更に右側を覗き込むと、メルク川が、ドナウ川に合流する様子が見える。
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バルコニー中央から修道院側に振り返ると、左右対称の尖塔が並ぶ教会堂のファサードを正面に見ることができる。この教会堂は、中央上部にキリストが十字架を持って立ち、その下には聖ペテロと聖パウロ(改修中で見えないが。。)が立っていることから「ペテロ・パウロ教会」とも呼ばれている。
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さらに視線を左側に移すと「図書館棟」がある。図書館内の書庫は16種類に分けられ2階建ての構造となっている。メルク修道院の蔵書は10万冊以上あるが、図書館には1万6千冊が保管されている。なお、内部の写真撮影は不可なので、ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)から画像をお借りした。図書館内の前後の出入り口には、医学、哲学、法学、神学を表す黄金像が2体ずつ置かれ、中央には、地球儀や天球儀が置かれている。天井のフレスコ画はパウル・トローガーの手によるもの。
そして、ペテロ・パウロ教会内は、素晴らしいバロック空間が広がっている。主祭壇中央には聖ペテロと聖パウロが手を取り合っている姿があり、その頭上には大きな王冠が飾られている。天井フレスコ画は、ミヒャエルロットマイヤーの手によるもので、中央天井の美しく装飾された巨大なドームからは、明るい光が差し込んで荘厳な雰囲気を感じさせる。
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修道院の東側にある大きな公園を散策して、メルク修道院を後にした。最後に、修道院のすぐ北沿いを通る道路(1号線)から修道院を見上げると、切り立った巨大な岩山の上に建っている。まさに難攻不落の要塞といった印象だ。
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ドナウ川を渡り、対岸のエンマースドルフ・アン・デア・ドナウのドナウ川沿いからメルク修道院を眺めてみると、美しい教会堂のドームや尖塔を望むことができるが少し遠い。クルーズ船からの眺めは良いかもしれない。
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次に、エンマースドルフ・アン・デア・ドナウからドナウ川に沿って、15キロメートル上流に行った高台(標高400~440メートル)の村、マリア・ターファール(Maria Taferl)に向かう。
30分ほどで、マリア・ターファールに到着した。今夜は、村の目抜き通り沿いにある、プチホテル「ハウス・レジーナ」に宿泊する。一部行程を割愛したこともあり、予定より早い午後7時に到着した。
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夕食は、ホテルから100メートルほどの距離にあるホテル・シャヒナー(Schachner)のレストランを午後8時に予約している。部屋から通りを眺めると、坂の上に見える教会の辺りだろう。
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坂を上ったところにある村の教会は「マリア・ターファール大聖堂」で、1660年から1710年にバロック様式で建てられた。ドームは、メルク修道院の外観を設計したヤコブ・プランタウアーによるもので、多くの金箔と美しいフレスコ画の天井で飾られている。祭壇中央の光輪の奥には金色に輝く聖母像が祀られている。小さな村にこの様なりっぱな教会が建っているのには驚かされた。教会は、長年改修が続けられてきたが2010年に全改修を終えたとのこと。
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教会の場所が町では一番標高が高い。緑の広がる丘陵地にドナウ川が蛇行して流れる様子を見下ろすことができる。すっかり天気も回復して美しい姿を見せている。
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教会から少し戻った右側にホテル シャヒナー(Schachner)の入口がある。レストランは入口扉を入ったすぐ右前方にある。
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レストランはシックな雰囲気で、テーブルは、窓際、中央、壁側の3列で17組ほどが座れる広さがある。なお、予約時間は午後8時だったが30分早くなってしまった。まだ時間が早いのか他に先客はいなかった。
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もちろん、窓際のテーブルからは、ドナウ川を眺めることが出来る。
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メニューを見るとアラカルトが中心だが、当日は「夏のメニュー」と名付けられた、前菜、スープ、メイン、デザートの4コース44.90ユーロと、3コース38.50ユーロの2種類のコース・メニューがあったので、3コースを選択した。まず前菜の「Softly smoked bio alpine salmon」。
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次に、3コースのメインの「back and haunch of roebuck from the Waldviertel celeru,semolina,chili medlar」。
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こちらは、アラカルトから、「Spicy "Beef Tartare"」(12.90ユーロ)、と「Roasted filet of pikeperch(caught by the angler)on risotto and crayfish foam」(23.50ユーロ)。最後に3コースのデザートの「valrhona chocolate blueberry,kaffir-lime」。
新鮮な食材に洗練された味付けで、正直言って、オーストリアのレストランで頂いているとは思えない(すみません)ほどの美味であった。
ホテルには、テラスがあったが、客は誰もいなかった。朝食用のレストランなのか、単に誰も利用していないだけなのかはよくわからない。。午後9時を過ぎ薄暗くなってきたが、まだドナウ川は見える。
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翌朝、2階の部屋の窓から外を眺めると雲海が見えた。この辺りは小高い山の頂部に位置することから、北側の谷間に雲海が発生するのだろう。ともかく今日は天気が良さそうでありがたい。急ぎ、1階の可愛いレストランで朝食を食べて、東に6キロメートルほど行ったアルトシュテッテン(Artstetten)に向かった。
アルトシュテッテンは、マリア・ターファールと同じくドナウ川のすぐ北側の丘陵地に位置しており、坂道に何件かの住宅が立ち並ぶ程度の小さな村だが、その高台に小ぶりな「アルトシュテッテン城」が建っている。城は1560年から1592年にかけてルネサンス様式で建てられたもので、1914年、サラエボ事件(第一次世界大戦の引き金ともなった)で暗殺されたオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻の居城として知られている。
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なお、夫妻は貴賤結婚であったことから、ウィーンにあるハプスブルク家のカプツィーナー納骨堂には埋葬されず、このアルトシュテッテン城の納骨堂に埋葬された。現在、フェルディナント大公の直系子孫のホーエンベルク家が所有しており博物館として公開している。
さて、次に、アルトシュテッテン村から坂を下り、ドナウ川を渡ったペヒラルン(Pöchlarn)村から90キロメートル上流(西側)に位置する都市リンツに向かう。
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リンツには、1時間ほどの午前10時に到着した。リンツは、ウィーン、グラーツに続くオーストリア第3の都市で、オーバーエスターライヒ州の州都である。最初にリンツの中心地、ハウプト広場にやってきた。ドナウ川からは南に150メートルほど離れた場所になる。
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ハウプト広場の歴史は古く1230年頃に造られたという。面積は13,200平方メートルとヨーロッパでも最大の面積を持つ広場である。広場中央には、白大理石の三位一体の柱が立っている。柱は高さは20メートルあり、18世紀初頭のトルコ軍との戦いや大火、ペストの収束などを記念して1723年に建てられた。
第3の都市と言うものの、広場には、人通りが少なく感じられる。広場の東南側には、リンツ・シティ・エクスプレスと名付けられた、SL型の乗り物が停まっていた。1時間毎に4人以上の集客で運行され25分間で市内名所を周遊するとのことだが、辺りに観光客はいない。。
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SL型の乗り物の後に建つ建物の左側の路地に入るとすぐに「旧大聖堂(聖イグナチウス教会)」が聳えている。1678年にバロック様式で建てられたリンツを代表する聖堂だが、道路幅の狭い裏路地に建っていることから、寂しい雰囲気である。聖堂上部を見たいが路地からは建物が近すぎて良く見えない。
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聖堂内は、白を基調に大理石の柱やスタッコ飾りや多くの彫像が飾られ荘厳な雰囲気であり、リンツを代表する聖堂であることが頷ける。
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聖廊の上部には、ブルックナー・オルガンと名付けられた巨大なパイプオルガンが設置されている。1768年から1770年にスロベニア出身のフランツ・クリスマンによって造られ別の教会に設置されていたが、1795年にこの場所に移管されたという。その後、改修工事などを経て一部改造されたが、音楽家アントン・ブルックナーがオルガン奏者となった1856年から1868年までに、彼のリクエストにより次々と改造され現在に至っている。
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次に、ハウプト広場の南端から路地を西に向かった。150メートルほど進んだ左側に彫刻や紋章で飾られた門がある。現在はオーバーエスターライヒ州の州庁舎の北門だが、かつて、リンツ大学として利用されていた際、天文学者のヨハネス・ケプラーが講義を行い、惑星の軌道が楕円であることを発表したことで知られている。なお、門に隣接する左側の建物はミノリーテン教会である。
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その北門をくぐると、ルネサンス様式の中庭が現れる。
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中庭の中央には、天文学者ヨハネス・ケプラーの偉業をたたえた噴水(惑星の泉)が飾られている。
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そして、こちらは州庁舎の南門から見た様子で、州庁舎広場にある正面側になる。建物に向かって広場右側には、オーストリアを代表する作家の一人アーダルベルト・シュティフター(1805~1868)の像が設置されている。彼はボヘミア生まれでウィーンで活躍していたが、晩年は、リンツで小学校視学官の任につき基礎教育の発展に寄与した。作品には「晩夏」や「ヴィティコ」などがある。
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次に、ハウプト広場からは南西部に1.5キロメートルほど離れた場所に建つ「新大聖堂(聖マリア教会)」に向かう。
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新大聖堂は1862年から1924年にかけてリンツ司教フランツ・ヨーゼフ・リューディガーにより建てられたネオゴシック様式の聖堂である。建設当時、ウィーンにあるシュテファン寺院より高い建物は許可されなかったことから、約2メートル低い134.69メートルとなったという。尖塔は北側に聳え、十字のバジリカ型で東西に大きな翼廊がある。東翼廊が出入り口になり、まわりは広場になっており、特設のステージが設置されている。広場の南側には、レストランがある。評判の良いレストランだが、この後の予定があり食事時間がない。。
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聖堂内は広い。南北の身廊は100メートルはあるのではないだろうか。天井のヴォールトも驚くほど高い。聖堂を支える柱は54本あり、巨木の様に並んでいる。
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最大の見所は、ステンドグラスで、主祭壇はもちろんのこと東西の側廊と身廊の上部を含めて142か所ある。聖書の場面、新聖堂の縁起や、幾何学模様のもの等が表現されている。
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そして、身廊の北側には、1968年にデンマークのワークショップで作られた巨大なパイプ・オルガンが設置されている。さらさらっと、見学した後、聖堂の東側通りにあったデリカショップで昼ごはんをテイクアウトして、次に、リンツから南に15キロメートル離れたザンクト・フローリアン修道院に向かった。
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1時間弱でザンクト・フローリアンの町の中心地に到着した。目的地の修道院は、中心地からすぐ北西側の小高い丘の上に位置している。ザンクトとは「聖なる」を表すことから、「聖フローリアン(フロリアヌス)を奉る修道院」と言う意味だが、現在では、19世紀後半のオーストリアを代表する作曲家アントン・ブルックナーのゆかりの修道院として世界中に知られている。
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学校長兼オルガン奏者を父に持つブルックナーは、1824年9月4日、リンツにほど近いアンスフェルデン村に生まれた。彼は、幼少期から音楽的才能を示し、10歳にして父に代わって教会でオルガンを弾くほどであったという。12歳で父を亡くしたブルックナーは、このザンクト・フローリアン修道院の聖歌隊に入り、その後12年間に亘りオルガニストを務めた。この地を離れた彼は、リンツ大聖堂のオルガニストやウィーンの宮廷オルガニストを歴任する一方、生涯を通じて自分の深い信仰心を宗教音楽に注ぎ、交響曲、教会音楽、世俗合唱曲などを作曲した。
遺言により、彼の遺骸は、音楽家としての人生を大きく飛躍させてくれたこの修道院の下に眠っている。また、ブルックナーゆかりのオルガンコンサートも開催され、多くのファンがこの地を訪れる。
南西側にある正面入口門を入ると、この壮麗で華麗な「ザンクト・フローリアン修道院」の姿が望める。修道院は、アウグスチヌス派参事会修道院として、1071年に創立されたが、現在のバロック建築の建物は、C.A.カルローネとJ.プランタウアーによるもので、1751年に建造されたもの。建物の奥(北西)に見える塔が教会堂(ファサード側)である。
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ところで、この日は、町の中心地からは北に伸びる「アントン・ブルックナー交響曲の散歩道」の案内に沿って、途中トンネル階段を上り、教会堂の北東側から入り、墓地を抜け西側にあるファサードを回り込むルートで向かったが、時間的には南側からの車道を上って正面入口門から入る方が早い。
見学はガイド・ツアー(11時、13時、15時(9.5ユーロ、見学時間は約1時間)でのみ可能なことから、13時の回に参加することにしたが、ぎりぎりの到着であった。ガイド・ツアーの集合場所は、南北に伸びる建物の中央尖塔下にある彫像が並ぶ門をくぐった中庭(中央に噴水がある)になる。参加者は20人ほどだ。
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ツアーは修道院図書館から見学する。バロック様式で装飾された図書館には、中世の写本や初期の版画14万点もの書物が保管されている。メルク修道院の図書館と比べても遜色ない豪華さだ。天井画は、画家バルトロメオ・アルトモンテ(Bartolomeo Altomonte)の手によるもの。
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こちらのホールは、大理石の間(マーブルホール)で、バロック時代の最も美しいホールの一つ。天井画は、図書館の天井画と同じバルトロメオ・アルトモンテによる作品で、デザインは大トルコ戦争(オーストリア大公国を中心とした神聖同盟とオスマン帝国の戦争、1683~1699)の勝者として、平和の新たな時代への希望を表している。この日は、披露宴でも行われるのか、ホールにはテーブルクロスがかけられた多くのテーブルが並べられていた。
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回廊は、ギャラリーになっている。こちらには、ザンクト・フローリアン修道院の名前の由来ともなった、聖フロリアヌスの像が展示されている。フロリアヌスは、左手には旗を、右手には桶を持ち、家に水をかける姿で表される。他にも、石の彫刻バージョン(旗は失われている。)や木彫りのバージョンなどが展示されている。もともと水の入った桶は溺死を象徴していたが、時代の経過とともに家を追加することで消防の象徴(守護聖人)となったとされる。
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聖フロリアヌスは、ローマ帝国時代ディオクレティアヌス皇帝によるキリスト教弾圧(303年)の際に殉教したと伝えられている。
フロリアヌスは、引退した弁護士だったが、ローリアクム(現エンス。リンツから東へ20キロメートルに位置する古都)で40人のキリスト教信者が投獄されたため、助けるために訪れるが、彼自身が信者であることがわかり死刑を宣告される。そして殴打され、首に石を巻きつけ川に投げられたとされる。
その後、聖フロリアヌスの亡骸は、この場所に葬られ、ザンクト・フローリアン修道院が設立されたという。こちらには、聖フロリアヌスの殉教の様子を描いた、アルブレヒト・アルトドルファー(1480年頃~1538)の絵画のコピーが展示されている。
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アルブレヒト・アルトドルファーは、ドイツ・ドナウ派の代表的画家で純粋な風景画を描いた最初期の画家で、こちらには、本人の真筆(1518年)の祭壇画が展示されている。ギャラリーでは一番の見所で合計12点が展示されている。
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左上から、オリーヴ山上のキリスト、キリストの捕縛、カイアファの前に立つキリスト、キリストの鞭打ちで、左下から茨の冠、ピラトの手洗い、ゴルゴタの丘への行進、キリストの磔刑と聖書の場面が並んでいる。
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次に、修道院の最も北側に位置する教会堂を見学する。20メートルある主祭壇は、ザルツブルク近郊で産出する赤いウンタースベルグ石灰岩で作られている。磨くと大理石の様な輝きが出るのが特徴でオーストリアの建築物では多く使用されている。
祭壇画はジュゼッペ・ゲッツィによる聖母の被昇天で、天井のフレスコ画は、ミュンヘンの宮廷画家アントン・ガンプと彼の弟子メルヒオール・シュタインドルの手によるもの。右側のドームには聖母の戴冠が、左側には、聖フロリアヌスの生涯が描かれている。
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左右にある2つの聖歌隊席と屋台は、リンツの彫刻家アダム・フランツとボズナー・ヤコブ・アウアー(1702年)の共同作品で、楽器を持つ小さな天使たちが可愛い作品。上には、小型の据え置き型のポジティフ・オルガンが設置されている。
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パイプオルガンは、1770年から1774年の間にスロベニアのオルガン製作者フランツ・クサーヴァー・クリスマン(Franz Xaver Krismann)によって作られたもので、103の音栓と7386のパイプを持つオーストリア最大級のオルガンの一つ。1848年から12年間オルガニストを務めたブルックナーに因んでブルックナー・オルガンと呼ばれている。
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最後にブルックナーの眠る地下のクリプトの見学に行く。
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ブルックナーの名前と亡くなった年の"1892"の文字が刻まれた台座の上に、豪華な石棺が納められている。このお棺が置かれた場所がパイプオルガンのちょうど真下になるらしい。鉄柵の背後には、13世紀からの教会信者6000人ほどの頭蓋骨が並べられている。写真を撮ることに若干躊躇していると、ツアー参加者が入れ代わり立ち代わり記念撮影を始めた。。
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(2018.7.11~12)
中でも「メルク」から続く約30キロメートル下流までの地域は「ヴァッハウ渓谷」と呼ばれ、ブドウ畑が広がる中に古城や修道院などが点在する景勝地として、ユネスコの世界遺産(ヴァッハウ渓谷の文化的景観)に登録されている。
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※対岸のロッサッツバッハから眺めたデュルンシュタインの様子
では、最初に、そのヴァッハウ渓谷の下流に位置し、最もロマンティックな町と言われる「デュルンシュタイン」に行ってみる。デュルンシュタインは、南西方向から流れてきたドナウ川が大きく右から左へと蛇行する間の左岸にある。なお、ウィーン国際空港からは車で約1時間(100キロメートル)の距離になる。
そのデュルンシュタインの観光は、町の中心部からやや東側(下流側)にある鉄道駅の南側(駐車場も近隣にある)に伸びる大通りからスタートする。途中、自動車道の下をくぐりそのまま進むと、周りをブドウ畑に囲まれた細い上り坂になり、前方に町並みが現れる。
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ブドウ畑の先の丁字路を右折して進むと前方山頂に見えるケーンリンガー城跡に行くことができる。城跡へは急な階段の上りだが30分ほどで到着する。
ケーンリンガー城は、12世紀中頃ケーンリング(Kuenring)家により築かれた城で、第3回十字軍遠征の帰路、イギリス王「リチャード獅子心王」(1157~1199)が、オーストリア公レオポルト5世(?~1194)により幽閉(1192~1193年)されていた城として知られている。
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正面に見える城門をくぐった先がデュルンシュタインの中心部になる。城門は修復されたらしく新しいが、左側には古びた城壁が続いている。城壁は、そのまま、ドナウ川沿いまで100メートルほど繋がっており、その終点は防塁になっている。城門手前に建つ建物はワインショップで、入口には、大きなワイン樽やビンが並んでいる。
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さて、城門を入ると、左右を建物に囲まれた石畳のメインストリート(ハウプト通り)が続き、土産屋などのショップが現れる。
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丁字路角のホイリゲ(ワイン酒場レストラン)アルテス・プレスハウスのテラスは、昼時でもあり込み合っていたが、通りを散策する人はまばらだ。天候の影響もあるのだろう。
そして、そのホイリゲの後方に見える水色の尖塔は、デュルンシュタインのランドマーク「修道院教会」である。
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ホイリゲのハウプト通り向かい側にあるショップでは、デュルンシュタイン名物のアプリコット(ドイツ語でマリレン)のジャムやネクターなどが並べられている。
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ハウプト通りをしばらく歩くと左側の建物が途切れ、草木が覆い茂った崖が続く景色に変わった。右側には建物が続いているが、どうやら町の中心はここまでのようだ。
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建物が途切れた所は駐車場になっており、町側を振り返ると高級感のある門が佇んでいる、ここは1630年にバロック様式で造られたお城をホテルに改修した「ホテル・シュロス」で、夏期にのみの営業(10月下旬から3月下旬は休み)する5つ星のホテルである。
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駐車場横にある「見晴らし台」からはドナウ川を一望できるが、雨の影響からか水が濁っている。前方に見える船は、クレムス発の上りの観光クルーズで、途中、このデュルンシュタインと次のシュピッツを経由して終着点メルクまで約3時間の行程(下りは1時間45分)で航行している。
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対岸には、ロッサッツ(Rossatz)の街並みが見えるが、天気の影響もあり眺めは今一つだ。。
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再びハウプト通りを戻り右側の路地を入ると「修道院教会」の中庭がある。教会は元アウグスチヌス派参事会修道院として1410年に創立、1733年に、J.ムンゲンアストとM.シュタインルにより現在のバロック様式に改築された。繊細な彫刻が施された美しい門は見所の一つである。
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「修道院教会」の周りの細い路地を通って、坂を下って行くと、ドナウ川沿いの通りに出て、少し歩くと城壁の防塁が現れたので、左折して坂を上ると、ハウプト通り入口の城門に戻った。今回は、立ち寄るだけになってしまったが、また機会があれば、ゆっくり滞在してみたい。
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デュルンシュタインから、5キロメートル下流に架かるマウテルナー橋を渡り、回り込むようにしてドナウ川の対岸を上流に向けて進む。このルート近くにある山頂からの眺めが素晴らしい「アックシュタイン城」に寄る予定だったが、雨が降りだしたので諦めて、目的地のメルクまで直接向かうことにした。山の頂に僅かに城壁が見える。
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約1時間ほどで「メルク修道院」の東側に隣接する専用駐車場に到着した。メルク修道院は、ドナウ川(メルク川の合流箇所でもある)沿い南側にある切り立った丘の上に建っている。階段を降りて進んだ、前方の木の向こうに見えるドームを持つ建物がそうである。そして、左下に見える町並みはメルクの中心地で、鉄道駅は300メートルほど南にある。
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丘の上に建つメルク修道院は、最初にオーストリア辺境伯(在位:976~994)となったバーベンベルク家のレオポルト1世がこの地に居城を築いたのが始まりである。その後、1089年に、バーベンベルク家第5代レオポルト2世により、ランバッハ修道院出身のベネディクト会修道士に城の1つが寄進される。そして12世紀にはメルク修道士校が設立され、1702年から1736年にかけて、ヤコブ・プランタウアーにより建てられた、オーストリア・バロックの代表的建築である。
階段を下りた先から修道院入口までは300メートル近く離れている。途中庭園の中程にあるレストランの入口を右側に見ながら進み、最初の鉄扉ゲートを抜けると前方に多くの観光客が集まる広場に至る。次に、左右の稜堡のような建造物に挟まれた門を入ると、左側に建つ建物の1階にチケット・ショップに到着する。
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入場チケットに載っている修道院の地図を見ると、右端の駐車場からレストランのある建物の前を通り、中程のインフォメーション(チケット)まで来たことが分かる。修道院は、東西320メートルもの巨大な建物が65メートルの尖塔をもつ教会堂を取り囲んで建っており、東側には、修道院と同程度の敷地面積を持つ庭園が広がっている。
右側の稜堡のような建造物は展望台で、その展望台から修道院の方角を眺めると、重厚感のある建物が目の前に広がっている。地図(地図の②からの様子)を見ると、修道院の大きな中庭を形成する一番東側の棟であることが分かる。
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視線を右側(北側)に移すと、庭園が広がっており、ガーデン・パビリオンが一番奥に建っている。修道士や客人のための会合や祭事などに使われているそうだ。そのパビリオンの向こうからはドナウ川対岸のエンマースドルフ・アン・デア・ドナウの街並みが望める。
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さて、チケットを購入(11ユーロ)して、正面の建物を抜け中庭に入って見る。周りの建物の側面は、白とクリーム色とのストライプで統一されており、建物の奥に、教会堂のドームが見えている。
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長く伸びる回廊を抜けると一番西側は半円状のバルコニーになっている。
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そのバルコニーからは、メルクの町が一望できる。中程に尖塔のある「教区教会」が建ち、その右側の東西に伸びる通りが町の中心地「ハウプト広場」である。そして広場の右端の建物を挟んで通りは左右に伸びて、
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それぞれの通りはメルク川沿いの大通り(1号線)と交差している。メルク川はドナウ川の支流で、更に右側を覗き込むと、メルク川が、ドナウ川に合流する様子が見える。
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バルコニー中央から修道院側に振り返ると、左右対称の尖塔が並ぶ教会堂のファサードを正面に見ることができる。この教会堂は、中央上部にキリストが十字架を持って立ち、その下には聖ペテロと聖パウロ(改修中で見えないが。。)が立っていることから「ペテロ・パウロ教会」とも呼ばれている。
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さらに視線を左側に移すと「図書館棟」がある。図書館内の書庫は16種類に分けられ2階建ての構造となっている。メルク修道院の蔵書は10万冊以上あるが、図書館には1万6千冊が保管されている。なお、内部の写真撮影は不可なので、ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)から画像をお借りした。図書館内の前後の出入り口には、医学、哲学、法学、神学を表す黄金像が2体ずつ置かれ、中央には、地球儀や天球儀が置かれている。天井のフレスコ画はパウル・トローガーの手によるもの。
そして、ペテロ・パウロ教会内は、素晴らしいバロック空間が広がっている。主祭壇中央には聖ペテロと聖パウロが手を取り合っている姿があり、その頭上には大きな王冠が飾られている。天井フレスコ画は、ミヒャエルロットマイヤーの手によるもので、中央天井の美しく装飾された巨大なドームからは、明るい光が差し込んで荘厳な雰囲気を感じさせる。
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修道院の東側にある大きな公園を散策して、メルク修道院を後にした。最後に、修道院のすぐ北沿いを通る道路(1号線)から修道院を見上げると、切り立った巨大な岩山の上に建っている。まさに難攻不落の要塞といった印象だ。
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ドナウ川を渡り、対岸のエンマースドルフ・アン・デア・ドナウのドナウ川沿いからメルク修道院を眺めてみると、美しい教会堂のドームや尖塔を望むことができるが少し遠い。クルーズ船からの眺めは良いかもしれない。
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次に、エンマースドルフ・アン・デア・ドナウからドナウ川に沿って、15キロメートル上流に行った高台(標高400~440メートル)の村、マリア・ターファール(Maria Taferl)に向かう。
30分ほどで、マリア・ターファールに到着した。今夜は、村の目抜き通り沿いにある、プチホテル「ハウス・レジーナ」に宿泊する。一部行程を割愛したこともあり、予定より早い午後7時に到着した。
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夕食は、ホテルから100メートルほどの距離にあるホテル・シャヒナー(Schachner)のレストランを午後8時に予約している。部屋から通りを眺めると、坂の上に見える教会の辺りだろう。
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坂を上ったところにある村の教会は「マリア・ターファール大聖堂」で、1660年から1710年にバロック様式で建てられた。ドームは、メルク修道院の外観を設計したヤコブ・プランタウアーによるもので、多くの金箔と美しいフレスコ画の天井で飾られている。祭壇中央の光輪の奥には金色に輝く聖母像が祀られている。小さな村にこの様なりっぱな教会が建っているのには驚かされた。教会は、長年改修が続けられてきたが2010年に全改修を終えたとのこと。
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教会の場所が町では一番標高が高い。緑の広がる丘陵地にドナウ川が蛇行して流れる様子を見下ろすことができる。すっかり天気も回復して美しい姿を見せている。
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教会から少し戻った右側にホテル シャヒナー(Schachner)の入口がある。レストランは入口扉を入ったすぐ右前方にある。
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レストランはシックな雰囲気で、テーブルは、窓際、中央、壁側の3列で17組ほどが座れる広さがある。なお、予約時間は午後8時だったが30分早くなってしまった。まだ時間が早いのか他に先客はいなかった。
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もちろん、窓際のテーブルからは、ドナウ川を眺めることが出来る。
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メニューを見るとアラカルトが中心だが、当日は「夏のメニュー」と名付けられた、前菜、スープ、メイン、デザートの4コース44.90ユーロと、3コース38.50ユーロの2種類のコース・メニューがあったので、3コースを選択した。まず前菜の「Softly smoked bio alpine salmon」。
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次に、3コースのメインの「back and haunch of roebuck from the Waldviertel celeru,semolina,chili medlar」。
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こちらは、アラカルトから、「Spicy "Beef Tartare"」(12.90ユーロ)、と「Roasted filet of pikeperch(caught by the angler)on risotto and crayfish foam」(23.50ユーロ)。最後に3コースのデザートの「valrhona chocolate blueberry,kaffir-lime」。
新鮮な食材に洗練された味付けで、正直言って、オーストリアのレストランで頂いているとは思えない(すみません)ほどの美味であった。
ホテルには、テラスがあったが、客は誰もいなかった。朝食用のレストランなのか、単に誰も利用していないだけなのかはよくわからない。。午後9時を過ぎ薄暗くなってきたが、まだドナウ川は見える。
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翌朝、2階の部屋の窓から外を眺めると雲海が見えた。この辺りは小高い山の頂部に位置することから、北側の谷間に雲海が発生するのだろう。ともかく今日は天気が良さそうでありがたい。急ぎ、1階の可愛いレストランで朝食を食べて、東に6キロメートルほど行ったアルトシュテッテン(Artstetten)に向かった。
アルトシュテッテンは、マリア・ターファールと同じくドナウ川のすぐ北側の丘陵地に位置しており、坂道に何件かの住宅が立ち並ぶ程度の小さな村だが、その高台に小ぶりな「アルトシュテッテン城」が建っている。城は1560年から1592年にかけてルネサンス様式で建てられたもので、1914年、サラエボ事件(第一次世界大戦の引き金ともなった)で暗殺されたオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻の居城として知られている。
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なお、夫妻は貴賤結婚であったことから、ウィーンにあるハプスブルク家のカプツィーナー納骨堂には埋葬されず、このアルトシュテッテン城の納骨堂に埋葬された。現在、フェルディナント大公の直系子孫のホーエンベルク家が所有しており博物館として公開している。
さて、次に、アルトシュテッテン村から坂を下り、ドナウ川を渡ったペヒラルン(Pöchlarn)村から90キロメートル上流(西側)に位置する都市リンツに向かう。
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リンツには、1時間ほどの午前10時に到着した。リンツは、ウィーン、グラーツに続くオーストリア第3の都市で、オーバーエスターライヒ州の州都である。最初にリンツの中心地、ハウプト広場にやってきた。ドナウ川からは南に150メートルほど離れた場所になる。
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ハウプト広場の歴史は古く1230年頃に造られたという。面積は13,200平方メートルとヨーロッパでも最大の面積を持つ広場である。広場中央には、白大理石の三位一体の柱が立っている。柱は高さは20メートルあり、18世紀初頭のトルコ軍との戦いや大火、ペストの収束などを記念して1723年に建てられた。
第3の都市と言うものの、広場には、人通りが少なく感じられる。広場の東南側には、リンツ・シティ・エクスプレスと名付けられた、SL型の乗り物が停まっていた。1時間毎に4人以上の集客で運行され25分間で市内名所を周遊するとのことだが、辺りに観光客はいない。。
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SL型の乗り物の後に建つ建物の左側の路地に入るとすぐに「旧大聖堂(聖イグナチウス教会)」が聳えている。1678年にバロック様式で建てられたリンツを代表する聖堂だが、道路幅の狭い裏路地に建っていることから、寂しい雰囲気である。聖堂上部を見たいが路地からは建物が近すぎて良く見えない。
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聖堂内は、白を基調に大理石の柱やスタッコ飾りや多くの彫像が飾られ荘厳な雰囲気であり、リンツを代表する聖堂であることが頷ける。
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聖廊の上部には、ブルックナー・オルガンと名付けられた巨大なパイプオルガンが設置されている。1768年から1770年にスロベニア出身のフランツ・クリスマンによって造られ別の教会に設置されていたが、1795年にこの場所に移管されたという。その後、改修工事などを経て一部改造されたが、音楽家アントン・ブルックナーがオルガン奏者となった1856年から1868年までに、彼のリクエストにより次々と改造され現在に至っている。
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次に、ハウプト広場の南端から路地を西に向かった。150メートルほど進んだ左側に彫刻や紋章で飾られた門がある。現在はオーバーエスターライヒ州の州庁舎の北門だが、かつて、リンツ大学として利用されていた際、天文学者のヨハネス・ケプラーが講義を行い、惑星の軌道が楕円であることを発表したことで知られている。なお、門に隣接する左側の建物はミノリーテン教会である。
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その北門をくぐると、ルネサンス様式の中庭が現れる。
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中庭の中央には、天文学者ヨハネス・ケプラーの偉業をたたえた噴水(惑星の泉)が飾られている。
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そして、こちらは州庁舎の南門から見た様子で、州庁舎広場にある正面側になる。建物に向かって広場右側には、オーストリアを代表する作家の一人アーダルベルト・シュティフター(1805~1868)の像が設置されている。彼はボヘミア生まれでウィーンで活躍していたが、晩年は、リンツで小学校視学官の任につき基礎教育の発展に寄与した。作品には「晩夏」や「ヴィティコ」などがある。
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次に、ハウプト広場からは南西部に1.5キロメートルほど離れた場所に建つ「新大聖堂(聖マリア教会)」に向かう。
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新大聖堂は1862年から1924年にかけてリンツ司教フランツ・ヨーゼフ・リューディガーにより建てられたネオゴシック様式の聖堂である。建設当時、ウィーンにあるシュテファン寺院より高い建物は許可されなかったことから、約2メートル低い134.69メートルとなったという。尖塔は北側に聳え、十字のバジリカ型で東西に大きな翼廊がある。東翼廊が出入り口になり、まわりは広場になっており、特設のステージが設置されている。広場の南側には、レストランがある。評判の良いレストランだが、この後の予定があり食事時間がない。。
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聖堂内は広い。南北の身廊は100メートルはあるのではないだろうか。天井のヴォールトも驚くほど高い。聖堂を支える柱は54本あり、巨木の様に並んでいる。
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最大の見所は、ステンドグラスで、主祭壇はもちろんのこと東西の側廊と身廊の上部を含めて142か所ある。聖書の場面、新聖堂の縁起や、幾何学模様のもの等が表現されている。
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そして、身廊の北側には、1968年にデンマークのワークショップで作られた巨大なパイプ・オルガンが設置されている。さらさらっと、見学した後、聖堂の東側通りにあったデリカショップで昼ごはんをテイクアウトして、次に、リンツから南に15キロメートル離れたザンクト・フローリアン修道院に向かった。
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1時間弱でザンクト・フローリアンの町の中心地に到着した。目的地の修道院は、中心地からすぐ北西側の小高い丘の上に位置している。ザンクトとは「聖なる」を表すことから、「聖フローリアン(フロリアヌス)を奉る修道院」と言う意味だが、現在では、19世紀後半のオーストリアを代表する作曲家アントン・ブルックナーのゆかりの修道院として世界中に知られている。
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学校長兼オルガン奏者を父に持つブルックナーは、1824年9月4日、リンツにほど近いアンスフェルデン村に生まれた。彼は、幼少期から音楽的才能を示し、10歳にして父に代わって教会でオルガンを弾くほどであったという。12歳で父を亡くしたブルックナーは、このザンクト・フローリアン修道院の聖歌隊に入り、その後12年間に亘りオルガニストを務めた。この地を離れた彼は、リンツ大聖堂のオルガニストやウィーンの宮廷オルガニストを歴任する一方、生涯を通じて自分の深い信仰心を宗教音楽に注ぎ、交響曲、教会音楽、世俗合唱曲などを作曲した。
遺言により、彼の遺骸は、音楽家としての人生を大きく飛躍させてくれたこの修道院の下に眠っている。また、ブルックナーゆかりのオルガンコンサートも開催され、多くのファンがこの地を訪れる。
南西側にある正面入口門を入ると、この壮麗で華麗な「ザンクト・フローリアン修道院」の姿が望める。修道院は、アウグスチヌス派参事会修道院として、1071年に創立されたが、現在のバロック建築の建物は、C.A.カルローネとJ.プランタウアーによるもので、1751年に建造されたもの。建物の奥(北西)に見える塔が教会堂(ファサード側)である。
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ところで、この日は、町の中心地からは北に伸びる「アントン・ブルックナー交響曲の散歩道」の案内に沿って、途中トンネル階段を上り、教会堂の北東側から入り、墓地を抜け西側にあるファサードを回り込むルートで向かったが、時間的には南側からの車道を上って正面入口門から入る方が早い。
見学はガイド・ツアー(11時、13時、15時(9.5ユーロ、見学時間は約1時間)でのみ可能なことから、13時の回に参加することにしたが、ぎりぎりの到着であった。ガイド・ツアーの集合場所は、南北に伸びる建物の中央尖塔下にある彫像が並ぶ門をくぐった中庭(中央に噴水がある)になる。参加者は20人ほどだ。
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ツアーは修道院図書館から見学する。バロック様式で装飾された図書館には、中世の写本や初期の版画14万点もの書物が保管されている。メルク修道院の図書館と比べても遜色ない豪華さだ。天井画は、画家バルトロメオ・アルトモンテ(Bartolomeo Altomonte)の手によるもの。
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こちらのホールは、大理石の間(マーブルホール)で、バロック時代の最も美しいホールの一つ。天井画は、図書館の天井画と同じバルトロメオ・アルトモンテによる作品で、デザインは大トルコ戦争(オーストリア大公国を中心とした神聖同盟とオスマン帝国の戦争、1683~1699)の勝者として、平和の新たな時代への希望を表している。この日は、披露宴でも行われるのか、ホールにはテーブルクロスがかけられた多くのテーブルが並べられていた。
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回廊は、ギャラリーになっている。こちらには、ザンクト・フローリアン修道院の名前の由来ともなった、聖フロリアヌスの像が展示されている。フロリアヌスは、左手には旗を、右手には桶を持ち、家に水をかける姿で表される。他にも、石の彫刻バージョン(旗は失われている。)や木彫りのバージョンなどが展示されている。もともと水の入った桶は溺死を象徴していたが、時代の経過とともに家を追加することで消防の象徴(守護聖人)となったとされる。
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聖フロリアヌスは、ローマ帝国時代ディオクレティアヌス皇帝によるキリスト教弾圧(303年)の際に殉教したと伝えられている。
フロリアヌスは、引退した弁護士だったが、ローリアクム(現エンス。リンツから東へ20キロメートルに位置する古都)で40人のキリスト教信者が投獄されたため、助けるために訪れるが、彼自身が信者であることがわかり死刑を宣告される。そして殴打され、首に石を巻きつけ川に投げられたとされる。
その後、聖フロリアヌスの亡骸は、この場所に葬られ、ザンクト・フローリアン修道院が設立されたという。こちらには、聖フロリアヌスの殉教の様子を描いた、アルブレヒト・アルトドルファー(1480年頃~1538)の絵画のコピーが展示されている。
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アルブレヒト・アルトドルファーは、ドイツ・ドナウ派の代表的画家で純粋な風景画を描いた最初期の画家で、こちらには、本人の真筆(1518年)の祭壇画が展示されている。ギャラリーでは一番の見所で合計12点が展示されている。
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左上から、オリーヴ山上のキリスト、キリストの捕縛、カイアファの前に立つキリスト、キリストの鞭打ちで、左下から茨の冠、ピラトの手洗い、ゴルゴタの丘への行進、キリストの磔刑と聖書の場面が並んでいる。
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次に、修道院の最も北側に位置する教会堂を見学する。20メートルある主祭壇は、ザルツブルク近郊で産出する赤いウンタースベルグ石灰岩で作られている。磨くと大理石の様な輝きが出るのが特徴でオーストリアの建築物では多く使用されている。
祭壇画はジュゼッペ・ゲッツィによる聖母の被昇天で、天井のフレスコ画は、ミュンヘンの宮廷画家アントン・ガンプと彼の弟子メルヒオール・シュタインドルの手によるもの。右側のドームには聖母の戴冠が、左側には、聖フロリアヌスの生涯が描かれている。
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左右にある2つの聖歌隊席と屋台は、リンツの彫刻家アダム・フランツとボズナー・ヤコブ・アウアー(1702年)の共同作品で、楽器を持つ小さな天使たちが可愛い作品。上には、小型の据え置き型のポジティフ・オルガンが設置されている。
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パイプオルガンは、1770年から1774年の間にスロベニアのオルガン製作者フランツ・クサーヴァー・クリスマン(Franz Xaver Krismann)によって作られたもので、103の音栓と7386のパイプを持つオーストリア最大級のオルガンの一つ。1848年から12年間オルガニストを務めたブルックナーに因んでブルックナー・オルガンと呼ばれている。
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最後にブルックナーの眠る地下のクリプトの見学に行く。
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ブルックナーの名前と亡くなった年の"1892"の文字が刻まれた台座の上に、豪華な石棺が納められている。このお棺が置かれた場所がパイプオルガンのちょうど真下になるらしい。鉄柵の背後には、13世紀からの教会信者6000人ほどの頭蓋骨が並べられている。写真を撮ることに若干躊躇していると、ツアー参加者が入れ代わり立ち代わり記念撮影を始めた。。
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(2018.7.11~12)
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