カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

カリフォルニア(その3)

2013-02-17 | アメリカ(カリフォルニア)
今日はオークランドから、東に約320キロメートル先の「ヨセミテ国立公園」に向かうことにしている。午前8時半に、オークランドのホテルから、州間高速道路580号線を走行し、70キロメートル先で205号線に乗り換え、更にマンティーカから99号線に、そして、モデスト、マーセドを通過して、140号線(セントラル ヨセミテ ハイウェイ)の途中で一息ついたところ。


ここまでオークランドのホテルから約2時間(200キロメートル地点)を過ぎた。140号線はハイウェイと名付けられているが、田舎道の直線道で、周囲に建造物はなく、時折、農家や農道との交差路が現れるだけの見渡すばかりの平原地帯が数十キロに渡り続いている。

ところで、一昨日ソノマで、リアタイヤ(後輪)がパンクしたことから、自分で付属の予備タイヤに交換しオークランドのホテルまで乗ったが、今朝、ラッシュ前の早朝に、サンフランシスコ市内に向かい車種変更をしてもらい、オークランドに戻り、改めて出発している。そのオークランドへ戻る途中、サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ上でのサンフランシスコ方面へ向かう車線の渋滞は尋常ではなかった。

さて、セントラル ヨセミテ ハイウェイで休憩した後、約30分(30キロメートル)で、ヨセミテ国立公園へのゲートシティとなるマリポサ(Mariposa)に到着した。時刻は昼の12時を過ぎ、こちらのビルの1階にあった中華料理店(China Station)で、唐揚げの甘酢ごまだれ、野菜のカシューナッツ炒め、焼きそばなどを頂く。


マリポサからは「ヨセミテバレー」(Yosemite Valley)に直接向かう北ルートと、ジャイアント セコイアの巨樹が林立する「マリポサ グローブ」を経由してヨセミテバレーに向かう南ルートがある。まずは、南ルートを選択し1時間強(70キロメートル弱)山道を登り、ヨセミテ・エントランスゲート(南ゲート)に到着した。ゲートから更に3キロメートルほど山道(マリポサ グローブ ロード)を上った場所に観光客用の駐車場がある。

マリポサ グローブ ロードは、駐車場の先にも続いているが、これ以上の車両乗り入れは不可で、観光客は、高さ60センチメートルほどの自然木フェンスで仕切られた砂地の見学通路を歩いて見学する。歩いて5分ほどで最初の見どころ「フォーリン・モナーク」(Fallen Monarch)に到着する。見学通路が右左に蛇行する途中にあり、根の部分が通路側に向いている。吹き上げる火炎の様な形状でインパクトが強い。この場所は、撮影スポットとなっており、多くの人が入れ替わり撮影をしている。


フォーリン・モナークとは、” 倒れた国王 ” を意味し、今から約300年前に倒れたといわれている。すぐ先隣は、マリポサ グローブ ロードが見学通路と交差しており、側面から巨木の横たわる姿を見ることもできる。


フォーリン・モナークを過ぎると、左側に老木の風合いを感じさせる巨木がある。その先には、通路を跨いで倒壊した巨木が横たわっている。通路箇所は切断されているが、右側は通路から手を触れる位置にあることから、落書きが多い。そして、少し先の右側に、フォーリン・モナークに似た、倒壊樹木の根が通路側に向いている。

200メートルほど通路を進んだ右側には見どころの「バチェラー&スリー・グレース(Bachelor and Three Graces)」と名付けられた4本の巨木がある。手前が " 学士 " で、後方の3本が " 三美神 " を意味している。足元を見ると重圧と、長い年数経過からか、大きく膨らんでいる。学士を見上げてみるが、先端までは確認することはできない
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その後も、巨木を見ながら歩いて、300メートルほど進むと、正面に見どころの一つ「グリズリー・ジャイアント」が聳えている。通路は、巨木を迂回するように左側から円を描き後方に続いていく。樹齢は約2000年、高さが約64メートル、直径約9メートル、最も太い枝の直径が2メートルといわれ、ヨセミテ国立公園における最大のジャイアント セコイアである。長い歴史から、幾度も落雷による損傷を受けており、下部の裂け目の黒い箇所はその痕といわれている。
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見上げても、覆い茂る枝葉で先端箇所は見えない。名前の由来となったグリズリーとはアメリカに生息する巨大な " ハイイロ熊 " のことで、その貫禄ある立ち姿から名付けられた。
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グリズリー・ジャイアントから100メートルほどで、こちらも見どころの「カリフォルニア・トンネル・ツリー」(California Tunnel Tree)が見えてくる。トンネルは1895年人為的に開けられたもの。以前、更に標高の高い場所に、車が通れる大きなトンネルが空けられた「ワワナ・トンネル・ツリー」があったが、1968年の冬に積雪の重みに耐えられず倒壊したため、マリポサ グローブでは、唯一のトンネル・ツリーとなっている。


この辺りで、大きな松かさ状の球果や、リスと遭遇した。カリフォルニア・トンネル・ツリーをくぐって100メートルほど先には、マリポサ グローブ ロードが交差しており、この時間、観光用トラム(トロッコバス)が到着していた。まだまだ、見学通路は続くが、駐車場から1キロメートルほど歩いたこの場所までとし、再び見学通路を見学しながら歩いて引き返した。マリポサ グローブではゆっくり3時間近く滞在した。


次に、ヨセミテ・エントランスゲート(南ゲート)の手前まで戻り、ヨセミテバレーに向かうワウォナ ロードを30キロメートル北に走行し、途中から、グレイシャー ポイント ロードに右折して、26キロメートル進んだ最北端にある「グレイシャー ポイント」(Glacier Point)にやってきた。こちらの見晴らし台は、ヨセミテ渓谷のあるヨセミテバレーの南壁の「カリー ビレッジ」(標高2,199メートル、標高差975メートル)直上にあたる。周囲には、ヨセミテ国立公園のすばらしい眺望が広がっている。時刻は、午後6時になり、辺りは強風が吹き荒れ、かなり寒い。

こちらは、南北に連なるシエラネバダ山脈を西側から眺めた様子となる。右側(南)に急峻に切り立つ花崗岩の頂きが、手前を縦に割った様な形状から「ハーフ ドーム」と呼ばれている。直下がヨセミテ渓谷の東端となり、頂部との高低差は1524メートル(標高2,682メートル)ある。ハーフ ドームの北東側の雲がかかっている箇所は「クラウズ レスト」(標高3,025メートル)で周辺では最高地点の頂きとなる。
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そして、その「ハーフ ドーム」向かい側の高急峻の壁面に、丸みを帯びた頂部を持つ山は「ノース ドーム」と呼ばれている。
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ノース ドームから左側に視線を移した中央やや左側の稜線が窪んだ箇所が「ヨセミテ滝」が流れ落ちる場所となるが、乾季のこの時期は水量が大幅に少なくなる。その直下の渓谷が「ヨセミテバレー」の中心部になり、建物や、道路、駐車場などが木々の間に見て取れる。
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ヨセミテバレーは、シエラネバダ山脈西側斜面の高い花崗岩の頂に囲まれた深さ最大1,600メートル直下の渓谷にある。渓谷は、東西に広がり、直径は13キロメートルほどで、西から東に「マーセド川」が流れ、周囲の懸谷からは、ヨセミテ滝を始め6本以上のクリークが流れ落ち注ぎ込んでいる。マーセド川を挟んで、ノースサイド ドライブ(西方面)と、サウスサイド ドライブ(東方面)の2本のメイン通りがそれぞれ一方通行で通っている。まもなく午後6時半になるので、これから、そのヨセミテバレーに向かう。

グレイシャー ポイントからは距離にして約50キロメートル、ヨセミテバレーにある「ヨセミテ ロッジ」に到着したのは、日の暮れた午後8時頃だった(日の入りは午後6時39分)。こちらは「ヨセミテ ロッジ」のフロントオフィス棟の翌日の様子である。


そのヨセミテ ロッジは、ヨセミテバレーの中央付近にあり、フロントオフィス棟を中心に森の中にロッジが点在している。ヨセミテ国立公園は、世界的に人気のある観光地で、国立公園内に宿泊を希望する場合は、1年前から予約を受け付けるものの、常に満室状態で予約締結が困難である。今回、1年前に何とか予約できやってきた。その予約した部屋は2階建てロッジの1階だった。フロントオフィス棟には、レストランやカフェテリア、ギフトショップ、コンビニストアなどがあるが、レストランではテイクアウトも可能だったので、食材を買いロッジの部屋でソノマで購入したワインとともに夕食を頂いた。


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翌朝、東に3キロメートルほど離れた「アワニーホテル」に朝食に向かった。アワニーホテルは、1927年に完成した歴史ある豪華ホテルで、南側に突出した6階建ての中央棟を中心に左右後方にY字に両翼を持つ姿をしている。客室は100室で、ロビー、高い天井で大広間のダイニングルームなどがある。メインダイニングでのディナーは、ドレスコードが必須だが、朝食なので、ラフなスタイルで訪れた。格式はヨセミテ ロッジと異なるが、宿泊予約の困難さは、変わらない。

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アワニーホテルの右側後方のはるか上のノース ドームを確認しようと、見上げてみたが、雲に覆われている。ちなみに、こちらが昨日、グレイシャーポイントから、左下に見えるアワニーホテルと上部のノース ドームとを同時に眺めた様子である。

食後、アワニーホテルの南側の見晴らしの良い場所を散策すると、草を啄むミュールジカ(Odocoileus hemionus)に遭遇した。北アメリカ西部では普通にみられるシカで、耳がラバ(ミュール)に似ていることから名付けられている。後方がノースドームである。


アワニーホテルから南に200メートルほど歩くと、マーセド川に架かるアーチ橋があり、南側のグレイシャー ポイントのあるカリー ビレッジが望めるが、頂部は雲が立ち込めている。
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次に、2キロメートルほど、西方向に向かったヨセミテ ロッジの近くから、北側のヨセミテ滝の壁面を一望する。中央右側の縦に黒ずんでいる箇所の上部から739メートルの落差で流れ落ちるが、夏の乾季ですっかり水は枯渇しているらしい。。少し場所を移動して、ヨセミテ滝が流れ落ちる箇所を正面から眺めてみた。頂部の注ぎ口が窪みになっており、真下の中腹に滝つぼの様な形状も確認できる。少し水が流れている様にも見えた。
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更に、道なりに、南西方面に4キロメートルほど移動する。南壁には「カテドラル・ロックス」(Cathedral Rocks)があり、対する北壁には、巨大な花崗岩のモノリス(一枚岩)である「エル キャピタン」がある。エル キャピタンの絶壁は、様々なクライミング ルートがあることと、1年を通じて登れるため、世界中で人気の高いロッククライミングのスポットである。


更に西側に移動して「マーセド川」越しに「カテドラル・ロックス」方面を見上げてみた。先ほどは、手前から2番目の岩山を近距離から見上げたが、いくつかの尖塔状の岩山が並んでいる。中でも3番目の岩山は、この場所からは確認できないが、共通の岩山の中腹から切り立って聳え、ゴシック聖堂の尖塔に形状が似ていることが名前の由来となっている。1番目の岩山の手前の黒ずんだ壁面箇所が「ブライダルベール滝」だが、少しだけ水が落下している。
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さて、最後に、ヨセミテ国立公園への南ルートからの入口の一つ、ワウォナ ロード沿いの展望地「ワウォナトンネル」の東側「トンネルビュー」(Tunnel View)から、東側の「ヨセミテバレー」を一望してみる。ヨセミテバレーの景観では、最も有名な景観スポットで、左側(北)のエル キャピタン、右側(南)のカシードラル ロックスを手前に、グレイシャーポイントのあるカリー ビレッジや、その先のハーフ ドーム(見えない。)などが一望できる。
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以上で、ヨセミテバレーの見学を終え、これから、東側のシエラネバダ山脈を越えて「マンモス レイクス」(Mammoth Lakes)まで向かう。ヨセミテ渓谷から直接東に抜けるルートはないため、トンネルビューからは一旦、「カテドラル・ロックス」の麓付近まで戻り、Uターンするように、ノースサイド ドライブで西に向かい、トンネルビューの北側から、ビッグ・オーク・フラット・ロードに入り、カリフォルニアで最も高所を走る(3,031メートル)タイオガ・パス・ロード(120号線)(11月から5月までクローズ)で、大きく北側を回り込んで、シエラネバダ山脈を横断していく。

トンネルビューから1時間半が経過したころ、タイオガ・パス・ロードの途中にある景観スポット「オルムステッド・ポイント」に立ち寄った。駐車場の隣には、地面の長い亀裂で覆われた巨大な岩塊の斜面があり、その斜面越しに、ハーフ・ドームの北側を捉えることができる。この時間ちょうど、雲海からせり上がる様に神秘的な姿を見せるハーフ・ドームと、左側には、グレイシャーポイントや、ヨセミテバレーから見ることができなかった「クラウズ レスト」(標高3,025メートル)の頂きまではっきりと姿を見せている。まさに絶景!
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オルムステッド・ポイントから、東に3キロメートルほどで右側に「テナヤ湖(Tenaya Lake)」が現れる。直径2キロメートルほどの長方形で、水面の標高は2,484メートルあり、近隣からの多くの支流や泉からの水が流入している。ヨセミテバレーの先住民アワネチー族の指導者テナヤ酋長(~1853)にちなんでいる。


今夜の目的地「マンモス レイクス」までは、テナヤ湖から約90キロメートルの距離である。テナヤ湖から40キロメートルでタイオガ・パス・ロードのシェラネバダ山脈の横断が終わり、突き当りの丁字路を右折する。片側2車線の395号線を南に向かうと、しばらくして「マンモス レイクスまで20マイル(32.2キロメートル)」の標識が現れた。時刻は、午後6時半を過ぎたところ。


午後7時過ぎ、マンモス レイクスにある「エコノ ロッジ ワイルドウッド イン」(Econo Lodge Wildwood Inn)に到着した。ロッジは、町の中心部の東西に延びるメインロード北側にある。チェックインを済ませ、通りに出るが、街灯が少なく、町の様子がよくわからない。メインロードを東に350メートルほど行った南沿いにイタリアンカフェ(Perry's Italian Cafe)があったので食事をすることにした。飲み物は、アイアンストーン(メルロー)を頼み、オリーブ チーズのイタリアンサラダ、ムール貝のグリル、海老のタリアテッレ・クリームソースなどを頂いた。味は普通だったが、お腹が減っていたので美味しかった。


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翌朝、最終目的地のネバダ州南部にあるラスベガス(約500キロメートル)に向け出発した。途中でデスバレーを見学することにしている。ロッジを出発して、395号線を南東方面に約30分進んだところで、ビスタポイントと表示がある休憩スペースがあったので、車を停める。南側にシエラネバダ山脈が一望でき、白く雪に覆われた頂きが見える。


ガードレールの手前に案内板が設置されていた。一枚目は「周辺マップ」で、ピンク色の395号線を中心に、5のヨセミテ、6のアンセル・アダムス山の東側にあるマンモス レイクス、目的地となる13のデスバレーなどの位置関係が確認できる。隣の二枚目は「エッジ(鹿)の生活」(Life on the Edge)で、周辺の鹿の行動ルートを示し、鹿に注意して走行することを促す注意案内だった。

ビスタポイントを過ぎると、395号線は大きく右にカーブし南方向になる。


しばらくすると再び東へと方向を変え、周囲にちらほら建物が現れ始める。前方で道路が大きく右方向に曲がり南に進路を変えると、左右に、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、ファーストフード店、モーテルなどが立ち並ぶ「ビショップ」の中心部となる。右側にコック帽子を被ったキャラクターが飾られた「エリック・スコットベーカリー」(Erick Schat's Bakery)があったので、こちらで食材を買い込むことにした。ビショップ到着は午前10時だった。


マンモス レイクスから、約140キロメートルの「インディペンデンス」を過ぎた395号線沿い右側に復元された「監視塔」が現れる。第二次世界大戦中の1942年に日系アメリカ人強制収容所跡があった「マンザナール国定史跡」である。当時、アメリカ合衆国政府は、11万人以上の日系アメリカ人と在留日本人を強制を収容所に拘禁しており、カリフォルニアには10ヶ所あったが、そのうちの一つである。。すぐ先右側の駐車場の奥には「マンザナー・ビジターセンター」があり、収容者の名簿や、関連書籍、記録映画の上映などが行われる。


敷地内の一番奥(最西端)には、収容者によって1943年に建てられた慰霊塔が建てられている。背後には、シエラネバダ山脈とカリフォルニア州の両方で2番目に高い(米国本土で6番目に高い山)標高4,383メートルのウィリアムソン山が望めるが、山頂付近は雲で覆われていた。


しばらくすると、デスバレーまで104マイル(約167キロ)と書かれた左折標識が現れるが、すぐ先右側にディーアス・レイク(Diaz Lake)があるので、直進して休憩した。周囲を少し散策したが、特に見るべきものはなかったので、軽く食べて、午後1時半、交差点まで戻り395号線に別れを告げ、136号線をデスバレー方面に向かった。


東に向かう136号線は、すぐに190号線になる。ゆるやかに右にカーブしながら、南東方向に進む。その後左にカーブして、山肌を抜けると、再び、眺めの良い平原が現れる。街道は、平原の先の山脈に向けて続いている。
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山間部に入る前、少し休憩した。周囲に生える草は、ほとんど枯れており、荒野が広がっている


前方の山間に入ると急に雲が立ち込め、周囲が見えにくくなったが、15分ほどで、再び平原となり、直線道が前方の山脈に向かっている。周囲の砂漠地帯は先ほどと変わらないが、いたるところに、植物の塊が生えている。デビルズコーンフィールド(悪魔のトウモロコシ畑)と呼ばれるキクの仲間アローウィードの残骸で、根を張っていた場所だけが残っている。
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他にも、巨大なソテツなど、インパクトが強い形状の植物が現れる。


前方の山脈を避けるように北東方向に延びる渓谷沿いを通り、山脈の向かい側に出て、道なりに南に向かうと、デスバレー国立公園の観光拠点となる「ファーニス クリーク」(Furnace Creek)に到着する。時刻は午後4時を過ぎていた。こちらのビレッジには、ビジターセンターがあり、デスバレーの自然や歴史に関する展示館などが併設されている。広場には、古いダイナ蒸気トラクター(1894年)が飾られている。


予定より遅れているので、急ぎ、ファーニス クリークから190号線を東に進んだ最初の交差点を右折してバッドウォーター・ロード(Badwater Rd.)を、南北に延びる岩山に沿って南へ30キロメートル進む。正面に大きな岩山が迫ってきたらまもなく到着である。通りは岩山大きく右に避けるように迂回したところに駐車場がある。こちらがデスバレーの名所の一つ「バッドウォーター」で、北アメリカ大陸で最も海抜の低い地点(マイナス86メートル)の内陸湖になる。
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かつてバッドウォーター盆地は塩水湖であり、悪い水という意味が由来となっている。一面に塩が堆積しており、水溜まりもある。案内板にあるソルトフラッツ(塩類平原)と比較すると、この日は塩の重なりが少なく、うっすらとしたまだら模様だった。
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次に、約10キロメートルほどバッドウォーター・ロードを戻り、右折して、アーティストドライブ(Artists Drive)に入り、7キロメートルほど行った「アーティスト パレット」に到着した。夕方近くが見どころとされることから、時間的にはばっちりである。ピンク、藤色、黄金色、緑、ラベンダー色など、多数の色を乗せた”絵画アーティストのパレット”のような色彩を楽しむことができる。この虹色の地層は、アマルゴサ山脈の堆積丘陵が浸食され、露出し酸化した数種類の鉱物が、それぞれに異なる色となり、まるで丘をパッチワークしたように見せる。
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次に「ザブリスキーポイント」に向かう。アーティストドライブは一方通行なので、北方面にある出口からバッドウォーター・ロード(Badwater Rd.)に合流し、190号線を右折して、5キロメートルほど行ったところになる。駐車場から、舗装されたゆるい坂を、300メートルほど徒歩で上った展望台が目的地となる。
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ザブリスキーポイントは、黄金色をはじめ、豊かな色合いのバッドランドの絶景を見渡すことができる展望台のことで、風でけずられた岩の数々が広がり、岩がうねり折り重なる様な姿が一望できる。岩が一番美しく見えるのが、朝日の当たった直後である。もともと湖だったとされる。
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まもなく午後6時半になる。急ぎ駐車場に戻り、出発した。目的地は、約200キロメートル先のラスベガスにある今夜の宿泊ホテル「ベスト ウエスタン マルディ グラ ホテル & カジノ」(Best Western Mardi Gras Hotel & Casino)で、ラスベガス・モノレールとラスベガス・コンベンションセンターから徒歩5分ほどの場所にある。

走行後、日が暮れ暗くなってきた。30分ほどで、ネバダ州に入った。街灯もなく、砂漠地帯に延びる一本道をヘッドライトを頼りにひたすら進んでいく。1時間半ほどで、前方に、ラスベガスの街の光に照らされる明るい空が見えてきた。。デスバレーから約2時間半で宿泊ホテルに無事到着した。

ラスベガスでは2泊した。「ルレーブ(Le Reve The Dream)」のショー(O(オー)や、Mystere(ミスティア)をプロデュースした フランコ・ドラゴーヌ氏による ” 水 ” を極めたショー)や、ハイド ベラージオ(Hyde Bellagio)前から、パリス ラスベガス(Paris Las Vegas)のシンボル(エッフェル塔や凱旋門など)を背景とした「噴水ショー」を鑑賞した。
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他にもスタートレック シリーズのラスベガス・テーマアトラクション「Star Trek The Experience」やフレモント・ストリート・エクスペリエンス(歩行者天国兼アトラクション)などを堪能した。食事は、サンコースト ホテル&カジノ、ホテル ウィン・ラスベガス(The Buffet) 、パリス ラスベガス ホテルのブッフェを利用した。

そして、ラスベガス滞在3日目の朝、午前10時28分ラスベガス発ユナイテッド航空(UA1511便)22EFに乗り、サンフランシスコで、ユナイテッド航空(UA853便) 34ABに乗り換え日本に帰国した。 
(2007.9.19~23)
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カリフォルニア(その2)

2013-02-17 | アメリカ(カリフォルニア)
こちらは、サンフランシスコ湾と太平洋が接続するゴールデンゲート海峡に架かる吊橋「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」(金門橋)で、ビスタポイント(南展望台)からの様子だが、今朝は、曇り空で眺めは今一つ。橋の色は「インターナショナル オレンジ」(オレンジ色の一種で赤ではない。)で塗装されており、この色合いは、霧の中でも明るく見やすいことを考慮して建設時から採用されている。真下に見える煉瓦色の建物は、19世紀半ばに海上からの防備を目的として建造された砦の跡(現在は博物館)で、フォートポイント国立史跡と呼ばれている。
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ゴールデン・ゲート・ブリッジは、数多くの映画の舞台となってきたが、1958年のアメリカ映画「めまい」(Vertigo)(アルフレッド・ヒッチコック監督作品)では、フォートポイントの横からキム・ノヴァク演じるヒロインが入水自殺を図り、刑事役のジェームズ・ステュアートが救い出すシーンが撮影されている。

橋の主塔間の長さは1,280メートル、全長2,737メートル、水面からの主塔の高さは227メートルあり、1937年に4年の歳月を経て完成している。こちらのビスタポイントには、米国土木学会(ASCE)による歴史的土木建造物に指定されたことを示すプレートと、カリフォルニア州の歴史的建造物に指定されたことを示すプレートが並んでいる。


そして手すりのそばには、ドネーション箱が置かれ、その先にサンフランシスコ市の街並みを見渡すことができる。 今朝はそのサンフランシスコの市庁舎近くにあるオファレル・ストリートを午前9時半に出発し、101号線を通ってここまでやってきた(約7キロメートル)。


これから、カリフォルニアワインの生産地として知られるナパ、ソノマのワインカントリーに向かうことにしている。カリフォルニア州は、北端のメンドシーノから南端のリヴァーサイドまで700キロメートル以上に渡りブドウ畑が広がり、4つの地域(ノース コースト、セントラル コースト、サウス コースト、セントラル ヴァレー)からワインが生産されている。ナパ、ソノマは、ノース コーストに位置している。

最初に向かうソノマは「ソノマ カウンティ」と呼ばれ、南部の「ソノマ ヴァレー」、北部の「ノーザン ソノマ」、海岸部の「ソノマ コースト」の概ね3つに分かれている。そして、その3つは、地域毎に、いくつものAVA(米国政府承認ブドウ栽培地域)に細分化されている。同じソノマであっても、海岸部の冷涼な海風が吹き込む地域や、内陸部の丘陵地が続く地域があり、それぞれ気候や土壌も異なることから、生産するブドウ品種や、小さな家族経営のワイナリーから国際的に有名なワイナリーに至るまで生産者も幅広く、個性豊かなワインが数多く産出されている。
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「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」(金門橋)を横断し、そのまま101号線を北上すると、1時間ほど(約80キロメートル)でソノマの郡庁所在地「サンタローザ」に到着する。最初に、そのサンタローザから東に15分ほどの「ソノマ ヴァレー」にあるワイナリー「セント・フランシス」(St.Francis)にやってきた。


広い駐車場の先に流れる小川を橋で渡った東側に、鐘楼門を持つワイナリー現れる。この時間、朝のサンフランシスコと異なり、眩しいほどの青空が広がっている。鐘楼には、イタリア最古の企業で、世界最古の鋳造所と称されるイタリア・マリネッリ鋳造所により鋳造された1,000ポンドのブロンズ・ベルがあり、毎時、鳴らされている。ワイナリーは、その鐘楼門を角地とし、北翼と東翼のL字状に建物が広がっている。


鐘楼門の手前右側には、ブドウの房を背景に、小鳥と話す聖フランチェスコの像が飾られている。像を見ていると、一年ぶりに、イタリアのアッシジに戻ってきた様な気持ちになった。


ワイナリー「セント・フランシス」は、1971年に設立されたソノマ ヴァレーを代表する歴史あるワイナリーで、カベルネ・ソヴィニョン、メルロー、長年受け継がれた古樹のジンファンデルなどが世界的に評価されている。こちらのワイナリーでは、テイスティングはもちろんのこと、常駐する専用のシェフが腕を振るうテイスティング・メニューやプライベート・ディナーが堪能できるということで、お昼を兼ねてチャレンジすることにしている。

鐘楼門から、テイスティングルームを兼ねたレセプション会場に入り、右側の扉を出て回廊を進む。そして突き当りを左に曲がった先の扉を入ると東翼のダイニングルームとなる。ダイニングルームには、北側と東側に、それぞれテラスに出られる大きなガラス張りの観音扉があり、明るい光が差し込んでいる。南壁には暖炉があり、西南角にはカウンターテーブルとワインの収納棚が設置されている。案内されたテーブル席からは、窓越しに北側の緑鮮やかな風景と遠景のフッド山が見渡せる。
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テイスティング・メニュー「ワインダイニング(ルビーフライト)」(Ruby Flight)の赤ワインコースは次のとおり!
最初のワインは、向かって左側の、シラー(2004 Syrah Wild Oak Sonoma County)(ボトル価格35ドル、クラブ価格28ドル)で、料理は、左手前の、野生の森のキノコ ギリシャ風ピキーリョペッパー デュクセルクリーム(wild forest mushrooms ala grecque piquillo peppers duxelle cream)になる。
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そして、二番目のワインは、右側の、カベルネソーヴィニヨン(2003 Cabernet Sauvignon Wild Oak Sonoma County)(ボトル価格35ドル、クラブ価格28ドル)で、料理は右手前の、ソノマ カウンティ産鴨もも肉のリエット ポシェのタルト チェリーのコンポート ピスタチオ ナッツ クラスト(rillette of sonoma county duck leg poached tart cherry compote pistachio nut crust)になる。

三番目のワインは、左側の、アンセム メリタージュ(2003 St. Francis Anthem Meritage)(ボトル価格60ドル→割引価格55ドル、クラブ価格48ドル)で、料理は左手前の、キハダマグロのグリル焼き、ピーマンカルパッチョ、ニース風のオリーブ グレモラータ(grilled ahi tuna roasted sweet pepper carpaccio nicoise olive gremolata)になる。
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そして、最後のワインは、右側の、ジンファンデルのパガーニ・ヴィンヤード リザーヴ(2004 zinfandel pagani vineyard reserve sonoma valley)(ボトル価格45ドル、クラブ価格36ドル)で、料理は右手前の、牛の肩肉の蒸し煮、ほうれん草の甘いニンジンのピューレ、古いジンファンデル・ボルドレーズ (pave of braised beef shoulder Wicked spinach sweet carrot puree old vine zinfandel bordelaise)になる。

白ワインのテイスティング・メニューについては、メニュー表を取り忘れたが、料理はこんな感じ(その1)(その2)。ワインも料理も洗練された美味しさで、贅沢なひと時だった。他のテイスティング・メニューとしては、チーズとおつまみのセット、ワインダイニング(ライトフライト)がある。

テイスティングルームがある北翼側の建物の東側にはテラス席があり、この時間2組が利用していた。手前の右側階段を降りると、芝生が敷き詰められた楕円状の中庭で、大規模なワインパーティーが催せるほどの広いスペースがある。その中庭の周囲には散策のための遊歩道が設けられ、更にその先には、一面のブドウ畑が広がっている。


1時間半ほど滞在して、次のワイナリーに向かった。一旦、ソノマの郡庁所在地サンタローザまで戻り、そこから、101号線を北西方面に8キロメートルほど行き、リヴァーロードの標識に従い、西に向かう。セント・フランシスからは、約30分ほどで「マルティネリ・ワイナリー」(Martinelli Winery)に到着する。

1880年代にイタリア・トスカーナ地方から移住した、ジュゼッペとルイザ・マルティネリが、購入した土地にジンファンデルとマスカット・オブ・アレキサンドリアを植えたのが始まりの家族経営のワイナリー。現在、フォートロスシーヴュー、ロシアン リヴァー ヴァレー、グリーン ヴァレーにブドウ畑がある。


倉庫を感じさせる煉瓦色の建物を入ると、光沢のある高級木材のフローリング、家具、棚も木材、天井も板張りで、柱、梁、筋交いが張り巡らされ、壁には、歴史を感じさせる写真が多く飾られている。矩形のテイスティングカウンターがある大きなメインルームと、数人が座れるテーブル席と隣接するコーナーカウンターなどの部屋がある。

次にワイナリー「ゲイリー・ファレル」(Gary Farrell)に向かう。マルティネリ・ワイナリーからは、西に10キロメートルほどの距離で、最初にリヴァーロードを西に向かい、途中、ウォーラーロードへ右折し、ロシアン川を渡って、ウエストサイド・ロードを西に進んだところになる。右側に現れる小端積みされた石材のゲイリー・ファレル(Gary Farrell)の表札から右折し、坂道を500メートルほど上っていく。


ワイナリーは、ジャクソン山の南中腹の見晴らしの良い丘の頂にある。主に、ロシアン リヴァー ヴァレーに畑があり、1982年にはゲイリー氏がピノ・ノワールを中心に生産し、2000年から規模を拡大しワイナリーとテイスティング・ルームを構築している。しかし、2004年にはアライド・ドメック(Allied Domecq)氏に売却、更に2005年、2006年と次々にオーナーが変わっている。

丘の頂にあるワイナリーは、長方形の切妻屋根の平屋で、室内天井は、梁むき出しでトップライト(天窓)があり、明るく開放感がある。テラスやテイスティングルームからの眺めも良く居心地が良い。この日は、小柄で初老の愛想の良い女性が対応してくれた。ワイン樽貯蔵庫は扉を開けた隣の部屋にあり、多くの樽が積み重ねられた、天井高の高いスケルトン天井の倉庫になっている。


次に、ウエストサイド・ロードを東に戻り、ロシアン川に沿って北上して、10分ほどで「ロキオリ・ワイナリー」(J Rochioli Vineyards & Winery)に到着した。イタリア系移民のトム・ロキオリの祖父が、息子のジョーと共に、ソーヴィニヨン・ブランとカベルネ・ソーヴィニヨンを植えたことに始まる。80年代に、トム・ロキオリは、ファミリー・ネームを冠したワインを造ることを提案し現在のワイナリーを創設したが、85年には、ピノ・ノワールの初ヴィンテージが、ベストアメリカンに選ばれ、早々と高級ブランド入りを果たしている。

本日のワイナリー巡りは以上で終え、ウエストサイド・ロードを8キロメートルほど北上し、ロシアン川の支流となるドライ川を渡り、南北に延びる101号線を横断し、ヒールスバーグ(Healdsburg)に向かった。

今夜は「ソノマ カウンティ」のお洒落な街として知られるヒールスバーグの「レストラン・サイラス」(Cyrus)で夕食を頂くことにしている。町の入口となるロータリーからは、目抜き通りのヒールスバーグ・アベニューを北に向かったノース・ストリート沿いにある。ソノマで有名なシェフ兼オーナーで、数々の賞も得ているダグラス・キーン(Douglas Keane)氏が経営する高級レストランである(2012年廃業)。


レストラン・サイラスは、フレンチ料理をコンテンポラリーラグジュアリーに高めた料理がコンセプトとのこと。こちらは、金目鯛風の魚の切り身に大振りのウニを乗せた一品で、新鮮なウニに、香ばしい焼目を付けている。


こちらはラム肉で、赤身を皮で巻いた一品。ラム肉は大変柔らかい。他にもロブスターなど新鮮で高級素材をベースにしており満足感があった。フレンチをベースに和の食材と和の旨味を取り入れた料理といった印象。ただ、ジュンサイや、和風だしはやや微妙だった。。


最期にチョコレートムースのデザートを頂いた後、サンタローザのホテル(Quality Inn & Suites)に戻った。

さて、こちらは、訪問先のワイナリーから(パート1)。。左から、ゲイリー・ファレルのジンファンデル、セント・フランシスのシャルドネ、ゲイリー・ファレルのピノノワール、セント・フランシスのロゼ、マルティネリのピノノワール、マルティネリのシャルドネである。
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ソノマ2日目は、ヒールスバーグから、北西に17キロメートルほど行った、ドライ クリーク ヴァレーにある「フェラーリ カラーノ ビンヤーズ アンド ワイナリー」(Ferrari-Carano Vineyards and Winery)からスタートする。

フェラーリ カラーノは、イタリア系アメリカ人を親に持つ、ネバダ州リノ出身のドンとロンダ・カラーノにより、1985年に設立された。ラスベガスと共にカジノ・シティとしても名高いリノでワインリストを強化するためのワインを探していた二人は、ソノマ北部の美しさに魅せられ土地を取得したのが始まりである。


ワイナリーを囲む庭園は、フランスやイタリアで見られるパルテール(平面幾何学式庭園)のスタイルが採用され、5エーカーの規模を誇っている。庭園には色とりどりの花が植えられ、羊とブドウをあしらったアンフォラや、イノシシのブロンズ像などいたるところに彫刻が飾られ、宮殿を思わせる雰囲気である。


正面口となる東側から、建物に入ると、レセプション会場を始め、ワインショップや、関連グッズを販売するショップがある。そして、地下には、淡いクリーム色の大理石風の色合いを基調に、ドーリア式のエンタシス円柱、豪華な木製の調度品、シャンデリアなどで飾られた「エノテカ・プリヴェイル・ルーム」がある。


こちらには、複数客のテイスティングを並行して行える大型のティスティング・カウンターや、中央のダイニングテーブル、個室を備えている。ダイニングテーブルのある一角には、ブドウ装飾の鉄格子があり、先に多くのワインが寝かされたワインセラーが見える。反対側には、貯蔵庫へのエントランス スペースと、先隣の階段下に多くの樽が並ぶ貯蔵庫がある。

南側のテラスから階段を下りると、噴水のある長方形の水場があり、先に、対となるドーリア式円柱が梁(エンタプラチュア)を支えるギリシャ風オブジェが数基飾られている。その先には、ブドウ畑が広がり、ロシアン川支流となるドライ川を経て丘の斜面に続いている。対する、ワイナリーの北側にも丘があることから、渓谷となるこちらの狭いエリアのブドウ畑は、温暖な気候となり、凝縮感のあるジンファンデルが育つと言われる。


フェラーリ カラーノは、ワイナリーのあるドライ クリーク ヴァレーの他にも、アレキサンダー ヴァレー、ロシアン リヴァー ヴァレーなど広範囲にブドウ畑を持っており、多種多様の高品質のワインを生産している。

午前11時過ぎ、フェラーリ カラーノを後にし、海岸線の州道1号線(パシフィックコーストハイウェイ1)に向かった。ドライ・クリーク・ロードを西に向けて進み、ソノマ湖を南に迂回して、ソノマ コーストの山々が続く海岸山脈を抜けた60キロメートル先で、州道1号線と合流するスチュワーツ・ポイント(Stewarts Point)に至る。こちらは、スチュワーツ・ポイントから左折して1号線を南に20キロメートルほど走行した「ティンバーコーブ」(Timber Cove)の断崖上からの絶景である。


そのまま、1号線をジェナー(Jenner)まで下り、ロシアン川に沿って走る116号線を通って101号線に戻り、午後2時過ぎ、「ジムタウン」(Jimtown)にある「サウサル・ワイナリー」(Sausal Winery)に到着した。サウサル氏が家族経営で行うワイナリーで、アレキサンダー ヴァレーに属している。駐車場にある冠木門風のゲートを入った先にあるワイナリーは、板張りのテラスに木造平屋建てで、星条旗がはためいており、西部劇で登場するバーを思わせる(2012年売却)。


ジムタウンから128号線を南東に向かうと「ナパ カウンティ」の北端に位置する「カリストガ」(Calistoga)に到着する。こちらは、南北に走る目抜き通りのリンカーン・アベニューだが、人通りが少なくひっそりしている。


カリストガは、小さな街だが、天然温泉が有名で、数多くのスパを体験できる温泉保養地である。現在午後4時、これから、リンカーン・アベニューの南端、チェスナットヒルの麓にある「ラベンダーヒル・スパ」(Lavender Hill Spa)でスパを堪能する。


火山灰泥風呂が有名とのことで、温かい湯舟に浸かって癒された。


午後8時、今夜の夕食は、昨夜に引き続き、ヒールスバーグのレストランを予約している。カリストガからは、山越えをし、101号線に出て向かう方が早い。

レストランは、「ドライクイークキッチン」(Dry Creek Kitchen)で、昨夜のレストラン・サイラスの一筋南側のプラザ・ストリートと目抜き通りのヒールスバーグ・アベニューが交差する場所にある。レストラン南隣の「ホテル ヒールスバーグ」に併設され、ヒールスバーグ・アベニュー向かい側には「ヒールスバーグ・プラザ」(公園型ショップ)や、緑豊かな並木道にお洒落なショップが続いている。


メニューは、前菜、メイン、デザートのプリフィクスディナーを頼んだ。アメリカ料理だが、高級レストランならではの洗練されたフュージョン料理である。料理はボリュームもあり、ワインとの相性が良く、ワインカントリーならではのこだわりさを感じることができる。

1時間半ほど滞在して、サンタローザのホテル(Quality Inn & Suites)に戻った。こちらは、訪問先のワイナリーから(パート2)。。左から、フェラーリ カラーノのカベルネ・ソーヴィニヨン、サウサルのカベルネ・ソーヴィニヨン、サウサルのシラー(ファットキャット)(右端も同じ)、ロキオリのジンファンデル、フェラーリ カラーノのピノノワールである。
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今日は、ナパ カウンティの最高峰のワインブランドで、アメリカを代表する高級ワインでもある「オーパス・ワン・ワイナリー」(Opus One Winery)を訪問することにしている。ナパ カウンティは、東側に沿って走るヴァカ山脈と、西側にそびえるマヤカマス山脈との谷底平野にあり、カリフォルニアワインの一大生産地として知られている。

サンタローザのホテルをチェックアウトし、6キロメートルほど北にあるファウンテン グローブ パークウェイ沿いにある「トラヴァーソ グルメ フード ワイン」(Traverso's Gourmet foods wine)で買い物をして、11時過ぎに、オークビル(Oakville)に到着した。南北に横断するセントヘレナ・ハイウェイ(29号線)からは、東側に延びる直線の専用道路に入ったところ。正面に現れる、円錐状のなだらかな丘の上から盛り上がる様に建つ近代建築がオーパス・ワン・ワイナリーである。
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中央のエントランスのある建物を中心に周囲をサークル状の柱廊で取り囲まれている。この圧倒的な存在感のあるワイナリーは1991年に完成している。ナパでは、朝晩の寒暖差が激しく、ブドウの糖度の高低差があることから、オーパス・ワンでは、夜間の糖度が抑えられた時間帯に手摘みで収穫し、更に一粒ずつ人の手で選別するなどの細かい作業工程を経ている。

オーパス・ワンでは、テイスティングのみと、テイスティングと醸造工程見学がセットになったツアーがある(要予約)。テイスティングを終え、お昼の12時にエントランス前を見学していると、ツアーが終了したらしく、十数人が帰って行くところだった


オーパス・ワン・ワイナリーは、1978年にロバート・モンダヴィが、フランス・ボルドーのフィリップ・ド・ロチルド男爵とボルドー風のブレンドをつくる合弁事業して設立している。もともと、カリフォルニアワインは、ポート・スタイルの甘口ワインで知られていたが、ナパでは、1960年代に入り、いくつかのブティックワイナリーと呼ばれる高品質ワインワイナリーが設立した。ロバート・モンダヴィもその立役者の一人で、技術革新と戦略的なマーケティングでカリフォルニア・ワインを世界的に認知されるレベルに高めた。オーパス・ワン ブランドは、ボルドーが持つエレガントさと、カリフォルニアの豊潤さをバランスよく融合させたことで、世界のワイン品評会で高い評価を受け、現在ではカリフォルニアワインの最高峰と呼ばれている。

エントランス前から西方向に見える小さな長方体の構造物は、そのロバート・モンダヴィのワイナリーで、29号線を挟んだ向かい側にある。その遠景はマヤカマス山脈で、向こうがソノマ カウンティになる。
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抜けるような青空の下、ワイナリーの周辺を散策していると、遺跡見学をしているような気持ちになった。この時間、斜面下の車寄せに黒塗りの高級車が2台と、その前でサングラスにスーツ姿の体格の良い男性が待機していたが、主人の出迎え場面には遭遇しなかった。

昼は、オークビルから、南に5キロメートルほど下った、ヨントビル(Yountville)に向かった。ヨントビルは、人口約3500人で、その3分の1がカリフォルニアの退役軍人の家に住んでいる。また、小さな街だが、美食の街で知られていることから観光客が多く訪れる。

ミシュランの1つ星のブション(Bouchon)は、通り沿いにあり、煉瓦と赤い外装の一軒家で、縦仕切りの大きい窓からの光が差し込み、明るい雰囲気である。入口の手前には、植え込みのあるガーデン、テラス席などがあり、隣には姉妹店の「ブション・ベーカリー」を併設している。


ブションは、数々のベストシェフ賞を受賞し、2005から2006年にかけて、2つの異なるレストランで同時に、ミシュランガイドで3つ星を獲得した唯一のアメリカ人シェフのトーマス・ケラー氏がオーナーを務めるフレンチビストロ料理店である。他にも、通りの1キロメートル北側に、同じトーマス・ケラー氏が経営するミシュランガイドの3つ星の「フレンチランドリー」がある。

昼は、軽めに、ムール貝の蒸し煮、豚の血液入りのソーセージ(ブーダン・ノワール)、フライドポテトを頼んだ。ムール貝は身もスープも絶妙で、ソーセージはもちろん、フライドポテトもレベルの高さを感じる洗練された美味しさがあった。


食後は、ナパ市内を散策し、サンフランシスコの東対岸にある「オークランド」(Auckland)に向かった。今夜は「マカフィー・コロシアム」(McAfee Coliseum)に、オークランド・アスレチックス(本拠地) VS シアトル・マリナーズの試合(アメリカンリーグ(西地区))を見に行くことにしている。

球場から2キロメートル南にある「クオリティイン」(Quality Inn)にチェックインをして、歩いて球場にやってきた。この日は、ホームのオークランド・アスレチックスが勝率5割を割り低迷しており、観客数も少なくやや盛り上がりに欠ける印象があった。外野席に座り、球場内の売店で買ったビールを飲み、ホットドッグ、タコス、ポテトなどを食べながら観戦した。


こちらは距離があるが、イチロー選手。最終的に、この年のシアトル・マリナーズは、4年ぶりに最下位を脱して地区2位となったが、ポストシーズン進出はかなわなかった。イチロー選手自身は、7年連続7度目のMLBオールスターゲーム選出を果たし、MVPを受賞した上、7年連続7度目となるゴールドグラブ賞と2度目のシルバースラッガー賞を受賞するなど、相変わらずの絶好調でシーズンを終えている。

(2007.9.16~18)
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カリフォルニア(その1)

2013-02-17 | アメリカ(カリフォルニア)
昨日、午後4時5分、成田空港発ユナイテッド航空(UA838便)で、今朝午前9時18分(時差-16時間)サンフランシスコ国際空港に到着した。空港からは「バート、BART」(ベイエリア高速鉄道)に乗り換えて、先程2ndストリート沿いにあるマリオットホテルにチェックインをしたところ。これからケーブルカーに乗りポーク・ストリートに昼食を食べに行くことにしており、まずは2ndストリートを北西方面に向かう(サンフランシスコ概略図参照)。

  
正面に建つ高層ビル手前の、左右に延びるマーケット・ストリートを左折して南西方面に向かう。こちらは、バス、トロリーバス、路面電車、バートなどの公共交通機関が充実する市内で最も華やかなメインストリートで、通り両側には、街路樹の並ぶ広い歩道が続き多くの人が往来している。


マーケット・ストリートをしばらく歩くと、バートのパウエル駅となり、通り向かいから北方向にパウエル・ストリートが延びている。ここに、ケーブルカーの始発駅「パウエル停留所」(パウエル・ブールバード & マーケット・ストリート停留所、Powell Street & Market St)があり、周囲には多くの人が集まっていた。周囲が混雑していたことから、北側から停留所を眺めると、車両全体を望むことができる。因みに、マーケット・ストリート南側の大型の建物は、ウェストフィールド サンフランシスコセンター(ショッピングモール)である。
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サンフランシスコのケーブルカーは、1873年に開業し1890年までの間に23路線が存在したが、現在は3路線のみの運行となっている。その内の2路線は、こちらのパウエル停留所を起点とし、中華街(チャイナ タウン)付近まで線路を共有した後「メイソン線」(Powell-Mason)(ピア39埠頭にほど近いベイ・ストリートとテイラー・ストリートの交差点手前を終点)、と「ハイド線」(Powell-Hyde)(サンフランシスコ海事国立史跡公園を終点)に分岐して運行している。


そして、もう一つの路線は、カリフォルニア・ストリート(北へ約800メートル行った東西に延びる通り)を「カリフォルニア・ストリート線」(California Street)として運行している。

「メイソン線」と「ハイド線」は合計28両の車両を所有している。車両は、構造上、一方向にしか走行できないため、起点と終点で車両の方向を変える必要がある。具体的には、板張りの円形の転車台(ターンテーブル)中央まで車両を移動し、背板の付いたポールを人力で押して車両の向きを変える「ターンアラウンド方式」である。車両自体重いことから、もう1人が、直接車両を押して補佐する。作業自体は、乗務員2名(運転手と車掌)により行われており、常に、この様子を見学するために、多くの人が集まってくる。


一通りターンアラウンド方式を見学した後、「ハイド線」に乗車して出発した。スピードは遅いが、坂道になっても変わらず、力強く上っていく。後部席に座ると、左右に車輪を乗せるための二本の軌道と、中央の溝が確認できる。


この溝の下には、ケーブルが時速9.5マイル(15.2キロメートル)で移動しており、運転士がそのケーブルをグリップで掴むことにより車両を走行させている。逆に、停止する場合はグリップをケーブルから離し、ブレーキをかけている。運転手はグリップレバーを巧みに操作することからグリップマンと呼ばれているが、走行、停止、徐行などを行うグリップレバーの操作はかなり経験を積まないと難しい職業とされている。

15分ほど乗車して、南北に延びるハイド・ストリートと東西に延びるユニオン・ストリートとの交差点で下車する。こちらは、ケーブルカーを下車し、ユニオン・ストリートを西に200メートルほど下って振り返った様子だが、かなり勾配がきつい。。歩く距離が短いと思っても、地図だけでは判断できないのが、サンフランシスコの町。目的のレストランは、次のポーク・ストリートとの交差点を左折した右側にある。


こちらが、そのポーク・ストリート沿いにある目的地「ベトナム料理レストラン(Aux Delices)」。このエリアは、あまり治安が良くないと言われていることから、夜の訪問は避け、この時間にしたのである。


店内は、昼時を過ぎた午後2時前でもあり空いていた。料理は、生春巻き、春巻き、大根餅、お粥、フォースープなどを注文したが、本格的なベトナム料理を頂ける老舗店との評判は納得でき、大変美味しく頂いた。


食後は「サンフランシスコ・アジア美術館」(Asian Art Museum)に向かった。最寄り駅は、マーケット・ストリート沿い、バート(ベイエリア高速鉄道)のパウエル駅の次駅、シヴィック・センター駅が最寄り駅になる。レストラン(Aux Delices)からは、ポーク・ストリートを南に2キロメートル行ったシビック・センター・プラザの東隣に位置している。

アジア美術館は、建設会社を営み、国際オリンピック委員会(IOC)の第5代会長などを務めたアベリー・ブランデージ(1887~1975)が収集したアジア美術品のコレクションをベースに、1966年よりアジア美術館(前身:アジア美術協会)として開館している。


ブランデージが、アジア美術に傾倒したきっかけは、1927年に日本の根付を購入したのが始まりと言われている。その後、絵画、陶器、彫刻に至る様々なアジア全域のコレクションを作り上げ、個人では負えない規模となった1950年代以降、サンフランシスコ市へ寄贈を続けてきた。現在、美術館には、アジアからの伝統的な約18,000点の芸術作品と工芸品が所蔵されており、古いものは、6,000年前のものがある。ギャラリー(展示室)は、南アジア、イラン、中央アジア、東南アジア、ヒマラヤ、中国、日本、韓国がある。通常、ギャラリーには2,000点以上の作品が展示されている。

第1展示室(南インド~600)には、「リンガ」(400~450)」(砂岩、高さ147.3センチ、出土:インド、マディヤプラデーシュ州)が展示されている。リンガは、シヴァ神の象徴で、シヴァを祀る寺院の聖所に置かれ祀られる。多くは円筒が垂直にそそり立つ形で表されるが、こちらは、その円筒に更にシヴァの顔が模られている。丸顔に大きな目を見開き正面を凝視しており、額には特徴の第3の目が刻まれ、髪の毛は頭の上に巻き、耳飾りを付けている。


第2展示室(東インド600~1600)には、「仏陀の生涯の場面の一つ」(降魔印)(インド、ビハール州、1000~1200、パイロフィライト、高さ16.5センチ)が展示されている。作品は、北東インド(ベンガル地方とビハール地方を中心とした地域)を支配したパーラ朝(750~?1162)時代のもの。パーラ朝時代の仏教は、密教としての仏教(タントラ仏教)が盛んであったため、チベット仏教もその影響を強く受けている。


第9展示室(東南アジア600~1300)には、カンボジア・クメール(アンコール)王朝時代の「ヒンドゥ教の神シヴァ」(975~1025)(111.8センチ)と、シヴァの妻「神パールヴァティー」(975~1025)(104.1センチ)が展示されている。やや損傷があるものの、クメール美術の頂点を極めた時代の貴重な作品である。


インドネシア中部ジャワで制作された「太陽神スーリヤ」(800年~900年頃、ブロンズ像、高さ40センチ)。スーリヤとは、インド神話(ヒンドゥー教の神話)における太陽の神で、三眼に四臂姿、七頭の馬が曳く戦車に乗り天を駆けるとされている。こちらの作品は、七頭の馬が支える台座の上に立像として表現されている。脇侍としてダンダ、ピンガラ、女神などが配されている。


第10展示室(東南アジア1300~1800)には、アクリルケースにタイの仏頭が2つ展示されている。正面を向く仏頭(1350~1400、ブロンズ45.7センチ)は、アユタヤ王朝のもので、左側を向く仏頭(1350~1450、ラッカーと金メッキされた鉛青銅、48.3センチ)は、スコータイ王朝のものになる。


仏頭は、同時代のものだが、王朝としては、「スコータイ王朝」(1240頃~1438)がタイ族最初の王朝(13世紀頃までアンコール王朝の支配下にあった)で、次に中部アユタヤを中心とした「アユタヤ王朝」(1351~1767)がスコータイ王朝を吸収している。仏頭は、共に、小さなヘアカールや優しく微笑んだ表情などスコータイ様式で制作されている。体躯が失われているが、スコータイ様式では、降魔像と遊行像が多く制作されており、左側の大きめの螺髪相は、遊行像と思われる。

第11展示室(東南アジア1800~)には、インドネシアのジャワ島で生まれた「ワヤン ゴレ」が展示されている。人形は、高さ70センチほどのサイズで、舞台下から、体から頭まで伸びる木製の棒と、手に接続された棒とを巧みに操作することで演じられる。演目は、ヒンドゥー教の叙事詩ラーマーヤナやマハーバーラタなど伝統的のエピソードを中心に、地元独自で伝えられる神話など多岐にわたる。


展示されている人形は、インドの叙事詩「マハーバーラタ」に登場するラークシャサ(羅刹天)、カウラヴァ(100人の王子)、パーンダヴァ兄弟(ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ)などで、1960年代前後にチャンペア(西ジャワ)で制作されたもの。

第15展示室(中国BC.221~960)には、埋葬品「天王俑唐代彩釉陶」(618~907、唐王朝、陝西省または河南省)(高さ約120センチ)が展示されている。天王俑とは、魔よけと墓室の安全保護のため、墓の入口に配置され、埋葬者の鎮魂を目的とした。甲胄を身に付け、躍動感ある立ち振る舞いで邪鬼を踏みつける姿は、四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を思わせる。なお、天王俑には、鎮墓獣が配置されることもある。


第16展示室(中国、仏像彫刻)には、338年(中国五胡十六国の後趙(319~351)時代)に制作された「釈迦禅定坐像」(河北省、金メッキブロンズ像、高さ40センチ)が展示されている。この時代、後趙皇帝の石勒(在:319~351)は、西域出身の僧侶、仏図澄(ぶっとちょう)を保護し、都の洛陽では仏教が大いに栄えていた。中国で制作された仏像では、最古のものとされている。


美術館では睡魔がピークとなり、1時間半ほど見学して退館した。。昨夜、飛行機内ではあまり寝られなかったので、ホテルで少し休んだが、睡眠不足の解消にはいたらない。美術館内のシートでも座りながらウトウトしてしまった。海外便は、東周りの方が時差ボケが激しいと言うが、そうかもしれない。

アジア美術館の隣のシビック・センター・プラザを挟んで西隣には、ワシントンの議会議事堂によく似た白い荘厳なドームの「サンフランシスコ市庁舎」(San Francisco City Hall)が建っている。1915年にアメリカ・ルネッサンス・ボザール様式で建てられたもので、同様式には、ニューヨーク中央駅、ボストン美術館などが挙げられる。白いドームまでの高さは94メートル(ワシントンの議会議事堂より35センチメートル高い)あり、ドームでは、世界で5番目の高さがある。市庁舎では、日に3回の無料見学ツアーが開催されており、また、結婚式場としても人気が高く、毎日数十組の式が執り行われるとのこと。


時刻は午後5時半、ゴールデン・ゲート・ブリッジを渡ったダウンタウン・ソーサリトにあるスコマズ(Scoma’s Sausalito)に夕食を食べにやってきた。サンフランシスコ中心部から少し離れているが、混雑していないことからのんびり過ごすことができる。ちなみに周辺にはいくつもシーフード・レストランがあるが、海の浅瀬に杭を打ち込み、通りから海にせり出して建てられた、こちらの「スコマズ」が景観も味も評判が良い。
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テーブル席からは、抜けるような青空と広がる海面の先に、サンフランシスコ・ベイエリア、ロシアン・ヒル、アルカトラズ島を始め、オークランド・ベイブリッジまで一望できるベストポジション。素晴らしい眺めが、一段とテンションを盛り上げてくれる。

料理は、シュリンプカクテルを始め、クラムチャウダー(お勧め)、ダンジネスクラブ(アメリカチョウ蟹)のパスタ(お勧め)※写真食べかけ。。海老、蟹、魚フライの盛り合わせプレート※写真食べかけ。。など頼み、ケンウッド・ヴィンヤーズの白(カリフォルニア・ソノマ)と共に頂いた。景色の素晴らしさに加え、値段もリーズナブルで美味しく堪能できた。時折、セグロカモメが、飛来するのもスコマズならではかも。


メインを食べ終わるころ、時刻は日没時間の午後7時になった。ちょうどこの時間、ベイエリアに建つ、サンフランシスコのランドマーク「トランスアメリカ・ピラミッド」の右側の高層ビル「バンク・オブ・アメリカ」を、日没直前の最後の夕日が赤く照らしていた。
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翌朝、これから、サンフランシスコ最大の見どころの一つ「アルカトラズ島」(Alcatraz Island)の見学を予定しており、フィッシャーマンズ・ワーフ近くの「ピア33埠頭」に向かった。

フェリー船の運航間隔は、概ね30分に1便ほどである。乗船チケットは、予めインターネットで予約・購入(午前9時半発)しておき、出航20分ほど前に「ピア33埠頭」に到着した。港に到着すると、周囲は、多くの観光客でごった返していた。


予約便は、出発10分ほど前から乗船が始まり、観光客が続々と乗船していった。アルカトラズ島までは直線距離にして約2.4キロメートル、約15分の乗船時間である。この時間、空にはやや暗雲が立ち込めてきたが、今朝の天気予報では、晴れのち曇りだったので、雨は大丈夫と思うが、どうだろうか。。

フェリーは、3階建てで、最上階は屋外席だった。見晴らしが良いため屋外席が人気が高いが、この時間は、風が強く、乗船時間も短いので、一階席に座ることにした。しかし、途中で、手持ち無沙汰になり、最上階に上って前方を眺めると、ごつごつとした小さな岩の塊の様なアルカトラズ島が、徐々に迫ってくる様子を見ることができた。洋上は、かなりの強風で、船首旗がちぎれんばかりにはためいている。


予定どおり、船着場に到着し、フェリーを降りると、最初に、観光客はドックと呼ばれる旧陸軍兵舎の前に集合させられ、スタッフから見学に関する説明(英語のみ)があった。刑務所棟内では、配布されるパンフレットと貸与されるオーディオガイド(日本語あり)を聞きながら、自由に見学することができ、入館料とオーディオガイド料金は予めフェリー料金に含まれている。なお、見学は、ガイドに従って行うことも可能である。


アルカトラズ刑務所内で、一番の見どころは「セルハウス」と呼ばれる牢獄で、1909年から1912年の間に囚人によって作られたが、これらは、囚人たち自身が建設したもので、作った本人たちが牢獄に入れられていた。建設当時は、世界最大の鉄筋コンクリート製の建物だったと言われている。刑務所内には、当時のまま独房が並んでおり、他に食堂や図書館や看守のオフィスもあった。


アルカトラズ刑務所の他にも「シンシン刑務所」や「サン・クエンティン州立刑務所」等の連邦刑務所があるが、周囲を寒流が渦巻き、人喰いザメもいる等の過酷な環境を併せ持つ監獄島(アルカトラズ刑務所)は、囚人者たちに大変恐れられた。しかし、刑務所としての歴史は意外なほど短く、1934年から1963年までの29年間で閉鎖されている。


アルカトラズ刑務所に収監された囚人の最も有名な人物として、禁酒法時代のシカゴで、犯罪組織を運営したアル・カポネ(1899~1947)がいる。また、1909年に投獄され、その後アルカトラズ刑務所に移送された「アルカトラズの鳥男」の異名で知られるロバート・フランクリン・ストラウド(1890~1963)も、1961年の映画「終身犯」で取り上げられたこともあり、広く知られている。

「セルハウス」は、頑丈な鉄格子で区切られ、牢獄内には囚人たちのベッドや洗面台などがある。アルカトラズ刑務所を題材にした最も有名な映画は、1979年に公開されたアメリカ映画「アルカトラズからの脱出」であろう。主演のクリント・イーストウッド演じるフランク・モリスが、2人の囚人とともにアルカトラズ島から抜け出した事件(1962年6月のアルカトラズ脱獄事件)を映画化していた。


映画では、フランク・モリスなど囚人たちが、独房の通気孔を手製のナイフで広げ、ベッドに作り物の頭部を置いて、壁の後ろのパイプなどを伝って脱出していたが、こちらの独房の様子は、細かい箇所まで、映画のシーンとそっくりで、大変興味深かった。

一通り刑務所内の見学を終え、外に出ると、晴れ間がのぞき始めた。強風は少し収まったが、波は荒立っている。「アルカトラズからの脱出」のラストで、囚人たちは手製のいかだで海に出るが、その後は生存も死亡も確認されておらず、消息は不明で終わっている。実際、記録上も脱走に成功した囚人はいないとされている。
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帰りのフェリーは予約指定がないので、ゆっくり見学し、12時発に乗船した。2階席の船首展望デッキに陣取り、サンフランシスコのウォーターフロント方面を眺めながら「ピア33埠頭」に戻った。
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お昼時になったので、これから食事に向かう。場所は、ケーブルカー(カリフォルニア・ストリート線)の終着駅ヴァンネス・アベニュー停留所近くを予定している。最初に、ピア33埠頭の倉庫兼店舗のある建物を抜け、大通りを横断した停留所から、路面電車に乗車する。ちなみに、倉庫兼店舗のある建物の大きなアーチ門には、それぞれ埠頭番号が書かれている。ピア33埠頭に向かって右側の建物には、ピア31埠頭と表示がある。


こちらの路面電車は「Fライン」と呼ばれ、各国など他都市で利用されていたクラシックな車両が日替わりで運行される特別な路線になる。この日は、英国ブラックプールのオープンカートラムが走行していた。ちなみに、サンフランシスコ市内を走行する他の路面電車は、ミュニメトロと呼ばれ6路線(K、L、M、J、N、T)が運行している。


英国ブラックプールのオープンカートラムは、船のような流線型の外観が特徴で「ボート カー」の愛称がある。1933年から5年間、英国エレクトリック社により12台(225号~236号)が製造され、英国北西部のブラックプールで走行していた。その後、多くが廃車となるが、1980年代に入り、カリフォルニア州が、226号車と228号車を博物館展示用としてリースし、後にサンフ​​ランシスコ市営鉄道(ムニ)が購入し観光用として不定期で運行している。ボート カー(Fライン)は、サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ近くのフェリービルディング停留所に到着した。


次に、マーケット&ドラム・ストリート(Market St & Drumm St)停留所からカリフォルニア・ストリートを東西に走るケーブルカー(カリフォルニア・ストリート線、California Street)に乗車する。カリフォルニア・ストリート線の車両は、パウエル両線と違い、両方向に走行でき、現在、12両の両運転台車両が運行されている。後部に陣取っていると、なだらかに通りを上るにつれ、サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジの姿が徐々に見えてくる。

カリフォルニア・ストリートのなだらかな上りは、中華街から延びる目抜き通りのグランド・アベニューとの交差点を過ぎると、突然、体を大きく前後に引っ張られ、勢いよく急勾配を上っていく。上りきるとノブ・ヒルの丘の上となる。
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ノブ・ヒルの丘の上をしばらく走行すると、目的のレストラン(スワン オイスター、Swan Oyster Depot)はもうすぐ。最寄り駅は、終着停留所となるヴァンネス・アベニュー(Van Ness Avenue)の一つ前のポーク・ストリート停留所となる。

レストランは、カリフォルニア・ストリートに面していることからすぐに分かった。入口には、食材を並べたショーケースがあり、調理前の魚や蟹の他に、トレイには切り身の魚や、ホタテ、はまぐり、ムール貝、車海老などが並べられている。
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店内は、座席数が少ないこともあり混雑していた。テーブル席は難しそうなので、狭いカウンター席に何とか座り、生牡蠣や生クラム、クラムチャウダー、魚介のカクテルなどを注文した。クラムチャウダーは、お勧めの自家製で蟹の身も入っており絶品。白ワインともよくあっている。ところで、どのシーフード店でも、ケチャップのソースが必ず出てくるが、素材の鮮度を楽しむならレモンを絞るだけの方が美味しい。
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こちらが、お勧めの「生クラム」。日本では、ハマグリやアサリは生で食べないので、少し緊張して食べた。身はやや甘みがありシャキシャキして美味しい。どの料理も新鮮で味は最高だし、カウンター越しのマスター(アヒルのおもちゃを背景に忙しそうに動く。)はフレンドリーで親切なのだが、客席誘導をしないので、店内には、座れないお客が、席が空くのを待っている状態。ゆっくりできないのが残念だが、混雑する一方なので、食べ終わると早々に退散した。
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カリフォルニア・ストリートを東に700メートルほど戻ったエリアが、丘の上の高級住宅地ノブ・ヒル(Nob Hill)になる。南北に延びるメイソン・ストリートとの交差点には、茶系外観の建物「ジェームズ・C・フロード・マンション(James C. Flood Mansion)」(1886年築)が建ち、西隣のハンティントン パークを挟んで「グレース大聖堂」(Grace Cathedral)のファサードが望める。
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グレース大聖堂は、カリフォルニア・ゴールドラッシュ時の1849年に小さな礼拝堂「グレース教会」として建設された。その後、数度の増改築を経て大聖堂となったが、1906年のサンフランシスコ大地震で崩壊(火災による)したことから、銀行家のクロッカー一族が寄進した現在のノブ・ヒルの地に、1927年から建築が始まり、1964年に完成している。鉄筋コンクリート造のゴシック・リヴァイヴァル建築で、パリのノートルダム大聖堂を模した外観をしている。


ジェームズ・C・フロード・マンション東側には、南北に走るメイソン・ストリートを挟んで、1907年開業の老舗ホテル「フェアモント サンフランシスコ」(Fairmont San Francisco)が建っている。豪華な大理石や繊細な装飾など古さを感じさせない風格と、丘の頂上に位置する立地条件の良さが大変魅力的な高級ホテルである。


そのフェアモント サンフランシスコ前から、メイソン・ストリートをほんの数メートル北に歩くと、勾配の急な下り坂になり、サンフランシスコ湾が見渡せる。島は「エンジェル アイランド 州立公園」(Angel Island State Park)で、右端に隠れてしまったが、アルカトラズ島がある。この場所から眺めていると、海から吹き上げてくる強い風で押し戻されそうになった。
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カリフォルニア・ストリートを挟んで南側に建つ「インター コンチネンタル ホテル」前が、ノブ・ヒルの丘の上にいることを一番実感できる。正面入口だけが平地にあり、左(東)のカリフォルニア・ストリートと、右(南)のメイソン・ストリートが大きく下がり斜面にホテルが建っているのが分かる。
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インター コンチネンタル ホテルを左に見ながら、斜面に駐車する車からメイソン・ストリートを南方向に眺めるとこんな様子。北側と同じようにかなりの勾配がある。右側には、高級マンションらしい外観が続いている。
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次の目的地「ユニオンスクエア」(Union Square)までは、下りなので歩いて向かった。最初にカリフォルニア・ストリートを東に150メートル下り、パウエル・ストリートとの交差点を右折し、ケーブルカーの軌道に沿って400メートルほど南に下ると「ユニオンスクエア」に到着する。広さ約1万平方メートルの長方形の広場で、周囲には椰子の木が植えられ、中心には、米西戦争のマニラ湾海戦で英雄となったジョージ・デューイ提督(Admiral George Dewey)をたたえる高さ約30メートルの記念碑が建っている。


広場の周囲は、ティファニー、ルイヴィトン、ディオール、ブルガリなど高級ショッピングの中心地でもあり、買い物客や観光客で常に賑わっている。

次にサンフランシスコを代表する観光名所「フィッシャーマンズ・ワーフ」(Fisherman's Wharf)の「ピア39埠頭」にやってきた。今朝、アルカトラズ島に向かった「ピア33埠頭」からは、400メートルほど西の海岸線に位置している。野性のアシカがたくさんいることでも知られており、入り江沿いに設けられた花壇傍にはアシカの彫像が飾られている。またこちらの桟橋からは、まるで戦艦を思わせる様な形状の「アルカトラズ島」も一望できる。


海に細長く伸びる「ピア39埠頭」の桟橋には、木造二階建ての建物が立ち並び、ショッピングモール、レストラン、ギフトショップなど個性的でおしゃれな100軒以上のお店が軒を連ねるなど、フィッシャーマンズ・ワーフで最も賑やかなエリアとなっている。また、子供に人気のメリーゴーランドなどのアトラクション施設や、ストリート・パフォーマーの登場など、テーマパークを思わせる演出も盛りだくさん。
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そして、「ピア39埠頭」前のジェファーソン・ストリートを500メートルほど西に向かったウォーターフロント北部に位置する埠頭が「ピア45埠頭」で、その埠頭入口には、カニがデザインされたフィッシャーマンズ・ワーフのシンボルマークが飾られている。フィッシャーマンズ・ワーフは、「漁師の波止場」を表しており、古く19世紀後半のゴールドラッシュでサンフランシスコが発展したのを機に最初に栄えた港町だった。


「ピア45埠頭」前を南北に延びるテーラー・ストリートの西沿いには、老舗のシーフードレストランが並んでいる。左側の青色に白字のパラペット看板の店舗は、1927年創業の「サベーラ・アンド・ラ トーレ」(Sabella and La Torre)」で、その右隣の紫色に白字のパラペット看板は、創業1934年創業の「ニックズ・ライトハウス(Nick’s Lighthouse)」。共に、レストラン入口沿いに屋台があり、名物のダンジェネス クラブ(渡り蟹の一種)を始め、フライド シュリンプ、カラマリ、エビ サンド、クラブ サンド、クラブ カクテル、エビ カクテルなどをテイクアウトできる。この時間(午後6時50分)は、行列ができるほどの人で賑わっていた

そして、その隣のレンガ色の3階建ての店舗は、魚の絵にAlioto'sと表示されたシンボルマークで有名な、シーフードレストラン「アリオト」(Alioto's)である。1925年にシチリア人移民ヌンツィオ・アリオトが、カニとエビ カクテルをフィッシュスタンドで販売し人気を博したことに始まる歴史あるシーフードレストラン。「アリオト」の経営は、代々アリオト家が事業を引き継いでいる。


「アリオト」の1階入口両側は、オープンテラスのテーブル席となっており、この時間多くの来店客で賑わっていた。ちなみに「アリオト」には、1995年、ノルウェー国王のハーラル5世とソニア王妃が来店し食事したことでも話題になった。そして「アリオト」の右隣りに、創業1935年の「グロット」(Grotto)が続いている。

これら老舗のシーフードレストランの西側(後ろ側)は、船溜まりとなっており、桟橋には多くの漁船が停泊している。中央の細い桟橋を歩いて「アリオト」を振り返ると、「アリオト」と、隣の「タランティーノ」(Tarantino's)のテーブル席に多くの客が座っていた。

今夜は、人込みで疲れたこともあり、観光客ご用達の老舗シーフードレストランの味は普通評価が多いこともあり、近隣の建物内の一角にある小さなレストラン「Pesce Seafood Bar」で夕食を頂くこととした。Pesceとはイタリア語で「魚」を意味する。


飲み物は、地元サンフランシスコのクラフトビール(アンカースチーム)と、白のハウスワインを頼んだ。アンカースチームとは、1896年にアンカー・ブルーイング社が、カリフォルニアで最初に生産した歴史あるビールで、キレとコクが特徴のラガービールでありながら、エール製法で発酵された風味豊かな味わいが特徴の一品である。


料理は、シンプルなシーフードではなく、イカ墨のリゾット、ブイヤベース、カニ味噌を使ったやや手の込んだ料理を注文した。料理は美味しく、店内も落ち着いた雰囲気がありゆっくり食事ができた。

(2007.9.14~15)
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