午前11時半、祇園精舎の見学を終えて遺跡公園を後にした。
朝、祇園精舎の入口前の「マヘート通り」には多くの車やバスが停車していたが、この時間は閑散としている。巡礼ツアー等は昼食に向かっているのだろう。
祇園精舎の入口の向かい側には、スリランカ寺院が建っている。扉口から内部をうかがうと守護神像(ガードストーン)が立っているのが見える。
「マヘート通り」の東側にはスリランカ寺院が建つだけで、周りは一面に田畑が広がっている。
次に、祇園精舎の鐘を見に行くことにする。「マヘート通り」南に下り、突き当たり丁字路を左折して「バーライチ・バルランプル通り」に入り、バルランプル方面へ進む。南側に煉瓦色のミャンマー寺院を過ぎて、
丁字路から500メートルほど行った南側の木々に覆われた参道を進むと、鐘楼が見えてくる。
こちらが、1981(昭和56)年に、日本の「日本国祇園精舎の鐘の会」が寄贈した鐘と鐘楼である。もともと、祇園精舎に鐘は無かったが、祇園精舎の鐘の場所を尋ねる日本人が多かったことから設置された。多くの日本人が鐘を求めたのは、平家物語の冒頭部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、」が、心にすりこまれているからだろう。ちなみに、京都にある岩澤の梵鐘(株)による鋳造とのこと。
鐘楼のある敷地は、正方形の公園になっており、十字の参道が敷かれその中心部に鐘楼が建っている。敷地の西端まで行ってみると、ジャイナ教寺院や先ほど通り過ぎたミャンマー寺院が望める。
「バーライチ・バルランプル通り」までもどり、東隣を見ると韓国の寺院がある。ちなみに、現在、「サヘート・マヘート」に自国の寺院を設置しているのは、タイ、韓国、スリランカ、ミャンマー、チベット、中国の6か国である。
次に「バーライチ・バルランプル通り」を更に1キロメートルほどバルランプル方面へ進むと右手に看板が見えてくる。
ここは、オーラジャハール遺跡と言い、仏教徒にとって重要な聖地となっている。仏陀が開いた仏教の教えは、階級制度を否定する新しい思想を持っていたことから、バラモン教、ジャイナ教、アージーヴィカ教などから繰り返し教義に関する論争を仕掛けられてきた。
仏陀は、その都度、それら異教を論破し、教えを説いて仏教へと改宗させてきたが、この、オーラジャハールの地では、仏陀が、一瞬のうちに千体仏を出現させる「千仏化現」や、身体の上部と足元から交互に炎と水が噴き出す「双神変」などの奇跡を異教徒に見せて仏教に改宗させた場所として知られている。奇跡の場面は古来より仏教美術の題材として取り入れられ多くの作品を残している。
オーラジャハールの遺跡は、高さ30メートルほどの仏塔である。遺跡へは、専用の鉄扉から入場する。入場料は無料であった。
敷地内に入ると、仏塔へは、正面から延びる砂利道を歩いて上る。
ところで、「バーライチ・バルランプル通り」沿い、ややバルランプル側からオーラジャハールを眺めると、現在では、草木が覆い茂る小高い丘にしか見えないため、気を付けていないと、通り過ぎてしまう。
さて、仏塔の頂部に続く砂利道は、訪れる人も少ないのか整備されておらず、気を付けないと滑りそうだ。
仏塔の頂部には、煉瓦が綺麗に積み上げられた寺院が建っており、砂利道は寺院の西側に繋がっている。
寺院は正面を真北に向いた一辺が20メートルほどの正方形の敷地をしているが、間取りが複雑である。正面側に行ったが入口が分からず、回り込んで東側の一段低い煉瓦を乗り越えて中に入った。
北側はテラスになっており、まっすぐ進むと西側に南北に延びる通路がある。
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左側の構造物はひな壇造りで下部に浮彫状に煉瓦が積まれており、頂部には半円形の大きな空洞がある。空洞は寺院の概ね中心部にあたる。寺院には屋根はあったのか、また何層かに分かれていたのか等は良く分からない。斜めに隣接する構造物も頂部にいびつな段差がついているなど不思議な形状をしている。
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南突き当たりがやや広い空間になっており、最も重要な場所であろう台座(祠堂)が置かれている。この台座前で合掌する。ところで、寺院への出入り口は南東角からだったようで、左側から外に出られる通路があった。
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仏陀は、或る時、三十三天(とう利天)にいる母マーヤー夫人に法を説くために旅立ち、サーンカーシャの地に降り立った(三道宝階降下伝説)が、このオーラジャハールがとう利天へ昇天した場所とされている。
寺院からは、周りを眺望することができる。南側を眺めると沼地が広がっており、近辺には構造物は見当たらない。
こちらは北西方面になり、左下に寺院に隣接して、小部屋に仕切られた遺構がある。ちなみに南側にも同様の遺構が隣接している。遠景に続く雑木林が左側が祇園精舎のある「サヘート」地区で、右側が舎衛城のある「マヘート」地区になる。祇園精舎の入口までは、直線距離で1.5キロメートルほどになる。
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視線を右側の「バーライチ・バルランプル通り」沿いに移してみる。寺院の中央前方に小さな正方形の遺構が隣接している。寺院は真北を向いており、直線距離で1.5キロメートル先が舎衛城の南門にあたる。もしかすると、舎衛城からオーラジャハール寺院への参道が通じていたのかもしれない。現在通り沿いには民家が数件並んでいるだけである。
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物音が聞こえたので、斜面を見ると、数匹の猿が山頂に向けて駆け上がってくる。怖くなり、逃げるように下山した。
下山して民家を見に行ってみる。「バーライチ・バルランプル通り」から北に延びる路地の方角から子供の声が聞こえたのでそちらに行ってみると学校があった。上水道は整備されていないようで、井戸水で手を洗っている。中央の煉瓦造りの建物の外にトタンの庇をかけ、傾いた机で勉強する子供の姿を見ていると寂しくなってくる。
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隣接する校舎もトタン屋根で、壁がないため、子供たちが勉強している姿が見える。左側には親御さんか教師が、木の陰に椅子を並べて座っている。戦後、校舎等を焼失し屋外で授業を行った青空教室のようだ。校舎は簡素なつくりで雨季になると耐えられないのではないかと少し心配になった。
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東側のあぜ道からオーラジャハール仏塔を眺めてみたが、やはり小山にしか見えない。。
通りには、時折馬車が現れる。何とも長閑な風景である。
これで、シュラーヴァスティーの見学は終わりである。時刻はお昼12時になった。あとは、バナーラスに向けて約300キロメートルの道のりを帰るだけである。
出発して20分ほどでバルランプル駅の踏み切りを越えた。左側の駅方向を見ると、不通なのか線路上に赤い旗が立っている。
バルランプル市内を抜け、しばらく走ると快適な直線道路になった。
前方からトラクターが現れたが、驚く程多くの人が乗っている。バス替わりにトラクターを使っているのだろうか。。
お祭りが行われているのか、多くの人が飾り物を持って歩いている。昨夜の通行止めを思い出し不安になったが、特に通行止めなどはなく通り過ぎた。
田園地帯から一転して周りは森林になった。かなり大きい森のようで6キロメートルほど走行する。
午後3時半。前方にガーグラ-川が現れた。ガーグラ-川は、ネパールのヒマラヤ山脈を横切って流れ、インドに入った後はビハール州の州都パトナの西側でガンジス川に合流している。
対岸に見える街は、アヨーディヤーでインドの古都である。「難攻不落の都城」を意味し、コーサラ国の初期の首都であった。7キロメートル西にはウッタル・プラデーシュ州の中心都市ファイザーバードの街がある。叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公ラーマ王子の故郷として知られている。
また、アヨーディヤーは、古くは「サーケータ」という名で知られている。サーケータの近郊には、アンジャナ林があり、仏陀は、この地に滞在しサーケータに托鉢に出かけていたという。なお、アンジャナ林は、ジャータカ物語「シカ王ナンディヤ」の舞台でもある。もしかして、先ほど通過した、森はアンジャナ林だったのではないか。。
ガーグラ-川沿いには、ガートが続いている。この地は、ヒンドゥ教ではインドの七聖地の筆頭とされている。
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ガートでは、多くの人が沐浴している。階段中程に沐浴者グループ毎に長方形の木製の台が並んでいるが、荷台として使用しているのだろうか。また、階段上部には、布や藁を編んだむしろをかけた木製の建物が並んでいるが、お店なのだろうか。。珍しい光景で非常に興味深い。
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ところで、目的地のバナーラスは、アヨーディヤーから200キロメートルほど南東に位置している。午後4時半を過ぎ、下校時間になったのか、女子高生が乗る自転車の列が続いている。
標識が現れたので、確認するとバナーラスまで、162キロメートルと書かれている。
午後5時半を過ぎ、あたりは暗くなってきた。
踏み切りが現れた。しかし、あと何キロなのだろう。助手席に乗っているだけだが、だいぶ疲れてきた。。
バナーラスには午後9時に到着した。以前2度行ったレストランで遅めの夕食を取る。
都会?のカレーはうまい。
予定していた仏跡見学のスケジュールはすべて終わった。慌しくもあったが、体調を崩さず概ね訪問予定の場所へは行くことが出来たので大変満足した。
*************************************
翌水曜日の夜、ガンジス川沿いのダシャーシュワメード・ガートでフェスティバルが催された。
寺院の上に観光客向けの席が用意してくれたのでそこから見学した。祭りは最高潮に達し花火が打ち上げられる。バナーラスとは、これでお別れである。ドライバーのヴィージェイを初め、お世話になった皆さんに感謝!感謝!である。
(2012.11.26)
朝、祇園精舎の入口前の「マヘート通り」には多くの車やバスが停車していたが、この時間は閑散としている。巡礼ツアー等は昼食に向かっているのだろう。
祇園精舎の入口の向かい側には、スリランカ寺院が建っている。扉口から内部をうかがうと守護神像(ガードストーン)が立っているのが見える。
「マヘート通り」の東側にはスリランカ寺院が建つだけで、周りは一面に田畑が広がっている。
次に、祇園精舎の鐘を見に行くことにする。「マヘート通り」南に下り、突き当たり丁字路を左折して「バーライチ・バルランプル通り」に入り、バルランプル方面へ進む。南側に煉瓦色のミャンマー寺院を過ぎて、
丁字路から500メートルほど行った南側の木々に覆われた参道を進むと、鐘楼が見えてくる。
こちらが、1981(昭和56)年に、日本の「日本国祇園精舎の鐘の会」が寄贈した鐘と鐘楼である。もともと、祇園精舎に鐘は無かったが、祇園精舎の鐘の場所を尋ねる日本人が多かったことから設置された。多くの日本人が鐘を求めたのは、平家物語の冒頭部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、」が、心にすりこまれているからだろう。ちなみに、京都にある岩澤の梵鐘(株)による鋳造とのこと。
鐘楼のある敷地は、正方形の公園になっており、十字の参道が敷かれその中心部に鐘楼が建っている。敷地の西端まで行ってみると、ジャイナ教寺院や先ほど通り過ぎたミャンマー寺院が望める。
「バーライチ・バルランプル通り」までもどり、東隣を見ると韓国の寺院がある。ちなみに、現在、「サヘート・マヘート」に自国の寺院を設置しているのは、タイ、韓国、スリランカ、ミャンマー、チベット、中国の6か国である。
次に「バーライチ・バルランプル通り」を更に1キロメートルほどバルランプル方面へ進むと右手に看板が見えてくる。
ここは、オーラジャハール遺跡と言い、仏教徒にとって重要な聖地となっている。仏陀が開いた仏教の教えは、階級制度を否定する新しい思想を持っていたことから、バラモン教、ジャイナ教、アージーヴィカ教などから繰り返し教義に関する論争を仕掛けられてきた。
仏陀は、その都度、それら異教を論破し、教えを説いて仏教へと改宗させてきたが、この、オーラジャハールの地では、仏陀が、一瞬のうちに千体仏を出現させる「千仏化現」や、身体の上部と足元から交互に炎と水が噴き出す「双神変」などの奇跡を異教徒に見せて仏教に改宗させた場所として知られている。奇跡の場面は古来より仏教美術の題材として取り入れられ多くの作品を残している。
オーラジャハールの遺跡は、高さ30メートルほどの仏塔である。遺跡へは、専用の鉄扉から入場する。入場料は無料であった。
敷地内に入ると、仏塔へは、正面から延びる砂利道を歩いて上る。
ところで、「バーライチ・バルランプル通り」沿い、ややバルランプル側からオーラジャハールを眺めると、現在では、草木が覆い茂る小高い丘にしか見えないため、気を付けていないと、通り過ぎてしまう。
さて、仏塔の頂部に続く砂利道は、訪れる人も少ないのか整備されておらず、気を付けないと滑りそうだ。
仏塔の頂部には、煉瓦が綺麗に積み上げられた寺院が建っており、砂利道は寺院の西側に繋がっている。
寺院は正面を真北に向いた一辺が20メートルほどの正方形の敷地をしているが、間取りが複雑である。正面側に行ったが入口が分からず、回り込んで東側の一段低い煉瓦を乗り越えて中に入った。
北側はテラスになっており、まっすぐ進むと西側に南北に延びる通路がある。
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左側の構造物はひな壇造りで下部に浮彫状に煉瓦が積まれており、頂部には半円形の大きな空洞がある。空洞は寺院の概ね中心部にあたる。寺院には屋根はあったのか、また何層かに分かれていたのか等は良く分からない。斜めに隣接する構造物も頂部にいびつな段差がついているなど不思議な形状をしている。
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南突き当たりがやや広い空間になっており、最も重要な場所であろう台座(祠堂)が置かれている。この台座前で合掌する。ところで、寺院への出入り口は南東角からだったようで、左側から外に出られる通路があった。
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仏陀は、或る時、三十三天(とう利天)にいる母マーヤー夫人に法を説くために旅立ち、サーンカーシャの地に降り立った(三道宝階降下伝説)が、このオーラジャハールがとう利天へ昇天した場所とされている。
寺院からは、周りを眺望することができる。南側を眺めると沼地が広がっており、近辺には構造物は見当たらない。
こちらは北西方面になり、左下に寺院に隣接して、小部屋に仕切られた遺構がある。ちなみに南側にも同様の遺構が隣接している。遠景に続く雑木林が左側が祇園精舎のある「サヘート」地区で、右側が舎衛城のある「マヘート」地区になる。祇園精舎の入口までは、直線距離で1.5キロメートルほどになる。
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視線を右側の「バーライチ・バルランプル通り」沿いに移してみる。寺院の中央前方に小さな正方形の遺構が隣接している。寺院は真北を向いており、直線距離で1.5キロメートル先が舎衛城の南門にあたる。もしかすると、舎衛城からオーラジャハール寺院への参道が通じていたのかもしれない。現在通り沿いには民家が数件並んでいるだけである。
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物音が聞こえたので、斜面を見ると、数匹の猿が山頂に向けて駆け上がってくる。怖くなり、逃げるように下山した。
下山して民家を見に行ってみる。「バーライチ・バルランプル通り」から北に延びる路地の方角から子供の声が聞こえたのでそちらに行ってみると学校があった。上水道は整備されていないようで、井戸水で手を洗っている。中央の煉瓦造りの建物の外にトタンの庇をかけ、傾いた机で勉強する子供の姿を見ていると寂しくなってくる。
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隣接する校舎もトタン屋根で、壁がないため、子供たちが勉強している姿が見える。左側には親御さんか教師が、木の陰に椅子を並べて座っている。戦後、校舎等を焼失し屋外で授業を行った青空教室のようだ。校舎は簡素なつくりで雨季になると耐えられないのではないかと少し心配になった。
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東側のあぜ道からオーラジャハール仏塔を眺めてみたが、やはり小山にしか見えない。。
通りには、時折馬車が現れる。何とも長閑な風景である。
これで、シュラーヴァスティーの見学は終わりである。時刻はお昼12時になった。あとは、バナーラスに向けて約300キロメートルの道のりを帰るだけである。
出発して20分ほどでバルランプル駅の踏み切りを越えた。左側の駅方向を見ると、不通なのか線路上に赤い旗が立っている。
バルランプル市内を抜け、しばらく走ると快適な直線道路になった。
前方からトラクターが現れたが、驚く程多くの人が乗っている。バス替わりにトラクターを使っているのだろうか。。
お祭りが行われているのか、多くの人が飾り物を持って歩いている。昨夜の通行止めを思い出し不安になったが、特に通行止めなどはなく通り過ぎた。
田園地帯から一転して周りは森林になった。かなり大きい森のようで6キロメートルほど走行する。
午後3時半。前方にガーグラ-川が現れた。ガーグラ-川は、ネパールのヒマラヤ山脈を横切って流れ、インドに入った後はビハール州の州都パトナの西側でガンジス川に合流している。
対岸に見える街は、アヨーディヤーでインドの古都である。「難攻不落の都城」を意味し、コーサラ国の初期の首都であった。7キロメートル西にはウッタル・プラデーシュ州の中心都市ファイザーバードの街がある。叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公ラーマ王子の故郷として知られている。
また、アヨーディヤーは、古くは「サーケータ」という名で知られている。サーケータの近郊には、アンジャナ林があり、仏陀は、この地に滞在しサーケータに托鉢に出かけていたという。なお、アンジャナ林は、ジャータカ物語「シカ王ナンディヤ」の舞台でもある。もしかして、先ほど通過した、森はアンジャナ林だったのではないか。。
ガーグラ-川沿いには、ガートが続いている。この地は、ヒンドゥ教ではインドの七聖地の筆頭とされている。
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ガートでは、多くの人が沐浴している。階段中程に沐浴者グループ毎に長方形の木製の台が並んでいるが、荷台として使用しているのだろうか。また、階段上部には、布や藁を編んだむしろをかけた木製の建物が並んでいるが、お店なのだろうか。。珍しい光景で非常に興味深い。
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ところで、目的地のバナーラスは、アヨーディヤーから200キロメートルほど南東に位置している。午後4時半を過ぎ、下校時間になったのか、女子高生が乗る自転車の列が続いている。
標識が現れたので、確認するとバナーラスまで、162キロメートルと書かれている。
午後5時半を過ぎ、あたりは暗くなってきた。
踏み切りが現れた。しかし、あと何キロなのだろう。助手席に乗っているだけだが、だいぶ疲れてきた。。
バナーラスには午後9時に到着した。以前2度行ったレストランで遅めの夕食を取る。
都会?のカレーはうまい。
予定していた仏跡見学のスケジュールはすべて終わった。慌しくもあったが、体調を崩さず概ね訪問予定の場所へは行くことが出来たので大変満足した。
*************************************
翌水曜日の夜、ガンジス川沿いのダシャーシュワメード・ガートでフェスティバルが催された。
寺院の上に観光客向けの席が用意してくれたのでそこから見学した。祭りは最高潮に達し花火が打ち上げられる。バナーラスとは、これでお別れである。ドライバーのヴィージェイを初め、お世話になった皆さんに感謝!感謝!である。
(2012.11.26)