ドイツ・リンダウからオーストリア・ブレゲンツを経由して、アルプスの山々が見渡せるスイス北東部のアッペンツェル(Appenzell)にやってきた。このあたりで、標高が約800メートルになる。これから更に南に向かいアルプスの絶景ポイントの一つ「エーベンアルプ(Ebenalp)」のトレッキングを予定しているが、やや曇りがちなのが気になるところ。
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アッペンツェル鉄道と並行する街道を進むと、左側に駐車車両が並ぶ終着駅のヴァッサーラウエン駅(Wasserrauen)が見えてきた。街道での一般車両の走行はこの辺りで終点となり、この先数キロメートルは地元関係者のみ侵入が可能で、その後山岳地帯となり行き止まりとなる。
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目的地のエーベンアルプ(Ebenalp)は、ヨーロッパ・アルプス山脈の一部で、スイス北東部を東西に連なるアルプシュタイン山系(Alpstein)の東端にある岩壁上(標高1644メートル)に位置している。そのエーベンアルプへはロープウェイが運行しており、ヴァッサーラウエン駅から少し街道を戻ってシュヴェンディ川を渡った先の山小屋風の建物から出発することになる。
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その山小屋風の建物のロープウェイ乗車駅を入るとチケット売り場があり、乗車運賃が片道で20スイスフラン、往復で31スイスフランと表示されている。さすがに世界一物価高と称されるスイスであり、日本の2倍位の金額の印象である。この日は歩いて下山するつもりだったので、この場では片道分のチケットを購入した。
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早朝だと行列ができるかもしれないが、午後3時半を過ぎたこの時間の乗車人数は7~8人だった。ロープウェイは緑で覆われ所々岩肌を覗かせる急勾配の山を下に見ながら力強く上って行く。見る見るうちに、先ほどまで通った街道や家並みが豆粒の様に小さくなり、5~6分で山頂駅が見えてきた。
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エーベンアルプのハイキング&トレッキングコースは、ガイドマップによると全部で11コースある。中でも、エーベンアルプ駅から尾根道を進み、南西方面のクルス(Chlus)やシャフラー(Schäfler)(標高1924メートル)まで歩くコースと、東側から階段を下りて、岩壁沿いのヴィルドキルヒリ(Wildkirchli)、エッシャー(Äscher)を経由して、クルスやシャフラーに向かうコースが一般的だ。しかし、下山する場合は、再びロープウェイに乗車するか、歩いて下山することになる。
今回は、岩壁沿いのヴィルドキルヒリ、エッシャーを通り、そのまま下山し、ゼーアルプ湖(Seealpsee)を経由して、ヴァッサーラウエン駅に戻る「ガイドマップの⑧」を選択することにした。既に時刻が午後4時前なので、あまりのんびりもできないわけだ。では、駅到着後、駅舎の横からエッシャー方面に続く東側の階段を降りて行く。
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目の前には、放牧中の牛がいて、その向こうに素晴らしい眺めが広がっている。眺望は北東側になり、先ほど通過してきた町並みが望める。左上のかすかに見えるアッペンツェルから、なだらかな丘を越え、左側のヴァイスバート(Weissbad)を通り、右側のシュヴェンデ(Schwende)を通りすぎて、ヴァッサーラウエン駅まで来たわけだ。
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ロープウェイのケーブル下を通る細い山道コースを下って行くと、タイミングよくロープウェイが上ってきた。コースの斜面側には、転落防止用のワイヤーが設けられている。
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大きな岩壁沿いに、岩壁をくりぬいて作られた洞窟があり、中を通過するコースとなっている。もともと中期旧石器時代のネアンデルタール人の居住跡と言われているが、手すりやライトも設置され、安心して通行できる。洞窟を抜けると小さな山小屋(博物館)があり、その先は礼拝堂があるヴィルドキルヒリ(Wildkirchli)となる。現在は真新しい祭壇と礼拝席が並んでいるが、アッペンツェルの司祭パウルスウルマン(1613~1680)が設立した歴史ある礼拝堂である。再び細い通路となり、引き続き巨大な岩壁の下の山道を下って行くと素晴らしい眺望が広がり始めた。
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コースは、岩壁に沿って東側から回り込む様に南側に進んでいる。前方には、マルヴェエス(Marwees)(標高2026メートル)の山々が続いている。こちら側のエーベンアルプの山々と並行するマルヴェエス山系とが作り出す渓谷が、右側から左側にかけて徐々に扇状地となって広がる最大の絶景のポイントの一つである。そして、コース沿い右側の岩壁側には、張り付く様に木造3階建ての「ガストハウス・エッシャー(Berggasthaus Äscher)」があり、テラスではその絶景を眺めながら美味しそうにビールを飲む登山客の姿が見られた。
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今日は雲の流れが速く、見るたびに山の景色は変わっていく。遠景の残雪のあるアルトマン(Altmann)(標高2435メートル)の山頂は、雲で覆われたり現れたりを繰り返している。ガストハウス・エッシャーを過ぎると羊小屋があり、狭いコース上に羊が放牧されている。
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振り返って眺めると、羊は、コース沿いの狭い斜面に数多く集まっているのが分かる。
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岩壁の下からは、一面草木に覆われ始める。足元にも大小の岩が転がり、根があちらこちらに交差する荒れた下り道が続く。急斜面の連続に、徐々に膝が辛くなり始める。。
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うっそうと茂る木々の合間から所々で視界が広がり美しい景色を見ることが出来る。真上を見ると、花が咲き誇る斜面の先から垂直に延びる岩壁が、頭上に覆いかぶさってくる様に感じられる。大昔、断層活動により、山頂部分の地層が大きく隆起した結果なのだろう。
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向かい側のマルヴェエス山頂付近の特徴のある岩壁に雲がかかり始めた。だいぶ岩壁が上に見えるのでかなり下山してきたのだろう。スタートから約1時間が経過し午後5時になった。
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渓谷付近まで下りてきた様だ。しかしこの辺りはなだらかな斜面が広範囲に広がる平坦地となっている。コースが交差する前方には山小屋やホテル「ベルグガストハウス・ ゼーアルプゼー」が建っている。右側には尖った山頂が特徴の「ゼンティス山(Säntis)」(標高2502メートル)が望める。
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ホテル前からは、ゼーアルプ湖(標高1143メートル)を望むことができる。湖は東西に横長で13.6ヘクタール(東京ドームの約3個分)の広さがある。ここは、湖の中ほど北岸にある小さな入り江から西側を眺めた様子で、湖面はさざ波もなく鏡の様に周囲の風景が写り込んでいる。正面のゼンティス山の山頂は、あっという間に雲がかかって見えなくなった。
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ホテル前から再び元来た道を戻り、シュヴェンディ川を渡って、交差路を右側(東)に向けてコースを下って行く。正面の山頂付近の岩壁の下部あたりが先ほどまでいたエッシャー付近になるのだろう。交差路の標識にはヴァッサーラウエン駅まで50分とあり、少し急ぎ足で向かった。
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湖を過ぎたころから雨が降り出したので、レインコートを着用した。途中右側の渓谷が深くなる個所が続いた後、平坦地が広がりシュヴェンディ川がコースのすぐ横を流れ始めた。振り返ると、マルヴェエスの岩壁も僅かに見えるだけとなり、後方の「ゼンティス山」の山頂もまもなく見えなくなった。
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山小屋の前で草を啄む山羊の姿はまことに長閑で、癒される風景である。ヴァッサーラウエン駅前に到着したのは、午後6時半前であった。出発前は天候を心配していたが、絶景も見られ大変良かった。なにより無事に踏破できたことが一番の収穫である。
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帰りに、アッペンツェルの町の中心広場に寄ってみた。広場には水場があり、腰にサーベルをさし右手を挙げる彫像が飾られている。これは、スイスで昔から行われる青空議会(ランツゲマインデ)で、演壇に立つ議長からの議題に対して、挙手する有権者の姿を現している。このアッペンツェルでは、今も、毎年4月の最終日曜日に開催されており、実際に銅像と同様のスタイルで出席する有権者もいるそうだ。
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広場の周りには切妻屋根の色とりどりの美しい建物が並んでいる。アッペンツェルでは、スパイシーでコクのある味わいが特徴のアッペンツェラー・チーズの産地としても知られている。
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さて、「ボーデン湖」の東南端にあるオーストリアの港町「ブレゲンツ」まで戻ってきた。ボーデン湖はドイツ、オーストリア及びスイスの国境に位置し、536平方キロメートル、東西最大幅約63キロメートル、南北最大幅14キロメートルと、琵琶湖をややスリムにした規模の大きな湖である。
このブレゲンツ湖畔に造られた湖上ステージで午後9時より「ブレゲンツ音楽祭」が開催される。今夜の演目は、オペラ「プッチーニのトゥーランドット」である。
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ブレゲンツ音楽祭会場は、ブレゲンツ駅から駅舎(南口)と逆に跨線橋を渡り階段を下りて、北に200メートルほど歩いた所にあるが、今回は車で会場のそばまでやってきた。しかし、途中で道に迷ったことやホテルでのチェックインもあり到着が遅れたため、満車覚悟で会場に隣接する南側の駐車場まで乗り付けたが、無事駐車できたのは幸運だった。結局、会場に到着したのは開演開始の15分前だった。。
湖畔沿いから湖面を眺めると、ボーデン湖の湖底に杭を打ち込み、観客席、照明塔、大胆なステージなどが造られているのが分かる。
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この「ブレゲンツ音楽祭」は、もともと第二次世界大戦が終結した翌年1946年8月に、ナチス・ドイツによって町を大きく破壊されたブレゲンツの人々が、湖上に砂利運搬船を二台並べ、その上にステージを作って、モーツァルトのオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」を開催したのが始まりである。現在では、毎年7月から8月にかけて湖上舞台を中心に、いくつかの会場で様々なイベントが開催されている。
観客席に入ると前方に迫力のある舞台が現れる。近年は、二年毎に同時演目が開催されており、「プッチーニのトゥーランドット」は、昨年に続く開催となる。観客席の先は湖面を挟んで、円形と湖面に向かう斜めステージと二重舞台になっている。更に手前には、もう一つ舞台があり、その横の湖面には秦始皇帝陵の兵馬俑坑にある兵士像をモチーフにした像が並んでいる。背景となる煉瓦積みの建造物は「万里の長城」をイメージして作られ、向かって右側の砦を思わせる構造物は、躍動する龍の頭部をイメージしている。
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そして、そのまま左に視線を移動すると、再び砦が現れその先が尻尾の様に窄んで湖面に着水している。またオーケストラピット見当たらないので、別途室内に設置されているようだ。場内には、まばらに観客がいたが、開演予定の午後9時になると、全員場外へ戻された。この日天候が大荒れになる予報らしく開催是非について検討しているらしい。
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この季節、日の入りは午後9時過ぎで、本来なら開演後に薄暗くなるところだったがすっかり暗くなった。時折、ゴロゴロと、カミナリが鳴ったり、遠くの空に稲妻が光るなど、不安は尽きない。心配しながら扉口手前や通路で様子を窺っていると、50分ほどして開演判断がなされ入場が許された。
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わらわらと皆扉口から入場し、観客席はあっという間に満席になった。ちなみに、観客席の周りにある手摺状のものは反響音を生み出すスピーカーで、全部で800台設置されているそうだ。
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舞台はむかしの中国北京。トゥーランドット姫と結婚するには、姫から出題される3つの謎を解く必要がある。もし解けなければ首をはねられることになる。流浪中だった王子カラフは、それに挑戦して見事3つの謎を解き、最後に2人は結ばれるといったストーリー。開演は、オーケストラの演奏と共に、中央部の煉瓦が崩れながら観音開きし、現れた後方ステージから始まった。その後、中央の円形ステージは手鏡のように手前から開いて大型スクリーンとなり、出演者の動きに併せて移動したり様々な映像が展開されていた。
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舞台では、華やかな衣装を身に着けた登場人物が、セリなどの仕掛けも使い、所狭しと踊り巡る。特に、炎や剣を使うアクロバットな戦闘シーン、電飾鮮やかな「龍舞」の華やかなシーン、万里の長城の砦から湖面に投げ込まれる迫力あるシーンや、豪華な提灯船が湖面を通過する幻想的なシーンなど、独創的で斬新な演出には目を見張るものがあり、大変見所の多いオペラであった。
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結局、心配していた雷雨や強風もなく無事終演となった。カーテンコールの際には、別の場所で演奏していたオーケストラの面々が円形スクリーンに映され拍手喝采を浴びた。途中、演目半ばで円形スクリーンの映像が一部乱れる場面もあったがご愛嬌ということで。。
サイトによると2016公演のスタッフと配役は次の通りである。
指揮:パオロ・カリニャーニ(Paolo Carignani)、演出:マルコ・アルトゥ-ロ・マレッリ(Marco Arturo Marelli)、合唱:ブレゲンツ音楽祭合唱団/プラハ・フィルハーモニー合唱団、管弦楽:ウィーン交響楽団、
配役:トゥーランドット:Erika Sunnegårdh/Katrin Kapplusch/Mlada Khudoley、皇帝アルトゥーム:Christophe Mortagne/Manuel von Senden、ティムール:Mika Kares/Gianluca Buratto、ダッタン国の王子カラフ:Riccardo Massi/Arnold Rawls/Rafael Rojas、リュー:Marjukka Tepponen/Yitian Luan/Guanqun Yu、ピン(宮廷の3大臣):Matija Meic/Mattia Olivieri、パン(宮廷の3大臣):Taylan Reinhard/Peter Marsh、ポン(宮廷の3大臣):Cosmin Ifrim/Kyungho Kim。
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会場を出た左側のレストランには、終演が午前0時を過ぎたにも関わらず営業していることから、多くの観客が訪れ始めた。もともと終演後の食事が心配だったので予め駅近くのレストランを調べていたが、開演自体が遅れたため、食事抜きと思っていた。。
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飲み物は会場内に配置されたスタッフに注文し、食べ物はブッフェで直接注文するスタイルである。とにかく空腹だったこともあり結構注文したが、お腹も満たされ大変満足した。
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時間も遅いことから来店客の多くは食事が終わると早々と帰って行った。それに合わせるかのように、周りのライトも少しずつ消えて寂しくなってきた。ゆっくりしたい気持ちもあったが、午前1時を過ぎ疲れも増してきたので、ホテルへ戻ることにした。
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昨夜は、ブレゲンツ中心部から10キロメートルほど南西に向かった幹線(203号線)沿いにある「ホテル・リンデ・ジノハウス(Hotel Linde-Sinohaus)」に宿泊した。部屋は2階で、窓を開けると東側の203号線が望める。火曜日の朝9時前にも関わらず、車の通行量は少なく、バス停にも待ち人はいない。今日はこれからスイスのザンクト・ガレン(Sankt Gallen)に向かうことにしている。
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午前9時過ぎにホテルをチェックアウトして、最初に、国境の通関検査場へ向かう。場所は、ホテル横の通りから右折して203号線に入り、500メートルほど南の交差点を右折した所になる。オーストリアとスイスはシェンゲン協定に加盟しており、国境でのパスポート検査は行っていないが、通関検査は現在も残っている。
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この時間、検査場では大型のトラックなどで渋滞しており、多少待たされたが、目視で問題ないと判断されチェックなしで通過できた。先の高架陸橋でライン川を越え、ロータリーから右折して高速道路(スイスの東西横断道路のアウトバーン1)に乗る。ところで、スイスの高速道路には料金所がなく、予めフロントガラスに料金前払いシール「ヴィニエッテ(Vignette)」(1年間有効で40スイスフラン)を貼って走行する必要があることから、昨日、近くのガソリンスタンドで購入しておいた。また、スイスでは、高速道路はもちろんのこと一般道でも至る所に監視カメラが設置され交通違反の取り締まりが厳しいので走行には注意が必要だ。
午前10時過ぎに、スイスのザンクト・ガレン(Sankt Gallen)に到着した。ザンクト・ガレンは、標高700メートルほどの高地にある人口16万人を抱えるスイス東部の中心都市である。これから世界遺産「ザンクト・ガレン修道院と付属図書館」の見学に向かうべく、サークル形の旧市街の西側「Oberer Graben通り」を南に向け歩いている。通りはゴミ一つ落ちておらず建物も綺麗で、人や車の往来も少なく静寂な雰囲気に包まれている。まるで外出制限でもあるのかと勘ぐってしまう。最初に、南側にある四つ星ホテル(ホテル・アインシュタイン・セント・ガレン)でトイレを拝借した後、ホテル手前左側から延びる歩行者専用の「ガルス通り」から旧市街に入った。
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石畳の「ガルス通り」左右には、綺麗な3~5階建ての建物が並んでおり100メートルほど先に広場が現れる。正面に水場があり、修道士姿の彫像が修道院の「教会堂」後陣方向に向いて立っている。後陣頂部には小さな鐘楼があり、側壁には縦長の半円形アーチが並んでいる。その右側から4階建ての教会棟が続いており、この区画に「修道院の付属図書館」がある。ところで、左端の建物の外壁から屋根にかけて二層の窓付き尖塔が延びているが、こちらは教会ではなくホテル・シュワネン(Hotel Schwanen)で、尖塔はホテルの「ベイ・バルコニー(出窓)」である。
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水場は「ガルス噴水(Gallusbrunnen)」で、アイルランド出身の「聖ガルス」の彫像が飾られている。彼は聖コルンバヌス(ヨーロッパの父)の12人の弟子の一人として知られ、612年頃にシュタインナッハ川の川岸であるこの場所に僧房を建てた。その僧房を719年以降に聖オトマールが修道院へと改め、町と修道院とを聖ガルスに因んで「ザンクト・ガレン」と名付けた。その後9世紀には、宗教的、精神的、経済的な全盛期を迎え、そこに、付属した学校と図書館が造られ、文化的な中核地として発展していった。
聖ガルス像の後方には、個性的な建物が並んでいる。左端の「ガルス通り」角に建つ「DomZentrum」の外壁には、縦仕切りの格子窓に三層に渡る「ベイ・バルコニー」(出窓)がある。建物には、様々なケア施設を始め、聖ガレン教区の教会管理に関するオフィスや社会奉仕センターなどが入居している。右隣中央の「Haus zur Wahrheit」の2階には、一層のベイ・バルコニーがあり、その隣の木枠の柱、梁、筋交いなどが交差する建物2階にも一層のリンデルのベイ・バルコニーがある。
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この様に、ザンクト・ガレンの建物には「ベイ・バルコニー」があり、この旧市街だけでも100以上ある。もともとは、居住空間を拡大や上層階に外光を取り入れる役目で建設されたが、多くは富裕層の住宅で、その富を誇示するかの様に様々な形状や装飾に力を入れていた。
そして「教会堂」の後陣と向かい合うように、こちらにも美しい建物が並んでいる。「Zum grünen Hof」で、1606年に所有者カスパー・スマーフが、厩舎を改築した際に建設した石積みの円形のベイ・バルコニー塔で、下部にはカラフルな色合いの人物装飾も見られ大変印象深い。1階ではレストラン「Am Gallusplatz」が営業している。
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右側へ二件隔てた建物には「グライフ(Greif)」(グリフォンのドイツ語)と名付けられた旧市街では最も見所の一つとされるベイ・バルコニーがある。制作年は不明だが、キャスパー・メンハルト(1621〜1684)建物所有との記録が残っていることから17世紀の後半の制作と考えられている。
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ちなみに、向かい側のインフォメーションセンターにも、玉ねぎ型の屋根が載った二層形式のベイ・バルコニーが聳えている。
さて、その「グライフ」は、オークとリンデンの木で作られた一層のベイ・バルコニーで、驚くほど精緻な浮彫細工が施されている。唐獅子風の彫像で囲まれた欄干のレリーフの向かって左側は「エリヤとカラスのパン」で、ケリテ河畔に身を隠す「エリヤ」のためにカラスがパンと肉を運ぶ場面で、右側は「神とのヤコブの論争」で、ヤボク川の渡しで神と格闘し、勝利し「イスラエル」(神に勝つ者の意)の名を与えられる場面が表現されている。 そして、窓枠には葡萄唐草文様、女性像、上部にはラッパを吹く天使などの彫刻で飾られている。
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インフォメーションセンター前の広場からは綺麗に刈り込まれた芝が広がっており、その南側に教会堂である「大聖堂」(旧ザンクト・ガレン修道院)が建っている。現在の建物は13世紀に建てられ老朽化した修道院に代わり1755年から1767年にかけて(南側の図書館の設計も併せて)オーストリア建築家ペーター・テゥンプ(Peter Thumb)により建てられたもので、昔の修道院の面影は残っていないが、後期バロック建築の傑作として評価され、付属図書館と共に1983年にユネスコの世界遺産に登録されている。
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大聖堂の中央部は、南北に膨らみを持たせたロタンダ(円形建築物)で、その北面に扉口がある。扉口の左右上下の壁面には壁龕があり彫像が収められている。向かって左上は聖ガルスで、右上が聖オトマール、左下が聖ペトロで右下が聖パウロである。そして東側には、高さ68メートルの2本の塔が聳えている。
扉口から入ったロタンダのすぐ左側(東側)は、金の柵で仕切られ、塔の建つ背廊側に主祭壇がある。ガルス噴水から見た外観の形状から西側を後陣と思った(教会基準と逆に)が、そうではなかった。現在西側にはパイプオルガンが設置されている。ちなみに13世紀建築の修道院図の西側外観の様子は現在の大聖堂と似ている。しかも、図書館に残されている9世紀初頭の建築プラン図では、修道院はバジリカ型で、東西2つの内陣(二重内陣)で計画されていた。
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主祭壇のアプスには、暗雲が立ち込めた様な暗い印象のフレスコ画がヴォールトに沿って手前に続いている。
そして、アプスから続くフレスコ画は、ロタンダの巨大な天井画に到達する。これらのフレスコ画は、ヨーゼフ・ヴァンネンマッハー(Joseph Wannenmacher)によって描かれたもので、雲の層で分けながら祝福された存在下での神の到着が華麗に描かれている。
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更に天井画は、ロタンダから先にも続いており、他にも聖ガルスや旧約聖書などを題材として描かれ、聖堂の天井全体を覆っている。暗い色合いの天井画と純白の柱とのコントラストに加え、漆喰で模られたロココとクラシック調のフリル薔薇柄装飾(青竹色)と黄金の人物装飾は華麗なアクセントを演出している。これらの装飾はヨハン・クリスチャン・ヴェンツィンガー(Johann Christian Wentzinger)が手掛けている。
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修道院が廃止されたのは1805年で、その際、修道院長の玉座は教区の祭壇に変更されるなどの改修が行われた。その後も、1867年には内部の大規模な改修が行われ、20世紀初頭から半ばには外部の大規模な改修が行われた。近年は2000年から2003年の間に行われ現在に至っている。
外光が差し込む西端の中段には大きなパイプオルガンが設置されている。こちらは1968年に大聖堂改修の一環として、スイスの名門、メンネドルフのオルゲルバウ・クーン社(Orgelbau Kuhn)によって設計されたもので、一部1815年の古いオルガンが再利用されている。
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修道院の見学を終え、南側の「修道院の付属図書館」に向かった。現在の図書館は1767年に後期バロック様式で建てられたもので、ロココ調の美しい広間を持ち、数多くの写本、稀観書など、世界最大級の中世期文献の約17万巻の蔵書が所蔵されている。特に、2100点以上の手書古文書は価値が高く、西暦1000年以前の古写本も400点をくだらず、世界で最も重要な古文書図書館の一つと言われている。また、図書館ホールのヨーゼフ・ヴァンネンマッハーによる第1回ニケーア会議から、第4回までの公会議の様子が描かれた天井画も見所である。残念ながら撮影は禁止されていた。
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画像出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
さて、再び高速道路(スイスの東西横断道路のアウトバーン1)に乗り、次に160キロメートル西に位置する「バーゼル(Basel)」に向かう。スイスでは、チューリッヒ、ジュネーヴに次ぐ規模の都市になる。高速道路では、途中でチューリッヒを通過し、サービスエリアでトイレ休憩などを挟んで(渋滞やトラブルもなく)、約2時間の行程であった。
バーゼル(Basel)は、ドイツ(北東方向)、フランス(北西方向)との国境が接する地点にあり、市街地はライン川をまたぐ形で広がっている。そのライン川沿いのすぐ西側に位置する「バーゼル市立美術館(Basler Kunstmuseum)」(16スイスフラン)にやってきた。
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トラム駅のあるアエッシェン・プラッツ(Aeschenplatz)付近の駐車場から北に歩き、美術館の東側を一旦通り過ぎて、左折した北側が正面口となる(バーゼルSBB駅からは、北に1キロメートル)。その正面側のアーケードの柱頭には、現代アート風の彫刻が施されている。そしてそのアーケードを抜けると南側に中庭が広がっている。
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バーゼル市立美術館は、1671年に開設された世界最古の公共美術館の一つといわれ、15世紀から16世紀にかけて南ドイツで活躍した画家、及び19世紀から20世紀にかけて活躍した画家などの作品を中心としたコレクションが充実している。もともとバーゼルで印刷業などで財を成したアマーバッハ家(Amerbach Cabinet)がコレクションした美術品をバーゼル市が購入して公開したのが始まりである。なお、残念ながら、館内は撮影禁止である。。
中庭には、ロダン作「カレーの市民」(1943年鋳造、1948年設置)が展示されている。作品のテーマは、百年戦争が行われた1347年、イギリス海峡におけるフランス側の重要な港カレーが、一年以上にわたってイギリス軍に包囲されていた際の出来事(カレー包囲戦)に基づいて作られている。
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2時間半ほど館内作品を鑑賞した後、正面口前の通りを東に歩くと、すぐにライン川に架かるヴェットシュタイン橋(Wettsteinbrücke)に到着する。バーゼル市内を流れるライン川は、ドイツとアルプス山脈以南とを結ぶ水上交通の拠点として古くから商業が栄えてきた。特に15世紀後半には、印刷・出版業が栄え、近世の多くの重要な著作の初版も出版されている。
前方(下流方向)に見える橋はバーゼル市内に架かる3つの橋の内、最も歴史のある「ミットラーレ橋(Mittlere Brücke)」で、かつて「ライン橋」と呼ばれていた。現在の橋は1905年にサンゴッタルド産花崗岩から造られたもので、長さ192メートル幅18.8メートルある(2002年に改修)。
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左手前のライン川沿いには、バーゼル観光スポットの一つで、ランドマークの「バーゼル大聖堂」が建っている。1019年から1500年の間にロマネスク様式とゴシック様式で建てられた。大聖堂は、美しい屋根で知られているが、この時間は逆光で良く見えない。手前の教会棟に隣接して後陣と南袖廊が建ち、二本の尖塔は西側のファサードから延びている。
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最初のバーゼル大聖堂は、バーゼルのハイト司教によって9世紀前半(805~823)に建てられたが、917年のハンガリー人の攻撃で破壊され、 11世紀、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世が大聖堂をバーゼルに寄贈した。その後、12世紀後半にロマネスク様式の建物に取り替えられ、 1356年の大地震後はゴシック様式で再建され1500年に完成している。1529年からは、チューリッヒのツヴィングリ(1484~1531)を中心とする宗教改革を経て、改革主義福音派教会に転じている。
さて、バーゼル市立美術館から北に延びる通りを歩くとファサード前広場に到着する。西日を浴びた赤砂岩のファサードは鮮やかに輝いている。左右に延びる塔の内、北側のゲオルク塔(1428年築)は67.3メートル、南側のマルティン塔(1500年築)は65.5メートルと、高さに加え形状も大きく異なっている。塔の名称は「聖ゲオルギオス」と「聖マルティヌス」に因んでいる。
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ファサード中央のステンドグラス窓に向かって右側には、現在時刻の午後6時5分を示すアナログ時計があり、その上には、バーゼル日時計が側面(南側)との2か所に設置されている。美しい大聖堂の屋根は、後方の南袖廊部分を僅かに望むことができる。緑、赤、白、黄色の小さな矩形と円形のプレーンタイルを組み合わせたカラフルな装飾屋根になっている。南袖廊の先は、回廊がある。
そして中央には、メインポータルがあり、4層の弧帯(アーキヴォルト)には、預言者、王、踊る天使、アブラハムなどの浮彫が施されている。もともとは「最後の審判」が表現されたタンパンがあったが宗教改革期間に破壊された。
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メインポータルに向かって左側の小塔彫刻には、帝笏と教会の模型を持つ「皇帝ハインリヒ2世」(在位:1014~1024)と十字架を抱きかかえる「皇后クニグンデ」(ルクセンブルク伯ジークフリート1世の娘)が寄贈者像として刻まれている。皇帝は、髭もなく驚くほど若い姿で表現されている。そして寄進者像と対になる様に、右側の小塔には誘惑者と愚かな処女の彫像が刻まれている。処女は微笑んでドレスを開いている。。
皇后クニグンデの左側には、上部の塔に対応する様に「聖ゲオルギオス」が馬に乗り槍を持ち、ドラゴンを退治する姿が表現されている。
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そして、向かって右側には、極寒の中で寒さに凍える物乞いに、自らのマントを裂いて渡す「聖マルティヌス」像が表現されている。
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再び、アエッシェン・プラッツ付近まで戻ってきた。バーゼルの町並みは美しく、交通網も整備されており住みやすそうだが、物価が高いことから、宿泊や食事もすることなく通過するだけとなった。ザンクト・ガレンもそうだったが、スイスの町の人通りの少なさには驚いた。現代アート風の巨大なオブジェを眺めて、これから、ライン川の西岸沿いのフランス側(東岸はドイツ)の高速道路を北上してアルザス地方へ向かう。
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(2016.7.26~27)
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アッペンツェル鉄道と並行する街道を進むと、左側に駐車車両が並ぶ終着駅のヴァッサーラウエン駅(Wasserrauen)が見えてきた。街道での一般車両の走行はこの辺りで終点となり、この先数キロメートルは地元関係者のみ侵入が可能で、その後山岳地帯となり行き止まりとなる。
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目的地のエーベンアルプ(Ebenalp)は、ヨーロッパ・アルプス山脈の一部で、スイス北東部を東西に連なるアルプシュタイン山系(Alpstein)の東端にある岩壁上(標高1644メートル)に位置している。そのエーベンアルプへはロープウェイが運行しており、ヴァッサーラウエン駅から少し街道を戻ってシュヴェンディ川を渡った先の山小屋風の建物から出発することになる。
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その山小屋風の建物のロープウェイ乗車駅を入るとチケット売り場があり、乗車運賃が片道で20スイスフラン、往復で31スイスフランと表示されている。さすがに世界一物価高と称されるスイスであり、日本の2倍位の金額の印象である。この日は歩いて下山するつもりだったので、この場では片道分のチケットを購入した。
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早朝だと行列ができるかもしれないが、午後3時半を過ぎたこの時間の乗車人数は7~8人だった。ロープウェイは緑で覆われ所々岩肌を覗かせる急勾配の山を下に見ながら力強く上って行く。見る見るうちに、先ほどまで通った街道や家並みが豆粒の様に小さくなり、5~6分で山頂駅が見えてきた。
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エーベンアルプのハイキング&トレッキングコースは、ガイドマップによると全部で11コースある。中でも、エーベンアルプ駅から尾根道を進み、南西方面のクルス(Chlus)やシャフラー(Schäfler)(標高1924メートル)まで歩くコースと、東側から階段を下りて、岩壁沿いのヴィルドキルヒリ(Wildkirchli)、エッシャー(Äscher)を経由して、クルスやシャフラーに向かうコースが一般的だ。しかし、下山する場合は、再びロープウェイに乗車するか、歩いて下山することになる。
今回は、岩壁沿いのヴィルドキルヒリ、エッシャーを通り、そのまま下山し、ゼーアルプ湖(Seealpsee)を経由して、ヴァッサーラウエン駅に戻る「ガイドマップの⑧」を選択することにした。既に時刻が午後4時前なので、あまりのんびりもできないわけだ。では、駅到着後、駅舎の横からエッシャー方面に続く東側の階段を降りて行く。
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目の前には、放牧中の牛がいて、その向こうに素晴らしい眺めが広がっている。眺望は北東側になり、先ほど通過してきた町並みが望める。左上のかすかに見えるアッペンツェルから、なだらかな丘を越え、左側のヴァイスバート(Weissbad)を通り、右側のシュヴェンデ(Schwende)を通りすぎて、ヴァッサーラウエン駅まで来たわけだ。
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ロープウェイのケーブル下を通る細い山道コースを下って行くと、タイミングよくロープウェイが上ってきた。コースの斜面側には、転落防止用のワイヤーが設けられている。
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大きな岩壁沿いに、岩壁をくりぬいて作られた洞窟があり、中を通過するコースとなっている。もともと中期旧石器時代のネアンデルタール人の居住跡と言われているが、手すりやライトも設置され、安心して通行できる。洞窟を抜けると小さな山小屋(博物館)があり、その先は礼拝堂があるヴィルドキルヒリ(Wildkirchli)となる。現在は真新しい祭壇と礼拝席が並んでいるが、アッペンツェルの司祭パウルスウルマン(1613~1680)が設立した歴史ある礼拝堂である。再び細い通路となり、引き続き巨大な岩壁の下の山道を下って行くと素晴らしい眺望が広がり始めた。
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コースは、岩壁に沿って東側から回り込む様に南側に進んでいる。前方には、マルヴェエス(Marwees)(標高2026メートル)の山々が続いている。こちら側のエーベンアルプの山々と並行するマルヴェエス山系とが作り出す渓谷が、右側から左側にかけて徐々に扇状地となって広がる最大の絶景のポイントの一つである。そして、コース沿い右側の岩壁側には、張り付く様に木造3階建ての「ガストハウス・エッシャー(Berggasthaus Äscher)」があり、テラスではその絶景を眺めながら美味しそうにビールを飲む登山客の姿が見られた。
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今日は雲の流れが速く、見るたびに山の景色は変わっていく。遠景の残雪のあるアルトマン(Altmann)(標高2435メートル)の山頂は、雲で覆われたり現れたりを繰り返している。ガストハウス・エッシャーを過ぎると羊小屋があり、狭いコース上に羊が放牧されている。
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振り返って眺めると、羊は、コース沿いの狭い斜面に数多く集まっているのが分かる。
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岩壁の下からは、一面草木に覆われ始める。足元にも大小の岩が転がり、根があちらこちらに交差する荒れた下り道が続く。急斜面の連続に、徐々に膝が辛くなり始める。。
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うっそうと茂る木々の合間から所々で視界が広がり美しい景色を見ることが出来る。真上を見ると、花が咲き誇る斜面の先から垂直に延びる岩壁が、頭上に覆いかぶさってくる様に感じられる。大昔、断層活動により、山頂部分の地層が大きく隆起した結果なのだろう。
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向かい側のマルヴェエス山頂付近の特徴のある岩壁に雲がかかり始めた。だいぶ岩壁が上に見えるのでかなり下山してきたのだろう。スタートから約1時間が経過し午後5時になった。
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渓谷付近まで下りてきた様だ。しかしこの辺りはなだらかな斜面が広範囲に広がる平坦地となっている。コースが交差する前方には山小屋やホテル「ベルグガストハウス・ ゼーアルプゼー」が建っている。右側には尖った山頂が特徴の「ゼンティス山(Säntis)」(標高2502メートル)が望める。
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ホテル前からは、ゼーアルプ湖(標高1143メートル)を望むことができる。湖は東西に横長で13.6ヘクタール(東京ドームの約3個分)の広さがある。ここは、湖の中ほど北岸にある小さな入り江から西側を眺めた様子で、湖面はさざ波もなく鏡の様に周囲の風景が写り込んでいる。正面のゼンティス山の山頂は、あっという間に雲がかかって見えなくなった。
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ホテル前から再び元来た道を戻り、シュヴェンディ川を渡って、交差路を右側(東)に向けてコースを下って行く。正面の山頂付近の岩壁の下部あたりが先ほどまでいたエッシャー付近になるのだろう。交差路の標識にはヴァッサーラウエン駅まで50分とあり、少し急ぎ足で向かった。
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湖を過ぎたころから雨が降り出したので、レインコートを着用した。途中右側の渓谷が深くなる個所が続いた後、平坦地が広がりシュヴェンディ川がコースのすぐ横を流れ始めた。振り返ると、マルヴェエスの岩壁も僅かに見えるだけとなり、後方の「ゼンティス山」の山頂もまもなく見えなくなった。
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山小屋の前で草を啄む山羊の姿はまことに長閑で、癒される風景である。ヴァッサーラウエン駅前に到着したのは、午後6時半前であった。出発前は天候を心配していたが、絶景も見られ大変良かった。なにより無事に踏破できたことが一番の収穫である。
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帰りに、アッペンツェルの町の中心広場に寄ってみた。広場には水場があり、腰にサーベルをさし右手を挙げる彫像が飾られている。これは、スイスで昔から行われる青空議会(ランツゲマインデ)で、演壇に立つ議長からの議題に対して、挙手する有権者の姿を現している。このアッペンツェルでは、今も、毎年4月の最終日曜日に開催されており、実際に銅像と同様のスタイルで出席する有権者もいるそうだ。
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広場の周りには切妻屋根の色とりどりの美しい建物が並んでいる。アッペンツェルでは、スパイシーでコクのある味わいが特徴のアッペンツェラー・チーズの産地としても知られている。
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さて、「ボーデン湖」の東南端にあるオーストリアの港町「ブレゲンツ」まで戻ってきた。ボーデン湖はドイツ、オーストリア及びスイスの国境に位置し、536平方キロメートル、東西最大幅約63キロメートル、南北最大幅14キロメートルと、琵琶湖をややスリムにした規模の大きな湖である。
このブレゲンツ湖畔に造られた湖上ステージで午後9時より「ブレゲンツ音楽祭」が開催される。今夜の演目は、オペラ「プッチーニのトゥーランドット」である。
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ブレゲンツ音楽祭会場は、ブレゲンツ駅から駅舎(南口)と逆に跨線橋を渡り階段を下りて、北に200メートルほど歩いた所にあるが、今回は車で会場のそばまでやってきた。しかし、途中で道に迷ったことやホテルでのチェックインもあり到着が遅れたため、満車覚悟で会場に隣接する南側の駐車場まで乗り付けたが、無事駐車できたのは幸運だった。結局、会場に到着したのは開演開始の15分前だった。。
湖畔沿いから湖面を眺めると、ボーデン湖の湖底に杭を打ち込み、観客席、照明塔、大胆なステージなどが造られているのが分かる。
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この「ブレゲンツ音楽祭」は、もともと第二次世界大戦が終結した翌年1946年8月に、ナチス・ドイツによって町を大きく破壊されたブレゲンツの人々が、湖上に砂利運搬船を二台並べ、その上にステージを作って、モーツァルトのオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」を開催したのが始まりである。現在では、毎年7月から8月にかけて湖上舞台を中心に、いくつかの会場で様々なイベントが開催されている。
観客席に入ると前方に迫力のある舞台が現れる。近年は、二年毎に同時演目が開催されており、「プッチーニのトゥーランドット」は、昨年に続く開催となる。観客席の先は湖面を挟んで、円形と湖面に向かう斜めステージと二重舞台になっている。更に手前には、もう一つ舞台があり、その横の湖面には秦始皇帝陵の兵馬俑坑にある兵士像をモチーフにした像が並んでいる。背景となる煉瓦積みの建造物は「万里の長城」をイメージして作られ、向かって右側の砦を思わせる構造物は、躍動する龍の頭部をイメージしている。
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そして、そのまま左に視線を移動すると、再び砦が現れその先が尻尾の様に窄んで湖面に着水している。またオーケストラピット見当たらないので、別途室内に設置されているようだ。場内には、まばらに観客がいたが、開演予定の午後9時になると、全員場外へ戻された。この日天候が大荒れになる予報らしく開催是非について検討しているらしい。
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この季節、日の入りは午後9時過ぎで、本来なら開演後に薄暗くなるところだったがすっかり暗くなった。時折、ゴロゴロと、カミナリが鳴ったり、遠くの空に稲妻が光るなど、不安は尽きない。心配しながら扉口手前や通路で様子を窺っていると、50分ほどして開演判断がなされ入場が許された。
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わらわらと皆扉口から入場し、観客席はあっという間に満席になった。ちなみに、観客席の周りにある手摺状のものは反響音を生み出すスピーカーで、全部で800台設置されているそうだ。
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舞台はむかしの中国北京。トゥーランドット姫と結婚するには、姫から出題される3つの謎を解く必要がある。もし解けなければ首をはねられることになる。流浪中だった王子カラフは、それに挑戦して見事3つの謎を解き、最後に2人は結ばれるといったストーリー。開演は、オーケストラの演奏と共に、中央部の煉瓦が崩れながら観音開きし、現れた後方ステージから始まった。その後、中央の円形ステージは手鏡のように手前から開いて大型スクリーンとなり、出演者の動きに併せて移動したり様々な映像が展開されていた。
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舞台では、華やかな衣装を身に着けた登場人物が、セリなどの仕掛けも使い、所狭しと踊り巡る。特に、炎や剣を使うアクロバットな戦闘シーン、電飾鮮やかな「龍舞」の華やかなシーン、万里の長城の砦から湖面に投げ込まれる迫力あるシーンや、豪華な提灯船が湖面を通過する幻想的なシーンなど、独創的で斬新な演出には目を見張るものがあり、大変見所の多いオペラであった。
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結局、心配していた雷雨や強風もなく無事終演となった。カーテンコールの際には、別の場所で演奏していたオーケストラの面々が円形スクリーンに映され拍手喝采を浴びた。途中、演目半ばで円形スクリーンの映像が一部乱れる場面もあったがご愛嬌ということで。。
サイトによると2016公演のスタッフと配役は次の通りである。
指揮:パオロ・カリニャーニ(Paolo Carignani)、演出:マルコ・アルトゥ-ロ・マレッリ(Marco Arturo Marelli)、合唱:ブレゲンツ音楽祭合唱団/プラハ・フィルハーモニー合唱団、管弦楽:ウィーン交響楽団、
配役:トゥーランドット:Erika Sunnegårdh/Katrin Kapplusch/Mlada Khudoley、皇帝アルトゥーム:Christophe Mortagne/Manuel von Senden、ティムール:Mika Kares/Gianluca Buratto、ダッタン国の王子カラフ:Riccardo Massi/Arnold Rawls/Rafael Rojas、リュー:Marjukka Tepponen/Yitian Luan/Guanqun Yu、ピン(宮廷の3大臣):Matija Meic/Mattia Olivieri、パン(宮廷の3大臣):Taylan Reinhard/Peter Marsh、ポン(宮廷の3大臣):Cosmin Ifrim/Kyungho Kim。
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会場を出た左側のレストランには、終演が午前0時を過ぎたにも関わらず営業していることから、多くの観客が訪れ始めた。もともと終演後の食事が心配だったので予め駅近くのレストランを調べていたが、開演自体が遅れたため、食事抜きと思っていた。。
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飲み物は会場内に配置されたスタッフに注文し、食べ物はブッフェで直接注文するスタイルである。とにかく空腹だったこともあり結構注文したが、お腹も満たされ大変満足した。
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時間も遅いことから来店客の多くは食事が終わると早々と帰って行った。それに合わせるかのように、周りのライトも少しずつ消えて寂しくなってきた。ゆっくりしたい気持ちもあったが、午前1時を過ぎ疲れも増してきたので、ホテルへ戻ることにした。
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昨夜は、ブレゲンツ中心部から10キロメートルほど南西に向かった幹線(203号線)沿いにある「ホテル・リンデ・ジノハウス(Hotel Linde-Sinohaus)」に宿泊した。部屋は2階で、窓を開けると東側の203号線が望める。火曜日の朝9時前にも関わらず、車の通行量は少なく、バス停にも待ち人はいない。今日はこれからスイスのザンクト・ガレン(Sankt Gallen)に向かうことにしている。
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午前9時過ぎにホテルをチェックアウトして、最初に、国境の通関検査場へ向かう。場所は、ホテル横の通りから右折して203号線に入り、500メートルほど南の交差点を右折した所になる。オーストリアとスイスはシェンゲン協定に加盟しており、国境でのパスポート検査は行っていないが、通関検査は現在も残っている。
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この時間、検査場では大型のトラックなどで渋滞しており、多少待たされたが、目視で問題ないと判断されチェックなしで通過できた。先の高架陸橋でライン川を越え、ロータリーから右折して高速道路(スイスの東西横断道路のアウトバーン1)に乗る。ところで、スイスの高速道路には料金所がなく、予めフロントガラスに料金前払いシール「ヴィニエッテ(Vignette)」(1年間有効で40スイスフラン)を貼って走行する必要があることから、昨日、近くのガソリンスタンドで購入しておいた。また、スイスでは、高速道路はもちろんのこと一般道でも至る所に監視カメラが設置され交通違反の取り締まりが厳しいので走行には注意が必要だ。
午前10時過ぎに、スイスのザンクト・ガレン(Sankt Gallen)に到着した。ザンクト・ガレンは、標高700メートルほどの高地にある人口16万人を抱えるスイス東部の中心都市である。これから世界遺産「ザンクト・ガレン修道院と付属図書館」の見学に向かうべく、サークル形の旧市街の西側「Oberer Graben通り」を南に向け歩いている。通りはゴミ一つ落ちておらず建物も綺麗で、人や車の往来も少なく静寂な雰囲気に包まれている。まるで外出制限でもあるのかと勘ぐってしまう。最初に、南側にある四つ星ホテル(ホテル・アインシュタイン・セント・ガレン)でトイレを拝借した後、ホテル手前左側から延びる歩行者専用の「ガルス通り」から旧市街に入った。
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石畳の「ガルス通り」左右には、綺麗な3~5階建ての建物が並んでおり100メートルほど先に広場が現れる。正面に水場があり、修道士姿の彫像が修道院の「教会堂」後陣方向に向いて立っている。後陣頂部には小さな鐘楼があり、側壁には縦長の半円形アーチが並んでいる。その右側から4階建ての教会棟が続いており、この区画に「修道院の付属図書館」がある。ところで、左端の建物の外壁から屋根にかけて二層の窓付き尖塔が延びているが、こちらは教会ではなくホテル・シュワネン(Hotel Schwanen)で、尖塔はホテルの「ベイ・バルコニー(出窓)」である。
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水場は「ガルス噴水(Gallusbrunnen)」で、アイルランド出身の「聖ガルス」の彫像が飾られている。彼は聖コルンバヌス(ヨーロッパの父)の12人の弟子の一人として知られ、612年頃にシュタインナッハ川の川岸であるこの場所に僧房を建てた。その僧房を719年以降に聖オトマールが修道院へと改め、町と修道院とを聖ガルスに因んで「ザンクト・ガレン」と名付けた。その後9世紀には、宗教的、精神的、経済的な全盛期を迎え、そこに、付属した学校と図書館が造られ、文化的な中核地として発展していった。
聖ガルス像の後方には、個性的な建物が並んでいる。左端の「ガルス通り」角に建つ「DomZentrum」の外壁には、縦仕切りの格子窓に三層に渡る「ベイ・バルコニー」(出窓)がある。建物には、様々なケア施設を始め、聖ガレン教区の教会管理に関するオフィスや社会奉仕センターなどが入居している。右隣中央の「Haus zur Wahrheit」の2階には、一層のベイ・バルコニーがあり、その隣の木枠の柱、梁、筋交いなどが交差する建物2階にも一層のリンデルのベイ・バルコニーがある。
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この様に、ザンクト・ガレンの建物には「ベイ・バルコニー」があり、この旧市街だけでも100以上ある。もともとは、居住空間を拡大や上層階に外光を取り入れる役目で建設されたが、多くは富裕層の住宅で、その富を誇示するかの様に様々な形状や装飾に力を入れていた。
そして「教会堂」の後陣と向かい合うように、こちらにも美しい建物が並んでいる。「Zum grünen Hof」で、1606年に所有者カスパー・スマーフが、厩舎を改築した際に建設した石積みの円形のベイ・バルコニー塔で、下部にはカラフルな色合いの人物装飾も見られ大変印象深い。1階ではレストラン「Am Gallusplatz」が営業している。
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右側へ二件隔てた建物には「グライフ(Greif)」(グリフォンのドイツ語)と名付けられた旧市街では最も見所の一つとされるベイ・バルコニーがある。制作年は不明だが、キャスパー・メンハルト(1621〜1684)建物所有との記録が残っていることから17世紀の後半の制作と考えられている。
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ちなみに、向かい側のインフォメーションセンターにも、玉ねぎ型の屋根が載った二層形式のベイ・バルコニーが聳えている。
さて、その「グライフ」は、オークとリンデンの木で作られた一層のベイ・バルコニーで、驚くほど精緻な浮彫細工が施されている。唐獅子風の彫像で囲まれた欄干のレリーフの向かって左側は「エリヤとカラスのパン」で、ケリテ河畔に身を隠す「エリヤ」のためにカラスがパンと肉を運ぶ場面で、右側は「神とのヤコブの論争」で、ヤボク川の渡しで神と格闘し、勝利し「イスラエル」(神に勝つ者の意)の名を与えられる場面が表現されている。 そして、窓枠には葡萄唐草文様、女性像、上部にはラッパを吹く天使などの彫刻で飾られている。
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インフォメーションセンター前の広場からは綺麗に刈り込まれた芝が広がっており、その南側に教会堂である「大聖堂」(旧ザンクト・ガレン修道院)が建っている。現在の建物は13世紀に建てられ老朽化した修道院に代わり1755年から1767年にかけて(南側の図書館の設計も併せて)オーストリア建築家ペーター・テゥンプ(Peter Thumb)により建てられたもので、昔の修道院の面影は残っていないが、後期バロック建築の傑作として評価され、付属図書館と共に1983年にユネスコの世界遺産に登録されている。
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大聖堂の中央部は、南北に膨らみを持たせたロタンダ(円形建築物)で、その北面に扉口がある。扉口の左右上下の壁面には壁龕があり彫像が収められている。向かって左上は聖ガルスで、右上が聖オトマール、左下が聖ペトロで右下が聖パウロである。そして東側には、高さ68メートルの2本の塔が聳えている。
扉口から入ったロタンダのすぐ左側(東側)は、金の柵で仕切られ、塔の建つ背廊側に主祭壇がある。ガルス噴水から見た外観の形状から西側を後陣と思った(教会基準と逆に)が、そうではなかった。現在西側にはパイプオルガンが設置されている。ちなみに13世紀建築の修道院図の西側外観の様子は現在の大聖堂と似ている。しかも、図書館に残されている9世紀初頭の建築プラン図では、修道院はバジリカ型で、東西2つの内陣(二重内陣)で計画されていた。
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主祭壇のアプスには、暗雲が立ち込めた様な暗い印象のフレスコ画がヴォールトに沿って手前に続いている。
そして、アプスから続くフレスコ画は、ロタンダの巨大な天井画に到達する。これらのフレスコ画は、ヨーゼフ・ヴァンネンマッハー(Joseph Wannenmacher)によって描かれたもので、雲の層で分けながら祝福された存在下での神の到着が華麗に描かれている。
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更に天井画は、ロタンダから先にも続いており、他にも聖ガルスや旧約聖書などを題材として描かれ、聖堂の天井全体を覆っている。暗い色合いの天井画と純白の柱とのコントラストに加え、漆喰で模られたロココとクラシック調のフリル薔薇柄装飾(青竹色)と黄金の人物装飾は華麗なアクセントを演出している。これらの装飾はヨハン・クリスチャン・ヴェンツィンガー(Johann Christian Wentzinger)が手掛けている。
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修道院が廃止されたのは1805年で、その際、修道院長の玉座は教区の祭壇に変更されるなどの改修が行われた。その後も、1867年には内部の大規模な改修が行われ、20世紀初頭から半ばには外部の大規模な改修が行われた。近年は2000年から2003年の間に行われ現在に至っている。
外光が差し込む西端の中段には大きなパイプオルガンが設置されている。こちらは1968年に大聖堂改修の一環として、スイスの名門、メンネドルフのオルゲルバウ・クーン社(Orgelbau Kuhn)によって設計されたもので、一部1815年の古いオルガンが再利用されている。
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修道院の見学を終え、南側の「修道院の付属図書館」に向かった。現在の図書館は1767年に後期バロック様式で建てられたもので、ロココ調の美しい広間を持ち、数多くの写本、稀観書など、世界最大級の中世期文献の約17万巻の蔵書が所蔵されている。特に、2100点以上の手書古文書は価値が高く、西暦1000年以前の古写本も400点をくだらず、世界で最も重要な古文書図書館の一つと言われている。また、図書館ホールのヨーゼフ・ヴァンネンマッハーによる第1回ニケーア会議から、第4回までの公会議の様子が描かれた天井画も見所である。残念ながら撮影は禁止されていた。
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画像出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
さて、再び高速道路(スイスの東西横断道路のアウトバーン1)に乗り、次に160キロメートル西に位置する「バーゼル(Basel)」に向かう。スイスでは、チューリッヒ、ジュネーヴに次ぐ規模の都市になる。高速道路では、途中でチューリッヒを通過し、サービスエリアでトイレ休憩などを挟んで(渋滞やトラブルもなく)、約2時間の行程であった。
バーゼル(Basel)は、ドイツ(北東方向)、フランス(北西方向)との国境が接する地点にあり、市街地はライン川をまたぐ形で広がっている。そのライン川沿いのすぐ西側に位置する「バーゼル市立美術館(Basler Kunstmuseum)」(16スイスフラン)にやってきた。
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トラム駅のあるアエッシェン・プラッツ(Aeschenplatz)付近の駐車場から北に歩き、美術館の東側を一旦通り過ぎて、左折した北側が正面口となる(バーゼルSBB駅からは、北に1キロメートル)。その正面側のアーケードの柱頭には、現代アート風の彫刻が施されている。そしてそのアーケードを抜けると南側に中庭が広がっている。
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バーゼル市立美術館は、1671年に開設された世界最古の公共美術館の一つといわれ、15世紀から16世紀にかけて南ドイツで活躍した画家、及び19世紀から20世紀にかけて活躍した画家などの作品を中心としたコレクションが充実している。もともとバーゼルで印刷業などで財を成したアマーバッハ家(Amerbach Cabinet)がコレクションした美術品をバーゼル市が購入して公開したのが始まりである。なお、残念ながら、館内は撮影禁止である。。
中庭には、ロダン作「カレーの市民」(1943年鋳造、1948年設置)が展示されている。作品のテーマは、百年戦争が行われた1347年、イギリス海峡におけるフランス側の重要な港カレーが、一年以上にわたってイギリス軍に包囲されていた際の出来事(カレー包囲戦)に基づいて作られている。
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2時間半ほど館内作品を鑑賞した後、正面口前の通りを東に歩くと、すぐにライン川に架かるヴェットシュタイン橋(Wettsteinbrücke)に到着する。バーゼル市内を流れるライン川は、ドイツとアルプス山脈以南とを結ぶ水上交通の拠点として古くから商業が栄えてきた。特に15世紀後半には、印刷・出版業が栄え、近世の多くの重要な著作の初版も出版されている。
前方(下流方向)に見える橋はバーゼル市内に架かる3つの橋の内、最も歴史のある「ミットラーレ橋(Mittlere Brücke)」で、かつて「ライン橋」と呼ばれていた。現在の橋は1905年にサンゴッタルド産花崗岩から造られたもので、長さ192メートル幅18.8メートルある(2002年に改修)。
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左手前のライン川沿いには、バーゼル観光スポットの一つで、ランドマークの「バーゼル大聖堂」が建っている。1019年から1500年の間にロマネスク様式とゴシック様式で建てられた。大聖堂は、美しい屋根で知られているが、この時間は逆光で良く見えない。手前の教会棟に隣接して後陣と南袖廊が建ち、二本の尖塔は西側のファサードから延びている。
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最初のバーゼル大聖堂は、バーゼルのハイト司教によって9世紀前半(805~823)に建てられたが、917年のハンガリー人の攻撃で破壊され、 11世紀、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世が大聖堂をバーゼルに寄贈した。その後、12世紀後半にロマネスク様式の建物に取り替えられ、 1356年の大地震後はゴシック様式で再建され1500年に完成している。1529年からは、チューリッヒのツヴィングリ(1484~1531)を中心とする宗教改革を経て、改革主義福音派教会に転じている。
さて、バーゼル市立美術館から北に延びる通りを歩くとファサード前広場に到着する。西日を浴びた赤砂岩のファサードは鮮やかに輝いている。左右に延びる塔の内、北側のゲオルク塔(1428年築)は67.3メートル、南側のマルティン塔(1500年築)は65.5メートルと、高さに加え形状も大きく異なっている。塔の名称は「聖ゲオルギオス」と「聖マルティヌス」に因んでいる。
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ファサード中央のステンドグラス窓に向かって右側には、現在時刻の午後6時5分を示すアナログ時計があり、その上には、バーゼル日時計が側面(南側)との2か所に設置されている。美しい大聖堂の屋根は、後方の南袖廊部分を僅かに望むことができる。緑、赤、白、黄色の小さな矩形と円形のプレーンタイルを組み合わせたカラフルな装飾屋根になっている。南袖廊の先は、回廊がある。
そして中央には、メインポータルがあり、4層の弧帯(アーキヴォルト)には、預言者、王、踊る天使、アブラハムなどの浮彫が施されている。もともとは「最後の審判」が表現されたタンパンがあったが宗教改革期間に破壊された。
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メインポータルに向かって左側の小塔彫刻には、帝笏と教会の模型を持つ「皇帝ハインリヒ2世」(在位:1014~1024)と十字架を抱きかかえる「皇后クニグンデ」(ルクセンブルク伯ジークフリート1世の娘)が寄贈者像として刻まれている。皇帝は、髭もなく驚くほど若い姿で表現されている。そして寄進者像と対になる様に、右側の小塔には誘惑者と愚かな処女の彫像が刻まれている。処女は微笑んでドレスを開いている。。
皇后クニグンデの左側には、上部の塔に対応する様に「聖ゲオルギオス」が馬に乗り槍を持ち、ドラゴンを退治する姿が表現されている。
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そして、向かって右側には、極寒の中で寒さに凍える物乞いに、自らのマントを裂いて渡す「聖マルティヌス」像が表現されている。
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再び、アエッシェン・プラッツ付近まで戻ってきた。バーゼルの町並みは美しく、交通網も整備されており住みやすそうだが、物価が高いことから、宿泊や食事もすることなく通過するだけとなった。ザンクト・ガレンもそうだったが、スイスの町の人通りの少なさには驚いた。現代アート風の巨大なオブジェを眺めて、これから、ライン川の西岸沿いのフランス側(東岸はドイツ)の高速道路を北上してアルザス地方へ向かう。
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(2016.7.26~27)