カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

オーストリア・ザルツカンマーグート(その1)

2018-07-12 | オーストリア
ザルツカンマーグートは、ザルツブルクの東方に位置する標高500~800メートルの高地エリアで、大小数多くの湖水が扇状に点在し、背後には2000メートル級のアルプスの峰々が連なるオーストリアの景勝地である。
最初に、そのザルツカンマーグート・エリアで最も大きい湖、アッター湖(約47平方キロメートル、南北に約20キロメートル、東西4キロメートル)の最北端にある町シェルフリング・アム・アッターゼーにやってきた。


コバルトブルーの水を湛え、ヨットが並ぶ船溜の先端に建つ建物は、カンマー城(Schloss Kammer)で、世紀末ウィーンを代表する帝政オーストリアの画家グスタフ・クリムト(Gustav Klimt、1862~1918)が描いたことで知られている。
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クリムトが描いたカンマー城の作品は、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿「オーストリア・ギャラリー」に①Schloss Kammer on Lake Attersee Ⅲ(1909/1910)と、②Avenue to Kammer Palace(1912)の2点が所蔵されている。
実際に、このカンマー城へ続く並木道を歩き、玄関前の柵越しから敷地内を眺めてみたが、木が覆い茂り建物はほとんど見えなかった。。

そのグスタフ・クリムトは、このアッター湖をこよなく愛したという。カンマー城から100メートル手前の入り江には、彼の功績を紹介するミュージアム「グスタフ・クリムト・センター」がある。扉横のエスカレーターを上った2階が展示場(入場料7ユーロ)となっている。


クリムトは、甘美で妖艶、エロスや死の香り、金箔を用いた絢爛豪華な作風などで知られているが、実は多くの風景画も残している。特に、このアッター湖付近の風景を好んで描いており、正四角形のキャンバスを使用し、平面的、装飾的でありながら静穏でどことなく不安感をも感じさせる特徴がある。


展示されている風景画はほとんどコピーであるが、写真、映像、着用していた洋服のコピー、小物、手紙などゆかりの品が展示されている。


こちらの、アッター湖全体が写された写真パネルには、それぞれのクリムト作品が描かれた場所を指し示している。地図と解説によると、1900年から1916年まで、アッター湖のカンマー(シェルフリング)、リッツルベルク、ゼーヴァルヒェン、ヴァイセンバッハの4か所のヴィラなどに滞在して作品を描いたり休暇を楽しんでいたようだ。
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40分ほど、見学した後、湖畔を少し散策して、次に、アッター湖の東岸道を一路、南に向かった。シェルフリングを出発すると、すぐに湖の対岸には、山々が連なり始めた。


アッター湖に沿って14キロメートルほど行った湖畔の町シュタインバッハ・アム・アッターゼーには、大型のキャンプ場、ウォータースポーツ施設があり、綺麗に刈りこまれた芝生の湖畔に、ウィーンで活躍した作曲家グスタフ・マーラー(Gustav Mahler、1860~1911)の作曲小屋がぽつんと建っている。 


入口の扉には、Gustav Mahlerと書かれた小さな表札があり、周りの窓から小屋の中を覗くと、ピアノ、写真、他にもマーラーに関係する資料が至る所に展示されている。彼はこの小屋に1893~1896年の夏に過ごし、交響曲第2番の一部と第3番を作曲したという。


ところで、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督が1971年に発表した「ベニスに死す」の主人公で音楽家アッシェンバッハは、グスタフ・マーラーがモデルだとされている。静養のためベニスを訪れたアッシェンバッハ(ダーク・ボガード扮する)は、美少年タジオに理想の美を見出すが、折しも疫病が流行するベニスの町でタジオを求めて彷徨うことになる。。作品に流れるマーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」の甘美な旋律は、誠に素晴らしく映画の評価を一層高めていた。

湖畔では多くの人が日光浴しており、リゾート気分を盛り上げてくれる。しかし時刻は午後5時半になったので、グラーベン村にある今夜の宿泊ホテルに向かうこととする。


グラーベン村は、アッター湖の南端から直線で8キロメートルほど南のウォルフガング湖の東側に位置しているが、途中に山があることから、街道は、ヴァイセンバッハから大きく東側に迂回している。距離にして30キロメートルほどになる。


ちなみに、こちらは、クリムトのForester's House in Weissenbach on the Attersee Ⅰ(1914)(アッター湖畔のヴァイセンバッハの森番の家)で、「オーストリア・ギャラリー」に所蔵されている。クリムトは、ここに描かれた「フォルスト・ハウス」を1914~1916年まで借りて滞在していた。

街道からグラーベン村のホテル「ハウス ヴィンターシュテラー」へは路地を北側に入って丘に続く上り坂の一本道を300メートルほど行った所で、ポツンと建っていたが、街道に案内表示がなかったため、いくつかの路地を行ったり来たりしてしまった。ホテルの玄関は外階段を上った2階にある。


年配の婦人がホテルを経営しているが、指定されたチェックインの時間に遅れたためか愛想が悪い。更にドイツ語しか話せないことから、コミュニケーションが取れないのも難点である。ともかく、無事チェックインを終え、3階の南向きの部屋から外を眺めてみる。東側には草原の中に、ポツリポツリと住居が見え、遠景には、山脈が続いている。
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視線を右側に移して行くと、やはり所々に住居があり、遠景に山々が連なっている。
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更に、視線を右側に移してみる。こちらはウォルフガング湖の方面である。ちなみにネットには「湖が見えるホテル」との案内があったのだが、良く分からない。しかしよく見ると右端の、お椀型の山の右側と屋根との隙間に申し訳なさそうに湖が見えた。。
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今夜は、ウォルフガング湖の湖畔の町ザンクト・ヴォルフガングのやや高台にある「レストランdSpeis」を予約している。午後8時前に到着すると、テラス席には数組の先客がいたが、店内にはお客はいなかった。


テラス席に案内され、最初にビールを頼み、次に、オーストリアの赤ワイン「シュワルツ」を頼んだ。シュワルツは、オーストリア最東部に位置するブルゲンランド州産である。


最初に前菜のサーモンのタルタル(17ユーロ)を頼み、


メインは、リブアイ・ステーキ(42ユーロ)を、付け合せにグリーン・サラダと焼きジャガイモを一緒に頼んだ。


日暮れが近づく午後8時半には、テラス席は満席になった。料理は美味しく、テラス席も居心地が良かったのか、午後10時過ぎまでゆっくり食事した。


食後、ザンクト・ヴォルフガング中心地の広場まで行ってみた。町は外灯が少ない上にレストランも閉店間際で、人通りもほとんどないことから、寂しい雰囲気である。


広場の右側3メートルほどの高さの基壇の上に「教区教会」が建っている。広場の少し手前にある石階段を上ったが、当然、教会の扉は閉じられている。基壇上から教会の反対側に行ってみると真っ暗の中、ヴォルフガング湖が広がっていた。


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翌朝、再びザンクト・ヴォルフガングにやってきた。ホテルや可愛いショップの建物が並ぶ下り坂の通りを北西方向に歩いて行く。


レストランのテラスが並び始め、通りは大きく左にカーブすると前方に「教区教会」が現れた。通りは教会前で三叉路になっている。
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教会手前を左折すると、昨夜訪れた広場に到着した。前方突き当たりに建つ赤い壁の建物は、作曲家ラルフ・ベナツキー(Ralph Benatzky、1884~1957)の代表作オペレッタ「白馬亭にて」の舞台となった「白馬亭ホテル(イム ヴァイセン レッスル)」で、2階と3階の間に楽譜が描かれている。そして「教区教会」は右側の古びた基壇の上に建っている。
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「教区教会」は924年生まれの聖ヴォルフガング自身により建てられた。ヴォルフガングはレーゲンスブルクの大司教を務め、亡くなった後、聖人に叙された。教会は中世の頃に巡礼地として賑わったが、15世紀に火災にあいその後、後期ゴシック様式で再建される。現在の建物は17世紀にバロック様式で新たに建てられた。


教会は、広場側(東側)に面してステンドグラスのある内陣があり、シンボルの塔は湖側(南側)に建っている。教会内へは北側にある扉口から入る。
教会に入った左奥の内陣を飾る祭壇飾りは、ミヒャエル・パッハーが1481年に制作したもので、オーストリアにおける後期ゴシック芸術の最高傑作の祭壇の一つと言われている。
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祭壇飾り中央には、木彫り(菩提樹)に黄金で塗装された多くの人物が表現され、左右に2枚ずつ計4枚の板絵が配されている。しかし、この4枚の板絵は裏面にも絵が描かれ、その両面に描かれた板絵は左右ともに2枚重なっている。このことから計16枚の板絵が描かれており、平日や祝日の行事毎に扉を開け閉めして異なる板絵を見せる可動翼となっている。
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近くからじっくりみてみよう。中央に王冠を被るキリストの前に跪く聖母マリアがいて(聖母戴冠)、2人の上には精霊のシンボルである鳩が飛び立っている。周りの天使たちは歌い、キリストと聖母マリアの足元には、様々な角度から二人の衣を持ち、敷物を支える天使たちがいる。左端には、教会を持つ聖人ヴォルフガングが、右端には聖ベネディクトが表現されており、王冠、髪、衣の襞に至るまで、どの場面も緻密に彫刻されており大変驚かされる。
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上部の巻き蔓の尖塔も細かく彫刻され、十字架のキリスト像を中心に多くの聖人や天使が表現されている。
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可動翼の4枚の板絵は、左上が「キリストの降誕」、左下が「キリストの割礼」、右上が「神殿奉献」で、右下に「マリアの死」が描かれている。そして、祭壇飾りの最下部にあたるプレデッラの中央には「キリストを拝む聖三王」が表現され、その左側には「マリアのエリサベト訪問」が、右側には「エジプトへの逃避」が描かれている。
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教会身廊の中央部にも見事な黄金の彫刻祭壇が飾られている。マヌエル様式の螺旋状の柱に多くのクピードー(キューピッド)が表現されている。
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教会の湖側には、転落防止用に石壁が続いており、アーチからヴォルフガング湖を眺めることができる。


ヴォルフガング湖に向かって左側には、湖に張り出した「白馬亭ホテル」の専用プールやジャグジーが見える。前面には、青く澄んだ湖が広がり、対岸には山が続いている。


白馬亭ホテルの右側にある細い路地を進むと1階に土産物店などがあるホテルやペンションの建物に囲まれた広場が現れる。


そして広場の目前には湖が広がり、遊覧船の船着場になっている。桟橋にはベンチが置かれ、座って湖を眺めると、居心地が良く時間を忘れて長居してしまいそうだ。


今日は、午後3時にヴォルフガング湖の東側に位置するバート・イシュルに行く予定だが、先に40キロメートル西に位置するザルツブルグに向かう。ただし、現地でゆっくり滞在する時間はないのだが。。

ヴォルフガング湖の東側から南側に回り込み158号線に入った後、一路西に向かう。途中、湖対岸に先ほどまで居たザンクト・ヴォルフガングの町並みと、全景のシャーフベルク山(1783メートル)が望める。山頂へは、映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場した登山鉄道で行くことができる。
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158号線は、ザルツブルグ市内の東側に到着するが、目的地の旧市街は市内の西側に位置しているため、渋滞が慢性化する中心部を避け、北側に迂回して向かった。

迂回した後は順調に走行し無事到着した。正面に見える岩山の中に大型駐車場があり、その岩山の向こうがザルツブルグの旧市街になる。


ザンクト・ヴォルフガングから、ここまで1時間20分ほどとやや時間がかかった。。地図の左下のHildmann Platzから進入しBの駐車場に到着したが、あとはトンネルを歩いて右側の旧市街(アルトシュタット)に向えば良いわけだ。
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⑥横のトシャニニホーフ(Toscaninihof)に向けて進むと、トンネルの両壁には様々な広告や案内板が掲示されている。


トンネルを出ると広場になっており、すぐ横にテラス席のあるカフェがある。出口の真上は切り立った岩壁になっており、その岩壁に向かって右側に隣接する古代遺跡の様な建造物は、劇場「フェルゼンライトシュトーレ」である。


劇場名は”岩窟の乗馬学校”を表わしている。1693年、新しいドーム建築のため採石場跡に乗馬学校として建築されたもので、三層に重なった岩盤アーチは乗馬学校の観客席だったが、現在は舞台の全景となり、その手前に1549席の客席が設置されている。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の合唱コンテストの会場として登場したことでも知られている。

なお、入口鉄扉の両サイドには、ロマネスク風の天使の浮彫があり、すぐ左側の外階段は岩壁の上に行け、更に岩山への遊歩道に繋がっている。

さて、トンネル前の広場から前方の高架陸橋をくぐると、更に大きい広場があり、中央に槍とザルツブルク市の紋章の盾を持つ葉っぱで覆われたグリーンマンの様なブロンズ像が建つ泉がある。その後方にはザルツブルク大学付属教会の「コレーギエン教会(Kollegienkirche)」が建っている。
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広場から左側(西方向)には歩行者専用の大通りが続いている。しばらく通りを歩いて少し先で振り返ると、玉ねぎ型尖塔が見えるが、こちらは、べネディクト派大修道院として696年創立したオーストリア最古の男子修道院「聖ペーター僧院教会」である。そして、背景の岩山の上にはザルツブルクのシンボル「ホーエンザルツブルク城」が聳える。11世紀に造られ16世紀初頭に拡張されたが、一度も敵に占領されたことがない稀有な城塞とされている。最高所は標高508メートルで、1892年に開通したケーブルカーで上ることができる。


更に通りを歩いて再度振り返ってみる。中央やや左側の白い外壁の建物は「ザルツブルク現代美術館」で、すぐ左奥の高い塔は「聖フランシスコ教会」。そして右側のくぐった高架橋から続く建物は「モーツァルトのための劇場(旧祝祭小劇場)」で、途中から「ザルツブルク祝祭大劇場」となる。


「ザルツブルク祝祭大劇場」と右側の「ザルツブルク大学附属図書館」の間の歩行者専用の通りを更に進むと交差点になり、この先からは車道が走っている。歩道の左側には、ザルツブルク出身の指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの功績を記念して建てられた泉「カラヤン広場」がある。広場は馬のオブジェがあることから「馬の洗い場(Pferdeschwemme)」とも呼ばれている。
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そして「カラヤン広場」の先隣のクリーム色の建物は「おもちゃ博物館」で、その先隣りは「聖ブラジウス教会」と続いている。

交差点の左側には、切り立った岩壁が続いており、トンネルから多くの車が走行して来る。このトンネルの向こうが岩山内の大型駐車場への入口であり、駐車場に入らず直進すると、この交差点に到着するというわけだ。


更に進むと通りは狭くなり、岩壁にへばりつくように、建物が並んでいる。一番奥に見える「MdM」と書かれた所がザルツブルグでの目的地となる。「MdM」とは「近代美術館」のことで、メンヒスベルクと呼ばれる岩山の上にあり、この場所からエレベーターに乗って行く。
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時刻は、午後12時40分。お腹も減ったが、午後3時にバート・イシュルへ行くためには、遅くともあと1時間以内には出発しなければならない。「MdM」の手前のビルの1階には、ケバブ屋があったので、テイクアウト(4ユーロ)して、メンヒスベルクに向けエレベーターに乗る。

「メンヒスベルクのエレベーター」を下りると美術館の前はテラスになっている。そのテラスの先の展望台からは「ホーエンザルツブルグ城」の麓に広がる豪華絢爛なバロックの街並みが見渡せる。「北のローマ」或いは「北のフィレンツェ」とも称され、探検家のフンボルト(1769~1859)は「世界でもっとも美しい都市」と評したほど。1996年には「ザルツブルク市街の歴史地区」として世界遺産に登録されている。


天気にも恵まれ、街の美しさを一層引き立ててくれている。ここまでやって来た甲斐があると言うものだ。ケバブを食べながら、ザルツブルグの街をじっくりみてみよう。

まず、一番手前の尖塔が「聖ブラジウス教会」で、その先の歩行者専用の大通り(先ほどまで歩いて来た)沿いに建つ変形四角形の面積の広い建物が「ザルツブルク大学附属図書館」である。そして、そのすぐ後方のドームが「コレーギエン教会」、その右側の尖塔が「聖フランシスコ教会」、そして、その間の奥に見える2本の尖塔の教会は「ザルツブルグ大聖堂」である。
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「ザルツブルグ大聖堂」を眺めるには少し距離があるため「フェルゼンライトシュトーレ」外階段を上った岩壁から見るのが良いかもしれない。そこからは、左側の「聖フランシスコ教会」と右側の「聖ペーター僧院教会」の間に「ザルツブルグ大聖堂」をはっきりと見ることができる。
中央のペディメントを大理石の双塔がはさむ美しいファサードで774年に前期ロマネスクで創建され、1628年には現在のバロック様式で再建された。モーツァルトは、この聖堂で洗礼を受けオルガン奏者も務めた。また、指揮者カラヤンの葬儀が行われたのもこの聖堂である。

次に、少し左に視線を移すと、ザルツァハ川が流れている。ザルツブルグは、この川を境にこちら(西側)の「旧市街」と対岸(東側)の「新市街」とに分かれている。

ザルツァハ川の水源はザルツブルク州のクリムル近郊のキッツビュール・アルプスに端を発し、ザルツブルグ市内を北側(左側)に向けて流れている。ザルツとはドイツ語で塩を意味している。ちなみにザルツブルグのザルツも同じく塩で、ブルグは城(砦)を表しており、文字通りザルツブルグは、この一帯に分布する岩塩鉱から算出される塩の取引で発展してきた。このザルツァハ川には、19世紀まで塩を輸送する船が行き来していたという。
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更に左に視線を移してみる。ザルツァハ川の対岸にある小高い丘、カプツィーナベルクの裾に見えるのが「カプツィーナ修道院」である。カプツィーナベルク丘の東に更に新市街が広がっておりザルツブルク中央駅もそこにある。

中央のシュターツ橋の下流に架かる歩行者専用の「マカルト橋」を新市街側に渡ったすぐ左側の建物は「カラヤンの生家」で、右側の横長の建物はザッハートルテで有名な「ホテル・ザッハー」。その後ろにモーツアルトが1773~81年まで暮らした家が残っている。更にその後ろに見える教会は「三位一体教会」である。
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なお、こちらは、マカルト橋上からカラヤンの生家の方向を眺めた様子である。マカルト橋には多くの「愛の南京錠」が取り付いている。
こちらは、マカルト橋上から「旧市街」側を眺めた様子と、「新市街」側を眺めた様子である。

更に左(北側)に視線を移すと、手前の枝先で見ずらいが、1898年建築の「聖アンドレ寺院」が建ち、枝に半分隠れて一部しか見えないが青い屋根を持つ正方形の建物は、1606年に建てられた「ミラベル宮殿」で右側の緑の「宮殿の庭園」へと続いている。
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ちなみに、マカルト橋上からザルツァハ川の上流(北側)を眺めた様子はこちらで、「ミラベル宮殿」の前のザルツァハ川そばの尖塔は「福音教会」である。また、川に浮いている船の様な施設は、ザルツァッハ川を40分ほどかけて観光する「ザルツァッハ・クルーズ」乗り場で、クルーズ船は1時間に1本程度が運航している。

次に、ザルツブルグの目抜き通りを散策してみる。メンヒスベルクのエレベーターで地上に戻り、来た道を少し戻った「聖ブラジウス教会」の前から、通りに入る。「ゲトライデ通り」と呼ばれる東西350メートルほどの歩行者専用の小道で、15~18世紀の建物(商家)が並んでいる。


ゲトライデ通りを歩き、振り返ると「聖ブラジウス教会」が正面に望める。


通りにはカフェ、ギャラリー、ブティックも多数あり、それぞれの建物には、精巧な細工が施された鉄製の商標や看板が取り付けられている。ちなみにマクドナルドの看板はこちら


聖ブラジウス教会から200メートルほど進んだ左側に「カフェ・モーツァルト」がある。1920年創業の老舗のカフェで階段を上った2階になる。ザルツブルガー・ノッケルンと名付けられてアルプスの山をイメージしたスフレ菓子がお勧めで、モーツァルトが好んで食べたと言われている。入口左側に写真が飾られている。
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ゲトライデ通りには、建物の中や中庭をとおり抜けたりすることができる「パッサージュ」と呼ばれる通路が延びている

前方に見える時計のある塔は「ザルツブルグ旧市庁舎」で「ゲトライデ通り」はそこまでで、その先はかつてユダヤ人の居住したゲットーのあった小路「ユーデン通り」になる。
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旧市庁舎の少し手前の右側にはウィーンでお世話になった魚介類専門のレストラン・チェーンの「ノルトゼー」があり、その先隣りにはモーツアルトハウスがある。この建物の4階がモーツアルトが1756年1月17日に生まれた場所で、その4階の外壁に金色のメダイヨンが飾られている。現在は、彼の楽器や楽譜など、ゆかりの品が展示されるモーツァルト記念館となっている。
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「モーツアルトハウス」の前は丁字路になっており左折してアーチのある建物を抜けるとザルツァハ川沿いの通り「グリースガッセ」に出る。また、モーツアルトハウスからパッサージュを抜けて反対側に出ると、「コレーギエン教会」が建つ「大学広場」に到着する。この広場は朝市の場所として朝から多くの買い物客で賑わう。店舗が少ないこの時間でも多くの観光客が集まっている。


こちらのお店では、焼き菓子のプレッツェルや、モーツァルトクーゲル(モーツァルトが描かれた包み紙に入ったチョコレート菓子)などが売られている。お店の左側から教会に沿って南に向かうと「モーツァルトのための劇場」前の広場になり、高架陸橋をくぐると岩壁の駐車場の入口に戻ることになる。時刻はまもなく午後2時。これで、ザルツブルグの高速ツアーは終了である。

(2018.7.12~13)

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