ここは、エーゲ海に浮かぶティラ島(サントリーニ島)東海岸の「カマリ・ビーチ」で、ティラ空港からは車で南に10分ほど走ったところになる。朝7時に空港に到着し、先ほど海岸手前のベーカリーで朝食を食べたところ。これから南側のメサボウノ山(Mesa Vouno)(標高360メートル)にある「古代ティラ遺跡」の見学に向かうことにしている。
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ビーチから1キロメートルほど街道を下った後、砕石舗装のヘアピンカーブが連続する山道を上って行く。急こう配の細い道だが対向車は現れないまま上り詰めた。終着点には整備された駐車場はなく、小さなロータリーがあるのみで、多くの車は周りに乗り上げ駐車している。メサボウノ山は北西側にある標高500メートル級のイリアス山と尾根(セラーダ地区)で繋がっている。ロータリーはその尾根上に位置し、100メートルほど離れた坂の上に建つ石造りの建物がティラ遺跡への入場ゲートになる。
ゲートからは岩山上まで階段を上り、山の斜面に造られた砂利道を歩いて行く。砂利道の左側には、イリアス山への稜線が続き、手前には、ヘアピンカーブの山道、麓にはカマリ・ビーチや、遠く(北側)サントリーニ(ティラ)空港の滑走路も見える。
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砂利道は、山肌に沿って緩やかに右側に曲がり南方向に進んで行く。このあたりで標高は300メートル、素晴らしい眺望が続くが、急勾配にも関わらず防護柵がないため身が竦む。。
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砂利道を200メートルほど進むと右側に浮彫が施された遺構が現れる。紀元前3世紀半ばにパンフィリア島(現:トルコ南部)出身のアルテミドロスによって捧げられた聖域で、祭壇が残っている(配置図はこちら)。その祭壇を見守る様に、向かって左側に「ゼウス大神の鷲」とその左側に「アポロン神の獅子」のレリーフが刻まれている。
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そして、やや離れた左側には、「ポセイドン神のイルカ」と、その上に「アルテミドロスの肖像画」が数々の碑文とともに刻まれている。
「アルテミドロス聖域」の先の階段を上り詰めると、平坦地が現れ、ティラの都市(遺跡群)が丘の上にかけて広がっている。ここまでの険しい上りに加え、日差しの強さと睡眠不足で疲れが出たため、日陰のベンチに横たわった。。。
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この場所はティラの都市のアゴラの北端で、標高約340メートルに位置している。アゴラ手前から斜面側を覗き込むと石垣があり、人工的に形成されていることが分かる。
ティラの都市は、もともとは、紀元前9世紀頃にスパルタから来たドリス人が築いた植民都市を起源とし、ローマ時代を経て、ビザンティン帝国時代まで栄えたが、726年の火山噴火で火山灰に覆われ、廃墟になったと伝えられている。時折吹く心地よい風で少し体力が回復したため、アゴラを南に向け歩いてみる。アゴラは、南北の長さ約110メートル、東西に17〜30メートルの広さがある。遺跡群はそのアゴラの西側の丘の上を南北に尾根状に続いている。アゴラ沿いに20メートルほど続く「公共の建物」の先隣りには「ディオニソスの館」の址がある。
アゴラの中央付近から丘側を望むと「ディオニソスの館」は、ひと際綺麗に石積みされている。そして左隣には丘の上に続く階段があり、その左側には「バジリカ・ストア」がある。
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バジリカ・ストアは南北46メートル×東西10メートルの長方形の敷地があり、中央に並ぶ10本のドーリア式列柱により支えられていた。北側部分は3本の柱で区切られ、ローマ皇帝に関連する彫像などが奉られていた。現在残る遺跡は1世紀に再建されたもので、ここが集会場など公共の中心部だった。
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バジリカ・ストアの南隣りには2世紀に地元の富豪により建てられたローマン・バスの址や、
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アゴラの南側から下の斜面には、女神テュケーの像が発見されたことから名付けられた「テュケーの家」の遺跡がある。
そして、その南隣の斜面には、2世紀に建設された「劇場址」が広がっている。最下部の長方形の石積みはプルピタム(舞台)で、その手前に半円形のオーケストラ・ピットがある。緑で覆われているが、斜面の中央部が両端より下がっていることから形状は分かる。向かって左側に階段があり約1,500人が収容できた。公演には近隣の島からの観客も訪れたという。
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アゴラから西側の階段を上ると、すぐに下りになり、南端の小さなテラスに到着する。テラスからは急斜面の断崖が続き、南西側に「ペリッサ・ビーチ」やティラ島最南端の集落「エンボリオ」の町並みが見下ろせる。そのエンボリオの西側が小さな「ブリハダ・ビーチ」で今夜はそのブリハダ地区に泊まることにしている。
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テラスから振り返ると一段高い場所に「アポロ・ピティオスの聖域」が広がり、その聖域を通路が鋭角に回り込む様に続いている。回り込んだ斜面にはひな壇状に「エジプト神の岩の聖域」がある。
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先の階段を上り大きく右に回り込むと「アポロ・ピティオスの聖域」を丘の上から見渡せる。この聖域は古くはヘルメスとヘラクレスに捧げられた小さな洞窟だったが、その後、紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけて、アポロ・ピティオスとエジプト神の祠が次々造られ大規模な聖域となった。収穫を司る神アポロン・カルネウス(ペロポネソス半島スパルタに伝わる古い神格)のカルネイア祭なども行われた。ちなみに、エジプト神が信仰されたのは、東地中海地域の覇権を目指していたプトレマイオス朝(前305~前30)がエジプト人兵士を駐屯させたことによる。
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丘の上に延びる通路を北側に歩いていく。通路は緩やかな上りで、大小様々な区画が密集するティラの都市中心部を通っている。
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聖域から通路は100メートルほどで行き止まりになり、「ディオニソスの館」と「バジリカ・ストア」の間から延びる通路と丁字路になる。左折した先はすぐ行き止まりになり、右側には地下宮殿を思わせる遺跡がある。北西側にはイリアス山の山頂に建つ「イリアス修道院」が見える。丁字路から東側を回り込み数メートルの遺跡を越えた広い丘の上から振り返って南側に広がるティラ遺跡の中心部を見渡してみる。南北150メートル、東西100メートル規模に広がっている。
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標高360メートルの頂きにこれほど広範囲に都市が広がっていたことに大変驚かされた。この場所から更に北側にはプトレマイオス朝時代の駐在基地があり、最盛期には直径800メートルにも及ぶ都市だったと伝えられている。
さて、メサボウノ山を下山してカマリを過ぎピルゴス(Pyrgos)方面の標識に従い左折して島の西側に向かう。島中央部のメサ・ゴニア(Mesa Goni)には近年改築されたのか巨大で真新しい教会が建っている。聖ハラランボス教会で、聖ハラランボスは2世紀頃にテッサリア地方のマグネシアの初期キリスト教の司祭で113歳まで生きたとされ、生涯で数々の奇跡を起こしたことで知られている。
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ピルゴスを過ぎ、西海岸沿いの街道に左折して「アクロティリ遺跡」に向かう。遺跡は、島の西南部にあるアクロティリ海岸手前に広がっており、カマリからは車で30分ほどの距離になる。
チケットショップには20人ほど並んでいたが、対応は早かった。チケットを購入(12ユーロ)し、綺麗に整備された敷地内を東方面に進む。遺跡群は、左の丘に位置し、正面の階段を上った先の左側に入館口がある。
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アクロティリ遺跡は、紀元前5千年紀から紀元前3千年紀にかけ拡大し、その後ミノア文明の影響も受け繁栄した大規模な港湾都市だったが、紀元前16世紀頃に発生した大噴火により3~5メートルもの火山灰で埋没してしまう。1967年の発掘調査により紀元前17世紀頃の保存状態のよいフレスコ壁画をはじめ、土器・青銅器などが発見され、高度な文明を築いていたことが明らかになった。なお、近年の衛星画像の調査によると発掘された遺跡群は全体の3パーセントにすぎないと報告されている。
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遺跡は、南北に約200メートル、東西の底辺にあたる南側が100メートルほどの三角形の敷地で、全体が近代的な大屋根で覆われている(遺跡の案内図はこちら)。館内には、遺跡を取り囲む様に設置された「渡り廊下」を周回しながら見学する。ティラ遺跡では、強い日差しの下、上り下りの見学だったので、空調も効いた快適な環境は大変有難かった。
ところで、この大屋根は2005年の完成時に一部崩壊して1名亡くなったことから、2012年4月まで閉鎖されていたとのこと。
昼12時を過ぎているが、入口付近は団体客等で混雑していたため、渡り廊下を進んだ東側から見学することにした。遺跡は一面灰色の世界で、人類滅亡後の世界を思わせる風景である。恐怖を感じたが、しばらくすると少し目が慣れてきた。
こちらは、東南角付近からの様子で、右側の大きな遺跡が、手前から遺跡入館口方向へと続いている。「クリア4」と名付けられ、17部屋に加え階段の址や一部2階の壁面も残る遺跡最大の建築物で、もともとは3階以上の高層建築だったとのこと。そして、建物の南側には「コレット通り」が延び、向い側には、水平な床(2階)が残る「ベータ棟」が建ち、その手前の囲みには階段の址がある。
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「渡り廊下」を北方面に進んだ遺跡の中央付近にある「コンプレックス・デルタ」は、扉口や窓枠がある外壁や内壁など間取りがはっきり残っている。こちらから、クレタ島で有名な牡牛の角を模した 「奉納の角」が発見されている。紀元前17世紀は、クレタ島で独自の進化を遂げていたミノア文明の最盛期であり、ティラ島がミノア文化の影響を受けていたことがわかる。
右側の窓がある部屋の奥の部屋からは、春の花とツバメの壁画が発見され、アテネ国立考古学博物館に展示されている。手前の堆積層との間にある通りは、すぐ左先の建物「クリア2」前で屈折して海岸側に続いていたようだ。
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更に、渡り廊下を進み一番離れた最北端の「セクター・アルファ」まで来ると、大容量の貯蔵用の甕(ピトス)が大量に発見された「ピトスの倉庫」がある。ピトスには大量の穀物、種、ワイン、油などを貯蔵することが多かったため、交易の中心地などから多く発見されている。
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アクロティリ遺跡の壁画は、1967年から1974年にかけて発掘されたが、最初の壁画(アフリカ人、青い鳥、猿の頭部など)はこの「セクター・アルファ」から見つかった。こちらの壁画はティラ島中心部の「フィラ新先史期博物館」(Prehistoric Museum)に展示されている。
北側から渡り廊下は、西南方面へと大きく方向を変える。ピトスの倉庫の南西側に隣接する建物が「女性たちの館」で、手前(北側)にある小さな窓の部屋から女性と、カミガヤツリ草(パピルス)、そして手を差し出す女性の壁画が発見された。こちらも「フィラ新先史期博物館」に展示されている。
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「女性たちの館」に続いて南西側には「西の館」がある。壁の上部や内部の壁面は大きく溶解しているが高層建築物の姿のまま残っている。館は、海軍長クラスの邸宅だったと考えられており、食料貯蔵庫、書斎、キッチン、作業場などの部屋があった。一番奥が、入口から続く階段があった場所で屋根裏に続く3階まであった。
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少し角度を変えて西南側の室内を覗き見ると、大屋根の支柱の基礎部分に内壁が残り2室だったことが分かる。そして外壁は、上の階と比べ下の階が内側に張り出して厚く造られている。下の階を重厚にして建物の安定性を図ることに加え、天井板などを支える垂直材の役目も果たしていたのだろう。上の薄く色彩が残っている角には洗面所があったとのこと。
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この「西の館」からは両手に多くの魚をぶら下げた裸の青年漁夫の壁画(Wikimedia Commons)が発見された。壁画は「フィラ新先史期博物館」が所蔵しているが、残念ながら公開されていなかった。
廊下の一角に設置されているモニターで紹介されていた「西の館」の復元CGを見ると、3500年もの年月を感じさせない遺跡の保存状態に改めて関心させられた。
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「西の館」の横から遺跡内に繋がる階段を下りてみる。向かって左側がその「西の館」の外観で、右側には先ほど東側の渡り廊下から見えた「コンプレックス・デルタ」の西側壁になる。中央の広場は「トライアングル広場」で北側のケノタフュ広場と南のテリチーノ通り(※画像は北方向)へと繋がっている。
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そして、テリチーノ通りを更に下がった遺跡への入館口手前にある「セクター・アルファ」地区からは、「猿の壁画」(フィラ新先史期博物館)や「ボクシングをする少年たち」(アテネ国立考古学博物館)の壁画が発掘されている。
入館口から最も近い西南側の「クリア3」は、14室の部屋を持つ2階建ての建物で、手前の仕切りがある区画に階段址がある。部屋からは、バラの花(フィラ新先史期博物館)、花束を持つ女性、ワニやポトニア鹿など多くの壁画が見つかっているが、破損が激しく博物館でも非公開である。建物内に、半地下になっている部屋があり、礼拝者を描いた壁画があったことなどから宗教的な儀式が行われた唯一の建物と考えられている。
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アクロティリ遺跡から人骨や宝飾品などがほとんど発見されていないことから、事前の断続的な火山活動などで、3000人ほどの住民は退去したと考えられている。それにしても、イタリア・ナポリ近郊にある古代ローマ都市ポンペイ遺跡と比べると、やや知名度は劣るが、ポンペイより1500年以上も古い都市遺跡がリアルに残されていることへの驚きと、保存と観光との共存を目指した近代的な設備にも関心させられた。
1時間ほど見学した後、海岸からの景色を眺めて、今夜宿泊予定のヴィラに向かった。場所は、最南端のエンボリオから500メートルほど西海岸沿いのブリハダ地区にある「ヴィラ ミチャリス」(Villa Michalis)(トリプルルーム プールビュー)で、午後3時に到着した。
チェックインして1時間半ほど眠った後、ティラ島最北端の「イア」にサンセットを見に出かける。「ヴィラ ミチャリス」には、深夜まで営業しているレストラン(Taverna Meroula)が併設されており、帰宅して夕食を食べることにした。
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出発して15分ほどで崖の上に並ぶ「フィラ(ティラ)」の町並みが見えてきた。ところで、ティラ島は、ギリシャ本土から約200キロメートル東南にあり、かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形の一部で、その中央部と外輪山との大小5つの島々(サントリーニ諸島)から構成されている。そして、そのフィラは、カルデラ東側に三日月形に広がる「ティラ島」中央部のカルデラ側に面している。(地図はこちら)
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そのフィラを過ぎ「イア」に向かう。イアは、ティラ島の最北端でカルデラ側(南側)の崖沿いにある集落で「ヴィラ ミチャリス」からイアまでは20キロメートル強、45分ほどの行程になる。
駐車場は、イアの集落から200メートル北側を通る街道沿いにあるが、日暮れが近づいており大変混みあっている。しばらく待ち、駐車した後、南側の丘を越えて、時計塔の建つ市庁舎の横から東西に延びる目抜き通り(歩行者専用)を歩いていく。狭い通りには、ショップや土産物店、レストランなどが並んでいる。
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目抜き通りから、人の流れについて路地を進むと断崖沿いに到着する。左側を見渡すとカルデラ側の青い海に向かって、崖上には数キロ先までイアの町並みが見下ろす様に建ち並び、その先からは、荒々しい岩山だけとなり大きく曲がりフィラ方面に続いている。中々、お目にかかれない絶景スポットである。
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崖沿いにある通路から、海側に隆起した岩山があり、階段が続いている。階段の先はイア要塞(展望台)で、イアでは、この場所からの眺めが一番良いとされるが、既に人で溢れている。
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狭い坂道の崖側に設けられた防護壁にも見物客がびっしり張り付いて、空いたらすぐに他の人が入るといった状態で、来訪者が増える一方であった。眺めは美しいが、人が多すぎて情緒がない。。しばらく、防護壁にしがみついて日没を待っていたが、徐々に通行すら困難な状態になってきたことから、帰りの一斉帰宅の混雑ぶりを想像すると怖くなり退散することにした。
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駐車場に戻ってくると、崖の手前に見晴らしの良い空き地があり、何人か見物客がいたので、そこで眺めることにした。
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遥か彼方の水平線に沈んでいくオレンジ色に染まった夕日は素晴らしく、イアの穴場スポットを発見したようで良かった。その後、急ぎイアを後にした。フィラを過ぎると、街の灯りもなくなり、道がわからないほどの暗闇が続いたが、ブリハダ地区の薄灯りが見えるとホッとした。
「ヴィラ ミチャリス」には、午後9時40分に到着した。遅い時間だったので少し不安になったが、レストランに顔を出すと大変歓迎された。他に客はいないので、何処でも良いよと言われ、プールサイドの一つ内側のテーブル席にした。ちなみに部屋はプールサイド右側であり、帰りの心配もないのは有難い。
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最初にサラダを頂き、お勧めの魚介の盛り合わせを注文した。ポテトの下に魚やイカ、タコ、エビなどのグリルがボリュームいっぱいに隠れており、白ワインとの相性もぴったりで大変満足できた。最後はサービスデザート。
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翌朝、プールサイドで朝食を頂いた後、昨日通過したフィラにある「新先史期博物館」(Prehistoric Museum)に見学に向かう。ダイダロス・ホテル南側の「駐車場1」(地図はこちら)から南北に延びる「ディシガラ通り」を北側に歩いていく。通り沿いには徐々にレストランやショップが現れ始めた。
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300メートルほど歩いた、バスステーションの向かい側(西側)に「新先史期博物館」があり、入口は、建物に向かって右側にある長い階段を上り左側に回り込んだところになる。博物館は、1956年のアモルゴス地震で倒壊した古い教会の跡地に建てられたもので、新石器時代後期からキクラデス期(後期)までの島の歴史を網羅し、主に、アクロティリ遺跡から発掘された陶器、彫刻、宝飾品、壁画、儀式用具などのコレクションが展示されている。
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キクラデスとは、紀元前3000年頃から紀元前2000年頃にかけ、エーゲ海のキクラデス諸島(ティラ島は、キクラデス諸島南部に位置する)に栄えたギリシャ最古の文明の一つで、トロイア、ミケーネ、ミノア(クレタ)の三文明より古いが、その後、ミノア(クレタ)文明の影響を受け同化していった。展示品の中にはアクロティリ遺跡から発掘されたクノッソスや東クレタからの陶器なども展示されている。
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こちらは、そのキクラデス文明を代表する抽象人形「スペドス型女性像」(Spedos variety)で、アクロティリ遺跡から発掘された「前期キクラデスII期」(前2700~前2300)時代の作品。スペドス型は、U字型の頭に長い首、肩幅が広く折り畳んだ細長い腕、脚の間を裂け目状に切り込んだ姿などが特徴である。
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こちらの抽象人形は「前期キクラデスI期~II期」(前2800~前2700)時代の「プラスティラス型」(Plastiras type)で、耳や表情が刻まれた卵形の頭部に、脚が別々に彫られている。男性像で、ダーク大理石から造られている。
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そして「前期キクラデスIII期」(前2200~前2000)時代の素焼き陶器(テラコッタ)。取っ手がついたポットとカップには、うっすらと抽象的な線が刻まれている。安定感のある形をしており、並ぶ姿はカルガモ親子の様である。後ろの子牛像も手足が短く安定感のある愛らしい作品である。
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「後期キクラデスI期」(紀元前17世紀)時代の「炉のまき載せ台(Fire dogs)」。手前の動物形象に目が行きがちだが、串を載せる上部の凹みや、中央の網などを載せるための複数の穴に加え、運搬用の取っ手など実用面を考慮した作りには驚かされる。
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以降は、全て紀元前17世紀の作品になる。
「木製テーブル」を復元した作品で、火山灰や溶岩片などの物質により覆われ、空洞になったテーブルの型に石膏を流し込み模られた。細かい装飾まではっきり復元できているのも凄いが、ロココ様式を思わせるカブリオール・レッグに似ており、とても3700年前と思えないデザインセンスである。
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儀式で使用された器、水差しや杯が並んでいる。いずれも幾何学文様の縁取りや草花が大胆に描かれている。
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中央の台上には、鳥のくちばしの形をしたピッチャーが展示されている。他にも同作品があるが、空に向かって鳴く鶴を思わせる様な頂部の注ぎ口や胴部の丸みを帯びた美しい形など印象深い作品である。向かって左下には「巻貝の形をしたリュトン(角杯の器)」があり、その隣には、可愛い姿の牡牛のリュトンが2頭並んでいる。
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そして、手前にある船皿には群れをなして飛んでいくツバメが描かれ、他にも躍動感溢れる山羊(アイベックス)が描かれた同作品(船皿)が展示されている。
こちらも、ツバメの姿が描かれたセラミック・ピッチャー。水墨画を思わせる様な流れるタッチで、花をゆらしながら颯爽と飛ぶ姿が表現されるなど芸術的完成度の高い作品である。
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巨大な円筒形ピトス(貯蔵用の甕)で、ダイビングする大きなイルカと、底から口縁まで伸びる百合の花など大胆で迫力ある構図で描かれている。
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展示室のラストを飾るのは、アクロティリ遺跡から発掘された唯一の宝飾品「黄金のアイベックス像」。避難の際の忘れ物とも言われている。
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2時間ほど見学した後、フィラの中心部から1キロメートルほど北側にある「サントリーニパレス」(フィロステファニ地区)駐車場からの眺めが、お勧めと聞いてやってきた。到着後、崖下を見下ろすと目の前に鮮やかな色のブルー・ドームと、教会の鐘の向こうに紺碧の海が広がり、その先にカルデラ中央部に位置する「ネア・カメニ島(Nea Kameni)」が見える。そして、右側の突出した小半島手前の崖上にも白いイメロヴィグリの町並みが続いている。こちらからの眺めはガイドブックやサイトなどでよく紹介されている。
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これから、フィラ中心地にある「フィラ考古学博物館」に歩いて向かう。サントリーニパレスは、駐車場のある西側が正面入口(2階建て)で、東側のなだらかな下り斜面に広がる様に建物が続いている。最初に、ホテルの南壁面に沿って続く階段を下りてホテルのプール横から駐車場を抜け、
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次に路地裏の狭い「エリトルウ・スタヴルウ通り」を進むと、前方に青いドームや教会の尖塔などが見えてきた。
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すぐに、ショップなども現れ繁華街の雰囲気になったが、目的の「フィラ考古学博物館」の場所が分からず何人かに聞きながら進み、正門入口に到着すると、ケーブルカー乗り場のそばであった。ケーブルカーは、200メートル崖下のオールドポートまで運行しているが、辺りは乗車を待つ人々で大混雑していた。一方、博物館は規模も小さくこの時間は2人の見学者しかいなかった。
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ティラ遺跡の墓地から発掘された副葬品で紀元前6世紀の黒絵式アンフォラ。口縁の外側には、戦いの様子が描かれ、内側には、4隻のガレー船が描かれている。
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こちらは、紀元前7世紀の中期幾何学様式のアンフォラ。中央に鳥が描かれている。ティラ遺跡の入口付近(セラーダ地区)にあった墓からの発掘品(1961年~1982年)である。
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展示品も少なかったことからすぐに博物館を出て、エリトルウ・スタヴルウ通り沿いに建つ「洗礼者ヨハネ大聖堂」の鐘楼や、隣の「メガロン・ギジ博物館」(休館)を過ぎて、再びサントリーニパレスに戻った。
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次に、サントリーニパレスのある「フィロステファニ」から、更に1キロメートルほど北にある「イメロヴィグリ」に移動する。「ディシガラ通り」から続く「25 マルティウ通り」が大きく右に曲がる手前を崖側に50メートルほど進むと、一気に視界が開け絶景が広がる。イメロヴィグリは標高が高いことから、南側のフィラの町並みや遠くのイリアス山も見下ろす様に一望できる。
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北側の斜面に立ち並ぶ白い建物にドームの青のアクセントが一層美しさを引き立てている。眺めも良く観光客もフィラと比べると少ないことから崖下にかけてゆっくり滞在できるホテルやヴィラがある。
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この崖下に通じる途中にあるレストランでのランチを目的に来たが、見つけることが出来ず、崖上の通り沿いの「エーゲ(Aegean Restaurant)」で食べることにした。店内は先ほどまで混雑していたが、午後3時近くになり一気に空いため入店することにした。
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レストラン前の通りからの眺望が良いことから、先ほどまで観光客が頻繁に訪れていたが、急に人通りがなくなった。テーブル席から眺める北側の斜面に続くイメロヴィグリの町並みや、南側のイリアス山から西南部に伸びるアクロティリ遺跡があるバロス(Balos)半島など、眩しいくらい真っ白な建物とエーゲ海のコバルトブルーとのコントラストが美しく、どのショットもフォトフレームに納めたいほどの景色である。
そして正面の海には、カルデラ中央部の「ネア・カメニ島」と隣接する小さな「パレア・カメニ島」を中心に、外輪山部分の小さい円形の「アスプロニシ島」(西南側)、右側の「ティラシア島」(西側)、左側の「ティラ島」のバロス半島(南側)が大きく取り囲むカルデラ全域の様子が見渡せる(再び、サントリーニ諸島の中央部と外輪山との大小5つの島々の配置図はこちら)。
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料理は、プリプリのエビと大ぶりのムール貝が乗るトマトとチーズがたっぷりのリゾット(18ユーロ)と、
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新鮮な葉物野菜が乗るリングイネ(12ユーロ)を注文した。美しい眺めと貸し切りにしているようなテラスでのひと時は最高だった。
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食事後、急ぎ空港に戻り、荷物をまとめてタクシー(都内タクシーの深夜料金ほどの高い運賃だった。。)で島の西側(フィラの南)にある「アティニオス港」に向かった。標高260メートルほどの崖上からヘアピンカーブを急降下していくと、観光バスなど大型車が、何度か切り返さないとカーブを通過できず、渋滞が発生していた。港到着後は、カフェでトイレ休憩と食後のコーヒーを頂き、これでティラ島(サントリーニ島)とはお別れになった。
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(2019.5.25~26)
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ビーチから1キロメートルほど街道を下った後、砕石舗装のヘアピンカーブが連続する山道を上って行く。急こう配の細い道だが対向車は現れないまま上り詰めた。終着点には整備された駐車場はなく、小さなロータリーがあるのみで、多くの車は周りに乗り上げ駐車している。メサボウノ山は北西側にある標高500メートル級のイリアス山と尾根(セラーダ地区)で繋がっている。ロータリーはその尾根上に位置し、100メートルほど離れた坂の上に建つ石造りの建物がティラ遺跡への入場ゲートになる。
ゲートからは岩山上まで階段を上り、山の斜面に造られた砂利道を歩いて行く。砂利道の左側には、イリアス山への稜線が続き、手前には、ヘアピンカーブの山道、麓にはカマリ・ビーチや、遠く(北側)サントリーニ(ティラ)空港の滑走路も見える。
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砂利道は、山肌に沿って緩やかに右側に曲がり南方向に進んで行く。このあたりで標高は300メートル、素晴らしい眺望が続くが、急勾配にも関わらず防護柵がないため身が竦む。。
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砂利道を200メートルほど進むと右側に浮彫が施された遺構が現れる。紀元前3世紀半ばにパンフィリア島(現:トルコ南部)出身のアルテミドロスによって捧げられた聖域で、祭壇が残っている(配置図はこちら)。その祭壇を見守る様に、向かって左側に「ゼウス大神の鷲」とその左側に「アポロン神の獅子」のレリーフが刻まれている。
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そして、やや離れた左側には、「ポセイドン神のイルカ」と、その上に「アルテミドロスの肖像画」が数々の碑文とともに刻まれている。
「アルテミドロス聖域」の先の階段を上り詰めると、平坦地が現れ、ティラの都市(遺跡群)が丘の上にかけて広がっている。ここまでの険しい上りに加え、日差しの強さと睡眠不足で疲れが出たため、日陰のベンチに横たわった。。。
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この場所はティラの都市のアゴラの北端で、標高約340メートルに位置している。アゴラ手前から斜面側を覗き込むと石垣があり、人工的に形成されていることが分かる。
ティラの都市は、もともとは、紀元前9世紀頃にスパルタから来たドリス人が築いた植民都市を起源とし、ローマ時代を経て、ビザンティン帝国時代まで栄えたが、726年の火山噴火で火山灰に覆われ、廃墟になったと伝えられている。時折吹く心地よい風で少し体力が回復したため、アゴラを南に向け歩いてみる。アゴラは、南北の長さ約110メートル、東西に17〜30メートルの広さがある。遺跡群はそのアゴラの西側の丘の上を南北に尾根状に続いている。アゴラ沿いに20メートルほど続く「公共の建物」の先隣りには「ディオニソスの館」の址がある。
アゴラの中央付近から丘側を望むと「ディオニソスの館」は、ひと際綺麗に石積みされている。そして左隣には丘の上に続く階段があり、その左側には「バジリカ・ストア」がある。
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バジリカ・ストアは南北46メートル×東西10メートルの長方形の敷地があり、中央に並ぶ10本のドーリア式列柱により支えられていた。北側部分は3本の柱で区切られ、ローマ皇帝に関連する彫像などが奉られていた。現在残る遺跡は1世紀に再建されたもので、ここが集会場など公共の中心部だった。
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バジリカ・ストアの南隣りには2世紀に地元の富豪により建てられたローマン・バスの址や、
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アゴラの南側から下の斜面には、女神テュケーの像が発見されたことから名付けられた「テュケーの家」の遺跡がある。
そして、その南隣の斜面には、2世紀に建設された「劇場址」が広がっている。最下部の長方形の石積みはプルピタム(舞台)で、その手前に半円形のオーケストラ・ピットがある。緑で覆われているが、斜面の中央部が両端より下がっていることから形状は分かる。向かって左側に階段があり約1,500人が収容できた。公演には近隣の島からの観客も訪れたという。
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アゴラから西側の階段を上ると、すぐに下りになり、南端の小さなテラスに到着する。テラスからは急斜面の断崖が続き、南西側に「ペリッサ・ビーチ」やティラ島最南端の集落「エンボリオ」の町並みが見下ろせる。そのエンボリオの西側が小さな「ブリハダ・ビーチ」で今夜はそのブリハダ地区に泊まることにしている。
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テラスから振り返ると一段高い場所に「アポロ・ピティオスの聖域」が広がり、その聖域を通路が鋭角に回り込む様に続いている。回り込んだ斜面にはひな壇状に「エジプト神の岩の聖域」がある。
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先の階段を上り大きく右に回り込むと「アポロ・ピティオスの聖域」を丘の上から見渡せる。この聖域は古くはヘルメスとヘラクレスに捧げられた小さな洞窟だったが、その後、紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけて、アポロ・ピティオスとエジプト神の祠が次々造られ大規模な聖域となった。収穫を司る神アポロン・カルネウス(ペロポネソス半島スパルタに伝わる古い神格)のカルネイア祭なども行われた。ちなみに、エジプト神が信仰されたのは、東地中海地域の覇権を目指していたプトレマイオス朝(前305~前30)がエジプト人兵士を駐屯させたことによる。
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丘の上に延びる通路を北側に歩いていく。通路は緩やかな上りで、大小様々な区画が密集するティラの都市中心部を通っている。
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聖域から通路は100メートルほどで行き止まりになり、「ディオニソスの館」と「バジリカ・ストア」の間から延びる通路と丁字路になる。左折した先はすぐ行き止まりになり、右側には地下宮殿を思わせる遺跡がある。北西側にはイリアス山の山頂に建つ「イリアス修道院」が見える。丁字路から東側を回り込み数メートルの遺跡を越えた広い丘の上から振り返って南側に広がるティラ遺跡の中心部を見渡してみる。南北150メートル、東西100メートル規模に広がっている。
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標高360メートルの頂きにこれほど広範囲に都市が広がっていたことに大変驚かされた。この場所から更に北側にはプトレマイオス朝時代の駐在基地があり、最盛期には直径800メートルにも及ぶ都市だったと伝えられている。
さて、メサボウノ山を下山してカマリを過ぎピルゴス(Pyrgos)方面の標識に従い左折して島の西側に向かう。島中央部のメサ・ゴニア(Mesa Goni)には近年改築されたのか巨大で真新しい教会が建っている。聖ハラランボス教会で、聖ハラランボスは2世紀頃にテッサリア地方のマグネシアの初期キリスト教の司祭で113歳まで生きたとされ、生涯で数々の奇跡を起こしたことで知られている。
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ピルゴスを過ぎ、西海岸沿いの街道に左折して「アクロティリ遺跡」に向かう。遺跡は、島の西南部にあるアクロティリ海岸手前に広がっており、カマリからは車で30分ほどの距離になる。
チケットショップには20人ほど並んでいたが、対応は早かった。チケットを購入(12ユーロ)し、綺麗に整備された敷地内を東方面に進む。遺跡群は、左の丘に位置し、正面の階段を上った先の左側に入館口がある。
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アクロティリ遺跡は、紀元前5千年紀から紀元前3千年紀にかけ拡大し、その後ミノア文明の影響も受け繁栄した大規模な港湾都市だったが、紀元前16世紀頃に発生した大噴火により3~5メートルもの火山灰で埋没してしまう。1967年の発掘調査により紀元前17世紀頃の保存状態のよいフレスコ壁画をはじめ、土器・青銅器などが発見され、高度な文明を築いていたことが明らかになった。なお、近年の衛星画像の調査によると発掘された遺跡群は全体の3パーセントにすぎないと報告されている。
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遺跡は、南北に約200メートル、東西の底辺にあたる南側が100メートルほどの三角形の敷地で、全体が近代的な大屋根で覆われている(遺跡の案内図はこちら)。館内には、遺跡を取り囲む様に設置された「渡り廊下」を周回しながら見学する。ティラ遺跡では、強い日差しの下、上り下りの見学だったので、空調も効いた快適な環境は大変有難かった。
ところで、この大屋根は2005年の完成時に一部崩壊して1名亡くなったことから、2012年4月まで閉鎖されていたとのこと。
昼12時を過ぎているが、入口付近は団体客等で混雑していたため、渡り廊下を進んだ東側から見学することにした。遺跡は一面灰色の世界で、人類滅亡後の世界を思わせる風景である。恐怖を感じたが、しばらくすると少し目が慣れてきた。
こちらは、東南角付近からの様子で、右側の大きな遺跡が、手前から遺跡入館口方向へと続いている。「クリア4」と名付けられ、17部屋に加え階段の址や一部2階の壁面も残る遺跡最大の建築物で、もともとは3階以上の高層建築だったとのこと。そして、建物の南側には「コレット通り」が延び、向い側には、水平な床(2階)が残る「ベータ棟」が建ち、その手前の囲みには階段の址がある。
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「渡り廊下」を北方面に進んだ遺跡の中央付近にある「コンプレックス・デルタ」は、扉口や窓枠がある外壁や内壁など間取りがはっきり残っている。こちらから、クレタ島で有名な牡牛の角を模した 「奉納の角」が発見されている。紀元前17世紀は、クレタ島で独自の進化を遂げていたミノア文明の最盛期であり、ティラ島がミノア文化の影響を受けていたことがわかる。
右側の窓がある部屋の奥の部屋からは、春の花とツバメの壁画が発見され、アテネ国立考古学博物館に展示されている。手前の堆積層との間にある通りは、すぐ左先の建物「クリア2」前で屈折して海岸側に続いていたようだ。
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更に、渡り廊下を進み一番離れた最北端の「セクター・アルファ」まで来ると、大容量の貯蔵用の甕(ピトス)が大量に発見された「ピトスの倉庫」がある。ピトスには大量の穀物、種、ワイン、油などを貯蔵することが多かったため、交易の中心地などから多く発見されている。
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アクロティリ遺跡の壁画は、1967年から1974年にかけて発掘されたが、最初の壁画(アフリカ人、青い鳥、猿の頭部など)はこの「セクター・アルファ」から見つかった。こちらの壁画はティラ島中心部の「フィラ新先史期博物館」(Prehistoric Museum)に展示されている。
北側から渡り廊下は、西南方面へと大きく方向を変える。ピトスの倉庫の南西側に隣接する建物が「女性たちの館」で、手前(北側)にある小さな窓の部屋から女性と、カミガヤツリ草(パピルス)、そして手を差し出す女性の壁画が発見された。こちらも「フィラ新先史期博物館」に展示されている。
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「女性たちの館」に続いて南西側には「西の館」がある。壁の上部や内部の壁面は大きく溶解しているが高層建築物の姿のまま残っている。館は、海軍長クラスの邸宅だったと考えられており、食料貯蔵庫、書斎、キッチン、作業場などの部屋があった。一番奥が、入口から続く階段があった場所で屋根裏に続く3階まであった。
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少し角度を変えて西南側の室内を覗き見ると、大屋根の支柱の基礎部分に内壁が残り2室だったことが分かる。そして外壁は、上の階と比べ下の階が内側に張り出して厚く造られている。下の階を重厚にして建物の安定性を図ることに加え、天井板などを支える垂直材の役目も果たしていたのだろう。上の薄く色彩が残っている角には洗面所があったとのこと。
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この「西の館」からは両手に多くの魚をぶら下げた裸の青年漁夫の壁画(Wikimedia Commons)が発見された。壁画は「フィラ新先史期博物館」が所蔵しているが、残念ながら公開されていなかった。
廊下の一角に設置されているモニターで紹介されていた「西の館」の復元CGを見ると、3500年もの年月を感じさせない遺跡の保存状態に改めて関心させられた。
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「西の館」の横から遺跡内に繋がる階段を下りてみる。向かって左側がその「西の館」の外観で、右側には先ほど東側の渡り廊下から見えた「コンプレックス・デルタ」の西側壁になる。中央の広場は「トライアングル広場」で北側のケノタフュ広場と南のテリチーノ通り(※画像は北方向)へと繋がっている。
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そして、テリチーノ通りを更に下がった遺跡への入館口手前にある「セクター・アルファ」地区からは、「猿の壁画」(フィラ新先史期博物館)や「ボクシングをする少年たち」(アテネ国立考古学博物館)の壁画が発掘されている。
入館口から最も近い西南側の「クリア3」は、14室の部屋を持つ2階建ての建物で、手前の仕切りがある区画に階段址がある。部屋からは、バラの花(フィラ新先史期博物館)、花束を持つ女性、ワニやポトニア鹿など多くの壁画が見つかっているが、破損が激しく博物館でも非公開である。建物内に、半地下になっている部屋があり、礼拝者を描いた壁画があったことなどから宗教的な儀式が行われた唯一の建物と考えられている。
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アクロティリ遺跡から人骨や宝飾品などがほとんど発見されていないことから、事前の断続的な火山活動などで、3000人ほどの住民は退去したと考えられている。それにしても、イタリア・ナポリ近郊にある古代ローマ都市ポンペイ遺跡と比べると、やや知名度は劣るが、ポンペイより1500年以上も古い都市遺跡がリアルに残されていることへの驚きと、保存と観光との共存を目指した近代的な設備にも関心させられた。
1時間ほど見学した後、海岸からの景色を眺めて、今夜宿泊予定のヴィラに向かった。場所は、最南端のエンボリオから500メートルほど西海岸沿いのブリハダ地区にある「ヴィラ ミチャリス」(Villa Michalis)(トリプルルーム プールビュー)で、午後3時に到着した。
チェックインして1時間半ほど眠った後、ティラ島最北端の「イア」にサンセットを見に出かける。「ヴィラ ミチャリス」には、深夜まで営業しているレストラン(Taverna Meroula)が併設されており、帰宅して夕食を食べることにした。
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出発して15分ほどで崖の上に並ぶ「フィラ(ティラ)」の町並みが見えてきた。ところで、ティラ島は、ギリシャ本土から約200キロメートル東南にあり、かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形の一部で、その中央部と外輪山との大小5つの島々(サントリーニ諸島)から構成されている。そして、そのフィラは、カルデラ東側に三日月形に広がる「ティラ島」中央部のカルデラ側に面している。(地図はこちら)
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そのフィラを過ぎ「イア」に向かう。イアは、ティラ島の最北端でカルデラ側(南側)の崖沿いにある集落で「ヴィラ ミチャリス」からイアまでは20キロメートル強、45分ほどの行程になる。
駐車場は、イアの集落から200メートル北側を通る街道沿いにあるが、日暮れが近づいており大変混みあっている。しばらく待ち、駐車した後、南側の丘を越えて、時計塔の建つ市庁舎の横から東西に延びる目抜き通り(歩行者専用)を歩いていく。狭い通りには、ショップや土産物店、レストランなどが並んでいる。
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目抜き通りから、人の流れについて路地を進むと断崖沿いに到着する。左側を見渡すとカルデラ側の青い海に向かって、崖上には数キロ先までイアの町並みが見下ろす様に建ち並び、その先からは、荒々しい岩山だけとなり大きく曲がりフィラ方面に続いている。中々、お目にかかれない絶景スポットである。
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崖沿いにある通路から、海側に隆起した岩山があり、階段が続いている。階段の先はイア要塞(展望台)で、イアでは、この場所からの眺めが一番良いとされるが、既に人で溢れている。
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狭い坂道の崖側に設けられた防護壁にも見物客がびっしり張り付いて、空いたらすぐに他の人が入るといった状態で、来訪者が増える一方であった。眺めは美しいが、人が多すぎて情緒がない。。しばらく、防護壁にしがみついて日没を待っていたが、徐々に通行すら困難な状態になってきたことから、帰りの一斉帰宅の混雑ぶりを想像すると怖くなり退散することにした。
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駐車場に戻ってくると、崖の手前に見晴らしの良い空き地があり、何人か見物客がいたので、そこで眺めることにした。
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遥か彼方の水平線に沈んでいくオレンジ色に染まった夕日は素晴らしく、イアの穴場スポットを発見したようで良かった。その後、急ぎイアを後にした。フィラを過ぎると、街の灯りもなくなり、道がわからないほどの暗闇が続いたが、ブリハダ地区の薄灯りが見えるとホッとした。
「ヴィラ ミチャリス」には、午後9時40分に到着した。遅い時間だったので少し不安になったが、レストランに顔を出すと大変歓迎された。他に客はいないので、何処でも良いよと言われ、プールサイドの一つ内側のテーブル席にした。ちなみに部屋はプールサイド右側であり、帰りの心配もないのは有難い。
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最初にサラダを頂き、お勧めの魚介の盛り合わせを注文した。ポテトの下に魚やイカ、タコ、エビなどのグリルがボリュームいっぱいに隠れており、白ワインとの相性もぴったりで大変満足できた。最後はサービスデザート。
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翌朝、プールサイドで朝食を頂いた後、昨日通過したフィラにある「新先史期博物館」(Prehistoric Museum)に見学に向かう。ダイダロス・ホテル南側の「駐車場1」(地図はこちら)から南北に延びる「ディシガラ通り」を北側に歩いていく。通り沿いには徐々にレストランやショップが現れ始めた。
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300メートルほど歩いた、バスステーションの向かい側(西側)に「新先史期博物館」があり、入口は、建物に向かって右側にある長い階段を上り左側に回り込んだところになる。博物館は、1956年のアモルゴス地震で倒壊した古い教会の跡地に建てられたもので、新石器時代後期からキクラデス期(後期)までの島の歴史を網羅し、主に、アクロティリ遺跡から発掘された陶器、彫刻、宝飾品、壁画、儀式用具などのコレクションが展示されている。
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キクラデスとは、紀元前3000年頃から紀元前2000年頃にかけ、エーゲ海のキクラデス諸島(ティラ島は、キクラデス諸島南部に位置する)に栄えたギリシャ最古の文明の一つで、トロイア、ミケーネ、ミノア(クレタ)の三文明より古いが、その後、ミノア(クレタ)文明の影響を受け同化していった。展示品の中にはアクロティリ遺跡から発掘されたクノッソスや東クレタからの陶器なども展示されている。
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こちらは、そのキクラデス文明を代表する抽象人形「スペドス型女性像」(Spedos variety)で、アクロティリ遺跡から発掘された「前期キクラデスII期」(前2700~前2300)時代の作品。スペドス型は、U字型の頭に長い首、肩幅が広く折り畳んだ細長い腕、脚の間を裂け目状に切り込んだ姿などが特徴である。
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こちらの抽象人形は「前期キクラデスI期~II期」(前2800~前2700)時代の「プラスティラス型」(Plastiras type)で、耳や表情が刻まれた卵形の頭部に、脚が別々に彫られている。男性像で、ダーク大理石から造られている。
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そして「前期キクラデスIII期」(前2200~前2000)時代の素焼き陶器(テラコッタ)。取っ手がついたポットとカップには、うっすらと抽象的な線が刻まれている。安定感のある形をしており、並ぶ姿はカルガモ親子の様である。後ろの子牛像も手足が短く安定感のある愛らしい作品である。
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「後期キクラデスI期」(紀元前17世紀)時代の「炉のまき載せ台(Fire dogs)」。手前の動物形象に目が行きがちだが、串を載せる上部の凹みや、中央の網などを載せるための複数の穴に加え、運搬用の取っ手など実用面を考慮した作りには驚かされる。
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以降は、全て紀元前17世紀の作品になる。
「木製テーブル」を復元した作品で、火山灰や溶岩片などの物質により覆われ、空洞になったテーブルの型に石膏を流し込み模られた。細かい装飾まではっきり復元できているのも凄いが、ロココ様式を思わせるカブリオール・レッグに似ており、とても3700年前と思えないデザインセンスである。
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儀式で使用された器、水差しや杯が並んでいる。いずれも幾何学文様の縁取りや草花が大胆に描かれている。
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中央の台上には、鳥のくちばしの形をしたピッチャーが展示されている。他にも同作品があるが、空に向かって鳴く鶴を思わせる様な頂部の注ぎ口や胴部の丸みを帯びた美しい形など印象深い作品である。向かって左下には「巻貝の形をしたリュトン(角杯の器)」があり、その隣には、可愛い姿の牡牛のリュトンが2頭並んでいる。
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そして、手前にある船皿には群れをなして飛んでいくツバメが描かれ、他にも躍動感溢れる山羊(アイベックス)が描かれた同作品(船皿)が展示されている。
こちらも、ツバメの姿が描かれたセラミック・ピッチャー。水墨画を思わせる様な流れるタッチで、花をゆらしながら颯爽と飛ぶ姿が表現されるなど芸術的完成度の高い作品である。
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巨大な円筒形ピトス(貯蔵用の甕)で、ダイビングする大きなイルカと、底から口縁まで伸びる百合の花など大胆で迫力ある構図で描かれている。
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展示室のラストを飾るのは、アクロティリ遺跡から発掘された唯一の宝飾品「黄金のアイベックス像」。避難の際の忘れ物とも言われている。
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2時間ほど見学した後、フィラの中心部から1キロメートルほど北側にある「サントリーニパレス」(フィロステファニ地区)駐車場からの眺めが、お勧めと聞いてやってきた。到着後、崖下を見下ろすと目の前に鮮やかな色のブルー・ドームと、教会の鐘の向こうに紺碧の海が広がり、その先にカルデラ中央部に位置する「ネア・カメニ島(Nea Kameni)」が見える。そして、右側の突出した小半島手前の崖上にも白いイメロヴィグリの町並みが続いている。こちらからの眺めはガイドブックやサイトなどでよく紹介されている。
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これから、フィラ中心地にある「フィラ考古学博物館」に歩いて向かう。サントリーニパレスは、駐車場のある西側が正面入口(2階建て)で、東側のなだらかな下り斜面に広がる様に建物が続いている。最初に、ホテルの南壁面に沿って続く階段を下りてホテルのプール横から駐車場を抜け、
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次に路地裏の狭い「エリトルウ・スタヴルウ通り」を進むと、前方に青いドームや教会の尖塔などが見えてきた。
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すぐに、ショップなども現れ繁華街の雰囲気になったが、目的の「フィラ考古学博物館」の場所が分からず何人かに聞きながら進み、正門入口に到着すると、ケーブルカー乗り場のそばであった。ケーブルカーは、200メートル崖下のオールドポートまで運行しているが、辺りは乗車を待つ人々で大混雑していた。一方、博物館は規模も小さくこの時間は2人の見学者しかいなかった。
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ティラ遺跡の墓地から発掘された副葬品で紀元前6世紀の黒絵式アンフォラ。口縁の外側には、戦いの様子が描かれ、内側には、4隻のガレー船が描かれている。
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こちらは、紀元前7世紀の中期幾何学様式のアンフォラ。中央に鳥が描かれている。ティラ遺跡の入口付近(セラーダ地区)にあった墓からの発掘品(1961年~1982年)である。
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展示品も少なかったことからすぐに博物館を出て、エリトルウ・スタヴルウ通り沿いに建つ「洗礼者ヨハネ大聖堂」の鐘楼や、隣の「メガロン・ギジ博物館」(休館)を過ぎて、再びサントリーニパレスに戻った。
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次に、サントリーニパレスのある「フィロステファニ」から、更に1キロメートルほど北にある「イメロヴィグリ」に移動する。「ディシガラ通り」から続く「25 マルティウ通り」が大きく右に曲がる手前を崖側に50メートルほど進むと、一気に視界が開け絶景が広がる。イメロヴィグリは標高が高いことから、南側のフィラの町並みや遠くのイリアス山も見下ろす様に一望できる。
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北側の斜面に立ち並ぶ白い建物にドームの青のアクセントが一層美しさを引き立てている。眺めも良く観光客もフィラと比べると少ないことから崖下にかけてゆっくり滞在できるホテルやヴィラがある。
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この崖下に通じる途中にあるレストランでのランチを目的に来たが、見つけることが出来ず、崖上の通り沿いの「エーゲ(Aegean Restaurant)」で食べることにした。店内は先ほどまで混雑していたが、午後3時近くになり一気に空いため入店することにした。
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レストラン前の通りからの眺望が良いことから、先ほどまで観光客が頻繁に訪れていたが、急に人通りがなくなった。テーブル席から眺める北側の斜面に続くイメロヴィグリの町並みや、南側のイリアス山から西南部に伸びるアクロティリ遺跡があるバロス(Balos)半島など、眩しいくらい真っ白な建物とエーゲ海のコバルトブルーとのコントラストが美しく、どのショットもフォトフレームに納めたいほどの景色である。
そして正面の海には、カルデラ中央部の「ネア・カメニ島」と隣接する小さな「パレア・カメニ島」を中心に、外輪山部分の小さい円形の「アスプロニシ島」(西南側)、右側の「ティラシア島」(西側)、左側の「ティラ島」のバロス半島(南側)が大きく取り囲むカルデラ全域の様子が見渡せる(再び、サントリーニ諸島の中央部と外輪山との大小5つの島々の配置図はこちら)。
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料理は、プリプリのエビと大ぶりのムール貝が乗るトマトとチーズがたっぷりのリゾット(18ユーロ)と、
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新鮮な葉物野菜が乗るリングイネ(12ユーロ)を注文した。美しい眺めと貸し切りにしているようなテラスでのひと時は最高だった。
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食事後、急ぎ空港に戻り、荷物をまとめてタクシー(都内タクシーの深夜料金ほどの高い運賃だった。。)で島の西側(フィラの南)にある「アティニオス港」に向かった。標高260メートルほどの崖上からヘアピンカーブを急降下していくと、観光バスなど大型車が、何度か切り返さないとカーブを通過できず、渋滞が発生していた。港到着後は、カフェでトイレ休憩と食後のコーヒーを頂き、これでティラ島(サントリーニ島)とはお別れになった。
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(2019.5.25~26)