ヘリタンス ティー ファクトリーホテル(Heritance Tea Factory)で朝を迎える。ホテルは、スリランカ中部州の紅茶で有名なヌワラ エリヤから北東に車で40分ほどの標高1980メートルの高所に立つ高級ホテル(5つ星)である。紅茶工場を改築して建てられたため、外観は簡素だが、内装は、中央部が吹き抜けで、高級感がある木材に、緑のカーペット、赤く塗られた柱や梁が張り巡らされお洒落な雰囲気がある。
ホテル前の広場の先は、手すりで覆われた展望台で、向かい側(北側)の斜面には茶畑が広がっている。
ホテルに向かって左側に進むと、ティー ファクトリーと書かれた看板があり、下の斜面沿いに小さな農園がある。
午前8時、ガイドの車に乗りホテルを後にした。これからスリランカ中部州の州都キャンディに向かう。昨日上ってきた山道を下りながら振り返るとホテルが遠ざかって行く。ピドゥルタラーガラ山の南側からA5号線を北西方面に進み、昨日見学したマックウッズ紅茶工場を過ぎ、更に山道を進んでいく。ホテルからキャンディまでは、約100キロメートルの道のりだが、大半が山道の走行となり時間がかかる見込みとのこと。
ガイドと相談して、最初にキャンディから南西10キロメートルに位置するキャンディ近郊の古寺「エンベッカ寺院(木の寺)」を見学することにした。時刻は午前10時を過ぎ、まもなく到着するころ、突然、道路工事の現場に遭遇し10分ほど待たされた。通行許可が出た後、悪路を500メートルほど進むと、周りに立ち並ぶ民家が見えてきた。
車を降りて、入口で入場料を支払い敷地内を進むと、切妻屋根の木製の建物が見える。近づいてきた細面で白ひげを生やしたエンベッカ寺院のガイドに従い、靴を脱いで廊下に入る。廊下は、一定間隔に設けられた左右の木造柱に支えられた大きな屋根で覆われている。周りには壁がないため開放的な空間となっている。一番突き当りのアーチ扉が本堂になる。
屋根の内側には天井はなく棟木と垂木がむき出しになっており、梁の上の束柱と「マドル クルパワ」と呼ばれるキャッチピンで固定されている。キャンディ地方で見られる伝統の木材工法とされている。
雲状にデザインされた大きな力垂木によって深い軒がささえられている。柱と梁が交差する所には、蓮の花弁の彫り物が組み込まれている。横から見ると下に垂れ下がって見える。
エンベッカ寺院は、ガンポラ王朝の14世紀の王、ヴィクラマバーフ3世(在位1356~1375)により、カタラガマ神であるスカンダ神を奉るために建てられた木造寺院である。建設当時は集会場としても利用されていた。廊下突き当たりの本堂の扉口の内側には「カタラガマ神」の布製絵像がかかげられているが、奥に祀られた本尊は見ることはできない。
カタラガマ神とは、スリランカ南部にある地名に由来するが、もともとヒンドゥ教神話に登場するムルガンという戦士の神を表わしている。ムルガンは、ヒンドゥ教徒には大変人気があり、破壊神シヴァの息子とされ、軍神スカンダと同一視されるようになった。6つの顔と12本の腕を備え、孔雀に乗り槍を持つ青年の姿であらわされる。仏教では韋駄天(異名クマーラからは鳩摩羅天)となった。
本堂に向かって右側の大きな扉の奥には、仏陀像が祀られている。
しかし、何と言っても見どころは、渡り廊下の木製柱の中ほどに施された浮彫パネル(ボワズリー)である。人の目の高さにあり、動物、女神、人魚、スポーツする人物、風習など、異なる514ものモチーフが柱の4面に彫りこまれている。こちらは、剣と盾を持つ勇士のモチーフである。
こちらは、羊と象だろうか。象は手なずけられているように見える。
こちらは踊るアプサラ女神像。キャンディアン ダンスかもしれない。
象と雄牛が組み合わさった動物のモチーフ。
西洋では古来より紋章などで良く見られる双頭の鷲だが東洋では珍しい。比翼の鳥だろうか。
エンベッカ寺院で30分ほど見学して後、次に、北方面に車で15分ほど離れたピリマタラワにある「ガダラデニヤ寺院(石の寺)」(キャンディからは西に約13キロメートル)にやってきた。門を入ると、緩やかに起伏する岩盤が現れ、その岩盤がそのまま寺院の境内地になっている。門の脇には、ストゥーパがあり、その上を屋根で覆っている。岩盤の上を歩いて行くと、奥に石造りの本堂と隣に赤い瓦屋根の礼堂がある。1344年、最初のガンポラ王ブヴァネーカバーフ4世(在位1341~1351)によって建立された。
また、この寺院は、パラークラマ バーフ4世(在位1421~1467年)の時に、修復工事がなされ、寺の表面に漆喰が塗られた。上部には、修復中でよく見えないが、ストゥーパかドームを思わせる構造物がある。
本堂に向かって左の柱には仏教のシンボルである法輪が彫られているが、右の柱にはヒンドゥー教の破壊神、踊るシヴァ神(ナタラージャ)が彫られている。ガダラデニヤ寺院は、仏教とヒンドゥ教が融合している。
基壇の側面にも細かい彫刻が施されている。楽しそうに踊るキャンディアン ダンスを表わしている。
本堂内に入ると黄金に輝く南インド風の仏陀像が祀られている。高さ2.43メートルあるディヤーナ ムドラ(瞑想の印)の坐像である。創建時の像はポルトガル人によって破壊されため、現在の像は18世紀に造られた二代目である。
仏陀像の後背には、インド神話に登場する怪魚マカラのアーチがある。両肩上部の口が、怪魚マカラで、水の神ヴァルナ(水天)の乗り物として知られている。日本の鯱のルーツとされている。
アーチの頂上には獅子の彫刻がある。水場にある彫刻蛇口のようである。
仏陀像の左右には、立像が施されている。そして、更に両側面壁にも、立像があるが、こちらは最近修復されている。
本堂を出て、右側手前に建つ仏塔(ストゥーパ)に向かう。高台の上の高さ約3.4メートルの仏塔を中心に周囲に4基の小仏塔を配置している。仏塔に屋根が設けられているのは珍しく、これはヒンドゥ教の影響らしい。
中を覗くと、赤い衣を身に着けた黄金の仏陀坐像が祀られている。やはり背後には、獅子と怪魚マカラがデザインされたアーチが見える。アーチの上には、4体の護神像が見える。
壁面はフレスコ画である。こちらには、仏弟子が描かれてる。
午前11時半を過ぎ、もう一か所予定していた「ランカティラカ寺院(絵の寺)」には時間の都合で行けなくなった。もともと当初の行程には入っていなかったので、2か寺行けただけでも良かったかもしれない。途中のレストランでカレーを食べて、次は西に30キロメートルほどの距離にある「ピンナワラの象の孤児園」に向かう。
午後1時半に到着すると、大勢の人が象の前に集まっており、哺乳タイムの最中だった。午後2時からは、マハオヤ川での水浴びが予定されており何とか間に合った。このピンナワラの象の孤児園は、サバラガムワ州ケーガッラにあり、親を亡くしたり、はぐれてしまった子ゾウを保護している施設である。入園料は、外国人用価格があることから、現地の20倍の2,000ルピーと高額に設定されている。
マハオヤ川までの途中にはお土産屋及び、レストハウスが並んでいる。お土産屋には、象の糞に残った葉っぱの繊維を利用したエコノートなどの紙製品が販売されていた。午後2時になると、象が水浴びのために行進してくるため、お店の入口横で見学のために陣取ったが、見物人の多さに驚かされた。しばらくすると、ラッパの合図と共に次から次へと象が行進してきた。
一般的に見る、動物園でののんびりとした象とは異なり、目の前を象の群れが通りすぎるのは、大変迫力があった。本来、象は時速40キロのスピードで移動するとのこと。この孤児園には、現在70頭ほどの象が、マハウトと呼ばれる世話人50人程により世話されている。象の1日は哺乳タイムが3回と、川での水浴びが午前10時からと午後2時からの2回行われる。
マハオヤ川での水浴びは、気持ちよさそうだ。これだけの象を養うことを考えれば、外国人料金設定もやむを得ないかもしれない。。
午後4時を過ぎ、キャンディ湖が見える高台のビューポイントに到着した。キャンディ市街は標高465メートルのスリランカ中央高地に位置している。対岸に見えるのが、旧王朝の行政府があった場所で、現在は、キャンディ王宮、キャンディ国立博物館、国際仏教博物館(旧裁判所)、ダラダー マーリガーワ寺院(仏歯寺)(新宮殿)などの観光名所が集結している。
これから、ダラダー マーリガーワ寺院の見学に向かうことにしている。寺院は仏歯寺と呼ばれ、紀元4世紀にインド東部のカリンガ国からもたらされた仏陀の犬歯が納められている。もともとは王権正統性の証としてアヌラーダプラの寺院に納められたが、都がポロンナルワへ移動すると共に仏歯も一緒に移動し、キャンディに王朝が築かれた1592年以降は仏歯寺(1603年建築)に祀られた。
クイーンホテルの横で車を降り、道路向い(東側)の石造りに瓦屋根のある正面門から入場する。セキュリティ チェックを終えると、広い公園内になり、幅5メートルほどの石畳の道がまっすぐ東側に続いている。その石畳の両側(南北)には芝生が敷き詰められ、南側にはキャンディ湖が望める。石畳の道を200メートルほど歩いた先は丁字路の広場で、北隣には、ストゥーパ(仏塔)が見える。
広場の前(東側)には白いオブジェ風の石垣が設けられ、その先に「パスティリプワ」(タミル語で”座って周りを見る”の意味)と名付けられた、赤い屋根の八角形のパビリオンが建っている。南側に回り込むと、石垣との間には水濠があり、キャンディ湖から水が引き込まれている。
パスティリプワと濠は、1802年シンハラ王スリ ヴィクラマ ラジャシンハ(1780~1832、在位:1798~1815)により建てられた。彼はキャンディ王朝(1469~1815)最後の王で、その後、1972年までスリランカ全島は、イギリスの植民地となっている。
パスティリプワの北隣に、水路を階段で渡る仏歯寺の正面玄関(マハワハルカダ)がある。寺院の正面を飾るマハワハルカダとパスティリプワは、1998年6月25日、タミル人のテロ組織「タミル イーラム解放のトラ」(LTTE)の爆発物を積んだトラックにより爆発し大きく損傷している。この事件は、当時、仏歯寺がイギリスからの独立50周年祝賀会の中心会場でもあり、世界に大きな衝撃を与えた。
その後、この事件に対する報復として、シンハラ人は、タミル人が経営する店舗やヒンドゥー教寺院などを襲撃し対立抗争は泥沼化していく。スリランカは、シンハラ人(74%、主に仏教徒)やタミル人(18%、主にヒンドゥー教)、スリランカ ムーア人など約2,000万人が住む多民族国家で、1983年から2009年にかけて政府とLTTEによる内戦が繰り広げられた。
現在では修復されたマハワハルカダを入るとトンネルになっており、入口の上部には、仏陀像の後背のアーチと同じ怪魚マカラと獅子があしらわれている。トンネル内部には壁画が描かれている。
トンネルを抜けると広いスペースがあり、中央に木造2階建のお堂(本堂)がある。
柱には、細かい装飾がされている。本尊前には、仏歯の入った舎利容器と礼拝する飛天たちが織り込まれた覆いがかけられている。
まわりを見渡すと、後ろに石壇があり両端には守護神像(ガードストーン)が配されている。
石壇を登ると、回廊があり、奥に礼拝堂がある。比較的新しい印象で、黄金の仏陀像(本尊)が見える。
黄金の仏陀像の周りにも多くの仏陀像が祀られている。世界各国から寄贈された仏像であり、象牙などで厳かに装飾されたものもある。
回廊の両側には仏陀の誕生から入滅までと、その後の仏陀の歯の歴史が、21枚の絵と共にシンハラ語と英語で説明されている。こちらは、仏陀がインドのクシナーガルで荼毘に付された後、仏歯がインド東部のカリンガ国のブラフマダッタ(Brahmadatta)王に手渡されているところ。
こちらは19世紀半頃のペラヘラ祭の様子で、左側に着座する集団の中心で足を組んでいる人物はイギリス植民地時代の第5代セイロン総督、エドワード バーンズである。向かい側には、装飾された象を中心に音楽隊やダンサーなどの群が見える。右上に八角形に赤い屋根のお堂があり象の後方には歯を納めた舎利容器が光を放っている。
ペラヘラ祭(行列の意味)は、スリランカの各地で行なわれているが、ここキャンディのエサラの月の新月から満月にかけて2週間行なわれるペラヘラ祭りが中でも最大の規模である。この期間は、国内外からの観光客でキャンディのホテルは大変混み合う。歯を納めた舎利容器を背に乗せた、装飾された象を先頭に、100頭もの象が音楽隊や数百人のダンサーと一緒に夜の街を歩いてパレードする。圧巻の祭りで、ペラヘラ祭の際に仏歯の入った仏舎利を入れて運ぶケースが展示されている。
2階に向かう途中に、仏歯がスリランカへ持ち込まれた様子が描かれている。インド東部のカリンガ国王は娘ヘーママーラを島に嫁がせる際に仏歯を持参させた。ヘーママーラは髪の毛の中に仏歯を入れて持ち込んだと言われているため、髪の頭部が光って表現されている。向かって右がヘーママーラ、左はダンタ王子。
2階に上がると、お堂があり、内陣の手前は献花台になっており、多くの花が供えられている。
毎日朝、昼、夕の3回「ブージャー(礼拝)」が行われ、この間、仏歯がおさめられた舎利容器が公開される。時間が近づくと、みるみるうちに、多くの参拝者が集まって来た。拝観の列がつくられ、行列はまたたく間に伸びていく。時間になると、列は進みだすが、停まって拝観は出来ない。小さな窓から、一瞬、黄金の舎利容器が見える。ちなみに歯そのものは10年に一度だけ公開されるそうである。大混雑の中、あっと言う間であった。。
寺院の北側には2列の柱に支えられた重厚な屋根を持つ「王の集会所」がある。1783年に、スリ ラジャディ ラジャシンハ(在位1782~1798)により建てられた。木製の屋根を支える木製の柱に、キャンディ伝統の木彫りが施されている。エンベッカ寺院に似ているが、はるかに大きく柱の高さが7メートルある。敷地は建設時は、17.7メートル×10.9メートルだったが、1872年に、プリンス オブ ウェールズ(後のイギリス王エドワード7世)訪問の際に改装され、横幅が9.6メートル延長された。
西側の濠のそばにラージャ タスカー博物館ある。北隣に王宮があり、もともとは、王の休憩所だった。こちらに、ペラヘラ祭で最も重要な役目は歯を納めた舎利容器を背中に乗せて行進する象が展示されている。この剥製は、ラージャという象で65歳で亡くなるまで1987年まで50年もの間勤めていた。ラージャは1985年には当時にジャヤワルダナ大統領からスリランカ国宝の指定を受けている。
ラージャと大統領との写真が展示されている。
時刻は午後5時半になった。仏歯寺裏のカルチュラル ホール(キャンディ芸術協会)にキャンディアン ダンスの鑑賞にやってきた。激しいドラム演奏と共にショーはスタートし、踊りが展開される。
キャンディアンダンスは、数分程度の10ほどの趣向の異なる踊りが組まれている。
最後は会場に炎を持ち込んで、ファイヤーダンスが行われた。こちらは口から火を吐くギニ シシーラ。観客席にまで炎の熱気が届く。そして燃える焚火の上を裸足で歩く(火渡りの儀式)迫力のある演出で締めくくる。
仏歯寺の裏のキャンディ国立博物館を見学した。かつての王妃の宮殿の建物で、主にキャンディ王国時代の宝物やキャンディアン ダンスで使用される装飾品などが展示されている。こちらは仏舎利塔である。
スリランカの北西部州クルネーガラで造られた。貝葉で造られた最古の経典とある。
これで今日の予定は終わりである。ホテルに到着後、早々に館内にあるレストランに食事に行く。午後9時と、遅い夕食になったが、充実した1日を終えた。
(2012.9.13)
ホテル前の広場の先は、手すりで覆われた展望台で、向かい側(北側)の斜面には茶畑が広がっている。
ホテルに向かって左側に進むと、ティー ファクトリーと書かれた看板があり、下の斜面沿いに小さな農園がある。
午前8時、ガイドの車に乗りホテルを後にした。これからスリランカ中部州の州都キャンディに向かう。昨日上ってきた山道を下りながら振り返るとホテルが遠ざかって行く。ピドゥルタラーガラ山の南側からA5号線を北西方面に進み、昨日見学したマックウッズ紅茶工場を過ぎ、更に山道を進んでいく。ホテルからキャンディまでは、約100キロメートルの道のりだが、大半が山道の走行となり時間がかかる見込みとのこと。
ガイドと相談して、最初にキャンディから南西10キロメートルに位置するキャンディ近郊の古寺「エンベッカ寺院(木の寺)」を見学することにした。時刻は午前10時を過ぎ、まもなく到着するころ、突然、道路工事の現場に遭遇し10分ほど待たされた。通行許可が出た後、悪路を500メートルほど進むと、周りに立ち並ぶ民家が見えてきた。
車を降りて、入口で入場料を支払い敷地内を進むと、切妻屋根の木製の建物が見える。近づいてきた細面で白ひげを生やしたエンベッカ寺院のガイドに従い、靴を脱いで廊下に入る。廊下は、一定間隔に設けられた左右の木造柱に支えられた大きな屋根で覆われている。周りには壁がないため開放的な空間となっている。一番突き当りのアーチ扉が本堂になる。
屋根の内側には天井はなく棟木と垂木がむき出しになっており、梁の上の束柱と「マドル クルパワ」と呼ばれるキャッチピンで固定されている。キャンディ地方で見られる伝統の木材工法とされている。
雲状にデザインされた大きな力垂木によって深い軒がささえられている。柱と梁が交差する所には、蓮の花弁の彫り物が組み込まれている。横から見ると下に垂れ下がって見える。
エンベッカ寺院は、ガンポラ王朝の14世紀の王、ヴィクラマバーフ3世(在位1356~1375)により、カタラガマ神であるスカンダ神を奉るために建てられた木造寺院である。建設当時は集会場としても利用されていた。廊下突き当たりの本堂の扉口の内側には「カタラガマ神」の布製絵像がかかげられているが、奥に祀られた本尊は見ることはできない。
カタラガマ神とは、スリランカ南部にある地名に由来するが、もともとヒンドゥ教神話に登場するムルガンという戦士の神を表わしている。ムルガンは、ヒンドゥ教徒には大変人気があり、破壊神シヴァの息子とされ、軍神スカンダと同一視されるようになった。6つの顔と12本の腕を備え、孔雀に乗り槍を持つ青年の姿であらわされる。仏教では韋駄天(異名クマーラからは鳩摩羅天)となった。
本堂に向かって右側の大きな扉の奥には、仏陀像が祀られている。
しかし、何と言っても見どころは、渡り廊下の木製柱の中ほどに施された浮彫パネル(ボワズリー)である。人の目の高さにあり、動物、女神、人魚、スポーツする人物、風習など、異なる514ものモチーフが柱の4面に彫りこまれている。こちらは、剣と盾を持つ勇士のモチーフである。
こちらは、羊と象だろうか。象は手なずけられているように見える。
こちらは踊るアプサラ女神像。キャンディアン ダンスかもしれない。
象と雄牛が組み合わさった動物のモチーフ。
西洋では古来より紋章などで良く見られる双頭の鷲だが東洋では珍しい。比翼の鳥だろうか。
エンベッカ寺院で30分ほど見学して後、次に、北方面に車で15分ほど離れたピリマタラワにある「ガダラデニヤ寺院(石の寺)」(キャンディからは西に約13キロメートル)にやってきた。門を入ると、緩やかに起伏する岩盤が現れ、その岩盤がそのまま寺院の境内地になっている。門の脇には、ストゥーパがあり、その上を屋根で覆っている。岩盤の上を歩いて行くと、奥に石造りの本堂と隣に赤い瓦屋根の礼堂がある。1344年、最初のガンポラ王ブヴァネーカバーフ4世(在位1341~1351)によって建立された。
また、この寺院は、パラークラマ バーフ4世(在位1421~1467年)の時に、修復工事がなされ、寺の表面に漆喰が塗られた。上部には、修復中でよく見えないが、ストゥーパかドームを思わせる構造物がある。
本堂に向かって左の柱には仏教のシンボルである法輪が彫られているが、右の柱にはヒンドゥー教の破壊神、踊るシヴァ神(ナタラージャ)が彫られている。ガダラデニヤ寺院は、仏教とヒンドゥ教が融合している。
基壇の側面にも細かい彫刻が施されている。楽しそうに踊るキャンディアン ダンスを表わしている。
本堂内に入ると黄金に輝く南インド風の仏陀像が祀られている。高さ2.43メートルあるディヤーナ ムドラ(瞑想の印)の坐像である。創建時の像はポルトガル人によって破壊されため、現在の像は18世紀に造られた二代目である。
仏陀像の後背には、インド神話に登場する怪魚マカラのアーチがある。両肩上部の口が、怪魚マカラで、水の神ヴァルナ(水天)の乗り物として知られている。日本の鯱のルーツとされている。
アーチの頂上には獅子の彫刻がある。水場にある彫刻蛇口のようである。
仏陀像の左右には、立像が施されている。そして、更に両側面壁にも、立像があるが、こちらは最近修復されている。
本堂を出て、右側手前に建つ仏塔(ストゥーパ)に向かう。高台の上の高さ約3.4メートルの仏塔を中心に周囲に4基の小仏塔を配置している。仏塔に屋根が設けられているのは珍しく、これはヒンドゥ教の影響らしい。
中を覗くと、赤い衣を身に着けた黄金の仏陀坐像が祀られている。やはり背後には、獅子と怪魚マカラがデザインされたアーチが見える。アーチの上には、4体の護神像が見える。
壁面はフレスコ画である。こちらには、仏弟子が描かれてる。
午前11時半を過ぎ、もう一か所予定していた「ランカティラカ寺院(絵の寺)」には時間の都合で行けなくなった。もともと当初の行程には入っていなかったので、2か寺行けただけでも良かったかもしれない。途中のレストランでカレーを食べて、次は西に30キロメートルほどの距離にある「ピンナワラの象の孤児園」に向かう。
午後1時半に到着すると、大勢の人が象の前に集まっており、哺乳タイムの最中だった。午後2時からは、マハオヤ川での水浴びが予定されており何とか間に合った。このピンナワラの象の孤児園は、サバラガムワ州ケーガッラにあり、親を亡くしたり、はぐれてしまった子ゾウを保護している施設である。入園料は、外国人用価格があることから、現地の20倍の2,000ルピーと高額に設定されている。
マハオヤ川までの途中にはお土産屋及び、レストハウスが並んでいる。お土産屋には、象の糞に残った葉っぱの繊維を利用したエコノートなどの紙製品が販売されていた。午後2時になると、象が水浴びのために行進してくるため、お店の入口横で見学のために陣取ったが、見物人の多さに驚かされた。しばらくすると、ラッパの合図と共に次から次へと象が行進してきた。
一般的に見る、動物園でののんびりとした象とは異なり、目の前を象の群れが通りすぎるのは、大変迫力があった。本来、象は時速40キロのスピードで移動するとのこと。この孤児園には、現在70頭ほどの象が、マハウトと呼ばれる世話人50人程により世話されている。象の1日は哺乳タイムが3回と、川での水浴びが午前10時からと午後2時からの2回行われる。
マハオヤ川での水浴びは、気持ちよさそうだ。これだけの象を養うことを考えれば、外国人料金設定もやむを得ないかもしれない。。
午後4時を過ぎ、キャンディ湖が見える高台のビューポイントに到着した。キャンディ市街は標高465メートルのスリランカ中央高地に位置している。対岸に見えるのが、旧王朝の行政府があった場所で、現在は、キャンディ王宮、キャンディ国立博物館、国際仏教博物館(旧裁判所)、ダラダー マーリガーワ寺院(仏歯寺)(新宮殿)などの観光名所が集結している。
これから、ダラダー マーリガーワ寺院の見学に向かうことにしている。寺院は仏歯寺と呼ばれ、紀元4世紀にインド東部のカリンガ国からもたらされた仏陀の犬歯が納められている。もともとは王権正統性の証としてアヌラーダプラの寺院に納められたが、都がポロンナルワへ移動すると共に仏歯も一緒に移動し、キャンディに王朝が築かれた1592年以降は仏歯寺(1603年建築)に祀られた。
クイーンホテルの横で車を降り、道路向い(東側)の石造りに瓦屋根のある正面門から入場する。セキュリティ チェックを終えると、広い公園内になり、幅5メートルほどの石畳の道がまっすぐ東側に続いている。その石畳の両側(南北)には芝生が敷き詰められ、南側にはキャンディ湖が望める。石畳の道を200メートルほど歩いた先は丁字路の広場で、北隣には、ストゥーパ(仏塔)が見える。
広場の前(東側)には白いオブジェ風の石垣が設けられ、その先に「パスティリプワ」(タミル語で”座って周りを見る”の意味)と名付けられた、赤い屋根の八角形のパビリオンが建っている。南側に回り込むと、石垣との間には水濠があり、キャンディ湖から水が引き込まれている。
パスティリプワと濠は、1802年シンハラ王スリ ヴィクラマ ラジャシンハ(1780~1832、在位:1798~1815)により建てられた。彼はキャンディ王朝(1469~1815)最後の王で、その後、1972年までスリランカ全島は、イギリスの植民地となっている。
パスティリプワの北隣に、水路を階段で渡る仏歯寺の正面玄関(マハワハルカダ)がある。寺院の正面を飾るマハワハルカダとパスティリプワは、1998年6月25日、タミル人のテロ組織「タミル イーラム解放のトラ」(LTTE)の爆発物を積んだトラックにより爆発し大きく損傷している。この事件は、当時、仏歯寺がイギリスからの独立50周年祝賀会の中心会場でもあり、世界に大きな衝撃を与えた。
その後、この事件に対する報復として、シンハラ人は、タミル人が経営する店舗やヒンドゥー教寺院などを襲撃し対立抗争は泥沼化していく。スリランカは、シンハラ人(74%、主に仏教徒)やタミル人(18%、主にヒンドゥー教)、スリランカ ムーア人など約2,000万人が住む多民族国家で、1983年から2009年にかけて政府とLTTEによる内戦が繰り広げられた。
現在では修復されたマハワハルカダを入るとトンネルになっており、入口の上部には、仏陀像の後背のアーチと同じ怪魚マカラと獅子があしらわれている。トンネル内部には壁画が描かれている。
トンネルを抜けると広いスペースがあり、中央に木造2階建のお堂(本堂)がある。
柱には、細かい装飾がされている。本尊前には、仏歯の入った舎利容器と礼拝する飛天たちが織り込まれた覆いがかけられている。
まわりを見渡すと、後ろに石壇があり両端には守護神像(ガードストーン)が配されている。
石壇を登ると、回廊があり、奥に礼拝堂がある。比較的新しい印象で、黄金の仏陀像(本尊)が見える。
黄金の仏陀像の周りにも多くの仏陀像が祀られている。世界各国から寄贈された仏像であり、象牙などで厳かに装飾されたものもある。
回廊の両側には仏陀の誕生から入滅までと、その後の仏陀の歯の歴史が、21枚の絵と共にシンハラ語と英語で説明されている。こちらは、仏陀がインドのクシナーガルで荼毘に付された後、仏歯がインド東部のカリンガ国のブラフマダッタ(Brahmadatta)王に手渡されているところ。
こちらは19世紀半頃のペラヘラ祭の様子で、左側に着座する集団の中心で足を組んでいる人物はイギリス植民地時代の第5代セイロン総督、エドワード バーンズである。向かい側には、装飾された象を中心に音楽隊やダンサーなどの群が見える。右上に八角形に赤い屋根のお堂があり象の後方には歯を納めた舎利容器が光を放っている。
ペラヘラ祭(行列の意味)は、スリランカの各地で行なわれているが、ここキャンディのエサラの月の新月から満月にかけて2週間行なわれるペラヘラ祭りが中でも最大の規模である。この期間は、国内外からの観光客でキャンディのホテルは大変混み合う。歯を納めた舎利容器を背に乗せた、装飾された象を先頭に、100頭もの象が音楽隊や数百人のダンサーと一緒に夜の街を歩いてパレードする。圧巻の祭りで、ペラヘラ祭の際に仏歯の入った仏舎利を入れて運ぶケースが展示されている。
2階に向かう途中に、仏歯がスリランカへ持ち込まれた様子が描かれている。インド東部のカリンガ国王は娘ヘーママーラを島に嫁がせる際に仏歯を持参させた。ヘーママーラは髪の毛の中に仏歯を入れて持ち込んだと言われているため、髪の頭部が光って表現されている。向かって右がヘーママーラ、左はダンタ王子。
2階に上がると、お堂があり、内陣の手前は献花台になっており、多くの花が供えられている。
毎日朝、昼、夕の3回「ブージャー(礼拝)」が行われ、この間、仏歯がおさめられた舎利容器が公開される。時間が近づくと、みるみるうちに、多くの参拝者が集まって来た。拝観の列がつくられ、行列はまたたく間に伸びていく。時間になると、列は進みだすが、停まって拝観は出来ない。小さな窓から、一瞬、黄金の舎利容器が見える。ちなみに歯そのものは10年に一度だけ公開されるそうである。大混雑の中、あっと言う間であった。。
寺院の北側には2列の柱に支えられた重厚な屋根を持つ「王の集会所」がある。1783年に、スリ ラジャディ ラジャシンハ(在位1782~1798)により建てられた。木製の屋根を支える木製の柱に、キャンディ伝統の木彫りが施されている。エンベッカ寺院に似ているが、はるかに大きく柱の高さが7メートルある。敷地は建設時は、17.7メートル×10.9メートルだったが、1872年に、プリンス オブ ウェールズ(後のイギリス王エドワード7世)訪問の際に改装され、横幅が9.6メートル延長された。
西側の濠のそばにラージャ タスカー博物館ある。北隣に王宮があり、もともとは、王の休憩所だった。こちらに、ペラヘラ祭で最も重要な役目は歯を納めた舎利容器を背中に乗せて行進する象が展示されている。この剥製は、ラージャという象で65歳で亡くなるまで1987年まで50年もの間勤めていた。ラージャは1985年には当時にジャヤワルダナ大統領からスリランカ国宝の指定を受けている。
ラージャと大統領との写真が展示されている。
時刻は午後5時半になった。仏歯寺裏のカルチュラル ホール(キャンディ芸術協会)にキャンディアン ダンスの鑑賞にやってきた。激しいドラム演奏と共にショーはスタートし、踊りが展開される。
キャンディアンダンスは、数分程度の10ほどの趣向の異なる踊りが組まれている。
最後は会場に炎を持ち込んで、ファイヤーダンスが行われた。こちらは口から火を吐くギニ シシーラ。観客席にまで炎の熱気が届く。そして燃える焚火の上を裸足で歩く(火渡りの儀式)迫力のある演出で締めくくる。
仏歯寺の裏のキャンディ国立博物館を見学した。かつての王妃の宮殿の建物で、主にキャンディ王国時代の宝物やキャンディアン ダンスで使用される装飾品などが展示されている。こちらは仏舎利塔である。
スリランカの北西部州クルネーガラで造られた。貝葉で造られた最古の経典とある。
これで今日の予定は終わりである。ホテルに到着後、早々に館内にあるレストランに食事に行く。午後9時と、遅い夕食になったが、充実した1日を終えた。
(2012.9.13)