Uバーン4号線シェーンブルン駅から乗車し、カールスプラッツ駅で路面電車(市電)に乗り換え、隣の停留所ブルクリングで下車すると、右側に王宮庭園(ブルクガルテン)があり、その正面口の奥にモーツァルト像が飾られている。手前の芝生にある赤花で彩られた「ト音記号」は一層像を引き立てている。
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モーツァルトは様々な楽器があしらわれた大きな台座の上で、譜面をめくりながら優雅に指揮する姿が表現されている。1896年、建築家カール・ケーニッヒと彫刻家ヴィクトール・ティルグナーにより制作され、アルベルティーナ宮殿広場で除幕式が執り行われたが、第二次世界大戦で大きな被害を受けて修復された後に、現在の王宮庭園内に移設されている。
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王宮庭園には、もともと、旧市街市壁のアウグスティヌス要塞があったが、解体後は英国式の皇帝専用庭園となり1919年からは一般市民に開放されている。庭園には他にも、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の晩年の立像や、ロレーヌ公フランツ・ステファン(マリア・テレジアの夫で神聖ローマ皇帝フランツ1世)の騎馬像などが飾られている。
リング通りを横断して丁字路のバーベンベルク通り先の建物が、目的地の「ウィーン美術史美術館」である。ところでバーベンベルク通り(すぐ先でマリアヒルファー通りに至る)は、オーストリア・ハプスブルク帝国時代に、王宮とシェーンブルン宮殿とを繋ぐ馬車道だったが、現在は南側のリンケ・ヴィーンツァイレ通りやUバーン4号線を利用して宮殿に向かうのが一般的である。
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バーベンベルク通りを横断歩道で渡り、博物館壁を通り過ぎた庭園(マリア・テレジア庭園)から振り返ると、建物中央上部に四つの小塔と八角形の中央ドーム(高さ60メートル)を持つ「ウィーン美術史美術館」のファサードが見える。美術史美術館はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916)の命により、1872年から建設が始まり1891年に開館した。館内には古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品が収蔵され、その質と量から世界屈指の大美術館といわれている。
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マリア・テレジア庭園は幅120メートル×奥行き200メートルほどの敷地で、4つの区画にわかれ、それぞれ中央に「トリトンとニンフの噴水」がある。そして庭園の反対側には美術史美術館と向かい合う様に同デザインの「自然史博物館」が建っている。両館は、かつての市壁とグラシを廃止(1858年)し、環状道路リング通り(1865年築)沿いに、近代都市ウィーンを目指して進められた都市開発の一環で建てられたもので、オーストリア帝国の威光を示すものでもあった。同時期にウィーン国立歌劇場、ウィーン市庁舎、ブルク劇場など次々と建設されている。
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マリア・テレジア庭園の中央には、ドイツ彫刻家カスパー・ ツムブッシュにより1872年から1887年にかけて造られた高さ19メートルの「マリア・テレジア記念碑」が建っている。王宮側に向かって座る国事詔書を携えて挨拶する皇后マリア・テレジアを頂部に、その下には顧問、行政、軍隊、科学と芸術に関連した四面アーチ・レリーフと彫像の大きな台座があり、更に、四方には将軍騎馬像(向かって右端から時計回りに、エルンスト・ラウドン、レオポルト・ダウン、ルートヴィヒ・ケーフェンヒュラー、オットー・トラウン)が取り囲んでいる。
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開館は午前10時からで、15分前には20名ほどが既に入館を待っていた。人気の美術館であることから、チケットを予めネットで購入しておいた(15ユーロ)が、思ったほどの混雑ではなかった。
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開館と同時にわらわらと入場した。館内に入るとすぐに大きな広間があり、見上げると、天井には頂上部に円形の開口部(オクルス)がある美しいクーポラが広がっている。チケットを係員に提示して、階段を上ると、先の踊り場にギリシャ神話の英雄テセウスとケンタウルスの彫像が見えてくる。
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踊り場からは左右に分かれ折り返し階段になる。2階は四方をそれぞれ三連アーチの回廊が取り囲む空間「階段の間」で、そのアーチ間と上部半月形には壁画が施されている。上部半月形は当時ウィーン美術界を代表するハンス・マカルトが描き、アーチ間は、グスタフ・クリムトが弟エルンスト及び友人フランツ・マッチュと共に設立した「芸術家商会」が、古代エジプトから18世紀後半までの様々な作品をインスパイアして描いている。
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作品は1890年のもので、当時28歳のクリムトが担当したのは階段を折り返した北側回廊アーチを中心とする13か所である。この日はクリムト没後100年を記念する期間限定の「クリムト・ブリッジ」が架けられており、後程間近で見学する。
最初に最も人気があり混みあう、ピーテル・ブリューゲル(父)の作品がある第Ⅹ室に向かった。左側から「謝肉祭と四旬節の喧嘩(1559年)」、子供の遊戯(1560年)、バベルの塔(1563年)、ゴルゴタの丘への行進(1564年)と展示されている。
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そして、パウロの回心(1567年)、扉を挟んで右方向に、牛群の帰り(1565年)、雪中の狩人(1565年)、暗い日(1565年)、幼児虐殺(1565-1567年頃)、農夫と鳥の巣取り(1568年)、農民の踊り(1568年)、農民の婚宴(1568年)と続いている。世界最大数を誇るブリューゲル作品が並ぶ展示室は壮観で、しばらく他の見学者が来なかったことも大変有難かった。
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それでは右翼の第Ⅰ室のイタリア絵画から順に見学していくことにする。※2階(絵画フロア)の案内図はこちら。
第Ⅰ室にはヴェネツィア派ティツィアーノの大きな作品が展示されている。磔刑前のキリストをあざ笑う人々に対してローマ総督ピラトが発した言葉を作品名とした「この人を見よ(1543年)」で、他にも、ティツィアーノの作品としては、多くの聖母子像を残した師ベッリーニに影響を受けた初期の作品「ジプシーの聖母(1510年)」や、刺し違える直前の二人の緊迫感を表現した「イル・プラーヴォ(刺客)(1520年頃)」などがある。
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第Ⅱ室には、ルネサンス期ヴェネツィアを代表する画家ヴェロネーゼの「ダビデの油注ぎ(1555年)」や、ナインの町でのキリストの奇跡を描いた「ナインの若者の蘇生(1565年頃)」などが展示されている。
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他にも、ヴェネツィア派ティントレットの代表作「スザンナの水浴 ※スザンナと長老たち(1556年頃)」などの大作もあり見どころが多い。作品はスザンナの気品ある美しさと、覗き込む老人の醜態さを巧みな遠近法と大胆な構図で描いている。
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こちらは、ダフィット・テニールスの「レオポルト・ウィルヘルム大公の画廊(1651年)」で、フランドル画家の作品だがイタリア絵画の展示室に展示されている。これは大公(フェルディナン2世の末子)がイタリア美術の収集家であり、ブリュッセルの大公屋敷に収集されたイタリア・コレクションが描かれた作品だからである。
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テニールスは、大公に宮廷画家として召抱えられ、大公のコレクション管理も任された。作品ではそのテニールスの横でステッキを持ちコレクションを称賛するのが大公で、先にヴィンチェンツォ・カテーナの「男の肖像画」や、ティツィアーノの「ヴィオランテ」と「イル・プラーヴォ」、カラッチの「ピエタ」、ラファエロの「聖マルガリタとドラゴン」、ヴェロネーゼの「アハスエルスの前のエステル」などが並べられている。
第3室には、ルネサンス期の画家コレッジョの最晩年の対作品「ユピテルとイオ」と「ガニュメデスの略奪」(1531~1532年)が展示されている。次世代のバロック絵画に繋がるエロティシズムが感じられる作品で、イタリア名門家のフェデリコ2世・ゴンザーガが依頼したもの。縦長サイズは、離宮の窓の両側に設置するために注文したためとされる。
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第Ⅲ室には、盛期ルネサンスを代表するラファエロの「プラトの聖母 ※草原の聖母(1506年頃)」が展示されている。もともとベルヴェデーレに収蔵されていたことから「ベルヴェデーレの聖母」とも言われている。聖母は、幼子ヨハネが持つ十字架を触ろうと前に乗り出す幼子を支えている。
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第4室には、盛期ルネサンスのヴェネツィアで活動したジョルジョーネの作品が3点ある。計測器具を持ち洞窟を覗きこむ若者、壮年のアラブ人、羊皮紙を掲げる老人のそれぞれ各世代を象徴する哲学者を描いた「三人の哲学者(1507年頃)」を中心に、左右に「矢を持つ少年(1506年頃)」と「ラウラ(1506年)」が展示されている。
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第Ⅴ室には、バロック期の巨人カラヴァッジョの作品が3点ある。中央にあるひと際大きな作品が、サン・ドメニコ・マッジョーレ教会(ナポリ)の礼拝堂用に制作されたとされるバロックの祭壇画「ロザリオのマドンナ(1607年)」で、その右隣に「茨の冠(1607年頃)」が展示されている。作品は、暗闇で無理やり茨の冠を被せられうつむくキリストの肩越しに光が差し込む劇的な瞬間をとらえている。
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右端には、「ダヴィデとゴリアテ(1607年頃)」が展示されている。有名なボルゲーゼ美術館版より3年ほど前に描かれた作品で、こちらのダヴィデは、若く意気揚々とした表情で描かれている。口を開き血が滴り落ちるゴリアテの首はカラヴァッジョ自身がモデルとされる。
第6室には、ミラノの画家ジュゼッペ・アルチンボルドの「夏(1563年)」と「火(1566年)」が展示されている。夏は果物と野菜で構成される女性で、火は大砲や木を燃やした男性の顔で描かれている。
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反対側には「冬(1563年)」と「水(1566年)」が展示されている。冬は、節のある幹や小さな枝と根で構成される老人で、胸からは冬の果物(レモンとオレンジ)がぶら下がっている。服はストローマットである。水は、様々な海洋生物で構成されている。
アルチンボルドは、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の宮廷画家として活躍し、伝統的な宗教画も多く描いたが、近年は珍奇な肖像画で知られている。
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第10室にはバロック期のスペイン画家ディエゴ・ベラスケスが描いた、スペイン王フェリペ4世と2度目の王妃マリア・アナとの娘で、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇后「マルガリータ・テレサ(1651~1673)」の幼少の頃の姿を描いた肖像画3点。左から、薔薇色のドレスの王女、3歳(1654年)、白いドレスの王女、5歳(1656年) 、青いドレスの王女、8歳(1659年)と成長順に展示されている。
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ベラスケスの作品では、他にもマルガリータ・テレサの6歳下の弟で、わずか3歳で亡くなった「フェリペ・プロスペロ王子」像(1659年)や、フランス王ルイ14世の王妃「マリア・テレサ(1638~1683)」の肖像(1653頃)も展示されている。彼女は、マルガリータ・テレサの異母姉にあたる。
第Ⅶ室には、18世紀フランスで最も有名な女性画家エリザベート・ルイーズ・ヴィジェルブランによる「マリー・アントワネット(1778年)」がある。画家の高い描写力と洗練された肖像画は、若い頃から貴族や社交界から注文を受けたが、マリー・アントワネットの肖像画(作品はその頃のもの)は、王妃から大変喜ばれ数年間に亘り依頼を受けた。画家は王妃と同年代(1755年生)で、その後も画家と王妃とを超えた友人関係を築いていく。
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では、2階北側回廊から「階段の間」に設置された仮設の「クリムト・ブリッジ」を上り、クリムトの壁画を目の前で鑑賞する。アーチ左側の「ローマの女性」に始まり、右側にルネサンス・クワトロチェントから影響を受けた「ヴェネツィアの総督」の横顔へと続いている。
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そして、右側の柱の間には「タナグラの乙女」が、更に中央アーチ横の「パラス・アテネ」へ続いていく。月桂樹の枝を持つタナグラの乙女の手元の欄干には女神アフロディーテ像と、背後には大きなアンフォラが描かれている。パラス・アテネは正面を見据え金色の円盾を背負い、赤いドレスに鱗状の金の鎧を身に着けている。そして右手にニケの像を持ち、水平にアーチに伸ばした左手には槍を持ってアーチに掲げている。
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そして、アーチの右側には、宝石だけを身に着けた裸の「イシス女神」が左膝を曲げ腰をくねらせ立っている。イシス女神は、パラス・アテネと対になる様に右腕を水平に伸ばしてキーリンクを手にしている。やや顎を上げ口元が強調され、頭には金色の鎖をつけた黒い鬘を被っている。
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背景には、赤を強調するヒエログリフ装飾が施され上部には羽を広げたハゲワシが描かれている。そして、イシス女神の右側には擬人化された木製の棺が立てられ、シャブティ像が置かれている。
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次のアーチの左側にはフィレンツェの「若い画家」が、そして右側にはイタリア・ルネサンス時代の「若い女性」が描かれている。女性は、ファブリアーノ(1360~1427)の「聖母マリアの戴冠」から影響された黒に金の花弁をモチーフにしたドレスを身に着けアーチにもたれかかっている。左手には百合の枝を持ち、右腕を持ち上げ人差し指を挙げている。後には女性同様に光輪のある赤い翼の天使が寄り添っている。
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右側の円柱間には、天使を思わせる「子供」と後ろにイタリアの詩人・政治家「ダンテ」が表現されている。このことから、若い女性はベアトリーチェで、子供は白いローブが肩から左袖が滑り落ちておりエロティックな愛の表現とされる。クリムトの作品はどれも透明感のある美しい人物像で描かれ「階段の間」の荘厳を一層引き立てている。
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次に、左翼のオランダ、フランドル、ドイツ絵画を見ていく。第14室には初期フランドル派のヤン・ファン・エイク(1395~1441)の作品が展示されている。こちらは教皇マルティヌス5世の外交官「ニッコロアルベルガティ枢機卿の肖像画(1431年)」で、ファン・エイクの細部への繊細な色使いはいつもながら驚かされる。他にも彼の友人で赤い宝石の指輪を持つ金細工師「Jan de Leeuwの肖像画」が展示されている。
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第Ⅺ室には、バロック期のフランドル出身の画家ヴァン・ダイクによるルーベンス・タッチの歴史画「サムソンとデリラ(1630年頃)」があり、そして、第18室にはネーデルラント、バロック期を代表するヨハネス・フェルメールの代表作「絵画芸術(1666年頃)」が展示されている。穏やかな陽光がさす一室で、月桂樹の花冠を被りトランペットと書物(トゥキディデスの戦史)を持つモデル女性と、その女性を描く画家の後ろ姿が描かれている。女性はギリシア神話の女神クレイオーを象徴しているとされ、背景には、当時、南北に分かれていたネーデルラント(西側が上)の地図が掛けられている。
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人気の作品にも関わらずこの時間は見学者がいなかった。
第20室にはドイツ・ルネサンス期の画家アルブレヒト・デューラーの作品が展示されている。左奥には、ニュルンベルクの豪商ランダウアーから施療院の礼拝堂のために依頼された「聖三位一体(ランダウアー祭壇)」が展示されている。
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虹の玉座に座わり、金のマントを広げ「神の子」(十字架のキリスト)を抱える「父なる神」と、頂部の「聖霊」(白鳩)の三位一体を中心に、左右に、聖母マリアと洗礼者ヨハネ、諸聖人、聖女が参列し、その下には、左右にローマ教皇と神聖ローマ皇帝、毛皮に金の首飾りを付けた白髭のランダウアー、聖職者、選ばれし者たちが集っている。地上の右端にはデューラー本人が登場している。
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隣には、同じくデューラーの作品で、ハプスブルク帝国の礎を築いた鷲鼻が特徴の皇帝「神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世」(1519年)や、「梨の聖母 (1512年)」などがある。聖母は薄いベールを被り幼子に眼差しを寄せ、幼子は切った梨を持ち身体をよじり目を見開いており、二人をクローズアップして描いている。
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第20室にはハンス・ホルバインの「ジェーン・シーモア(1508~1537)の肖像」(1537年頃)がある。彼女はイングランド王ヘンリー8世の3番目の王妃であり、ホルバインはヘンリー8世の宮廷画家で多くの宮廷関係者たちの肖像画を描いた。
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第21室には、不思議なキャラクターが多く登場する独特な世界観を表現することで知られるヒエロニムス・ボスの「十字架を運ぶキリスト(1490~1510年)」 が展示されている。作品は二層で構成され、上にムチで打たれ歩くキリストが、下(前面)にはキリストと共に磔にされる二人の盗賊が描かれている。もともと三連画の左翼画で上下がカットされている。裏側には風車を持ち歩行器で歩く幼子キリストがグリザイユ画法(灰色の濃淡で描く単彩)で描かれている。
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第22室には、透明感があり静寂感に包まれた中に細部に精密な装飾描写が見られるハンス・メムリンクの「聖ヨハネの小祭壇(1485~90年)や、ルーカス・クラナッハのユディトとホロフェルネス(1530年)、やクラナッハの「ザクセンの三王女(1535年)」等の作品が展示されている。
XⅢ室からXⅤ室には、前後の展示室も含めバロック期のフランドルの画家ルーベンスの大作が展示されている。XⅣ室にはひと際大きな「聖イグナティウス・デ・ロヨラの奇蹟(1617年頃)」や、「聖フランシスコ・ザビエルの奇蹟(1618年)」が展示されている。ザビエルの奇蹟には、台座に立ち様々な奇蹟を起こすザビエルや、神の威光により、異教徒たちを駆逐する様子、治癒を求め集まる人々が描かれている。
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ルーベンスの寓意画「四大陸(1615年)」で、大陸とその代表的な河川を河神と女神を一対として表現している。向かって左側から、ヨーロッパとドナウ河、アフリカとナイル河、アメリカとアマゾン河、アジアとガンジス河を意味している。
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他にも、ルーベンスの作品では、聖母崇拝者で式服を授かる7世紀トレドの大司教聖イルデフォンソを主題とした「聖イルデフォンソ祭壇画 (1632年)」や、妻エレーヌを美の女神(ヴィーナス)の姿を題材に描いた、「毛皮をまとったエレーヌ・フールマン」(1631年)、帝政ローマ初期の詩人オウィディウスの祭暦を題材にしたヴィーナス像を中心にローマの女たちによる祭事「ヴィーナスの饗宴 (1635年頃)」、自画像 (1639年頃)など数多くが展示されている。
次に1階に向かう。こちらは、イタリア金細工師で彫刻家ベンベヌート・チェリーニ(1500~1571)が1543年にフランス王フランソワ1世のために制作した金細工「サリエラ」(食卓用塩入れ)で、ルネサンス期の最も重要な作品の一つ。作品は、女性が大地、男性が海を表す寓意像で、幅33.5センチメートル、高さ26センチメートル、反対側が塩入れトレイで、手前の寺院がペッパー入れとなっている。
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作品は、1570年にフランス王シャルル9世から、結婚式で代理人を務めたオーストリア(チロル)大公フェルディナント2世(マクシミリアン2世の弟)へのお礼として贈られた。ところで、サリエラは、2003年5月11日の深夜、当時展示されていたラファエル室から盗まれ大きなニュースとなったが、2006年にウィーンから90キロメートル離れた北の森で発見された。
そして、こちらは世界三大カメオの一つ「アウグストゥスの宝玉」(9~12年頃)。幅23センチメートルほどの紅縞瑪瑙に、女神ローマ、初代ローマ皇帝アウグストゥス(上段)や、戦勝碑を掲げるローマ兵士と捕虜の姿(下段)などが繊細に浮彫されたもの。13世紀に、トゥールーズのサン・セルナン聖堂の宝物庫にあったが、空白期間の後、ハプスブルク家ルドルフ2世が取得した。
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1階は、古代ギリシャ・ローマ、古代エジプト・オリエントコレクションとあるが、展示数が多くて全て鑑賞できなかった。3時間半ほどで美術館を後にした。。
更にシシーチケットを購入しているので、旧王宮(宮廷銀器コレクション、シシィミュージアム、皇帝の部屋)と王宮家具博物館に向かう。リング通りを渡りブルク門を抜けて英雄広場の東側に建つ王宮のミヒャエル門内の中央ドーム下が、宮廷銀器コレクション会場への入口になる。
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代表的な展示品の一つが、こちらの「グラン・フェルメイユ」である。金細工では最高峰と言われる約4500点の食器で1トンを越える重量になる。フェルメイユとは、フランス語で銀器に熱金メッキを施した技法を意味している。
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こちらは1870年にウィリアム・コールマンがデザインしたイギリス最高級陶磁器「ミントン」の食器セットで、昆虫、鳥、海 の動物や植物などが描かれている。皇后エリーザベトから夫、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に贈られたもの。
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1851年制作の「フランス風センターピース」。ブロンズに金メッキされた巨大な燭台で、つる草や巻貝のロカイユ模様にプットが遊び、野生動物や鳥たちも躍動した豪華な装飾が特徴。顧問官や大臣などが集う晩餐会などで食卓を飾っていた。
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緑のリボンが鮮やかなディナー・セットは、フランス王ルイ15世から皇后マリア・テレジアへ贈られたもの。フランスのセーブルに設立された王立磁器工房の傑作で、波打って交差する緑のリボンが特徴で、バロック時代の金細工に遡るもの。リボンの合間には繊細なロココ風なデザインが施されている。
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上の展示台は、1777年に製造されたセーヴル磁器で「オリオ」と呼ばれるスープ用の丸いテリーヌ。優雅なカーブの4つの脚部からは金色の穂がデザインされ、受け皿には、花、農産物、 農具などが描かれ、多産と実り豊かな農作業を象徴している。フランスに嫁いだマリー・アントワネットが、兄であるヨーゼフ2世にヴェルサイユ宮殿訪問の返礼品として贈ったもの。
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下の展示台は、扇、アヒル、魚、スワンなど複雑に折りたたまれたナプキンで、バロック初期に皇帝家のディナーの装飾として珍重された。王宮には17世紀から伝えられる芸術的な折り方見本の数々が残されている。
次にUバーン3号線ツィーグラーガッセ駅からすぐの王宮家具博物館にやってきた。博物館には午後5時に到着したため、閉館まで1時間ほどの見学時間となる。シシーチケットを提示し入場して見学を始めたが、館内は広く、通路の両側には、ひしめく様に家具が並んでおり、時間も少ないのでやや焦りながら通路を進んで行った。。
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展示ルートの中ほどに、イタリア家具職人で、キャビネット作りのマスターのジュゼッペ・マッジョリーニ(1738~1814)によるローズウッドとメープルによる寄木細工「皇后マリア・テレジアの机」や、周りに、シェーンブルン宮殿で使用された1760年頃のロココ様式の椅子が展示されている。壁面には、皇后マリア・テレジアの肖像画が飾られている。
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こちらの展示室中央には、ドイツ宮廷画家フランツ・ヴィンターハルターによる「ダイアモンド・スターを髪にあしらった皇后エリザーベト(1864年)」が飾られている。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が画家に依頼したもので、出来上がりにはフランツ自身大変満足したと伝えられている。この頃のエリザーベトは、出産後のルドルフ皇太子の養育や教育をめぐり宮廷内の確執等で患った貧血や結核などの病から徐々に回復しつつあったころ。
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エリーザベト・マリーが亡くなった1963年に国に寄贈した遺品と絵画。彼女の父は、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリザーベトの息子のルドルフ皇太子(1858~1889)だったが、ルドルフは彼女が5歳の時に「マイヤーリンク事件」で亡くなっている。ピアノや椅子はルドルフ皇太子が子供時代から使用したもので、壁には父ルドルフと母ステファニーの肖像画などが展示されている。
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こちらは、ホーフブルク王宮の「評議会会議室」にあった天蓋付きの玉座。この会議室で1900年6月、70歳を目前に控えた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の下、皇帝の弟カール・ルートヴィヒ大公の長男で皇帝の甥にあたるフランツ・フェルディナント大公の帝位継承に関する会議が催された。フェルディナント大公は帝位継承者に指名されるものの、貴賎結婚を望んだことから子孫には帝位継承権を与えない宣言をすることで結婚が承認された。
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ちなみにフェルディナント大公が帝位継承者となったのは、1889年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の息子の皇太子ルドルフが死去し、同年には妻で皇后エリーザベトが無政府主義者に暗殺されたこと、更に弟のカール・ルートヴィヒ大公も1896年に死去したことによる。
展示室の後半には、オーストリア映画「シシー3部作」で使用された家具が展示されている。こちらは、皇后エリザーベト役のロミー・シュナイダーと皇帝フランツ・ヨーゼフ1世役のカールハインツ・ベームが映画で使用した椅子で、主演2人の写真とともに展示されている。
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シシー3部作は、プリンセス・シシー、若き皇后シシー、ある皇后の運命の歳月(1955~1957)と制作された。物語はシシーの生い立ちから結婚を経てオーストリア皇后になるものの、宮廷生活での義母ゾフィー大公妃との確執から逃避、そしてハンガリーへの熱望、結核による家族との別れ、最後は領地ヴェネチアでの娘との感動の再会で終わる。作品は中々の良作で、オーストリアでは、年末にテレビ放映するのが恒例となっている。主演のロミー・シュナイダーは、後年、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ルートヴィヒ」(1972)でも皇后エリザベートを演じている。
展示室の数か所には、写真パネルを設置したり、TVモニターを設置して家具の登場場面を1分ほど繰り返し紹介している。映像では椅子、テーブル、鏡台、ベッドなど家具以外の人物や背景をモノクロ映像に変化させることで、家具を目立たせている。他に、映画のスチール写真や映画のストーリーパネルも並べられシシーの映画紹介コーナーの様でもあったがこれはこれで良かった。
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閉館の午後6時と同時に博物館を後にし、坂道を下ると、Uバーン3号線ツィエグラーガッセ駅で、東西に「マリアヒルファー通り」が通っている。そして東への500メートル区間が歩行者専用通りで市民に人気の庶民的なショッピング街になる。
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歩行者専用通りの終点手前の右側には、マリアヒルファー教会が建っている。1656年にミカエル教会の墓地教会として建てられ、現在の教会は、1683年の第二次ウィーン包囲で破壊された後の1711年から1758年にかけて再建されたもの。その後も何度か改修され現在に至っている。広場には、作曲家ハイドン(1732~1809)の銅像が飾られている。
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マリアヒルファー教会の先からマリアヒルファー通りは前方からの一方通行の車道と歩道になる。ここから約1キロメートル先でリング通りと交差し、向かい側が王宮エリアとなる。マリアヒルファー通りは、ハプスブルグ家の馬車道であったことから、19世紀初頭には郊外で最初にガス灯が設置された。
左側には、多くの専門店が集まるショッピングモール「ゲルングロス」があり、特に日用品の品揃えが充実している。ザラ(ZARA)や、フードコートも充実している。前方に見える尖塔は聖十字架教会(1739年築)で、右側の4階建てのクリーム色の建物は、ウィーン民衆劇の作家フェルディナント・ライムント(1790~1836)の生誕地「ヒルシェンハウス(牡鹿館)」である。
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その1階の装飾門の上部には牡鹿の金の浮彫が飾られ、門の奥に通路(ライムントホーフ)が延びている。通路は200メートル先のグンペンドルファー通りまで続いている。
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門をくぐると中庭になり、左右に宝石店、美容院、カフェなどが営業している。中庭の先には、ヒルシェンハウスの南門があり、通路が続いていく。
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階段がありカフェの小さなテラスがある。ライムントホーフが特徴的なのは、高低差20メートルの階段が続く途中にもこのようにショップやレストランがあること。その先にも階段があり、更にその先には左右の建物の3階から下りる階段になり、横にはエレベータが設置されている。階段を下り切って振り返ると、途中に踊場があるものの直線階段なので結構な高低差を感じる。
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更に南に下り、リンケ・ヴィーンツァイレ通りまで出て、ウィーンの台所ナッシュマルクトを通り、カールスプラッツまで歩いた。
翌朝、Sバーン(Line7)に乗り空港に向かった。電車は、途中、ウィーン中央墓地の南門から外壁沿いをしばらく進んで行く。墓地は1874年に建設され、200ヘクタールの広大な敷地を持ち、音楽家や画家など多くの著名人が眠っており、映画「第三の男」を始め映画の舞台としても登場する。
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(2018.7.10)
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モーツァルトは様々な楽器があしらわれた大きな台座の上で、譜面をめくりながら優雅に指揮する姿が表現されている。1896年、建築家カール・ケーニッヒと彫刻家ヴィクトール・ティルグナーにより制作され、アルベルティーナ宮殿広場で除幕式が執り行われたが、第二次世界大戦で大きな被害を受けて修復された後に、現在の王宮庭園内に移設されている。
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王宮庭園には、もともと、旧市街市壁のアウグスティヌス要塞があったが、解体後は英国式の皇帝専用庭園となり1919年からは一般市民に開放されている。庭園には他にも、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の晩年の立像や、ロレーヌ公フランツ・ステファン(マリア・テレジアの夫で神聖ローマ皇帝フランツ1世)の騎馬像などが飾られている。
リング通りを横断して丁字路のバーベンベルク通り先の建物が、目的地の「ウィーン美術史美術館」である。ところでバーベンベルク通り(すぐ先でマリアヒルファー通りに至る)は、オーストリア・ハプスブルク帝国時代に、王宮とシェーンブルン宮殿とを繋ぐ馬車道だったが、現在は南側のリンケ・ヴィーンツァイレ通りやUバーン4号線を利用して宮殿に向かうのが一般的である。
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バーベンベルク通りを横断歩道で渡り、博物館壁を通り過ぎた庭園(マリア・テレジア庭園)から振り返ると、建物中央上部に四つの小塔と八角形の中央ドーム(高さ60メートル)を持つ「ウィーン美術史美術館」のファサードが見える。美術史美術館はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916)の命により、1872年から建設が始まり1891年に開館した。館内には古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品が収蔵され、その質と量から世界屈指の大美術館といわれている。
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マリア・テレジア庭園は幅120メートル×奥行き200メートルほどの敷地で、4つの区画にわかれ、それぞれ中央に「トリトンとニンフの噴水」がある。そして庭園の反対側には美術史美術館と向かい合う様に同デザインの「自然史博物館」が建っている。両館は、かつての市壁とグラシを廃止(1858年)し、環状道路リング通り(1865年築)沿いに、近代都市ウィーンを目指して進められた都市開発の一環で建てられたもので、オーストリア帝国の威光を示すものでもあった。同時期にウィーン国立歌劇場、ウィーン市庁舎、ブルク劇場など次々と建設されている。
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マリア・テレジア庭園の中央には、ドイツ彫刻家カスパー・ ツムブッシュにより1872年から1887年にかけて造られた高さ19メートルの「マリア・テレジア記念碑」が建っている。王宮側に向かって座る国事詔書を携えて挨拶する皇后マリア・テレジアを頂部に、その下には顧問、行政、軍隊、科学と芸術に関連した四面アーチ・レリーフと彫像の大きな台座があり、更に、四方には将軍騎馬像(向かって右端から時計回りに、エルンスト・ラウドン、レオポルト・ダウン、ルートヴィヒ・ケーフェンヒュラー、オットー・トラウン)が取り囲んでいる。
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開館は午前10時からで、15分前には20名ほどが既に入館を待っていた。人気の美術館であることから、チケットを予めネットで購入しておいた(15ユーロ)が、思ったほどの混雑ではなかった。
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開館と同時にわらわらと入場した。館内に入るとすぐに大きな広間があり、見上げると、天井には頂上部に円形の開口部(オクルス)がある美しいクーポラが広がっている。チケットを係員に提示して、階段を上ると、先の踊り場にギリシャ神話の英雄テセウスとケンタウルスの彫像が見えてくる。
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踊り場からは左右に分かれ折り返し階段になる。2階は四方をそれぞれ三連アーチの回廊が取り囲む空間「階段の間」で、そのアーチ間と上部半月形には壁画が施されている。上部半月形は当時ウィーン美術界を代表するハンス・マカルトが描き、アーチ間は、グスタフ・クリムトが弟エルンスト及び友人フランツ・マッチュと共に設立した「芸術家商会」が、古代エジプトから18世紀後半までの様々な作品をインスパイアして描いている。
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作品は1890年のもので、当時28歳のクリムトが担当したのは階段を折り返した北側回廊アーチを中心とする13か所である。この日はクリムト没後100年を記念する期間限定の「クリムト・ブリッジ」が架けられており、後程間近で見学する。
最初に最も人気があり混みあう、ピーテル・ブリューゲル(父)の作品がある第Ⅹ室に向かった。左側から「謝肉祭と四旬節の喧嘩(1559年)」、子供の遊戯(1560年)、バベルの塔(1563年)、ゴルゴタの丘への行進(1564年)と展示されている。
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そして、パウロの回心(1567年)、扉を挟んで右方向に、牛群の帰り(1565年)、雪中の狩人(1565年)、暗い日(1565年)、幼児虐殺(1565-1567年頃)、農夫と鳥の巣取り(1568年)、農民の踊り(1568年)、農民の婚宴(1568年)と続いている。世界最大数を誇るブリューゲル作品が並ぶ展示室は壮観で、しばらく他の見学者が来なかったことも大変有難かった。
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それでは右翼の第Ⅰ室のイタリア絵画から順に見学していくことにする。※2階(絵画フロア)の案内図はこちら。
第Ⅰ室にはヴェネツィア派ティツィアーノの大きな作品が展示されている。磔刑前のキリストをあざ笑う人々に対してローマ総督ピラトが発した言葉を作品名とした「この人を見よ(1543年)」で、他にも、ティツィアーノの作品としては、多くの聖母子像を残した師ベッリーニに影響を受けた初期の作品「ジプシーの聖母(1510年)」や、刺し違える直前の二人の緊迫感を表現した「イル・プラーヴォ(刺客)(1520年頃)」などがある。
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第Ⅱ室には、ルネサンス期ヴェネツィアを代表する画家ヴェロネーゼの「ダビデの油注ぎ(1555年)」や、ナインの町でのキリストの奇跡を描いた「ナインの若者の蘇生(1565年頃)」などが展示されている。
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他にも、ヴェネツィア派ティントレットの代表作「スザンナの水浴 ※スザンナと長老たち(1556年頃)」などの大作もあり見どころが多い。作品はスザンナの気品ある美しさと、覗き込む老人の醜態さを巧みな遠近法と大胆な構図で描いている。
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こちらは、ダフィット・テニールスの「レオポルト・ウィルヘルム大公の画廊(1651年)」で、フランドル画家の作品だがイタリア絵画の展示室に展示されている。これは大公(フェルディナン2世の末子)がイタリア美術の収集家であり、ブリュッセルの大公屋敷に収集されたイタリア・コレクションが描かれた作品だからである。
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テニールスは、大公に宮廷画家として召抱えられ、大公のコレクション管理も任された。作品ではそのテニールスの横でステッキを持ちコレクションを称賛するのが大公で、先にヴィンチェンツォ・カテーナの「男の肖像画」や、ティツィアーノの「ヴィオランテ」と「イル・プラーヴォ」、カラッチの「ピエタ」、ラファエロの「聖マルガリタとドラゴン」、ヴェロネーゼの「アハスエルスの前のエステル」などが並べられている。
第3室には、ルネサンス期の画家コレッジョの最晩年の対作品「ユピテルとイオ」と「ガニュメデスの略奪」(1531~1532年)が展示されている。次世代のバロック絵画に繋がるエロティシズムが感じられる作品で、イタリア名門家のフェデリコ2世・ゴンザーガが依頼したもの。縦長サイズは、離宮の窓の両側に設置するために注文したためとされる。
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第Ⅲ室には、盛期ルネサンスを代表するラファエロの「プラトの聖母 ※草原の聖母(1506年頃)」が展示されている。もともとベルヴェデーレに収蔵されていたことから「ベルヴェデーレの聖母」とも言われている。聖母は、幼子ヨハネが持つ十字架を触ろうと前に乗り出す幼子を支えている。
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第4室には、盛期ルネサンスのヴェネツィアで活動したジョルジョーネの作品が3点ある。計測器具を持ち洞窟を覗きこむ若者、壮年のアラブ人、羊皮紙を掲げる老人のそれぞれ各世代を象徴する哲学者を描いた「三人の哲学者(1507年頃)」を中心に、左右に「矢を持つ少年(1506年頃)」と「ラウラ(1506年)」が展示されている。
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第Ⅴ室には、バロック期の巨人カラヴァッジョの作品が3点ある。中央にあるひと際大きな作品が、サン・ドメニコ・マッジョーレ教会(ナポリ)の礼拝堂用に制作されたとされるバロックの祭壇画「ロザリオのマドンナ(1607年)」で、その右隣に「茨の冠(1607年頃)」が展示されている。作品は、暗闇で無理やり茨の冠を被せられうつむくキリストの肩越しに光が差し込む劇的な瞬間をとらえている。
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右端には、「ダヴィデとゴリアテ(1607年頃)」が展示されている。有名なボルゲーゼ美術館版より3年ほど前に描かれた作品で、こちらのダヴィデは、若く意気揚々とした表情で描かれている。口を開き血が滴り落ちるゴリアテの首はカラヴァッジョ自身がモデルとされる。
第6室には、ミラノの画家ジュゼッペ・アルチンボルドの「夏(1563年)」と「火(1566年)」が展示されている。夏は果物と野菜で構成される女性で、火は大砲や木を燃やした男性の顔で描かれている。
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反対側には「冬(1563年)」と「水(1566年)」が展示されている。冬は、節のある幹や小さな枝と根で構成される老人で、胸からは冬の果物(レモンとオレンジ)がぶら下がっている。服はストローマットである。水は、様々な海洋生物で構成されている。
アルチンボルドは、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の宮廷画家として活躍し、伝統的な宗教画も多く描いたが、近年は珍奇な肖像画で知られている。
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第10室にはバロック期のスペイン画家ディエゴ・ベラスケスが描いた、スペイン王フェリペ4世と2度目の王妃マリア・アナとの娘で、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の最初の皇后「マルガリータ・テレサ(1651~1673)」の幼少の頃の姿を描いた肖像画3点。左から、薔薇色のドレスの王女、3歳(1654年)、白いドレスの王女、5歳(1656年) 、青いドレスの王女、8歳(1659年)と成長順に展示されている。
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ベラスケスの作品では、他にもマルガリータ・テレサの6歳下の弟で、わずか3歳で亡くなった「フェリペ・プロスペロ王子」像(1659年)や、フランス王ルイ14世の王妃「マリア・テレサ(1638~1683)」の肖像(1653頃)も展示されている。彼女は、マルガリータ・テレサの異母姉にあたる。
第Ⅶ室には、18世紀フランスで最も有名な女性画家エリザベート・ルイーズ・ヴィジェルブランによる「マリー・アントワネット(1778年)」がある。画家の高い描写力と洗練された肖像画は、若い頃から貴族や社交界から注文を受けたが、マリー・アントワネットの肖像画(作品はその頃のもの)は、王妃から大変喜ばれ数年間に亘り依頼を受けた。画家は王妃と同年代(1755年生)で、その後も画家と王妃とを超えた友人関係を築いていく。
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では、2階北側回廊から「階段の間」に設置された仮設の「クリムト・ブリッジ」を上り、クリムトの壁画を目の前で鑑賞する。アーチ左側の「ローマの女性」に始まり、右側にルネサンス・クワトロチェントから影響を受けた「ヴェネツィアの総督」の横顔へと続いている。
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そして、右側の柱の間には「タナグラの乙女」が、更に中央アーチ横の「パラス・アテネ」へ続いていく。月桂樹の枝を持つタナグラの乙女の手元の欄干には女神アフロディーテ像と、背後には大きなアンフォラが描かれている。パラス・アテネは正面を見据え金色の円盾を背負い、赤いドレスに鱗状の金の鎧を身に着けている。そして右手にニケの像を持ち、水平にアーチに伸ばした左手には槍を持ってアーチに掲げている。
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そして、アーチの右側には、宝石だけを身に着けた裸の「イシス女神」が左膝を曲げ腰をくねらせ立っている。イシス女神は、パラス・アテネと対になる様に右腕を水平に伸ばしてキーリンクを手にしている。やや顎を上げ口元が強調され、頭には金色の鎖をつけた黒い鬘を被っている。
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背景には、赤を強調するヒエログリフ装飾が施され上部には羽を広げたハゲワシが描かれている。そして、イシス女神の右側には擬人化された木製の棺が立てられ、シャブティ像が置かれている。
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次のアーチの左側にはフィレンツェの「若い画家」が、そして右側にはイタリア・ルネサンス時代の「若い女性」が描かれている。女性は、ファブリアーノ(1360~1427)の「聖母マリアの戴冠」から影響された黒に金の花弁をモチーフにしたドレスを身に着けアーチにもたれかかっている。左手には百合の枝を持ち、右腕を持ち上げ人差し指を挙げている。後には女性同様に光輪のある赤い翼の天使が寄り添っている。
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右側の円柱間には、天使を思わせる「子供」と後ろにイタリアの詩人・政治家「ダンテ」が表現されている。このことから、若い女性はベアトリーチェで、子供は白いローブが肩から左袖が滑り落ちておりエロティックな愛の表現とされる。クリムトの作品はどれも透明感のある美しい人物像で描かれ「階段の間」の荘厳を一層引き立てている。
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次に、左翼のオランダ、フランドル、ドイツ絵画を見ていく。第14室には初期フランドル派のヤン・ファン・エイク(1395~1441)の作品が展示されている。こちらは教皇マルティヌス5世の外交官「ニッコロアルベルガティ枢機卿の肖像画(1431年)」で、ファン・エイクの細部への繊細な色使いはいつもながら驚かされる。他にも彼の友人で赤い宝石の指輪を持つ金細工師「Jan de Leeuwの肖像画」が展示されている。
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第Ⅺ室には、バロック期のフランドル出身の画家ヴァン・ダイクによるルーベンス・タッチの歴史画「サムソンとデリラ(1630年頃)」があり、そして、第18室にはネーデルラント、バロック期を代表するヨハネス・フェルメールの代表作「絵画芸術(1666年頃)」が展示されている。穏やかな陽光がさす一室で、月桂樹の花冠を被りトランペットと書物(トゥキディデスの戦史)を持つモデル女性と、その女性を描く画家の後ろ姿が描かれている。女性はギリシア神話の女神クレイオーを象徴しているとされ、背景には、当時、南北に分かれていたネーデルラント(西側が上)の地図が掛けられている。
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人気の作品にも関わらずこの時間は見学者がいなかった。
第20室にはドイツ・ルネサンス期の画家アルブレヒト・デューラーの作品が展示されている。左奥には、ニュルンベルクの豪商ランダウアーから施療院の礼拝堂のために依頼された「聖三位一体(ランダウアー祭壇)」が展示されている。
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虹の玉座に座わり、金のマントを広げ「神の子」(十字架のキリスト)を抱える「父なる神」と、頂部の「聖霊」(白鳩)の三位一体を中心に、左右に、聖母マリアと洗礼者ヨハネ、諸聖人、聖女が参列し、その下には、左右にローマ教皇と神聖ローマ皇帝、毛皮に金の首飾りを付けた白髭のランダウアー、聖職者、選ばれし者たちが集っている。地上の右端にはデューラー本人が登場している。
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隣には、同じくデューラーの作品で、ハプスブルク帝国の礎を築いた鷲鼻が特徴の皇帝「神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世」(1519年)や、「梨の聖母 (1512年)」などがある。聖母は薄いベールを被り幼子に眼差しを寄せ、幼子は切った梨を持ち身体をよじり目を見開いており、二人をクローズアップして描いている。
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第20室にはハンス・ホルバインの「ジェーン・シーモア(1508~1537)の肖像」(1537年頃)がある。彼女はイングランド王ヘンリー8世の3番目の王妃であり、ホルバインはヘンリー8世の宮廷画家で多くの宮廷関係者たちの肖像画を描いた。
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第21室には、不思議なキャラクターが多く登場する独特な世界観を表現することで知られるヒエロニムス・ボスの「十字架を運ぶキリスト(1490~1510年)」 が展示されている。作品は二層で構成され、上にムチで打たれ歩くキリストが、下(前面)にはキリストと共に磔にされる二人の盗賊が描かれている。もともと三連画の左翼画で上下がカットされている。裏側には風車を持ち歩行器で歩く幼子キリストがグリザイユ画法(灰色の濃淡で描く単彩)で描かれている。
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第22室には、透明感があり静寂感に包まれた中に細部に精密な装飾描写が見られるハンス・メムリンクの「聖ヨハネの小祭壇(1485~90年)や、ルーカス・クラナッハのユディトとホロフェルネス(1530年)、やクラナッハの「ザクセンの三王女(1535年)」等の作品が展示されている。
XⅢ室からXⅤ室には、前後の展示室も含めバロック期のフランドルの画家ルーベンスの大作が展示されている。XⅣ室にはひと際大きな「聖イグナティウス・デ・ロヨラの奇蹟(1617年頃)」や、「聖フランシスコ・ザビエルの奇蹟(1618年)」が展示されている。ザビエルの奇蹟には、台座に立ち様々な奇蹟を起こすザビエルや、神の威光により、異教徒たちを駆逐する様子、治癒を求め集まる人々が描かれている。
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ルーベンスの寓意画「四大陸(1615年)」で、大陸とその代表的な河川を河神と女神を一対として表現している。向かって左側から、ヨーロッパとドナウ河、アフリカとナイル河、アメリカとアマゾン河、アジアとガンジス河を意味している。
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他にも、ルーベンスの作品では、聖母崇拝者で式服を授かる7世紀トレドの大司教聖イルデフォンソを主題とした「聖イルデフォンソ祭壇画 (1632年)」や、妻エレーヌを美の女神(ヴィーナス)の姿を題材に描いた、「毛皮をまとったエレーヌ・フールマン」(1631年)、帝政ローマ初期の詩人オウィディウスの祭暦を題材にしたヴィーナス像を中心にローマの女たちによる祭事「ヴィーナスの饗宴 (1635年頃)」、自画像 (1639年頃)など数多くが展示されている。
次に1階に向かう。こちらは、イタリア金細工師で彫刻家ベンベヌート・チェリーニ(1500~1571)が1543年にフランス王フランソワ1世のために制作した金細工「サリエラ」(食卓用塩入れ)で、ルネサンス期の最も重要な作品の一つ。作品は、女性が大地、男性が海を表す寓意像で、幅33.5センチメートル、高さ26センチメートル、反対側が塩入れトレイで、手前の寺院がペッパー入れとなっている。
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作品は、1570年にフランス王シャルル9世から、結婚式で代理人を務めたオーストリア(チロル)大公フェルディナント2世(マクシミリアン2世の弟)へのお礼として贈られた。ところで、サリエラは、2003年5月11日の深夜、当時展示されていたラファエル室から盗まれ大きなニュースとなったが、2006年にウィーンから90キロメートル離れた北の森で発見された。
そして、こちらは世界三大カメオの一つ「アウグストゥスの宝玉」(9~12年頃)。幅23センチメートルほどの紅縞瑪瑙に、女神ローマ、初代ローマ皇帝アウグストゥス(上段)や、戦勝碑を掲げるローマ兵士と捕虜の姿(下段)などが繊細に浮彫されたもの。13世紀に、トゥールーズのサン・セルナン聖堂の宝物庫にあったが、空白期間の後、ハプスブルク家ルドルフ2世が取得した。
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1階は、古代ギリシャ・ローマ、古代エジプト・オリエントコレクションとあるが、展示数が多くて全て鑑賞できなかった。3時間半ほどで美術館を後にした。。
更にシシーチケットを購入しているので、旧王宮(宮廷銀器コレクション、シシィミュージアム、皇帝の部屋)と王宮家具博物館に向かう。リング通りを渡りブルク門を抜けて英雄広場の東側に建つ王宮のミヒャエル門内の中央ドーム下が、宮廷銀器コレクション会場への入口になる。
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代表的な展示品の一つが、こちらの「グラン・フェルメイユ」である。金細工では最高峰と言われる約4500点の食器で1トンを越える重量になる。フェルメイユとは、フランス語で銀器に熱金メッキを施した技法を意味している。
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こちらは1870年にウィリアム・コールマンがデザインしたイギリス最高級陶磁器「ミントン」の食器セットで、昆虫、鳥、海 の動物や植物などが描かれている。皇后エリーザベトから夫、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に贈られたもの。
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1851年制作の「フランス風センターピース」。ブロンズに金メッキされた巨大な燭台で、つる草や巻貝のロカイユ模様にプットが遊び、野生動物や鳥たちも躍動した豪華な装飾が特徴。顧問官や大臣などが集う晩餐会などで食卓を飾っていた。
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緑のリボンが鮮やかなディナー・セットは、フランス王ルイ15世から皇后マリア・テレジアへ贈られたもの。フランスのセーブルに設立された王立磁器工房の傑作で、波打って交差する緑のリボンが特徴で、バロック時代の金細工に遡るもの。リボンの合間には繊細なロココ風なデザインが施されている。
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上の展示台は、1777年に製造されたセーヴル磁器で「オリオ」と呼ばれるスープ用の丸いテリーヌ。優雅なカーブの4つの脚部からは金色の穂がデザインされ、受け皿には、花、農産物、 農具などが描かれ、多産と実り豊かな農作業を象徴している。フランスに嫁いだマリー・アントワネットが、兄であるヨーゼフ2世にヴェルサイユ宮殿訪問の返礼品として贈ったもの。
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下の展示台は、扇、アヒル、魚、スワンなど複雑に折りたたまれたナプキンで、バロック初期に皇帝家のディナーの装飾として珍重された。王宮には17世紀から伝えられる芸術的な折り方見本の数々が残されている。
次にUバーン3号線ツィーグラーガッセ駅からすぐの王宮家具博物館にやってきた。博物館には午後5時に到着したため、閉館まで1時間ほどの見学時間となる。シシーチケットを提示し入場して見学を始めたが、館内は広く、通路の両側には、ひしめく様に家具が並んでおり、時間も少ないのでやや焦りながら通路を進んで行った。。
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展示ルートの中ほどに、イタリア家具職人で、キャビネット作りのマスターのジュゼッペ・マッジョリーニ(1738~1814)によるローズウッドとメープルによる寄木細工「皇后マリア・テレジアの机」や、周りに、シェーンブルン宮殿で使用された1760年頃のロココ様式の椅子が展示されている。壁面には、皇后マリア・テレジアの肖像画が飾られている。
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こちらの展示室中央には、ドイツ宮廷画家フランツ・ヴィンターハルターによる「ダイアモンド・スターを髪にあしらった皇后エリザーベト(1864年)」が飾られている。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が画家に依頼したもので、出来上がりにはフランツ自身大変満足したと伝えられている。この頃のエリザーベトは、出産後のルドルフ皇太子の養育や教育をめぐり宮廷内の確執等で患った貧血や結核などの病から徐々に回復しつつあったころ。
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エリーザベト・マリーが亡くなった1963年に国に寄贈した遺品と絵画。彼女の父は、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリザーベトの息子のルドルフ皇太子(1858~1889)だったが、ルドルフは彼女が5歳の時に「マイヤーリンク事件」で亡くなっている。ピアノや椅子はルドルフ皇太子が子供時代から使用したもので、壁には父ルドルフと母ステファニーの肖像画などが展示されている。
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こちらは、ホーフブルク王宮の「評議会会議室」にあった天蓋付きの玉座。この会議室で1900年6月、70歳を目前に控えた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の下、皇帝の弟カール・ルートヴィヒ大公の長男で皇帝の甥にあたるフランツ・フェルディナント大公の帝位継承に関する会議が催された。フェルディナント大公は帝位継承者に指名されるものの、貴賎結婚を望んだことから子孫には帝位継承権を与えない宣言をすることで結婚が承認された。
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ちなみにフェルディナント大公が帝位継承者となったのは、1889年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の息子の皇太子ルドルフが死去し、同年には妻で皇后エリーザベトが無政府主義者に暗殺されたこと、更に弟のカール・ルートヴィヒ大公も1896年に死去したことによる。
展示室の後半には、オーストリア映画「シシー3部作」で使用された家具が展示されている。こちらは、皇后エリザーベト役のロミー・シュナイダーと皇帝フランツ・ヨーゼフ1世役のカールハインツ・ベームが映画で使用した椅子で、主演2人の写真とともに展示されている。
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シシー3部作は、プリンセス・シシー、若き皇后シシー、ある皇后の運命の歳月(1955~1957)と制作された。物語はシシーの生い立ちから結婚を経てオーストリア皇后になるものの、宮廷生活での義母ゾフィー大公妃との確執から逃避、そしてハンガリーへの熱望、結核による家族との別れ、最後は領地ヴェネチアでの娘との感動の再会で終わる。作品は中々の良作で、オーストリアでは、年末にテレビ放映するのが恒例となっている。主演のロミー・シュナイダーは、後年、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ルートヴィヒ」(1972)でも皇后エリザベートを演じている。
展示室の数か所には、写真パネルを設置したり、TVモニターを設置して家具の登場場面を1分ほど繰り返し紹介している。映像では椅子、テーブル、鏡台、ベッドなど家具以外の人物や背景をモノクロ映像に変化させることで、家具を目立たせている。他に、映画のスチール写真や映画のストーリーパネルも並べられシシーの映画紹介コーナーの様でもあったがこれはこれで良かった。
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閉館の午後6時と同時に博物館を後にし、坂道を下ると、Uバーン3号線ツィエグラーガッセ駅で、東西に「マリアヒルファー通り」が通っている。そして東への500メートル区間が歩行者専用通りで市民に人気の庶民的なショッピング街になる。
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歩行者専用通りの終点手前の右側には、マリアヒルファー教会が建っている。1656年にミカエル教会の墓地教会として建てられ、現在の教会は、1683年の第二次ウィーン包囲で破壊された後の1711年から1758年にかけて再建されたもの。その後も何度か改修され現在に至っている。広場には、作曲家ハイドン(1732~1809)の銅像が飾られている。
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マリアヒルファー教会の先からマリアヒルファー通りは前方からの一方通行の車道と歩道になる。ここから約1キロメートル先でリング通りと交差し、向かい側が王宮エリアとなる。マリアヒルファー通りは、ハプスブルグ家の馬車道であったことから、19世紀初頭には郊外で最初にガス灯が設置された。
左側には、多くの専門店が集まるショッピングモール「ゲルングロス」があり、特に日用品の品揃えが充実している。ザラ(ZARA)や、フードコートも充実している。前方に見える尖塔は聖十字架教会(1739年築)で、右側の4階建てのクリーム色の建物は、ウィーン民衆劇の作家フェルディナント・ライムント(1790~1836)の生誕地「ヒルシェンハウス(牡鹿館)」である。
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その1階の装飾門の上部には牡鹿の金の浮彫が飾られ、門の奥に通路(ライムントホーフ)が延びている。通路は200メートル先のグンペンドルファー通りまで続いている。
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門をくぐると中庭になり、左右に宝石店、美容院、カフェなどが営業している。中庭の先には、ヒルシェンハウスの南門があり、通路が続いていく。
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階段がありカフェの小さなテラスがある。ライムントホーフが特徴的なのは、高低差20メートルの階段が続く途中にもこのようにショップやレストランがあること。その先にも階段があり、更にその先には左右の建物の3階から下りる階段になり、横にはエレベータが設置されている。階段を下り切って振り返ると、途中に踊場があるものの直線階段なので結構な高低差を感じる。
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更に南に下り、リンケ・ヴィーンツァイレ通りまで出て、ウィーンの台所ナッシュマルクトを通り、カールスプラッツまで歩いた。
翌朝、Sバーン(Line7)に乗り空港に向かった。電車は、途中、ウィーン中央墓地の南門から外壁沿いをしばらく進んで行く。墓地は1874年に建設され、200ヘクタールの広大な敷地を持ち、音楽家や画家など多くの著名人が眠っており、映画「第三の男」を始め映画の舞台としても登場する。
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(2018.7.10)
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