今から8区にあるジャックマール・アンドレ美術館に行く。
9番線に乗りミロメニル(Miromesnil)駅で降りて450メートル歩いたオスマン通り沿いにある。このあたりは高級邸宅が多い。
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ちなみに、現在のパリの街並みは、1853年、皇帝ナポレオン3世の統治下、セーヌ県知事に任命されたオスマン男爵の手によるもの。今までスラム街のようだったパリは、その約17年の歳月を要した後、世界中の人々から賞賛される「花の都」へと大変身を遂げた。このオスマン通りは、そのオスマン男爵の名にちなんでいる。
まもなく12時半。このあたりは同じような外観の邸宅が並んでいるので、懸垂幕がなければ通り過ぎそうである。黒い鉄扉を抜けると薄暗い通路が10メートルほど続いて左手に入口があった。中に入りチケットを購入する。しかしここはチケット売り場とショップだけで美術館は外のようだ。
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再度外に出て更に奥へ坂道を歩き、左に回り込むと正面に巨大な建物が現れた。これがジャックマール・アンドレ美術館である。入口左右のライオン像が出迎えてくれる。
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この美術館は、1869年に銀行家エドゥアール・アンドレと、その妻、画家のネリー・ジャックマールの邸宅であり、2人が収集したイタリア・ルネサンス、18世紀フランス、そしてオランダなどの絵画作品に加えて美術工芸品、家具、調度品等が展示されている。
入口を入り左手の部屋には、ジャン・マルク・ナティエの「ダンタン公爵夫人」が展示されている。この作品はこの美術館の公式図録の表紙や各宣伝のポスター、ウェブトップにも登場する等、イメージキャラクターになっている。ジャン・マルク・ナティエは、ルイ15世時代のフランスで肖像画家である。彼が描く優美にして繊細なタッチは、当時一世を風靡した。
なお、その上の楕円額縁の画は、フランソワ・ブーシェのビーナスである。
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ジャックマール・アンドレ美術館Hpより 「ダンタン公爵夫人(マチルド・ドゥ・キャニーの肖像)1738年」
次に向かった部屋は「タペストリーのサロン(Salon des tapisseries)」。正面と左右に3枚のタペストリーが掛けられている。このタペストリーは、18世紀、ボーヴェのタペストリー工場で編まれたもの。ブルー・パールとローズ色を基調にロシア・スラブ地方の風景と人物が織り込まれている。原画はフランスの画家で、ブーシェに師事した、ル・プランス(Jean-Baptiste Le Prince 1734~1781年)によるもの。
また、ソファの前の絵画スタンドに置かれた絵は18世紀イタリアを代表するヴェネツィアの景観画家、フランチェスコ・グアルディの作品である。
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ジャックマール・アンドレ美術館Hpよりフランチェスコ・グアルディ「ポルチコ・ベネティアン(Portique venitien)1760年」
こちらは、「書斎( La Bibliotheque)」。室内にはルイ14世時代の家具などが配置され、壁にはレンブラント、ヴァン・ダイク、ルイスダール、フランス・ハルス、フィリップ・ドゥ・シャンペーニュなどのフランドル絵画やオランダ絵画のコレクションが展示されている。
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正面の一番小さい画は、レンブラントの「エマオの巡礼者」(Les Pelerins)。画面に向かって右のシルエットの人物はキリストをあらわしている。巡礼者(キリストの弟子)が光を正面に受け、驚く瞬間を劇的に表現している。更に別の薄暗い光によって浮かび上がっている人物も見える。光の扱いがかなり大胆な作品である。
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こちらの「冬の庭(Le Jardin d'hiver)」と名付けられた温室そばの大理石のホールには、彫像やローマ時代のレリーフが並んでいる。
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コリント式の茶色の大理石柱の奥は、吹き抜けになっており、左右に螺旋階段がある。「名誉の階段(L'escalierd' honneur)」と名付けられている。
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名誉な階段を上がって行くと、壁面に巨大なフレスコ画が現れる。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの「アンリ3世の歓迎(1745年)」である。ティエポロは、ルネサンス期絵画の最後の巨匠。この画は、ヴェネツィアを訪問したフランス王アンリ3世がコンタリーニ公の歓迎を受けている様子が描かれている。中央で首にラッフルを付けて右手を差し出している人物がアンリ3世であり、その手を取る老人がフェデリコ・コンタリーニ公。
ところで、向かって右下に、この歓迎風景を見ている男が描かれているが、足が画からはみ出しているのがなんともおかしい。
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このフレスコ画の左右には、更にこの歓迎風景を覗く人物たちのフレスコ画がある。芸が細かい。
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振り向いて2階の廊下を歩くと、正面にヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオの「フェデリーコ2世・ゴンザーガの肖像(1560年)」が展示されている。フェデリーコ2世は、第4代マントヴァ侯フランチェスコ2世とイザベラ・デステの子で、マントヴァ侯を継いだ。彼は母親譲りの文化愛好者であった。このころがルネサンスの宮廷文化の黄金期といわれた。
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こちらは、ペルジーノの「聖母子像(1500年)」。ペルジーノは、ルネサンス期のイタリアのウンブリア派を代表する画家で、ラファエロの師でもあった。彼はゆったりとした空間構成、牧歌的な風景、甘美な聖母子像を描くことで人気があった。背景の青の風景は清々しい清涼感を与えてくれる。
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さて、まもなく15時になる。遅めのランチをとることに。1階に降りて入口横にあるサロン・ド・テに向かう。天井にはフレスコ画、周りにはタペストリーが飾られている。
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ランチタイムは15時までなので、ギリギリセーフであった。お昼の時間は行列ができるほどの人気があるが、この時間になるとゆっくりできる。
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さて、満腹になり、再び螺旋階段で2階に戻る。
ここは、アトリエ(L'atelier)。この部屋にも多くの美術品や調度品が飾られている。奥の壁に見える楕円状の聖母子像(15世紀)はルネサンス期イタリアのセラミックス彫刻家ルカ・デッラ・ロッビアの作品。その他にもロッビア工房のセラミック作品が飾られているが、小さい上に離れていて良く見えない。
正面の大きな画は、13世紀シエナ派のピエトロ・デ・ジョバンニ・ダンブロシオ(Pietro di Giovanni d'Ambrosio)作の「聖カタリナ(1444年)」、そして向かって左の円柱上のブロンズ胸像は、ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ(1509~1566年)作の「ミケランジェロ像」。彼は晩年のミケランジェロとの交際で知られている。
手前の机上のガラスケースの中にも板状のブロンズ像が見える。
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このブロンズ像はドナテッロの「聖セバスティアヌスの殉教(1450年)」。聖セバスティアヌスの殉教は、ルネサンス期に多くの画家によって描かれた。半裸の姿で体をゆがませたポーズをとり、体に矢を受けている構図が多い。しかし、この像は、矢を受けている聖セバスティアヌスに加えて聖イレーネ、射手たちが彫られている。
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アトリエ(L'atelier)の隅に見える胸像は「ロレンツォ・ソデリーニ像(15世紀)」。ソデリーニ家はフィレンツェの名門である。彼の孫には、1512年にフィレンツェ共和国の元首(正義の旗手)となったピエロ・ソデリーニがいる。
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正面に見える胸像は、ダルマツィア出身の彫刻家、フランチェスコ・ラウラーナの「イサベル・デ・アラゴン(1500年)」。凛として静かな表情だが美しい像である。
その上は、「シジズモンド・パンドルフォ・マラテスタの肖像(1468年)」。彼はリミニの領主であり、領土拡大のために徹底的に行動したため、法王ピウス2世の嫉妬を買い、1460年に破門されてしまう。それ以来、教皇庁との争いのために、残忍な異教徒としての世評が立つが、彼は最高の芸術家たちを招聘するなどし、リミニをルネサンス芸術の地に変えた。
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こちらは、パオロ・ウッチェロの「聖ゲオルギウスの竜退治、1430年~1435年頃」である。ウッチェロは、初期ルネサンスを代表する人物であり、遠近法を科学的アプローチで駆使した絵画を創出した画家である。この作品は手前の道から都市の門に向けて遠近法が使われているが、登場人物たちは、前面に帯状に整列させられ、単純な構図になっており、やや不自然な印象を感じる。彼は、同時代に初期の代表作サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のフレスコ画「ジョン・ホークウッド騎馬像」を描いている。この画は、台座の上の騎馬像は正面から見たように描かれているが、台座は下から見上げるように描かれていることから不自然な遠近法であるとの評価も受けている。
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この画の舞台は、トルコ・カッパドキアの首府ラシアである。この街はずれに毒気を振りまき、人に咬み付く恐ろしい竜が住んでいたが、羊を生贄に捧げることにより、何とかその災厄から逃れていた。しかし、遂に生贄にするべき羊がいなくなり、人間を生け贄として差し出すことになり、くじ引きをしたところ、王様の娘に当たってしまった。そこに聖ゲオルギウスが通りかかり、彼は竜に戦いを挑み、勝利する。聖ゲオルギウスは喜ぶ街の人たちをキリスト教に改宗させて去っていったという。
ウッチェロは、生涯に2度、この「聖ゲオルギウスの竜退治」を描いている。さて、(参考として)こちらがロンドン・ナショナル・ギャラリー版である。こちらは遠近法に違和感は感じられず、聖ゲオルギウスと竜にも躍動感が感じられる。1460年~1470年頃に描かれたとされているため、ジャックマール・アンドレ版から約30年が経過している。個人的には、玩具のような竜が描かれたジャックマール・アンドレ版の方が、不自然とはいえ、何とも味のある作品に仕上がっており、愛着を感じるが、いかがであろう。
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こちらも名品が並んでいる。
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正面の大きな絵は、初期ヴェネツィア派を代表する画家の1人、ヴィットーレ・カルパッチョの「L'Ambassade d'Hippolyte,reine des Amazones,aupres de Thesee,roi d'Athenes(1495年)」。この画は宗教画でなくギリシア神話の世界が描かれている。ミュケナイ王は、ヘラクレスにアマゾネスの女王ヒッポリュテーの腰帯を取って来いとの命令をくだしたため、アテナイ王テセウスともに、アマゾネスの国に向かう。これは、個性的な帽子をかぶり馬に乗ったアマゾネス7人の女性戦士とテセウスとの交渉場面を描いている。
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向かってその右隣には、ボッティチェッリの「エジプトへの脱出(1505年)」。ヘロデ王による嬰児殺しを避けるために行われた幼子イエスを抱くマリアとヨセフとの逃避行である。
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ここにもジョヴァンニ・ベリーニ、アンドレア・マンテーニャ、カルロ・クリヴェッリなどの大作ぞろいだ。
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中心に飾られているのは、ジョヴァンニ・ベリーニの「聖母子像(1510年)」。この美術館のメインの一つともいえる作品。ベリーニはヴェネツィア派の第一世代(15世紀)最大の巨匠で、祭壇画、ピエタ・磔刑などキリストを主題とする宗教的作品を多く描いている。
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ジャックマール・アンドレ美術館Hpよりジョヴァンニ・ベリーニの「聖母子像(1510年)」
向かって右端のマンテーニャの祭壇画の下にある小さな画は、カルロ・クリヴェッリの「聖人たち(1493年)」。左から、剣を持つ聖パウロ、中央が聖アウグスティン、右端が聖ブルーノ。この指を咥えるポーズは、さまよう隠者のシンボルを表しているとのこと。クリヴェッリは15世紀に流行したパドヴァ派の画家である。
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なんとも華麗なる邸宅に素晴らしいコレクションの数々。すっかり堪能した。時計を見ると17時になっていた。では次に向け出発!
9番線に乗りミロメニル(Miromesnil)駅で降りて450メートル歩いたオスマン通り沿いにある。このあたりは高級邸宅が多い。
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ちなみに、現在のパリの街並みは、1853年、皇帝ナポレオン3世の統治下、セーヌ県知事に任命されたオスマン男爵の手によるもの。今までスラム街のようだったパリは、その約17年の歳月を要した後、世界中の人々から賞賛される「花の都」へと大変身を遂げた。このオスマン通りは、そのオスマン男爵の名にちなんでいる。
まもなく12時半。このあたりは同じような外観の邸宅が並んでいるので、懸垂幕がなければ通り過ぎそうである。黒い鉄扉を抜けると薄暗い通路が10メートルほど続いて左手に入口があった。中に入りチケットを購入する。しかしここはチケット売り場とショップだけで美術館は外のようだ。
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再度外に出て更に奥へ坂道を歩き、左に回り込むと正面に巨大な建物が現れた。これがジャックマール・アンドレ美術館である。入口左右のライオン像が出迎えてくれる。
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この美術館は、1869年に銀行家エドゥアール・アンドレと、その妻、画家のネリー・ジャックマールの邸宅であり、2人が収集したイタリア・ルネサンス、18世紀フランス、そしてオランダなどの絵画作品に加えて美術工芸品、家具、調度品等が展示されている。
入口を入り左手の部屋には、ジャン・マルク・ナティエの「ダンタン公爵夫人」が展示されている。この作品はこの美術館の公式図録の表紙や各宣伝のポスター、ウェブトップにも登場する等、イメージキャラクターになっている。ジャン・マルク・ナティエは、ルイ15世時代のフランスで肖像画家である。彼が描く優美にして繊細なタッチは、当時一世を風靡した。
なお、その上の楕円額縁の画は、フランソワ・ブーシェのビーナスである。
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ジャックマール・アンドレ美術館Hpより 「ダンタン公爵夫人(マチルド・ドゥ・キャニーの肖像)1738年」
次に向かった部屋は「タペストリーのサロン(Salon des tapisseries)」。正面と左右に3枚のタペストリーが掛けられている。このタペストリーは、18世紀、ボーヴェのタペストリー工場で編まれたもの。ブルー・パールとローズ色を基調にロシア・スラブ地方の風景と人物が織り込まれている。原画はフランスの画家で、ブーシェに師事した、ル・プランス(Jean-Baptiste Le Prince 1734~1781年)によるもの。
また、ソファの前の絵画スタンドに置かれた絵は18世紀イタリアを代表するヴェネツィアの景観画家、フランチェスコ・グアルディの作品である。
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ジャックマール・アンドレ美術館Hpよりフランチェスコ・グアルディ「ポルチコ・ベネティアン(Portique venitien)1760年」
こちらは、「書斎( La Bibliotheque)」。室内にはルイ14世時代の家具などが配置され、壁にはレンブラント、ヴァン・ダイク、ルイスダール、フランス・ハルス、フィリップ・ドゥ・シャンペーニュなどのフランドル絵画やオランダ絵画のコレクションが展示されている。
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正面の一番小さい画は、レンブラントの「エマオの巡礼者」(Les Pelerins)。画面に向かって右のシルエットの人物はキリストをあらわしている。巡礼者(キリストの弟子)が光を正面に受け、驚く瞬間を劇的に表現している。更に別の薄暗い光によって浮かび上がっている人物も見える。光の扱いがかなり大胆な作品である。
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こちらの「冬の庭(Le Jardin d'hiver)」と名付けられた温室そばの大理石のホールには、彫像やローマ時代のレリーフが並んでいる。
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コリント式の茶色の大理石柱の奥は、吹き抜けになっており、左右に螺旋階段がある。「名誉の階段(L'escalierd' honneur)」と名付けられている。
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名誉な階段を上がって行くと、壁面に巨大なフレスコ画が現れる。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの「アンリ3世の歓迎(1745年)」である。ティエポロは、ルネサンス期絵画の最後の巨匠。この画は、ヴェネツィアを訪問したフランス王アンリ3世がコンタリーニ公の歓迎を受けている様子が描かれている。中央で首にラッフルを付けて右手を差し出している人物がアンリ3世であり、その手を取る老人がフェデリコ・コンタリーニ公。
ところで、向かって右下に、この歓迎風景を見ている男が描かれているが、足が画からはみ出しているのがなんともおかしい。
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このフレスコ画の左右には、更にこの歓迎風景を覗く人物たちのフレスコ画がある。芸が細かい。
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振り向いて2階の廊下を歩くと、正面にヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオの「フェデリーコ2世・ゴンザーガの肖像(1560年)」が展示されている。フェデリーコ2世は、第4代マントヴァ侯フランチェスコ2世とイザベラ・デステの子で、マントヴァ侯を継いだ。彼は母親譲りの文化愛好者であった。このころがルネサンスの宮廷文化の黄金期といわれた。
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こちらは、ペルジーノの「聖母子像(1500年)」。ペルジーノは、ルネサンス期のイタリアのウンブリア派を代表する画家で、ラファエロの師でもあった。彼はゆったりとした空間構成、牧歌的な風景、甘美な聖母子像を描くことで人気があった。背景の青の風景は清々しい清涼感を与えてくれる。
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さて、まもなく15時になる。遅めのランチをとることに。1階に降りて入口横にあるサロン・ド・テに向かう。天井にはフレスコ画、周りにはタペストリーが飾られている。
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ランチタイムは15時までなので、ギリギリセーフであった。お昼の時間は行列ができるほどの人気があるが、この時間になるとゆっくりできる。
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さて、満腹になり、再び螺旋階段で2階に戻る。
ここは、アトリエ(L'atelier)。この部屋にも多くの美術品や調度品が飾られている。奥の壁に見える楕円状の聖母子像(15世紀)はルネサンス期イタリアのセラミックス彫刻家ルカ・デッラ・ロッビアの作品。その他にもロッビア工房のセラミック作品が飾られているが、小さい上に離れていて良く見えない。
正面の大きな画は、13世紀シエナ派のピエトロ・デ・ジョバンニ・ダンブロシオ(Pietro di Giovanni d'Ambrosio)作の「聖カタリナ(1444年)」、そして向かって左の円柱上のブロンズ胸像は、ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ(1509~1566年)作の「ミケランジェロ像」。彼は晩年のミケランジェロとの交際で知られている。
手前の机上のガラスケースの中にも板状のブロンズ像が見える。
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このブロンズ像はドナテッロの「聖セバスティアヌスの殉教(1450年)」。聖セバスティアヌスの殉教は、ルネサンス期に多くの画家によって描かれた。半裸の姿で体をゆがませたポーズをとり、体に矢を受けている構図が多い。しかし、この像は、矢を受けている聖セバスティアヌスに加えて聖イレーネ、射手たちが彫られている。
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アトリエ(L'atelier)の隅に見える胸像は「ロレンツォ・ソデリーニ像(15世紀)」。ソデリーニ家はフィレンツェの名門である。彼の孫には、1512年にフィレンツェ共和国の元首(正義の旗手)となったピエロ・ソデリーニがいる。
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正面に見える胸像は、ダルマツィア出身の彫刻家、フランチェスコ・ラウラーナの「イサベル・デ・アラゴン(1500年)」。凛として静かな表情だが美しい像である。
その上は、「シジズモンド・パンドルフォ・マラテスタの肖像(1468年)」。彼はリミニの領主であり、領土拡大のために徹底的に行動したため、法王ピウス2世の嫉妬を買い、1460年に破門されてしまう。それ以来、教皇庁との争いのために、残忍な異教徒としての世評が立つが、彼は最高の芸術家たちを招聘するなどし、リミニをルネサンス芸術の地に変えた。
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こちらは、パオロ・ウッチェロの「聖ゲオルギウスの竜退治、1430年~1435年頃」である。ウッチェロは、初期ルネサンスを代表する人物であり、遠近法を科学的アプローチで駆使した絵画を創出した画家である。この作品は手前の道から都市の門に向けて遠近法が使われているが、登場人物たちは、前面に帯状に整列させられ、単純な構図になっており、やや不自然な印象を感じる。彼は、同時代に初期の代表作サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のフレスコ画「ジョン・ホークウッド騎馬像」を描いている。この画は、台座の上の騎馬像は正面から見たように描かれているが、台座は下から見上げるように描かれていることから不自然な遠近法であるとの評価も受けている。
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この画の舞台は、トルコ・カッパドキアの首府ラシアである。この街はずれに毒気を振りまき、人に咬み付く恐ろしい竜が住んでいたが、羊を生贄に捧げることにより、何とかその災厄から逃れていた。しかし、遂に生贄にするべき羊がいなくなり、人間を生け贄として差し出すことになり、くじ引きをしたところ、王様の娘に当たってしまった。そこに聖ゲオルギウスが通りかかり、彼は竜に戦いを挑み、勝利する。聖ゲオルギウスは喜ぶ街の人たちをキリスト教に改宗させて去っていったという。
ウッチェロは、生涯に2度、この「聖ゲオルギウスの竜退治」を描いている。さて、(参考として)こちらがロンドン・ナショナル・ギャラリー版である。こちらは遠近法に違和感は感じられず、聖ゲオルギウスと竜にも躍動感が感じられる。1460年~1470年頃に描かれたとされているため、ジャックマール・アンドレ版から約30年が経過している。個人的には、玩具のような竜が描かれたジャックマール・アンドレ版の方が、不自然とはいえ、何とも味のある作品に仕上がっており、愛着を感じるが、いかがであろう。
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こちらも名品が並んでいる。
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正面の大きな絵は、初期ヴェネツィア派を代表する画家の1人、ヴィットーレ・カルパッチョの「L'Ambassade d'Hippolyte,reine des Amazones,aupres de Thesee,roi d'Athenes(1495年)」。この画は宗教画でなくギリシア神話の世界が描かれている。ミュケナイ王は、ヘラクレスにアマゾネスの女王ヒッポリュテーの腰帯を取って来いとの命令をくだしたため、アテナイ王テセウスともに、アマゾネスの国に向かう。これは、個性的な帽子をかぶり馬に乗ったアマゾネス7人の女性戦士とテセウスとの交渉場面を描いている。
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向かってその右隣には、ボッティチェッリの「エジプトへの脱出(1505年)」。ヘロデ王による嬰児殺しを避けるために行われた幼子イエスを抱くマリアとヨセフとの逃避行である。
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ここにもジョヴァンニ・ベリーニ、アンドレア・マンテーニャ、カルロ・クリヴェッリなどの大作ぞろいだ。
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中心に飾られているのは、ジョヴァンニ・ベリーニの「聖母子像(1510年)」。この美術館のメインの一つともいえる作品。ベリーニはヴェネツィア派の第一世代(15世紀)最大の巨匠で、祭壇画、ピエタ・磔刑などキリストを主題とする宗教的作品を多く描いている。
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ジャックマール・アンドレ美術館Hpよりジョヴァンニ・ベリーニの「聖母子像(1510年)」
向かって右端のマンテーニャの祭壇画の下にある小さな画は、カルロ・クリヴェッリの「聖人たち(1493年)」。左から、剣を持つ聖パウロ、中央が聖アウグスティン、右端が聖ブルーノ。この指を咥えるポーズは、さまよう隠者のシンボルを表しているとのこと。クリヴェッリは15世紀に流行したパドヴァ派の画家である。
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なんとも華麗なる邸宅に素晴らしいコレクションの数々。すっかり堪能した。時計を見ると17時になっていた。では次に向け出発!