カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インド・アジャンター(その2)

2013-04-11 | インド(エローラ、アジャンター)
時刻は午前11時半になった。アジャンター石窟寺院の第15窟を過ぎると、エレファントゲートと呼ばれる大きな象の彫刻が左右を飾る場所に到着する。この辺りが、石窟群のなかで最も標高が高い位置にあたる。ゲートの奥には菩薩椅像の祠があり、手前の細い階段を左に上って行く。なお、7世紀頃の石窟群のメイン入口は、この場所だったとされている。


階段を上ったすぐ右側(エレファントゲートの真上にあたる)に第16窟がある。この窟は4世紀頃、デカン高原を中心に栄えたヴァーカータカ朝(3世紀~にインド北部を統一したグプタ朝と同時期)が後押しして開窟した。

この時間になるとかなり観光客が増えてきた。これ以上増えると入場制限をされるのではないかと少し気になった。

第16窟は、中央空間を取り囲む様に左右に側廊があり、多くの壁画が描かれているが、かなり剥落している。左の側廊には、ナンダの出家物語が描かれている。仏陀の異母兄弟のナンダは、仏陀出家後、シャカ族の王位継承者だったが、仏陀を追って出家してしまう。ここでは、それを知って悲しみに倒れた新妻が、背後から侍女に抱きかかえられ、周りからは侍女にいたわられる姿が描かれている。
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他にも、シュラーヴァスティーの奇跡、マーヤー夫人の託胎霊夢、シッダールタ王子を訪れるアシタ仙人、尼蓮禅河でのスジャータの供物(乳粥)などの仏伝が描かれ見どころの窟であるが、剥落が激しすぎて識別はかなり困難である。。

さて、小さな岩肌を超えるとすぐに第17窟が現れる。入口には直射日光を遮るフードかかけられており、手前には多くの履物が置かれている。


前廊天井には曼荼羅を中心に一面草花の壁画で埋め尽くされている。


石窟中央入口の上部には、多くの仏陀像が描かれている。前廊でこれだけ壁画が残っているのは貴重だ。
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中央扉口に向かって左上には、ヴェッサンタラ・ジャータカ(布施行の重要さを表す説話)のヴェッサンタラ王子家族の様子が描かれている。
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前廊から窟内に入ると、第16窟と同様に、中央空間を取り囲む様に左右の側廊は壁画で埋め尽くされている。壁画の題材は、仏陀の前生、ジャータカ物語を中心に描かれているが、やはり窟内はかなり暗いため、識別には厳しいものがある。壁画保護のためにはやむを得ないのだが。


窟内入口に入ってすぐ左側の壁面には、六牙白象の物語が描かれている。ヒマラヤ山中の蓮池に、6本の白い牙を持つ象王とその象の一群が生活していたが、象王の第一夫人に嫉妬した第二夫人が死んでしまう。その後カーシー国の妃に生まれ変わった第二夫人から象王の牙を持ってくるように命じられた猟師が、象王に6本の牙を懇願したことから、象王は自ら牙を抜き、猟師に布施し死んでしまう。象王は仏陀の前世における菩薩の姿であるとされる。


窟内は、第1窟、第2窟に匹敵する広さ(34.5メートル×25.63メートル)があり、中央空間は、20本の巨大な八角形の柱で囲まれているが、その柱も壁画で埋め尽くされている


第18窟は2本の柱で支えられる小さな空間で、貯水池として利用されていたとされる。その空間から左側の扉をくぐり、岩肌に沿って通路を進んだところに、左右に脇堂を配した第19窟がある。


第9窟、第10窟同様に馬蹄形の窓があるチャイトヤ窟だが、第9窟よりやや小ぶりな造り(16.05メートル×7.09メートル)である。5世紀に開窟されたことから、アジャンター石窟寺院の中では後期にあたる。両側にヤクシャーの彫刻があり、入口正面は、柱の上部にポーチをつけた張り出し状になっており、繊細な彫刻が随所に施されている。窓の内側には、色彩も残っている。
 

側面璧には多くの立像が彫られている。


窟内は他のチャイトヤ窟同様に多くの柱で身廊と背後の側廊とにわかれている。身廊の中央奥には、ストゥーパと仏陀立像が祀られている。


ストゥーパの覆鉢部分は小ぶりで、むしろ頂部の傘竿が巨大化され、ヤクシャらしき像が三重の傘蓋を支える姿で表現されている。もともとインドは陽射しが強いことから、貴人には日傘を差し掛けるのが礼儀とされたため、ストゥーパにもデザインされたものだが、なんとも手が込んだものとなっている。そして、仏陀像の左右には荘厳された円柱などが配され、頭部は、覆鉢部分を半円に切り込まれ、光背のようにも、或いは荘厳された厨子内に祀られているようにも見える。
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柱頭部分と梁にも多くの浮彫がある。ヴォールト天井にはリブが造られており壁画も見える。第19窟は、全体的に古代のジャイナ教とヒンズー教の影響を受けた石窟寺院となっている。


第20窟は、5世紀に開窟されたが、未完成のまま工事は中止されている。


入口アーケードを構成する柱頭にはヤクシニーが彫られている。


窟内は、16.2メートル×17.91メートルと小さく簡素な空間だが、細かい浮彫が施された前廊を持つ大ぶりな仏堂がある。


次の第21窟へは、少し離れており階段の上り降りが続く通路が続いた先にある。


内部の柱頭にはわずかに彫刻があるが、仏堂前の壁には彫刻がない。天井には、わずかながら、壁画が残っている。


天井には草花や幾何学模様が描かれているが、大きく剥離している。


第22窟、第23窟と未完成窟が続く。


第24窟に入ると床は大きな凹凸がある。まさに、工事途中である。


第25窟も未完成窟。第26窟は第19窟同様の後期チャイトヤ窟で、馬蹄形の窓が見える。窓の下のポーチは残念ながら崩落してしまっている。


第26窟は、5世紀後半から6世紀前半に開窟された。窟内は第19窟と似ているが、かなり広い(25.34メートル×11.52メートル)。また、天井を覆うヴォールトの丈はかなり嵩高になっている。まるで輪垂木をはめ込んでいるようである。


仏像とストゥーパの一体化は第19窟以上に進んでいるように思える。ストゥーパの覆鉢部分には、水の精アプサラスが、表現され、その下部にも多くのパネルが並んでいる。そしてストゥーパの後部にも、多くのパネルが彫刻されており、ストゥーパと言うより仏陀の座る玉座のようにも見える。
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仏陀の両肩上部には飛天がみえる。
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柱頭の側面下部には裸の童子の壁画が残されている。


そして、ストゥーパに向かって左柱の側廊壁面には巨大な涅槃像がある。


穏やかなお顔である。台座には、弟子たちの悲しむ姿が彫られている。見事な彫刻である。


側廊壁面には他にも多くの彫刻がみられる。


三尊像が掘られた龕が連続して並んでいる。


涅槃像の右側には、降魔成道像が表現されている。仏陀は悟りを開くためにブッダ・ガヤーの菩提樹の下に座していた時、魔王(マーラ)が仏陀を挫折させようと押し寄せたが、仏陀は穏やかな表情のまま降魔印を結び、魔王達を超力で降伏させたと伝えられる(仏陀の右手が指し示す、下部にいる女性がマーラ。)
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第27窟以降は行けないらしいので、第26窟で終了である。


振り返ると、見学してきた石窟群を望むことができる。U字に蛇行して流れるワゴーラー川の渓谷の断崖に開窟してきた様子がよくわかる。


そして、ワゴーラー川対岸の山頂には、今朝行った展望台(ミドル・ビューポイント)が見える。時計を見ると14時前である。お腹が減ったので、入口のレストランに向けて大返しする。


レストランでスペシャルターリーとビールを頼む。締めて400ルビー。


その後、再び見学した後、16時頃に入口に戻ってきた。すると、今朝展望台に送ってくれたオートバイの彼がいるではないか。時間を伝えていなかったのに、何故いるのか不思議であった。彼は土産屋にいる父のお店に寄ってくれと言っている。昨夜、夕食の際に近づいてきた本当の理由は、土産品を買わすためのようだ。。

シャトルバスに乗りアジャンター・ジャンクションで降りると、路線バスの方向とは違う土産屋が並ぶ一角(ストーンショップ)に連れて行かれた。ストーンショップは何軒か並んでおり、その一軒に昨夜の男がいた。男はチャイを勧めながら、アジャンター石窟の感想を聞き、高級ストーンを購入しろとしつこく勧めてくる。あまりにしつこいので値切りに値切って一つだけ購入(600ルピー)したが、男は、不満だったのか愛想が悪くなった。しかし、男はバイクでホテルまで送ってくれたが、そのまま黙って去っていった。

ホテルから北300メートルほどの街道沿いに酒屋(ワインショップ)があったので、キングフィッシャービール(150ルビー)を買い、ベランダで飲むことにした。遠景は素晴らしいが、真下はゴミだらけである。


ベランダの椅子に座りデカン高原に沈む夕日を見ながらビールを飲んだ後、1階のレストランに行き、ハッカヌードル(焼きそば)(130ルピー、水込み)を食べた。他に夕食の客はいなかった。


翌朝、今日は移動先のジャルガウンに宿泊する以外に予定がないので、当初、アジャンター石窟寺院を再び見学するつもりだったが、今日、月曜日は休みなのである。。
と言うことで、ジャルガウンに向かうべく10時から路線バスを待つ。周りには5~6人が待っていた。15分程でバスが近づいて来たが、バスは停まらず、男(車掌?)がドアから身を乗り出し、こちらに何やら叫んでいる。よくわからないので、その男に「ジャルガウンに行くか」聞くと、手招きされたので飛び乗った。徐行していたバスは、すぐにスピードを上げた。


バスは、無事12時過ぎに、ジャルガウンのバス・スタンドに到着した。運賃は55ルビーであった。


ジャルガウンの町は、思った以上に都会のようだ。最初に、明日乗車予定のジャルガウン駅を見に行くことにした。


何人かに場所を尋ねた後、15分ほどで駅に到着した。


次に今夜の宿探しである。駅前から南に延びるステーション・ロードを100メートルほど歩き、左折するとホテル(Hotel Kewal Inn)があった。交渉の結果、800ルビー(税込)で泊まることにした。


部屋でしばらく休憩しているとお腹が減ってきたので、レストランを探すことにした。ホテルを出てステーション・ロード沿いのすぐ南に大きく綺麗なホテル(Hotel Silver Palace)があり、そこにレストランがあった。


上海ヌードルを頼んだが、これがかなり美味かった。ビールと合わせて270ルビー。あまりに美味しかったので、夕食にも行ってみた。夜はチキンチャーハン、マトン、ビール(計500ルビー)を頼んだ。大きなホテルのレストランらしく100名ほどの席があるが、利用していたのは他に2組だけだった。


余りに美味しかったので、翌日の昼も来てしまった。顔なじみになったらしく、スタッフからは、今日はカレーを食べてくれと勧められ、注文したらこれがまた美味い。ライスは炊き立てでお米が光っており、チャパティも良い油を使っているし、小麦粉のうま味と香りも感じる。480ルビー。インドで食べた食事では、このレストランが最高だった。


食事後、セントラル・フール・マーケットに買い物に行く。市民の台所なのだろう。巨大なマーケットであった。見てて飽きなかった。


店員からは写真を撮ってくれと言われる。


ホテルのカウンターにドミノピザのチラシがあったので、注文できるか聞いたところOKとのことだったので、今夜の車内での晩御飯(飲み物はウイスキー)にしようとお願いした。450ルビー。

チェックアウト後、乗車時間までフロントで滞在した。ところで鉄道チケットは、日本から事前に予約(1170ルピー+200ルピー(手数料)=1370ルピー)していたもので、17時55分ジャルガウン発、翌12時10分ニューデリー着の寝台である。なんとも長時間の乗車だが、金額の安さに負けたわけである。。


翌日は1時間半遅れで無事ニューデリーに到着した。その後、ジャンタル・マンタル(天文台)(100ルピー)やラクシュミーナーラーヤン寺院など、市内を観光し、オールドバザールのグロウアップ・ホテル(450ルピー)に一泊した後、翌日、日本に向け帰国の途についた。なんとか体調を崩さず無事帰国できた。
(2013.3.3~5)
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インド・アジャンター(その1)

2013-04-10 | インド(エローラ、アジャンター)
アウランガバードのセントラル・バススタンドを午後2時過ぎに出発したバスは、100キロメートルほど北のファルダプールへ向かって順調に走行している。バスの窓からはデカン高原の殺風景な景色が続いている。どうやら少し寝ていたようで時刻は午後3時半になっていた。


しばらくするとバスが停車し、乗客が降り始めた。すぐそばに座っていた男が、手招きしながら降りていく。休憩らしい。バスから降りるとあまりの暑さにペットボトルの水を一気に飲み干した。。

休憩場所には赤レンガの建物があり、何人かの乗客が入って行く。内部には寺院のジオラマがいくつか展示されていた。美術館なのだろうか。


バスの運転手は少し離れたところで弁当(カレー)を食べ始めた。そして15分ほど休憩の後に車掌からの合図で再び出発した。その後も殺風景な景色が続いていたが、突然後部座席に座る男から肩をたたかれた。前方の車掌も手招きしているので、そろそろ、ファルダプールに着くらしい。


料金110ルビーを車掌に払いバスを降りたが、他に降りる者はいなかった。街道沿いには建物もなく何故ここで降ろされたのかわからない。路地入口に「MTDCリゾート(レストラン&ビア・バーあり)」の看板があり、ファルダプールの中心地へは、まだ1キロメートルほど先であることがわかった。


街の中心まで歩くか考えたが、時刻は午後5時になっていたので、MTDCリゾートの様子を見に行った。予定では、今夜はファルダプールに宿泊して、翌朝(日曜日)から終日、アジャンター石窟寺院を見学するつもりでいる。


MTDCリゾートのフロントの壁にはアジャンター石窟寺院のポスターが貼ってあるが、スタッフは誰もいない。しばらくすると外から年配の男があらわれたので、宿泊料金を聞くと1,330ルビー(税込)と言う。やや高い料金設定であるが、見せてもらった部屋は広く綺麗だったので取りあえず1泊することとした。


気温はアウランガバードより暑く感じる。喉も渇いたので、さっそくレストラン&ビア・バーに行ってみる。40名席ほどあるレストランであるが誰もいない上、壁際には使っていないフードウォーマーが並んでいた。本当に営業しているのか。。

しばらくすると地味なシャツを着た男が厨房から現れた。メニューも持たずウエイターには見えないが、ビールを飲みたいと言うと、厨房へ戻って「フォスターズ(オーストラリアのビール)」を持ってきた。男はビールを出すとすぐ厨房へ戻って行ったので、気兼ねなくカバンに入れていたつまみのヒヨコ豆を取り出しビールを飲んだ。


ビールを飲み終えて支払い(175ルビー)のためウエイターを呼び、2時間後に夕食は可能か聞くと、カレーなら出来ると言う。別なものが食べたかったが仕方がない。それにしても、他に誰も泊まっていないのではないか。。

約束した2時間後にレストランに来ると、先ほどのウエイターと別に従業員らしき男の2名がいるだけであった。カレーを食べていると、従業員らしい男が向かい側の席に座わり「このホテルは高いだろう。何泊するのか。日本人の友達は沢山いるし日本人が好きだ。別のホテル(500ルビー)を紹介するし、アジャンターの展望台に送る(200ルビー)がどうか。」と話しかけてきた。どうやら彼は従業員ではなくウエイターの友人らしい。それにしても、ホテルの宿泊客に別のホテルを勧誘するというのはどういう了見なのだろう。不信感を持ったが展望台に送ってくれるのはありがたい話だ。

と言うのも、アジャンター石窟寺院までは、路線バスで8キロメートル南のアジャンター・ジャンクションまで行き、更に、専用のシャトルバスに乗り換えて行く必要がある。シャトルバスを下車した場所が石窟寺院の正面入口になるため、展望台に行くためには更に正面入口から30分以上山を登らなければならない。

展望台まで送ってもらうと、あとは石窟寺院まで歩いて降りれば良いわけだ。お勧めホテルは下見してから決めることで、明朝7時に迎えにきてもらうことになった。

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翌朝、ホテルに迎えに現れたのは、約束した男の息子であった。更に車ではなくオートバイで後に乗れと言う。ヘルメットは当然ないが、しょうがない。。


最初にお勧めのホテルを見るためファルダプールの中心地に向かった。オートバイだとあっという間に到着した。街道の左側(西側)にある3階建ての小さいホテルだが、周りに建造物がないせいか、立派に見える。


ホテルに入ると左側にフロントがあり後方にはレストランが併設されていた。客室は、レストラン横にある階段を上った2階以上にある。


スタッフは階段を上った3階の部屋を見せてくれた。部屋はまあまあ綺麗だがシャワーは水だけでトイレはインド式だった。窓の外には小さなベランダがあり眺めが良い(アジャンター石窟寺院方面の高原が見渡せる)のでチェックインすることにした。ホテルのスタッフは宿泊費が700ルビーと言ったが、紹介されたと伝えると500ルピーになった。


その後、オートバイに乗ってアジャンター石窟寺院の展望台に向かった。街道はしばらく上りが続いたが、その後は、なだらかな道を進む。直線距離だとすぐ着くはずだが、道がないのか大きく南に迂回して行くため、かなり遠い印象だ。


15分ほど走行した後、道路脇にオートバイを停めて歩くと、アッパー・ビューポイントと名付けられた綺麗な公園が現れた。その公園先端にある展望台から覗き込むと、まるで上空から渓谷を俯瞰するかのような絶景が広がっていた。
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この時間は、朝日に照らされ石窟群入口の柱が宝石の様に美しく輝いて見える。これら石窟群は、U字に蛇行して流れるワゴーラー川の渓谷の断崖を約550メートルにわたって大小30の石窟がくり抜き造られており、開窟は、前期の紀元前2世紀から2世紀のサータヴァーハナ朝時代と、後期の5世紀のグプタ朝時代とで築かれた。視線をワゴーラー渓谷から右に移して行くと背後の高原が続いているのが分かる。


更に視線を右側に移すと高原が途切れ、手前の高原と重なり合った隙間から平原が見える。おそらくファルダプールの方角だろう。
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次に、アッパー・ビューポイントから700メートルほど移動し渓谷手前まで来ると、足元はごつごつした岩で覆われている。


ワゴーラー川の上流側は、地割れの様に切り立った崖になっており近づくと危ない。転落したら最後だ。そのすぐ手前には滝壺があり、この先からワゴーラー川は右に大きく蛇行して流れて行き、その左岸壁に石窟群が並んでいるのが見える。
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石窟群を見渡せる展望台(ミドル・ビューポイント)には、落下防止のための鉄柵が設けられており、安心して眺めることができる。ただ、アッパー・ビューポイントからの眺めを体感してしまうと高度が低くなり絶景感に乏しくなる。。


こころで、5世紀グプタ朝時代に絶頂期を迎えた石窟群は、その後インドの仏教衰退とともに8世紀頃には世間から忘れ去られてしまうが、1819年、ハイダラーバード藩王国に招かれたイギリス人士官ジョン・スミスが、虎狩りの最中にジャングルに逃げ込んだ際、このワゴーラー渓谷の断崖に馬蹄形の窓のようなものを見つけたことで現代に蘇ったのである。

なお、ハイダラーバード藩王国とは、16世紀初頭から北インド、インド亜大陸を支配したムガル帝国の宰相カマルッディーン・ハーンが、1724年にデカン地方に創始したニザーム王国(1798年以降は藩王国化し、ニザーム藩王国或いはイダラーバード藩王国となる。)である。

そして、アジャンター石窟寺院は1983年にエローラ石窟寺院群とともにインド初のユネスコ世界遺産の文化遺産に登録され現在に至っている。


それでは、オープン時間も近づいて来たことから坂を下って石窟寺院の正面入口に向かうことにする。坂道は綺麗に整備された歩道になっている。


ワゴーラー川の対岸壁面に馬蹄形の姿をした窓が現れた。あれが、イギリス人士官のジョン・スミスが最初に発見した石窟なのだろう。


石窟はワゴーラー川の対岸璧に続いているが、だいぶ石窟群に近づいてきたせいか、石窟入口には象らしき彫刻もみえ始めた。


階段やなだらかな坂を30分位下ると、オープン(午前9時)10分前にチケット売り場に到着した。オートバイの彼にお礼を言うと、また夕方に迎えに来ると言ってにこやかに去っていった。これ以上は約束していないので用事はないのだが、これまでのインドでの経験からこれで終わりはないだろうと思った。。


午前9時になり、オープンと同時に入口でチケットを購入し通路を進むと、岩肌に沿って石階段が続いている。階段には、継ぎ目らしい箇所がないため、岩肌を削って造られたことがわかる。石窟寺院はワゴーラー川を見下ろすほど高所まで上り、最後のなだらかな通路の先から始まっている。


通路を過ぎると、右側に中央に6本の角柱と両翼に円柱を配したアーケードを持つ豪華な石窟寺院が現れる。段丘崖にこれほどの大きな入口を設けるためには、岩肌を奥深く削り込む必要があるが、その結果、前面に大きな広場を持つこととなる。

ところで、一番乗りのだったはずなのだが、既に石窟入口には数人の男たちが座り込んでいる。


この第1窟の開窟は後期(第2期)の6世紀初頭とされている。入口を支える柱頭には仏陀坐像を中心に脇侍、飛天、信者などの浮彫が施されている。梁に相当する岩肌には、破風飾りや象や鹿、貴族の生活など仏伝を思わせる細かい浮彫が続いている。

入口に近づくと手前に座っていた男たちが立ち上がり、足元を指さし靴を脱ぐようにと言った。彼らは係員らしく指示に従わなければ勝手に石窟内に出入りができないようだ。


第1窟は、35.7メートル×27.6メートルの広さがあり、矩形の中央空間(神殿)の周りには、柱が立ち並び、壁面との間に回廊を形成している。その壁面に仏画が描かれているが、観光客は中央空間からの鑑賞に限られている。壁画は、劣化が激しく作品保護のため、照明や温度管理など様々な鑑賞制限が設けられている。


主堂の厨子には、獅子座に結跏趺坐する仏陀像が祀られ、その主堂に向かって左側の壁面に描かれた菩薩像が、アジャンターの石窟寺院の一番の見所とされている「蓮華手菩薩」で、右手指先で蓮華の茎を手にしていることから名付けられた。法隆寺金堂の勢至菩薩像に影響を与えた作品といわれている。壁画は前方の電球に照らされているが、非常に暗い。
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そして、主堂に向かって右側の壁画を飾るのが「金剛手菩薩」であるが、こちらは更に暗すぎて良く見えない。
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4面ある回廊壁面には、本生譚(ジャータカ)などの説話図が描かれているが、多くは剥落している。比較的良く残っているのが、主堂に向かって左側面のマハーシャーナカ本生譚(仏陀の前生)のマハーシャーナカ王子の宮廷の様子である。

アジャンターの石窟寺院は、19世紀に再発見される千年間、自然に埋もれていたが、降雨の影響やコウモリといった野生動物の生息などにより劣化は進んだという。現在は、壁面を這う湿気の影響や観光客など訪問者の増大等が原因となりますます劣化が進んでいる。数年前から、近いうちにアジャンター石窟内部の見学は不可能になり、今後はシャトルバス入口にあるビジターセンターでレプリカしか見られなくなると言われている。現在、壁画の劣化を防ぐため、窟内に設置している暗い電球の中でしか鑑賞できなくなっている。写真撮影は可能だが、もちろんフラッシュ撮影は禁止。また、頻繁に入場制限も行われる。

中央空間の天井は、剥落箇所も多いが格子絵(草花、想像上の動物や外国人風のカップル等のデザイン)で覆われている。中心部に描かれたメダリオンは大きく剥落しているが、瓔珞を身に着けた男女の姿が見える。ライトを照らすと、明るすぎたのか係員から注意を受けてしまった。


次に第2窟に向かうが、第1窟と同じく多くの壁画が残されていることから、こちらも警備が厳重である。やはり土足厳禁のため、入口で靴を脱いで入る。アーケード内の天井と壁面上部には、壁画が残っている。


扉口に向かって左上の壁面には、瓔珞を身に付けた貴族風の人物が描かれ、天井には、様々な紋様の格子が描かれている。


アーケード内の左右両端には、小堂があり、手前の柱の上部には美しい浮彫が施された欄間がある。壁面の仏画の様に、浮彫にも彩色が施されていた様で微かに色が残っている。
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窟内には、第1窟よりやや狭い35.7メートル×21.6メートルの広さの矩形の中央空間(神殿)があり、周りには柱が立ち並び、壁面との間に回廊を形成している。第1窟と比べると列柱に細かい浮彫がされ彩色も施され、壁画もかなり残っている。こちらは、主堂に向かって、右側回廊の壁面の様子で、本生譚や仏伝などの仏教説話が描かれているが、かなり暗く鑑賞には厳しいものがある。
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正面の主堂には、左右の柱に囲まれた奥に更に前室を持つ豪華な作りとなっている。この前室の壁画も見事なのであるが、近づくこともできず、暗いため見ることができないのが残念である。前室と回廊天井のメダリオンは剥落がなく良く残っている。


主堂に向かって右側の壁面は菩薩像に見えるが、かなり損傷している上に胸から下の漆喰は剥げ落ちている。天井は花や人物、幾何学模様などの絵画で埋め尽くされている。


彩色壁画で代表的なものは第1窟と第2窟であるが、正直、暗すぎて、思ったほどの感銘を受けなかった。とはいえ、貴重な文化遺産であり、実物を見ることができただけでもありがたい。次の第3窟は未完成窟で第4窟に向かう。8本の角柱が並ぶアーケードのすぐ内側に多くの繊細な浮彫が施された入口がある。


特に入口に向かって右側のレリーフは見所である。レリーフには観音による諸難救済の諸場面が表現されている。中央の観音像の両手は、失われているが、左手には下部から伸びる蓮華の茎を手にしていたのだろう。頭上左右には、飛天と仏陀坐像が表現され、それぞれ下に菩薩に救済を求める危機場面が表現されている。

内部は、アジャンタ石窟群の中で最も大きなヴィハーラ窟(僧院)で、第1窟よりやや広い。こちらも未完成なのか、装飾された壁面は見当たらない。


正面奥に主堂があり、中央に仏陀座像、両側には菩薩像がある。その手前には、前室があり左右両璧には右手を下げた(与願印)3体ずつの仏陀立像が飾られている。


第4窟前の歩道からは、断崖が大きく湾曲していることから、後半の石窟群を一望することができる。ワゴラー渓谷に視線を降ろすと、対岸へと続く橋が見えるが、乾季のこの時期は、水が流れていない。
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第5窟は未完成で、第6窟はアジャンター石窟群で唯一二層で造られたヴィハーラ窟である。


第6窟の一層に入ると約18平方メートルほどのやや狭い空間(僧院)に八角形の角柱が林の様に並んでいる。奥には柱や唐草紋様などの浮彫で装飾された扉枠を持つお堂があり、内部に施無印で結跏趺坐(半跏にも見える)の仏陀坐像が祀られている。

近づいてみると、お堂の手前には数人が礼拝できるほどの内陣空間があり、そのお堂の扉枠の左右には脇侍として菩薩像が、左右側面には、転法輪印仏坐像や、マーラ(悪魔)の誘惑などの仏伝壁画が残されている。お堂内の壁面にも多くの壁画が残されており、天井には格子状の紋様が、側面には仏陀坐像が数多く描きこまれている。
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第6窟の二層目は、中央に柱で囲まれた空間があり、奥にお堂がある。お堂内の仏陀像は、一層目と比べるとやや肉厚であり、左右には菩薩像ではなく螺髪姿で右手を下げた与願印の立像がある。壁画は施されておらず、お堂前の内陣にも、仏陀立像が彫り込められており、像の足元には傅く信者の壁画が残されている。

第7窟は、アマラカと蓮をデザインした柱頭を持つ柱が4本並び、並行する内側の4本の角柱の奥が広い主堂になっている。


主堂からは、2本の柱に囲まれた祠堂(厨子)望むことができる。祠堂には、前室があり、扉口を取り囲む様に仏陀立像と坐像の浮彫が施されている。特に驚かされるのは、前室の左右の壁面に施された無数の仏陀坐像の浮彫である。


向かって左壁面には25体の仏陀立像と坐像が、そして、右壁面には、58体の仏陀像がの仏堂入口周りには多くの仏陀座像が彫られている。最下部中央には、2体のナーガ(蛇神)が仏陀の座る(立つ)蓮華の茎を支えている。多くの仏陀が表現されているのは、仏陀が異教徒を仏教に改宗させるために、一瞬のうちに千体仏を出現させたとされるシュラーヴァスティーの奇蹟に基づいたものだろう。
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祠堂(厨子)内には、獅子座に座る仏堂像が祀られ、左右には蓮華を持つ菩薩像を配している。側面には、仏陀の立像が並び、隙間にも仏陀の坐像が彫刻されている。


石窟群は、第1窟を頂点に徐々に階段を降りながら続いてきたが、第8窟が最も低くなり、ワゴーラー川に架かる橋がすぐ近くに見える。第8窟は、貯蔵庫や発電室として利用されていたようで、現在は空間が残るのみである。

そして、すぐ先の大きい馬蹄形の窓を中心に、入口上部のポーチ部分に五つの小さな浮き彫りの窓がデザインされているのが第9窟である。馬蹄形の窓は、禅宗様式の火灯窓に似ている。


馬蹄形の窓の上部や左右側面にも、彫刻がほどこされているなど見所が多い窟である。また窓の左の龕には、仏陀三尊像が祀られている。


第9窟内部は、簡素なチャイティヤ窟である。仏像が登場する以前の紀元前1世紀頃に造られたため、礼拝の対象は半球形のストゥーパで、右繞できるようになっている。そのストゥーパの周りには23本の八角形の列柱が取り囲んで身廊を形成している。


柱には後期に描かれた壁画が残されている。


柱上部の梁にあたる箇所にも壁画がある。


第10窟は、高さは10メートルほどある巨大な馬蹄形の入口から形成されている。第9窟と同じチャイティヤ窟だが、開窟は紀元前2世紀頃と言われアジャンタ石窟群の中では最も古い時代のものである。


窟内は、第9窟より広い空間を形成している。天井部分はヴォールト状に岩盤をくり抜いて造られており、木造の垂木を取り付け格天井としていたと考えられている。


洞窟内は39の八角形の柱で支えられており、後期に描かれた仏陀の壁画で覆われている。


柱後方の側廊にあたる天井部分はリブ状にデザインされており、リブの間にも仏陀像が描かれているのが見える。


この第10窟が、イギリス人士官ジョン・スミスが、最初にアジャンタ石窟寺院を発見した場所であり、その証拠として、柱の3メートルほど上部にスミスのサインと石窟発見期日(1819年4月28日)が記されている。サインが上部に残されていることから、発見当時はかなりの部分が地下に埋もれていたいたことがわかる。


第11窟からは再びヴィハーラ窟となり、5世紀後半に開窟された。正面の柱をくぐると狭い前廊があり、正面扉壁面にも壁画が残されている。


前廊の天井には、格子状に描かれた壁画が残っている、鳥や草花が描かれており当時は美しい色彩で彩られていたと思われるが現在は色素は失われている。


側面の光背を持つ仏陀像はよく残っている。


正面奥には仏堂があり仏陀坐像が見える。右手が破損しているが説法印を組んでいると思われる。台座部分には礼拝する人物像も見える。


第12窟と第13窟は前期に造られたヴィハーラ窟で、第14窟は手付かずで放置された後期窟、第15窟は後期ヴィハーラ窟と続くが、特に見るべき所は少ない。
(2013.3.2~3)
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インド・アウランガバード(その4)

2013-04-09 | インド(エローラ、アジャンター)
翌朝6時、昨日買った果物をホテルで食べ、午前6時半にチェック・アウトをする。インドのホテルではチェック・インした時点から24時間毎で料金設定がされているため、初日に到着した時間までに出なければ一日分追加になってしまうのだ。


フロントのスタッフは、この後、何処に行くのか、ドライバーを紹介しようか、チップはくれないのか等と矢継ぎ早に声をかけてきたが、わからないふりをしてホテルを後にした。

外に出ると、昨日約束したドライバー(ルスタム氏)が既に待機していた。約束の午前7時半まで40分ほどの時間があるので余りに早い出迎えに驚いた。ホテルで荷物を預けるつもりだったが、スタッフの態度に呆れて持参してしまったため、荷物を見せると、座席の後ろに置き覆いをかけてくれた。
出発後、セントラル・バススタンドの近くのガススタンドで燃料を入れたため、謝礼(700ルピー)分のうち200ルビーを先に支払った。


目的のアウランガバード石窟寺院は、アウランガバード市内から北方へ約3キロメートルに位置し、丘陵地の東西9つの石窟から構成されている。西側には第1窟から第5窟まで、東側には第6窟から第9窟までの2群に別れており、他に未完成窟が2窟あるという。古いもので1世紀前後に開窟されたが、多くは7~8世紀頃に造られた仏教遺跡である。

ビービー・カ・マクバラー(アウラングゼーブ帝の妃の廟墓)を通過すると、小高い山が見えてきた。オートリキシャは山肌に伸びる通りを勢いよく登って行く。


前方に石窟寺院群が見えてきた。朝日が石窟群を照らしていることから、東側の石窟寺院(第6窟から第9窟)から行くようだ。


ホテルから20分程(約8キロメートル)で到着した。駐車場らしき広場でオートリキシャを下りて歩いて行く。数十メートル進んだ左側に見えるのが第7窟で、その右上に第8窟がある。


第7窟入口の柱には二体仏を中心に、周りをメダリオン状に細かい装飾で覆われている。懸仏の様にも見える。


第7窟の柱をくぐると横広の長方形の前廊になり、主堂側の左右両側に門衛として大きな観音菩薩像がそれぞれ彫られ、周りにも小さな菩薩像が数体彫られている。向かって左側は、見事な体躯をした金剛手菩薩像で、周りに傅く衆生の像もあることから、諸難救済観音像とされる。


主堂に向かって前廊右奥にある祠堂壁面にはパーンチカとハーリティーの像があり、対して前廊左奥にある祠堂壁面には七母神像(サプタ・マートリカー)が彫られている。
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主堂内に足を踏み入れると、中央に巨大な祠堂(厨子)があり。仏陀椅像が祀られている。仏陀に向かって厨子内の左側壁面中段には、右足を軽く上げステップを踏む女性舞踏家を表した像を中心に様々な楽器を使う演奏家が配されている。第7窟には、多くの観音菩薩像があり観音信仰が盛んだったことが覗える。また小窟もいくつかあり、修行僧のそれぞれの瞑想場所とされたのだろう。


第7窟を出て手前の階段を上ると第6窟がある。


主堂入口の両側には大菩薩像が彫られ、奥に第7窟同様に内部に仏陀の椅像が祀られている


第6窟の左手前には小さな祠があり、ガネーシャ神を本尊に、七母神像(サプタ・マートリカー)が並んでいる。ガネーシャ神は、シヴァ神とパールヴァティーとの間に生まれた長男であり、サプタ・マートリカーは、シヴァの妻の一柱であるカーリー(ドゥルガー女神やパールヴァティーと同一視される)の眷属として戦う七女神であることから、両者はシヴァ系として密接なつながりがある。


第8窟は未完成窟だが、その脇に設置された階段を上って行くと、


巨大な段丘崖が覆う内側に角柱が整然と並ぶ第9窟がある。窟入口前は水平に削られた広場になっており、朝の日差しを浴びて眩しく輝いている。


角柱レリーフには豊満な体つきの三体の母神像が彫られている。主堂の本尊は第7窟同様に仏陀椅像で、周りに菩薩像が彫られているが、未完成のものが多い。


第9窟入口手前の広場の左端には約5メートルの仏陀涅槃像があるが、残念ながら未完成である。


時刻は午前8時半になり、一通り見学を終えて駐車場に戻ったが、他に見学者はいないようだ。それでは、再びオートリキシャに乗り西側の石窟寺院群に向かう。


西側に位置する石窟寺院群への最寄りの駐車場には5分ほどで到着した。目指す第1窟から第5窟までの石窟寺院群は、正確には、小山の南南西に位置しており、強い日差しを浴びた階段先の斜面に見えるのがそうだ。


階段を上りきり、振り返ると南東方向にヒンドゥ教寺院のある小山がある。そして右側に微かに見えるビービー・カ・マクバラーの遠景がアウランガバード市内になる。


第1窟へは、第2窟から第4窟前を通り過ぎて階段を上りきった一番奥の高所にある。第1窟の入口手前の広場には、何がしか構造物があったようで、薄い基壇の上に柱の下部が残っている。


第1窟を支える入口の柱頭には母神像など細かい彫刻が施されている。そして入口手前左端の壁面上部の庇の際には、両脇に菩薩像を配した過去七仏の小さな浮彫像が残されている。


入口はアーケード状になっており、内側の両端壁面と厨子入口に向かって左前面の三か所には、共に、三尊像の仏龕レリーフがある。こちらは、左側の壁面にあるレリーフだが、仏陀が座る台座に傘を持ち支える二神像の浮彫があるのは珍しい。なお、厨子内は何もなかった。
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次に階段を下りて第2窟に向かう。


入口は簡素で小ぶりな窟だが、入口の柱をくぐった内部には大きな空間があり、中央に大菩薩像により護られた祠堂がある。


祠堂内には、色彩の残る仏陀椅像が祀られており、祠堂内の壁面には多くの仏陀像や菩薩像の装飾で覆われている
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祠堂の外壁には四角形で区画された仏龕があり、隙間なく三尊像を基本に彫した浮彫が施されている。こちらの仏龕にも第1窟のアーケード内の壁面にあった仏陀を傘で支える神像の浮彫が見える。
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祠堂は周遊できるようになっており、右繞すると祠堂壁には瞑想する仏陀坐像と菩薩像の装飾が施されている。


次に、第3窟に向かう。こちらも簡素な造りだが、


天井と床は水平に削られ重厚な柱で取り囲むように仕切られたヴィハーラ窟である。修行僧はこの場で生活しながら瞑想を行なったのだろう。


柱頭にはパーンチカとハーリティーらしき像を中心に唐草紋様など繊細な浮彫が施されている。柱頭上部の梁にあたる箇所には、お堂の浮彫が連続して彫られ、中央僧院を取り巻いている。
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窟内の最後部に祠堂があり、菩薩像を門衛とする仏陀椅像が祀られている。


祠堂内はかなり暗いので、ライトで足元を照らすと、両脇には仏陀に向かって礼拝する信者の像が見える。


第4窟はチャイティヤ窟で、アウランガバード石窟寺院の中でも、最も古く開窟されたもので、BC1世紀~1世紀頃とされている。エローラ石窟寺院と比べれば小ぶりな造りであり、装飾も少なく素朴なストゥーパが祀られているが、それがかえって洗練された近代建築のようにも見える。また、天井は石を積み上げて造られたのかと見まごうばかりの美しいヴォールト状になっている


そして第4窟に向かって右側の祠には、獅子の台座に座る仏陀像が祀られている。脇侍を持つ三尊像だが左側の損傷激しい観音菩薩像のみが残っている。


祠に向かって少し右側に進むと階段があり、祠の上にある第5窟に行ける。階段を上ってすぐ右側の窟内を覗くと、良く磨かれた仏陀像が鎮座している。


以上で、アウランガバード石窟寺院の見学は終わりである。全体的な印象としては、エローラ石窟寺院ほどの派手さもなく全体的に小ぶりではあるが、そのことが、かえって距離感も近く身近に感じられる。しかし何と言っても他に観光客がいなかったことが一番良かったのかもしれない。

時刻はまだ午前9時過ぎである。駐車場に戻ると、見学料の徴収に係員が現れたので100ルビーを払う。ドライバー(ルスタム氏)にアウランガバード石窟寺院に連れて来てくれたことを感謝すると、次にミュージアムに連れて行くと言う。

アウランガバード市を離れるには、時間は早いので、言われるまま次に向かうことにした。ぐんぐん山を下り、樹木に囲まれた公園通りを疾走した後、広場にオートリキシャを停め公園内を歩いて行く。15分ほどで、円形状の博物館が現れたが、扉が閉まっていた。

しかし、公園の通路には、ジャイナ教の開祖マハービーラガネーシャシヴァ神シヴァ神とパールヴァティー女神などの石仏があちらこちらに展示?されていたが、あまりの無造作な置かれ方に盗難の被害に遭わないのか心配になった。

石仏を見ながら散策した後、もう一か所、ミュージアムが有ると言われ、5分ほど北方面に走ると到着した。オートリキシャを降りると周りにヤギがいる。


その先は、城壁の様な壁に覆われアーチ門の奥に建物が見える。この建物はソネリ・マハール(soneri mahal)と名付けられた博物館で、先史時代から現代まで様々な工芸品を収蔵している。綺麗に整備された公園の奥(西側)に建物が見える。入口で10ルビーを支払い入場する。館内は撮影禁止だが、仏教、ヒンドゥ教の彫像やインド細密画、発掘されたテラコッタなどが展示されている。30分程見学した。

なお、遠景(西側)はゴバ・ババ山(Goga Baba Hill)で、1時間弱で上れる初心者向けトレッキングコースとして人気があるそうだ。

次に「パーンチャッキー」前を過ぎカム川を渡ってアウランガバード中心部に入り、旧市街のバザールのジュナ・バザール・チョウクに向かった。このバザールは150メートルほどの距離に市場がひしめいている。


その後織物工場を見学する。アウランガバードでは、金糸や絹糸を織り込んだヒムローという織物が有名である。その後土産店にも連れて行かれ、すっかりツアーのようだが、ちょっとしたものだけ買って適当にあしらいお店を出た。


こちらは、アウランガバード市のデリー門(北門)である。ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブ(在位:1658~1707)がデカン戦争(ムガル・マラーター戦争)におけるマラーター王国からの侵略を防ぐ目的で、1682年、市内に造った城壁門の主要門(東西南北)の一つで、最も大きく威厳のある門である。ラホール門(オールド・デリーのラール・キラー)に良く似ている。


時刻は午後12時半を過ぎたため、ドライバーから食べたい料理を聞かれたので、ビールを飲める店と言ったところ、連れて行かれた場所は他の客が誰もいない中華料理店であった。一緒に食べようとドライバーを誘ったが、入ることはできないと断わられた。

諦めて一緒に入れるレストランに行こうと誘うが、そこではビールを提供していないらしい。それでも良いので一緒に食事をしようと誘うと、彼は酒屋(ワイン・ショップ)前でオートリキシャを停め、買って車内で飲めと言った。その後、食事に行くというわけだ。複雑なインド社会の一面を見せられたようで、少し考え込んだが、バッグ内には栓抜きもつまみもあるので、500ミリリットルのストロングビールを一本購入後、車内で飲んでレストランに向かった。そのレストランは、市内中心部を南北に横断する大通り沿いの半地下にある「スワドゥ(Swad)」というお店だった。


注文したターリーはゴージャスな内容だった。味も良く二人前で300ルビーである。ドライバーは、店主から何やら話しかけられていたが、かなり恐縮した様子だった。やはり少し無理強いしたのかもしれない。。


食事後、セントラル・バススタンドまで送ってもらった。予定外の場所も見学でき、大変満足したので、少し多めに謝礼をし握手して別れた。ドライバー(ルスタム氏)は年配に見えたが40歳半ばだった。


時刻は午後2時前である。英語表示がないので、昨日同様、手当たり次第にファルダプール(アジャンタ石窟寺院最寄りの町)行きのバスの場所を聞く。バスに乗り、同乗者に再確認し、車掌にもファルダプールに着いたら教えてほしいとアピールしているとバスは直ぐに出発した。これでアウランガバードとはお別れである。

(2013.3.2)
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インド・アウランガバード(その3)

2013-04-09 | インド(エローラ、アジャンター)
これまで、エローラ石窟寺院の第1窟から第16窟(カイラーサナータ寺院)までを順番に見学してきた。ところで、時刻は午後12時を過ぎたため、昼食にするか悩んだが、ビールを飲みたくなるので諦めて、一気にヒンドゥ教寺院の第17窟からジャイナ教寺院の第34窟までの全窟を見学することにした。


第16窟を過ぎると辺りに観光客がいなくなった。ツアーで見学する場合は、時間も限られており、仏教寺院の第10窟、第12窟、ヒンドゥ教寺院の第14窟、第16窟等を見て終了するケースが多いだろう。

明日は、適当な時間に路線バスに乗ってアジャンタ石窟寺院最寄りの宿泊地に移動する予定だが、昨日のMTDCの市内ツアーで行けなかった(ツアーに含まれていなかった)アウランガバード石窟寺院が心残りでならない。このため、オートリキシャを雇って明日午前中にアウランガバード石窟寺院を見学した後、午後のバスでアジャンタ石窟寺院方面に移動しようと考え始めていた。

そんなことを考えながら歩いていると歩道の右側に石窟寺院群が現れた。なだらかな丘陵地を掘削した小規模な石窟が続いているが、彫刻や装飾が少ないため、第16窟を見学した後だと物足りなさを感じてすぐに通過してしまう。


第21窟は、岩肌を削って造られた階段の上にある。上った先には岩を水平に削った前庭があり、2メートルほどの高さの立方体台座の上にナンディ像が鎮座している。
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前庭から石窟入口に向かって右壁にはヤムナー女神が、そして左璧にはガンガー女神像が迎えてくれる。特にガンガー女神は凛とした佇まいで美しさが際立っている。


石窟内に足を踏み入れると、長方形の前廊が左右に広がり、その奥には前廊の1/3ほどの広さの空間がある。その空間中央には、左右に菩薩像が衛るリンガ(本尊)が納められた祠堂が立っている。本尊に向かって前廊左前面には、「カイラス山を持ち上げようとする魔王ラーヴァナ」が、対して前廊右前面には「サイコロで遊ぶシヴァ神とパールヴァティー女神」、下段には「ナンディ」のレリーフがある。


この第21窟の一番の見所は前廊右側の祠堂にある「七母神像(サプタ・マートリカー)」であろう。サプタ・マートリカーとは、ドゥルガー女神の放出形カーリーと一緒にアスラ族の指揮官ラクタヴィージャと戦う七女神のことだが、多くは美しい母の姿で表わされる。特にこちらの彫像群はそれぞれ女神の表情や仕草が微妙に異なり母性の豊かさが巧みに表現されており、大変見ごたえのある作品である。
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その祠堂内を覗き込み、正面の七母神像から視線を左側に移すと「踊るシヴァ神(ナタラージャ(舞踏家の王)との別称を持つ)」のレリーフがある。こちらのシヴァ神は、一般的に良く見る足を蹴り上げるポーズではなく、軽くステップを踏む姿で表現されており、舞台で踊るダンサーを見ている様だ。こちらも見事な作品である。
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対して前廊左側にある祠堂には「シヴァ神とパールヴァティー女神の結婚式」の彫像があり、


祠堂内の右側(本尊側)には「悪魔の水牛マヒシャースラを退治するドゥルガー女神」のレリーフがある。


続く第22窟から第25窟までは見所が少ない。。

次の第26窟は、第17窟からの比較的なだらかな段丘面にあった石窟寺院群と異なり、威圧感のある段丘崖の下部にある。近年修復されたと思われる綺麗な柱をくぐると左右に祠堂を持つ長方形の前廊が広がり、正面奥の空間にリンガを祀った祠堂がある。窟内の造りは第21窟と類似しているが、前廊に彫刻はなく、奥の中央祠堂の左右にある菩薩像は損傷が激しかった。


第26窟前の歩道から次の第27窟はすぐ近くに見える。この辺りから歩道は崖沿いに続いている。


第27窟の入口は、奥行の狭いアーケードの先にある。その入口脇の左右の壁面には、三神像の浮彫が施されており、右側の像は未完成だが、この左側の像は見ごたえがある。左からブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神だが、この三神が本来は一体であると言う考え方が、ヒンドゥ教のトリムルティ(三神一体)である。ブラフマー神の顔は三つ見えるが、本来は四面なので、裏にもう一つ顔があるとみるのだろう。

なお、ヒンドゥ教の基盤となったバラモン教の根本はブラフマー神だが、仏教にも早い時期に取り入れられた。なお、仏教では、仏陀が成道したとき、万民に悟りの内容を説くようにすすめたのが、ブラフマー(梵天)である。左右の三神像の中央にある。

入口を入ると装飾のない前廊空間と奥に菩薩像2体が衛る祠堂があるが、リンガは失われている。

第27窟の先から崖路になり左にカーブしながら丘の麓に続いているが、通行止めになっている!

この場所は、雨季には河川が滝となって流れ落ちる場所のため、崖線が浸食により崩落するのだろう。現在は、乾季のため、崖路の下の滝壺には、少量の水たまりがあるだけである。
前方に見える丘の麓には、車が停まっているため、一旦第16窟前の入口まで戻り、オートリキシャで車道を向おうか思案していると、滝壺の堰堤を歩き斜面を登って行く人の姿が見えたため、見習うことにした。しかし滝壺まで下り堰堤を渡るまでは簡単だったが、丘の麓までの上りはかなり急であった。


這いつくばい草木に捕まりながら上りつめ、舗装された広場に出ると、すぐ右側に三辺を垂直に削られ大きく口を開ける第29窟が現れた。他にも数人の観光客がいた。


正面の列柱をくぐったすぐ左端の壁面には「パールヴァティー女神をかどわかそうとした魔王アンダカと対決するシヴァ神」の巨大な彫刻が施されている。シヴァ神の牙をむき出しにした憤怒の表情は破壊神としての側面を強調している。アンダカは一説には、象の姿をしているともいわれていることからだろうか、シヴァ神が右手に持つ剣の後ろには象の頭が見える。
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対して右端の壁面には「シヴァ神とパールヴァティー女神」があり、下には「カイラス山を揺らすラーヴァナ」が施されている。窟内は多くの柱が並ぶ広い空間だが、左右にも出入口があり、外光が窟内を明るくしている。
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中央奥には、四方から望めるシヴァの神殿がある。神殿は四面とも左右にドゥロルパラ守護神を配しており、中央に祀られたリンガを護っている。左右の出入口には、「シヴァ神とパールヴァティー女神の結婚式」や「サイコロで遊ぶシヴァ神とパールヴァティー女神」などの彫像レリーフがあったが、どれも全体的に肉付きの良い表現である。

なお、この第27窟は、規模や造りが、ムンバイーの「エレファンタ石窟寺院群」の第1窟に良く似ているものの、彫像群は、残念ながら、エレファンタ石窟寺院群ほどの躍動感や写実性はない。

さて、以上で仏教寺院とヒンドゥ教寺院の見学が終わったが、次の第30窟から第34窟までのジャイナ教寺院は少し離れた場所にあり、午後の炎天下では歩く気がしない。広場にいた2台のオートリキシャの手前にいたドライバーと交渉し120ルビーで往復(帰りは第16窟前の入場口まで)してもらうことにした。

しかし良く考えてみると、第27窟下の滝壺を危険な目にあいながら歩かずとも、第16窟の入口まで戻ってここまでオートリキシャで来て、待機してもらっていれば良かった。。

オートリキシャに乗り3分程でジャイナ教寺院手前の広場に到着した。なだらかな坂を歩いて行くと、足元には第32窟(第30窟は離れている)と表示があり、正面に城門が現れる。


正面の城門をくぐると、三方(左右後方)其々の崖面に2層づつ石窟のある中庭が現れた。その中庭中央には、左右にスタンバと象の彫像を持つチャトルムカ祠堂(四面堂)がある。中庭の其々の配置は、第16窟(カイラーサナータ寺院)と似ている。


ジャイナ教は、仏陀と同時代のマハーヴィーラを祖師と仰ぎ、アヒンサー(不害)を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義で知られている。また、「無所有」の教えから衣服は所有しないため常に裸体である(白衣の着用を認めている派もある)。

中庭にある四面堂は、世界に向かって教えを説く場所と言われ、内部には開祖マハーヴィーラの四面坐像が祀られている。なお、ジャイナ教では、開祖マハーヴィーラの前に23人の祖師がいたとされており、その祖師を総称してティールタンカラと呼ばれている。


四面堂の後方の石窟が第32窟の主堂になる。内部には角柱に囲まれた正方形の神殿空間があり、中央最後部にはマハーヴィーラの坐像が祀られた厨子があるが、装飾がなく簡素な空間となっている。

しかし、2階に上がると、1階とは大きく異なり細かい装飾が施されている。中央部分には、円柱(下部は角柱)で囲まれた正方形の神殿空間(サルヴァトバドラ(Sarvatobhadra))があり、天井から、巨大な蓮の花弁が神殿を見下ろしている。そして、その神殿を回廊が取り巻いており、中央最後部には1階同様にマハーヴィーラの坐像が祀られた厨子がある。周りには4人のティールタンカラ(第1祖師、第22祖師、第23祖師パールシュバナータ、第24祖師)が、礼拝の方向に向かって立列している。


神殿を取り巻く円柱(下部は角柱)は、縞模様で装飾された円盤状の柱頭を持ち、角柱部分の四隅には、合掌するヤクシャらしき像が鎮座し、糸華鬘(組み紐)を表した浮彫で繋がっている。


中庭に面した回廊側の左右の壁面にはそれぞれ見事な坐像がある。こちらは、鋳造仏を思わせる様な色合いで重量感のあるヤクシャ王クベーラ神(象に乗っている)である。クベーラ神は日本に伝わり、毘沙門天、または金毘羅になった。


反対側は、アンビカ女神(ヤクシニー)で、果物のなるマンゴーツリーの下で獅子の背に座っている。残念ながら獅子の顔は失われているようだ。


中庭に面した回廊天井には、升目に組まれた格天井がデザインされ、其々に蓮の花の装飾が表現されている。石窟内には、色彩の痕があちらこちらに残っているが、アンビカ女神の上部にある蓮の花の装飾の周りには人物などの色彩が良く残っている


回廊から中庭を眺めると、四面堂の頂部が望め、第16窟(カイラーサナータ寺院)で見た本殿のシカラに似ているのが分かる。


この第32窟の主堂の左右の壁面にあるお堂に行ってみる。こちらは中庭に向かって右側のお堂だが造りは主堂と同じで神殿を中心に、中庭側から外光の入る最後部には厨子があり、開祖マハーヴィーラの坐像が祀られている


そして、マハーヴィーラの坐像に向かって左側には、が第1祖師アーディーシュヴァラが、そして右側には、蔦の蔓が巻きついた第2祖師ゴーマテーシュヴァラのそれぞれの像が祀られており、中央神殿を取り囲んでいる。


この第32窟の2階と第33窟は繋がっており、更に第33窟の1階と第34窟とは行き来が出来るようになっている。第33窟の1階は第32窟の主堂より小さいが、中央に回廊が取り巻く神殿があり、最後部にティールタンカラを本尊とした造りは同じである。


柱は破風飾りや唐草紋様など非常に細かく装飾されている。中でも糸華鬘の籠で転がる愛くるしいヤクシャらしき浮彫は何とも微笑ましい。回廊奥にアンビカ女神(ヤクシニー)女神が見える。
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反対側にはクベーラ神が祀られているが、こちらは第32窟のクベーラ神と比較してややスリムな体型である。


第33窟を外から眺めてみる。一層目と二層目の間の庇は大きく張り出したテラスになっており、象の彫像や岩壁には細かい装飾がされている。柱の梁には色彩が残っており、更に左側に見える仏龕も彩色されている。その下に見える入口から隣の第34窟に行けるが、堂内は第33窟をより小さくした造りであった。


ひととおり見学が終わり時計を見ると午後1時半を過ぎており、流石にお腹がへった。待たせていたオートリキシャで第16窟を望む入口まで戻り、昨日も行ったMTDC直営のレストランで食事をする。ノンベジ・ターリ・リミテッド(チキン)(150ルピー)とビール(160ルビー)を頼んだ。美味しく満足した。


さてホテルに戻ることにし、今朝バスを降りた辺りまで来ると、近くに停車しているジープの運転席から、がっちりした体格の男が降りてきて、アウランガバード駅まで送って行くと言う。一旦断るが、バス料金と同じ30ルビーで良いと言われ乗ることにした。


後部座席に乗り込むが、なかなか出発しない。バスも来ないのでそのまま乗って待っていると、他にも数人客を乗せて出発した。しばらく走ると、街道から離れて民家らしきところに行き停車する。すると、降りていく人がいるが、また地元民が数人乗車してきた。別の場所でも同じことが数回続く。どうやら地元民の足となる乗合ジープらしい。バスより時間がかかっているような気がしてきた。。

午後3時半にアウランガバード駅前に到着した。手持ちのルビーが少なくなったので、昨夜食事したレストランの隣にある両替所(spice money)に入り、両替レートを尋ね10,000円を出すと5,350ルビーになった。コミッションもなくデリーでのレートとほぼ同じだった。


その後、ワイン・ショップでビールとつまみを買い、ホテルに戻ろうと、駅前まで来ると数台のオートリキシャがたむろしているのが見えた。立ち止まっていると、そのうちの1人(痩せて白髪まじりの60歳前くらい)が近づいてきたので、明朝、アウランガバード石窟寺院に行けるか聞いたところOKと言う。ついては、700ルピーで、朝7時半にホテルに迎えにきてもらい、アウランガバード石窟寺院を見学して、セントラル・バススタンドで降ろしてもらうことになった。


これで、気がかりだったアウランガバード石窟寺院への訪問計画もたったので良かった!その後、ホテルに戻りシャワーを浴び、ビールを飲んで一息つけて、昨夜のレストランの隣のレストランに向かった。キムチチャーハンと肉団子(甘酢味)(130ルピー)を頼んだ。チャーハンは辛くはないが、濃いケチャップ味でほぼチキンライスだった。

(2013.3.1)
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インド・アウランガバード(その2)

2013-04-05 | インド(エローラ、アジャンター)
午前6時半、ホテル(プシュパック・リージェンシー)の部屋で朝食(昨日屋台で買ったトマトとバナナ)を食べて、これからエローラ石窟寺院に出かける予定だ。バス停は、昨日夜行バスが到着したセントラル・バススタンドになるため、アウランガバード駅前からオートリキシャに乗り向かった(20ルビー)。到着したバススタンドには行先と番号が付けらたレーンが数多くあるが、英語表示がないので行先が全く分からない。手当たり次第に周りにいる人にエローラに行くか聞くと皆バスを指さし教えてくれた。


バスに乗り込み、念のため乗客にエローラに行くかを確認すると頷いたため、安心してバスの中央やや前方の右側窓際席に座った。この場所だと、多くの乗客でも押しつぶされずに済むし、車掌や前後の乗客に自分の存在をアピールしやすい。そんなことを考えながら座席に座っていると、何やら乗客が騒ぎ出し皆バスを降りていく。
どうやらこのバスは何らかの理由で出発しなくなったらしい。しかたがないので、他の乗客と一緒にバスを乗り換える。乗り換えたバスの車掌にエローラに行くか聞くと頷いた。そうこうしているうちにバスは出発した。時計を見ると午前7時20分であった。


バスは順調に進んでいく。乗車率は50パーセントくらいだろうか。思ったより空いている。昨日ツアーバスから見慣れた景色が通りすぎ、出発から45分程過ぎたころ車掌から降りる準備の合図があった。車賃は30ルビーであったので安い。。窓の外には、昨日見たエローラ石窟寺院の境界柵が見える。第1窟付近だろう。昨日の体験からそろそろ到着かと考えたその際、バスはエローラに向かうバス停に到着した。他に降車する客はいなかった。


周りに停まるジープやオートリキシャのそばを通って進むと入口が見えてきた。既に下見済みのため慣れたものである。入場チケット(250ルビー)を購入し石窟方面に進む。ところで正面の第16窟から見学を開始するか第1窟からにするか悩んだが、先に第16窟を見ると他が色あせてしまうため、第1窟の仏教石窟寺院から順番に見学することにした。石窟前の歩道を通って南側(右側)に表示番号を遡っていく。この時間はまだ早いのか観光客はまばらであった。10分程歩くと最南端の第1窟に到着した。
※エローラ石窟寺院の地図はこちら

第1窟前から、通り過ぎた石窟群を眺めると、シャラナドリ台地の段丘崖を削り取って造られた石窟の様子が良く分かる。
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仏教石窟寺院はチャイティア窟(祠堂窟)とヴィハーラ窟(僧院窟)の2種類から構成されているが、この第1窟はヴィハーラ窟である。石窟の手前には、工事用の足場が組まれており、入口には天井崩落を防止するために石材を積み重ねた3本の角柱が新たに設置されている。窟内に入ると水平、垂直に削り取られた小さめの空間(僧院)が広がり、壁には所々に穴が開き、仏龕か蝋燭を置く窪みだけが残っている。壁には所々にドアがあるが装飾のない極めてシンプルな造りであり、まるで引越した事務所の一室の様である。穀物や食料の貯蔵庫として利用していたと考えられている。


第2窟もヴィハーラ窟で、第1窟と隣り合っているが、やや高い位置にある。階段を上った所にある長方形の狭い入口や小さめな左右の窓(蝙蝠や鳥の侵入を防ぐための金網で覆われている。)など、一見アパートメントを思わせる造りである。入口左右には菩薩立像の門衛レリーフがあり、その周りには仏龕や飛天など装飾が施されている。
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狭い入口から第2窟に入ると、中央に石柱で囲まれた正方形の空間がありその奥に見えるドア内に仏陀像(本尊)が祀られている。中央の石柱は、下部は角柱で、中央からは縞模様の円柱で柱頭は大きく膨らんだ円盤状になっている。中央部には太鼓腹のクベーラかヤクシャらしき坐像と唐草紋様の細かい装飾が施されている。


窟内は入口や窓が小さく、覆いもあるため外光が入りにくくは暗い。本尊前のドア壁面には門衛として菩薩立像や飛天などが彫られている。ドア奥(厨子)に奉られた本尊は左右脇侍に菩薩像を配し、椅像で説法印(転法輪印)を結んだ姿を見せている。厨子内の側面には更に仏陀の立像や手を合わせて跪く信者の姿など仏教世界が彫り込められている。ドアには二重に固定枠があることから、当時は観音開きの扉などが付けられていたのだろう。
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中央空間を取り囲む様に側廊がある。本尊に向かって左右の側廊には、一段高い場所に列柱がありアーケードを形成している。


アーケード奥の壁面には、本尊同様に、多くの仏陀三尊像が彫り込められており、全ての柱と柱の間から三尊像を礼拝できる造りになっている。
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第3窟は、段丘崖下部のやや奥まった場所に造られているため、崖に覆い潰されそうな感覚になる。入口は、前面を覆う段丘岩肌を過ぎて回り込んだ所にある。内部は第2窟と同じ正方形空間を側廊が取り囲んだヴィハーラ窟(僧院窟)だが、未完成のようだ。入口から見て正面奥には、本尊の祀られた厨子があり、こちらも第2窟の厨子内の荘厳と類似しているが、やはり未完成である。


ここから先の第4、5窟以降を眺めると、二段(二層)にわたり石窟が造られているのが見える。


その第4窟すぐ手前の2階を見上げるとテラス状になっており、厨子の一部が崩落して仏陀像が剥きだしになっている。その真下(1階)にも厨子があり、説法印を結ぶ仏陀椅像を中心に両脇から側面にかけて仏陀立像や菩薩が取り囲んでいる。


足場で支えられた庇の下を奥に進んだ角柱の場所が第4窟の入口になる。2本の角柱のすぐ先に門衛の菩薩像が二体刻まれた壁面があり、間の厨子内に三尊像(椅像)が祀られている。厨子内に入って周りを見渡すと側面には彫像はないが未完成なのだろうか。他に僧院らしき部屋もないが、庇の下の空間には、もともと列柱が並んでいたのではないだろうか。


庇の先端まで戻り、先にある階段を上った右側が第5窟である。第5窟の入口前から右に向かうと、先ほど下から仰ぎ見た仏陀像を正面に見ることができるが、その手前の階段は崩落しそうに薄く危険である。
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さて、第5窟はマハルワダ窟と名付けられたヴィハーラ窟で、内部は幅18メートル×奥行き36メートルの巨大な講堂になっており、中央には、入口から奥の本尊方向に僧侶が座ったと言われる台座が二列伸びている。このことからこの窟は僧の集会所もしくは食堂だったと言われている。奥の本尊は、第4窟までの荘厳を踏襲している。これだけの広い空間を支える平らの天井岩盤には敬服するばかりである。


第5窟の入口前から、左側にある岩肌沿いの階段を数段上った先に第6窟がある。扉には鍵がかかって入れないが金網を覘くと通路を挟んだ壁面のドアの奥に仏陀像の祀られた厨子がある。第4窟(1階)と良く似た造りで、手前の壁面の左側には、金剛手菩薩像が右側には菩薩像の門衛レリーフがある


再び階段を降り岩壁に開けられた狭い長方形の扉が第7窟の入口で、石窟内部の足元は削られたままの凹凸面が広がっている
次に歩道に示された第8窟に向かう。正面の正方形にくり抜かれた空間のすぐ奥には、細い2本の柱で支えられた正方形の厨子があり、その厨子内に、三尊像が祀られている。


第8窟の入口手前の左岩肌にはパーンチカとハーリティーの彫像がある。パーンチカは、クベーラ(毘沙門天)の部下で八大夜叉大将の一人。そしてハーリティーは鬼子母神のことで二人は夫婦である。ハーリティーは、他人の子供をさらっては食していたが、仏陀が彼女の末子を隠したことで、他人の親の悲しみを知り、以降は子供を守る神(多産と育児の神)となった。
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パーンチカとハーリティー坐像前から見上げると細かく美しい浮彫が見える。その下に見える入口が第9窟である。


第9窟には、これまでの窟になかった入口の上部に細かい装飾が施されている。破風を思わせる様な三角形の龕の中には仏陀坐像が表現され、その下のまぐさ石にも繊細な浮彫が多数施されている。


第9窟へは、第6窟(2階)前から通路を通って直接行くことができる。巨大なまぐさ石の下の2本の角柱先の通路を挟んですぐ目の前に仏陀椅像が現れたため、やや唐突感があった。入口上部の荘厳からチャイティア窟(祠堂窟)と思ったが、ここもヴィハーラ窟(僧院窟)とされている。


さて、パーンチカとハーリティー像のある岩壁に沿って回り込んだ段丘崖の奥に、二層に掘られた第10窟が現れる。第10窟(昨日見た)はヴィシュヴァカルマ窟と呼ばれ、7世紀後半から8世紀前半に造られた。12窟ある仏教石窟寺院唯一のチャイティア窟(祠堂窟)である。
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二階部には寺院の外観を思わせるような浮彫レリーフを中心に左右対称の飛天が施され、上下の梁にあたる部分には、ミトゥナ像が繰り返し表現されている。左右の壁面下部には破風飾りがあり、仏陀像や菩薩像の細かい浮彫が見られる。特に破風飾りの下の仏龕には、手をつなぐ親子を思わせる菩薩像があり、印象に残った。


上から見下ろすと入口前は、アーチのある三辺のアーケードで囲まれ、境内地を思わせる空間がある。宗教上の儀式行事は、窟内だけでなく、この場所でも行われていたのではないだろうか。

1階から石窟内に入ると、西側が入口となるため、窟内はライトで照らされている。ライトに照らされた仏陀像は、優しい表情で気持ちが落ち着かされる。石窟でヴォールト天井にしているのは不思議である。石組みではないためバシリカ式教会堂で見るような平らな天井で良いと思うのだが。


ストゥーパ後方には通り抜けることができる空間があり、仏陀に見守られながら右遶三匝ができるようになっている。


次の第11窟も周りの段丘崖の奥にあり、歩道からは階段を上って行く。石窟は、柱と梁を垂直・水平に組まれた軸組工法と見まごう造りである。そもそも石窟だからこそ可能な形状であり、実際石を積み上げた場合は強度の問題もあり難しいだろう。外観には派手な装飾もなく、廃墟になったオフィス・ビルかマンションの様にみえる


内部を歩いても水平な廊下を歩いている感覚になり、外を見渡しても、ビルの窓から眺望しているようだ。厨子内には、定印(瞑想印)を結ぶ仏陀坐像が祀られている。


次が昨日見た第12窟で蓮華手菩薩過去七仏等の彫像がある。これで仏教石窟寺院は終了になる。時間は10時を過ぎたところ。


さて、次からヒンドゥ石窟寺院になるが、その第13窟は岩壁に大きく口が開いただけで内部には何もないため、先の第14窟に向かう。


第14窟の床面はでこぼこと波打っており未完成に感じるが、壁面のヒンドゥ教の神像群は見事な造りである。


こちらは「踊るシヴァ神」。ヒンドゥ教の三大神とは、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ及び破壊神シヴァだが、シヴァ神は、ヒンドゥ信者の間で最も人気のある神とされており、こちらの踊るシヴァ神は、躍動感溢れる踊りの瞬間を見事に捉えており、エローラ石窟寺院の彫像の中でも最高傑作の一つと言われている。
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こちらは「聖地カイラス山にてサイコロで遊ぶシヴァ神とパールヴァティー女神」でこの構図もヒンドゥ教の寺院でよく見られる。パールヴァティーとはヒンドゥ教の女神でシヴァ神の神妃を表す。ガンジス川の女神であるガンガーの姉であり軍神スカンダやガネーシャの母でもある。
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そして「ヴィシュヌ神の猪神への化現」。ヴィシュヌ神は世界維持の神とされる。あまねくものを照らす働きをする太陽を神格化したのがヴィシュヌであり、世界を維持する。悪魔を滅ぼす神であり、魚、亀、猪、ラーマ、クリシュナ、など10の姿に化現する。
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「悪魔の水牛マヒシャースラを退治するドゥルガー女神」。ドゥルガーとは「近づき難い者」を意味する。外見は美しいが、実際は恐るべき戦いの女神である。アスラの王が軍勢を率いて天界を攻め、神々を追放してしまったため、神々の怒りから生まれたドゥルガーが次々とアスラの軍勢を滅ぼしたとされる。
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次に第15窟(ダシャ・アヴァターラ窟)は、丘の上にあるため階段を上って行く。


階段を上った先の潜り戸を抜けると、中庭があり、中央に正方形の舞楽殿がある。左右は段丘崖を削ったままの壁面に囲まれ、舞楽殿の背後の段丘崖には、第11窟、第12窟と同じ軸組工法を思わせる石窟がある。


石窟に入った1階部分には装飾はない。階段を上り2階に向かう。整然と並ぶ多くの角柱には装飾がないが、中庭に面した角柱にのみ細かい彫刻が施されている。その角柱の奥壁には彫刻のレリーフが見える。


彫刻は「魔王ヒラニヤカシプと戦うヴィシュヌ神」の場面である。半人半獅子の姿がヴィシュヌ神で、身体をよじるのが魔王ヒラニヤカシプである。下半身が崩壊しているのが残念だが、この空間で本当に戦っている様な躍動感にあふれた構図である。
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反対側の奥壁には「ヴィシュヌ神の超三界」の場面のレリーフがある。悪魔が、天、空、地の三界を支配したため、ヴィシュヌ神は小人となって悪魔の前に現われ、三歩の地を得たいと申し出でると、小人はたちまちに巨人へと変じ、左脚を高く上げ、三歩で三界を占めてしまうといった場面である。
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柱の並ぶ空間の中央奥壁には、シヴァ神の象徴としてリンガが祀られている。そして、リンガからやや離れた場所には、シヴァ神が乗るナンディ(牡牛)像が向き合うようにあるが、近代建築的な僧院には、似つかわしくない風景である。


中庭を望むと舞楽殿を真下に見ることができる。左右を取り囲む壁面を見ると、岩を削り取りこれらの空間が造られたことが分かるが、言われないと建造物と思ってしまう。


さて、いよいよ次がエローラ石窟寺院を代表する第16窟(カイラーサナータ寺院)である。


入口に向かう。時間は午前10時45分を過ぎ、観光客も増えて来た。
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正面には段丘崖を削って造られた巨大な塔門が聳え立ち、まるで要塞を思わせるどっしりとした造りである。扉口の上部には巨大なまぐさ石と、左右には列柱が続き、様々なヒンドゥ神の彫刻が施されている


扉をくぐり通路を進むと、正面に、水蓮の上に座った姿で、左右の二頭の象(ガジャ)から聖水を注がれているガジャ・ラクシュミー女神が迎えてくれる。その女神像前の左右からカイラーサナータ寺院の境内地(中庭)に出ることができる。女神像は、「ナンディ堂」と名付けられたお堂の正面にあり、境内地(中庭)から「ナンディ堂」を眺めることができる。見学は左側の境内地からスタートすることにする。

「ナンディ堂」の「踊るシヴァ神」のレリーフ上部に彩色が残っていることから、カイラーサナータ寺院は鮮やかに彩られていたのだろう。2階の空間にはシヴァ神が乗るナンディ(牡牛)像があり、奥の「本殿」に祀られたシヴァ神(リンガ)が乗るのを待っている(奥の本殿まで通路になっている)。1階には部屋はないが、次の「前殿」とを繋ぐ橋脚の下を通り抜け反対側(右側)の境内地(中庭)に行くことができる。
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橋脚下には巨大な(2メートルを優に超える)彫像が向かい合うように壁面を飾っている。「ナンディ堂」側の壁面には力強く表現された「怒れるシヴァ神」があり、
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そして「前殿」側の壁面には、同サイズの「瞑想するシヴァ神」がある。
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「ナンディ堂」のすぐ隣には高さ17メートルのスタンバ(旗竿付きの柱)が聳えており、その手前には、巨大な象の彫像がある。

その奥の壁面には、2層にわたるアーチのあるランケーシュワラ寺院で、寺院内にはシヴァ神とパールヴァティー女神やガネーシャ、スーリヤなど多くの神々の彫刻が施されている。柱の繊細な浮彫彫刻も見事である

さて境内地(中庭)を奥に進むと、「前殿」の外壁には「ラーマヤナとマハーバーラタの物語」の「マハーバーラタ物語」が刻まれている。古代インドの二大叙事詩(宗教的、哲学的、神話的)として語り継がれており、共にヒンドゥ教の聖典として重視されている。
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カイラーサナータ寺院は、ラーシュトラクータ朝(プラティーハーラ朝、パーラ朝と共に、デカン地方で覇権を争っていたヒンドゥ王朝)の君主クリシュナ1世(在位:756~775)の命により、ヒマラヤのカイラス山(ヒンドゥ教でシヴァ神が住むとされる須弥山)をイメージして開窟された。
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入口にある「ナンディ堂」、バルコニーがある翼部を持つ「前殿」、そして「本殿(中央の大シカラと後方の3つの小シカラからなる)」とが連なる巨大な寺院(高さは約34メートル、底面は85メートル×50メートル。)で、完成までに100年の歳月が費やされた。参拝者は巨大なカイラーサナータ寺院の周りの境内地(中庭)を周遊できるようになっている。
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カイラーサナータ寺院を取り巻く壁面は削り込んだ荒々しい断面のままで、地上近くで内側に深く掘りこまれ、奥に柱が並ぶアーケードとなっている。柱の下の基壇には、浮き彫りが見られ、基壇の上のアーケード内は通路がありコの字の回廊を形成している。参拝者は、中庭のカイラーサナータ寺院と、ヒンドゥの神々が刻まれた内側の壁面を見ながら回廊を歩くことができる。


「前殿」そして「本殿」の基壇部の上には象の彫像が並んでいる。これらは「宇宙を支えるゾウ群」と呼ばれている。「本殿」の最後部には小シカラが3塔聳えている。


3塔目の小シカラを回り込むと、反対側の境内地(中庭)になる。
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「前殿」のバルコニーがある翼部の基壇には、深彫りされた中にシヴァ神のいるカイラーサナータの丘を持ち上げようとしているラーヴァナ(魔王)の巨大な彫像がある。かなりダイナミックに表現されている。
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その隣には先ほど反対側で見た「マハーバーラタ物語」に対して「ラーマヤナ物語」が刻まれている。
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この時間のカイラーサナータ寺院は太陽が真上に近づくため、窟内から見上げる大シカラは逆光になるため直視できない。と言うことで丘の上から見下ろすことにした。

一旦塔門から外に出て、先ほど見学してきた仏教石窟寺院方面に続く歩道を戻って進む。そして巨大な丘陵岩を左に見て通り過ぎたところに岩を削って造られた階段がある。カイラーサナータ寺院の入口塔門からは100メートル近く離れており、何の案内表示もないことから事前に登頂を予定しておかなければ偶然で行くことはできない。この時も他に登って行く人はいなかった。


階段を上り手前にあった巨大な丘陵岩の上部を回り込むと、なだらかな通路に変わり前方に続いている。しばらく進むと前方に「本殿」の大シカラが見えてきた。
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通路沿いには柵などはないため、こわごわと前方を覗き込む。上ってきた通路は更にカイラーサナータ寺院の後方の丘に伸びており、そのまま、対璧方面に続いているようだ。カイラーサナータ寺院の後方近くまで来ると、通路は巨岩に掘られた細い溝だけになり、かなり歩き辛くなる。
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やや斜め後方から覗き込むと、「本殿」中央の大シカラと、その前の「前殿」が見下ろせる。「本殿」の大シカラは、カジュラーホーで多く見られた北方型のナーガラ様式(砲弾型、或いはトウモロコシ型)と、南方型のドラーヴィダ様式(ピラミッド型)とを併せ持つヴェーサラ様式で造られている。塔は4層に分かれているようで、各層には、神々の像や牛、獅子などの彫像も見える。「前殿」の蓮型の浮彫がある屋上の象や獅子の彫像などは、この場所でしか拝めない。
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しゃがみ込み少し横に移動しながら、再び覗き込み、
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次に、対璧側まで行き、覗き込むと、「本殿」最後部の3つの小シカラまで良く見える。大シカラと小シカラの下部はテラスになっており、歩くことができる。
カイラーサナータ寺院を取り囲む壁面は丘陵地の岩を下へ下へ垂直に削り取って造院されたことも良く窺える。ここからの風景が全て一つの岩からノミとカナヅチ等で掘られたと想像すると気が遠くなりそうだ。
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(2013.3.1)
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