時刻は午前11時半になった。アジャンター石窟寺院の第15窟を過ぎると、エレファントゲートと呼ばれる大きな象の彫刻が左右を飾る場所に到着する。この辺りが、石窟群のなかで最も標高が高い位置にあたる。ゲートの奥には菩薩椅像の祠があり、手前の細い階段を左に上って行く。なお、7世紀頃の石窟群のメイン入口は、この場所だったとされている。
階段を上ったすぐ右側(エレファントゲートの真上にあたる)に第16窟がある。この窟は4世紀頃、デカン高原を中心に栄えたヴァーカータカ朝(3世紀~にインド北部を統一したグプタ朝と同時期)が後押しして開窟した。
この時間になるとかなり観光客が増えてきた。これ以上増えると入場制限をされるのではないかと少し気になった。
第16窟は、中央空間を取り囲む様に左右に側廊があり、多くの壁画が描かれているが、かなり剥落している。左の側廊には、ナンダの出家物語が描かれている。仏陀の異母兄弟のナンダは、仏陀出家後、シャカ族の王位継承者だったが、仏陀を追って出家してしまう。ここでは、それを知って悲しみに倒れた新妻が、背後から侍女に抱きかかえられ、周りからは侍女にいたわられる姿が描かれている。
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他にも、シュラーヴァスティーの奇跡、マーヤー夫人の託胎霊夢、シッダールタ王子を訪れるアシタ仙人、尼蓮禅河でのスジャータの供物(乳粥)などの仏伝が描かれ見どころの窟であるが、剥落が激しすぎて識別はかなり困難である。。
さて、小さな岩肌を超えるとすぐに第17窟が現れる。入口には直射日光を遮るフードかかけられており、手前には多くの履物が置かれている。
前廊天井には曼荼羅を中心に一面草花の壁画で埋め尽くされている。
石窟中央入口の上部には、多くの仏陀像が描かれている。前廊でこれだけ壁画が残っているのは貴重だ。
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中央扉口に向かって左上には、ヴェッサンタラ・ジャータカ(布施行の重要さを表す説話)のヴェッサンタラ王子家族の様子が描かれている。
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前廊から窟内に入ると、第16窟と同様に、中央空間を取り囲む様に左右の側廊は壁画で埋め尽くされている。壁画の題材は、仏陀の前生、ジャータカ物語を中心に描かれているが、やはり窟内はかなり暗いため、識別には厳しいものがある。壁画保護のためにはやむを得ないのだが。
窟内入口に入ってすぐ左側の壁面には、六牙白象の物語が描かれている。ヒマラヤ山中の蓮池に、6本の白い牙を持つ象王とその象の一群が生活していたが、象王の第一夫人に嫉妬した第二夫人が死んでしまう。その後カーシー国の妃に生まれ変わった第二夫人から象王の牙を持ってくるように命じられた猟師が、象王に6本の牙を懇願したことから、象王は自ら牙を抜き、猟師に布施し死んでしまう。象王は仏陀の前世における菩薩の姿であるとされる。
窟内は、第1窟、第2窟に匹敵する広さ(34.5メートル×25.63メートル)があり、中央空間は、20本の巨大な八角形の柱で囲まれているが、その柱も壁画で埋め尽くされている。
第18窟は2本の柱で支えられる小さな空間で、貯水池として利用されていたとされる。その空間から左側の扉をくぐり、岩肌に沿って通路を進んだところに、左右に脇堂を配した第19窟がある。
第9窟、第10窟同様に馬蹄形の窓があるチャイトヤ窟だが、第9窟よりやや小ぶりな造り(16.05メートル×7.09メートル)である。5世紀に開窟されたことから、アジャンター石窟寺院の中では後期にあたる。両側にヤクシャーの彫刻があり、入口正面は、柱の上部にポーチをつけた張り出し状になっており、繊細な彫刻が随所に施されている。窓の内側には、色彩も残っている。
側面璧には多くの立像が彫られている。
窟内は他のチャイトヤ窟同様に多くの柱で身廊と背後の側廊とにわかれている。身廊の中央奥には、ストゥーパと仏陀立像が祀られている。
ストゥーパの覆鉢部分は小ぶりで、むしろ頂部の傘竿が巨大化され、ヤクシャらしき像が三重の傘蓋を支える姿で表現されている。もともとインドは陽射しが強いことから、貴人には日傘を差し掛けるのが礼儀とされたため、ストゥーパにもデザインされたものだが、なんとも手が込んだものとなっている。そして、仏陀像の左右には荘厳された円柱などが配され、頭部は、覆鉢部分を半円に切り込まれ、光背のようにも、或いは荘厳された厨子内に祀られているようにも見える。
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柱頭部分と梁にも多くの浮彫がある。ヴォールト天井にはリブが造られており壁画も見える。第19窟は、全体的に古代のジャイナ教とヒンズー教の影響を受けた石窟寺院となっている。
第20窟は、5世紀に開窟されたが、未完成のまま工事は中止されている。
入口アーケードを構成する柱頭にはヤクシニーが彫られている。
窟内は、16.2メートル×17.91メートルと小さく簡素な空間だが、細かい浮彫が施された前廊を持つ大ぶりな仏堂がある。
次の第21窟へは、少し離れており階段の上り降りが続く通路が続いた先にある。
内部の柱頭にはわずかに彫刻があるが、仏堂前の壁には彫刻がない。天井には、わずかながら、壁画が残っている。
天井には草花や幾何学模様が描かれているが、大きく剥離している。
第22窟、第23窟と未完成窟が続く。
第24窟に入ると床は大きな凹凸がある。まさに、工事途中である。
第25窟も未完成窟。第26窟は第19窟同様の後期チャイトヤ窟で、馬蹄形の窓が見える。窓の下のポーチは残念ながら崩落してしまっている。
第26窟は、5世紀後半から6世紀前半に開窟された。窟内は第19窟と似ているが、かなり広い(25.34メートル×11.52メートル)。また、天井を覆うヴォールトの丈はかなり嵩高になっている。まるで輪垂木をはめ込んでいるようである。
仏像とストゥーパの一体化は第19窟以上に進んでいるように思える。ストゥーパの覆鉢部分には、水の精アプサラスが、表現され、その下部にも多くのパネルが並んでいる。そしてストゥーパの後部にも、多くのパネルが彫刻されており、ストゥーパと言うより仏陀の座る玉座のようにも見える。
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仏陀の両肩上部には飛天がみえる。
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柱頭の側面下部には裸の童子の壁画が残されている。
そして、ストゥーパに向かって左柱の側廊壁面には巨大な涅槃像がある。
穏やかなお顔である。台座には、弟子たちの悲しむ姿が彫られている。見事な彫刻である。
側廊壁面には他にも多くの彫刻がみられる。
三尊像が掘られた龕が連続して並んでいる。
涅槃像の右側には、降魔成道像が表現されている。仏陀は悟りを開くためにブッダ・ガヤーの菩提樹の下に座していた時、魔王(マーラ)が仏陀を挫折させようと押し寄せたが、仏陀は穏やかな表情のまま降魔印を結び、魔王達を超力で降伏させたと伝えられる(仏陀の右手が指し示す、下部にいる女性がマーラ。)
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第27窟以降は行けないらしいので、第26窟で終了である。
振り返ると、見学してきた石窟群を望むことができる。U字に蛇行して流れるワゴーラー川の渓谷の断崖に開窟してきた様子がよくわかる。
そして、ワゴーラー川対岸の山頂には、今朝行った展望台(ミドル・ビューポイント)が見える。時計を見ると14時前である。お腹が減ったので、入口のレストランに向けて大返しする。
レストランでスペシャルターリーとビールを頼む。締めて400ルビー。
その後、再び見学した後、16時頃に入口に戻ってきた。すると、今朝展望台に送ってくれたオートバイの彼がいるではないか。時間を伝えていなかったのに、何故いるのか不思議であった。彼は土産屋にいる父のお店に寄ってくれと言っている。昨夜、夕食の際に近づいてきた本当の理由は、土産品を買わすためのようだ。。
シャトルバスに乗りアジャンター・ジャンクションで降りると、路線バスの方向とは違う土産屋が並ぶ一角(ストーンショップ)に連れて行かれた。ストーンショップは何軒か並んでおり、その一軒に昨夜の男がいた。男はチャイを勧めながら、アジャンター石窟の感想を聞き、高級ストーンを購入しろとしつこく勧めてくる。あまりにしつこいので値切りに値切って一つだけ購入(600ルピー)したが、男は、不満だったのか愛想が悪くなった。しかし、男はバイクでホテルまで送ってくれたが、そのまま黙って去っていった。
ホテルから北300メートルほどの街道沿いに酒屋(ワインショップ)があったので、キングフィッシャービール(150ルビー)を買い、ベランダで飲むことにした。遠景は素晴らしいが、真下はゴミだらけである。
ベランダの椅子に座りデカン高原に沈む夕日を見ながらビールを飲んだ後、1階のレストランに行き、ハッカヌードル(焼きそば)(130ルピー、水込み)を食べた。他に夕食の客はいなかった。
翌朝、今日は移動先のジャルガウンに宿泊する以外に予定がないので、当初、アジャンター石窟寺院を再び見学するつもりだったが、今日、月曜日は休みなのである。。
と言うことで、ジャルガウンに向かうべく10時から路線バスを待つ。周りには5~6人が待っていた。15分程でバスが近づいて来たが、バスは停まらず、男(車掌?)がドアから身を乗り出し、こちらに何やら叫んでいる。よくわからないので、その男に「ジャルガウンに行くか」聞くと、手招きされたので飛び乗った。徐行していたバスは、すぐにスピードを上げた。
バスは、無事12時過ぎに、ジャルガウンのバス・スタンドに到着した。運賃は55ルビーであった。
ジャルガウンの町は、思った以上に都会のようだ。最初に、明日乗車予定のジャルガウン駅を見に行くことにした。
何人かに場所を尋ねた後、15分ほどで駅に到着した。
次に今夜の宿探しである。駅前から南に延びるステーション・ロードを100メートルほど歩き、左折するとホテル(Hotel Kewal Inn)があった。交渉の結果、800ルビー(税込)で泊まることにした。
部屋でしばらく休憩しているとお腹が減ってきたので、レストランを探すことにした。ホテルを出てステーション・ロード沿いのすぐ南に大きく綺麗なホテル(Hotel Silver Palace)があり、そこにレストランがあった。
上海ヌードルを頼んだが、これがかなり美味かった。ビールと合わせて270ルビー。あまりに美味しかったので、夕食にも行ってみた。夜はチキンチャーハン、マトン、ビール(計500ルビー)を頼んだ。大きなホテルのレストランらしく100名ほどの席があるが、利用していたのは他に2組だけだった。
余りに美味しかったので、翌日の昼も来てしまった。顔なじみになったらしく、スタッフからは、今日はカレーを食べてくれと勧められ、注文したらこれがまた美味い。ライスは炊き立てでお米が光っており、チャパティも良い油を使っているし、小麦粉のうま味と香りも感じる。480ルビー。インドで食べた食事では、このレストランが最高だった。
食事後、セントラル・フール・マーケットに買い物に行く。市民の台所なのだろう。巨大なマーケットであった。見てて飽きなかった。
店員からは写真を撮ってくれと言われる。
ホテルのカウンターにドミノピザのチラシがあったので、注文できるか聞いたところOKとのことだったので、今夜の車内での晩御飯(飲み物はウイスキー)にしようとお願いした。450ルビー。
チェックアウト後、乗車時間までフロントで滞在した。ところで鉄道チケットは、日本から事前に予約(1170ルピー+200ルピー(手数料)=1370ルピー)していたもので、17時55分ジャルガウン発、翌12時10分ニューデリー着の寝台である。なんとも長時間の乗車だが、金額の安さに負けたわけである。。
翌日は1時間半遅れで無事ニューデリーに到着した。その後、ジャンタル・マンタル(天文台)(100ルピー)やラクシュミーナーラーヤン寺院など、市内を観光し、オールドバザールのグロウアップ・ホテル(450ルピー)に一泊した後、翌日、日本に向け帰国の途についた。なんとか体調を崩さず無事帰国できた。
(2013.3.3~5)
階段を上ったすぐ右側(エレファントゲートの真上にあたる)に第16窟がある。この窟は4世紀頃、デカン高原を中心に栄えたヴァーカータカ朝(3世紀~にインド北部を統一したグプタ朝と同時期)が後押しして開窟した。
この時間になるとかなり観光客が増えてきた。これ以上増えると入場制限をされるのではないかと少し気になった。
第16窟は、中央空間を取り囲む様に左右に側廊があり、多くの壁画が描かれているが、かなり剥落している。左の側廊には、ナンダの出家物語が描かれている。仏陀の異母兄弟のナンダは、仏陀出家後、シャカ族の王位継承者だったが、仏陀を追って出家してしまう。ここでは、それを知って悲しみに倒れた新妻が、背後から侍女に抱きかかえられ、周りからは侍女にいたわられる姿が描かれている。
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他にも、シュラーヴァスティーの奇跡、マーヤー夫人の託胎霊夢、シッダールタ王子を訪れるアシタ仙人、尼蓮禅河でのスジャータの供物(乳粥)などの仏伝が描かれ見どころの窟であるが、剥落が激しすぎて識別はかなり困難である。。
さて、小さな岩肌を超えるとすぐに第17窟が現れる。入口には直射日光を遮るフードかかけられており、手前には多くの履物が置かれている。
前廊天井には曼荼羅を中心に一面草花の壁画で埋め尽くされている。
石窟中央入口の上部には、多くの仏陀像が描かれている。前廊でこれだけ壁画が残っているのは貴重だ。
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中央扉口に向かって左上には、ヴェッサンタラ・ジャータカ(布施行の重要さを表す説話)のヴェッサンタラ王子家族の様子が描かれている。
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前廊から窟内に入ると、第16窟と同様に、中央空間を取り囲む様に左右の側廊は壁画で埋め尽くされている。壁画の題材は、仏陀の前生、ジャータカ物語を中心に描かれているが、やはり窟内はかなり暗いため、識別には厳しいものがある。壁画保護のためにはやむを得ないのだが。
窟内入口に入ってすぐ左側の壁面には、六牙白象の物語が描かれている。ヒマラヤ山中の蓮池に、6本の白い牙を持つ象王とその象の一群が生活していたが、象王の第一夫人に嫉妬した第二夫人が死んでしまう。その後カーシー国の妃に生まれ変わった第二夫人から象王の牙を持ってくるように命じられた猟師が、象王に6本の牙を懇願したことから、象王は自ら牙を抜き、猟師に布施し死んでしまう。象王は仏陀の前世における菩薩の姿であるとされる。
窟内は、第1窟、第2窟に匹敵する広さ(34.5メートル×25.63メートル)があり、中央空間は、20本の巨大な八角形の柱で囲まれているが、その柱も壁画で埋め尽くされている。
第18窟は2本の柱で支えられる小さな空間で、貯水池として利用されていたとされる。その空間から左側の扉をくぐり、岩肌に沿って通路を進んだところに、左右に脇堂を配した第19窟がある。
第9窟、第10窟同様に馬蹄形の窓があるチャイトヤ窟だが、第9窟よりやや小ぶりな造り(16.05メートル×7.09メートル)である。5世紀に開窟されたことから、アジャンター石窟寺院の中では後期にあたる。両側にヤクシャーの彫刻があり、入口正面は、柱の上部にポーチをつけた張り出し状になっており、繊細な彫刻が随所に施されている。窓の内側には、色彩も残っている。
側面璧には多くの立像が彫られている。
窟内は他のチャイトヤ窟同様に多くの柱で身廊と背後の側廊とにわかれている。身廊の中央奥には、ストゥーパと仏陀立像が祀られている。
ストゥーパの覆鉢部分は小ぶりで、むしろ頂部の傘竿が巨大化され、ヤクシャらしき像が三重の傘蓋を支える姿で表現されている。もともとインドは陽射しが強いことから、貴人には日傘を差し掛けるのが礼儀とされたため、ストゥーパにもデザインされたものだが、なんとも手が込んだものとなっている。そして、仏陀像の左右には荘厳された円柱などが配され、頭部は、覆鉢部分を半円に切り込まれ、光背のようにも、或いは荘厳された厨子内に祀られているようにも見える。
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柱頭部分と梁にも多くの浮彫がある。ヴォールト天井にはリブが造られており壁画も見える。第19窟は、全体的に古代のジャイナ教とヒンズー教の影響を受けた石窟寺院となっている。
第20窟は、5世紀に開窟されたが、未完成のまま工事は中止されている。
入口アーケードを構成する柱頭にはヤクシニーが彫られている。
窟内は、16.2メートル×17.91メートルと小さく簡素な空間だが、細かい浮彫が施された前廊を持つ大ぶりな仏堂がある。
次の第21窟へは、少し離れており階段の上り降りが続く通路が続いた先にある。
内部の柱頭にはわずかに彫刻があるが、仏堂前の壁には彫刻がない。天井には、わずかながら、壁画が残っている。
天井には草花や幾何学模様が描かれているが、大きく剥離している。
第22窟、第23窟と未完成窟が続く。
第24窟に入ると床は大きな凹凸がある。まさに、工事途中である。
第25窟も未完成窟。第26窟は第19窟同様の後期チャイトヤ窟で、馬蹄形の窓が見える。窓の下のポーチは残念ながら崩落してしまっている。
第26窟は、5世紀後半から6世紀前半に開窟された。窟内は第19窟と似ているが、かなり広い(25.34メートル×11.52メートル)。また、天井を覆うヴォールトの丈はかなり嵩高になっている。まるで輪垂木をはめ込んでいるようである。
仏像とストゥーパの一体化は第19窟以上に進んでいるように思える。ストゥーパの覆鉢部分には、水の精アプサラスが、表現され、その下部にも多くのパネルが並んでいる。そしてストゥーパの後部にも、多くのパネルが彫刻されており、ストゥーパと言うより仏陀の座る玉座のようにも見える。
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仏陀の両肩上部には飛天がみえる。
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柱頭の側面下部には裸の童子の壁画が残されている。
そして、ストゥーパに向かって左柱の側廊壁面には巨大な涅槃像がある。
穏やかなお顔である。台座には、弟子たちの悲しむ姿が彫られている。見事な彫刻である。
側廊壁面には他にも多くの彫刻がみられる。
三尊像が掘られた龕が連続して並んでいる。
涅槃像の右側には、降魔成道像が表現されている。仏陀は悟りを開くためにブッダ・ガヤーの菩提樹の下に座していた時、魔王(マーラ)が仏陀を挫折させようと押し寄せたが、仏陀は穏やかな表情のまま降魔印を結び、魔王達を超力で降伏させたと伝えられる(仏陀の右手が指し示す、下部にいる女性がマーラ。)
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第27窟以降は行けないらしいので、第26窟で終了である。
振り返ると、見学してきた石窟群を望むことができる。U字に蛇行して流れるワゴーラー川の渓谷の断崖に開窟してきた様子がよくわかる。
そして、ワゴーラー川対岸の山頂には、今朝行った展望台(ミドル・ビューポイント)が見える。時計を見ると14時前である。お腹が減ったので、入口のレストランに向けて大返しする。
レストランでスペシャルターリーとビールを頼む。締めて400ルビー。
その後、再び見学した後、16時頃に入口に戻ってきた。すると、今朝展望台に送ってくれたオートバイの彼がいるではないか。時間を伝えていなかったのに、何故いるのか不思議であった。彼は土産屋にいる父のお店に寄ってくれと言っている。昨夜、夕食の際に近づいてきた本当の理由は、土産品を買わすためのようだ。。
シャトルバスに乗りアジャンター・ジャンクションで降りると、路線バスの方向とは違う土産屋が並ぶ一角(ストーンショップ)に連れて行かれた。ストーンショップは何軒か並んでおり、その一軒に昨夜の男がいた。男はチャイを勧めながら、アジャンター石窟の感想を聞き、高級ストーンを購入しろとしつこく勧めてくる。あまりにしつこいので値切りに値切って一つだけ購入(600ルピー)したが、男は、不満だったのか愛想が悪くなった。しかし、男はバイクでホテルまで送ってくれたが、そのまま黙って去っていった。
ホテルから北300メートルほどの街道沿いに酒屋(ワインショップ)があったので、キングフィッシャービール(150ルビー)を買い、ベランダで飲むことにした。遠景は素晴らしいが、真下はゴミだらけである。
ベランダの椅子に座りデカン高原に沈む夕日を見ながらビールを飲んだ後、1階のレストランに行き、ハッカヌードル(焼きそば)(130ルピー、水込み)を食べた。他に夕食の客はいなかった。
翌朝、今日は移動先のジャルガウンに宿泊する以外に予定がないので、当初、アジャンター石窟寺院を再び見学するつもりだったが、今日、月曜日は休みなのである。。
と言うことで、ジャルガウンに向かうべく10時から路線バスを待つ。周りには5~6人が待っていた。15分程でバスが近づいて来たが、バスは停まらず、男(車掌?)がドアから身を乗り出し、こちらに何やら叫んでいる。よくわからないので、その男に「ジャルガウンに行くか」聞くと、手招きされたので飛び乗った。徐行していたバスは、すぐにスピードを上げた。
バスは、無事12時過ぎに、ジャルガウンのバス・スタンドに到着した。運賃は55ルビーであった。
ジャルガウンの町は、思った以上に都会のようだ。最初に、明日乗車予定のジャルガウン駅を見に行くことにした。
何人かに場所を尋ねた後、15分ほどで駅に到着した。
次に今夜の宿探しである。駅前から南に延びるステーション・ロードを100メートルほど歩き、左折するとホテル(Hotel Kewal Inn)があった。交渉の結果、800ルビー(税込)で泊まることにした。
部屋でしばらく休憩しているとお腹が減ってきたので、レストランを探すことにした。ホテルを出てステーション・ロード沿いのすぐ南に大きく綺麗なホテル(Hotel Silver Palace)があり、そこにレストランがあった。
上海ヌードルを頼んだが、これがかなり美味かった。ビールと合わせて270ルビー。あまりに美味しかったので、夕食にも行ってみた。夜はチキンチャーハン、マトン、ビール(計500ルビー)を頼んだ。大きなホテルのレストランらしく100名ほどの席があるが、利用していたのは他に2組だけだった。
余りに美味しかったので、翌日の昼も来てしまった。顔なじみになったらしく、スタッフからは、今日はカレーを食べてくれと勧められ、注文したらこれがまた美味い。ライスは炊き立てでお米が光っており、チャパティも良い油を使っているし、小麦粉のうま味と香りも感じる。480ルビー。インドで食べた食事では、このレストランが最高だった。
食事後、セントラル・フール・マーケットに買い物に行く。市民の台所なのだろう。巨大なマーケットであった。見てて飽きなかった。
店員からは写真を撮ってくれと言われる。
ホテルのカウンターにドミノピザのチラシがあったので、注文できるか聞いたところOKとのことだったので、今夜の車内での晩御飯(飲み物はウイスキー)にしようとお願いした。450ルビー。
チェックアウト後、乗車時間までフロントで滞在した。ところで鉄道チケットは、日本から事前に予約(1170ルピー+200ルピー(手数料)=1370ルピー)していたもので、17時55分ジャルガウン発、翌12時10分ニューデリー着の寝台である。なんとも長時間の乗車だが、金額の安さに負けたわけである。。
翌日は1時間半遅れで無事ニューデリーに到着した。その後、ジャンタル・マンタル(天文台)(100ルピー)やラクシュミーナーラーヤン寺院など、市内を観光し、オールドバザールのグロウアップ・ホテル(450ルピー)に一泊した後、翌日、日本に向け帰国の途についた。なんとか体調を崩さず無事帰国できた。
(2013.3.3~5)