ザルツブルグを出発して、1時間ほどで、前方にヴォルフガング湖が見えてきた。左に大きく曲がる街道(158号線)右側には、湖を一望できるビューポイントがあり多くの車が駐車している。その先の「聖エギディウス教会」が建つ場所が、湖の最西端の町ザンクト・ギルゲン(St. Gilgen)である。
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※聖エギディウス教会は、聖ギルゲンのラテン語読みで聖アエギディウス(650頃~710頃)のこと。
その大きく左に曲がった街道は、今度は大きく右に曲がりながら下って行く。ロープーウェイが横断する左側の観光案内所前を大きく回り込む様に左折すると、プチホテルが並ぶ通りになり、前方に町を代表する「ホテル・ガストフ・ツアポスト」が見える。
街道からは100メートルほどで「ホテル・ガストフ・ツアポスト」が建つザンクト・ギルゲンの中心広場に到着する。
ホテルの向かい側には玩具の様な愛らしい市庁舎が建ち、その前の円形の花壇中央にバイオリンを弾く幼いモーツァルト像が飾られている。「モーツァルトの泉」と呼ばれ、辺り一帯はモーツァルト広場と名付けられている。そして、そのモーツァルト広場を取り囲む様に、花で飾られたショップや、モーツァルトの鉄看板を飾る建物などが建っている。
モーツァルト広場から、通りを東に向かうとすぐ右側に「聖エギディウス教会」が聳え、更に100メートルほど進んだ左側に「モーツァルト・ハウス」がある。
ここは、モーツァルトの母アンナ・マリアが生まれた家で、その後、アンナは、レオポルト・モーツァルトと結婚して、7人の子供を設けたが、そのうち5人が乳児のうちに亡くなったという。生き延びたナンネルとヴォルフガング(モーツァルト)の姉弟二人は子供時代から楽才があり各地で演奏旅行を行った。その後、このアンナの生家には娘のナンネル夫妻が暮らしたが、1983年からモーツァルト博物館として公開されている。
モーツァルト・ハウスの東側は、通りを挟んでヴォルフガング湖に面しており、すぐ南側には船着き場がある。この場所からザンクト・ヴォルフガング方面への遊覧船が発着している。
予定より少し遅れたが、次に、20キロメートルほど東のバート・イシュルに向かう。。
バート・イシュルは、ザルツカンマーグート・エリアでは中央部にあり、南からのトラウン川と西からのイシュル川が合流する内岸に位置(標高468メートル)する人口1万4000人程の小さな町である。16世紀には、岩塩坑が開かれ、その後、鉱泉水が医療用に使用され、多くの著名人も訪れる湯治場として栄えた。
目的地の「カイザーヴィラ(Kaiservilla)」への到着は午後3時頃を予定していたが、既に午後3時40分である。急ぎ、イシュル川の南側にある入口でチケット(ヴィラの見学と公園料金で15ユーロ)購入し、イシュル川に架かる橋を渡り、北方向になだらかに上る遊歩道を駆け足で進んだ。5分ほどで、大きく左にカーブした南側に建つヴィラに到着した。
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カイザーヴィラは、起伏のある丘を活用したイングリッシュ・ガーデン・スタイルの「カイザー・パーク」内に建つハプスブルグ家の公邸である。もともとは、ウィーン公証人ビーダーマイヤー邸だったが、1853年、この地で結婚したフランツ・ヨーゼフ1世(当時23才)(1830~1916、オーストリア皇帝在位:1848~1916)と、エリーザベト(シシィ)(当時16才)(1837~1898)へのお祝いとして、翌年、皇帝の母ゾフィーによりプレゼントされたもので、その後は皇帝家の夏の住居となった。
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は「地上の楽園」と呼んでこのヴィラを愛した。ウィーンの厳格な宮廷生活に馴染めなかったエリーザベトは、頻繁に旅行に出かけるなど逃避していたが、このヴィラでの生活には心が癒されていたという。
ヴィラは、中央部に柱廊を持つ新古典様式で建てられ、上部のペディメントには白い鹿の群れの彫刻があしらわれている。両翼から手前に張り出している建物部分は後程拡張されたもので、上空から見ると、エリーザベトの頭文字”E”になっている。
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見学はガイド・ツアーでのみ可能のため、ガイドからの呼び出しがあるまで、参加者はヴィラの美しい泉の前で写真撮影などしながら待機していた。
蔓で覆われた正面から公邸内に入った「控えの間」の壁に飾られているのは、すべて皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が射止めた狩猟の記念品だそうだ。皇帝は少年期から狩猟が趣味で、皇帝になった後も、狩りのための別荘を建て、自ら猟銃を背負い狩人さながらの恰好で山腹を歩き回るほどであった。
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午後4時になると、ガイドが現れツアーがスタートした。ガイドの説明はドイツ語のみのため、希望する場合は、他の言語のA4(4枚)の説明書(日本語版あり)が貸与される。参加者は十数人程度で、邸宅内の写真撮影は禁止であった。
ツアーは右側の階段を上った「灰色のサロン」から始まり、礼拝堂、皇后の書斎、赤のサロン、婦人用待合室、馬の間、紳士用待合室、帝国内閣メンバー用待合室、狩猟の間、喫煙室、元の食堂を見学した。
こちらは、皇帝の書斎で、皇帝は執務を毎朝4時15分から始めていたという。1914年7月28日、第一次世界大戦のきっかけとなったセルビア王国に対するオーストリアの宣戦布告に署名したのもこの書斎である。皇帝は、60年にわたりこの地を頻繁に訪れたことから、オーストリア・ハンガリー帝国の政治の中枢の場所であったとも言える。机には15才時の姿のエリーザベトの胸像が置かれている。
※案内リーフ記載の写真より
皇后の書斎には愛馬の絵や多くの写真が飾られている。皇后エリーザベトは、イギリス、スコットランド、アイルランドなどの馬術大会にも出場し、世界にも名前がとどろくほどの乗馬の名手だった。また、エリーザベトは、写真技術が発明されてまもない頃から、写真にやみつきとなり、家族や愛馬などを数多く撮っていた。当時の多くの写真が飾られている。
※案内リーフ記載の写真より
フランツ・ヨーゼフ1世は、自らを帝国の一兵士と見なした禁欲主義者だったこともあり、寝室も兵舎にあるようなシンプルな鉄製ベッドと洗面台と祈祷台が置かれただけの質素なものだった。他の部屋も豪華さの中にも華美なものは極力廃された落ち着いた造りで、調度品も一つ一つ丁寧に作られた品々が多い印象だった。
ちなみに、カイザーヴィラは、現在もハプスグルク家の私邸として、皇帝の曾孫にあたるマルクス大公の所有となっている。
ツアーは40分弱で終了した。閉館時間の午後5時まで若干時間があるので、カイザーヴィラから少し離れた公園内にある「エリーザベト皇后のために建てられたコテージ(大理石の城)」に急ぎ行ってみる。ヴィラを出て左側に向かい北側に延びる坂道を歩いて行くと、途中右側の木々の合間から美しい自然に囲まれた丘にヴィラを望むことができる。この場所からヴィラを見ていると、時代を超えてフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトが馬に乗り駆けている姿が目に浮かぶようだ。。
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しばらく丘を上って行くと、木々に囲まれるようにピンク色の大理石で造られた建物が建っている。こちらが、エリーザベトのために1860年に建てられたコテージで、現在は写真博物館として公開している。
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建物の周りは回廊になっており、壁面にはエリーザベト皇后に関する展示が飾られている。扉を入ると見学時間が終了したと伝えられた。しかたがないので、建物の外壁に取り付けられた展示を見学して、出口に向かった。
辺りに観光客はいなくなったので、少し急いで出口に向かった。イシュル川に架かる橋を渡るとまもなく出口である。すると、ヴィラから車に乗った係員がやってきて、敷地を出ると同時に鉄扉は閉じられた。少し慌ただしかったが、よく無事に行程をこなすことができた。。
すぐ先の東西に延びるゲッツ通りには、カイザーヴィラと大きく異なり建物が立ち並んでいる。少し市内を散策しようと、ゲッツ通りを右折して進むと、柱廊のある宮殿の様な外観の映画館があり、その隣の赤い建物の1階に、皇帝御用達の薬局(Kurapotheke)がある。お土産を買おうと思ったがあまり触手の伸びる品はなかった。
映画館左側の三叉路を南に曲がり、映画館の建物沿いにあるお姉さんの居るジェラード屋でジェラードを買う。大きなホテル・ツアポストの1階にあるギリシャ料理店の向こうに、バート・イシュル教区教会のファサードが現れる。
教区教会を右手に見て通り過ぎるとすぐに、右側にトリンク・ハレと名付けられた施設が現れる。こちらではギャラリーなど催しが行われており、バート・イシュルのインフォメーションセンターもここにある。
すぐ南にはトラウン川が流れており、橋を渡った川沿いには、オペレッタ「メリー・ウィドウ」などで知られるオーストリア・ハンガリー帝国生まれの作曲家フランツ・レハール(1870~1948)が、晩年を過ごした館が残されている。レハールヴィラと呼ばれ、現在はミュージアムになっている。
まだ午後6時半だが、昼はケバブだけでお腹が減ったので、予約したレストランに向かう。バート・イシュルからは、西に2.5キロメートルほど離れたクロイターン村にある。
レストラン「Nocken Toni」は、オーストリア料理を中心とした人気店だが、まだ、夕食時間には早いせいかテラス席は空いている。
飲み物は、ツィップ(アッター湖北部の村)産のビール、ツィプファー(Zipfer)(3.4ユーロ)、リースリング(4.4ユーロ)、ブラウフレンキッシュ(6ユーロ)などを頼み、前菜はサラダ(4.9ユーロ)を頼んだ。新鮮なサラダで大変美味しかった。
メインには、ザイプリング(Saibling)(23.8ユーロ)呼ばれ、オーストリアでは、良く食べられるメジャーな魚(淡水魚)を頼んだ。色目は鮭に似ているが、鱒の食感に近いものがある。魚の下には、リゾットが隠れ、一番上にエビが乗っている。
こちらも、オーストリアの伝統料理の一つ、鹿肉(Rehnüsschen)(25.8ユーロ)を頼んだ。肉は臭みはなくやや淡泊な印象があり、慣れていないせいもあったかもしれないが旨みは今一つといった感じ。
翌朝は早く出発する予定もあり、食事は早めに切り上げて午後9時頃ホテルに戻った。日の入り時間は過ぎたが、辺りはまだ明るく景色をゆっくり眺めて一日を終えた。
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朝7時過ぎに朝食抜きでホテルを出発して、ハルシュタットに向かう。ホテルを出て10分ほどでバート・イシュルを過ぎ、街道は大きく右に曲がり南下して行く。右側に見える教会は、ラウフェン(Lauffen)村の教区教会である。
ラウフェン村から10分ほどで前方右側にハルシュタット湖が見えてきた。ハルシュタット湖は、南北8キロメートルほどの細長い湖で、表面積は8.55平方キロメートル、最大水深は125メートルある。その中心の町ハルシュタットへは、湖西側を6キロメートルほど南下したところになる。
ハルシュタットは、ザルツカンマーグート・エリアの奥にそびえるダッハシュタイン山塊の山麓に位置する小さな町だが、世界で最も美しい湖畔の町の一つと言われ、1997年には世界遺産「ハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として登録されている。ちなみにハルシュタット(Hallstatt)のHallはケルト語で「塩」、Stattはドイツ語で「場所」を意味している。
ハルシュタットの中心地へは、山間部を通るトンネルに隣接する駐車場から階段を下りて向かうことになる。
この場所は、その駐車場から10分ほど歩いた湖上遊覧船の発着場である。なお鉄道でハルシュタットに来る場合は、湖の東対岸にあるハルシュタット駅そばの船着場から渡し船を利用(乗船時間10分)するため、この場所は湖の玄関口とも言える。
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案内板によると、湖を周遊する遊覧船の営業は午前10時40分からで、1日3~5便を運航している。運航時間は、80分(13ユーロ)と50分(10ユーロ)があるようだ。他にも貸し出し用ボートとして、手漕ぎボートが11ユーロ、電動ボートが17ユーロと20ユーロの2種タイプ(いずれも1時間)がある。
ハルシュタットはザルツカンマーグート・エリアで最も人気のある観光地のため、常に大混雑するのだが、この時間は、まだ人通りも少なく、何とも静かな佇まいである。
湖面を眺めていると、白鳥がのんびり気持ちよさそうに泳いで行く。。
湖上遊覧船の発着場から振り返ると、湖に隣接する山裾に張り付く様に建つカトリック教会(マリア教会)や歴史的な切妻屋根の建物が並んでいる。カトリック教会は、12世紀にロマネスク様式で建築され、現在の建物は16世紀に建て替えられたもの。後期ゴシック様式の可動翼のある祭壇画と、約1000個に及ぶ頭蓋骨が納められた納骨堂(バインハウス)が見所。
手前左側のテラス席のある建物は、3棟の歴史的建物からなる「ヘリテージ・ホテル・ハルシュタット」で、ハルシュタットでは数少ない大型ホテルである。そのテラスの横にはハルシュタットのインフォメーション・ボードがある。
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ホテルの左側の通りを挟んだ向かい側にハルシュタットのランドマーク「プロテスタント教区教会(オーストリア福音派)」の尖塔が聳えており、教会に沿って南に向け通りが延びている。
通りからヘリテージ・ホテルを振り返って見ると、ぽっかりと穴が開いた様なくぐり門が見えるが、あの門の向こうから湖畔に沿って北側にゴーザウミュール通りが続いている。なお、ハルシュタットを紹介する写真には、この通りの先にあるビュースポットから撮影されたものが、良く使われる。
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通り沿いにあるプロテスタント教区教会の扉口から中に入ると、すぐ正面(東側)に小さく張り出したアプスを持つ主祭壇があり、祭壇左右の窓からは、朝日が眩しいほどに差し込んでいる。教会内は木製の平天井で、礼拝席が多く3階まであり、全体的にシンプルな構造である。この時間は礼拝者は誰もいなかった。
扉口を出て通りを教会に沿って左に進むと、すぐにマルクト広場になる。このマルクト広場からだと、プロテスタント教区教会の高い尖塔も写真に収めることができる。
正面の窓辺の花が可愛いクリーム色の建物1階には、レストランとジェラート店があるが、まだ営業していないようだ。
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左側に視線を移すと、ピンク、水色、オレンジ色など色とりどりの小さな建物が広場を取り囲んでいる。背後の山の岩肌がむき出しになっている箇所が、トンネル内から隣接する駐車場で、このマルクト広場へは、路地裏から続く石段を下りてくると到着する。そして、その石段は、更に左上に続く白く見える登山道に繋がり、頂部にある展望台方面へと続いている。
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マルクト広場から南に続く目抜き通りのゼー通りを歩くと、すぐ先で再び湖畔沿いの通りとなる。右側の「のぼり旗」は「ハルシュタット博物館」のもので、緑の内側に博物館は建っている。
ゼー通り沿いから湖の南側を眺めると小屋の向こうにラーン地区の町並みが見える。そのラーン地区から、マルクト広場の真上に見える山頂へのケーブルカーが運行している。
それでは、そのラーン地区からケーブルカーに乗り山頂に向かうことにする。
ケーブルカー麓駅は、午前9時前にも関わらずそこそこ並んでいた。少し待たされた後、乗り込むと、ケーブルカーは急斜面を勢いよく上って行き、5分ほどで山頂駅に到着した。
山頂駅を出ると、黒色の鉄筋で組み立てられたエレベーター棟があり、上部から白い建物のある隣の頂まで横断橋が延びている。この白い建物のそばに「世界遺産展望台(スカイウォーク)」がある。階段を上って横断橋に行くのが正式のルートだが、楽をしてエレベーターで横断橋まで上った。。
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横断橋の終点にある白い建物には絶景の見えるレストランがあるが、この時間(午前9時8分)はまだ営業していないようだ。
ところで、昼時にハルシュタット湖を眺めながら休憩した。眺めは素晴らしいが、どちらかというと空気が澄んだ朝の方が絶景感は堪能できる。日差しが強くパラソル内でも暑かったせいか、テラスは混雑していなかった。
世界遺産展望台(スカイウォーク)へは、レストラン入口手前の階段を下りて行ったところにある。この場所からもザルツカンマーグートの峰々や湖をも下ろす絶景が広がっている。
世界遺産展望台は、胸ほどの高さの金網フェンスで囲まれた三角形の見晴らし台が空中に突き出ており、先端に立つと鳥になったような気分が味わえる。まだ、早い時間なので、ゆっくり見渡せるが、遅い時間だと大混雑であろう。。
展望台から下を覗き込むと、先ほどまでいたハルシュタットの船の発着場、プロテスタント教区教会、マルクト広場などもはっきり見える。しかし、まるで玩具で作られた町のようだ。ちなみにマルクト広場の標高は532メートルで、この展望台は標高855メートルある。
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湖面は、碧く穏やかでまるで鏡のようで、太陽の光が眩しく反射している。対岸の斜度が大きい山の左下の湖畔の白く見える箇所にハルシュタット駅がある。駅近くの船着場から手前のハルシュタットまで渡し船が運行しているわけだ。そして、右側の湖湾内に見える町並みは、オーバー・トラウン(Obertraun)で、トラウン川が湖に注ぎ込んでいるのが見える。
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オーバー・トラウンから、湖畔に沿って右側に視線を移していくと、ケーブルカー麓駅があるラーン地区が見える。
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これから「ハルシュタット岩塩坑」のガイドツアーを予約・購入(ケーブルカーとのコンビチケット30ユーロ)しているので集合場所に急ぎ向かう。岩塩坑は、古代ローマ以前にまで遡る世界最古の塩の採掘所で、現在も操業中とのこと。事前にチケットを購入していたが時間に遅れてしまった。場所は西に続く尾根道を歩いて行った先になる。
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急ぎ坂道を上って行くと、途中に真新しいガラス張りの展示室が建っている。
展示室には、発掘品らしき遺物が展示されている。ところで、これから向かう岩塩坑からは、古代の墓地遺跡が発見され、ハルシュタット文化の由来となった。ハルシュタットは塩の交易により先史時代から繁栄しており、初期鉄器時代(紀元前800年~400年)はハルシュタット時代と呼ばれていた。展示の大きな壺の反対側には、装飾品と一緒に人骨が展示されており少し驚いた。
この人骨ではないが、1734年に岩塩の坑道から塩漬け状態の人間の遺体が発見されたという記録が残っており、その遺体と同時に発見された衣類や道具から、この遺体は先史時代の岩塩の鉱夫で、落盤などの事故により岩塩内に閉じ込められたと考えられている。この遺体はソルトマンとも呼ばれ、その後は埋葬されたと伝えられている。
展望台からは15分ほど尾根道を歩き、ようやく前方に見える岩塩坑ツアーの集合場所に到着した。このあたりで、標高は950メートルになる。予約の時間は過ぎているのだが、参加者が少ないのか、相当数に達するまで待っているように感じた。なお、岩塩坑の見学は毎年4月の最終週から10月26日まで行われている。
結局15分ほど待たされた後、作業服に着替えてツアーが始まった。最初にテーマパークのスタッフのような軽いノリで説明があり、線路のあるトンネルから岩塩坑の奥深くまで歩いて進んだ。
中世の頃、岩塩は「白い黄金」と呼ばれほど価値のあるものだった。ハプスブルグ家は白い黄金のためにハルシュタットを直轄地として手厚く保護したほどである。100名ほどが入れそうな岩塩採掘場では、岩塩が、地殻変動により隆起して海水が陸上に閉じ込められできた様子などを幻想的な映像を駆使して紹介していた。
岩塩坑で、最も人気のあるアトラクションは、木製の鉱夫の滑り台である。2か所あるが、後半は、なんと64メートルもの距離があり、スリル満点である。滑っている途中の絶叫する姿を写真に撮ってもらえる(別料金)。
先史時代に岩塩を掘っていた人たちが残した道具の数々を見ながら塩坑の歴史や操業の工程などの説明を受ける。中でも、先史時代の採掘の痕跡である3500年前に鉱夫が利用した木製の階段はヨーロッパで現存する最古の木製の階段である。
最後はトロッコにまたがり、出口へと向かう。概ね1時間の見学ツアーであった。塩坑内は、事前に寒いとの情報があったが、この日は涼しさが快適だった。
尾根道を展望台方面に戻って来ると、途中で、次々と自転車が上って来る。そういえば、今朝、ハルシュタットまでの途中の村の街道沿いにおびただしい数の駐車車両が続いて、ロードレース参加者が集まっていたが、この場所がゴール地点だったようだ。それにしても、山頂がゴールとはかなり過酷だ。
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階段を下りるとケーブルカー山頂駅に到着である。ところで、ハルシュタット湖の対岸に見えるオーバー・トラウンの麓からはロープウエイのダッハシュタイン・クリッペンシュタイン・ザイルバーンが運行しており、背景に聳えるクリッペンシュタイン(2108メートル)の展望台から白銀の峰々を眺望することができる。しかし今回は時間がないので行けないが機会があれば是非行ってみたい。
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再びケーブルカーで、麓のラーン地区に戻る。麓駅に併設されているショップで、岩塩グッズをお土産に買ってハルシュタットを後にした。
街道を湖に沿って南下して、ハルシュタットから2キロメートルほど行った湖最南端の湖畔公園からハルシュタットの町並みを眺めてみる。
湖畔公園からは、ラーン地区から延びるケーブルカーの軌道がはっきり見える。対する右側のハルシュタット町中から絶景レストランまでうっすらと延びる線は登山道であろう。山頂駅のある高地も、この離れた場所から眺めると、周辺の2000メートル級の稜線の中に取り込まれてしまい目立たなくなっている。
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湖を真北に眺めると、自然景観でありながら、これほどシンメトリーな景観に遭遇できるのは極めてラッキーではないかと思った。
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時刻は、午後1時になり、お腹が減ったので、オーバー・トラウンの郊外にあるレストラン「Gasthaus Koppenrast」に行ってみる。ハルシュタット市内は観光客で混雑するので、少し郊外で美味しいレストランがないかと探した所、評価が高かったのだ。
レストランは、清流が流れるトラウン川を橋で渡ったすぐ右側の森の中に建っている。レストランは、かなり町からは離れているにも関わらず混雑しており、期待値が高まる。。
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ちょうど空いたテラス席に座り、料理は、ハルシュタット湖名物のライナンケのグリルを頂いた。ライナンケはハルシュタット湖周辺にのみ生息する固有の川魚で希少価値が高い。身の旨みや触感はヤマメに似ており皮のパリパリ感や香ばしさも良く焼き方も抜群である。
こちらは、昨夜のレストランで頂いた同じザイプリングという湖産の魚のスープバージョンである。こちらも美味しいが、ライナンケのグリルには負ける。
(2018.7.13~14)
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※聖エギディウス教会は、聖ギルゲンのラテン語読みで聖アエギディウス(650頃~710頃)のこと。
その大きく左に曲がった街道は、今度は大きく右に曲がりながら下って行く。ロープーウェイが横断する左側の観光案内所前を大きく回り込む様に左折すると、プチホテルが並ぶ通りになり、前方に町を代表する「ホテル・ガストフ・ツアポスト」が見える。
街道からは100メートルほどで「ホテル・ガストフ・ツアポスト」が建つザンクト・ギルゲンの中心広場に到着する。
ホテルの向かい側には玩具の様な愛らしい市庁舎が建ち、その前の円形の花壇中央にバイオリンを弾く幼いモーツァルト像が飾られている。「モーツァルトの泉」と呼ばれ、辺り一帯はモーツァルト広場と名付けられている。そして、そのモーツァルト広場を取り囲む様に、花で飾られたショップや、モーツァルトの鉄看板を飾る建物などが建っている。
モーツァルト広場から、通りを東に向かうとすぐ右側に「聖エギディウス教会」が聳え、更に100メートルほど進んだ左側に「モーツァルト・ハウス」がある。
ここは、モーツァルトの母アンナ・マリアが生まれた家で、その後、アンナは、レオポルト・モーツァルトと結婚して、7人の子供を設けたが、そのうち5人が乳児のうちに亡くなったという。生き延びたナンネルとヴォルフガング(モーツァルト)の姉弟二人は子供時代から楽才があり各地で演奏旅行を行った。その後、このアンナの生家には娘のナンネル夫妻が暮らしたが、1983年からモーツァルト博物館として公開されている。
モーツァルト・ハウスの東側は、通りを挟んでヴォルフガング湖に面しており、すぐ南側には船着き場がある。この場所からザンクト・ヴォルフガング方面への遊覧船が発着している。
予定より少し遅れたが、次に、20キロメートルほど東のバート・イシュルに向かう。。
バート・イシュルは、ザルツカンマーグート・エリアでは中央部にあり、南からのトラウン川と西からのイシュル川が合流する内岸に位置(標高468メートル)する人口1万4000人程の小さな町である。16世紀には、岩塩坑が開かれ、その後、鉱泉水が医療用に使用され、多くの著名人も訪れる湯治場として栄えた。
目的地の「カイザーヴィラ(Kaiservilla)」への到着は午後3時頃を予定していたが、既に午後3時40分である。急ぎ、イシュル川の南側にある入口でチケット(ヴィラの見学と公園料金で15ユーロ)購入し、イシュル川に架かる橋を渡り、北方向になだらかに上る遊歩道を駆け足で進んだ。5分ほどで、大きく左にカーブした南側に建つヴィラに到着した。
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カイザーヴィラは、起伏のある丘を活用したイングリッシュ・ガーデン・スタイルの「カイザー・パーク」内に建つハプスブルグ家の公邸である。もともとは、ウィーン公証人ビーダーマイヤー邸だったが、1853年、この地で結婚したフランツ・ヨーゼフ1世(当時23才)(1830~1916、オーストリア皇帝在位:1848~1916)と、エリーザベト(シシィ)(当時16才)(1837~1898)へのお祝いとして、翌年、皇帝の母ゾフィーによりプレゼントされたもので、その後は皇帝家の夏の住居となった。
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は「地上の楽園」と呼んでこのヴィラを愛した。ウィーンの厳格な宮廷生活に馴染めなかったエリーザベトは、頻繁に旅行に出かけるなど逃避していたが、このヴィラでの生活には心が癒されていたという。
ヴィラは、中央部に柱廊を持つ新古典様式で建てられ、上部のペディメントには白い鹿の群れの彫刻があしらわれている。両翼から手前に張り出している建物部分は後程拡張されたもので、上空から見ると、エリーザベトの頭文字”E”になっている。
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見学はガイド・ツアーでのみ可能のため、ガイドからの呼び出しがあるまで、参加者はヴィラの美しい泉の前で写真撮影などしながら待機していた。
蔓で覆われた正面から公邸内に入った「控えの間」の壁に飾られているのは、すべて皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が射止めた狩猟の記念品だそうだ。皇帝は少年期から狩猟が趣味で、皇帝になった後も、狩りのための別荘を建て、自ら猟銃を背負い狩人さながらの恰好で山腹を歩き回るほどであった。
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午後4時になると、ガイドが現れツアーがスタートした。ガイドの説明はドイツ語のみのため、希望する場合は、他の言語のA4(4枚)の説明書(日本語版あり)が貸与される。参加者は十数人程度で、邸宅内の写真撮影は禁止であった。
ツアーは右側の階段を上った「灰色のサロン」から始まり、礼拝堂、皇后の書斎、赤のサロン、婦人用待合室、馬の間、紳士用待合室、帝国内閣メンバー用待合室、狩猟の間、喫煙室、元の食堂を見学した。
こちらは、皇帝の書斎で、皇帝は執務を毎朝4時15分から始めていたという。1914年7月28日、第一次世界大戦のきっかけとなったセルビア王国に対するオーストリアの宣戦布告に署名したのもこの書斎である。皇帝は、60年にわたりこの地を頻繁に訪れたことから、オーストリア・ハンガリー帝国の政治の中枢の場所であったとも言える。机には15才時の姿のエリーザベトの胸像が置かれている。
※案内リーフ記載の写真より
皇后の書斎には愛馬の絵や多くの写真が飾られている。皇后エリーザベトは、イギリス、スコットランド、アイルランドなどの馬術大会にも出場し、世界にも名前がとどろくほどの乗馬の名手だった。また、エリーザベトは、写真技術が発明されてまもない頃から、写真にやみつきとなり、家族や愛馬などを数多く撮っていた。当時の多くの写真が飾られている。
※案内リーフ記載の写真より
フランツ・ヨーゼフ1世は、自らを帝国の一兵士と見なした禁欲主義者だったこともあり、寝室も兵舎にあるようなシンプルな鉄製ベッドと洗面台と祈祷台が置かれただけの質素なものだった。他の部屋も豪華さの中にも華美なものは極力廃された落ち着いた造りで、調度品も一つ一つ丁寧に作られた品々が多い印象だった。
ちなみに、カイザーヴィラは、現在もハプスグルク家の私邸として、皇帝の曾孫にあたるマルクス大公の所有となっている。
ツアーは40分弱で終了した。閉館時間の午後5時まで若干時間があるので、カイザーヴィラから少し離れた公園内にある「エリーザベト皇后のために建てられたコテージ(大理石の城)」に急ぎ行ってみる。ヴィラを出て左側に向かい北側に延びる坂道を歩いて行くと、途中右側の木々の合間から美しい自然に囲まれた丘にヴィラを望むことができる。この場所からヴィラを見ていると、時代を超えてフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトが馬に乗り駆けている姿が目に浮かぶようだ。。
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しばらく丘を上って行くと、木々に囲まれるようにピンク色の大理石で造られた建物が建っている。こちらが、エリーザベトのために1860年に建てられたコテージで、現在は写真博物館として公開している。
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建物の周りは回廊になっており、壁面にはエリーザベト皇后に関する展示が飾られている。扉を入ると見学時間が終了したと伝えられた。しかたがないので、建物の外壁に取り付けられた展示を見学して、出口に向かった。
辺りに観光客はいなくなったので、少し急いで出口に向かった。イシュル川に架かる橋を渡るとまもなく出口である。すると、ヴィラから車に乗った係員がやってきて、敷地を出ると同時に鉄扉は閉じられた。少し慌ただしかったが、よく無事に行程をこなすことができた。。
すぐ先の東西に延びるゲッツ通りには、カイザーヴィラと大きく異なり建物が立ち並んでいる。少し市内を散策しようと、ゲッツ通りを右折して進むと、柱廊のある宮殿の様な外観の映画館があり、その隣の赤い建物の1階に、皇帝御用達の薬局(Kurapotheke)がある。お土産を買おうと思ったがあまり触手の伸びる品はなかった。
映画館左側の三叉路を南に曲がり、映画館の建物沿いにあるお姉さんの居るジェラード屋でジェラードを買う。大きなホテル・ツアポストの1階にあるギリシャ料理店の向こうに、バート・イシュル教区教会のファサードが現れる。
教区教会を右手に見て通り過ぎるとすぐに、右側にトリンク・ハレと名付けられた施設が現れる。こちらではギャラリーなど催しが行われており、バート・イシュルのインフォメーションセンターもここにある。
すぐ南にはトラウン川が流れており、橋を渡った川沿いには、オペレッタ「メリー・ウィドウ」などで知られるオーストリア・ハンガリー帝国生まれの作曲家フランツ・レハール(1870~1948)が、晩年を過ごした館が残されている。レハールヴィラと呼ばれ、現在はミュージアムになっている。
まだ午後6時半だが、昼はケバブだけでお腹が減ったので、予約したレストランに向かう。バート・イシュルからは、西に2.5キロメートルほど離れたクロイターン村にある。
レストラン「Nocken Toni」は、オーストリア料理を中心とした人気店だが、まだ、夕食時間には早いせいかテラス席は空いている。
飲み物は、ツィップ(アッター湖北部の村)産のビール、ツィプファー(Zipfer)(3.4ユーロ)、リースリング(4.4ユーロ)、ブラウフレンキッシュ(6ユーロ)などを頼み、前菜はサラダ(4.9ユーロ)を頼んだ。新鮮なサラダで大変美味しかった。
メインには、ザイプリング(Saibling)(23.8ユーロ)呼ばれ、オーストリアでは、良く食べられるメジャーな魚(淡水魚)を頼んだ。色目は鮭に似ているが、鱒の食感に近いものがある。魚の下には、リゾットが隠れ、一番上にエビが乗っている。
こちらも、オーストリアの伝統料理の一つ、鹿肉(Rehnüsschen)(25.8ユーロ)を頼んだ。肉は臭みはなくやや淡泊な印象があり、慣れていないせいもあったかもしれないが旨みは今一つといった感じ。
翌朝は早く出発する予定もあり、食事は早めに切り上げて午後9時頃ホテルに戻った。日の入り時間は過ぎたが、辺りはまだ明るく景色をゆっくり眺めて一日を終えた。
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朝7時過ぎに朝食抜きでホテルを出発して、ハルシュタットに向かう。ホテルを出て10分ほどでバート・イシュルを過ぎ、街道は大きく右に曲がり南下して行く。右側に見える教会は、ラウフェン(Lauffen)村の教区教会である。
ラウフェン村から10分ほどで前方右側にハルシュタット湖が見えてきた。ハルシュタット湖は、南北8キロメートルほどの細長い湖で、表面積は8.55平方キロメートル、最大水深は125メートルある。その中心の町ハルシュタットへは、湖西側を6キロメートルほど南下したところになる。
ハルシュタットは、ザルツカンマーグート・エリアの奥にそびえるダッハシュタイン山塊の山麓に位置する小さな町だが、世界で最も美しい湖畔の町の一つと言われ、1997年には世界遺産「ハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として登録されている。ちなみにハルシュタット(Hallstatt)のHallはケルト語で「塩」、Stattはドイツ語で「場所」を意味している。
ハルシュタットの中心地へは、山間部を通るトンネルに隣接する駐車場から階段を下りて向かうことになる。
この場所は、その駐車場から10分ほど歩いた湖上遊覧船の発着場である。なお鉄道でハルシュタットに来る場合は、湖の東対岸にあるハルシュタット駅そばの船着場から渡し船を利用(乗船時間10分)するため、この場所は湖の玄関口とも言える。
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案内板によると、湖を周遊する遊覧船の営業は午前10時40分からで、1日3~5便を運航している。運航時間は、80分(13ユーロ)と50分(10ユーロ)があるようだ。他にも貸し出し用ボートとして、手漕ぎボートが11ユーロ、電動ボートが17ユーロと20ユーロの2種タイプ(いずれも1時間)がある。
ハルシュタットはザルツカンマーグート・エリアで最も人気のある観光地のため、常に大混雑するのだが、この時間は、まだ人通りも少なく、何とも静かな佇まいである。
湖面を眺めていると、白鳥がのんびり気持ちよさそうに泳いで行く。。
湖上遊覧船の発着場から振り返ると、湖に隣接する山裾に張り付く様に建つカトリック教会(マリア教会)や歴史的な切妻屋根の建物が並んでいる。カトリック教会は、12世紀にロマネスク様式で建築され、現在の建物は16世紀に建て替えられたもの。後期ゴシック様式の可動翼のある祭壇画と、約1000個に及ぶ頭蓋骨が納められた納骨堂(バインハウス)が見所。
手前左側のテラス席のある建物は、3棟の歴史的建物からなる「ヘリテージ・ホテル・ハルシュタット」で、ハルシュタットでは数少ない大型ホテルである。そのテラスの横にはハルシュタットのインフォメーション・ボードがある。
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ホテルの左側の通りを挟んだ向かい側にハルシュタットのランドマーク「プロテスタント教区教会(オーストリア福音派)」の尖塔が聳えており、教会に沿って南に向け通りが延びている。
通りからヘリテージ・ホテルを振り返って見ると、ぽっかりと穴が開いた様なくぐり門が見えるが、あの門の向こうから湖畔に沿って北側にゴーザウミュール通りが続いている。なお、ハルシュタットを紹介する写真には、この通りの先にあるビュースポットから撮影されたものが、良く使われる。
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通り沿いにあるプロテスタント教区教会の扉口から中に入ると、すぐ正面(東側)に小さく張り出したアプスを持つ主祭壇があり、祭壇左右の窓からは、朝日が眩しいほどに差し込んでいる。教会内は木製の平天井で、礼拝席が多く3階まであり、全体的にシンプルな構造である。この時間は礼拝者は誰もいなかった。
扉口を出て通りを教会に沿って左に進むと、すぐにマルクト広場になる。このマルクト広場からだと、プロテスタント教区教会の高い尖塔も写真に収めることができる。
正面の窓辺の花が可愛いクリーム色の建物1階には、レストランとジェラート店があるが、まだ営業していないようだ。
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左側に視線を移すと、ピンク、水色、オレンジ色など色とりどりの小さな建物が広場を取り囲んでいる。背後の山の岩肌がむき出しになっている箇所が、トンネル内から隣接する駐車場で、このマルクト広場へは、路地裏から続く石段を下りてくると到着する。そして、その石段は、更に左上に続く白く見える登山道に繋がり、頂部にある展望台方面へと続いている。
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マルクト広場から南に続く目抜き通りのゼー通りを歩くと、すぐ先で再び湖畔沿いの通りとなる。右側の「のぼり旗」は「ハルシュタット博物館」のもので、緑の内側に博物館は建っている。
ゼー通り沿いから湖の南側を眺めると小屋の向こうにラーン地区の町並みが見える。そのラーン地区から、マルクト広場の真上に見える山頂へのケーブルカーが運行している。
それでは、そのラーン地区からケーブルカーに乗り山頂に向かうことにする。
ケーブルカー麓駅は、午前9時前にも関わらずそこそこ並んでいた。少し待たされた後、乗り込むと、ケーブルカーは急斜面を勢いよく上って行き、5分ほどで山頂駅に到着した。
山頂駅を出ると、黒色の鉄筋で組み立てられたエレベーター棟があり、上部から白い建物のある隣の頂まで横断橋が延びている。この白い建物のそばに「世界遺産展望台(スカイウォーク)」がある。階段を上って横断橋に行くのが正式のルートだが、楽をしてエレベーターで横断橋まで上った。。
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横断橋の終点にある白い建物には絶景の見えるレストランがあるが、この時間(午前9時8分)はまだ営業していないようだ。
ところで、昼時にハルシュタット湖を眺めながら休憩した。眺めは素晴らしいが、どちらかというと空気が澄んだ朝の方が絶景感は堪能できる。日差しが強くパラソル内でも暑かったせいか、テラスは混雑していなかった。
世界遺産展望台(スカイウォーク)へは、レストラン入口手前の階段を下りて行ったところにある。この場所からもザルツカンマーグートの峰々や湖をも下ろす絶景が広がっている。
世界遺産展望台は、胸ほどの高さの金網フェンスで囲まれた三角形の見晴らし台が空中に突き出ており、先端に立つと鳥になったような気分が味わえる。まだ、早い時間なので、ゆっくり見渡せるが、遅い時間だと大混雑であろう。。
展望台から下を覗き込むと、先ほどまでいたハルシュタットの船の発着場、プロテスタント教区教会、マルクト広場などもはっきり見える。しかし、まるで玩具で作られた町のようだ。ちなみにマルクト広場の標高は532メートルで、この展望台は標高855メートルある。
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湖面は、碧く穏やかでまるで鏡のようで、太陽の光が眩しく反射している。対岸の斜度が大きい山の左下の湖畔の白く見える箇所にハルシュタット駅がある。駅近くの船着場から手前のハルシュタットまで渡し船が運行しているわけだ。そして、右側の湖湾内に見える町並みは、オーバー・トラウン(Obertraun)で、トラウン川が湖に注ぎ込んでいるのが見える。
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オーバー・トラウンから、湖畔に沿って右側に視線を移していくと、ケーブルカー麓駅があるラーン地区が見える。
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これから「ハルシュタット岩塩坑」のガイドツアーを予約・購入(ケーブルカーとのコンビチケット30ユーロ)しているので集合場所に急ぎ向かう。岩塩坑は、古代ローマ以前にまで遡る世界最古の塩の採掘所で、現在も操業中とのこと。事前にチケットを購入していたが時間に遅れてしまった。場所は西に続く尾根道を歩いて行った先になる。
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急ぎ坂道を上って行くと、途中に真新しいガラス張りの展示室が建っている。
展示室には、発掘品らしき遺物が展示されている。ところで、これから向かう岩塩坑からは、古代の墓地遺跡が発見され、ハルシュタット文化の由来となった。ハルシュタットは塩の交易により先史時代から繁栄しており、初期鉄器時代(紀元前800年~400年)はハルシュタット時代と呼ばれていた。展示の大きな壺の反対側には、装飾品と一緒に人骨が展示されており少し驚いた。
この人骨ではないが、1734年に岩塩の坑道から塩漬け状態の人間の遺体が発見されたという記録が残っており、その遺体と同時に発見された衣類や道具から、この遺体は先史時代の岩塩の鉱夫で、落盤などの事故により岩塩内に閉じ込められたと考えられている。この遺体はソルトマンとも呼ばれ、その後は埋葬されたと伝えられている。
展望台からは15分ほど尾根道を歩き、ようやく前方に見える岩塩坑ツアーの集合場所に到着した。このあたりで、標高は950メートルになる。予約の時間は過ぎているのだが、参加者が少ないのか、相当数に達するまで待っているように感じた。なお、岩塩坑の見学は毎年4月の最終週から10月26日まで行われている。
結局15分ほど待たされた後、作業服に着替えてツアーが始まった。最初にテーマパークのスタッフのような軽いノリで説明があり、線路のあるトンネルから岩塩坑の奥深くまで歩いて進んだ。
中世の頃、岩塩は「白い黄金」と呼ばれほど価値のあるものだった。ハプスブルグ家は白い黄金のためにハルシュタットを直轄地として手厚く保護したほどである。100名ほどが入れそうな岩塩採掘場では、岩塩が、地殻変動により隆起して海水が陸上に閉じ込められできた様子などを幻想的な映像を駆使して紹介していた。
岩塩坑で、最も人気のあるアトラクションは、木製の鉱夫の滑り台である。2か所あるが、後半は、なんと64メートルもの距離があり、スリル満点である。滑っている途中の絶叫する姿を写真に撮ってもらえる(別料金)。
先史時代に岩塩を掘っていた人たちが残した道具の数々を見ながら塩坑の歴史や操業の工程などの説明を受ける。中でも、先史時代の採掘の痕跡である3500年前に鉱夫が利用した木製の階段はヨーロッパで現存する最古の木製の階段である。
最後はトロッコにまたがり、出口へと向かう。概ね1時間の見学ツアーであった。塩坑内は、事前に寒いとの情報があったが、この日は涼しさが快適だった。
尾根道を展望台方面に戻って来ると、途中で、次々と自転車が上って来る。そういえば、今朝、ハルシュタットまでの途中の村の街道沿いにおびただしい数の駐車車両が続いて、ロードレース参加者が集まっていたが、この場所がゴール地点だったようだ。それにしても、山頂がゴールとはかなり過酷だ。
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階段を下りるとケーブルカー山頂駅に到着である。ところで、ハルシュタット湖の対岸に見えるオーバー・トラウンの麓からはロープウエイのダッハシュタイン・クリッペンシュタイン・ザイルバーンが運行しており、背景に聳えるクリッペンシュタイン(2108メートル)の展望台から白銀の峰々を眺望することができる。しかし今回は時間がないので行けないが機会があれば是非行ってみたい。
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再びケーブルカーで、麓のラーン地区に戻る。麓駅に併設されているショップで、岩塩グッズをお土産に買ってハルシュタットを後にした。
街道を湖に沿って南下して、ハルシュタットから2キロメートルほど行った湖最南端の湖畔公園からハルシュタットの町並みを眺めてみる。
湖畔公園からは、ラーン地区から延びるケーブルカーの軌道がはっきり見える。対する右側のハルシュタット町中から絶景レストランまでうっすらと延びる線は登山道であろう。山頂駅のある高地も、この離れた場所から眺めると、周辺の2000メートル級の稜線の中に取り込まれてしまい目立たなくなっている。
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湖を真北に眺めると、自然景観でありながら、これほどシンメトリーな景観に遭遇できるのは極めてラッキーではないかと思った。
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時刻は、午後1時になり、お腹が減ったので、オーバー・トラウンの郊外にあるレストラン「Gasthaus Koppenrast」に行ってみる。ハルシュタット市内は観光客で混雑するので、少し郊外で美味しいレストランがないかと探した所、評価が高かったのだ。
レストランは、清流が流れるトラウン川を橋で渡ったすぐ右側の森の中に建っている。レストランは、かなり町からは離れているにも関わらず混雑しており、期待値が高まる。。
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ちょうど空いたテラス席に座り、料理は、ハルシュタット湖名物のライナンケのグリルを頂いた。ライナンケはハルシュタット湖周辺にのみ生息する固有の川魚で希少価値が高い。身の旨みや触感はヤマメに似ており皮のパリパリ感や香ばしさも良く焼き方も抜群である。
こちらは、昨夜のレストランで頂いた同じザイプリングという湖産の魚のスープバージョンである。こちらも美味しいが、ライナンケのグリルには負ける。
(2018.7.13~14)
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