12時半、ヴァイシャーリーを出発しガンダク川に沿って北上する。ガンダク川は、ヒマラヤ山脈に源を発し、ネパール中部からインドのビハール州北西部を流れパトナー対岸でガンジス川に合流する支流の一つである。
これから、ヴァイシャーリーから約50キロメートル北に位置するケッサリアに向かう。この地は、かつて仏陀との別れを悲しんだヴァイシャーリーのリッチャヴィ族が、最後に仏陀を見送った場所と言われ、また、シッダールタ(仏陀)が故郷のカピラヴァストゥから出家した際、最初に剃髪した場所とも言われている。なお、ケッサリアとは、仏陀が経を説いた相手(商人ケッサリ)の名前にちなんでいる。

田舎道を1時間ほど北上すると、小さな町(シャヘブガンジー)が現れ交通量が多くなった。

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左折し北西方面に向かう。

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10分程走ると、また田舎道になる。

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前方の交差点を右折すると、すぐ右手に巨大なストゥーパが見えた。どうやら到着のようだ。

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周りに駐車場らしき所は見当たらない。車を入口近くの道路沿いに停めて歩く。入場料は無料である。

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ケッサリアのストゥーパは、2001年に発掘され現在も発掘と調査が続けられている。高さが45メートル(現在は33メートル)直径120メートル、6層からなっている。インドネシアにある世界遺産ボロブドゥール遺跡は、高さが42メートル(現在は破損して33.5メートル)なので、その巨大さがわかる。入口を過ぎると、ケッサリア・ストゥーパへのあぜ道が伸びている。辺りは見渡す限り畑が広がっており長閑な風景である。

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発掘作業は、北側から始められたが、南半分はまだ手付かずで発掘されておらず土のままで木や草が茂って小山に見える。

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北側に回ってみると、足元に発掘されたレンガが積まれている。レンガは意外な程小さく薄いのが分かる。

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ストゥーパは巨大だ。全体を見ようと少し離れるが、この時間は逆光になり見づらいのが残念である。

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再びストゥーパのそばに戻ると、手前にも遺構らしきレンガが積み重なっている。僧院の跡なのだろうか。ストゥーパを見上げると上段に龕(がん)が並んでいるのが分かる。

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龕には、壊れた仏陀像が並んでいるが、これはイスラムなどによって破壊されたためである。

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ストゥーパに沿って西に向け歩いてみる。基壇部分の下部のレンガは白く塗られた跡がある。

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左に見えるオレンジ色の塔はヒンドゥー教寺院である。

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ストゥーパと寺院との間には、巨大な菩提樹が聳えている。

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菩提樹の横には、レンガがなだらかに階段上に積まれておりストゥーパに上がることができる。

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こちらの龕の中の仏陀像は左半身が残っている。近づいてみると、ほぼ等身大サイズのようだ。右手が大地に触れ悪魔を降伏、退散させた降魔印を結んでいる。

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こちらは大きく破壊されており足だけが残っている。こちらも残された右手の位置から同じ印相のようだ。

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こちらには、像はない。。

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30分ほど見学し、次の地クシナーガルに向かう。北東方面に車を進めると右手道路沿いに菩提樹があり、黄金の仏陀像が祀られていた。

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すぐに左折し、今度は北西方面に進む。しばらくすると南西方面に伸びるハイウェイらしき道路が見えてきた。この道路はゴバルガンジ、カシアー(クシナーガル)、ゴーラクプル、ファイザーバードを通ってウッタルプラデーシュ州都のラクナウまで伸びる大動脈の28号線である。すぐに、橋が見えてきた。

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ガンダク川を渡った。時刻は現在15時、順調に走行している。クシナーガルまでは100キロメートルなので、この調子で行けばすぐ到着するはずだ。。

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前のトラックは大きく荷物が傾いたまま走行しているが危なくないのだろうか。

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やはり、二車線道路はいつまでも続かず、あちらこちらで工事が発生してすぐに対面道路になる。インドの田舎の道路は、周りの砂上と変わらない高さのアスファルト舗装をしているため、路肩にタイヤがはみ出すとすぐに砂埃が舞う。だから、特に田舎の道路沿いにある屋台の料理に抵抗を感じているのである。

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16時半を過ぎた。日が陰ってきた。

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道路そばにバザールが集まっていたので、車を停めて少し休憩する。いろんな種類の豆らしきものが売っており、その中で殻つきのヒヨコ豆を買う。実はこれがビールのつまみに最高なのである。

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17時を過ぎ日が暮れた。道路沿いに大きなゲートが見えて奥に明かりが見える。ここはファジルナガル村と言い、仏陀の時代、パーヴァー村と呼ばれていた。クシナーガルまではあと17キロメートルである。

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パーヴァー村は、病み上がりの身体をおしてヴァイシャーリーを出発した仏陀が次にたどり着いた村である。仏陀は、この地で鍛冶工の子純陀(チュンダ)から食事の接待を受け重い病気に襲われた。チュンダは、スーカラ・マッダヴァという料理を差し出したと言われているが、現在ではどんな料理かよくわからない。スーカラとは「野豚」、マッダヴァとは「柔らかい」と訳されるが、病気の仏陀に対して肉料理を差し出すことは疑問であることから、豚が好む種のキノコを使った料理というのが有力と言われている。
20分ほどで、クシナーガルに着いたが、もちろん既に辺りは真っ暗である。まずはワインショップに向かい、そこでストロングビールとハーフサイズのウイスキーを一本づつ買う。しめて210ルピーであった。ちなみに、インドでは酒屋をワインショップというが、ワインを置いているお店はほとんどない。

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その後、今夜のホテルを探すが、最初に向かったホテルは満室だった。このため次のホテルに向かう。どうやらこのホテルには空きがありチェックインをする。部屋は殺風景だが、綺麗に清掃されていた。

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早々に部屋で祝杯をあげる。

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だらだら飲んでいると、20時近くになったので食事に向かうことにする。どうも毎晩同じ行動パターンになりつつある。辺は街灯が少ないため、真っ暗だが、前方に屋台が並んでいるのが見えた。

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周りにレストランはなさそうなので、結局、また道路沿いにある屋台である。。あまりいろいろ考えないことにし、適当にお店を選んで入り注文する。チキンカレー、ボイルエッグ、チャパティ、ライスを食べホテルに戻った。

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(2012.11.23)
これから、ヴァイシャーリーから約50キロメートル北に位置するケッサリアに向かう。この地は、かつて仏陀との別れを悲しんだヴァイシャーリーのリッチャヴィ族が、最後に仏陀を見送った場所と言われ、また、シッダールタ(仏陀)が故郷のカピラヴァストゥから出家した際、最初に剃髪した場所とも言われている。なお、ケッサリアとは、仏陀が経を説いた相手(商人ケッサリ)の名前にちなんでいる。

田舎道を1時間ほど北上すると、小さな町(シャヘブガンジー)が現れ交通量が多くなった。


左折し北西方面に向かう。


10分程走ると、また田舎道になる。


前方の交差点を右折すると、すぐ右手に巨大なストゥーパが見えた。どうやら到着のようだ。


周りに駐車場らしき所は見当たらない。車を入口近くの道路沿いに停めて歩く。入場料は無料である。


ケッサリアのストゥーパは、2001年に発掘され現在も発掘と調査が続けられている。高さが45メートル(現在は33メートル)直径120メートル、6層からなっている。インドネシアにある世界遺産ボロブドゥール遺跡は、高さが42メートル(現在は破損して33.5メートル)なので、その巨大さがわかる。入口を過ぎると、ケッサリア・ストゥーパへのあぜ道が伸びている。辺りは見渡す限り畑が広がっており長閑な風景である。


発掘作業は、北側から始められたが、南半分はまだ手付かずで発掘されておらず土のままで木や草が茂って小山に見える。


北側に回ってみると、足元に発掘されたレンガが積まれている。レンガは意外な程小さく薄いのが分かる。


ストゥーパは巨大だ。全体を見ようと少し離れるが、この時間は逆光になり見づらいのが残念である。


再びストゥーパのそばに戻ると、手前にも遺構らしきレンガが積み重なっている。僧院の跡なのだろうか。ストゥーパを見上げると上段に龕(がん)が並んでいるのが分かる。


龕には、壊れた仏陀像が並んでいるが、これはイスラムなどによって破壊されたためである。


ストゥーパに沿って西に向け歩いてみる。基壇部分の下部のレンガは白く塗られた跡がある。


左に見えるオレンジ色の塔はヒンドゥー教寺院である。


ストゥーパと寺院との間には、巨大な菩提樹が聳えている。


菩提樹の横には、レンガがなだらかに階段上に積まれておりストゥーパに上がることができる。


こちらの龕の中の仏陀像は左半身が残っている。近づいてみると、ほぼ等身大サイズのようだ。右手が大地に触れ悪魔を降伏、退散させた降魔印を結んでいる。


こちらは大きく破壊されており足だけが残っている。こちらも残された右手の位置から同じ印相のようだ。


こちらには、像はない。。


30分ほど見学し、次の地クシナーガルに向かう。北東方面に車を進めると右手道路沿いに菩提樹があり、黄金の仏陀像が祀られていた。


すぐに左折し、今度は北西方面に進む。しばらくすると南西方面に伸びるハイウェイらしき道路が見えてきた。この道路はゴバルガンジ、カシアー(クシナーガル)、ゴーラクプル、ファイザーバードを通ってウッタルプラデーシュ州都のラクナウまで伸びる大動脈の28号線である。すぐに、橋が見えてきた。


ガンダク川を渡った。時刻は現在15時、順調に走行している。クシナーガルまでは100キロメートルなので、この調子で行けばすぐ到着するはずだ。。


前のトラックは大きく荷物が傾いたまま走行しているが危なくないのだろうか。


やはり、二車線道路はいつまでも続かず、あちらこちらで工事が発生してすぐに対面道路になる。インドの田舎の道路は、周りの砂上と変わらない高さのアスファルト舗装をしているため、路肩にタイヤがはみ出すとすぐに砂埃が舞う。だから、特に田舎の道路沿いにある屋台の料理に抵抗を感じているのである。


16時半を過ぎた。日が陰ってきた。


道路そばにバザールが集まっていたので、車を停めて少し休憩する。いろんな種類の豆らしきものが売っており、その中で殻つきのヒヨコ豆を買う。実はこれがビールのつまみに最高なのである。


17時を過ぎ日が暮れた。道路沿いに大きなゲートが見えて奥に明かりが見える。ここはファジルナガル村と言い、仏陀の時代、パーヴァー村と呼ばれていた。クシナーガルまではあと17キロメートルである。


パーヴァー村は、病み上がりの身体をおしてヴァイシャーリーを出発した仏陀が次にたどり着いた村である。仏陀は、この地で鍛冶工の子純陀(チュンダ)から食事の接待を受け重い病気に襲われた。チュンダは、スーカラ・マッダヴァという料理を差し出したと言われているが、現在ではどんな料理かよくわからない。スーカラとは「野豚」、マッダヴァとは「柔らかい」と訳されるが、病気の仏陀に対して肉料理を差し出すことは疑問であることから、豚が好む種のキノコを使った料理というのが有力と言われている。
20分ほどで、クシナーガルに着いたが、もちろん既に辺りは真っ暗である。まずはワインショップに向かい、そこでストロングビールとハーフサイズのウイスキーを一本づつ買う。しめて210ルピーであった。ちなみに、インドでは酒屋をワインショップというが、ワインを置いているお店はほとんどない。


その後、今夜のホテルを探すが、最初に向かったホテルは満室だった。このため次のホテルに向かう。どうやらこのホテルには空きがありチェックインをする。部屋は殺風景だが、綺麗に清掃されていた。


早々に部屋で祝杯をあげる。


だらだら飲んでいると、20時近くになったので食事に向かうことにする。どうも毎晩同じ行動パターンになりつつある。辺は街灯が少ないため、真っ暗だが、前方に屋台が並んでいるのが見えた。


周りにレストランはなさそうなので、結局、また道路沿いにある屋台である。。あまりいろいろ考えないことにし、適当にお店を選んで入り注文する。チキンカレー、ボイルエッグ、チャパティ、ライスを食べホテルに戻った。


(2012.11.23)
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