早起きしてパラドール・デ・トレドの客室のベランダから、トレド旧市街の全景を眺める。今朝は天候にも恵まれ素晴らしい景観だ。ベランダの左右とは格子(蔓草模様)のみで仕切られているため若干引いたが、この時間、他に人影はなかった。
トレド旧市街は、三方向(東西南)を、テージョ川(タホ川)(イベリア半島中央部を西に流れ大西洋に注ぐ)に挟まれた天然の要害の上にある。古くはローマ属州後、西ゴート王国の首都となり、711年からイスラムの支配下に入る。1085年カスティーリャ王国アルフォンソ6世治世以降はキリスト教国になるなど歴史上の数々の文明の痕跡を残している。1986年には、旧市街全域がユネスコの世界遺産に登録され、マドリードから(71キロメートル)は日帰りができる近郊観光の代表的都市として知られている。
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トレド旧市街に朝日が差し込み始めた。右側(東)にテージョ川が見える。今日はこれから旧市街を見学して、夜にはマドリードのホテルに到着するスケジュールだ。
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客室の下(1階)にあるテラス(宿泊しなくても入れる。)に移動して、旧市街を眺める。左(西側)に視線を移すと昨夜帰りに渡ったサン・マルティン橋(Puente de San Martin)が見える。
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それでは、パラドールをチェックアウトして旧市街に向かう。
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アルト自動車道を通り、東側からテージョ川を渡り旧市街に入る。テージョ川に沿って旧市街の外周(ファネロ通り)を右側にアルカンタラ橋を見ながら北側に向かう。アルカンタラ橋は旧市街への東口で866年に造られたが、1257年テージョ川の増水で破壊したため、アルフォンソ10世(在位:1252年~1284年)により修復されたものである。
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東西に伸びる大通りを西に向かうと、通りに沿って左側(南)に旧市街を守るための城壁が続いている。しばらく進むと通りはロータリーになり、城壁はそのロータリーの奥で「ビサグラ門」に繋がっている。門中央には神聖ローマ皇帝を現す双頭の鷲がはめ込まれ、尖頂にはトレドの守護天使サグラリオの聖母が剣をかざすなど威厳さと重厚さを感じさせる門作りである。ここは、マドリードからの国道の正面になり旧市街へと続くまさにトレドの玄関口なのだ。さて、「ビサグラ門」を左に見ながら通りすぎ西側に流れるテージョ川を渡って
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南側に回り込み、旧市街への西口となるサン・マルティン橋からは、歩いて旧市街に向かうことにする。このサン・マルティン橋は、13世紀に建設された。しかしペドロ1世とエンリケ2世との間で争われたカスティーリャ継承戦争(1366年~1369年)で大損害を受け、14世紀テノーリオ大司教により修復されている。
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橋の両端には石造りの塔が聳え上部には砦がある。テージョ川を渡った旧市街側の塔のアーチ上にも双頭の鷲の紋章がはめ込まれている。
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通りに沿って、坂道を上りやや南側に向かうと、右側に1476年カトリック両王によって建立されたサン・ファン・デ・ロス・レイエス教会が現れる。教会の壁面にぶら下がっている数条の鎖は、グラナダ王国の牢獄に囚われていたキリスト教徒が繋がれていたもので、カトリック両王はグラナダ陥落の象徴としてトレドに持ち帰ったものである。
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教会を見上げながら、道なりに進んでいく。帰りに見学することとする。
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教会を過ぎると、周りに建物が並び細い路地になったが、すぐに視界が広がった。右側に公園があり左側には広い歩道が現れ、その歩道手前に観光案内の立札があり入口がある。セファルディ博物館(Museo Sefardi)と書かれている。
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少し進んで振り返り、建物全体を眺めてみる。上部には、幅の狭い細い2つのアーチからなる鐘楼がある。
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博物館はトランシト教会(La Sinagoga del Transito)とも呼ばれており、もともとはユダヤ教のシナゴーグとして14世紀半ばカスティーリャ王国ペドロ1世の財務官サムエル・レビにより造られた。この大きな空間は最も神聖な場所で「祈りの大広間」と名付けられている。前方の観光客が集まる先(東側)に3つのアーチが見えるが、ここは「トーラー」と呼ばれユダヤ教の聖書が保存される場所である。見上げると天井は東洋風の木造からできており、右壁の上部には、宗教儀式に参加する女性席がある。
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「トーラー」のアーチの上部の壁面は、化粧漆喰でムデハル様式の華麗な装飾で覆われている。
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上部の女性席内側の柱には、幾何学模様で刻んだイェセリア(Yeseria)という黄金漆喰の装飾が見られる。トランシト教会は、15世紀カトリック両王によるユダヤ人放逐の後、キリスト教会になり19世紀には固定建築物に指定された。現在は、ユダヤ文化に関する品々が展示されている。
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シナゴーグに隣接してエル・グレコ美術館(Museo de El Greco)がある。入口は、通りを少し歩いた左側にある近代的な建物だ。
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入場して、館内をシナゴーグ方面に歩いていくと外に出て正面に2階建ての古びた住居が現れる。ここはエル・グレコが住んだ邸宅である。エル・グレコは、スペイン美術黄金期に活躍し、ベラスケスやゴヤなどとともにスペイン三大画家の一人にも数えらている。彼は、ギリシア領クレタ島、イラクリオン出身で、本名をドメニコス・テオトコプーロスというが、ギリシャ人を意味するエル・グレコと呼ばれた。揺らめく炎のように伸ばされた人物像が特徴的で、多くの宗教画を中心に作品を残し、当時の宗教関係者や知識人から圧倒的な支持を得た。
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エル・グレコはイタリアを経てスペインに渡り、1585年に、シナゴーグ創設者のサムエル・レビの大邸宅の一部を借り受け住居を定め、1614年に亡くなるまで住んでいたという。邸宅内には、大きな中庭があり、2階には中庭を取り巻くように回廊があり、そこから各部屋に入ることができる。
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この部屋からは、玄関側の庭が眺める。
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エル・グレコの死後、邸宅は荒れ果てるが、20世紀初頭、王立観光局長ラ・ベガ・インクラン侯爵が修復目的で買取り、16世紀調のスタイルで飾り付け、家具もその当時のものとし、エル・グレコの作品を収める美術館とした。
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内部には20ほどの部屋があり、アトリエ、書斎、寝室、台所が再現されている。
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各部屋には、エル・グレコの作品が展示されている。こちらは「聖家族と聖アンナ」。
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エル・グレコ晩年に描かれた「十二使徒の連作」が展示されている。救世主キリストを中心に。ヨハネ、ペテロ、パウロ、大ヤコブ、タダイ、アンデレ、ピリポ、トマス、バルトロマイ、シモン、マタイ、小ヤコブの使徒が、6人ずつ展示されている。
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こちらも傑作の一つ「悔悟する聖ペテロ」。ペテロの潤んだ目が良く表現されている。祈る聖ペテロの背後には、天使によってキリストの復活を告げられたマグダラのマリアが、イエスの墓を後にする場面が描かれている。
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16世紀当時のトレドを描いた「トレド市の展望」。雲の上に立つのはターベラ病院。その奥に先程通った「ビサグラ門」が見え、上空には、聖イルデフォンソに与える聖衣を持った聖母マリアの一群が舞い降りる。右側のエル・グレコの息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリがトレドの地図を示し、左側の巨大な人物像は、テージョ川(タホ川)を象徴的に表しているとされる。
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「瞑想する聖フランチェスコと修道士レオ」。フランチェスコの着る修道服は、彼の死後、原点の厳格な清貧主義の徹底を主張し、フランシスコ会から分派したカプチン・フランシスコ修道会のスタイル(頭巾)である。
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下の階の小さな礼拝堂には、聖フランチェスコの、最も有名な弟子を描いた「シエナの聖ベルナルディーノ」が飾られている。
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エル・グレコ美術館を出て先に進むと、すぐ通りは大きく左に曲がっている。曲がりきった右側に昨夜お世話になったレストラン、ラ・オルサ(La Orza)がある。
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次に、さらに100メートルほど進んだ所にあるサント・トメ教会(Iglesia de Santo Tome)を見学する。ここは、14世紀にモスクが改装されて造られたキリスト教会で、エル・グレコの最高傑作といわれる絵画「オルガス伯の埋葬」が所蔵されている。この絵は、14世紀、荒廃していたサント・トメ教会の再建に尽力したオルガス伯爵を題材に描いた作品で、彼が知識人や有力者に看取られながら昇天していく姿を描いている。天空にはキリストが描かれ、周りに聖母マリアや洗礼者ヨハネなど聖人や天使が描かれている。
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サント・トメ教会の左側(西)路地を北に向かうと、教会の裏側を東西に伸びるサント・トメ通りになる。時刻は13時40分。お腹が空いたが、レストランに行く時間はないので、サント・トメ通り沿いのファーストフードでテイクアウトにして観光を続ける。
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100メートル程でサルヴァトーレ広場(五差路)に到着。案内版に従い前方の路地を通ってトレド大聖堂(正式名サンタ・マリア・デ・トレド大聖堂(Catedral de Santa Maria de Toledo))に向かう。
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路地を抜け、正面に現れる巨大な壁面(大聖堂の回廊を取り巻く建物)に沿って右折し南に歩くと、左手前方に高さ90メートルの高さのトレド大聖堂の壮大な鐘楼が見えてきた。四角形の塔の上部に八角形の小尖塔から成っている。建造には、エル・グレコの息子で、画家・建築家のホルヘ・マヌエル・テオトコプリも携わった。
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トレド大聖堂は、大司教座のあるトレドにふさわしい大聖堂を建設することを目的に、1226年フェルナンド3世時代に建造が始まりカトリック両王時代の1493年に完成した。スペイン・ゴシック様式最高傑作といわれている。
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聖堂は、長さ113メートル、幅57メートル、高さ45メートルあり、スペインでは、セビーリャ大聖堂に次ぐ規模を誇っている。拝廊側のファサードの左には鐘楼が聳え、右側にはモサラベ様式の礼拝堂のドームがある。
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聖堂内は4つの側廊と22の礼拝堂がある。最初に、最大の見所の一つ「トランスパレンテ(El transparente)」から見学する。主祭壇から周歩廊に向かう天井にぽっかりと穴が開いているように見える場所がある。
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トランスパレンテとは「透明」を表す意味。一面フレスコ画で覆われており、この下の礼拝堂へ光を取り込むための目的で、18世紀、大司教ディエゴ・デ・アストルガの命により彫刻家・建築家ナルシソ・トメがチュリゲラ様式(スペイン独自のバロック様式)で制作した。
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その光が照らされる場所に造られた礼拝堂もナルシソ・トメの作品である。礼拝堂は、ブロンズ、大理石、アラバスター(雪花石膏)などを使い、チュリゲラ様式で造られている。トメは4人の子供と協力し11年の歳月を費やして完成させた。
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天使や聖母像は、きめ細やかな装飾が施され、天井から差し込む陽光が一層美しさを際立たせている。
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こちらは、ドイツ細工職人エンリケ・デ・アルフェ作による聖餅顕置台(高さ3メートル、重さ200キロ)。コロンブスがアメリカから持ち帰ったものとされる金に加え銀や宝石など5000個の部品を用い7年半の歳月を費やして造られた。なお、イサベル女王の王冠も下部に使われているとのこと。聖餅顕置台は、聖体祭でトレドの街を行列で練り歩くそうだ。
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それでは、主祭壇(大礼拝堂)を見てみよう。手前には、こちらも最大の見所、フランシスコ・デ・ビャルバンド(Francisco de Villalpando)が10年の歳月をかけてプラテレスコ様式で制作した鉄格子がある。鉄格子の上部には、カルロス5世の双頭の鷲の紋章があり、その上に十字架が乗っている。主祭壇の天井を覆う白煉瓦に黄金色のリブ・ヴォールトが鮮やかである。
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そして、その奥の主祭壇は、ゴシック様式で造られた木彫りの黄金衝立が飾られている。高さ30メートル、キリストの生涯を20の場面で表現している。こちらもフランシスコ・デ・ビジャパンドの作品で4年間に27人の工芸家が協力して作り上げた。
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振り返ると、上下2段に美しい彫刻で装飾された、くるみ材製の聖歌隊席(クワイヤ)がある。上段の聖歌隊席には、16世紀のスペイン彫刻家アロンソ・ベルゲーテとフランス人工芸家フェリペ・デ・ボルゴーニャによるルネサンス様式で造られた豪華な70個の椅子とアラバスターの柱が並んでいる。下段には15世紀ロドリゴ・アレマンによるゴシック様式で造られた50個の椅子が並んでおり、背あてには、陥落したグラナダ王国にカトリック両王が入城しレコンキスタが完成する場面を数々のレリーフで表現されている。
そして、豪華な聖歌隊席を見下ろすように、左右上部には、翼のようにせり出したパイプを持つ17世紀作の華麗なパイプオルガンがある。
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聖具室には、美術館が併設されており、エル・グレコの初期の傑作「キリストの聖衣剥奪」や、「キリスト処刑」、ヴァン・ダイク、ベラスケス、ゴヤなどの作品が飾られている。
1時間ほど見学した後、大聖堂の北側の「時計の門」から、外に出る。
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次に、東へ400メートルほど離れたアルカサルの北側にあるサンタ・クルス美術館に向かった。美術館は16世紀にトレド大司教メンドーサ(イサベル1世の顧問)の創立による病院施設である。建築家エンリケ・エガスにより10年の歳月をかけて造られた。正面の荘厳なファサードはプラテレスコ様式で建物はギリシア十字型である。1階には中庭を囲む回廊があり2階が美術館となっている。マドリードにあるプラド美術館の姉妹美術館でもあり考古学博物館も併設されている。
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館内には、エル・グレコの作品はもちろんのこと、トレド出身の画家の作品や、陶磁器、巨大なタペストリー、工芸品等が幅広く展示されている。中庭には、中央に噴水があり、周りに美しくニシキギやオリーブの木が植えられ鋭角状に園路が設けられており、周りの回廊には、ギリシャ・ローマ時代の柱や梁などの出土品が展示されていた。
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こちらの部屋にはエル・グレコの作品が並べられている。
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こちらは、エル・グレコ晩年の傑作でありサンタ・クルス美術館の代表作品でもある「聖母被昇天(無原罪の御宿り)」。下部にマリアを象徴するトゲのない赤いバラと白い百合の花を描き、そこを起点にマリアが、天を仰ぎ昇っていく様子がマニエリスム(曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現)手法で見事に描かれている。
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他にも、聖ヴェロニカ、「聖衣剥奪」、「聖家族と聖アンナ」などを中心に1時間ほど鑑賞した。
サンタ・クルス美術館を見学した後、ソコドベール広場からショップ、土産屋、レストランなどが軒を連ねる一番の繁華街コメルシオ通りを歩き、もと来た大聖堂の方向に戻る。
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大聖堂を過ぎ、繁華街のトリニダ通りを抜けると、どんどん細い路地になり、アンヘル通りと書かれた通りを抜けると、
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目の前が開けて正面に懐かしの「サン・ ファン・デ・ロス・レイエス教会」が見えた。
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現在時刻は17時を過ぎた所。教会中に入り、主祭壇に向かう。
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主祭壇の両側には、カトリック両王の紋章が並んでいる。
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中庭を取り巻く回廊は、イサベリーノ様式(ゴシック様式がムデハル化した)で作られた美しい列柱が並んでいる。そして2階には、木製の美しい天井がある。
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30分ほど見学した後、サン・マルティン橋まで戻ってきた。
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最後にもう一度パラドール・デ・トレドから旧市街の眺望を満喫してトレドを後にする。
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すこし進むと、道路沿いに車が停まり多くの人がカメラを構えている。このあたりは撮影スポットになっているようだ。名残惜しく、再び旧市街を眺めると、日が沈み、街灯がつき始めた。これでトレドとは、お別れである。
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午後9時に、マドリード市内にあるミシュラン星付きレストラン、ラモン・フレイシャ(Ramon Freixa)にやってきた。カタルーニャ出身のシェフが作る料理で、地中海料理を中心とした伝統料理と最先端の創作料理の融合したタパス・スタイルのレストランである。
メニューは、1+1=3(Introduction+Starter+Main Courase+Dessert:70ユーロ)、The Experience(Introduction+1Starter+1Fish+1Meat+Cheese+Dessert:90ユーロ)、Grand Frx;first sight,romance,passion(Introduction+2Starters+1Fish+1Meat+Cheese+Big Dessert:110ユーロ)の3種類で、それぞれWine pairing(15ユーロ、40ユーロ、55ユーロ)がある。
最初に4小皿が提供される。次に2品、3品、トリュフ、キノコ、1品、そしてメインの肉、メイン魚、3小皿、最後にデザート、デザート、デザート、菓子で終了。ペアリングで提供されたワインは、マラ・マルティン ゴデーリョと、フィンカ・リオ・ネグロだった。どの小皿料理も芸術性や洗練性に優れておりワインとの相性も良く大変楽しめることができた。
翌日、午前10時10分発のフィンランド航空で、ヘルシンキを経由して日本に帰国した。
(2013.12.28)
トレド旧市街は、三方向(東西南)を、テージョ川(タホ川)(イベリア半島中央部を西に流れ大西洋に注ぐ)に挟まれた天然の要害の上にある。古くはローマ属州後、西ゴート王国の首都となり、711年からイスラムの支配下に入る。1085年カスティーリャ王国アルフォンソ6世治世以降はキリスト教国になるなど歴史上の数々の文明の痕跡を残している。1986年には、旧市街全域がユネスコの世界遺産に登録され、マドリードから(71キロメートル)は日帰りができる近郊観光の代表的都市として知られている。
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トレド旧市街に朝日が差し込み始めた。右側(東)にテージョ川が見える。今日はこれから旧市街を見学して、夜にはマドリードのホテルに到着するスケジュールだ。
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客室の下(1階)にあるテラス(宿泊しなくても入れる。)に移動して、旧市街を眺める。左(西側)に視線を移すと昨夜帰りに渡ったサン・マルティン橋(Puente de San Martin)が見える。
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それでは、パラドールをチェックアウトして旧市街に向かう。
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アルト自動車道を通り、東側からテージョ川を渡り旧市街に入る。テージョ川に沿って旧市街の外周(ファネロ通り)を右側にアルカンタラ橋を見ながら北側に向かう。アルカンタラ橋は旧市街への東口で866年に造られたが、1257年テージョ川の増水で破壊したため、アルフォンソ10世(在位:1252年~1284年)により修復されたものである。
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東西に伸びる大通りを西に向かうと、通りに沿って左側(南)に旧市街を守るための城壁が続いている。しばらく進むと通りはロータリーになり、城壁はそのロータリーの奥で「ビサグラ門」に繋がっている。門中央には神聖ローマ皇帝を現す双頭の鷲がはめ込まれ、尖頂にはトレドの守護天使サグラリオの聖母が剣をかざすなど威厳さと重厚さを感じさせる門作りである。ここは、マドリードからの国道の正面になり旧市街へと続くまさにトレドの玄関口なのだ。さて、「ビサグラ門」を左に見ながら通りすぎ西側に流れるテージョ川を渡って
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南側に回り込み、旧市街への西口となるサン・マルティン橋からは、歩いて旧市街に向かうことにする。このサン・マルティン橋は、13世紀に建設された。しかしペドロ1世とエンリケ2世との間で争われたカスティーリャ継承戦争(1366年~1369年)で大損害を受け、14世紀テノーリオ大司教により修復されている。
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橋の両端には石造りの塔が聳え上部には砦がある。テージョ川を渡った旧市街側の塔のアーチ上にも双頭の鷲の紋章がはめ込まれている。
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通りに沿って、坂道を上りやや南側に向かうと、右側に1476年カトリック両王によって建立されたサン・ファン・デ・ロス・レイエス教会が現れる。教会の壁面にぶら下がっている数条の鎖は、グラナダ王国の牢獄に囚われていたキリスト教徒が繋がれていたもので、カトリック両王はグラナダ陥落の象徴としてトレドに持ち帰ったものである。
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教会を過ぎると、周りに建物が並び細い路地になったが、すぐに視界が広がった。右側に公園があり左側には広い歩道が現れ、その歩道手前に観光案内の立札があり入口がある。セファルディ博物館(Museo Sefardi)と書かれている。
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少し進んで振り返り、建物全体を眺めてみる。上部には、幅の狭い細い2つのアーチからなる鐘楼がある。
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博物館はトランシト教会(La Sinagoga del Transito)とも呼ばれており、もともとはユダヤ教のシナゴーグとして14世紀半ばカスティーリャ王国ペドロ1世の財務官サムエル・レビにより造られた。この大きな空間は最も神聖な場所で「祈りの大広間」と名付けられている。前方の観光客が集まる先(東側)に3つのアーチが見えるが、ここは「トーラー」と呼ばれユダヤ教の聖書が保存される場所である。見上げると天井は東洋風の木造からできており、右壁の上部には、宗教儀式に参加する女性席がある。
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「トーラー」のアーチの上部の壁面は、化粧漆喰でムデハル様式の華麗な装飾で覆われている。
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上部の女性席内側の柱には、幾何学模様で刻んだイェセリア(Yeseria)という黄金漆喰の装飾が見られる。トランシト教会は、15世紀カトリック両王によるユダヤ人放逐の後、キリスト教会になり19世紀には固定建築物に指定された。現在は、ユダヤ文化に関する品々が展示されている。
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シナゴーグに隣接してエル・グレコ美術館(Museo de El Greco)がある。入口は、通りを少し歩いた左側にある近代的な建物だ。
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入場して、館内をシナゴーグ方面に歩いていくと外に出て正面に2階建ての古びた住居が現れる。ここはエル・グレコが住んだ邸宅である。エル・グレコは、スペイン美術黄金期に活躍し、ベラスケスやゴヤなどとともにスペイン三大画家の一人にも数えらている。彼は、ギリシア領クレタ島、イラクリオン出身で、本名をドメニコス・テオトコプーロスというが、ギリシャ人を意味するエル・グレコと呼ばれた。揺らめく炎のように伸ばされた人物像が特徴的で、多くの宗教画を中心に作品を残し、当時の宗教関係者や知識人から圧倒的な支持を得た。
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エル・グレコはイタリアを経てスペインに渡り、1585年に、シナゴーグ創設者のサムエル・レビの大邸宅の一部を借り受け住居を定め、1614年に亡くなるまで住んでいたという。邸宅内には、大きな中庭があり、2階には中庭を取り巻くように回廊があり、そこから各部屋に入ることができる。
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この部屋からは、玄関側の庭が眺める。
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エル・グレコの死後、邸宅は荒れ果てるが、20世紀初頭、王立観光局長ラ・ベガ・インクラン侯爵が修復目的で買取り、16世紀調のスタイルで飾り付け、家具もその当時のものとし、エル・グレコの作品を収める美術館とした。
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内部には20ほどの部屋があり、アトリエ、書斎、寝室、台所が再現されている。
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各部屋には、エル・グレコの作品が展示されている。こちらは「聖家族と聖アンナ」。
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エル・グレコ晩年に描かれた「十二使徒の連作」が展示されている。救世主キリストを中心に。ヨハネ、ペテロ、パウロ、大ヤコブ、タダイ、アンデレ、ピリポ、トマス、バルトロマイ、シモン、マタイ、小ヤコブの使徒が、6人ずつ展示されている。
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こちらも傑作の一つ「悔悟する聖ペテロ」。ペテロの潤んだ目が良く表現されている。祈る聖ペテロの背後には、天使によってキリストの復活を告げられたマグダラのマリアが、イエスの墓を後にする場面が描かれている。
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16世紀当時のトレドを描いた「トレド市の展望」。雲の上に立つのはターベラ病院。その奥に先程通った「ビサグラ門」が見え、上空には、聖イルデフォンソに与える聖衣を持った聖母マリアの一群が舞い降りる。右側のエル・グレコの息子ホルヘ・マヌエル・テオトコプリがトレドの地図を示し、左側の巨大な人物像は、テージョ川(タホ川)を象徴的に表しているとされる。
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「瞑想する聖フランチェスコと修道士レオ」。フランチェスコの着る修道服は、彼の死後、原点の厳格な清貧主義の徹底を主張し、フランシスコ会から分派したカプチン・フランシスコ修道会のスタイル(頭巾)である。
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下の階の小さな礼拝堂には、聖フランチェスコの、最も有名な弟子を描いた「シエナの聖ベルナルディーノ」が飾られている。
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エル・グレコ美術館を出て先に進むと、すぐ通りは大きく左に曲がっている。曲がりきった右側に昨夜お世話になったレストラン、ラ・オルサ(La Orza)がある。
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サント・トメ教会の左側(西)路地を北に向かうと、教会の裏側を東西に伸びるサント・トメ通りになる。時刻は13時40分。お腹が空いたが、レストランに行く時間はないので、サント・トメ通り沿いのファーストフードでテイクアウトにして観光を続ける。
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100メートル程でサルヴァトーレ広場(五差路)に到着。案内版に従い前方の路地を通ってトレド大聖堂(正式名サンタ・マリア・デ・トレド大聖堂(Catedral de Santa Maria de Toledo))に向かう。
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路地を抜け、正面に現れる巨大な壁面(大聖堂の回廊を取り巻く建物)に沿って右折し南に歩くと、左手前方に高さ90メートルの高さのトレド大聖堂の壮大な鐘楼が見えてきた。四角形の塔の上部に八角形の小尖塔から成っている。建造には、エル・グレコの息子で、画家・建築家のホルヘ・マヌエル・テオトコプリも携わった。
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トレド大聖堂は、大司教座のあるトレドにふさわしい大聖堂を建設することを目的に、1226年フェルナンド3世時代に建造が始まりカトリック両王時代の1493年に完成した。スペイン・ゴシック様式最高傑作といわれている。
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聖堂は、長さ113メートル、幅57メートル、高さ45メートルあり、スペインでは、セビーリャ大聖堂に次ぐ規模を誇っている。拝廊側のファサードの左には鐘楼が聳え、右側にはモサラベ様式の礼拝堂のドームがある。
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聖堂内は4つの側廊と22の礼拝堂がある。最初に、最大の見所の一つ「トランスパレンテ(El transparente)」から見学する。主祭壇から周歩廊に向かう天井にぽっかりと穴が開いているように見える場所がある。
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トランスパレンテとは「透明」を表す意味。一面フレスコ画で覆われており、この下の礼拝堂へ光を取り込むための目的で、18世紀、大司教ディエゴ・デ・アストルガの命により彫刻家・建築家ナルシソ・トメがチュリゲラ様式(スペイン独自のバロック様式)で制作した。
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その光が照らされる場所に造られた礼拝堂もナルシソ・トメの作品である。礼拝堂は、ブロンズ、大理石、アラバスター(雪花石膏)などを使い、チュリゲラ様式で造られている。トメは4人の子供と協力し11年の歳月を費やして完成させた。
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天使や聖母像は、きめ細やかな装飾が施され、天井から差し込む陽光が一層美しさを際立たせている。
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こちらは、ドイツ細工職人エンリケ・デ・アルフェ作による聖餅顕置台(高さ3メートル、重さ200キロ)。コロンブスがアメリカから持ち帰ったものとされる金に加え銀や宝石など5000個の部品を用い7年半の歳月を費やして造られた。なお、イサベル女王の王冠も下部に使われているとのこと。聖餅顕置台は、聖体祭でトレドの街を行列で練り歩くそうだ。
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それでは、主祭壇(大礼拝堂)を見てみよう。手前には、こちらも最大の見所、フランシスコ・デ・ビャルバンド(Francisco de Villalpando)が10年の歳月をかけてプラテレスコ様式で制作した鉄格子がある。鉄格子の上部には、カルロス5世の双頭の鷲の紋章があり、その上に十字架が乗っている。主祭壇の天井を覆う白煉瓦に黄金色のリブ・ヴォールトが鮮やかである。
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そして、その奥の主祭壇は、ゴシック様式で造られた木彫りの黄金衝立が飾られている。高さ30メートル、キリストの生涯を20の場面で表現している。こちらもフランシスコ・デ・ビジャパンドの作品で4年間に27人の工芸家が協力して作り上げた。
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振り返ると、上下2段に美しい彫刻で装飾された、くるみ材製の聖歌隊席(クワイヤ)がある。上段の聖歌隊席には、16世紀のスペイン彫刻家アロンソ・ベルゲーテとフランス人工芸家フェリペ・デ・ボルゴーニャによるルネサンス様式で造られた豪華な70個の椅子とアラバスターの柱が並んでいる。下段には15世紀ロドリゴ・アレマンによるゴシック様式で造られた50個の椅子が並んでおり、背あてには、陥落したグラナダ王国にカトリック両王が入城しレコンキスタが完成する場面を数々のレリーフで表現されている。
そして、豪華な聖歌隊席を見下ろすように、左右上部には、翼のようにせり出したパイプを持つ17世紀作の華麗なパイプオルガンがある。
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聖具室には、美術館が併設されており、エル・グレコの初期の傑作「キリストの聖衣剥奪」や、「キリスト処刑」、ヴァン・ダイク、ベラスケス、ゴヤなどの作品が飾られている。
1時間ほど見学した後、大聖堂の北側の「時計の門」から、外に出る。
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次に、東へ400メートルほど離れたアルカサルの北側にあるサンタ・クルス美術館に向かった。美術館は16世紀にトレド大司教メンドーサ(イサベル1世の顧問)の創立による病院施設である。建築家エンリケ・エガスにより10年の歳月をかけて造られた。正面の荘厳なファサードはプラテレスコ様式で建物はギリシア十字型である。1階には中庭を囲む回廊があり2階が美術館となっている。マドリードにあるプラド美術館の姉妹美術館でもあり考古学博物館も併設されている。
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館内には、エル・グレコの作品はもちろんのこと、トレド出身の画家の作品や、陶磁器、巨大なタペストリー、工芸品等が幅広く展示されている。中庭には、中央に噴水があり、周りに美しくニシキギやオリーブの木が植えられ鋭角状に園路が設けられており、周りの回廊には、ギリシャ・ローマ時代の柱や梁などの出土品が展示されていた。
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こちらの部屋にはエル・グレコの作品が並べられている。
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こちらは、エル・グレコ晩年の傑作でありサンタ・クルス美術館の代表作品でもある「聖母被昇天(無原罪の御宿り)」。下部にマリアを象徴するトゲのない赤いバラと白い百合の花を描き、そこを起点にマリアが、天を仰ぎ昇っていく様子がマニエリスム(曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現)手法で見事に描かれている。
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他にも、聖ヴェロニカ、「聖衣剥奪」、「聖家族と聖アンナ」などを中心に1時間ほど鑑賞した。
サンタ・クルス美術館を見学した後、ソコドベール広場からショップ、土産屋、レストランなどが軒を連ねる一番の繁華街コメルシオ通りを歩き、もと来た大聖堂の方向に戻る。
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大聖堂を過ぎ、繁華街のトリニダ通りを抜けると、どんどん細い路地になり、アンヘル通りと書かれた通りを抜けると、
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目の前が開けて正面に懐かしの「サン・ ファン・デ・ロス・レイエス教会」が見えた。
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現在時刻は17時を過ぎた所。教会中に入り、主祭壇に向かう。
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主祭壇の両側には、カトリック両王の紋章が並んでいる。
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中庭を取り巻く回廊は、イサベリーノ様式(ゴシック様式がムデハル化した)で作られた美しい列柱が並んでいる。そして2階には、木製の美しい天井がある。
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30分ほど見学した後、サン・マルティン橋まで戻ってきた。
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最後にもう一度パラドール・デ・トレドから旧市街の眺望を満喫してトレドを後にする。
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すこし進むと、道路沿いに車が停まり多くの人がカメラを構えている。このあたりは撮影スポットになっているようだ。名残惜しく、再び旧市街を眺めると、日が沈み、街灯がつき始めた。これでトレドとは、お別れである。
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午後9時に、マドリード市内にあるミシュラン星付きレストラン、ラモン・フレイシャ(Ramon Freixa)にやってきた。カタルーニャ出身のシェフが作る料理で、地中海料理を中心とした伝統料理と最先端の創作料理の融合したタパス・スタイルのレストランである。
メニューは、1+1=3(Introduction+Starter+Main Courase+Dessert:70ユーロ)、The Experience(Introduction+1Starter+1Fish+1Meat+Cheese+Dessert:90ユーロ)、Grand Frx;first sight,romance,passion(Introduction+2Starters+1Fish+1Meat+Cheese+Big Dessert:110ユーロ)の3種類で、それぞれWine pairing(15ユーロ、40ユーロ、55ユーロ)がある。
最初に4小皿が提供される。次に2品、3品、トリュフ、キノコ、1品、そしてメインの肉、メイン魚、3小皿、最後にデザート、デザート、デザート、菓子で終了。ペアリングで提供されたワインは、マラ・マルティン ゴデーリョと、フィンカ・リオ・ネグロだった。どの小皿料理も芸術性や洗練性に優れておりワインとの相性も良く大変楽しめることができた。
翌日、午前10時10分発のフィンランド航空で、ヘルシンキを経由して日本に帰国した。
(2013.12.28)