ビアリッツから、高速道に乗り北西に30キロメートル、途中、サンジャンドリュズを過ぎ、国境を越えスペイン側の国境沿いの街「オンダリビア」(Hondarribia)にやってきた。街は、スペイン・バスク州ギプスコア県に属しており、チングディ湾河口部のビダソア川の左岸(西側)にある。因みに、右岸はフランスのアンダイエになる。これからミシュラン星付きの老舗「レストラン アラメダ」(Alameda)で夕食をいただくことにしている。
レストラン アラメダは、オンダビリアの最南端に位置している。市内南地区にある旧市街からは、階段を下りた東西に延びる通り沿いにあり、レストラン南側にはビダソア川に注ぎ込む支流サンタ エングラツィア川が流れている。こちらは通り沿いの入口になる。
到着が午後9時と遅くなってしまったが、既に店内は満席になっていた。
メニューを見ると、セットメニューが3種類「Gartzinea(40ユーロ)、Hondarribia(58ユーロ)、Degustacion(80ユーロ)」があり、一番リーズナブルの「Gartzinea」を注文した。最初にアミューズからコースが始まった。
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パエリアやリゾットに使用されるスペイン産ブレンド米「ボンバ米(BOMBA Rice)」にシピロン(イカ)をあしらった一品。イカの風味がスープに溶け込んだ香ばしさが絶品。
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魚料理は、ヘイク(Hake)と言うタラ目メルルーサ。魚が新鮮なのはもちろん、ふっくらとした焼き上げが素晴らしく大変美味しい。
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肉料理は、ラム ショルダー(仔羊骨無し肩肉)ブロック。肉の触感とソースとの相性も絶妙な一品。
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ワインは、ボデガス ロダ(Bodegas Roda)をいただいた。リオハ アルタの中心アロ村(Haro)のトップワイナリーで、樽の香りは抑え目で、口当たりはなめらかでシルキーこなれたタンニンが好印象なワイン。
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デザートには、ピピン種のリンゴタルトにアイスを添えたもの。
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コーヒーとプチフールをいただき終了した。新鮮な素材にソースを絡み合わせ、洗練されたバスク料理と言ったコースだった。今回リーズナブルなセットを頼んだが、量的にもちょうで、さすがに星付きと言った感想で満足できた。
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こちらは、ビダソア川のフランス側を約8キロメートル上流に向かったビリアトゥ(Biriatou)のホテル(Les Jardins De Bakea Hotel)である。ビダソア川沿いの通りの1本丘側(北側)のエリ アルド通り沿い建つホテルで2泊し3日目の朝を迎えたところ。ホテルの白い壁は朝日を浴び輝いている。ここビリアトゥは、フランス南西部のピレネー アトランティック県にある村で、バスク地方ではラブールにあたる。東側にあるホルドコガイナ山(標高486メートル)の麓に近く、ハイキングコースのルートにもなっている。
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こちらは、ホテル前の駐車場から南側を眺めた様子。すぐ先にビダソア川が東西に流れ、対岸(左岸)からスペインとなる。眺望がすばらしく、空の青さと緑が眩しく気待ちのいい朝である。ちなみに、この眺望はホテルのテラス席から一望することができる。これから昨夜に続き、スペイン・オンダビリアに向かうことにしている。
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昨夜のレストラン アラメダの東側から、旧市街の北側に回り込むと、サン クリストバル(San Kristobal Plaza)と名付けられたラウンドアバウトがあり放射状に6本の道が伸びている。その南西へ向かう通り沿いにマーケット(solbes)があり、店頭にフルーツが山積みに置かれている。
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マーケット沿いの通りと、ここまで来た通りとの間(南方面)に、Parador(パラドール)方面を示す標識があり、それに沿って坂道を上っていく。すぐに、右側に高さ4メートルほどのオベリスクが建ち「1879年3月30日付けの領海画定合意」と記載されている。詳しい解説がないが、ビダソア川とチングディ湾に面するオンダリビアとフランス領アンダイエとの船舶の航行に関する協定のことと思われる。
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そのオベリスクの先を右折すると、急な勾配の石畳の上り坂が続いて、その奥にアーチ門が見える。両側には、漆喰の壁に木製の梁や鎧戸などのバスク地方特有の建物が並んでいる。ところで「オンダリビア」は河口沿いの街だが、西側にハイスキベル山(標高547メートル)があることから、坂のある街となっている。
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アーチの上にも小さなバルコニがあり、住宅となっているようだ。
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アーチを抜けると、一辺30メートル四方の「ギプスコア広場」で、広場奥に、中世風ながら白いエディキュラを備えた可愛らしいホテル パラセテが望める。
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そのギプスコア広場から振り返ると、白い漆喰壁に木枠組みされた、それぞれ外観が異なるバスク風の建物が連結して建っている。くぐった門の隣の建物の2階は煉瓦壁でベランダには色どり鮮やかな花が飾られ、柱の上には紋章の浮彫が施されている。1階部分はアーケードで、ドーリア式の円柱が支えている。
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先の筋を右折し坂を上り、その先の交差点を左折して坂道を上ると、左側に「アルマ広場」が現れ、広場に面して前方(東側)に城壁のような「パラドール デ オンダリビア」が現れる。
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こちらのパラドールは、もともとナバーラ王の称号をはじめて使用したサンチョ アバルカ(在位:1004~1035)が築いた城だったが、16世紀、神聖ローマ皇帝カルロス5世により、対フランス戦のための重要地として改築されたもの。その後フェリペ4世(在位:1605~1665)治世時に、フランス軍からの2ヶ月にわたる攻撃に耐えたと言われ、現在も外壁には砲弾の痕が残っている。
アルマ広場の中心から、南側(右側から来た)を眺めると、通り沿いには緑、青、赤とカラフルな窓枠が並ぶバスクの建物が建っている。
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アルマ広場からパラドールに向かって左側(北側)にはビダソア川が流れ、その先がチングディ湾となる。
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アルマ広場には、1638年と書かれた中世の鳥瞰図(右下の川に面した城壁側が北)がある。城壁内に見えるひと際大きい広場が、このアルマ広場である。図では北城壁下が入り江になっているが、現在は、東側の陸地部分がそのまま東城壁と並行して北側に続いていることから、旧市街は、ビダソア川から100メートルほど内陸部に位置している。ラウンドアバウト「サン クリストバル」は、北城壁の側防塔のやや北側に位置している。
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南城壁側はサンタ エングラツィア川で、現在は、10メートル幅の水路で、空港の手前で北向きに方向を変えビダソア川に注ぎ込んでいる。レストラン アラメダは、南城壁中央付近から下った川縁あたりになる。
パラドールに沿って右奥には教会の尖塔が見える。下り坂の細い道が伸びている。
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左側が聖堂の壁面になっており、先に扉口があるようだ。
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坂を下って行くと、聖堂の向かい側には、靴屋があり、カジュアルなサンダルや靴が並んでいる。高級感のある革や縫製が大変良く、いかにも熟練の靴職人による手作業を感じさせる品々である。ちなみに、こちらが、バスクベレー帽が似合いそうな靴職人のおじさん。
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その靴屋の向かい側には、1474年から建設が始まり1549年に完成したゴシック様式のサンタ マリア教会の扉口がある。ミサの時間なのか幸いにも扉が開いている。
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主祭壇は、黄金で塗られた祭壇衝立が飾られており中央には聖母子像が祀られている。
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こちらの柱には、十字架を中心に愛らしい天使像の彫刻が両脇に施されている。
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礼拝堂横の天井はゴシック建築特徴のリブ ヴォールトで覆われている。
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リブには、細かい彫刻が施され、中央には聖母子像が表現されている。頂上部だけ見ると仏教の法輪の形と良く似ている。
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こちらの聖人像の身体部分は父と子(キリスト)と聖霊(聖神)が一体であるとする教えを図像化した「三位一体の盾」を現している。顔をよく見ると左右中央に3つの顔が現されている。細部まで細かい彫刻が施されており、作者の労力に感服させられる。
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さて、旧市街を後にし、再びサン クリストバル広場(San Kristobal Plaza)に戻り、マーケット(solbes)で買物をして、右隣の北側に伸びるサンペドロ通りを歩いて行くと、レストランやバルが並んだマリーナ地区に至る。こちらの丁字路に沿いにあるバル「アンバタ(Enbata)」は、込み合って入れなかった。
通りのすぐ先左側には、オンダリビアを代表する人気のバル店「グラン ソル(Gran Sol)」がある。
店内は混雑していたが、何とか、カウンター席に座ることができた。
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左端の一品は、名物のミガス(migas)。ミガスとは、パンを細かくちぎって炒めたもの。それに半熟卵に鶏のスープとイカ墨をかけている。
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タパスと言うより、本格的なフォアグラ料理。
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次から次にお客が来るが、店内には座りきれず帰って行く。
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さて、満足して、バルを出て、大通りを東方面に越えて行くと、
ビダソア川沿いのウォーターフロントに出る。このあたりが河口付近で、先方の北東側に入り込む岬の手前が、チングディ湾となっている。ちなみに岬はハイスキベル山を中心とした稜線として15キロメートルほど南西方向に海岸山脈となり続いている。
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南北に続くウォーターフロント沿いに砂浜が広がる場所があり、下りることができたので、川辺までやってきた。この日は波が高く、多くの船が運行している。東側となる対岸に見える街並みは、フランス領のアンダイエである。
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さて、ところ変わって、ここはスペイン・バスク自治州ギプスコア県の県都「サン セバスティアン」のビスケー湾に面した「ラ スリオラ海岸」。フランスとの国境からの距離は約20キロメートルである。東の岬となる岩山は「ウリア山」(標高243メートル)の最西端で、海岸線に沿って東方面に尾根が伸びていく。この海岸は、やや波が高いためサーフィンやボディボードを行う海水浴客に人気があるという。時刻は午後8時、そろそろ日の入りである。
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ラ スリオラ海岸の西側には「ウルメア川」(バスク山脈の麓、ゴイスエタからナバーラ州、バスク州ギプスコア県内を流れる)の河口に位置し、その背後に「モンテ ウルグル」(Monte Urgull)(標高123メートル)と呼ばれる小山がある。17世紀、ナバーラ王サンチョの命によって「モタ城」が建造され、その後も、近年まで軍事上、重要な防御地点となった。現在では、その役割も終え、大部分が緑に覆われ、山頂には1950年に12メートルの高さのキリストの像が設置されている。
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そして、このモンテ ウルグルの更に向かい側(西側)にも砂浜のビーチが大きく広がる「ラ オンダレータ海岸」があり、サン セバスティアンは、大小2つの湾(ラ オンダレータ海岸とラ スリオラ海岸)が連続して「ラ コンチャ湾」となり大西洋のビスケー湾となる。
サン セバスティアンは、ウルメア川に沿って街が広がっている。こちらは、そのウルメア川に架かる3本の橋の一つ「クルサール橋」(スリオラ橋)で、1921年にビクトル アラナによってデザインされたアール デコ様式の街路灯が美しい橋である。
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ウルメア川対岸の宮殿を思わせる建物は、ホテル マリア クリスティーナ(Hotel Maria Cristina)で、15世紀の建物を復元し1912年のオープンした壮大な5つ星ホテルである。
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クルサール橋の手前左手には、「クルサール国際会議場・公会堂」がある。設計はスペイン人建築家のホセ ラファエル モネオで、1999年開館した。1,839席のクルサール公会堂、多目的ホール、展示場などを有する複合施設で、毎年9月に開催される「サン セバスティアン国際映画祭」の開場で知られている。目指す「レストラン ニ ネウ」(Ni Neu)は、この2階にある。
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スペイン(フランス含め)滞在の最後のディナーは、ここミシュラン店で味わう。メニューには、セットメニューが2種類あったが、「The Tradition and the taste」(48.5ユーロ)のコースに、ワインペアリング(28ユーロ)を付けて頼むこととした。
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ガスパチョと、素揚げされたシシトウらしき一品。。
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ポタージュ(スープ)。
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パテだが、まだ前菜のようだ。
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サンセバスチャン名物ピルピルソース(オリーブオイルとにんにくと鱈で作る)に入った蟹。
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セットなので、ポーションが小さいのは分かるが、どこからがメインなのかよくわからない。
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64度で料理された子牛のほほ肉ローストペッパーとポテトクリームを添えた一品。
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どうやらデセールらしい。
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続けて、もう一品でてきた。先ほどのリンゴ味のケーキはアヴァンデセールだったのか。
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メインのポーションが小さくアラカルトで頼んだ方が良かったのかもしれない。もちろん美味しかっただけに少し残念な印象となってしまった。
(2008.9.26~27)
レストラン アラメダは、オンダビリアの最南端に位置している。市内南地区にある旧市街からは、階段を下りた東西に延びる通り沿いにあり、レストラン南側にはビダソア川に注ぎ込む支流サンタ エングラツィア川が流れている。こちらは通り沿いの入口になる。
到着が午後9時と遅くなってしまったが、既に店内は満席になっていた。
メニューを見ると、セットメニューが3種類「Gartzinea(40ユーロ)、Hondarribia(58ユーロ)、Degustacion(80ユーロ)」があり、一番リーズナブルの「Gartzinea」を注文した。最初にアミューズからコースが始まった。
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パエリアやリゾットに使用されるスペイン産ブレンド米「ボンバ米(BOMBA Rice)」にシピロン(イカ)をあしらった一品。イカの風味がスープに溶け込んだ香ばしさが絶品。
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魚料理は、ヘイク(Hake)と言うタラ目メルルーサ。魚が新鮮なのはもちろん、ふっくらとした焼き上げが素晴らしく大変美味しい。
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肉料理は、ラム ショルダー(仔羊骨無し肩肉)ブロック。肉の触感とソースとの相性も絶妙な一品。
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ワインは、ボデガス ロダ(Bodegas Roda)をいただいた。リオハ アルタの中心アロ村(Haro)のトップワイナリーで、樽の香りは抑え目で、口当たりはなめらかでシルキーこなれたタンニンが好印象なワイン。
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デザートには、ピピン種のリンゴタルトにアイスを添えたもの。
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コーヒーとプチフールをいただき終了した。新鮮な素材にソースを絡み合わせ、洗練されたバスク料理と言ったコースだった。今回リーズナブルなセットを頼んだが、量的にもちょうで、さすがに星付きと言った感想で満足できた。
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こちらは、ビダソア川のフランス側を約8キロメートル上流に向かったビリアトゥ(Biriatou)のホテル(Les Jardins De Bakea Hotel)である。ビダソア川沿いの通りの1本丘側(北側)のエリ アルド通り沿い建つホテルで2泊し3日目の朝を迎えたところ。ホテルの白い壁は朝日を浴び輝いている。ここビリアトゥは、フランス南西部のピレネー アトランティック県にある村で、バスク地方ではラブールにあたる。東側にあるホルドコガイナ山(標高486メートル)の麓に近く、ハイキングコースのルートにもなっている。
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こちらは、ホテル前の駐車場から南側を眺めた様子。すぐ先にビダソア川が東西に流れ、対岸(左岸)からスペインとなる。眺望がすばらしく、空の青さと緑が眩しく気待ちのいい朝である。ちなみに、この眺望はホテルのテラス席から一望することができる。これから昨夜に続き、スペイン・オンダビリアに向かうことにしている。
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昨夜のレストラン アラメダの東側から、旧市街の北側に回り込むと、サン クリストバル(San Kristobal Plaza)と名付けられたラウンドアバウトがあり放射状に6本の道が伸びている。その南西へ向かう通り沿いにマーケット(solbes)があり、店頭にフルーツが山積みに置かれている。
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マーケット沿いの通りと、ここまで来た通りとの間(南方面)に、Parador(パラドール)方面を示す標識があり、それに沿って坂道を上っていく。すぐに、右側に高さ4メートルほどのオベリスクが建ち「1879年3月30日付けの領海画定合意」と記載されている。詳しい解説がないが、ビダソア川とチングディ湾に面するオンダリビアとフランス領アンダイエとの船舶の航行に関する協定のことと思われる。
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そのオベリスクの先を右折すると、急な勾配の石畳の上り坂が続いて、その奥にアーチ門が見える。両側には、漆喰の壁に木製の梁や鎧戸などのバスク地方特有の建物が並んでいる。ところで「オンダリビア」は河口沿いの街だが、西側にハイスキベル山(標高547メートル)があることから、坂のある街となっている。
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アーチの上にも小さなバルコニがあり、住宅となっているようだ。
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アーチを抜けると、一辺30メートル四方の「ギプスコア広場」で、広場奥に、中世風ながら白いエディキュラを備えた可愛らしいホテル パラセテが望める。
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そのギプスコア広場から振り返ると、白い漆喰壁に木枠組みされた、それぞれ外観が異なるバスク風の建物が連結して建っている。くぐった門の隣の建物の2階は煉瓦壁でベランダには色どり鮮やかな花が飾られ、柱の上には紋章の浮彫が施されている。1階部分はアーケードで、ドーリア式の円柱が支えている。
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先の筋を右折し坂を上り、その先の交差点を左折して坂道を上ると、左側に「アルマ広場」が現れ、広場に面して前方(東側)に城壁のような「パラドール デ オンダリビア」が現れる。
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こちらのパラドールは、もともとナバーラ王の称号をはじめて使用したサンチョ アバルカ(在位:1004~1035)が築いた城だったが、16世紀、神聖ローマ皇帝カルロス5世により、対フランス戦のための重要地として改築されたもの。その後フェリペ4世(在位:1605~1665)治世時に、フランス軍からの2ヶ月にわたる攻撃に耐えたと言われ、現在も外壁には砲弾の痕が残っている。
アルマ広場の中心から、南側(右側から来た)を眺めると、通り沿いには緑、青、赤とカラフルな窓枠が並ぶバスクの建物が建っている。
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アルマ広場からパラドールに向かって左側(北側)にはビダソア川が流れ、その先がチングディ湾となる。
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アルマ広場には、1638年と書かれた中世の鳥瞰図(右下の川に面した城壁側が北)がある。城壁内に見えるひと際大きい広場が、このアルマ広場である。図では北城壁下が入り江になっているが、現在は、東側の陸地部分がそのまま東城壁と並行して北側に続いていることから、旧市街は、ビダソア川から100メートルほど内陸部に位置している。ラウンドアバウト「サン クリストバル」は、北城壁の側防塔のやや北側に位置している。
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南城壁側はサンタ エングラツィア川で、現在は、10メートル幅の水路で、空港の手前で北向きに方向を変えビダソア川に注ぎ込んでいる。レストラン アラメダは、南城壁中央付近から下った川縁あたりになる。
パラドールに沿って右奥には教会の尖塔が見える。下り坂の細い道が伸びている。
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左側が聖堂の壁面になっており、先に扉口があるようだ。
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坂を下って行くと、聖堂の向かい側には、靴屋があり、カジュアルなサンダルや靴が並んでいる。高級感のある革や縫製が大変良く、いかにも熟練の靴職人による手作業を感じさせる品々である。ちなみに、こちらが、バスクベレー帽が似合いそうな靴職人のおじさん。
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その靴屋の向かい側には、1474年から建設が始まり1549年に完成したゴシック様式のサンタ マリア教会の扉口がある。ミサの時間なのか幸いにも扉が開いている。
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主祭壇は、黄金で塗られた祭壇衝立が飾られており中央には聖母子像が祀られている。
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こちらの柱には、十字架を中心に愛らしい天使像の彫刻が両脇に施されている。
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礼拝堂横の天井はゴシック建築特徴のリブ ヴォールトで覆われている。
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リブには、細かい彫刻が施され、中央には聖母子像が表現されている。頂上部だけ見ると仏教の法輪の形と良く似ている。
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こちらの聖人像の身体部分は父と子(キリスト)と聖霊(聖神)が一体であるとする教えを図像化した「三位一体の盾」を現している。顔をよく見ると左右中央に3つの顔が現されている。細部まで細かい彫刻が施されており、作者の労力に感服させられる。
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さて、旧市街を後にし、再びサン クリストバル広場(San Kristobal Plaza)に戻り、マーケット(solbes)で買物をして、右隣の北側に伸びるサンペドロ通りを歩いて行くと、レストランやバルが並んだマリーナ地区に至る。こちらの丁字路に沿いにあるバル「アンバタ(Enbata)」は、込み合って入れなかった。
通りのすぐ先左側には、オンダリビアを代表する人気のバル店「グラン ソル(Gran Sol)」がある。
店内は混雑していたが、何とか、カウンター席に座ることができた。
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左端の一品は、名物のミガス(migas)。ミガスとは、パンを細かくちぎって炒めたもの。それに半熟卵に鶏のスープとイカ墨をかけている。
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さて、満足して、バルを出て、大通りを東方面に越えて行くと、
ビダソア川沿いのウォーターフロントに出る。このあたりが河口付近で、先方の北東側に入り込む岬の手前が、チングディ湾となっている。ちなみに岬はハイスキベル山を中心とした稜線として15キロメートルほど南西方向に海岸山脈となり続いている。
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さて、ところ変わって、ここはスペイン・バスク自治州ギプスコア県の県都「サン セバスティアン」のビスケー湾に面した「ラ スリオラ海岸」。フランスとの国境からの距離は約20キロメートルである。東の岬となる岩山は「ウリア山」(標高243メートル)の最西端で、海岸線に沿って東方面に尾根が伸びていく。この海岸は、やや波が高いためサーフィンやボディボードを行う海水浴客に人気があるという。時刻は午後8時、そろそろ日の入りである。
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ラ スリオラ海岸の西側には「ウルメア川」(バスク山脈の麓、ゴイスエタからナバーラ州、バスク州ギプスコア県内を流れる)の河口に位置し、その背後に「モンテ ウルグル」(Monte Urgull)(標高123メートル)と呼ばれる小山がある。17世紀、ナバーラ王サンチョの命によって「モタ城」が建造され、その後も、近年まで軍事上、重要な防御地点となった。現在では、その役割も終え、大部分が緑に覆われ、山頂には1950年に12メートルの高さのキリストの像が設置されている。
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そして、このモンテ ウルグルの更に向かい側(西側)にも砂浜のビーチが大きく広がる「ラ オンダレータ海岸」があり、サン セバスティアンは、大小2つの湾(ラ オンダレータ海岸とラ スリオラ海岸)が連続して「ラ コンチャ湾」となり大西洋のビスケー湾となる。
サン セバスティアンは、ウルメア川に沿って街が広がっている。こちらは、そのウルメア川に架かる3本の橋の一つ「クルサール橋」(スリオラ橋)で、1921年にビクトル アラナによってデザインされたアール デコ様式の街路灯が美しい橋である。
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クルサール橋の手前左手には、「クルサール国際会議場・公会堂」がある。設計はスペイン人建築家のホセ ラファエル モネオで、1999年開館した。1,839席のクルサール公会堂、多目的ホール、展示場などを有する複合施設で、毎年9月に開催される「サン セバスティアン国際映画祭」の開場で知られている。目指す「レストラン ニ ネウ」(Ni Neu)は、この2階にある。
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ガスパチョと、素揚げされたシシトウらしき一品。。
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64度で料理された子牛のほほ肉ローストペッパーとポテトクリームを添えた一品。
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続けて、もう一品でてきた。先ほどのリンゴ味のケーキはアヴァンデセールだったのか。
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(2008.9.26~27)
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