素晴らしく精緻な刺繡をほどこした垂れ幕
それがユダヤ教の幕屋の中にある
聖所と至聖所を隔てる幕でした。
そこには、毎日、小羊の犠牲の血が、振りかけられていました。
想像するとそれは、決して綺麗なものではありません。
罪を象徴する血で汚されていくのですから。
1年に1度、7月10日の贖罪の日に、聖所は清められる。
そのことは聞いて(聖書を読んで)知っていましたが、
今日、その隔ての垂れ幕は、次の日には、新しいものにされるのではないかと気づきました。
でもそのことは、聖書には明記されてはいません。
ただ「清められる」というのだから、
新しいものにならなくては、、、と思います。
そして思い出したのは、キリストの十字架の日=贖罪の日に
聖所の垂れ幕は、「人の手によらずに、真っ二つに裂けた」と聖書にあります。
それまで大祭司だけが入ることができた至聖所が、
多くの人の目に、露(あら)わになったのでした。
隔ての幕がなくなり、犠牲制度もなくなったのでした。
今まで読んでいても気が付かなかったことに
ふと気が付く。
聖書の中に宝物(真理・真実)が隠されていて、
それを見つける喜びは、限りないと実感しました。
神さまに感謝します。
ちなみに至聖所には、契約の箱があり、
その中には十戒を書いた2枚の板と、
芽を出したアロンの杖と、
マナの入った壺があります。
契約の箱の上には、ケルビムと呼ばれる天使が翼を広げて
箱を覆っていて、そこに神さまの栄光が現れる。
映画インディージョーンズの
「レイダース 失われた聖櫃」(アーク=契約の箱)で、
聖所をご覧になった方もおられるかと。
文化の根底に聖書がある国々の映画は、面白い。
雨上がりの富士山 (高谷学さんからお借りしました)
清々しい空気が流れていることでしょう
今日は爽やかな風が吹いていました。
あなたのところにも清々しい風が吹きましたか。