風の詩(kazenouta)2

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そのような日々を過ごしたい。

学徒出陣と国立鹿屋体育大学 江橋慎四郎学長 

2023-10-10 18:40:24 | 

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブスで

江橋慎四郎教授を2回にわたって放送した。

私はこの方を存じ上げない。全く知らない方でした。

1943年(昭和18年)の学徒出陣

(映像で何度も見た、雨の降りしきるなかの出陣学徒壮行会)

その時に、学生の代表として答辞を読んだのが、江橋慎四郎さんでした。

1920年(大正9年)生まれ。

 大正9年、10年、11年、12年、13年・・・・この年代の青年の戦死者が多いという。

 

彼は戦死しないで帰還。沈黙を通した。

戦後は、体育学の教授として東京大学で社会体育学・レクレーション学を教えた。

鹿児島大学や中京大学の教授を経て、

日本初の、国立体育系単科大学である、鹿屋(かのや)体育大学の創設に尽力し、

初代学長になられました。

 鹿屋とは、ご存じの方も多いと思いますが、特攻隊の基地があったところです。

 そこに国立の体育大学を初めて創る。

 その深い意味を感じ、私は心の内で泣きました。

江橋慎四郎さんは、2018年4月8日に97歳で亡くなりました。

 

残っている録音

「まず最初に言っておきます。戦争は絶対にいけない。。。

 情報は怖い。 情報統制されていて、自分は事実を知らなかった。

 だから答辞を読むことは、その時は、名誉なことと思った。しかし、

 これからの若者は、真実は何なのかということを、自分で見極めなくてはいけない。

 お金ではない。真実を追求精神が大切である」と、

  強い思いをもって叫ぶように語られた。

「大学は、自由に考えることを学ぶ場であるはずだ。」

 

戦局が悪化し、学徒も出陣させざるを得ない日本の状況、、、

そのとき、大学の教授たちは、学生を守ることはできなかった。

戦後、新しい教育・・・というので、多くの学長、教授は辞任していったという。

 私は、矢内原忠雄先生のことを思い出さずには、いられませんでした。

 戦中、東京大学を追われ、戦後、3度も強く乞われて東京大学の総長になられた。

 あの時代に、戦争反対の声を上げることのできた人が、いかに少なかったか。

 

多くの有為な若者たちが、死へと飛び立っていったその地

鹿屋に、心身を鍛える体育大学を創設なさった。

 やっぱり泣けてきます。 

 何が重要であるかを判別することができ  (聖書アプリからお借りしました)

  真実を見極めることができますように。

 


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