別に、死ぬ準備というものではないが、ヒトは60まで生きた後は、「何となく」先が見えてくる。どんなにがんばっても、あと30年生きたらえらい。その30年という歳月は、経験しているからその短さにため息がでる。つい、こないだのことである。45年以上前の「ハタナカセンセイ」の顔立ちとピアノの音と教室の雰囲気は、昨日のように甦る。
リヒャルトシュトラウスは、ドイツオペラの巨匠であるが、モーツァルトについで、その音楽性に敬意を表している。彼の最高傑作「ばらの騎士」は、クライバーの東京公演のビデオを何度も見たので、あれ以上の舞台は、この地球で二度と体験できないものと確信しているが、この7月に日本の二期会が公演するということで、死ぬまで一度ライブ体験だけはしておきましょうということで、チケットを購入した。
わざわざ、東京にそのために往復するのもなんだから、後輩を誘って、翌日から海抜ゼロメートルからの富士登山を計画している。こないだの東山魁夷画伯の障壁画展は、野辺山にくっつけたものだが、今度は「ばらの騎士」にくっつけての富士登山です。富士山すみません。ついでみたいで。
そのあと、9月にはNHK秋の音楽祭で、今をときめくパーボ・ヤルヴィがモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」を演奏会形式で振るという情報を入手し、応募したら当たったので、これもチケットを購入した。モーくんのオペラは、これまで、フィガロとコジを体験したので、あと、「魔笛」「後宮」「イドメネオ」そしてこの「ドン」を聴いたら死んでもいいと思っていたので、三つ目の通行許可証をいただいた。(何処への?)
さて、わざわざ、それだけでの東京公演もさびしいから、山かトレラン大会のエントリーをセットにして東京を往復してきたいと思っている。オペラを楽しんで、翌日、深い森に出で立つ。
なにかの儀式のようだ。
鎌倉湾を背景とした長谷寺のハクモクレン。3月末。
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