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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

シェーンベルク 弦楽四重奏曲第2番 作品10 ソプラノ独唱つき

2016-09-30 22:15:24 | シェーンベルク

 岡田暁生氏による放送大学の講座「西洋音楽史」を通勤電車の中でも聞いています。今日の退社時は第13回「前衛(音楽)への越境」でした。後半でシェーンベルクが登場し、無調音楽へのアプローチについての解説がありました。その中で岡田暁生氏が言うには、シェーンベルクが無調音楽に何を求めていたのかを知るには、声楽作品のほうが歌詞がヒントになるので有効であるという主旨の発言をしていました。その際に言及された作品が弦楽四重奏曲第2番作品10で、声楽作品なのに弦楽四重奏曲とは???と疑問に感じましたが、岡田氏の解説はそれだけで直ぐに他の作品へと移って行きました。

 帰宅後ネットでシェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番作品10に関する情報を探しました。真っ先に確認したペトルッチ(IMSLP)に楽譜が公開されていて、第一と第二楽章は純粋に弦楽四重奏でしたが、第三と第四楽章にはソプラノの独唱が加わっていました。そこで動画サイトで探し当てた音源を聞きつつWikipediaを見てみると、特に第四楽章は12半音を含むフレーズから始まり、全て無調で書かれていると記載されているものの、最後は嬰ヘ長調の和音が静かに響いて終わるとなっています。和音が響いて終わるのであれば(完全な)無調音楽とは言えないのではないかとツッコミたくなりますが、音源を聞いてみると調整音楽か無調音楽かはともかく、所謂現代音楽の響きに終始していると言っても良いでしょう。一般のクラシック音楽愛好家10人に聞かせれば7~8人は自らもう一度聞きたいとは言わないかもしれないというぐらいの曲かと思います。

 でも、何事も慣れです。私自身慣れない内は現代音楽は好きになれないと思っていましが。それでも後期ロマン派からのはみ出しがある作品を聞いている内に違和感が無くなり、調性音楽では次の和声進行が何となく想像できるのに対し、現代音楽では次の展開が聞こえてきて初めて”オオッそう来たか”という驚きがいつしか快感となり、その緊張感がたまらなくなっています。

 さてシェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番の第三・四楽章のソプラノ独唱の歌詞ですが、シェーンベルクの歌曲集「架空庭園の書」と同じステファン・ゲオルゲの詩だそうです。しかしソプラノ独唱の旋律と器楽パートとを比較すると、ソプラノの旋律の方が調性感がより豊かの様には感じます。それでもソプラノ独唱の旋律も半音階進行が諸々登場します。シェーンベルクの弟子のアルバン・ベルクが第三・四楽章のみをピアノ伴奏に編曲しているそうです。

 出来れば弦楽四重奏曲版で、又はピアノ伴奏版でも良いので、一度生演奏を聞いてみたいと思いますが、日本では器楽界と声楽界との交流が薄いし、仮にソプラノと弦楽四重奏のコラボレーションがあったとしても聴衆に受けが良くない現代音楽作品は先ず演奏されることはないですよね。


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