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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

Mozart Requiem k626 モーツァルト レクイエム

2014-07-28 20:37:17 | モーツァルト
 市民合唱団を病気を理由に退団したものの、ネットで見つけたプロオーケストラの名前を冠した合唱団がベートーベンのミサ・ソレムニスに向けて団員を募集しているという記事を見つけてオーディションを受けてしまった。ミサ・ソレムニスを歌い、同じくベートーベンの第九を歌った次の本番が、モーツァルトのレクイエムであった。とにかく名曲ですよね。どんなに酷い演奏であっても曲自体は神々しいまでに美しいと思わざるを得ない。またこの曲を演奏しようとするからには無茶苦茶酷いという演奏を耳にしたことも無いように思う。

 みなさん良くご存じのように、モーツァルト自身は完成させることができず、弟子のジュスマイヤーが完成させている。そのため前半は良いが後半は陳腐だとの指摘もなされている様である。漫画「美味しんぼ」の中にも海原雄山にそんなセリフを言わせている場面がある。それでは貴方、モーツァルトのレクイエムの演奏を聴いてどこまでがモーツァルトが完成させたもので、どこからが弟子の手によって完成させられたものか、判りますか??? 私は何度聴いても全く判りません。演奏が始まると直ぐに引き込まれてしまい全曲が終わるまで「モーツァルトのレクイエムハイ」状態に行っております。これはジュスマイヤー版だろうが、レヴァイン版だろうがモーンダー版だろうが、ほとんど変わりません。

 でも、歌ってみると分かったことがあります。確かに作曲者自身が完成させた曲ではないということが。全曲を通して歌うと、全く同じ構成が繰り返して出てくることがあります。モーツァルトに限らず同じ構成・主題が繰り返し登場するということは珍しいことではありません。ところが作曲者自身が同じ構成・主題を繰り返し使用する場合は、少しづつ何がしかの変化をつけることが普通です。それによって繰り返しを強調するとともに単なる繰り返しではなく変化・発展を印象づける手段として活用するからです。ところがモーツァルトのレクイエムの場合には、それが作曲者自身の手によらない、実力的に大きく劣る弟子の手に依るものなので、弟子としては作曲者が作ったものに更に手を加えることが出来ず、全く同一の構成として使いまわすしかなかったのだろうと思います。歌いながら、もしモーツァルト自身がレクイエムを全て完成することが出来ていたとしたら、繰り返しとなるこのフレーズはどのような変奏が加えられたのだろうか?等と思ってしまいました。

 さてモーツァルトのレクイエムにはいくつかの版があるということは知っていました。が、リオ・デ・ジャネイロ版というのがあるということは最近まで知りませんでした。教えてくれたのは、当時当該合唱団の本番にエキストラで来てくれたり、その後ボイス・トレーニングにも来てくれたテノールの芸大(院?)生でした。彼曰く、「別に途中でサンバやボサノバのリズムが登場するわけではありません」。はい、その通りで、寧ろ20世紀の後半に流行った新しい校訂版よりはるかに古く、モーツァルト没後28年頃に南米ブラジルでモーツァルトのレクイエムを初演した際に、ジュスマイヤー版には含まれていなかった「アーメン・フーガ」が含まれていた版があったらしいのですが、それが長らく行方不明であったものが、リオ・デ・ジャネイロで発見されたということらしいです。その芸大(院?)生の彼が日本での初演のテノール独唱を歌ったとか言っていたと思います。あやふやな記憶で申し訳ありません。

 自他ともに認める凝り性の私としては、とりあえず手に入るモーツァルトのレクイエムの版のCDを買い漁りました。それ以前に入手済みのものを含め、ジュスマイヤー版、バイヤー版、モーンダー版、ランドン版、レヴァイン版、ドルース版、そしてリオ・デ・ジャネイロ版。確かにジュスマイヤー版には無い曲が含まれていたり、それぞれ違いますが、それでもどれを聴いても全てモーツァルトのレクイエムであることには変わりません。どの版が良いかと聞かれても演奏の良しあしの方が影響するようにも思いますし。結局一番好きなのはベームの多分ジュスマイヤー版と、リヒターのこれも多分ジュスマイヤー版でしょうか。重厚なベームと端正なリヒター、まあ決まり文句みたいで恐縮ですが、結局一番聞きなれているジュスマイヤー版が安心して聴けるということかもしれません。

 さて、アマチュア合唱団で歌いたい曲のアンケートをとれば、フォーレのレクイエムとモーツァルトのレクイエムは必ず上位に入ってくると思います。単に名曲というだけでなく、日本のアマチュア合唱団は今や若者よりも人生のベテラン=団塊の世代に支えられています。彼ら・彼女らの中には自分で歌ったレクイエムの録音を自らの葬儀に流したいと希望する方々がいらっしゃいます。中にはフォーレもモーツァルトもレクイエムは何回も歌ってその都度録音しているから、自分の葬儀にどの録音を使うか迷っている、等とのたまう強者もいらっしゃいます。

 私自身は、自分の葬儀は家族葬、無宗教にするつもりですので、レクイエムではなくモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスでも流してもらおうか、等とも考えています。モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスも小品ながら傑作として日本においても良く歌われる合唱曲だと思います。レクイエムのケッヘル番号が626で、アヴェ・ヴェルム・コルプスのケッヘル番号が618であることからも判る様に、アヴェ・ヴェルム・コルプスもモーツァルトの(若すぎる)最晩年の作品です。そういえばアヴェ・ヴェルム・コルプスだって立派な宗教曲でした。

 宗教音楽に対する理解が深まるのであればキリスト教に入信してみようかな、と時々考えている自分もいます。


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 さて、宣伝です。

 来る8月24日(日) 大人の学芸会サマー・フェスティバル で

 レイナルド・アーンの歌曲;「クロリス」、「夜に」、+もう1曲ぐらい

 歌わせて頂きます。 @門前仲町徒歩10分 Symphony Salon

            13:00-18:00

 このブログを見て興味を持っていただいた方は、宜しかったらお聞きにいらして

 下さいませ。なおサマー・フェスティバルは器楽アンサンブルが中心で声楽は

 少数派ではあります。

Mozart作 Don Giovanni から 騎士長のアリア「悔い改めよ」

2014-07-22 21:11:24 | モーツァルト
 テナー、バリトンと来たのでバスのアリアである。合唱では長らくバスパートを歌っていたが、低域は貧弱である事を自覚していたので、バスのアリアを歌おうと思ったことは殆どなかった。このアリアも自分で歌ってみたいとはさほど思っていない。というよりも自分には歌えない、自分が歌う歌ではないと思っている。

 しかし格好良いのである。モーツァルトとしては、というかヴェルデイ以外のオペラとしては珍しく、テノールを差し置いてバリトンとバスの4人が主要な役を担っているオペラである。レポレッロの「カタログの歌」等も楽しい歌ではあるが、兎に角ドン・ジョヴァンニの全ての歌の中で最も格好良いと思うのが、この騎士長がドン・ジョヴァンニを地獄に引きずり降ろすぞと脅すこのアリアである。

 某女子大の音楽学部の学内公演の際に、合唱として引っ張り出された。男声キャストは全て外部から若手のプロを指導者のコネで連れてきたようである。何と言ってもタイトルロールのドン・ジョヴァンニ役と相棒のレポレッロ役は女子大生にとってのヒーローで大人気であった。何故か舞台裏ではあまり人気のなかった(様に私には見えた)騎士長であるが、本番では、特にこのアリアを歌ったときは無茶苦茶格好良いのである。とはいえ騎士長はこのオペラの最初に登場すると娘を誘惑しに来たドン・ジョヴァンニに返り討ちにあって殺されてしまうという、やや情けない設定ではある。しかしドン・ジョヴァンニに殺されてからが重要な役どころなのである。

 映画「のだめカンタービレ」で、千秋の転科を認めて欲しければキスをさせろとのだめに迫るシュトレーゼマンのシーンで流れてきた曲です。

 正直、バスのアリアってあまり記憶していません。ただ、その中で最も格好の良いものといえばダントツでこの曲です。それからモーツァルトは大好きな作曲家なのですが、バリトンにしろテノールのものにしろ、モーツァルトのアリアでこれと言って歌いたいと思うアリアは残念ながらないのである。「フィガロの結婚」のフィガロとか、「魔笛」のパパゲーノなど音域的に無理なく歌える歌はいくつもあるのだが。それからこの「ドン・ジョヴァンニ」の中で、ドン・オッターヴィオが歌うダラ・スア・パーチェはテノールのアリアとしては上がGまでと、私でも十分に歌えるはずのアリアなのだが、この曲は歌ってみるとそのGがえらく出しにくいのである。以前の先生の説明によると、モーツァルトの時代にはベル・カント唱法は確立していなかったので、むしろ歌いにくいのだそうである。そう言えば独唱曲はともかく合唱曲となるとベートーベンだってモーツァルトと同じように、声楽的というよりも器楽的なフレーズが多く、歌いにくいのである。ロマン派のアリア・歌曲・合唱曲の方が断然歌いやすいし、高音も出しやすい。