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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

Giuseppe Verdi  Il poveretto    ヴェルディ 歌曲 あわれな男

2015-02-18 22:52:00 | ヴェルディ
 ヴェルディの歌曲「Il poveretto あわれな男」。声楽レッスンを受け始めて早い時期に先生から与えられた曲です。リズミカルでややコミカルながら哀愁の漂う起承転結のあるドラマチックな物語になっています。要は若い時期にはお国のために兵隊になって戦ったのに年老いて力が衰えた今となっては国は何もしてくれない、道を行くそこの貴方、何も食べていない哀れなこの男に金を恵んでくださらんか、という曲です。純粋な歌曲作品ですが情景が浮かんでくる作品なので小道具や衣装に凝って小芝居しながら歌えば、まるでオペラの一場面の様に感じられると思います。

 この曲、当時の先生は発表会で私に歌わせたかった様で、私もその気がないわけではありませんでしたが、何だかんだでリゴレットのアリア、コルテジャーニになってしまいました。

 ところでこの「あわれな男」、素直に詩に書かれたとおりの物語としても歌えるのですが、その物語自体が「あわれな男」の作り話と言う可能性は考えないのか?と先生に指摘され、その解釈で歌うとすればなおさら演技力がもとめられるなと思った次第。あの時アリアではなく「あわれな男」を歌っていたとしたらどちらの詩の解釈を採用したか、今となっては判らなくなっています。いずれ何かの機会に歌うことにして、その際に解釈を考えるつもりです。

 ヴェルディの歌曲としては有名な曲の様で、動画サイトで検索すれば直ぐに音源は見つかると思います。


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 ところで今後の予定ですが、最近種々のストレスが重なって体調を崩しそうになって来ました。持病を再発させたくないので活動を縮小しようかと検討しているところです。そのため今現在は第一優先の以下のものだけにしておきます。

 ・6月11日 市民オペラ「リゴレット」マルッロ

Verdi Rigoletto Duet Mio Padre! Dio Mia Gilda  ヴェルディ リゴレット ジルダとリゴレットの二重唱

2015-01-31 23:44:31 | ヴェルディ
 レッスンに行って来ました。いよいよ5月の演奏会の曲が決まって来ました。以前別の門下の発表会で歌ったヴェルディのリゴレットの「悪魔め鬼め」と3幕の四重唱を希望したところやりましょうと言うことになり、四重唱のほかにドゥッカとジルダとリゴレットそれぞれのアリアと、ジルダとリゴレットの二重唱も歌う予定になりました。ジルダとリゴレットの二重唱はモンテローネが牢屋に連れて行かれる場面からの「Si Vendetta」とばかり思っていたら、「悪魔め鬼め=Cortigiani」から連続する「Mio Padre! Dio Mia Gilda」から「Si vendetta」まで通して歌うことになりそうです。

 「Cortigiani」はドゥッカの手下どもに攫われた娘ジルダを返してくれと、怒り、脅し、最後は懇願する重いアリアです。舞台の進行が一区切りついたところで、ドゥッカから逃げてきたジルダがリゴレットとであって何があったのかを話し、それを聞いたリゴレットが心の中を独白する二重唱、そしてリゴレット(とドゥッカの二人)に呪いをかけたモンテローネが牢に連行されるシーンを挟んで、ドゥッカに復讐を誓うリゴレットをそれを止めようとする二重唱が「Si Vendetta」。ものすごくテンションの高い歌が続きます。2年前に歌ったときは「Cortigiani」だけで本番の後1ヶ月ぐらいは歌を辞めようかと思うくらいの放心状態になっていました。「Si Vendetta」は2分ほどの短い曲で怒り狂っている勢いだけで歌ってしまえるといえばそういう曲です。

 ところがその間に挟まる「Mio Padre! Dio Mia Gilda」は、リゴレットのものすごく複雑な思いの独白を含んでいます。大きなコブが背中にある見難いセムシとして生まれ人々から忌まわしげに扱われてきたのに、ただ一人そんなリゴレットを愛しながら早くに死んでしまった女性の忘れ形見であるジルダの幸せこそを願い、ジルダに降りかかろうとする不幸は代わりに全て自分の上に降り注いでくれとのみ神に祈ってきたのに、その祈りが神に通じなかったのか、という嘆きです。とてもではありませんが、こんな複雑な心情は歌える気がしません。少しづつ咀嚼して腑に落としていかないと。リゴレットの原作はヴィクトル・ユゴーの「王は愉しむ」ですが、ユゴーが凄いのかヴェルディが凄いのか、とんでもない作品だと思います。改めてオペラの最高傑作だと思います、少なくとも私にとっては。

 そう言えばレッスンの最初に永澤先生が仰っておられました。”歌曲は歌曲で勉強になるけど、オペラのアリアを歌わないと、歌うための体力はつかない。”はい、先ずは体力をつけて何とか歌える様にしましょう。


 今後の予定です。

 ・5月31日 声楽家団体横浜ピッコロ第8回定期演奏会
 ・6月10日 市民オペラ「リゴレット」合唱参加
 ・6月11日 市民オペラ「リゴレット」マルッロ

リゴレットの続き

2014-07-15 22:19:22 | ヴェルディ
ヴェルディのオペラ「リゴレット」の根幹となるアリアは、けっして「女心の歌」ではなく「悪魔め鬼め」と先の記事で書きました。まあオペラ「リゴレット」の中では「女心の歌」も非常に効果的に使われているのではありますが。

さて、昨年の発表会では「悪魔め鬼め」をソロで歌ったほかに、3幕の四重唱「美しい愛らしい娘よ」を同門のSop、Ms、Tnと4人で歌いました。この四重唱はマントヴァ公(Tn)がリードしてそれにマッダレーナ(Ms)が絡むのがメインで、それを屋外からのぞいてマントヴァ公が女たらしであることをジルダ(Sop、リゴレットの娘)が悟り、これでマントヴァ公がどんな男かわかっただろうとリゴレット(Br)が娘のジルダに諭すという4重唱ですね。これは結構Tnには負担の大きい重唱で、普通のアリア二曲分ぐらいの負荷があると思います。マッダレーナは他にこれといったアリアも無いので、この四重唱が見せ場ですね。それに比べるとリゴレットとジルダの父娘は合いの手ぐらいではあります。

この四重唱はメンバーの意識ががっちりかみ合って、練習の時から楽しかったですね。この四重唱を「悪魔め鬼め」のソロと同時に歌っていなければ、本当に「悪魔め鬼め」を歌った事で声楽から離れていたかも知れません。放心状態から一ヶ月程で立ち直ったのも、この時のメンバーとの楽しい思い出があったからだと思っています。

ところで、もし可能であれば、この時にジルダ(Sop)とリゴレット(Br)の二重唱も歌いたかったのです。そう、リゴレットが娘を返せと「悪魔め鬼め」を歌った後で、ジルダが現れ、ジルダがマントヴァ公に乱暴された事をしり、復讐してやると歌うリゴレットを、ジルダがお父様止めて!と歌う二重唱です。アップテンポで内容を知らずにさらっと聞いてしまえばマーチの様にも聞える二重唱ですが、内容は「悪魔め鬼め」にも劣らぬくらいハイテンションな内容です。二重唱と言ってもリゴレットが先ずソロで復讐してやると歌い、同じ旋律でジルダがお父様止めてそれでもあのお方を愛しているのと繰り返し、最後に二重唱らしくハモッて終わる短い曲です。実際のリゴレットの上演では、よくこの二重唱のみをアンコールで繰り返す事もあります(Youtubeにもその例が幾つかあります)。

機会があれば(何とか自分でその機会を作って)、「悪魔め鬼め」を歌い、次いで「復讐だ!」の二重唱を歌い、最後に四重唱を歌う、マントヴァ公(Tn)とジルダ(Sop)のソロや重唱が入ってももちろん歓迎ですが、このようなステージを是非作ってみたいと思っています。

昨年四重唱を歌ったメンバーで再現できればそれに越した事はないのだけれど、なかなか難しそうではあります。これも見果てぬ夢になってしまったかも知れません。

歌い終わったことで、もう歌を止めても良いと思った歌

2014-07-14 19:58:48 | ヴェルディ
オペラのアリアといえば、男と女の愛を歌ったもの、酒や享楽を歌ったもの、中にはプッチーニのトスカの様な悲劇があるとしても、基本的には華やかなもの、きらびやかのものと思っていた。

そんな私の思い込みを木っ端微塵に打ち砕いてくれたのがヴェルディのリゴレット。こんなにも重い内容を含んだオペラがあったのかと、しばらく声も出なかった。

リゴレットのアリアといえば、マントヴァ公(テノール)の「女心の歌」が有名だが、リゴレットが歌う「悪魔め鬼め」(Cortigiani)こそがこのオペラの最も根幹となるアリアではなかろうか。そして私にとっては全ての歌の中で最高の歌であり続けている。

昨年の声楽教室の発表会でこのアリアを歌った。公の配下に拉致された一人娘を手篭めにされる前に返してくれと、罵倒し、怒り、最後には懇願するアリアである。兎に角ハイテンションに自分の気持ちを持って行かなければ、曲に負けて歌い通す事ができない。練習の際でも1日に3回歌うのがやっとだった。

本番では先ず先ず歌いきれたと思う。お褒めの言葉も何人かの方から頂いた。それ以上に自分でも手ごたえがあった。しかし、翌日、翌々日と時間が経つにつれ、もうこれ以上の歌は歌えない、という思いがこみ上げて来た。もう歌を止めても良いと思った。一ヶ月ほど放心状態が続いたが、その後まだ歌い続けている。

しかしその後は「悪魔め鬼め」を一度も歌っていない。歌おうと言う気も起きなかった。最近になってもう一度本番(それなりのステージ)で歌ったら、一年前と同じように放心状態に陥るかどうか、それを確かめたいような気がしている。おそらくそれはこの一年で私にそれなりの進歩があったのかどうかを、確かめてみたいと言う事なのだろう。