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生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

クラシック歌手が歌うスタンダードナンバー 「慕情:Love is a many splendored thing」 歌うはLuis Pacetti

2016-09-12 22:40:39 | 見いつけた

 昨日のホセ・カレーラスの「酒とバラの日々」に続いて、今日はルイス・パセッティが歌う「慕情:Love is a many splendored thing」です。作詞:Webster Paul Francis 作曲:Fain Sammy オリジナルの歌唱はアンディ・ウィリアムスでしたよね。

 率直に言えば「慕情」の方が「酒とバラの日々」よりもクラシックの声楽家には向いていると思うのですが、如何でしょうか。最近でこそクラシック・クロスオーバーと言われる音楽分野が認知されたり、オペラとヘヴィーメタル・ロックンロールとの両刀使いの歌手が現れたり、クラシックに対するハードルも案外と低くなっているのかも知れないとも思います。

 日本のポピュラー音楽の作品の中にも、クラシックの歌曲と並べても引けをとらない作品が少なく無いと思っています。沖縄民謡(?)の「芭蕉布」は日本歌曲と言っても何ら問題ないと思っていましたが、実は第二次大戦後のラジオ歌謡の中から生まれた曲とのことですね。1960年代からのフォークソングの王と言っても良いと思う吉田拓郎氏の「襟裳岬」も、ベル・カント唱法で歌っても聴き応えのある作品ではないかと思っています。小林旭氏が歌った「北帰行」や「惜別の歌」も。そう言えば昭和歌謡を牽引した藤山一郎氏は歌謡曲は”藤山一郎”の芸名でテノールとして歌い、正統派のクラシック歌手としては本名の”増永丈夫”でバリトンとして活動されていたんですよね。その頃の作曲家としては歌謡曲も多数作曲している高木東六氏はパリに留学してヴァンサン・ダンディに師事しているんですね。

 大分横道にそれてしまいましたが、クラシックの声楽家にとって歌う頻度の高いポピュラー音楽の作品と、殆ど歌うことのないポピュラー音楽の名曲と、明らかに傾向があるのではないかとこの夏悩んで来ました。この「慕情」等はもっとクラシックの声楽家が歌っても良いのではないかと思うその最右翼の作品ではあります。

 最後になってしまいましたが、ネットの最大手の動画サイトで、”Love is a many splendored thing”&”Luis Pacetti”で検索して頂ければ音源は直ぐに見つかると思います。ところで”splendored”という英語は無いようですね。常にスペルミスを示す波下線が付いてしまいます。


「酒とバラの日々;Days of Wine and Roses」 ジョニー・マーサー ヘンリー・マンシーニ 歌うはホセ・カレーラス

2016-09-11 23:18:30 | 見いつけた

 一昨日のブログで何とはなしに「酒とバラの日々」に触れたことで、記事をアップした後で曲の音源を色々探してみました。探す目的はもちろんクラシックの歌手が歌っていないか、ということです。ポピュラー音楽の歌でも、バーンスタインのウェストサイド・ストーリーの「マリア」や「トゥナイト」、アンドリュー・ロイド・ウェーバーの「オペラ座の怪人」等は、クラシックの声楽家がコンサートで歌うことも珍しく無さそうです。

 一方で、ポピュラー音楽、映画音楽などのスタンダードナンバーで、クラシックファンといえども名曲と認識せざるを得ない様な曲であっても、クラシックの声楽家は殆ど歌わない曲があるのも事実だと思います。と言うことで「酒とバラの日々」もかなり徹底的に探して、やっとホセ・カレーラスが歌っている音源が動画サイトに公開されているのを見つけました。”Jose Carreras, "Days of Wine and Roses", by Henry Mancini”で検索すればヒットすると思います。ポピュラー音楽の歌手の演奏に比べると、安心して聞ける気がします。ホセ・カレーラスが演奏会で歌っているとなれば、我々だってコンサートのアンコール・ピースとしてぐらいであれば歌ったって良いのではないかと思います。ホセ・カレーラスが歌う音源はオーケストラ伴奏ではありますが、さすがにクラシックの作品と説明しようとする気持ちは萎えてしまいます。やはりポピュラー音楽というか、映画音楽というか、本質的にクラシック作品ではないことに気付かされてしまうと思います。その理由が何なのかはまだ答えが見つかっていません。しかしここ数ヶ月、こと声楽作品におけるクラシックの作品と、映画音楽などを含むポピュラー音楽の作品との相違点を痛感しています。一つはっきり言えるのは、マイク等を用いての電気的な増幅作用を利用できるかどうかということが、本質てな相違点となっているということは言えると思っています。しかし、それ以外には無いのか?という疑問に応えきれていません。

 映画音楽、あるいはそのサウンドトラックについては、映画の本質的な一部として純粋に楽しめます。一方でそうではないポピュラー音楽の範疇での編曲作品については、楽しめるものとそうでないものとが混在します。それよりはホセ・カレーラスの歌う、オリジナルの映画音楽・サウンドトラックとしてのそれよりも、クラシック音楽の演奏技法に移植したものの方が安心して聞けるというのも、私にとっては事実です。この程度の、そんなこと気にする必要は無いのでは?という程度の違和感こそが、クラシック音楽の技法とポピュラー音楽との技法とを対比する上で重要な指針を与えてくれるのかな、と思う今日この頃です。


突然の迷歌手とのであい さとうささら女史

2016-09-08 21:51:48 | 見いつけた

 いやぁ~驚きました。ネットの動画サイトでドビュッシーの歌曲を日本語で検索していたら、歌手”さとうささら”による音源が幾つも出てきて、一瞬”佐藤ひさら”女史の誤植かとも思いましたが、そうではありませんでした。初音ミクは流石に知っていましたが、新しい人口音源の様です。音声合成ソフト「CeVIO Creative Studio」のキャラクターだそうです。それにしても何故今日気がついたのだろう。心当たりはたまたま検索のキィワードを日本語で入力したからでしょうね。検索ノイズが少ない気がするのでキィワードはアルファベットで入力することが多いです。ドビュッシーのスペルに自信がなかったので日本語入力したからでしょうね。

 音質というか声質的には、私には初音ミクと似ているのか似ていないのかも判りませんが、人工合成音声であることは直ぐ分かります。とは言えネットで調べた限りでは、サンプルとなる音声は生身の人間の声を用いているようですね。なかなか覚えられない歌詞を覚えるために使うなど、活用のしがいはあるかも知れません。特に音源の見つからない曲については最後の手段になるかも知れませんね。とはいえそのためには普段から使用して使い方に慣れていないと。ということで暫くはこんなソフトもあるということだけ認識して、様子を見ることになりそうです。


Christianne Stotijn If The Owl Calls Again

2015-11-28 23:45:10 | 見いつけた
 紹介したいCDが溜まっているのですが、いずれももっと味わって十分に咀嚼してから紹介したいと思いつつ、とりあえず直ぐに咀嚼しきれそうもない1枚を先ずは紹介させて頂きます。

 オランダのメゾ・ソプラノ Christianne Stotijn女史が歌うコンプレーションアルバムです。Joseph Marxの曲が2曲、現在まだ存命中のオランダの作曲家Fant De anterの作品が3曲、ムソルグスキーが3曲、Maurice Delageg4曲、Maurice Ravelが2曲、Frank Martin3曲、Andre Caplet1曲、Joseph Marx1曲、Frank Bridgが3曲。ピアノ伴奏だけでなく、木管、弦楽器も伴奏に加わっています。

 ジャケット写真はかなりおおきいフクロウと一緒に写った女性の写真です。その女性が歌っているChristianne Stotijnなのでしょう。見るものの目にとまるジャケット写真です。収録曲を見ると知らない作曲家もいれば知っている作曲家の作品もあり、作曲家の生年と没年が記載されていましたがムソルグスキー以外は全て20世紀に生きていた人たちばかり。1曲でも2曲でもおもしろそうな曲があれば良いかなと思って、さほど期待せずに発注したCDでしたが届いて聞いてみると、その殆どが初めて聞く曲でしたが好きな曲ばかりです。ペトルッチ(IMSLP)に楽譜が公開されているかどうかも確認していませんが、自分が歌う可能性を考えることなく、単純に時間が空いて好きな曲を聞いてその曲の世界にどっぷり浸かりたい時に聞きたいアルバムになっています。あるいみ残念なことですが、私にとって多くのCDは自分がその曲を歌う時の参考のためという位置づけにあるのですが、このCDは自分で歌おうと思うところまでは全く咀嚼できていなくて、そのために純粋に聞いて楽しめるアルバムです。これまで私のブログを読んで頂いていて、私の嗜好をご存じの方であれば是非聞いて頂きたいと、自信をもって進められる作品ばかりです。歌唱も水準以上で、いずれも現代的な印象の曲ばかりです。
 

Franco Alfano フランコ・アルファーノ  E giunto il nostronultimo autunno

2015-09-25 23:00:19 | 見いつけた
 声楽家中丸三千繪女史のCDアルバム「私に静けさを<イタリア近代歌曲集II>」は以前から安かったら購入したいと思って、Amazonの欲しいものリストに登録していました。気がつくと中古で非常にこなれた値段のものが出品されていたので即注文しました。以前から欲しいと思っていた理由は、ピゼッティの歌曲が2曲含まれていたからなのですが、全曲を聞いて見ると最も印象に残ったのはフランコ・アルファーノの”E giunto il nostronultimo autunno 私たちの最後の秋がやってきた”です。

 フランコ・アルファーノの名前は正直覚えていませんでしたが、初めて目にしたわけではありませんでした。プッチーニと親交があったということで、プッチーニの未完の絶筆”トゥーランドット”を完成させたのがこのフランコ・アルファーノだそうです。プッチーニが1858年生まれで1924年にブリュッセルで没していて、アルファーノは1875年生まれで1954年にサン・レモで没しています。ちなみに1875年に生まれた作曲家としてはラヴェル、レイナルド・アーンがいます。

 例の如くペトルッチ(IMSP)のサイトを確認しましたが、アルファーノのエントリは作成されていますが没後70年経っていないことから著作権がまだ活きている国が多く、僅かに4曲公開されてはいますが、”私たちの最後の秋がやってきた”は公開されていないようです。動画サイトでも検索しましたが残念ながら音源は公開されていないようです。ということで、この曲を聞いていただくには中丸三千繪女史の<イタリア近代歌曲集II>を購入して頂くのが最も確実かと思います。このアルバムの中で最もモダンな響きを持っているのがあるファーノの”私たちの最後の秋がやってきた”であることは、聞いていただければ納得していただけると思います。ある意味フランス歌曲の様な雰囲気もありますが、それはその様な時代を共有しているということだと思います。その前提の上でフランス歌曲と聞き比べると、やはり歌にはイタリア語が最適だということも再確認できます。何処にも無理なく最大限の共鳴腔を確保できるという意味においてです。ちなみにアルバムのブックレットには歌詞の邦訳もついていて、別れ行く恋人達の歌の様に思われます。まだ夏の暑さを残しつつ湖面を吹き渡る風には確実に秋が忍び寄ってきている、そんな晩夏の高原の湖の日没にはまだ少し時間がある、と言うような情景が浮かんでくる曲です。是非、多くの方に聞いて頂きたいと思いますが、そのためにはこのCDを買う以外に手があるのかどうか。