オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

ずっとサトちゃんのことを考えています。

2020-02-01 11:33:28 | 日記
 1月17日にサトちゃんが亡くなってから2週間、ずっとサトちゃんのことを考えていました。
 思い出などという安易な言葉ではいい表せない50数年です。



 ここ何年か、私の顔を見るたび、電話するたびに「おいでよ」と誘ってくれた「座間味レース」、ポスターも彼がくれました。

 サトちゃんと私は第1回座間味レース(1978年)一緒に乗って優勝しました。
 5年前彼が沖縄に移り住んでから毎年お誘いをしてくれたのですが・・・。。
 ちなみに、このレースの本部運営はO蔭兄がやっています。

 今年のレースには行こうと思っています、彼の散骨のためにも。



 20代の後半から30代半ばにかけて一緒に乗っていた「旭Ⅱ」(S&S36)です。
 この写真は相模湾ポイントレース、スタートから葉山のマークまでダントツでした。
 復路のスピンランでは、ニュージーランドの「クリス・ボウサイド」の乗る「サンバードⅡ」にやられてしまいました。
 この写真は、故岡本甫さんの撮影、「舵誌」にも大きく掲載され、また、劇画ゴルゴ13のワンシーンにもこれと同じ絵がでていました。
 数年前、舵社がカレンダーにしたもので捨てられません。 

 この艇では、サトちゃんのほかKCCの通称ゲゲ、ブッシュ、現在はセールメーカーのIG嵐選手たちと多くのレースに出場、「神子元レース」などでも優勝、油壷時代の思い出がたくさん詰まっています。
                                                               

 今から30年近く前、私が勤務していた会社の記念行事で、社員だけで海外ヨットレースに参加するという企画が持ち上がり、私がチームキャプテンとして任された時のこと。
 ヨットが初めての社員も含めて2年間トレーニングをしましたが、サトちゃんには技術的なこと・精神的なことも含めてずっと助けてもらいました。
 ときにはやさしく、ときには「バカヤロー」と言ってひ弱なチームを強くしようとしてくれたのです。
 そして1992年のハワイ「ケンウッドカップ」には同行してくれて、3日間帆走しつづける「カウラレース」には一緒に乗ってもらいました。
 そしてその「カウラレース」はニュージーランド・オーストラリアチームを抑えてクラス優勝でした。


 3年前東京で、海の仲間「のこさん」(アオレレチーム)のお別れ会のとき、彼は沖縄から花を贈ってくれたのです。
 明るい「のこさん」のイメージに合わせて「ひまわりを」と指定したのはサトちゃん自身だそうです。



 これからも思い出すたびに紹介しようと思います。


 

 
 

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