オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

サトちゃんが逝ってしまいました。悲しいお別れです。

2020-01-21 22:07:15 | 日記
 サトちゃん、外洋ヨットに乗る方はほとんどの方はご存知だと思います。あのサトちゃんです。

 1月17日金曜日の朝、仕事をしていると突然携帯が鳴り、O蔭兄が、サトちゃんが亡くなってしまったという。
 悪い冗談ではないかと思い、何度も聞きなおしたところ残念ながらホントだという、何てことだ、急な話で頭の整理がつきません。
 しばし考えた末、親しい仲間に電話とメールを入れ、翌朝、沖縄に向かうことにしました。
 翌朝7時、SK井ちゃんが我が家を訪ねてきて、「どうしても行かれないので」とご霊前を預かり、羽田へ向かいました。
 運よく10時半の便に乗ることができましたがサトちゃんとのことをいろいろ思いだすと、電車の中、飛行機の中で涙が溢れてきてしまいました。

 私がサトちゃんに初めて会ったのは20代前半、故渡邊タクさんと私が初めて24ftクルクルーザをオーナーから運営を任され油壷へ行ったのですが、エンジンのかけ方がわからない、その時ABS(油壷ボートサービス)にいた彼が教えてくれたのです。
 三菱ダイヤ一気筒のエンジン、重いフライホィールを両手で回して、掛け声とともにもう一人がレバーを倒す、とトントントントンとエンジンがかかります。
 そんな時代からの付き合いですからもう50年になりますね。



 那覇空港に着いて宜野湾マリーナへ、マリーナではO蔭兄を中心に現地の人たちと明日の葬儀、そのあとどうするか打合せをしています。
 打合せ後、サトちゃんに会いに行きました。
 親しい友人に囲まれているサトちゃんは、いつもの優しい顔で見守られていました。

 翌日、関東から・東海から・関西から来た仲間・同業者、地元のヨットマンの立ち合いの元、穏やかに旅立っていきました。
 
 その後、参列した方々は宜野湾マリーナのクラブハウスの前に集まり「サトちゃんを偲ぶ会」です。
 ジメジメしたことが嫌いな故人を思い、あちらこちらに話の輪がひろがりました。

 思い出はまだまだたくさんありますが、まだ整理がつかず今日のところはこれで精いっぱいです。
 これから折に触れて小欄で紹介しようと思います。
 あとは写真でご容赦願います。

 お経なし、戒名なし。親しい友人に送られて、外国の映画にでてくるようなサトちゃんらしいさわやかなお葬式でした。
 散骨は地元・座間味で、油壷で、名古屋で、そして生まれ故郷の長崎で行われます。