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「最期の場所」  

2017年05月22日 | 大分県
『さわやかな初夏の風吹き目を閉じる
          心に映る 故郷の景色』 


 
暑い。とにかく暑い一日でした。30度もしっかりと超えています。公的な出張でも今は、服もクールビズとなっています。湿度が低いことだけが、うれしいことです。


窓を開けての仕事となりました。
 

しかし、まだまだ夏というわけにはいきません。梅雨もあり、災害などの心配をしながら、子どもたちが安全に過ごせるようにみんなで取り組みをしていかなければなりません。
 


今日は、学校の評議員をしているNさんのお家の方の葬儀に参列させてもらいました。昨晩は、お通夜でした。



90歳を超えていましたが、ふだんから、家の横を通ったり、サイクリングロードを歩いたりしているときに、仕事をしている姿を最近まで見ていました。近所の方の誰もが、その元気な姿を思い出すことでしょう。


表面の部分でしか見ることしかできませんでしたが、一方では、最近になって病との戦いであったということを、昨日のお通夜の謝辞の中で、今日の葬儀の喪主の方の会葬のお礼の言葉の中で知ることができました。


昨日のお礼の言葉の中で、救急車で運ばれようとしているときに、拒んだという話がありました。
「耶馬溪で死にたい。」
という思いを伝えたというのです。

最期という気持ちがあったのでしょうか。自分の生まれたところで最期を迎えたい・・・病の中でも、「死」に対しての気持ちは、いずれ、自分の身にも訪れる中で、考えさせられるものがあります。
 


ふと、父のことに思いがいきました。父と同世代の方です。今でもはっきりと覚えています。


最期の入院の時です。車で病院まで連れて行っていました。


父を車の後部座席に乗せて、車を走らせはじめ、家の前の橋を渡っているときです。
「また家に戻ってこれるんだろうかね。」
と家を背中にした父から話しかけられました。

バックミラー越しに父の顔を見ながら、

「あたりまえだよ。すぐによくなるので、また迎えに行くよ。」


とせいいっぱい明るく、しかし、根拠のない返事しかできませんでした。
 

その2週間後にみんなに看取られながら、父は逝ってしまいました。なんとなく、昨日のあいさつの中で、父の時と似ているような気がしました。


もう、Nさんの家の前を通ったとき、二度とあの働いている姿をみることができないのだと思うと、寂しく感じました。

また幼いころからお世話になった、父の同世代の方が旅立っていきました。時代の移り変わりを実感します。


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