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優勝の味47

2019-09-25 00:01:39 | サッカー(J3以下・外国・他カテゴリ)

 リスペクトコラムです。
 かなりタイミングが遅くなって申し訳ないですが、就実高校バレー部のインターハイ優勝の話題です。この懐の広さが当ブログのウリなので、話題的には個人的に全く遜色ありません。というか、昔にも作陽高サッカー部の高校サッカー準優勝を取り上げた事あるし、サッカーありきのスタンスでもないので(特にここ近年)。という事で、遅ればせながら就実さん、インターハイ全国優勝おめでとうございます。先日のスポeもんでも紹介されていましたね。
   
【女子バレー就実24年ぶり優勝 全国高校総体で共栄学園破る】
「全国高校総体(インターハイ)のバレーボール女子で、岡山県代表の就実が28日、宮崎県の都城市体育文化センターで行われた決勝で、共栄学園(東京)に3―2で競り勝ち、24年ぶり3度目の優勝を果たした。
 就実はエース大山が力強いスパイクで得点を量産して第1、第2セットを連取したが、フルセットに持ち込まれた。最終セットはリベロ兵郷らが粘りのレシーブを見せ、15―13で制した。準々決勝は東九州龍谷(大分)、準決勝は2連覇を狙う下北沢成徳(東京)に快勝するなど強豪を次々と破り、頂点に立った。就実は1977(昭和52)年に初制覇し、95(平成7)年に2度目の優勝。これで令和を含む三つの時代で日本一に輝いた。」
引用:さんデジ

 年号三時代の優勝ってすごいですね。ある程度人気があるスポーツで、岡山の高校が日本一になる事って、なかなか無いと思います。就実はまさに西の名門になっているのかもしれません。スポeもんでも紹介されていましたが、監督さんはチームのOB選手で、何と前回優勝チーム所属だったのです。勝者のメンタリティを注入して全国優勝まで持って行ったのですね。そんな方か興味を持ったので調べてみました。
   
【西畑美希監督】
 広島県福山市出身。’89年の日本開催のワールドカップの影響を受けて、中学3年時に就実中学校に転学して本格的にバレーボールを始める。1992年夏の全中に出場、同年暮れのさわやか杯では全国中学強化選手に選出。’93年に就実高校に進学。同年夏のインターハイで準優勝。3年次の’95年にはインターハイで優勝し、自らも優秀選手賞及びベスト6。勢いにのった就実チームは、秋の国体も制して高校二冠を達成。
 ‘96年にユニチカ・フェニックス(当時Vリーグ)へ入団したが活躍できず、’99年に東北パイオニア(V1)に移籍。中堅選手として活躍し、Vリーグ昇格に貢献。’05年に現役を引退。
 母校である就実高等学校から声がかかり、’11年からコーチ、’15年からバレーボール部監督に就任。’16年夏のインターハイでは、自身が出場した21年ぶりとなるベスト4進出。’17年の春高バレーは、特訓の成果が実り、準優勝に輝く。
就実高校公式HP該当ページ:http://www.shujitsu-h.ed.jp/hi/information/detail.php?id=1352
スポ速該当ページ:アドレス

 ここで個人的に気になるのが、地元Vチーム、シーガルズとの関係。知り合いからは「選手は久光さんに行っちゃうんじゃないの」と聞く。どこまで本当なのかはわかりませんが、岡山県民としては残念なところです。まぁ岡山シーガルズには、昔から大阪国際滝井高校という存在があるので、そこを無視する訳にもいきません。でも、もっとオープンに、フェアな流れになればいいのにとも思う。
 大坂国際滝井高校は今大会は決勝トーナメント2回戦進出止まりでした。これが今の実力なのか、たまたまこのインターハイが低い結果だったのかはわかりませんが、個人的にはもっといい成績なのかなと思い込んでいました。せっかく岡山県内にV1のチームがあるのに、そこへ選手を供給せずに県外の他のチームに入団する事が多いというのであれば残念な事ですね。シーガルズの営業力が弱いのか、河本監督の滝井高校とのパイプが太すぎるのか。だから、倉敷アブレイズのようなチームが出てくるくるのかもしれません。個人的には河本監督の極端な長期政権の影響もあるのかなと思います。1人の指導者が長過ぎると、能力も固定化してしまい、成長も頭打ちになってしまっていると思います。及川選手のように、高校卒業後に大学へ行き、大学卒業後に岡山に入団してくれるというパターンがいいですね。

コメント
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