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日本代表のこと・・・410

2018-07-28 00:14:13 | サッカー(日本代表、W杯等)

 リスペクトコラムです。
 昨日開催された日本協会の理事会で、正式に日本代表監督に、森保一氏の就任が決まったようです。ロシアW杯の時から日本人監督尚早論を貫く当ブログとしてはずっと大反対でした。決まったものはしょうがないですが、まずは2年後の東京五輪で結果を出せず、そのままA代表監督も退任されるのではないかと個人的に予想しています。当ブログではロシアW杯の検証をスルーする「田嶋ジャパン」そのものを問題視しており、日本サッカーにとって極めて悪い流れが続いていると認識しています。まずは報道から。
   
【サッカー日本代表監督に森保氏…理事会で承認】
日本サッカー協会は26日、日本代表の新監督に、2020年東京五輪の男子日本代表監督を務める森保一(もりやすはじめ)氏(49)が就任すると発表した。00年シドニー五輪と02年ワールドカップ(W杯)日韓大会で率いたフィリップ・トルシエ氏(仏)以来の兼任監督となる森保氏は「二つの代表をやるには、本当に覚悟が必要だ。多くの人の力を借りながらチームを作れば大きな成果につながると思っている」と、都内で開かれた記者会見で意気込みを語った。
 協会は同日の臨時技術委員会(関塚隆委員長)で、W杯ロシア大会で16強に導いた西野朗監督の後任候補を森保氏に一本化し、理事会で承認した。森保氏のフル代表監督としての初陣は、9月7日に行われる国際親善試合のチリ戦(札幌ドーム)となる。」
引用:読売新聞

 Jクラブでの無類の強さを買われて、日本代表監督に乞われた結果ですが、そういう話を聞いてふと、昔こういう光景をどこかで観た事があるなぁとずっと思っていたら、思い出しました。加茂周監督です。加茂監督は当時マリノスさんの最強の監督として名声が轟いており、フィットしなかった外国人監督(ファルカン監督)の後釜にピッタリの日本人監督として就任。つまり、森保ジャパンは加茂ジャパンの再来と言える事です。たぶん、これがこの記事が初めて「森保=加茂」論として初めて言われるものになると思います。検索して調べましたがまだ誰も口にしていない論調です。確かによく似ていると思います。それでは順番に森保監督と加茂監督を比べていきましょう。
   
【加茂ジャパン】
「'94年より11ヵ月の契約期間で日本代表監督に就任。前任のファルカン時代に「コミュニケーション不足」が問題になったことから、日本人の加茂氏に白羽の矢が立ったとか。就任直後の'95年1月にインターコンチネンタル選手権があり、チーム構築の時間的余裕がないこともあり、まず当初はファルカン時代には代表から外されていた経験豊富なベテラン選手を中心に編成し、その後、徐々に若手選手へと入れ替えていった。
 '95年11月の契約満了を前にして、日本協会強化委員会は「加茂続投はベストの選択ではない」と判断し、代わりにネルシーニョ監督が適任という結論を導いたが、日本協会幹部会の判断により土壇場で加茂の契約延長が決定。'96年のアジア杯で、グループステージを3戦全勝で突破したが、準々決勝でクウェートに敗戦。負け方から、協会内部では加茂に対する不信感が蔓延。
 '97年からのW杯アジア最終予選第3試合の韓国戦逆転負けを喫したことから、メディアやファンの間で加茂批判の声が高揚。続く10月のアウェーカザフスタン代表で引き分けに終わった事で、直後現地で更迭。」

 どこが似ているのか、以下のとおりです。就任前に、自分に日本代表を任せてもらったらこう戦うと公言されていた事を思い出しました。
①Jリーグ最強監督の名声
 〔加茂監督〕
  '74年から日産自動車(現J1横浜)の監督に就任し、神奈川県リーグ所属チームを日本一になるまでに育てた。
 ・日産自動車サッカー部時代:
  日本サッカーリーグ(JSL)1部 優勝:1回(1988-89)、準優勝2回(1983、1984
  全国社会人サッカー選手権大会 優勝:1回(1976)
  天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝:3回(1983、1985、1988)
  JSLカップ優勝:1回(1988)、準優勝:2回(1983、1986)
 ・横浜フリューゲルス時代
  天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝:1回(1993)
 〔森保監督〕
 ・サンフレッチェ広島時代:
  J1リーグ優勝(2012、2013、2015)、ナビスコ杯準優勝(2014)、天皇杯準優勝(2013)
②前任者(前々任者)が選手とコミュニケーション不足の外国人監督
 〔加茂監督〕
  ドーハの悲劇の後に、鳴り物入りでファルカン監督が就任したが、結果を出せずに解任。
 〔森保監督〕
  ハリルホジッチ監督が指揮を執っていたが、選手からの不満もあり、日本協会が解任。
③代表から外されていた経験豊富なベテラン選手を中心に編成
 加茂監督は初めに外されていたベテラン選手を中心に編成し、その後、徐々に若手選手へと入れ替え。前任の西野監督も、ビッグ3など同様の行動を取る。もっともこれは森保監督というよりは、ロシアW杯での西野監督か。でもそのすぐ側にいたのは森保コーチ。

【森保新監督のポジティブな面】
①人格者
 「裏表のない正直者はいない。人の悪口を言ってるところなんて聞いたことがない」と評され、年下のスタッフや選手に対しても腰が低く、会話は基本的に丁寧語とか。人格者らしく、選手もサッカーに専念できる環境になっていた様子。
②Jリーグでの実績
 2012年から2017年の5年間のうち、J1連覇を含めて3回優勝という実績があります。実績のうち、いい部分に目を向けると、いい数字だと思います。が、悪い面にも目を向けないと・・・

【森保新監督のネガティブな面】
①世界での実績不足
 今回W杯で16強に行ったのは西野監督で、森保監督ではない。W杯などフル代表での世界の実績自体はゼロベース。'05年にU-19代表に携わっていますが、あくまでコーチ。広島時代にFCWCで世界3位になっていますが、それはクラブチームの話。ずっと一緒にいれるクラブチームと、一緒にやる期間が限りなく短い代表チームは全く別物。
②J1広島時代の実績
 J1広島の経営状況の悪化からペトロヴィッチ監督の更迭から監督に就任。確かにリーグ戦で3回優勝していますが、最近では散々な成績でした。2014年は8位、2016年は6位、2017年は17位に終わった前期で辞任。広島時代の好成績も、ペトロヴィッチ時代の財産があったからという見方も根強いです。
③五輪代表監督としての実績
 今年1月に開催されたAFC U-23選手権でグループステージを首位通過しながらも準々決勝でウズベキスタンに0-4と大敗。'96年以降3点差以上で試合を落すことはなかったU-23日本代表にとって歴史的な大敗。まぁ、これはU-23の大会にU-21で臨んだ面もありますが、大丈夫なんでしょうか。他に昨年秋に五輪監督に就任し、U-21日本代表として、今年の6月のトゥーロン国際大会に出場。期待されながら7位止まり。当然森保監督が率いていたはずなのに、A代表に帯同していたためにこの大会は不在でした。なので、まだ五輪代表チームでも実績はゼロベースと言えます。

 また、後日触れますが、「ガラパゴス化」に陥った結果という論調もあります。つまり、田嶋体制では世界の優秀な指導者を獲得ルートが無いため、身内に頼らざるを得ないという状況。「世界」を吸収するすべを失った「ガラパゴス」に陥ったというもの。確かに、今回の報道でも世界の指導者で名前が挙がったのは、クリンスマンとベンゲル、ドナドーニくらいですから。うち、クリンスマンとベンゲルは実際に声かけをしているがダメだったと。ただ、田嶋会長はベンゲル監督について、「日本サッカー界に興味があると彼も言っている。我々もチャンスがあるなら、と話をしているが、具体的に話は進んでいない。ダイレクターというよりアドバイザー。返事は来ていない」と語っており、ベンゲル監督の総監督構想はまだ残っている様子。
 これはそうありたいですね。なぜなら、2年後森保監督が落第更迭されれば、そのままベンゲル監督に日本代表を指揮してもらえます。とにかく、当ブログは日本人監督はまだ時期尚早と思っています。西野監督は、運と博打とど突き合いサッカーがたまたま当たっただけで、レベルが上がったのは監督ではなく、選手だと思っています。この森保新監督については、他にも同様のコラムが出ているのでまた紹介します。
 あと、森保監督レベルは「世界」を意識した目で見れば、それほどいい監督とは思えません。例えば長谷川監督(現・J1・FC東京)もポストハリルの時に名前が出ましたが、最近はとんと名前が出なくなった。それはガンバさんを辞める時期の低迷があるから。森保監督も同じく低迷期があるのに、長谷川監督とは同じように扱われない事に違和感を覚えます。結局、長谷川監督と同レベルで、「世界」的に通用するレベルではないと。外国人監督ルートが無い現田嶋体制が、海外で誰にも相手にされず、泣く泣く身内にすがったように見えます。日本代表のガラパゴス化の開幕ですか。

コメント
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