天井工事
3月11日以来、気分が萎えていた。
毎日、色んなことを思い出し、考えていた。
ささやかながら被災地への具体的支援はしたけれど、それがいったい何なんだ。とうてい「頑張れ、東北」という気にはなれず(現地の人たちは、もう頑張りすぎているぐらい頑張っている)、私に出来ることなんてたかが知れている。無力感と罪悪感と、得たいの知れない焦りと不安に囚われてしまうことが多かった。
あれは対岸の火ではない。
あの惨事の都市バージョンが必ず近いうちにやってくると考えて、準備を整えていくことで応えていかなければ、被災地支援は、感傷的なものに留まってしまうだろう。
朝日新聞の連載記事の中で、陸前高田のある消防団員が語っていた。
「私たちは、屍の上に街を造っていかなければならない。」
過酷な現実であるが、それに立ち向かっていこうとする人間の強さに、逆にこちらの軟弱さがあぶりだされてしまうありさまだった。
こんな状態じゃ、彼らからの顰蹙を買うだけでしかない。
松江の西村敏さんは、松江の原発問題の取り組みを再開した。
直接被災はしていなくとも、同時代にこの国に生きる者として、自分の問題として考えていかなければならないことは山積みだ。そのことを放置していては、今後もあちこちで同じ惨事が繰り返されるだけだ。
考えていかなくっちゃ。
自分の暮らしを見直していかなければ・・・。
現地の知人の状況を思っては、居たたまれない気分でもあり、長い間ブログを書く気にはなれなかったが、7月の内装や外装工事に向けて、お金は貯めていた。
予定通り、兄ちゃん(大工)たちは、やってきた。
昨年末以降、何度か私たち(パラちゃんも相変わらず居候している)の暮らしぶりを見に来てくれていたが、屋外-10℃・室内-3℃の冬篭り生活には呆れていた。
「早よ、工事せんか!無理に頑張らんでもええ!」と兄ちゃんたちは、口をそろえて言っていた。
が、結露対策の結論は出ず、私には、お金も無かった。
けれども、さすがに今年の冬は断熱をした家で暮らさないと、身体を壊してしまいかねない。
何せ、コンテナの鉄むき出し・無断熱だ。
ストーブが全く効かないので、暖をとるためには、ホットカーペットの上で毛布に包まって寝転ぶのが一番いいと知ってからは、そうしていることが多かった。文字通り“冬篭り”生活だったのだ。昔の人が、囲炉裏端で家族全員が集まって、物語していたのはそのせいだったのだろうが、これでは、活動が鈍ってしまう。
というわけで、7月末から内装の集中工事。
まずは天井。
一年も置いていたので、綺麗に乾燥している松材で、仕上げた。
天井に根太(横棒)を張り(木材をコンテナ内周にピッタリサイズに叩き込み、木材はコンテナに釘留めしない。あくまで木と木のみに釘を打って留める。その下から松板を根太ボンドでくつっけてから、タッカー?で釘留めしていく。この作業は、首を上向けにしての作業なので、首や肩や腕が固まって痛くなる苦行となった。
生活しながらの工事なので、荷物を移動しては工事、移動しては工事の繰り返しとなり、家じゅう荷物でグチャグチャの中での作業。
今、思い出したら、恐ろしいことに、床の養生シートも家具のカバーもないまま作業していた。
天井の端っこの仕舞いはどうなるかというと・・・。(次回、紹介)
私もガンガンタッカーを打っていった。
ライトレールにつけたLEDライト。私が購入した一年前に比べ、市場価格はかなり下がった。ムムム・・・。
コンテナむき出し時代は、ライトレールは天井に橋渡しにした材木に留めていた。木材をコンテナに釘打ちしていなかったので、木材の乾燥が進んでいくうちに、ライトレールごと天井から木材が落下するという事件が3回発生。三回目にレールのジョイントが壊れ、4ヶ月間、闇の中で生活をする羽目に・・・(不便だが、それはそれで風情があった)。
ライトレールのジョイントを交換し、天井板の下から木ねじで留めるだけの簡単作業で、室内はまるで王宮のように明るくなった。これで、本が読める。
コンテナの左端天井の四角い部分をどうやって隠すのか、いろいろ考えた末、私が選択した方法は・・・(次回)。