迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

伊豆の旅案内

2010-08-11 06:49:50 | 雑感

伊豆見聞録

伊豆の長八美術館のことを書いたら、マイナースポットばかり集めたサイトから私のブログにリンクが張られていることに気付いた。

だったら、この際、伊豆のことを書いておこう。

 

母の墓が富士山にある関係から、静岡にはよく行く。

だが、伊豆だけはなかなか行く機会がなく、駿河湾を挟んで三保の松原から西伊豆を見渡すだけであった。

が、墓地調査が抜けていたエリアであったことから、5年ほど前に伊豆半島だけを中心に走ることにした。

伊豆半島には気候のグラーデーションがある。

そんなに大きな半島ではないのに、西伊豆と東伊豆では気候が全く違うのだ。

西伊豆は西風が大変強く、遠州灘からの風がまともに当たってしまってけっこう寒いが、東伊豆は天城の山々に守られ、温暖で穏やかな気候である。

東伊豆は、熱海・伊東・伊豆高原に代表されるように関東からすぐに行けることもあって、沢山の保養別荘地がある。“伊豆銀座”である。

伊豆の背中に当たる山々のエリアと言えば、何だか薄暗くて寒い印象があった。

(この伊豆半島はもともと島だったらしく、地殻変動で今も本州に押し寄せているらしい。)

 

西風の街:松崎

遠州灘に臨む浜松から掛川辺りは昔から凧揚げの盛んなエリアで、畳何枚分にも及ぶ大きな凧を遠州灘の西風に乗せて飛行距離や飛行時間を競う競技まである。(現在はウィンドサーフィンのメッカでもある。)

昔、人の手を離れた大凧が西風に乗って海上に紐を垂らしながら西伊豆の松崎辺りまでよくたどり着いたという。

中には、房総半島の勝浦までたどり着いたという記録が残っているらしい。

それほど、遠州灘から西伊豆にかけての西風は強い。

伊豆半島北西部の大瀬のビャクシン樹林は圧巻極まりないが、この木々の波打つ様子も西風によるものかもしれない。

松崎がなまこ壁が多いのも理解できる。

見事ななまこ壁があちこちに残っており、市街地から離れた奥の方にも見ることができるが、そこかしこに残っているなまこ壁と長八のこて絵を見ながらぶらぶらするだけでもゆうに1日は楽しめる。

松崎に行くのなら、季節は1月末から2月下旬頃がいいのではないかと思う。

東伊豆にも足を伸ばせば、一足早い寒緋桜を見ることが出来るから。

松崎は、かつて絹糸の相場としては横浜よりも上位だったらしく、絹の資料館があった。

そうか、経済力のある商人たちがいたというのもなまこ壁が発達した理由の一つなのだな。

 

松崎で食べ物として記憶に残っているのは、断然、川海苔。

四万十川の川海苔は有名すぎて高いが、こちらの方は味はよいのに安いので !(^^)!

知名度の差によるのだろうとは思うが、何だかおばちゃんたちに気の毒な気がした。

ご当地の食べ方を真似てさっと火であぶって食べると美味しかった。

勿論、車にコンロを積んでいるので、お気に入りの場所で刺身などとともにいただくと最高。

 

(それはそうと、つげ義春の“ねじ式”だったか“ゲンセンカン主人”は松崎が舞台じゃなかったか?)

 

さて、東伊豆は下田辺りまで関東からの電車が通っているが、

西伊豆には、電車がない!!

おっとっとである。

車しか交通手段がないので、必然的に観光地は少なく、忘れられたようになっているところが目立つ。

これは、私に言わせれば“最後の秘境”の高知から愛媛への太平洋岸沿いの道のような遥かなる旅を覚悟しなければ行けない所だ。

だが、私は東伊豆よりも西伊豆の方がはるかに好きだ。

葛飾北斎の富嶽三十六景、どうもこれは西伊豆から見た光景を描いたのではないかと見えてしまうようなのがある。

いや、絶景。

地名は忘れたが、西伊豆に行くと思わずそこを目指してしまうところがあって、はっきり言って松崎の長八美術館より心を奪われてしまう別荘が1軒ある。崖のはるか下の海沿いにひっそりと建っている。持ち主はもともと地の人で現在は静岡市在住らしいが、駿河湾越しの富士山や辺りの池や菜の花畑・桜をうまく借景に取り込んでいる。で、勝手に“西伊豆の桃源郷”と呼んでいる。

その近くにも崖の上に風変わりな外観の喫茶店があって、毎回ついそこへ立ち寄ってしまう。(いつも店は閉まっているので、建物だけを見に行き、中をガラス越しにじろじろ覗き見ている。ここからも駿河湾越しに富士山が見える。)

 松崎へ行く機会があったなら、駿河湾越しに富士山の見えるところを探しながら走るといい。

崖下の集落に立ち寄れば、富嶽三十六景さながらの世界が広がる。

 

さて、伊豆の墓地観察の結果。

伊豆半島北部の三島から修善寺辺りは、圧倒的に”しきみオンリー”が多く、松崎などの西伊豆は“びしゃこ+花”。東伊豆については“花”が多く、特に伊東以南は一気に“花”だらけとなり、“しきみ”などの樹木系は姿を消す。(宗派は関係ない・・・“樹木系”と“花”の違いは宗派の違いと言うより、地域差である)

気候のグラデーションは人々の生活様式にも違いをもたらす。

人間の営みの何といとおしいことだろう、わくわくする。

東伊豆の墓場には時代の異なる断層や亀裂、墓石の損壊痕が至る所に残っており、伊豆の人々が地震とともに暮らしてきたことを思い知らされもするのである。(関東大震災では、西伊豆にはほとんど被害はなく、相模湾沿いの東伊豆では甚大な被害があった)

 

 

 


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