NOAの設計士は名建築家だろうけれど、私の方はコンテナの迷人である。
迷建築「ノアの箱家」の迷建築ぶりを記録しておくため、10月1日付けの「ノアの箱家」⑯の続きを書いておこう。
竹のインスタレーションを自宅で行うと決め、家の建築を目指した時、かつて私が一般教員をしていた頃の教え子たちのことを思い出していた。
教室内外を木で溢れかえらせ2週間もその状態で過ごし、最後には体育館で図工展作品を作った子ども達のことである。
彼らは「ノアの箱家」のことを知ったらどう言うだろう。
田舎にケガノコウミョウとも言える家を建て、山姥よろしく髪を振り乱しながら飽くなき夢追い人をやってるかつての先生だ。
「その歳でまだやってんの?!」
木のインスタレーションをした時、彼らは小学校5年生だった。
当時、彼らに出した製作条件は三つ。
①始業時間前の30分以内で製作すること。
※教室の真ん中にうず高く積み上げられた木の山で製作。日中は作品とともに過ごし(授業・給食など全て)、放課後には作品を潰し元の山の状態に戻して下校するというルール
②他のクラスの通行妨害にならないよう製作すること。
※廊下にも製作してOK。木をドアや窓から外へ飛び出させて製作するグループもあった。
③怪我人を出さないこと。
※机の上にも木を置く、黒板を覆い隠す、窓を木で見えなくしてしまう、自分たちの班をバリケード封鎖してしまうなど、足の踏み場もない状態の中で私たちは2週間を過ごした。学年の中で一番ゴンタクレの多いクラスだったが、整然と製作し、休み時間に暴れて潰す子はいなかった。そんなことをしたら仲間に“シバカレル”と分かっていたのだろう。
こういったあり得ないことを実行するに当たっては、それなりの事前準備がいる。
周囲には「玉野井はぶっちぎれてる。仕方ないからやらせるしかない。放っておけ」と諦めていただくことが肝心である。
が、それよりも一歩進んで応援していただけたら申し分なし、バッチグー。
私の場合、生徒も保護者もよく理解してくれた。楽しんでくれたし、応援もしてくれた。
あれだけ恐ろしいことをやっていたのに、保護者からの苦情は一切出てこなかった。子どもが生き生きしていたし、毎日学級便りを出してリアルタイムで状況報告をしていたからというのが大きかったと思う。
それに数々の前科(教室一杯蝶々放し飼い・・・産み落とされた卵は幼虫となって教室中を這いずり回り、窓や柱などあちこちで蛹になっていた、民族楽器とガラクタ・生活雑貨楽器による音楽劇“夕鶴”・・・1年間の算数以外の全教科を通して学習したことのまとめ、土室納豆作り、牛のウンコでおにぎり燃料・・・北海道から牧草しか食べていない牛のうんこを取り寄せた、世界初ただの小学生達によるボレロ上演・・・「モーリス・ベジャールにビデオを送ろう」と言って取り組んだetc.)がある身ゆえ、「次は何をやらかしてくれるんだろう」との期待もあったようで、面白がった校長が教室まで来て子どもを“煽動”してもいた。
とにかく周囲の理解と環境に恵まれていたから、あれは出来たのである。
勿論、私も努力をした。
基礎学力の維持と学習習慣を身に付けさせることは最重要のとりくみとして気をつけた。
教科書に載っていないことをやりまくってばかりいたが、子ども達の学力は相対的に高かったはずだ。
子ども達に何を伝えるのか
目先のことだけ考えて対応していたのでは、何も残らない。
教育をしていく上で指導者側が常に意識しておかなければならないことは、将来的に何を残すのか、自分は何を伝えたいかである。
「何でもありだ、自由だよ。」・・・常識を超えたところに創造がある。
創造的に生きていくこと、これは時にはマイノリティとして生きる道の選択を意味する時もあり、逆風覚悟である。これは自分を信頼していなければ出来ないことでもあるから、教師だけが頑張っていても無理、家庭での自尊感情・自己受容(ありのままの自分を愛せること)を育む環境が大事だとは思う。
創造的に生きていくこと・・・とにかく一番これを伝えたかった。
先だって、ケンシロウから連絡があった。
木のインスタレーションをやった子どもの一人で、すでに社会人だ。
彼は、私との暮らしから強烈な何かを感じ取ってくれていた生徒の一人のようで、同窓会も彼からのお声で始まる。
「先生、集まる数は少ないけど飲み会するから、来て。」
二つ返事でOK。
「なんなら、樫田でしようか。デッキがデッキたし。」
ケンシロウに私のブログのことを伝えた。
読んだらきっと「先生、まだやってんの! まだやるつもり~?」と笑うに違いない。
でも、元気を出してくれるに違いない。
彼らがよく言う言葉、「先生、まだ“変”をやっていますか? ずっと“変”でいて下さい」
そう、私はずっと“変”であり続けたい。
世界でたった一人しかいない存在の自分を大事にしていきたい。
彼らの目と姿を通して、私のしてきたことへの審判は下るだろう。