迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

開放系技術郵便物

2010-10-23 21:15:32 | 雑感

アナログの便り

今日、工事現場に郵便局のバイクがやって来た。

「ノアの箱家」に届いた初めての郵便物だ。

手渡されたはがきを見て、驚いた。

ペンではなく、鉛筆書き。

大変だ!! 私は、この人に煩わしい思いをさせてしまった。申し訳ないことをしてしまっていたのではないだろうか・・・ちと気になった。

 

たとえそれがどんなに短いものであったとしても、直筆の便りは心にグッとくる。

もしも、それが乱れた文字ならば、その時の相手の忙しい状況や慌てている息遣いまで伝わってくる。

また、間隔や余白を周到に計算して丁寧に書かれたものであるならば、自分の言いたいことをこちらの心に届かせようという相手の想いの深さや意思の強さが読み取れる。

ようするに、直筆の便りは相手の感情や人柄がある程度はつかめるのだ。

その点、ワープロやパソコンの文字は伝わって来るものが少ない。

誰が書いても同じ“筆跡”というのも味気ないし、相手の気持ちや状況がつかみにくくて戸惑うことがある。

特にパソコンによる年賀状の類には、どうしても馴染めない。

(もっとも、年賀状自体が私は好きではない。だから、遠方に住む大事な友人にもこちらから送ることはなく、長らく返事しか書いたことがない。)

 

書くなら、直筆だ。

それも、たった数行で言い切る。でなかったら、数十行・数十枚に及ぶ思いのたけの書きつくしのどちらかになってしまう。

そんな私だから、悪筆極まりない身のくせに便箋・はがきの類は山ほど持っており、もう一生買わなくてもいいのではないかというほどなのだが、突然の間借り生活。必要最小限の荷物以外は全て囲炉裏茶屋の倉庫の段ボール箱の中。家具や食器まで囲炉裏茶屋のものを借りて生活している状態。おまけに田舎暮らしで買い物もままならない。いきおい、人への連絡は途絶えがち、もしくはメールの生活になった。

が、「メールやファックスはダメ、手紙かはがきを頂戴ね」という人物に書かねばならなくなり、

と言うより書きたくなり、

便箋も封筒も ない!ない!ない! 

で、そこら辺を見回して、紙袋を発見してニンマリ。リサイクルして手紙を書いた。

ああ、そう言えば下(都市部)に住んでた時もリサイクル封筒・便箋なんてのをやってたことがあったな。いや、もっと凝りに凝って、奇想天外なびっくり手紙もやっていたな、などと思い出していた。

そうだ、生活が落ち着いたら、花火ちゃんに手紙を書こう。

彼女なら負けずにレスポンスしてくるはずだ、「ノアの箱家」のことを知らせなくては。

それには電話ではなく、きっとびっくり手紙が一番だ。


 


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