迷建築「ノアの箱家」の迷建築ぶりを記録しておくため、7月22日付けの「ノアの箱家」⑫の続きを書いておこう。
「いい家を造ろうと思ったら、自分と同じ考えの設計士と出会うことが大切です。そしたら、いい家ができるんですよ。」
NOAの本庄正之氏が言ったこの言葉は、その後も右も左も分からない迷える子羊ちゃんである私の強い精精神的支えとなった。
当初、NOAの方としては、「建築確認申請チェックマニュアル」なども読んでいた私を自力建設できる力を持っていると買いかぶっていたようである。
しかし、時間の経過とともに、実はそんな力など無くただただ必死でもがいているだけに過ぎない状況だと気付いていったようである。
自力建設・・・私は、それを思想としてやり始めたのではない。窮地に追い詰められてやり始めたに過ぎない。(お金があったら、全部業者任せにしていただろう。逆に、余興の一つとして楽しめたかもしれない、ただし小さな小屋ならば。)
住居建築のタイムリミットが迫ってきている中、何としてでも建てるしかなかったのだ。
「いったい何処からそんなエネルギーが出てくるんですか?」
本庄氏の問いに、「生きていくしかないじゃないですか。」と私は答えた。
正直な思いであった。
身体を壊して親元に戻ってきたものの住み慣れた家はすでに無く、居候生活に付き合わざるを得なくなったパラちゃんをも私は抱えていた。
年齢も年齢、無知無力の中での大事業、心細さは極限に達していたが生き抜いていくしかなかったのである。
魂の交感
どんな苦痛も次はこうなってああなってという見通しがあれば心構えも出来、耐えることも出来るが、見通しが持てなければ不安は増幅していくばかりだ。
やはり、住居のセルフビルドなどという大掛かりなことをする時は、相当の準備と覚悟、さらには信頼できる知識・技術を持った伴走者が必要だ。特に、私のようにコンテナなどというアウトサイダー的住居を市街化調整区域などというややこしいエリアで、それも合法的にやっていこうとするならば。
見通しが持てず、私は不安で押しつぶされそうになっていた。
そういう状況の中、NOAの本庄氏の言葉がどれだけ大きな救いとなったか!
今も「あの~、あの~」攻勢で迷惑ばかりかけているが、私はNOAのスタッフに対し、“竹”を含めて自分の納得できる領域にまで「ノアの箱家」を創りあげていくことが最大の応え方だと思っている。
住居の建築は、単なるハウスではなくホームの建築だ。“ライフ”の創造なのだ。
住居建築を通して、設計士とクライアントが金銭とか名誉とか義務とか世俗的なこと以上のもので結び合えたなら、建築は魂の交感という次元にまで達するだろう。
実に人間的な営為となる。