建築家突如雑貨商となり至極満足に生きる(石山修武:駿台社2200円)
いいねえ!!
快調おじさんだ、白足袋の飼い主君は。
もうオツムの中がめまぐるしいのったら何の、ひとっ所に留まらない。
知の塊、言葉の速射砲。
ぐいぐい引き込まれていってしまう、その文章に。
自由に遊びまわってる、生活楽しんでるってのがよく分かる。
だから、こっちまで楽しくなってくる。
それにしても、NOAの若い設計士:玉城さんはどえらい人を教えてくれたもんだ。
当分の間、白足袋の飼い主君から私は抜けられそうもない。
いや、面白い、わくわくしっぱなし。
「世田谷村」については、以前に教えてもらった「SELF BUILD」で読んで知っていたけれど、あれの持つ意味とか建設される経緯とか、ビニールハウスの中でトマトなみに学生が育っていく様子とかが伺えて、興味深かった。
“ますいい”なんて設計事務所か工務店だかをやってる人がいるけれど、彼もきっと世田谷村のトマトだろう。早稲田出身って書いてあったし。言ってることが石山修武氏そっくり。原価公開、セルフビルドの奨めやってるし。そういうことを公言して仕事やってるってところがいい。
だとしたら、石山氏の「研究室では学生の育ちが悪いからビニールハウスで育てることにした」という教育方針は正解だったということになる。
世田谷村は、一般的に言う「カッコイイ家」なんかじゃないから、きっと陰口叩く人もいると思う。
曰く「これが建築家の家? 設計頼んで大丈夫?」etc. (実際そう書いてる人がいた。正直でよろしい)
ご当人、そんなのとっくにシッテレラの何処吹く風に違いない。
世間の目を工事現場のような家の中から逆に眺め返しながら至極満足に暮らしてるってところが何て素敵なんだろう。
我が道を行く、確信的に生きてるね。面白がって生活してる、そこが大事だ。
いくつものサイトに「世田谷村」のことが書いてあった。
妙に「美しい」とか「深い」とか祀り上げてるのがある。
この際、石山修武のネームバリューなんてどうでもいい。
あの家を面白いと思うか思わないかのどっちかだ。
絵でも写真でも何でも、無名の人のは全く無視される。ところが、たいしたことなくてもいったん有名になったら、いきなり祀り上げられる。祀り上げてしまう。これは無意識のうちに評価基準を他人に委ねていることになる。
「あたしゃ、あの変な家が気に入った。」と素直に思えばそれでいい。
で、逆に「しょうもねぇ、ダサイ家。」・・・はいそれまでよ。
それでいい、それしかないと私は思うのだけれど。
石山修武だからありがたがる、芸術選奨文部科学大臣賞だからありがたがる、やだ、そんなの。
「芸術選奨文部科学大臣賞」なんてのは、世田谷村に対してというよりも、彼のそれまでの活動を含む志向性に対して捧げられたものだろうから、賞なんてどうでもいいや。(そりゃ、貰うと得する。仕事依頼が増えて儲かるし、やりたい放題できる機会も増える。)
ああ、とにかく東京に行ったら村を見学しに行こうっと。
用賀プロムナードもついでに。
石山商店
氏が白足袋の手を借りて売っているのかどうか知らないけれど、
いくつか私も使っているのと同じのを氏は売っていた。
①青森ヒバの液。
これは、ずっと昔青森で見つけて以来、時々取り寄せてきたやつ。
原液そのものも持っていて、風呂に垂らして入ってる(正確には「入ってた」 今は間借り人なので、入れることは出来ない。)
・・・和歌山県龍神村・美山の檜の液もいいけれど。
でも、もう買わない。だって、樫田には檜がいっぱいあるから。
今使ってる枕も大工さんが囲炉裏茶屋に捨てていった檜のかんなくず(囲炉裏の奥の奥の土地は廃棄物置き場)を拾って日本手ぬぐいを縫い合わせた袋につめたもの。女将さんに教えてあげたら、真似して作ってた。なかなかいける、気持ちいい。
②あごだし
③いちご煮・・・宮城に行くと必ず買って帰る。これはとても高いので、値打ちの分からない人にはあげたくない。
しかし、うまいねえ!宣伝が。
山口勝弘ビデオ「SELECTED WORKS」のセールスの仕方なんて、憎い、憎い!
桶とか初鰹の宣伝も。
負け惜しみになってないところがいい。
ヘヘヘヘという笑みまで見えてくる。
もともと売る気なさそうなところがいい。
いい物の存在をアピールしたいんだろう、偽物が巷に溢れかえってるから。
ますます気に入った。
いいねえ!!
ああ、ところで、気仙沼。
頻繁に行ってたのに、リアスアーク見てなかった。
「生き延びるための建築」に載ってる写真見て、
「残念。」
そう思った。
六角鬼丈氏の名前が本に出てた。
立山博物館を2回見た。
立山行くたび、「もう一度」と思ってしまうけど、時間の都合でそれ以上行けてない。
あそこにもカワラマン氏の瓦があったけど、あれはいい。ほんとにいい。
長八美術館の瓦の使い方よりもっといい。
つまずいて怪我人が出てしまう可能性はあるだろうけれど。
世田谷村の裏日記に山田脩二ことカワラマン氏のことが書いてあった。
ふむふむと思いながら読んだ。
カワラマン氏の瓦を石山氏が絶賛するのは、単にデザイン性の問題だけでなく、深い意味をこめて言ってるんだろう、ものすごい生き方してきた人だから、カワラマン氏は。
だから、石山氏も惚れこんじゃうんだろう、彼に。
そのすごさが全く感じられないところがカワラマン氏のすごさでもある。
飄々とした風貌と語り口で喋る、ただのおっちゃん風。
あ、そうだ。
石山氏とカワラマン氏の共通点・・・どちらも言葉遊びが好きというか語り口が面白い。
そして、どちらも毒を持ってる。
やっぱり、類は類を呼ぶってことか。
実は、彼がカメラマンからカワラマンになった直後、知人の写真家T氏から紹介されて彼と話をしたことがある。
強烈な印象、忘れられない。
自分に正直にずっとブレないで生きてる人だ、すごいなと思う。
しかし、炭焼きほんとにするのかな、瓦捨てられるのかな。
白足袋の飼い主君の真似をして、「ええい、瓦でも炭でも好きにやってくれ。」
「カメラマンからカワラマンへ」 山田脩二 ちくまプリマーブックス104 1100円
彼の代表作「日本村1969-79」も一部掲載
ドリトル先生動物園倶楽部
第一号の会報が数日前届いた。
白足袋のセンスはなかなかよく、人間にでも充分読むことが出来る代物である。
飼い主はよほど上手い具合に白足袋をしつけたのだろう。
猫の手も馬鹿には出来ぬ。
全ての人間がかくのごとくペット達をしつけることができれば、召使いにでもパートにでも何でもできるから、ガス室送りを免れるやつも出てくるだろう。
白足袋は優秀な猫だから、是非とも奴をそそのかして飼い主教育委員会とやらもやらせてみて欲しい。
組織力と行動力のあるパワフルな主人を真似て白足袋も風雲猫、きっと動物界をリードしていくに違いない。
しかし・・・会報の方もなかなかたいしたもの、笑い転げてしまった。
街づくり計画・自分の建築したいものを建築していくための戦略の一つだろうが、アデル・カルサビーヌ商会みたいに頓挫しちゃあいけないよ。
いや、してもしなくてもどっちでもいいか。
どっちに転んでも、それはそれで楽しんでしまうだろう。
きっとそんな人だ、イシヤマサンハ。