goo blog サービス終了のお知らせ 

碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

今日のHTB北海道テレビ 2016.03.18

2016年03月19日 | テレビ・ラジオ・メディア











【気まぐれ写真館】 札幌 気温13度  2016.03.18

2016年03月19日 | 気まぐれ写真館

【気まぐれ写真館】 札幌 気温13度 2016.03.18

2016年03月19日 | 気まぐれ写真館

国谷さん、おつかれさまでした!

2016年03月18日 | テレビ・ラジオ・メディア

17日の番組の終わりで挨拶をする国谷さん


国谷裕子さんの「クローズアップ現代」、17日が最後でした。

3月17日「クローズップ現代」  
未来への風~“痛み”を越える若者たち~

ゲスト:柳田邦男さん(ノンフィクション作家)

雇用、教育、福祉・・
従来の社会システムが
行き詰まった時代に育った若者たち。
”痛み”をのりこえ、
新たな価値感で時代を
切拓こうとする姿をみつめる。



放送前に、知人から、以下のようなメールが届きました。

国谷さんに憧れ、放送の世界に入った女性も多くいます。旧友の長女は小学生の頃から「クロ現」を見続け、国谷さんで社会問題への関心を抱き、NHKに入りました。昨日、その長女が送ってくれたメールから抜粋します。

「国谷さんの「傾聴する力」「論点を深める力」のおかげで、私たち視聴者はどれだけ広い視野を与えてもらえただろう・・子どもの頃に描いていた「大人になった私」は国谷さんのように知的で落着いた素敵な女性でした・・私は国谷さんの仕事を忘れないし、与えてもらった知識や関心、広い世界への好奇心と憧れはこれからも持ち続けていく。いまの自分の仕事において彼女の「聞く力」と「訊く力」を見習い、勇気をもって、良い方向へ変わりたい、と思っています・・」

「国谷さん辞めさせないで」署名活動をしましたが、残念です。新たな国谷さんを楽しみに。



何かあった時、「この問題、国谷さんはどう言うだろう」と思ったものです。

“国谷さんのクロ現”があったことの有難さは、多分、なくなってみて、より実感するはずで、やはり残念です。

国谷さん、23年間、おつかれさまでした!




書評した本: 藤原美子 『藤原家のたからもの』ほか

2016年03月17日 | 書評した本たち



「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。

藤原美子 『藤原家のたからもの』 
集英社 1512円

週刊誌の最新号を開く時、真っ先に贔屓のコラムを読むという人は多い。思えば自分も同様で、『週刊文春』では小林信彦「本音を申せば」だし、『週刊新潮』なら「藤原正彦の管見妄語」である。

藤原エッセイの特徴の一つが、文中にしばしば出現する「女房」、つまり本書の著者の存在だ。たいていは、正彦氏が「自分はエライ」とか、「とてつもなくモテた」などと主張する場面で登場し、夫の妄想を一刀両断の上、粉々に打ち砕いてしまう。

正彦氏は、まるで著者が “ソクラテスの妻”であるかのように書くが、実際には形を変えた“女房自慢”であることが多い。『国家の品格』の藤原正彦が公器を使って自慢する女房とは、いかなる人物なのか。本書を読むと、よくわかる。

「捨てられない男」だという夫のせいもあり、藤原家にはさまざまなモノが保存されているという。その中から著者にとっての大切な「たからもの」を選び、記憶を呼び覚ますことで、家族や自分自身の軌跡を綴ったのが本書だ。

たとえば、「新田次郎のリュックサック」。義父である新田が愛用した、キャンバス地で作られたシンプルなものだ。譲り受けた夫は、山を舞台にいくつもの名作を書いた父からの誘いを断り続けたが、著者は登山に夢中となる。

また「夏休みの日記帳」では、著者が小学校2、3年生の頃に書いた日記が紹介される。独特の漢字学習法。感動した石森延男『コタンの口笛』。そして、後に25歳で病没した妹にまつわる、忘れられないエピソードも語られる。

驚いたのは、最後に置かれた「ラブレター」の章だ。かつて住んでいたケンブリッジを訪れた際、旧友である男性と再会し、手紙を渡される。何とそれは熱烈なラブレターで、本書には翻訳された全文が掲載されている。「夫もかけてくれない愛の言葉、読み返すたびに心浮き立つ」と書く人妻。やはり只者ではない。


河出書房新社:編 
『マンガがあるじゃないか~わたしをつくったこの一冊』

河出書房新社 1404円

他人はともかく、自分にとって運命的な一冊というものがある。29人が選んだマンガはまさにそれだ。手塚治虫『火の鳥』、赤塚不二夫『ギャグゲリラ』、山岸凉子『日出処の天子』などを、誰がどんな理由で挙げたのか。それぞれの個人史としても興味深く読める。


遠藤武文 『狙撃手のオリンピック』
光文社 1728円

モスクワ五輪を目指しながら挫折した、ライフル射撃の元選手。テルアビブ空港乱射事件への関与を疑われ、逮捕された元運動家。遭うはずのなかった2人が、98年2月の長野冬季オリンピックという場で交差した。戦後の混乱期に端を発する、緊迫の長編サスペンスだ。


草木光一 『岡村昭彦と死の思想』
岩波書店 2916円

報道写真家としての岡村は知られているが、ホスピス運動の先駆者だったことを知る人は少ない。バイオエシックス(生命倫理学)という視点。ケアを通した人間関係のあり方。ホスピスとコミュニティー。現在へとつながる、“生と死”をめぐる課題がここにある。


久住昌之 『東京都三多摩原人』
朝日新聞出版 1728円

『孤独のグルメ』の原作者による “知られざる東京”散歩だ。三多摩とは、23区と伊豆七島や小笠原諸島などを除いた東京都の市町村部分。地元民でもある著者にとっては、回想と再発見のぶらぶら歩きとなる。まさに「知らない角を曲がれば旅」の全24話だ。

(週刊新潮 2016.03.17号)


漫画好きには堪えられないディープな時間 「浦沢直樹の漫勉」

2016年03月16日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評



日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今週は、Eテレ「浦沢直樹の漫勉」について書きました。


NHK Eテレ「浦沢直樹の漫勉」
漫画好きには堪えられないディープな時間

東京・世田谷文学館で開催中の「浦沢直樹展・描いて描いて描きまくる」(今月31日まで)を見た。迷路のような壁面を埋めつくす、膨大な量の原稿。しかもその一枚一枚が、当たり前だが、手で描かれた一本ずつの「線」で出来ているのだ。「YAWARA!」も「20世紀少年」も、こうして生み出されたかと思うと感動すら覚えた。

そんな浦沢が、これぞという漫画家たちの“創作の秘密”に迫っているのが、「浦沢直樹の漫勉」である。4日間ほど、漫画家の仕事場に複数の定点カメラを設置し、ペンの動きからつぶやきまでを記録。1ヶ月後、その映像を見ながら、本人と浦沢が語り合うのだ。

14年のシーズン0では「沈黙の艦隊」のかわぐちかいじ、昨年のシーズン1では「ゴルゴ13」のさいとう・たかをなどが登場した。そして今期の初回は、「ポーの一族」や「11人いる!」の萩尾望都だった。

鉛筆の下書きをインクで引き直していくペン入れのシーンなど、つい見入ってしまう。何たる繊細さ。納得いくまで手を止めない集中力と執念。特にセリフ以上に登場人物の心情を語る、萩尾独特の「目」の描写が圧巻だ。

また、浦沢の質問に答える形で、萩尾が「問題に直面している大人を描くのが、面白い」などと自己分析。漫画好きには堪(こた)えられない、ディープな時間が過ぎていく。

(日刊ゲンダイ 2016.03.15)



【気まぐれ写真館】 春休み中も工事中 2016.03.15

2016年03月16日 | 気まぐれ写真館


NHK朝ドラ『あさが来た』が高い支持を得た理由は!?

2016年03月15日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム



NHK連続テレビ小説『あさが来た』のゴールが目の前に迫ってきた。気がつけば、昨年9月末のスタート時から現在まで、週ごとの平均視聴率が連続して20%以上という堂々のヒット作である。あらためて、このドラマが高い支持を受けた理由を探ってみたい。

主なポイントは3つある。まず、主人公の白岡あさ(波瑠)が、実在の人物をモデルとしていたことだ。“明治の女傑”といわれた実業家・広岡浅子である。京都の豪商の家(三井家)に生まれた浅子は、大阪に嫁いだ後、炭鉱、銀行、生命保険(現在の大同生命)といった事業を起こす。また、日本で初めてとなる女子の大学校(現在の日本女子大学)の設立にも携わった。

今回は特に、前作が『まれ』だったことが大きい。世界一のパティシエになる夢を追う女性を描くこと自体は悪くなかったが、ストーリー展開がやや迷走気味で、ご都合主義が目立った。それに比べると、『あさが来た』は実話をベースにしている分、物語の骨格がしっかりしており、安心して見ていられた。“女性の一代記”ドラマとして成立するだけの実質が、広岡浅子にあるからだ。

第2のポイントは、幕末から明治という大激動期を物語の舞台としたことだ。江戸時代から始まる朝ドラというのは、NHKにとっても冒険だった。だが、そのチャレンジのおかげで、今とは比べものにならないほどのパラダイムシフト(社会構造の大転換)があった時代を、ひとりの女性がどう生き抜いたか、視聴者は興味をもって見ることができた。

さらに、舞台が関西だったことにも注目したい。同じ時代であっても、立つ位置によって異なる視点から眺めることができるし、そこに発見もある。幕末維新ものの多くは、江戸を舞台にすると武家中心の話になってしまうが、しきたりに縛られてあまり面白くない。このドラマでは、大阪の商人たちが伸び伸びと活躍する様子が新鮮だった。

3つ目は、ヒロインをはじめとする魅力的な登場人物と役者たちだ。波瑠は、これまで何本かの主演作はあるものの、女優としては発展途上という印象だった。どちらかといえば、やや捉えどころのない役柄が多く、“女傑”が似合うタイプとも思えなかった。

しかし今回は、いい意味で裏切られたことになる。意外や、明るいコメディタッチも表現できることを証明してみせたのだ。しかも、まだ女優としてはこれからという波瑠の素人っぽさや一生懸命さが、両替商のおかみさんや炭鉱の責任者などを経験しながら成長していく主人公と重なり、応援したくなるヒロイン像になっていた。

また、大活躍したのが、あさの夫・新次郎(玉木宏、好演)だ。この時代の男としては珍しいが、「女性はこうでなくてはならない」というステレオタイプな女性観の持ち主ではない。あさが旧来の女性の生き方からはみ出して、思い切り活動できたのも、実は新次郎のおかげだと言える。あの夫がいたからこそ起業もできたのだ。

もう1人が、姉のはつ(宮崎あおい)である。性格も生き方も異なる姉の存在が、このドラマにどれだけの奥行きを与えてくれたことか。『花子とアン』で成功した、一種の“ダブルヒロイン”構造の踏襲だが、そこに宮崎あおいという芸達者を置いたことで、視聴者は2つの人生を比較しながら見守ることになった。

加えて、魅力的な脇役として五代友厚(ディーン・フジオカ)がいた。後に「近代大阪経済の父」と呼ばれることになる人物だ。五代がいたことで、時代の動きを見せることだけでなく、あさと新次郎の心情にも膨らみが生まれた。フジオカという役者の“出現”もまた、このドラマの収穫だ。

結果的に、『あさが来た』には「女性の一代記」、「職業ドラマ」、そして「成長物語」という朝ドラの“王道”ともいうべき三要素がすべて込められていたことになる。それらを踏まえた大森美香の脚本は、ドラマ全体はもちろん、毎回の15分という放送時間の中でも山あり谷あり、笑いと涙を散りばめた物語を、見事に構築していた。

昨年秋、このドラマの第1回は、日本初の女子大学校の入学式シーンから始まった。洋装のあさが、最初の新入生たちに向かって、力強く語りかけていたことを思い出す。半年、いや40年の歩みを経て、視聴者も再び、あさと共にあの壇上に立つのだ。

(Yahoo!ニュース個人 2016.03.13)

書評した本: 適菜 収 『現代日本バカ図鑑』ほか

2016年03月14日 | 書評した本たち



「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。

適菜 収 『現代日本バカ図鑑』
文藝春秋 1404円

週刊誌の連載コラム「今週のバカ」を単行本化。73組の著名人が並ぶが、著者によれば、バカとは知識の有無ではなく、価値判断ができないこと。特に政治家の判断は国民の生命に関わるので始末が悪い。最多登場は安倍首相、次点が菅義偉と石原慎太郎である。


高畠保春 『東京ソウル・バー物語』
シンコーミュージック 1620円

ソウル・バーは魂の酒場ではなく、ソウルミュージックが流れるバーである。しかも著者が選ぶのは、15歳でディスコ通いのママや、元レコード会社勤務のオヤジなど、「ヘンタイさん」がいる店だ。東京はもちろん、札幌や福岡にも生息するヘンタイ店主たちに乾杯。


石川直樹 『ぼくの道具』
平凡社 1620円

著者は辺境から都市までを踏破する写真家。ヒマラヤの高峰を撮ったシリーズで知られる。本書には山での装備から身に着けるもの、さらに小物まで、愛用する96点の旅道具が並ぶ。いずれも豊富な経験から吟味された品々だが、機能美を超えた美しさがそこにある。

(週刊新潮 2016.03.10号)


【気まぐれ写真館】 花の名前は知らないのですが・・・ 2016.03.13

2016年03月13日 | 気まぐれ写真館

東日本大震災から5年 合掌

2016年03月12日 | テレビ・ラジオ・メディア
2011年5月 仙台市荒浜で


11日午後2時46分、移動中のクルマを路肩に停め、1分間の黙とうをしました。

もう5年。

まだ5年。

日常の中で、私も含む個々人が、できることをする。それを続ける。

あらためて、そんなことを思いました。

合掌。


以下は、5年前に書いた文章です。

忘れないためにも、再録しておきます。


BS1の「被災者のための情報」は出色だ

「東北関東大震災」の緊急特番は、11日午後2時48分のNHKから始まった。

間もなく民放も続々と参入し、最も遅かった日本テレビでも57分には通常番組から切り替えられた。

その後、各局の大報道が続いているが、テレビ5波、ラジオ3波の全てを投入したNHKの総合力が目立つ。

中でもBS1が延々と行った「被災者のための情報」は出色だ。

ここでは岩手県、福島県など被災地にいる人たちに向けて、まさに具体的な「知りたい情報」を流し続けた。

たとえば、どこの町の何世帯が「断水」となっているか。また停電が続くとその範囲は広がる恐れがあること。そして「給水所」は何か所に設置されているか等々だ。

画面には女性アナが一人だけ。冷静な声と表情で正確な情報を伝える様子は、見ている側をも落ち着かせる効果があった。

一方の民放は「被災地以外の所にいる人たち」に向けた内容という印象が強い。

津波で家屋が押し流される衝撃映像の繰り返しと、死者や行方不明者の数など統計情報が中心で、どこか傍観者的・野次馬的・優越的な興味に迎合する報道になってはいないだろうか。

「取材団」と呼ばれる人員を現地に送るのはいい。しかし、時には現地の系列局と“競合”しているように見えるのが気になるのだ。

余震はまだ続いている。報道する側の姿勢も問われ続ける。

(日刊ゲンダイ 2011.03.14)



現地に立って知ったこと

震災報道に関する取材で仙台市荒浜地区に行ってきた。道路はつながったものの、今もほとんど手つかずの被災地だ。あえて高校生の息子も同行させた。

仙台駅から乗ったタクシーの運転手さんに言われた。「親子で来てくれたんだ。嬉しいねえ」。そして、「ボランティアとかじゃなくてもいいから、みんなに見てもらいたいよ」。

海岸方面へ向かう途中まではごく普通の町並みが続く。それがあるラインから一変するのだ。

住宅が立ち並んでいたはずの地域全体が瓦礫を残して消滅していた。それは九十年代に訪れたサラエボの、内戦で傷ついた街の風景とも異質のものだった。

どうすれば、こんなふうになるのか。見渡す限りのあらゆる建物を破壊し尽くす力とは、いったいどれほどのものなのか。

律儀ともいえる均等さで、広い範囲を一気になぎ倒していった容赦のなさに、二人とも言葉が出ない。

原形をとどめているのは小学校の建物だ。しかし、その教室の中には押しつぶされた自動車が三台も入り込んでいた。

この二ヶ月間、テレビや新聞などメディアを通じて大量の映像・画像を見てきた。

恥ずかしいことに、それで被災地の様子を知っているような、わかっているような気になっていた。

けれど、現地に立ってみると全然違っていた。何もわかってなどいなかった。それを知ったことが一番の収穫だ。

(東京新聞 2011.05.18)





「広報・PR」のシンポジウムに出席 2016.03.09

2016年03月10日 | テレビ・ラジオ・メディア



PRSJ日本パブリックリレーションズ協会
特別シンポジウム

テレビメディア・映像ジャーナリズムの未来と
広報・PR




第1部「テレビメディアと映像ジャーナリズムの未来」

テレビ放送とネットとの連携を推進するテレビ局のキーパーソンとメディア分析の専門家を迎え、「テレビメディアと映像ジャーナリズムの未来」をテーマに、欧米の最新事情も踏まえテレビメディアとネットの共存のあり方、映像ジャーナリズムの進むべき道についてパネルディスカッションを行いました。



<モデレーター>
碓井広義
 (上智大学 文学部 新聞学科 教授)

<パネリスト>
福原伸治氏 
(株式会社フジテレビジョン 報道局メディア担当局長)
鈴木祐司氏 
(次世代メディア研究所代表)


第2部「広報・PRにおける映像・動画コンテンツの活用」

事業会社、エージェンシー、メディア企業が参加して、「広報・PRにおける映像・動画コンテンツの活用」とのテーマで、広報・PRパーソンが身に付けるべき映像・動画コンテンツの制作・配信や活用の知識、スキルについて、多角的に議論いたしました。



<モデレーター>
ロス・ローブリー氏
 (エデルマン・ジャパン株式会社 代表取締役社長)

<パネリスト>
碓井広義 
(上智大学 文学部新聞学科 教授)
ダニエル・スローン氏
(日産自動車株式会社 グローバルメディアセンター 部長兼編集長)
野口雄史氏
(株式会社テレビ東京 「ワールドビジネスサテライト」プロデューサー)




「消防隊だけが撮った0311」が見せた映像の力

2016年03月09日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評



日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今週は、フジテレビ「消防隊だけが撮った0311」について書きました。


フジテレビ系
『消防隊だけが撮った0311 
彼らは「命の砦」となった』
伝え続けることはテレビの使命でもある

今週、東日本大震災から5年を迎える。毎年この時期になると、震災関連と呼ばれる番組が各局で放送される。

“季節ネタ”などと揶揄する人もいるが、それは違う。あれだけの大きな出来事であり、現在も終わっているとは言えないのに、現地以外ではすっかり風化状態だ。伝え続けることはテレビの使命でもある。

4日に放送された「消防隊だけが撮った0311」は、文字通り消防隊が撮影した映像を軸に構成されていた。スタジオだの司会者だのを使わず、映像によって事実を伝えようとする2時間余り。大杉蓮のナレーションにも心がこもっていた。

当日、地元はもちろん、全国規模で動員された緊急消防援助隊員たちが、5000人以上の命を救った。だが、その裏で消防側も281人の犠牲者を出している。まさに決死の救助活動だったのだ。

たとえば、陸前高田市の消防団員が撮っていた映像。自身も津波に追われながら、「(津波が)堤防超えた!逃げろ!逃げろ!」と市民に呼びかけ続けていた。カメラのスイッチを切る間もなかったからこそ記録されたその映像は、乱れに乱れているが、現場の実態を想像させるには十分だ。

また、津波だけでなく大火災とも向き合うことになった、宮城県気仙沼市の消防隊からも目が離せなかった。映像のもつ力を生かした震災特番。ぜひ再放送してほしい。

(日刊ゲンダイ 2016.03.08)

NHK朝ドラ「あさが来た」が支持された理由

2016年03月08日 | 「北海道新聞」連載の放送時評



北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。

今回は、NHK朝ドラ「あさが来た」を取り上げました。


「あさが来た」が支持された理由
大阪商人の姿 伸び伸びと

NHKの連続テレビ小説「あさが来た」が最終コーナーに差しかかった。スタート時から平均視聴率が連続してほぼ20%以上というヒット作である。あらためて、このドラマが高い支持を受けた理由を探ってみた。

ポイントは三つある。まず、主人公の白岡あさ(波瑠)が実在の人物をモデルとしていたことだ。“明治の女傑”といわれた実業家、広岡浅子である。京都の豪商の家に生まれ、大阪に嫁いだ後は炭鉱、銀行、生命保険などの事業を起こし、日本で初めてとなる女子大学校(現在の日本女子大学)の設立にも携わった。実話をベースにしているために物語の骨格がしっかりしており、安心して見ていられた。“女性一代記ドラマ”として成立するだけの実質が浅子にあったからだ。

次に、時代設定が幕末から明治という大激動期である点も有効に働いた。現代にも明日が見えにくい閉塞(へいそく)感が漂っているが、今とは比べものにならないほどのパラダイムシフト(社会構造の大転換)があった時代を、一人の女性がどう生き抜いたか。視聴者は興味をもって見続けることができた。

さらに、舞台が関西だったことにも注目したい。幕末維新ものの多くは、江戸を舞台にすると武家中心の話になってしまうが、しきたりに縛られてあまり面白くない。このドラマでは大阪の商人たちが伸び伸びと活躍する様子が新鮮だった。

三つ目は、ヒロインを支える魅力的な登場人物たちだ。特に大きかったのが、姉のはつ(宮崎あおい)である。性格も生き方も異なる姉の存在が、このドラマにどれだけの奥行きを与えてくれたことか。「花子とアン」でも成功した、いわゆる“ダブルヒロイン”構造の踏襲だが、そこに宮崎あおいという芸達者を置いたことで、視聴者は2つの人生を比較しながら見守ることになった。

もう一人が、あさの夫・新次郎(玉木宏、好演)だ。この時代の男としては珍しく、「女性はこうでなくてはならない」というステレオタイプな女性観の持ち主ではない。あさが旧来の女性の生き方からはみ出して、思い切り活動できたのも新次郎のおかげだろう。加えて、飄々(ひょうひょう)とした新次郎と対比させる形で近代大阪経済の父・五代友厚(ディーン・フジオカ)を置いたことも功を奏した。

朝ドラの“実録路線”は4月からも続く。「とと姉ちゃん」は、雑誌「暮しの手帖」を生み出した大橋鎭(しず)子と名編集者・花森安治がモデルとなっている。放送開始が楽しみだ。

(北海道新聞「碓井広義の放送時評」 2016年03月07日)



【気まぐれ写真館】 雨の一日 2016.03.07

2016年03月08日 | 気まぐれ写真館