碓井広義ブログ

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大河が挑む新たな家康像

2023年02月06日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

 

 

<碓井広義の放送時評>

大河が挑む新たな家康像

NHK大河ドラマ「どうする家康」がスタートして、ほぼ1カ月。松本潤が演じる徳川家康がかなり斬新だ。妻である瀬名(有村架純)の言葉を借りれば、「弱虫、泣き虫、力も心もおなかも弱い」。しかも桶狭間の戦いで、今川義元が討たれたことを知ると「もう嫌じゃあ!」と戦場から逃げ出す始末だ。こんな家康は見たことがない。

大河には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が度々登場する。「戦国三英傑」などと呼ばれるが、人気には差があるようだ。天才的な英雄としての信長。農民から天下人への出世物語が愛される秀吉。だが最終的な勝者である家康には、どこか近寄り難い印象がある。

家康は死後、神格化された。それが変わるのは明治以降で、特に影響を与えたのが大正時代の立川文庫「真田十勇士」だ。猿飛佐助や霧隠才蔵が活躍する物語での家康は最大の敵であり、陰謀の限りを尽くして豊臣家を滅ぼす「ずる賢いタヌキ親父(おやじ)」だ。日本人が持つ「判官びいき」の傾向からも外れていた。

この立川文庫以来、すっかり定着した「タヌキ親父」を覆したのが、山岡荘八の長編小説「徳川家康」(1950年に新聞連載開始、完結は67年)だ。家康の信奉者だった山岡は、戦乱の世の先の平和を望み、そのための困難を乗り越えた苦労人として家康を描き、大ベストセラーとなる。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という有名な遺訓と共に人格者のイメージが広まった。

山岡の小説を原作にした大河が1983年の「徳川家康」だ。主演は滝田栄。後に「葵(あおい) 徳川三代」(2000年)も作られるが、家康一人を主人公としたのはこれが初めてだった。しかも原作にかなり忠実であり、優秀で真面目な戦国大名がそこにいた。

そして今回の「どうする家康」である。何より、脚本の古沢良太が描く家康がユニークだ。天下を取ろうという野心も、重荷を背負う覚悟もない。何か事あれば「どうしよう?」と焦りまくり、自らの運命に悩んだり、もがいたり、泣き出したりする心優しき青年。古沢と制作陣が目指しているのは、神でもタヌキ親父でも偉人でもない新たな家康像だ。

また主演の松本もこの難役に果敢に挑んでいる。「徳川家康」の滝田や「葵 徳川三代」の津川雅彦、さらに「功名が辻」(06年)の西田敏行や「真田丸」(16年)の内野聖陽らとも異なる、“等身大”の家康を現出させているのだ。ここからいかにして信長(岡田准一)や秀吉(ムロツヨシ)といった怪物たちを超えていくのか。見どころはそこにある。

(北海道新聞 2023.02.04)