『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

◎「てっぱん」と「緋牡丹のお竜」

2011年01月09日 05時10分11秒 | ■人物小論

 わが青春の「藤 純子」

 NHKの朝の連続ドラマ「てっぱん」は、欠かさず観ている。といっても、録画をしたものを夜観ることが多い。この10年ほど「朝ドラ」はあまり観なくなったが、この「てんぱん」だけは例外と言えるかもしれない。

 それは、「富司純子(ふじすみこ)」いや「藤純子(ふじじゅんこ)」さんが出ているからだろう。団塊の世代の筆者にとって、「藤純子」といえば、何と言っても「緋牡丹のお竜」の「矢野竜子」となる。

  といって、それほど彼女の出演作品を見たわけではない。せいぜい三、四本というところだろうか。しかし、他の女優に比べて “印象度” は圧倒的に強い。
 
 その理由は、「緋牡丹博徒シリーズ」をはじめ「日本女侠伝シリーズ」「女渡世人シリーズ」と、彼女の役柄の大半が、「女侠客」にあるからだろう。 

            

 「藤純子」の映画を観たのは大学卒業後、京都に住むようになってからと想う。郊外の小さな映画館ではなかっただろうか。「題名」はまったく憶えてはいない。

 だが途中入場したそのとき、いきなり着物姿の美女が、ドスを片手に啖呵を切っていたのには驚いた。

 凛とした顔立ち、くっきりとした目鼻に唇。長い豊かな黒髪は、まさに何とかの濡れ羽色。厳(いか)つい男達を前に、少しの着崩れも見せない激しい立ち回りが繰り広げられる。

 ストイックな雰囲気が全身に溢れ、俊敏でありながらも静かなエロチシズムが漂っていた。そこには憂愁と知性に支えられた “をんな” が息づいており、筆者はその作品一つで彼女のファンになった。

 しかしこのとき、彼女はNHKの大河ドラマ『源義経』(1966年)で共演した四代目尾上菊之助氏(現・尾上菊五郎)と結婚し、映画界から引退していたのだ。その後は御承知のように、長女・「寺島しのぶ」さん、長男・「五代目尾上菊之助」氏をもうけている。

                          

 ……久しぶりに観るその女優、藤純子さん。「てっぱん」での彼女は、「田中初音」という大阪の下宿屋の大家として登場する。

 夫と一人娘に先立たれ、その娘が残した「孫娘」との対面……という形でドラマは進んでいく。「一人娘」はトランペット一つで旅立ち、大阪から尾道へと辿り着く。そこで「女の子」を産むわけだが、その赤ちゃんこそ「あかり」というヒロインとなる。

 ドラマが進むにしたがい、筆者は「田中初音」を「緋牡丹のお竜」と重ね合わせて観ていた。ヒロイン(孫娘)を突き放すような口調に、あの「緋牡丹のお竜」を彷彿とさせる「啖呵」の片鱗を感じたからだ。
 何よりも、他人に心を開こうとしない片意地な田中初音。人には言えない「過去」を背負ってきた “をんな” であり、どことなく、流れて来た「女博徒」の雰囲気が漂っていた。
 
 ひょっとしたらNHKは、アラカン世代の取り込みのために、あえてそのような演出を意識していたのでは……と思われる節が随所に見られた。

            

 ところで、このドラマのナレーターは中村玉緒さん。彼女の亡夫は「勝新太郎」氏だが、その実兄が東映の任侠映画には欠かせなかった「若山富三郎」氏であり、藤純子さんとは何度も共演している。「緋牡丹博徒シリーズ」でも、また藤純子「引退記念」の「関東緋桜一家」でも共演していた。

 ナレーションでは、田中初音のことを『婆さん』と呼ぶ。ヒロインの祖母と言う役柄のため、「孫」の視点からはそうなるのだろう。

 だが「あの煌(きら)めくばかり」の「緋牡丹のお竜」を知っている者にとって、『婆さんはねえだろう……』と、つい絡みたくなる。

 もちろん、役柄としての「田中初音」も、演じている藤純子さんも、「婆さん」と言われるほど年寄りじみてはいない。

 とは言うものの、『婆さん……』というナレーションが聞こえるたびに、その『婆さん』よりほんのちょっと年下である筆者は、何だか『爺さん』と呼ばれているような気がしてならないのだが……。

 ん? 気のせい? ひがみ? 
  

  ◎2020年12月8日夜 加筆修正 花雅美 秀理



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