……祈り始めてものの数分、エンジンのかかる音がした。同じアパートの駐車場から、一台の軽自動車が出て行こうとしている。筆者は、自分でも驚くほどすばやく車を降りた。無論、“ダメもと”で「ブースター(充電用コード)」のことを尋ねるためだ。
運転者は男性のようだが、顔はよく見えない。筆者はさりげなく笑みをつくりながら、動き始めた車に近づいた。
――おはようございます。
運転席の「若い男性」が微笑み、車を停止させて頭を下げている。よく見ると、ゆうべ訪ねて来た「階下の部屋の青年」だ。ほっとした気持が瞬時に全身をめぐった。
――ゆうべはどうもすみませんでした。……車のバッテリーがあがってしまって。「ブースター」をお持ちではありませんか?
そう言いながら、青年の表情を食い入るように見つめた。「藁にも縋(すが)る」想いだった。すると青年は、“残念そうな表情”で、
――ああ。この車にはないんですねえ。
『……そうだろう。やっぱり、世の中そう甘くはないんだ』
と諦めかけた次の瞬間、
――でも、会社にはありますから。……実は僕「車屋」なんです。取ってきますよ。戻ってくるのに30分ほどかかりますけど、時間は大丈夫ですか?
まさしく「地獄に仏」。もちろん「時間」など、どうでもよかった。
それにしても何とラッキーなことだろう。いや「超ラッキー!」。ゆうべの「クレーム青年」が、今何よりも必要な「車のプロ」とは。「出来すぎた話」に、筆者は夢ではないかと本気で疑った。
☆
「車屋(階下の部屋)の青年」が去った後、筆者は、青年に対する「お礼」のことを考え始めた。どの程度の報酬が適切だろうか。タクシーを止めて充電してもらったときは、「20分ほどの実車」という想定で2千円を払ったことがあった。
そのため、今回もその程度でと想った。だが「同じアパートの住民」ということで、「現金」は受け取ってもらえないかもしれない。そこで閃いたのが、貰い物の「ビール券(6本)」だった。これなら、何とかなりそうだ。
そう想った筆者は、車の「ボンネット」を開け、いつでも「ブースター」を接続できるようにして部屋に戻った。
☆
5、6分探してはみたものの、肝心の「ビール券」は見つからなかった。やむなく車に戻ろうとして2階の廊下から「駐車場」を見た。
すると、筆者の「軽自動車」の真横に、「バンタイプの車」が停車している。そしてその車の傍に、「車屋の青年」とは別人の「長身の青年」が佇み、筆者の車を気遣うように見ていた。
「車屋の青年」が出発してから10分も経っていない。「往復30分」はかかると言っていたはずなのに。ずいぶん早い。ひょっとして、途中で会社に連絡したのかもしれない。それで「別の人」が駆けつけて来たのだろうか……。
しかし、「わざわざ別の人が来たとなれば、明らかに緊急の出張作業」となる。つまりは「好意」ではすまなくなり、「ビジネス」となる。そうなれば、「ビール券」というわけにもいかないだろう。どうしたものかと考えながら、筆者は「長身の青年」に語りかけようとした。すると青年は、
――おたくだったんですね。夜、ライトが点けっぱなしになっていましたから。どの部屋の方なのか、部屋(号室)が判れば教えてあげることができたんですが。
……ああ、僕ですか? ほらあの家の者です。仕事の行き帰りにいつもこの駐車場の前を通るものですから……。
「ボンネット」が「上がっている」ので、『やっぱり』と思って足を止めたようだ。
この青年「M君」は、「アパート」の「すぐ隣りの家(2階建て戸建)」に住んでいる。しかも、何と「中古車センター」会社に勤務しているという。つまりは彼も「車のプロ」なのだ。
「通行人」も「車」もほとんど見かけることのない高台住宅地の頂上。そこで「姿を見かけたたった2人の青年」が、2人とも「車のプロ」であるとは。何という偶然”、そして“タイミング”だろうか。どんなに「ご都合主義」のドラマでも、“ここまで都合よく”はいかないはずだ。
しかも、この「M君」は筆者が何も言わないうちに、「バッテリーの充電」作業を、「自分がなすべき義務、いや使命」であるかのような雰囲気で取り掛かろうとしている。
もちろん筆者は、「車屋の青年」が間もなく駆けつけてくれることをM君に伝えた。
――じゃ、その方に……。
そう言うM君の顔に、一瞬、“小さな落胆”が走ったのを筆者は見逃さなかった。その表情には、『あなたのお役に立ちたい』と心の底から訴えかけるような眼差しが感じられた。
何と素晴らしい青年だろうか。
よく見れば、なかなかの「イケ面」である。その「整った顔立ち」には屈託のない笑みと優しさが溢れている。次の瞬間、筆者は―、
――でも、今あなたにやっていただきたいと思います。お願いします。
「車屋の青年」のことは、どうにでもなると思った。おそらく「神」は、今目の前にいる「M青年」を選ばれたのだ。それに素直に従って行こう。
筆者の心に、“その想い”がストンと心地よく降りてきた……………。(続く)
本当にありがとうございました。
お邪魔した時には
家族、仕事、趣味などの話が主でしたが、
僕の心に響く話は
ゴキブリの親子の話です。
ぜひ、もう一度聞かせてほしいです。
今度は一杯やりましょう。
仕事や家族の話が主でしたが、
僕はゴキブリの親子の話が印象的でしたょ。