『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

◆ユダヤ人のユダヤ教/『シンドラーのリスト』:No.8

2015年02月22日 00時09分34秒 | ◆映画を読み解く

 

  機械工はユダヤ教のラビ

   前回の最後は、「プワシュフ強制労働収容所」の「ヤコブ・レヴァルトフ」という機械工が、危うく「アーモン・ゲート少尉」に射殺されかけたシーンについてお話しました。“拳銃の不発”によって奇跡的に命拾いをした訳ですが、他のユダヤ人が簡単に銃により処刑される中、彼が生き延びたことは大きな意味を持っています。

   彼は、「ユダヤ教」の「ラビ」すなわち「聖職者」(教師・説教者)であり、その存在は偉大です。この「映画」でも、冒頭その他において「ラビ」による “祈り” のシーンがいくつも出て来ます。レヴァルトフ自身が「ラビ」として祈りを捧げているシーンもありますが、お気づきでしょうか。

   この「映画」におけるレヴァルトフ」は、「ユダヤ人」の “象徴” というだけでなく、「ユダヤ教」の教えを実践し、継承する  “象徴” としても描かれています。信仰心の度合いは異なっても、「ユダヤ人」は「ユダヤ教」に根差した民族であり、その “教え” を生活信条としています。

   従って、ナチス・ドイツによる “反ユダヤ主義” とそれに伴う諸法律・政策による迫害や “ホロコースト” は、“ユダヤ人個々の生死に関わる危難” 以前に、“ユダヤ教の神(一神教)の否定” に通じるのです。

   そのため、“死の淵” から這い上がったレヴァルトフという存在は、“ユダヤ教の神に忠実” であれば、簡単に “滅び去ることはない” と言っているかのようです。ここにも、この「映画」の “哲学性” が込められているわけですが、それは同時に監督スピルヴァーグの “強い意志” でもあるのでしょう。この「映画」を、「ユダヤ人家庭」の「ラビの祈り」から始めたところに、彼の “心意気” が感じられます。

      

   ユダヤ少年の“絶望”と“諦念”

28. リジーク少年の死

  「リジ―ク」というゲート邸の「使用人」がいます。馬の鞍を地面に置いたため、ゲートに叱責されるわけですが、このときは赦してもらえたようです。その直後、今度は「バスタブ」の垢が落とせないとして、叱責を受けないまでもゲートにはあまりよく思われませんでした。ゲートは、一応 “赦したような曖昧な態度” でリジ―クを立ち去らせます。

  そのリジークが、戸外の長い階段をこちら向きに降りて来ます。背中を向けて歩いて行くその背後から、明らかに彼を狙ったと思われる「1発目」の銃弾が彼の左後方に着弾し、特に驚くことなく振り返ったリジ―クの顔には、「狙撃主」が誰であるかを理解した表情がうかがえます。

   彼は何かを察したように前を向いて再び歩き始めますが、明らかに歩く速さを落としています。まるで “確実に撃ってください” と言わんばかりに。こまやかな演出であり、実に微妙な歩き方やしぐさの演技です。

  「2発目」はリジ―クの右前方に着弾しますが、間をおかずに「3発目」の銃声が響き、歩いているシュターンが微かに首を竦めた姿が映ります。とはいえ、彼も特に驚いた様子もなく、歩いて行くその先に、たまたま地面にリジ―クが横たわっているといった感じです。リジ―クの帽子が身体のずっと先に飛んでいるのは、頭部への命中を意味しているのでしょう。

  倒れたリジ―クを気にかけることなく、そのまま門の方へと向かって行くシュターン。彼が歩いて行く先の「道路(通路)」をよく見てください。表面が「デザイン模様」のように見えます。

  ……そうです。これは「ユダヤ人墓地」の墓石すなわち「墓銘碑」を、「ゲットー内道路」の「敷石」として使っているからです。「映画」の中で縦縞の「囚人服」を着たユダヤ人が、墓石を取り壊しているシーンがあったのを覚えていますか? あのときの「墓石」です。

       

    “いつ殺されても仕方がない。どのみちいつかは殺される。今この瞬間ではなくとも、いずれ確実にそのときが……。” リジ―ク少年は、“絶望” に導かれた “諦念” を、当然のように受け入れていたような気がします。

   ゲート邸のメイドの「ヘレン・ヒルシュ」にも、同じような “諦念” が感じられ、両者に共通のこの “諦念” は、 “迫害や殺戮” を受け入れざるを得なかった当時の「ユダヤ人」の、拭いがたい “精神の闇”と言えるかもしれません。

   それにしても、この「狙撃シーン」において、「映像」は一切「アーモン・ゲート少尉」の姿を映してはいません。それだけにいっそう、「観客」の “感性” と “想像力” は触発され、“日常的なゲートの残忍性” をより深く印象付けています。

   無論、そのための「カット」そして「演技・演出」であり、「編集」の勝利と言えるでしょう。“哲学性と芸術性” に溢れる秀逸なシーンです。それにしても、「リジ―ク」役少年の “演技センス” と、それ以前の “感性” の素晴らしさ……。

    

29.  ヘレンを暴行するゲート少尉

   アーモン・ゲート少尉ヘレン・ヒルシュとの “やりとり” があり、ヘレンに対するゲートの暴力が始まります。ゲートの “病的深層” が描かれていますが、それは、そのまま「ナチス・ドイツ」の “組織としての救い難い病理” でもあるのです。

 

30. ユダヤ娘へキスするシンドラー      

   シンドラーの誕生祝いが行われています。シンドラーは従業員の代表として挨拶をしたユダヤ人の女性の頬にキスをします。後に、これによって逮捕されるわけですが。

 

31. 不気味な話題

   「プワシュフ強制労働収容所」の「宿舎バラック」において、女性たちが「アウシュヴィッツ絶滅収容所」の噂について、「ミラ・ペフェーリング」の伝聞をもとに語り合っています。ミラは同所のガス室から奇跡的に脱出した囚人の話をしていますが、まわりの女性達は信じたくないために強く否定しようと……。

   「ダンカ」の母親の「ジャネック・ドレスナー」が、“みんなが怖がるから” といって、ミラを窘(たしな)めています。中には、“自分達は労働力なので殺されるはずはない”という女性もいるようです。

      

   “ 死 ” への選別

32. 病人の選別

    「プワシュフ強制労働収容所」に、新たに「ハンガリー人」が囚人として送り込まれることになりました。そのため、収容所では “病人を選別” して、いずれかの「収容所」に送ろうとしています。医師団の検診によるこの「全裸の場面」は、「記録映画」で見た記憶があります。本物の実写フィルムと見紛うほどよく出来た「シーン」と言えるでしょう。

   女性たちが、自分を元気良く見せるため、指を針で突いて血を出し、それを “頬紅代わり” に懸命に塗り込もうとしているようです。もちろん、こういうエピソードも総て、実際の体験談に基づいています。

   彼女達は何とか “病人としての選別” を免れたのですが、 「彼女達の子供」 が、今まさに “選別・移送” すなわち「トラック」で運び去られようとしています。無論、行先には “” が待っており、そのことを知っている母親たちは、我が子をと必死です。トラックに駈けよろうと、大混乱となりました。

   その中に、「ダンカ・ドレスナ―」と「オレク・ローズナー」の母親もいます。子供2人はどこかに上手く隠れたのではと語り合っていますが、この予想は運よく事実となります。

   その「オレク少年」は「トラック」に乗らずに抜け出し、最後は「便漕」に飛び込むものの、「先客の少年」に出て行けと言われます。冷たさと当ての無さに困惑した表情が印象的でした。それからどうしたのでしょうか。気になるところです。なお「先客」の中には、丸い眼鏡の少女「ダンカ」もいました。(続く)

 

    


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