『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・母親の運転による2歳愛娘の死:上

2020年06月27日 21時04分27秒 | ■世事抄論

 

 今や全くテレビを観ない筆者にとって、「テレビ・ニュース」と言っても、それは必然ネット配信のものです。各種の情報は、もっぱらこの「ネットニュース」や新聞・雑誌各社からの「配信メール」(※注①)に頼っており、それらを適宜選択しながら観たり読んだりしています。

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  いたいけな女の子の……

 数日前、母親が運転する車に、2歳の愛娘が轢かれて死亡するというテレビニュースをネットで目にしました。病院の「駐車場」を出ようとした際の出来事のようですが、事件が起きたその市に、同じ年頃のお子さんを持つ知人がいただけに、他人事とは思えませんでした。

 画面で見る限りでは、「病院ビル」内のとてもよく整備された「駐車場」であり、街中と異なって、視界も申し分のない印象でした。

 そのためごく自然に、〝それなのに……なぜ?〟という素朴な疑問が湧き、事故当時の状況を少し調べてみようかと思ったほどです。

 しかし、その気持ちはすぐに消え、逆に〝報道された内容以上のことについて、触れることはできるだけ控えよう〟という気持ちに変っていました。

 2歳の〝いたいけな女の子〟に起きた、あまりにも〝いたましい出来事〟であり、それが〝女の子を産み育て、誰よりもその子を愛していた母親〟によってもたらされたからです。

 ご遺族にとっては、まさしく〝胸の張り裂ける〟ほどの〝痛恨の極み〟であり、形容のしようがないほどの悔恨、未だ……ということなのでしょう。

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 ……この数年来、老境における我が身の〝情感〟について、これまでとは異なった趣きを感じています。

 そのためでしょうか。最近、以上のようなニュースに接するとき、これまで素朴に感じて来た〝哀しみや口惜しさ〟よりも、〝虚しさや憤り〟をより強く感じる自分に、実は少々戸惑っています。

 といって、誤解を避けるために申し上げますが、〝憤り〟と言っても、それは当事者としての「母親」や「彼女を取り巻く人々」に対するものではありません。

 そうではなく、およそ人間なるものが、〝どれほど細心の注意を払っても〟、そしてまた〝常日頃より「愛するわが子」のためなら我が身を〟と、どれだけ崇高な情愛に徹してみても、それらを非情に奪い去る〝運命のいたづら〟とやらに対する〝憤り〟です。

 まさしく〝生死事大(しょうじじだい)〟として指し示される宿命であり、つまるところは、否応なく受け止めざるをえない〝無常迅速(むじょうじんそく)〟とやらの世界なのでしょうか。

 といって、今回のような出来事を〝過失〟や〝不可抗力〟、さらには〝不運〟という言葉によって片づけたくはありません。

 そのため筆者個人のせめてもの慰めは、《やりきれない》といった言葉だけは、どんなことがあっても使うまいと決意したことでしょうか。

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 ところで、今回のような事故を未然に防ぐ〝手堅い方法〟として、おそらく多くの方は次のようにお考えになると思います。それは――、

  子供にあれこれ言葉で注意を促すよりも、親(大人)が車を運転する前に子供を車に乗せ、きちんとシートベルトをかける。》

 

 ……と言えば、「そんなことは言うまでもないことだ。」とお叱りを受けるかもしれません。確かに〝ことさら目新しいこと〟を述べた訳ではありません。

 しかし、筆者が〝本当に言いたいことは、実はここから〟始まるのです。(続く)

                  


※注釈

※注① 「ニュース」だけでなく、ちょっとした「政治・経済、社会問題」関係の読み物もあり、内容として優れて実務的であり、かつ平易です。筆者はいくつかの無料のものを読者登録しています。


 

読者へ

次回は、

・反差別の系譜(1)/米国空軍士官学校長のSpeech(下)

です。

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