ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

節分ですね!でも先ず昨日の吟行を…

2024年02月03日 | 俳句

 今日は〝節分〟、ということは明日が〝立春〟ということですね。もちろん昔は、〝節分〟というのは各季節の変わり目にそれぞれあったのですが、春は一年の始めになりますから、さあ、新しい年の正月(旧正月)が来るぞと、邪悪なる「鬼」の災厄を取り払って、よい一年を迎えましょうということで、この節分だけが今日まで続いているんです。

 それで今日は、その「鬼」に向かって〝鬼は外〟〝福は内〟と〝豆撒き〟をしましょう。

  スターリン鬼いづこに居るぞ鬼は外  林翔

 歳時記を見ていましたら、上掲句に出合いました。これは林翔先生がいつ頃詠まれたんでしょう。第6句集『あるがまま』(1997年刊)にある句ですから、それ以前…とすると、ロシアではスターリンが鬼だったんでしょうか。詳しいことは知りませんが、彼が大粛清による独裁政治をした暴君として怖れられていたことぐらいは知っています。だから、これを今の〈プーチン鬼〉と置き換えて、私は〝鬼は外〟と豆を撒いて退治したい!もういい加減に戦争を終結して貰いたいんですものね。

 さて、昨日は月例の吟行会でしたが、いやに暖かい日でした。まるでもう傍に春が来ているような…そう〝春隣〟がピッタリの吟行でした。

 吟行地は、宇部市の西部にある厚東川の東岸に沿って、南北に長く広がった藤山地区。藩政時代には、藤曲、沖ノ旦、中山の3村からなり、明治22年、新町村制により合併して藤山村となり、さらに昭和6年、宇部市に合併され今日に至っていますが、宇部地方においては最も古く開けた地域なんです。

 この度のお世話をしてくれたSさんが配ってくれた「藤山史跡まっぷ」を見ると、嘗て廻船業で栄えたという藤山村の史跡がこんなにあるのかとビックリです。50年以上宇部市に住んでいて始めて歩くところばかりでした。

 史跡まっぷには47ヶ所の史跡案内がありましたが、今回は先ず、1月に居能駅で見たモザイクアートのモデルとなった「三嶋神社」へ。

 ここはもともとは八大竜王を祀った水神社でした。傍には「西宮ゑびす三郎社」があって、宇部の地名の由来が〝海辺の村だったからうみべがうべとなった〟と書いてありました。

 更にそこに「藤曲浦網代碑」というのがあって、裁判所が漁業権を取り決めた記念にと明治30年に建てられていましたが、それが真ん中で割れているし、裏を見ると…何これッと驚きました。宇部には軍需工場があったので終戦近くの空襲が酷かったという話は良く聞いていましたし、以前に行った縄地ヶ鼻公園にはB29が来て落としたという爆弾跡がありましたものね。この藤山地区も相当に爆撃されたようですからその砲弾跡なのかしらなんて…

 神社を出たこの辺りは、嘗てメインストリートだったのに今は廃れた店ばかり…などと説明を聞いて歩いていると、こんなにキレイな花が…さて、これは〝椿〟か〝山茶花〟かと、今度はその違いを論議しながら…

 では皆様はどっちだと思いますか。グーグルレンズの答えは…

 途中昔の宇部線が走っていたという鉄路跡の桜並木を通り…桜の頃またここに来たいわねなどと…話しながら藤山小学校へ。ここは昨年「子ども文化夢教室」で来ましたから、このプラタナスの大木は知っていたのですが、明治35年に青木周蔵がドイツより種を持ち帰って寄贈したものだったとは知りませんでした。

 珍しく二宮金次郎の銅像もありました。ここは宇部でも1番古くて、令和4年が創立150周年だった学校なんですよ。

 それから「西宮八幡宮」へ。ここでは明日の節分祭の準備中でした。その後「善福寺」、浄土真宗本願寺派の寺です。

 お寺を去るときにこんな言葉が目に入りました。その通りですね。

 その後、食事をして午後から句会。今回は6人でしたが、定刻に終了。皆様お疲れ様でした。

 実は今日の節分には、この西宮八幡宮に初めて来てみたんですよ。なぜかというと、節分祭にはぜんざいと梅昆布茶と福豆の接待があると、書いてあるのを昨日見ましたので…(笑) 

 でも今日は吟行の写真がたくさんありますので、節分祭の写真は明日に回しますからよろしくお願いしますね。では、オヤスミナサイ!

コメント (2)
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